[DAICON7]SFアニメの45年
高度経済成長期まっさかりの1963 年、手塚治虫原作のSFアニメ『鉄腕アトム』がTV放送スタートしたことで、日本のアニメ文化は急速に発展しました。
それから45 年、アニメは時代とともにどのように歩み、変わっていったのでしょうか。今後、どのように姿を変えるのでしょうか。実はアニメそのものがSF的な存在では ないかと常々考えている氷川竜介が、アニメの半世紀弱を圧縮して語ることで、驚くべき実相を浮き彫りにします。
「BSアニメ夜話」のアニメマエストロのコーナーなどでお馴染み、アニメ評論家の氷川竜介さんのセッションです。本来はタイトル通りのネタを用意していたそうなんですが、SF大会という、まあ、アニメの教養がある程度高いお客さんを前にして、NHKのように「わかりやすく、コンパクトに」と言われない場所で思いっきり「アニメとは何か」ということを語ってみたいという気持ちになったらしく、「SFアニメではない。アニメがSFだ」というテーマに組み替えられたんだそうです。
そして、さすが氷川さん。物凄い深い話で延々1時間ぐらい、ちょいちょい横道にそれながら突っ走ります。とても、講演のメモからちょいちょいと書き起こして説得力のあるものを組み立てられるような内容じゃないですが、さわりをメモっときます。下の内容は私が自分の言葉でかみ砕いて、自分の考えで補ってますんであしからず。話の筋は氷川さんの講演をトレースしてますが、全部が全部氷川さんの話した通りでもないし、もちろん私のオリジナルでもありません。その辺りはアバウトな感じで読んでください。
まず、アニメ批評において、その物語のみが批評の対象になりがちであることを問題にします。しかし、アニメの面白さとは物語の面白さだけなのか。物語だけであれば小説でもいいはずですが、我々がアニメにそれを越えた快感を感じるのはなぜか。うむ。確かにアニメについて作画や演出のレベルで論じている人っていうと、氷川さんとアニメ様ぐらいです。
アニメとは、何か。アニメとは「止まっている絵が動いて見えること」ではありません。ロトスコープやモーションキャプチャはアカデミー賞でアニメと認められなくなりましたし、そもそも実写だって撮影すれば一枚一枚は静止している写真に過ぎないわけです。ただ一連の動きを等間隔に止めているものはアニメではないわけです。押井監督の本に「すべての映画はアニメになる」という本がありましたが、「アニメである」ではないのです。「アニメになる」のです。じゃあ、何をすればアニメになるのか。
我々がアニメを認識するときには絵と絵のつながりを意識します。絵がくる。次の絵がくる。その差から次の絵を予想する。次の絵で想定を裏切られ、また差分をとり、前の差分と比較し、次の絵を予想する。そうやって、断絶と飛躍を繰り返しながら動きを認識する。それが、氷川さんの仮説です。そこに、驚きがある。
かつて、野田元帥は「SFは絵だ」と言いました。そこでいう「絵」とは、いわゆるビジョンの事であり、そのビジョンが持つセンス・オブ・ワンダーこそがSFなのですが、アニメはその絵のつながりで「ミニマムなセンス・オブ・ワンダー」を作り出していて、それがアニメの快感であり、アニメがSFに馴染みやすい理由だというわけです。
ここで、「BSアニメ夜話」の「鋼の錬金術師」の回のアニメマエストロのコーナーの復習が行われます。氷川さんが借りてきたという原画を実際にPCに取り込んで繋げて見せて、エドの二本の足が次々くり出す蹴りのモーションがどのような原画で表現されていて、そこに優れたアニメーションを成立させるどのような演出上のカラクリがあるのかを解説します。詳しくは、キネ旬ムックを参照のこと。しかし、この部分は実際に原画を止めたり動かしたりしながら解説されると圧巻でした。
そして、これを己の中の快感原則と照らし合わせて理屈だけでなく描けるのが真に優れたアニメーターであり、このアニメの特性をわかって演出できるのが優れた演出家だということです。前述の押井監督は間違いなくわかっている一人です。庵野秀明監督もわかっているでしょう。この話は、昔、アニメスタイルのムック版で語っていたのを覚えています。宮崎駿監督は、多分、天然です(笑)
つまり、アニメの本質は、「情報量のコントロール」であり、「時間のコントロール」であるということです。だから、即物を描いても、それはアニメにならないのです。「動きを描く」のがアニメーションであり、その形而上学的な概念である「動き」を表現するための絵を描くのがアニメーターです。だから、タダのCGはアニメーションとして面白くないし、今のCGはもうそれがわかっているから、カットの途中でモデルを差し替えたりという非常にアニメ的なことをやっているんだそうです。
非常に興味深い話です。私はそれでも多少こういう話に馴染みがあって、アニメ(だけじゃないな、映像作品)をストーリーだけじゃない観点で観る訓練もしていますが、一般には「なんじゃー?」っていうような話かもしれません。でも、何らかの形で、この話がアニメを愛する人、アニメの感想をブログに書くような人にもっと伝わるべきだと思いました。
後は、セルの発明によって、世界(=画用紙に描かれた背景)と人(=セルに描かれたキャラ)の分離が行われ、それをフレームで切ることによって説得力と現実感が現れる。その「切り口」で現実感を出すやり方もSFに近いという話や、向こうでは誰も「ジャパニメーション」なんて呼ばずにANIMEって呼ぶよって話、設定資料の読み方なんて話も挿話的に出てきました。
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