朝日のような夕日をつれて2024 そのさん

ネタバレ感想の続きです。読みたくない人は避けてクダサーイ

 

 

はい、いきますよ。

中盤で語られる、立花トーイの社運をかけたゲーム。今回はMRを取り上げます。考えてみれば、この芝居でVRを取り上げたのはすっごく前、20年以上前の91で、確かに我々も気軽にVRに触れることが出来る世の中になりましたが、なんか生活を変えたかと言われると、うーむ。実際問題、現実も「究極のゲーム」を探しているところがありますよね。で、今度はMR。以前のバージョンでは「VRで見たことのない世界ではなく、自分がけして傷つくことのない日常を作る」と言ってたわけですから、まさに正常進化してしまってます。いや、考えたことがなかったけど、これ怖い。例えば、Apple Visionを通してみたら、すごく怒ってる奥さんの、顔だけが笑顔に作り替えられているなんてこと、出来うるわけですよ。こわ・・・

そして、立花トーイがどんなMRゲームを出すかというと「MRラブチャット」。生成AIでしゃべるVチューバー。ヤバい。

ちょっとこれ、会社の勉強会とかで話したことがあるんですけど、AI搭載の「ラブプラス」はマジで人生狂わせる奴がいるので法律で規制するべきだと思います。それは、教育にAIをどう使うか、それとも止めておくべきかって議論だったんですけど、私はそこでかなりの規制派でした。だってね、何でも教えてくれて、すっごく励ましてくれて、ときどき叱ってくれるAIアンパンマンを肌身離さず持ってる小さい子供に対して、先生の権威は成立しませんからね。学級崩壊待ったなしです。そして、「AIラブプラス」は対象年齢いくつ以上って話もしたんですけど、PG12だという奴もいれば、中二病を脱してから(人間、中二病を中二で卒業できるとは限らんのです)という奴もいれば、むしろ18歳までには必修だろうという意見もあったり。難しい話ですよ。

そんなセンシティブな話ですが、舞台の上は馬鹿馬鹿しさ全開です。しかし、伝統的に「朝日〜」の少年役の女装は笑いが取れるネタですけど、一色さんのAIVチューバー、リンダリンダは笑いの対象にならない程度にマジで可愛かったので、ちょっと失敗かも(笑)。よくあの女声で延々芝居が続けられるもんですなあ。

この後のマーケッターの「ローマは一日にして羽田から行ける」(以前は「ローマは一日にしてイタリアの首都」でした)から、舞台の角に言ってのあれやこれや。血液型じゃなくなってたり、LINEへの書き込みを音読してたり、そしてそれをツッコまれて「そうしないと(お客さんに)わからないだろ!」と客席に向かって言ったり、この辺がリニューアルされてるのも心地よかったな。そして、もうね、すっごく楽しみにしてました。今回の○○病!


演劇的なウソを舞台上でやっていることに対しての自虐的なネタなんですが、最初が「新劇病」。その後、再演ごとに「ミュージカル病」、「小演劇病」、「イギリス静かな演劇病」と続いて、14ではいったん演劇を離れて「ソーシャルネットワーク病」でした。さて、今回はどうなるのか。91で「小劇場病」を思いついたときは震えたと鴻上さんもコメンタリーで言ってましたが、これはもう自虐中の自虐で、舞台の上で筧さんに「そこまで言う!」と言わせてました。

で、今回は「2.5次元病」ですよ。そんなのアリかよ!すごいこと思いつくな!

いや、これを堂々と舞台の上でやるのはホントすごいと思う。あ、タブーに切り込むとか社会派とかとかそういう意味じゃ無くて、これを思いついて、ちゃんと笑いにするところがすごい。だって、私はよく知りませんけど、これをやるということは舞台の上の役者さんは当然2.5次元である程度名を馳せている人なわけで、なんなら客席にはそういうお芝居をきっかけに演者のファンになって今この場にいるって人もいるはずじゃないですか。でも、やる。そういう人も笑わせる。そして、ちょっと「芝居とは何か」も考えさせちゃったりする。すごいなー。もう、ここが見られただけで、今回は満足した。すごかった。2.5次元の歌も歌ってた。なんなら戯曲の後ろに楽譜が載ってる(笑)


だんだんと今回のネタはなんだったかという話ばっかりになっている気もしますけど、ずっと歴代の「朝日〜」を見てるとそこばかり気になってしまうもので、この次の少年の「かまってネタ」も「なにかなあ」と思ってました。「SPY×FAMILY」でしたね。97が「エヴァ」、14が「進撃の巨人」。少年、また女装。また無駄にちょっと可愛いアーニャなんだよなー。


そして、ゴドー2の「トランシルバニアのサミー」のシーン。伝統に則って、照明のバトンに乗って下りてくる。

今回、公演のページにいろんな人のインタビューが載ってて、その中に14のゴドー2をやった伊礼彼方さんが、「ながーい詩を朗読しながらバトンから下りて、舞台の前まで行くと最前列のお客さんが一緒にその朗読をしてるんですよ。なんなら僕より流暢に。地獄だと思いました」って言ってて爆笑したんですけども、14のこのシーンは迫力がありました。藤井隆さんのゴドー1の「貴様ーっ!」からのにらみ合い。カッコよかったー。ここはね、今回の公演は負けてました(笑)。なんででしょう。理由はわかりません。


そして、ゴドー2のパート。ここはゴドー2の役者さんの個性を活かすパートです。今回は心理学ネタでした。ここも楽しかったです。特に「ポジティブマーキング戦略」が好きです。今回のここは鴻上さんが作った感じかなー。分析して分析して、分析に踊らされて、分析と戯れる。芝居のテーマにすごく沿ってる気がしました。今回のこのパートはすごく繋がりがよく見えた。なんだか、全体的にぶつ切りのイメージは薄いかも知れません、今回。

そして、便座でダンス。今でも早稲田からもぎ取ってきているんでしょうか。RCサクセションの「サントワマミー」。思わず口ずさんじゃう。

というところで、このパートの最後。どちらがホンモノのゴドーか決めるシーンで少年が割り込む。戯曲には「少年が面白い格好で登場」って書いてるんですが、今回の少年はパンフレットのあのゴドーの格好をして出てきました。一色さんの愛が伝わります。これが面白い格好なのかはわからないけど、髷が3本の力士の格好よりはいいと思いました。京さん、すいません(笑)。

今回、少年がすごくいいんだよなあ。97, 14と少年のキャスティングが、他の4人より芸歴に差がある人になってる傾向がありましたけど、今回はすごく少年が「4+1」じゃなくて「5」なイメージで存在してると感じます。もっとも、少年は他の4人につまはじきにされている役柄なんで、それでいいのかよくわからないんですけど、今回の少年は対等な感じがありました。よかった。


そして、休憩シーン。ここもねー、前回までのアダルツな感じよりちょっと弱いかなー。特に14のゴドーの語りがいいんですよね。藤井さんと伊礼さんだと第三舞台のスピードじゃなくて、なんかちゃんとお互いのセリフを聞いている感じがあって好きでしたが、今回はちょっと第三舞台みたいだった(笑)。ゴドー待ちが差し込まれたところは第三舞台じゃないのに、ここは第三舞台なんだよな。でも、あの速度とテンポでやってみたかったとか、じわっとやったら重すぎて休憩シーンじゃなくなったのか。ともかく、14のここが好きだったんだなーと思い出しました。


さて、いよいよ今回の究極のゲーム、「メタ・ライフ」。前作の「ソウル・ライフ」がたくさんのオンラインプレイヤーの中から、対話を通じて傷つくこと無くたったひとりの運命の相手を見つけてくれるゲームだったものが、ついに運命の相手をAIで作ってくれるゲームになりました。2014年にはまだちょっと信じられていたSNSでの交流や出会いが、完全に否定されているものになってしまった気がします。うーん、そう進むか。それも、そのAIは自分を全肯定するのでは無く適度なストレスを与えてくれるんですって。うーん、そう進むか。

みよ子の遺書では、その運命の相手、AIのソウルメイトを探す幸福、あり得ないという絶望、そして、AIのソウルメイトを寒さに耐えかねて受け入れてしまった瞬間の悔悟が語られていて、2014のラストよりその痛みがくっきりとした気がします。いやー、今回は生成AIがテーマになるとは思ったけど、やっぱり苦い。2014の感想で、手にスマートフォンを持ったまま「僕は、ひとり」ということの難しさについて考えさせられました。でも、2024は、周りをAIに取り囲まれた自分が「僕は、ひとり」という恐ろしさを感じます。いや、マジでひとりだからね、それは


「メタ・ライフ」から「みよ子の遺書」までも途中、いろいろありますが、いいかな。あ、この後も少年は最高でした。「よし、そこへ並べ・・・(まったく動く気配がないのをみて)並ばなくていい」のところも最高でした。素敵な爪弾かれ方です。よかった。

というわけで、全体的な感想は前に書いたとおり、期待通りの「新しい『朝日〜』」でしたし、ちゃんと鴻上さんの最新の「朝日〜」でした。ぶっちゃけ、97, 14, 24と3回生で「朝日〜」を劇場で見ましたが、今回が一番興奮した「朝日〜」だったかもしれない。素敵なお芝居をありがとうございました。

あー、書くのに時間がかかって大千秋楽終わっちゃった。ネタバレバリア、意味なくなってんじゃん

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朝日のような夕日をつれて2024 そのに

さて、お芝居の中身についての感想を書いていきましょう。東京公演は終わりましたが、まだ公演は続いてます。これからご覧になるという方はここから下はネタバレになりますので、読まないことを勧めます。ま、そんな方が偶然このサイトを読むとは思いませんけども。

 

 

 

いいかな?

今回はもう楽しみすぎて、家の中にあるDVD、91, 97, 14の3バージョン全部見直してから行きました。この芝居をはじめて見る人は入れ子になってる構造に翻弄されて、「今、どの世界?」ってなっちゃうと思うんですが、すっかり全部頭に入ってる状態です。しかも、今回は劇場で24年版の戯曲も売ってるんで、それを見ながら反芻できちゃうという。いやー、良い時代ですね。


というわけで、8/30(金)の紀伊國屋ホール。お客様は昔からのファンの「初老」って感じの方が4割。役者さんのファンの若い方が2割。あとは謎って感じかなあ。物販に並びまして、トランプとTシャツと(黒は売り切れでした)、パンフと戯曲を買いまして開演を待ちます。「Life is live」暗転 ウィスパー。「The end of Asia」

最初のパートは台本通り進みます。冒頭の研究員とマーケッターの会話から「ChatGPT」って単語が出てきます。そうですよね。今回は生成AIが話に絡んでこないはずがありません。

そうそう、冒頭の立花トーイが最近出したおもちゃ話の中で「ひきこもれ、自分の部屋」が「以前、出してあたったゲーム」として登場したのがオールドファンをくすぐるネタでした。これ、2014の時に当時「出したけど失敗した」扱いのネタなの。ここで笑ってる人は10年前も観た人ねw

あと、このパートでcotomoが出てくるのがさすが。これ、ウチの業界的にはちょっと話題になりましたけど、世間的にはほぼ無名だと思うんですよ。生成AIと音声で会話できるっていうアプリなんですが、普通に作るとどうしても会話にタイムラグが出てしまうので、そこをダルい系の女の子が「んー」「えー・・・っとー」ってフィラーを入れて時間を稼いで自然に見せてるっていうのがちょっと逆に可愛いっていう。あ、その発送はありだねと。ま、ダルい系の女の子と雑談してもなんの生産性もないので一時の話題で終わりましたが・・・よくこんなの知ってるなあ。

さて、一通りのネタがあって、2014年版では「退職金代わりにそのアイデアもって任天堂にでも行きなさい!」の行き先が「スクエア・エニックス」になり(2014年は、まだNintendo Switchが出ていないんですよ)、少年が大坂なおみのコーチになり(この日、新宿までいく地下鉄のモニタでやってるニュースで、全米オープン2回戦負けしたことを知りました)、ここまでがアバンタイトル


タイトル明けは、ウラエスの遊び。ここはもう大高・小須田コンビとは一新されていて楽しく見られました。2014で一番厳しかったのがここですからね。ぐーっと現代にしちゃうと大高・小須田がやっていることに違和感がでちゃうし、昔のままだとそれはそれで今のお芝居にならないし。昔、コメンタリーかなんかで鴻上さんが「いつまでもこの勢いでやってたら役者が死んじゃうけど、若い役者でヤングバージョンが作れたらそれと合わせてアダルトバージョン動き少ない版みたいなのもできるんだけどね」みたいなことを言ってて、ヤングバージョンが出来たんで今、大高さんと小須田さんが60代に相応しいウラヤマ・エスカワをそれこそ「ゴドーを待ちながら」ぐらいのスピードで、それでも素敵な60代なりの素敵な遊びでゴドーを待つっていうのも観てみたいなと思ったり。それはそれで成立するんじゃないかと。

それはともかく、玉置さんと小松さんのウラエスは新鮮で楽しかったです。ここは観ていてなんかほのぼのと観ました。下ネタでしたが(笑)。

そして、伝統芸能のドッジボールとフラフープとダーツとぶっつけ遊びがあり。玉置さんが客席に下りたら「え、ホントに?きゃー」みたいな反応が客席からあって、「おう、若いお客さん、イイネ」とさらに微笑ましくなったり。いや、視線がジジイなのよ(笑)。名作に1文字足してワケがわからなくしようシリーズ、好きです。「君の膵臓を食べたない」が一番好きです。ワケがわからなくなってない!だって、食べたないやん、そら!(笑)


お次は少年登場。ここの「君は応用力というものを誤解しているよ」っていうセリフが好きすぎて、たまに冗談で後輩に言ったりしますが(絶対伝わらない冗談、それはパワハラです)、ここで少年役の一色さんが91の京さんの「ピッチングモーションをしながらセリフをいい、逆モーションをしてセリフも逆に言う」というネタを完コピしてて(笑)。一色さんの「朝日〜」愛アピールなんすかね。うん、私もあのネタ好きです。仲間!

あと、ゴドーの「バカ手紙文」が今回「ぴえん越えてぱおん」になってて可笑しい。ここはホント、毎回違うんだけど、毎回バカ。ちゃんと時代ごと時代を代表する「バカ構文」があることが感動です。文化ってすごい(笑)

そんなこんなあって、ゴドー1の登場だ!


今回、下手の客席入り口の2列ぐらい後ろだったんでスタンバイするゴドー1が見えるかなと思ったんですが、暗くてわかんなかったっす。なんでそんな側にいてもわからないぐらい暗いのにちゃんとスタンバイできるんでしょう。おかげで周りの席のみなさんもいいリアクションしてました。最前列のお客様に「何を待ってますか」と聞いて「素敵なエンディング」とのことでした。本当にお客様がそう応えたのだとしたら、この客はよく訓練された客だ(笑)

ゴドー1のパート。「マッチングアプリ普及協会」も好きだなー。窒素水。水素水じゃなくて、窒素水。さらに意味がなさそうで素敵。マルチじゃないのよ、ネットワークビジネス・・・ってのもなんか最近聞かないから、また引っかかる人いそうですね。今までは大高さんがアルペジオをミスタッチしてたところは、玉置さんがキーボードでミスタッチしてました(笑)。伝統芸能の正しい継承。

しかし、一番笑ったのは「流れ5Gに当たった」でした。最高だ。流れ5Gて。すげぇ。ここも、伝統はふまえつつ全体的にリニューアルされててよかったです。ウチの妻は「べそ子がなくなった」と残念がっていましたが、いや、なくていいです(笑)


・・・いや、長い。中盤の社運をかけたゲームのあたりからはまた別に続きを書きます。つづく

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朝日のような夕日をつれて2024

2014年に「朝日のような夕日をつれて」をやるよと聞いたときのことはここに書いているんですけども、結果的には2014年の「朝日~」は第三舞台の「朝日~」となんら変わりませんでした。

「朝日~」は第三舞台の旗揚げの演目で、内容的にも稽古場で作り上げていく部分が相当多い作品です。というか、むしろ「ここはウラヤマ役とエスカワ役が自分で考えて楽しく遊ぶパート」「ここはゴドー1が2人を引き留めるためにどうすればいいか頑張って工夫するところ」「ここはゴドー2役の役者のキャラに合わせて作り上げるパート」のようにわりとはっきりと役割分担が作られていて、それはすごく劇団的な作り方だと思うわけです。

これをプロデュース公演でやるのはすごく難しいわけですが、第三舞台の時も毎回はじめての役者さんはいて、それを大高・小須田の両名が具体的にリードしたり、背中を見せたりしてチームを作り上げて上演してきていたわけです。たぶん。稽古場観たことあるわけじゃないですが、インタビューやDVDのコメンタリーなどから察するにそういうことだと。

で、前回、2014年の朝日は大高さんと小須田さんがいたし、そもそも紀伊國屋ホールから「ホールの50周年記念になにか作品を」と言われたときに「『朝日~』をやってくれといろんな人から大高も俺も言われるんだよなあ。紀伊國屋ホールに縁がある作品だし、どうだろうか」と思った鴻上さんは小須田さんに「やる?」と問いかけて、OKをもらったから「やるか」となったそうです。つまり、この2人がいてこその「朝日~」だし、この2人がウラエスやっていると「朝日~」は「第三舞台の芝居」になっちゃう。少なくとも、私からはそう見えました。ゴドー1の登場シーンの「第三舞台だ、よろしく!」は、「17年ぶりの『朝日のような夕日をつれて』だ、よろしく!」になってましたけどね(笑)

そういう意味で、大高さんも小須田さんも還暦を超えた今、「朝日のような夕日をつれて」は2度と観られない作品なんだと思ってました。なんというか、鴻上さんや第三舞台と独立して成立するような演目のような気がしなかったんで。別にそれを残念だとか思っていたというわけでもなく、そういうものだろうなと。しょうがないよね。

それが、「紀伊國屋ホール60周年記念作品として、『朝日~』をやります」というの聞いて、正直言ってびっくりしました。大高さんと小須田さん、死ぬんじゃね?。しかし、ウラエスは大高・小須田じゃないんですと。若い俳優さんでやるんですって。それを聞いて最初に思ったことが「じゃあ、70周年もできるよね」で(笑)、別に「大高さんと小須田さんが出ていないなんてやだ!」とかじゃありませんでした。そもそも、若い俳優を集めて全然違うメンバーで作ったら「朝日~」はどんなお芝居になるのか。それを見届けたくて、チケット発売日はPCの前に待機。東京の楽日前日8/30のチケットを取り、ウッキウキで観てきました。

全体的な感想としては、全然変わっちゃったねというのでもなく、でも、すごくリニューアルされていて「2024年版の『朝日~』を観た」という気持ちがしました。やっぱり10年前のときにはウラエスの遊び部分で最新を取り入れていくといっても、お二人も最新の流行はよくわからないでしょうし、逆に客席の大半がわかるような流行りっていうのがテレビが凋落してみんながネットのたこつぼに落ちている21世紀にそもそも作れるんですかという疑問がありました。そこは新しい役者になってリセットされた感もあって良かったんじゃないかと。あと、ゴドーの世界で時々唐突に「ゴドーを待ちながら」そのままのセリフをいうシーンがありますが、あそこが以前に比べてすごくゆっくりになってて「いま、『朝日~』のゴドー待ちのとこ」「ここはベケットのゴドーのとこ」というのがくっきり分かれたのも「その方が良いよな」と思いました。今まではそこもクソ速い第三舞台の会話速度のままだったんですが、改めて考えるとその方が良い。というのも、他の部分は新しい役者さんたちが「この芝居はあの速度でやろう」と今までの芝居の経験と切り離して、スピードを上げてやってるんだと思います。だから「ここは違うんだから、ベケットの芝居をやる速度でやろう」という判断になっている。逆に言えば、第三舞台の時は自覚なくあの速度になってたんだと思うわけです。新しい役者さんの苦労はだいぶ大変だったろうと思うんです。が、例えばゴドー1の登場からのしばらくのシーケンスは完全に「朝日~」のゴドー1の伝統的スタイルで演じられていて(コメンタリーで、あそこは池田成志さんがなくなった岩谷さんのスタイルをコピり、それが勝村さん、筧さんにも受け継がれていると語ってらっしゃいました)、かつ、スピードも滑舌もエネルギーもまったくゴドー1に相応しく、かつまねっこではなかった(安西さんはそもそも過去のバージョンを観たことないらしいです)のでこれはすごいなと思いました。

というわけで、2014年のときは「最後の第三舞台の朝日」が観られて嬉しいという気持ちがするお芝居でしたが、今回は初めて第三舞台じゃない(でも、鴻上さんが演出する)「朝日~」なんだと感じました。なんなら、2014年に観にいくときに心のどこかで期待していた「第三舞台じゃない朝日」はこれだったんじゃないかという気さえします。そして、これが観られるんなら大丈夫。第三舞台以外がやったら「朝日~」は「朝日~」じゃなくなっちゃうんじゃないかという不安は払拭されました。つまり、私たちは今後も「朝日~」を観られるということです。もちろん、「朝日~」ができる条件は役者だけじゃなくて、つまりは今回の中心のおもちゃ(だよなあ)であるChatGPTの次の何かが世の中に登場しているということが必要になりますけど、少なくとも10年後にも「朝日~」は観られるっていうことですよ。なによりそれが嬉しいじゃないですか。

あとは、鴻上さんが演出するのではない「朝日~」はどうなんだってことになるわけですが、実はパンフに今回の公演のきっかけは福田雄一監督が「朝日~」を上演しようとしていろんな都合でできなくなったことだと書いてありまして(鴻上さんと福田さんの対談が載っております)、福田さん曰く「まだあきらめてません」らしいのでそれはそれで興味深く感じてたり。でも、鴻上さんが演出しない「朝日~」が成立するかどうかは、微妙じゃないかなー。「池田成志さんがゴドー1をやった85を完コピする」って福田さんは言ってるんだけど、それで成立しないだろうと思うんだよね。でも、もし実現したら絶対観たい。

というわけで、芝居の内容に入らないまま結構な長さの文章を書いてしまったので、ネタバレ感想は別に書きたいと思います。10年前もそうだったつづく

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「朝日のような夕日をつれて 2014」を観てきました そのに

ああ、大高さん、DQ10やってるんだー

それはともかく。あ、これ以後はバリバリのネタバレになります。これから見る予定の方はご遠慮を。

「朝日~」は簡単にはあらすじを説明することができません。作品は「立花トーイの世界」と「ゴドーを待ちながら」の2つの世界で作られていますが、そのどちらも(程度の差はありますが)リアリズムではありません。

「立花トーイ」では、今、どんなおもちゃが流行っていて、それをうけての「究極のおもちゃ」とは何か語られます。

「ゴドー待ち」では、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の登場人物達が、「俺たちはせめて楽しく待つぞ」と稽古場で磨き上げた至高の遊びを披露します。

この作品を貫く「おもちゃ」と「遊び」は、上演の度に変わります。逆に、「朝日~」をやるにふさわしい新しいおもちゃが存在しなければ出来ない作品ともいえます。今回は、実に17年ぶりの「朝日~」。前回はMMORPGのようなネットワークゲームが題材でした。今回はOculus Rift。実は、バーチャルリアリティ自体は以前のバージョンの「朝日~」で取り上げたこともあります。また、いわゆるライフログやビッグデータのようなものも、そんな言葉がでる前からネタとしては織り込まれていたわけで、そういう意味では表層は変わっても、芝居の根幹は変わりません。

逆に、遊びの方は・・・ドッヂボールに行く前までの部分はバブルの頃の上演から比べると、ぐっとパワーが落ちてしまいました。このパートがダメだったと書くと、まるで大高さん、小須田さんがダメだったように聞こえてしまうかも知れませんが、ここは時代もあるのかなあという気が・・・。テレビのパワーが落ちてしまって、みんなが知っているネタがなくなってしまったからなあ。一番受けていたのが「懐かしのCMシリーズ」・・・って、それじゃ91年の「朝日~」と同じになっちゃう。

まあ、それも含めて、この芝居は「現時点での鴻上さんの時代分析」みたいなところがあって、鴻上さんが今の世の中をどう捕らえているのかが垣間見られるのが魅力です。初期からずーっと残っていた業界ネタ「新劇病」も、「新劇病→ミュージカル病→小演劇病→静かな演劇病」と延々続いてきてましたが、いまさらこれやってもしょうがないだろうということになったのか、「ソーシャルネットワーク病」になってました。

さて、役者さんですが、もう、大高さんと小須田さんはいいですね。みんなから「2人の体力は持つのか」と心配されたとのことですが、まったく問題ないです。もうお2人に関しては何もいうことはありません。むしろ、せっかくだから役ひっくり返せばよかったのにとか思ったりして(笑)

そして、ゴドー1は藤井隆さん。いや、大変だろうなー。91は勝村さん、97は筧さんがやっている役で、ある意味、「小劇場病」の体現というような役どころですからね。無駄に動くのが勝利の鍵というような(笑)。それでも、実際にやってみたらぴったりの役どころでした。なんとなく、挙動不審になったり、気味悪いキャラになったり、かと思えば一転して真剣なまなざしで格好つけたり。引出が多いところがゴドー1向きです。

まあね、ちょっと稽古不足の面が見られましたよ。冒頭の群唱があっていなかったり、途中で台詞が出てこなくなって、客席が「おおぉぅ」とはらはらしたりなんてのは、第三舞台の芝居をみていてなかなかあることじゃないですから。でも、さすが役者の魅力がそれをカバーしてしまってました。ゴドー1が客席から登場するときの台詞はアドリブなんですけど、「初日、緊張しました-。今日はもう2日目だから大丈夫・・・じゃないです。緊張してます」的なことを言ってました。

ゴドー2は、伊礼彼方さん。「リンダリンダ」でお見かけしましたが、格好いいですねぇ。ゴドー2の見せ場はなんといっても「嘘つきは誰だ」のコーナーですが、歌うキャラでした。ミュージカルとかいろいろやっているのが反映されているんでしょうか。このコーナー、面白かったなあ。筧さん版、松重さん版も好きだけど、今回のアナ雪落ちも好きですねぇ。

何でアリなんだろう・・・と思っていて、あのイントロが流れた瞬間に笑っている人がいて、明らかにアリと「ありのままで」をかけたネタだということがわかっているんですよ。その瞬間に焦りました。えっ、ここでわかっちゃうのと。なんとかサビにたどり着くまでに気がつきましたけど、悔しかったなあ。こんな芝居だから「アナ雪」は絶対ネタとして取り上げられるとわかっていたはずなのに・・・。こういう悔しさってなんだかすごく久しぶりに感じました。97が「エヴァ」だったところは、「進撃」になってましたね。そうだよね。「まどマギ」じゃないよな(笑)

あと、今回、ゴドーが二人とも第三舞台の役者じゃなくなったということで、「ウォーアイニー」の後、ウラヤマとエスカワがはけたあとの二人の語りのスピードがぐっと落ちました。91も97もすごい勢いで会話が進みます。この芝居のスピードになれているとまあそんなものかなと感じちゃうんですけど、やっぱりあれは相手の言うことなんて聞いて無くて、ただの語らいになっちゃってますよね。今回、藤井さんと伊礼さんは早くはあるけども、ちゃんと会話になる速度になっていて、それは「あ、これはこれで正しいな」と思ったんですよね。あのシーンで、「あ、これは第三舞台ではないんだ」と感じたり。

そして少年役の玉置玲央さん。非常にクレバーな印象を受けました。そして、時々、筧さんのように見える。たぶん、結構研究されたんじゃないですかね。目を見張るような芝居というわけではないんですけど、今回の「朝日」に溶け込んだ自然な演技でした。でも、「朝日」ですからね。「朝日」における自然な演技ってなんだよっていう(笑)。

最後に、芝居全体に対する感想です。芝居の中で代々語られては否定されてきた究極のゲーム達。「リアル・ライフ」、「イデア・ライフ」、そして「ソウルライフ」。しかし、現代において「もうひとつの日常」というテーマはかなり身近になりました。Facebookやセカンドライフ、MMORPG、Googleストリートビュー、電子マネーなどを通じて、リアルをヴァーチャルに写しこむことで対する想像力と懸念は一般の人々の間にもかなり浸透してきました。しかし、それでこの芝居のテーマが古くなったことはなく、まさにリアルな問題になった感があります。

待ち続ける人々は、人それぞれのソウルライフの中で、一人楽しく待ち続ける。その楽しさの集合体がディストピアであることまではみんなが共有している認識です。それでも「立ち続ける」こととは何を意味するのか。朝日の冒頭、あるいはラストシーン。八百屋(客席に向かって低くなる傾斜になっていること)の舞台に踏ん張っている役者が「僕は、独り!」と叫ぶシーンで、右手にスマートフォンが握られていたらそんな台無しなことはないわけで(笑)、こんな時代に独りでいると宣言することは、おそらく80年代とはまた違った意味を持っています。

いや、どうなんでしょう。ケータイの電話帳の、マイミクの、Facebookのタイムラインの、そのリストを眺めて「たくさんの人と手をつなぐことはとても悲しいことだから」と口に出す苦さは、鴻上さんがこの台詞を書いたときの苦さと繋がっているんでしょうか。私が20年前にこの芝居に触れたときに感じた苦さと、今感じる苦さが変わってしまったのかどうかも私にはよくわからなくなってしまいました。

たぶん、鴻上さんはなにか答えをもっているのだろうと思います。そんな感じがしました。でも、それが示されるのはたぶん「朝日」の中ではない。それがどのような形ででてくるのかを、すごく楽しみにしています。

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「朝日のような夕日をつれて 2014」を観てきました そのいち

2011年の年末に、第三舞台は10年の封印を破り、そして復活公演がそのまま解散公演になりました。

もちろん観に行ったんですが、そういえば感想をここに書いてませんね。うーん、端的に言って、ピンとこなかったんです。

芝居としては面白かった。といっても、あのメンツが舞台の上に居て面白くないわけはないじゃないですか。でも、芝居のテーマと役者が噛み合っていない気がするんです。といっても、鴻上さんの芝居において、役者が必ずしもテーマを体現していないことはままあるわけです。それでも、人が一つの人格を演じることに対するカタルシスというのはあって、それは無条件に観客を感動させてしまったりするので、芝居が成立してしまう。

それでも、強烈に噛み合うときもあって、今回は良かったねー、良くなかったねーということになるんですけど、でも、「良くなかったねー」の時でも全然損したという気持ちにはならないわけです。なんせ、芝居ですから、自分が観た回がたまたまハマらなかっただけかもしれないし、ハマってなくてもお代分はもらって帰ってこれていたからです。野球を観に行って、いい試合だったとか、ダメだったとか、ひいきのチームが勝ったとか負けたとか、そういうものに近いかな。ちょっと違うか。

それで、その封印作品「深呼吸する惑星」は、鴻上さんとしては同窓会にしたくない、最後に第三舞台として新作を一本いつものようにやって終わるんだという静かな気合いが入っている設定だし、本なんだけど、役者はやっぱりそれぞれの感慨もあり、何よりお客さんの雰囲気が「最後に何をやるんだ!」という構えた感じになっちゃってて、ありゃー、噛み合ってないぞーと。

で、見終わった感想は、「第三舞台だった。今回はどうも自分にはピンとこなかった」ということになって、なんだか封印前に公演を観たときとおんなじ感じになっちゃいました。うん、全然解散公演ぽくなかったぞと。いや、それはまあ、狙ってそうなっている気もするじゃないですか。上の状態を推測する限り。

なので、拍子抜けして、感想を書きそびれたと。まあ、なんというかね。最後に1本観られて良かったねと。それ以上のことはあまりなかったんです。いや、ホントは芝居のテーマ的にはいろいろ感じたり、考えたりしたんですけど、それ以上の肩すかし感だったと。

で、その前も、その後も鴻上さんのお芝居はちょいちょいと観に行っていますし、心の底では第三舞台が観たいとやっぱり思っちゃってるわけで、どうしても大高さんや長野さんが出ているお芝居を選んで行っちゃったりします。そうしていると、観ている観客的には、それも「トランス」という第三舞台の芝居ではないものを最初にみちゃった遅れてきた観客的にはですよ、まあ、これでもいいか感といいますか、第三舞台はまあ、それそのものではないにしろ、観られなくなったわけではないじゃんよ。鴻上さんは演劇を続けているし、大高さんも時々でているしなと。

というような消化不良感を抱えていたわけですが、なんと鴻上さんが紀伊國屋ホールの50周年を祝う作品を依頼されて、「朝日のような夕日をつれて」をやるんだと。えええー。いや、そりゃ確かに相応しい作品かもしれませんよ。でもさ、第三舞台はもうないわけじゃないですか。他の作品は別の役者たちでやってもいいし、鴻上さん以外が演出したっていいと思うんですが、「朝日〜」は違うじゃないですか。

「朝日〜」は特別で、「ここは鴻上が考えるパート」「ここは大高と小須田が考えるパート」というように分業制で作られるようなものですから、たとえ大高さんが出ていたとしても、それで作れるというようなものでもないですよね。電気GROOVEの「ウィー・アー」はカバーしないし、ゆずの「岡村ムラムラブギウギ」はカバーしないじゃないですか。だって、ゴドー1の登場で「第三舞台だ、よろしく!」って言っちゃうよ?

え?大高さんと小須田さんがウラヤマとエスカワで出るの?いや、女優陣や筧さんには悪いけども

それはもう第三舞台なんじゃないの?

というわけで、第三舞台ファイナル・リベンジというような気持ちで8/1(Fri)、公演2日目を観てまいりました。いやー、観に行くところまででこんなに書いちゃった。感想はいつ書けるんだろう。つづく!

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Jannyのお芝居の感想

さて、Jannyのお芝居の感想を今頃。

まず、全体としては想像よりかなりよかったです(笑)。小演劇のスタイルだから、舞台上のウソを全部引き受けて成り立たせる役者体ってのが必須です。これを成立させる力量のない役者だと、「白い板をほこらの扉と言われても」「いや、木刀で人は斬れないし」「頭にクマさん被って悪役ぶられても」とどんどん芝居は辛い方向へいってしまいますが、それを「これは台本がある絵空事だが、それでも俺の心情は本物だ!」と言い切れる役者のパワーがあればいいわけです。そういう意味の「パワー」をびんびんに受けました。特に、長(おさ)を裏切る役の役者さんは発声も、身体の切れもよくて出てきた瞬間に「チョイ役では終わらないぞ」という予感をもりもりさせたので、先の展開が読めました(笑)。素敵な役者さんでしたね。主役の役者さんも頑張ってたんだけど、キャラ的に感情移入しづらい役だったので最後、主人公側のリクツに説得力がなくなって見えるぐらい、よかったですね。

あと、長の下につく女性のなまりとそこから作り出されるキャラが素敵でしたね。主役が愛されないキャラなだけに、ほっと息がつける、みんなに愛されるキャラを楽しく演じていたことは、この芝居全体をしっかり支えていたと思います。

ちなみに、作・演出のJannyどんは、あまり重要じゃない(葛藤のない)役で登場。物語の構造を背負っていない役なので、わりとやりたいようにやっててズルイ(笑)。バナナ食いながら出てきて、殺されちゃう役。オイシいですな。

さて、Jannyが作・演習と言うことで、脚本にも注文!こう、さらさらとホンを書いて、最後に悩むのが

  • 役名
  • タイトル
  • ラストシーン

ラストは迷ってるのがありありとわかるような感じでした(笑)。なかなか自分の世界に帰る踏ん切りのつかない主人公は、たぶん、この話をどう締めくくったらいいかわからないJannyの気持ちを反映してああなっちゃってるに違いない。ちょっと可笑しかった。

役名も、特に名前を呼ぶ必要もないと、つけるのがすごくめんどくさいのはわかるんだけど、でも、つけてくれないと、こっちがアンケート書くのに困るんですけど(笑)

タイトルは・・・イマイチね。だって、結局覚えられないし。ま、書いてるほうとしては、そんなところに力をいれるぐらいならって思うんだよね~

最後に、テーマ的なこと。構成としてはうまくまとまってたと思うんだけど、じゃあ、今、Jannyが書きたいことがこれなのかというと、ちょっと疑問を感じちゃいます。時間や役者の構成なんかの制約のもと、ちゃんと成立するものを書いているのは素晴らしいと思うんだけど、このテーマはもう一つ、「パンツ脱ぎきれてない感」があります。その辺が、最後、すっきりと飲み込めない小骨だったかも知れません

でも、とにかくひさしぶりに生の役者のパワーを、それもすごくちかいところから浴びて、凄く楽しかった。元気をもらっちゃいました。お芝居はいいね~

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メカトロニカ/明和電機

明和電機の2003年パリ公演の記録。パリジャンヌ、バカ受けしてます(笑)

明和を知って10年ぐらいになりますが、見てライブがすごくうまくなったと思いました。昔から社長は「アドリブの天才」でしたけど、構成も素晴らしい。何より、お客さんはなんせフランス人ですからほとんど明和電機のことを知らない人ばかりなわけで、それでもこれだけ奇想天外なものを見せて盛り上げてしまうのは、もうどうにも素晴らしい。

そもそも、明和電機とパリのつながりは、かのアニエスベー(カタカナで書くとマヌケですな)が来日したときに雑誌で明和のことを見かけ、「会ってみたい」といい、いきなりリムジンで乗り付けたことからはじまったらしい(笑)

それ以来、「個展をやるから、お前も何かやれ」と突然呼ばれたりしているんだそうです。

実は、家には、97年の明和電機の特番、出演したNHK「トップランナー」、NHK「課外授業、ようこそ先輩!」のエアチェックがあったりします。見たかったら、えーっと、どうにかして私個人から借りてください(笑)

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