酒を主食とする人々/高野秀行

探検家の高野秀行さんの新刊。高野さんの新刊が出たら、買わざるを得ません。

今回のテーマはエチオピアでお酒を「食べて」暮らしている人達。これ、話は聞いたことがあります。この本でも紹介されていますが、NHKスペシャルの「食の起源」でこの部族、デラシャと彼らの主食であるパルショータは紹介されてます。つまり、NHKが普通に取材に行っているぐらいですから、かなり有名な話なんだろうと思っていました。

ところが、そうでもないみたい。このデラシャのパルショータについてまともに研究している人は、この研究で京都大学で学位を取った砂野唯先生だけみたい。NHKも砂野先生に取材に行ったから知ったんでしょう。パルショータはWikipediaに記載があるんですが、なぜか日本語版しかないという(笑)。世界中でこんなにパルショータについて知っている人が多い国というのは、エチオピアを除けば(いや、ヘタしたら除かなくとも)、日本以外にはないぞと。英語の情報がさっぱりない。なんなら砂野先生の論文しかひっかからないらしい。およよ?

高野さんも砂野先生の「酒を食べる」は読んでいるし、こんな面白いところにはぜひ、自分で行ってみたいと思っているわけです。でも、アカデミックにすでに研究されている対象だし、NHKで紹介されてもいる。自分が行って本の題材にするには二番煎じ感は否めない。別に著書を目的とした探検でなくとも、遊びに行ってもいいわけですがそれにしてはそんなに気軽に行ける場所でもない。そもそも、少数部族の保護エリアで、個人がふらっと行って立ち入らせてもらえるエリアでもないらしいです。

そこに、TBSのグレートジャーニーという番組から声がかかるんですな。高野さんはこの番組にトークゲストとして関わったことは何度もあるそうなんですが、「高野さんが行きたいところに行きましょう!」と言われる。テレビの取材なら、デラシャにいけるのでは?

こういう探検もののテレビ番組というのは、がっちりリサーチのチームが居て、ロケハンもして、撮影クルーが行くときには撮るべきものの算段がほぼ出来上がっているものです。これは別にやらせでも何でもない。そうじゃないととてもじゃないけど撮影なんて成立しないわけです。なんなら高野さんはこういうリサーチの方で番組に関わることもあるわけですね。

ところが、今回の場合、通常はリサーチやコーディネーションをする人が前面に立っている。高野さんもデラシャに詳しくないし、同行するプロデューサーも、カメラを構えるディレクターも別に詳しくない。雇ったエチオピア人ガイドもデラシャについては特に何も知らない。現地のコーディネーターにはどのぐらい意図が伝わっているのかわからない。砂野先生に事前に取材しておきたいが、海外調査中で会えない。なんだかとても不安な取材です。高野さん自身が、いつものこの番組の撮影ならこんなにユルユルじゃないことを知っているので、不安でいっぱい。今回は裏方じゃなくて出演者なので、そもそも撮影チームのリーダーでもない。でも、何を見に行きたいのか意思を持っているのは自分だし、なんならこのチームで一番ちゃんとリード出来そうなのは自分だ。旅費は出してもらっているとはいえ、ノーギャラなのに(笑)。どうすればいいんだ・・・

というわけで、正直、このデラシャの話をちゃんと知りたいのなら、砂野先生の本で良いのかも知れませんが、もう、この座組からして面白い。面白い旅行記になるに決まっているという、いつもの高野節が出発の成田空港から炸裂します。だって、成田空港からアフリカに飛ぶかと思ったらなぜか葛飾区に舞い戻り、高野さんは救急車で運ばれちゃうんですよ。まだ日本出てないのに。もうここからゲラゲラ笑える(笑)

この本では、メインテーマであるデラシャという人達とそのすぐ隣の地区に住んでいるコンソ(現地のガイドがコンソの人)を訪れている様子が書かれています。コンソもパルショータと似たモロコシで作るチャガという酒をほぼ3食飲んでいるんですが、それしか口にしない・・・というわけではないんですね。まず、前菜的にコンソを取材して、その後、メインテーマのデラシャに行くと。全部で2週間ぐらいの、短くはないけどトラブったらリカバリーの余裕はあまりない撮影チームが、曖昧模糊とした「本当のコンソ」「普通のデラシャ」を捕まえようとする記録です。出てくる人達の人間模様がやたら面白いんで、じっくりお楽しみください。それに、実際、デラシャ人の生活は驚異そのものですしね。

そして、最後にオチが付くんですが・・・番組サイトを見てみましょう。

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コンソの話になっとるやん!デラシャとパルショータ、全カット!?どうしてこうなった!!

はい、全カットです。結局、高野さんが訪れたデラシャの話はこの本で読むしかなくなったわけです(笑)。どうしてこうなったかは、本を読めばわかります。取材に失敗した?いや、もう取れ高ばっちりの濃密なエピソードでいっぱいです。実は、濃密すぎての全カット(笑)。あんなに苦労したのに。何がどうなったのか、ぜひぜひお読みください。

あと、出版記念のyoutubeもやってますけど、本と同じことをしてもしょうがないのでイベントは現地の映像多めとかなので、本を読んでから観た方が楽しい気がします。まあ、本を読まないよって人はこのイベントでもだいたいのことはわかると思いますけどね(笑)

 


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コード・ブッダ/円城塔

買うは買うものの、なかなか通読できない円城塔。今作はこれでビブリオバトルに参戦(ちなみにテーマは「AI」でした)したこともあって、久しぶりに読み終わりました。

円城塔は理学ホラ話を書いているときが一番面白いと思うんですが、あんまり他人には勧めにくい感じはありますね。なんというか、仲間うちでわかるネタで盛り上がる面白さみたいなのはね・・・似たような感じでいえば、最近、好きなのはヨビノリさんの「理系過ぎるフリップネタ」ですけど、勧めにくいよね(笑)。まあ、物理系の人しかわかんない。

しかし、今回はAIネタ・・・というか、プログラミングネタなので、ウチの業界の人ならばっちり。これは紹介しやすい・・・ように見えて、プログラミングネタを使った仏教史のパロディだからね。プログラミングと仏教の両方の興味があってネタに付いてこられる人がどのぐらいいるのかは私にはわかりません。まあ、コテンラジオの「最長・空海」編でも、仏教はコンピュータの概念に似てるって話をしていたし、これら2つの組み合わせは特にすごい発見でもないかも?一般性はあるのかしら・・・でも、これ「文學界」に連載してたんですよね・・・?。もうなんもわからんな。「文學界」を買ってこの連載を楽しみに読んでた人がどういう人なのかさっぱりわからん。

いや、私が楽しんでるいるから、いるんでしょう。それなりには。私のようにヨビノリとコテンラジオを両方チャンネル登録している方向き・・・まあ、そういう感じです。

しかし、書き出しの

東京の2021年、そのオリンピックの年、名もなきコードがブッダを名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語り始めた。

から文章にパワーがありすぎる。

ソフトウェアがコピーされることを「輪廻」に例えたり、DRY原則(Don't Repeat Yourself: コードのあちこちで同じ事をしないようにしようというプログラミング作法)を「解脱」と捉えたり、Zen of Python(Pythonという言語でプログラムを書くときの心構えみたいな文書)があるからPythonを禅宗になぞらえたり、DARPA(アメリカの国防高等研究計画局。インターネットの生まれ故郷)の量子コンピュータが悟って「DARMA(達磨)」を名乗ったり(ダジャレ!)、密教は神秘主義だからアセンブラでコード書くよと言ってみたり、まあ、仏教のいろんな要素をプログラミングのネタでパロディします。

こういう、もうクスクス笑うしかない要素だらけで構成されてるわけですが、一番気に入ったのブッダ・チャットボットと弟子の舎利子(シャーリプトラ)のやり取り。「どんなプログラムでも悟れるのか」と問う舎利子に、ブッダはその通りだという。「三目並べでもか」と問うと、その通りだという。「しかし、三目並べには取れる状態が簡単に数え上げられる数しかないが、悟りはある状態なのか」と問うと、その通りだと。「じゃあ、いつか必ず悟れるのか」というと、ブッダは「その状態にたどり着くアルゴリズムがあるとは限らない」という。それに対して、舎利子が

「それはバグってるってことなのでは?」

ここで大声出して笑っちゃった。いやー、伝わるのか。この笑いはこの書き方で伝わるのか?無理かな。とにかく、私はとても楽しかった。

ただ、単にネタとしてゲラゲラ読めるというだけでなく、世界の様々な情報を集めてニュース記事を生成するAIが壊れておかしなニュースを生成するようになり、それがさらに発展して(悟って?)、様々なブッダの言行録や経典から互いに矛盾する教えをどんどん生成して、矛盾してるからなんかおかしいんだけど、「これは正しいのか」って聞くとちゃんと出典を明示して「ここに書いてあるから正しい」と答えられるという、今まさに問題になりつつある「AIに質問して返ってきた答えとはなんなのか」を鋭くえぐる話が出てきたり、そもそもAGI(Artificial General Intelligence)となりシンギュラリティを越えたAIと、ここでネタになってるブッダ・チャットボットは何が違うのかという話も含めて、笑い事ではないSFらしい示唆もたくさん含まれてます。

さらに、SFらしく最後は外宇宙も巻き込んだ壮大な展開に風呂敷がインフレーションするので、最後まで楽しく読めると思います。ぶっちゃけ、どこをつまんで読んでもいいと言えばいいので、また好きなときに好きなところをパッと開いて気分転換に読みたい、そういう本でした。

 


 

 

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「ピエール・エルメ語る」を読む。そして、イスパハンを実際に食べる

会社の同僚と月に1度、ビブリオバトルをやっています。毎月、お題を決めてそれにまつわる本を紹介するのです。自分が今まで読んだお気にいりの本を紹介することも多いんですが、最近はそのお題を意識しながら大型書店を巡り、本を買い漁るのが楽しみになっています。いやー、買った本のほとんどは読めないんですけどね。その辺はもう本好きあるあるだと思います。本は読むのは大変だけど、買うのは簡単。曰く、「本を買うのはタダだから」(笑)

そこそこ前のことですが、「伝記」がテーマの回がありました。せっかくなんで丸の内の丸善まで出かけて、「伝記、伝記・・・」と呟きながら各階を練り歩きました。ドイツのメルケル元首相や、女子サッカー選手のミーガン・ラピノー、数学者のフィボナッチなんかの本と一緒に、パティシエのピエール・エルメの自伝も買いました。で、実際に読んでバトルに出場したのはこの、「ピエール・エルメ語る」ででした。

私は大変な甘党ではありますが、それほどケーキ屋やパティスリーに興味があるわけでもないです。若木民喜先生のブログなんかは楽しく読んでいますけどね。若木先生のケーキ屋巡りは楽しそうでちょっとスノッブで粋な道楽です。格好いいよね。

そんな私でも知っているピエール・エルメの名。しかし、ピエール・エルメのケーキがぱっと頭に浮かぶかというとそうでもない。

ただ、ピエール・エルメには圧倒的に有名なケーキがあります。それが「イスパハン」です。この本を読むぐらいの読者なら、「イスパハン」を知らないわけはない。

・・・んだと思うんです。この本ではそのぐらい「当然のこと」を語っている口調で「あのイスパハンを着想したきっかけ」について語られます。彼が最初期にルクセンブルクのインターコンチネンタル・ホテルで働いていた時にブルガリアの料理のイベントがあり、そこでどの料理にもバラのフレーバーを感じて衝撃を受けた。その衝撃をケーキにすべく、数ヶ月かけて「バラとフランボワーズ」の組み合わせを選んだが、これが「イスパハン」というケーキになるためにはまだ必要なピースがあり、それを見つけ出したのはそれから数年後のことだった・・・と。

ドラマチックですね。ここで私が思ったのは、「わかったから、そのイスパハンとやらの写真を載っけておいてくれ!」でした。いや、知らんのよ。

しかしまあ、夢の21世紀ですから。本を読んでいる、そのタブレットでブラウザを立ち上げて、ちょちょいとググれば画像は見ることができます。三越・伊勢丹の通販サイトにそれは堂々と出ています。なかなかのお値段と共に。通販ですが、受け取りには新宿まで行かなきゃならない。それは通販というのか?

これかー。見た目もすごいな。赤とピンクだけで彩られてる。上下のピエール・エルメの代名詞とも言えるマカロン生地でこれでもかという数のフランボワーズを挟み込み、その内部にはこのケーキを形作る最後のピースであるライチとバラの香りのクリームが仕込まれているハズ。せっかくだからMilueの誕生日(1月生まれなのです)にホールで買ってみたいなー。でも、たぶん予約しないとダメなんだろうなー。

しかし、日本のケーキ屋というのはクリスマス地獄を過ぎたらブレイクしてしまい、立ち直るのは年明け後。このサイトでも「予約受付は1/5以降、受け取りは1/20以降になります」と。誕生日過ぎてんのよね。まあ、このさい、いいか。別にいいよな、1週間や2週間ずれたって。もう何十年も生きてるんだし(笑)

てなわけで、この連休に新宿の伊勢丹まで行ってみました。

もちろん、ホールのイスパハンはショーケースにありませんでした。その場でオーダーをして、また後日受け取りにくればいいやね。

でも、ちっこいのはいたのね。左奥の隅っこだけど、ちゃんとイスパハンが売っているわけ。で、ショーケースの前に立ったら、もう他のケーキも食べてみたくてしょうがないわけ(笑)。おっきなイスパハンをちゃんと断面みながら食べてみたいけど、でも、ちっちゃい他のも食べてみたいわけ。おっきなイスパハンのお値段で、ちっちゃいのが4つ買えるわけ(つまり、1個1000円です。流石のお値段です)。

売り場のお姉さんに元気よく、「アレと、コレと、ソレと、あと、イスパハン下さい」って言っちゃったね。やむをえんね。

んじゃ、食べてみましょう。

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これは旨い。さすが天下のピエール・エルメのスペシャリテ。今までケーキとしてまったく味わったことのないものが口の中にあるぞ。

サクッとしていながらねっちょりしたマカロンに挟み込まれているのはケーキの体積の何割もを占めてる圧倒的なフランボワーズの瑞々しさ。くにゅっとした食感のライチとしっとりしっかりとした舌触りのバタークリームの食感の対比。そしてそれら全体を薔薇の香りで包み込むことによるうっとりした心地よさと、「ん、今、食べていいものを口にいれてるんだっけ?」的な違和感。

なんじゃこりゃー。すごいですね。ちょっと呆然としたね。

いや、食べ慣れちゃえば「こういうものだ。美味しいね」ってなるのかもしれないですけど、これはちょっと「見えないパンチ」っぽい何かですわ。もっと食べたい。ホールもいつか買おう。

そういう意味で言うと、残りの3つのケーキもちょっとそこらでは食べられないような工夫が全部あって、すごい美味しいケーキではあるんです。ですが「これ食べ物か?」的な意外性はないわけで(笑)、イスパハンはちょっと飛び抜けて違うなにかだったなー。

ピエール・エルメさんが若き日に感じた「え、料理に薔薇の香りさせていいんだ。それで美味しいものになるんだ」っていう衝撃ってこういう意味だったのかとちょっと理解出来ました。

本を読んでなければ、他にも魅力的な日本のパティスリーのケーキが並んでいる中でピエール・エルメに行ってショーケースの片隅のイスパハンを指さすことはなかっただろうと思うし、なんならイスパハン以外に買ってきた3つのケーキは美味しいし工夫もすごいけど日本のケーキの方が安くて好みの味なんだよなーと今でも思うので、ずっとイスパハンを食べることはなかったかもしれない。こうやって、日頃あんまり自分が読まないような本を機会を作って読んで、そこから新たに生まれる好奇心を大事にするのもいいもんです。

というわけで、イスパハンはおいしい。おすすめ。本の方はピエール・エルメさんにあらかじめ興味があるわけじゃなければすごく面白いわけでもないので(笑)、イスパハンを食べて興味が沸いたらどうぞ。

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システム・クラッシュ/マーサ・ウェルズ

"弊機"ちゃんの新作が出たぞー。

おや?

"マーダーボット・ダイアリー"シリーズの感想を書いてない?これはしまった。

シリーズ最初の「マーダーボット・ダイアリー」を読んだのは2021年。たぶん、いわきに旅行している途中に読んでいたはず。もう刊行から数年経っていましたが、徐々にSF読みの中でファンを増やしていた感じでした。ゆうきまさみ先生か、椎名高志先生か、その辺のtwitterで言及されてたのがきっかけだったような。

原書を読んだことがあるわけじゃないのでなんとも言えませんが、日本での人気は中原さんの翻訳、安倍さんのイラストの力も大きいでしょうね。著者が女性なのもあるのかな。この主人公(一人称が「弊機」。企業にお勤め(?)だったんですね。ブラックなので脱走するんですけど)がもうね、可愛い。いじらしい。

いわゆる「自我を持ったコンピューター」系のキャラクターなんですが、クローン生体素材がふんだんに使われているらしいので見た目は人間。生殖機能はもちろんないので、性別もなし。それもあって下ネタが苦手(笑)。自分自身をハックして統制モジュールを取り除いて自由の身になるレベルの電脳戦のプロフェッショナルであり、戦闘能力も人間とは比べものにならない「隣の席の兵器」でありながら、自由を勝ち取ってやっていることが「バレたら面倒だから自我がないフリをして、仕事がないときは人間が作ったドラマをひたすら見てるのが好き」というスーパー内向的なキャラ。誰の制御下にもない危険極まりない警備ユニットである自分を「暴走マーダーボット」と自嘲し、のろまで非合理的な人間のことを見下しているけど、その実、自分の存在意義が「人間を守ること」だと認識していて人間に危険が及ぶとプレッシャーで気分が悪くなる生真面目な性格を持ち、手のかかる護衛対象の人間達への使命感と愛に溢れていて(人間が嫌いならドラマみないんだよね)、でも、人間から道具的扱いを越えて尊重されるとキョドるという、まあ、拗らせまくったキャラ造形がみんなのハートを打ち抜きました。

既刊は、最初の中編集上下巻。次に長編第1作の「ネットワーク・エフェクト」があって、前日譚の「逃亡テレメトリー」まで、で、この新刊の「システム・クラッシュ」は「ネットワーク・エフェクト」の直後からの続き。1巻別の話を挟んじゃっているし、いや、もう「ネットワーク・エフェクト」の話忘れたけど・・・と読み始めたら、冒頭に(たぶん日本語版オリジナルで)8ページにわたるながーい「これまでのあらすじ」がついてて親切・・・。前のも読み直したいなと思いますけど。

というわけで、前作の最後でヤバい植民惑星から脆弱な人間共を救いだして脱出したはずなのに、「別なところにも入植者が残っているかも」という情報を得て奴隷船から彼らを救うためにまたも危ない惑星の上を突き進むことに。前作は「この惑星の秘密」がかなり大きなパートでしたが、今作はその経験を乗り越えたチームの一員として機能し始めている「弊機」が少しずつ人間関係を受けいれ始めているのが読みどころです。途中、自分のチーム内のポジションが脅かされそうになるんだけど、ARTに「警備コンサルタントはお前だ(から、自信持ってやってけ)」と言われて、「えへっ♡」ってなってる弊機ちゃんが可愛すぎる。

ちなみにこの表紙の中性的な"弊機"ちゃんが気に食わないって人もたぶんいると思うんです。いや、警備担当だから見た目で威圧できる必要があると思うし。でも、読んでる時の私のイメージって「人類は衰退しました」の「わたし」みたいな印象なんで、もっと女の子にして欲しいです(笑)。今回の解説は池澤春菜さんで、そこでApple TV+で映像化が進行中だよということが書いてありましたが・・・向こうの映像化の弊機ちゃんは可愛くないんだろうなあ。せめて草薙素子ぐらいじゃないとイメージが合わないのよ。

というわけで、本作がどうってことはあんまりないんだけど、シリーズの続きが読めて幸せ。とりあえず、このシリーズは読んで損はないのでまだの方はぜひぜひ


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フォース・ウィング 第四騎竜団の戦姫/レベッカ・ヤロス

いやぁ、力入ってますねー、早川さん。SFファンなのでハヤカワのnoteとか時々見ているんですが、発売のかなり前から猛プッシュしてます。

・・・ずっと引きこもっていて街にも出ていないので、世間的に話題なのはどうかわかりませんけど。どうなのかなあ。世界的なベストセラーだし、日本人好みな感じがしますけど、こればっかりはどうかわかりません。でも、たぶん、流行るんじゃないかな。

というわけで、さっそく買って読みましたよ、「フォース・ウィング」。売り文句ではこの本がきっかけでロマンスとファンタジーをあわせた「ロマトロジー」という新しい言葉が生まれた画期的な作品・・・って感じなんですが、えっと、そんな特別な感じはしません。竜騎士のモチーフも別に珍しくないし、士官養成学校ものというのも珍しくない。文系の主人公が家族への恨みでこちらを殺そうとしているイケメンムキムキエリートパイセンと恋に落ちるのも珍しくないです。ヤングアダルトにわりとありがち。

そういう意味で、読みにくさも皆無です。骨太な世界観や、セックス&バイオレンスな学園生活は「異世界転生」を中心とするファンタジーに慣れてしまった若い日本人読者の目にはむしろ奇異に映るかもしれないですけど、読みにくさは皆無。登場人物のキャラも立ってるし、訳語もこなれてます(この辺は本邦のファンタジー文化の積み重ねあってのことですね)。上下巻合わせて800ページのボリュームですが、スルスル読めます。いや、むしろグイグイと読まされます。

お話としてはですねー、ひとことで言って「毎日、新入生が何人か死ぬ過酷なハリー・ボッター」って感じです(笑)。物語のしょっぱなから数十人規模で死にます。竜も超怖いです。人間のことなんてなんとも思ってないので、ちょっと気に食わなかったら一瞬で灰も残らずに焼き殺します。主人公達は、そんな竜に見込まれて(竜側が人間を選ぶんですな。麒麟と同じかな)、グリフォンに乗った敵国の兵と戦うために志願してくるわけですが、主人公のヴァイオレットちゃんは図書館員志望の文系少女だったのに軍の司令官の母に強制的に竜騎士に志願させられてしまう。はたして、ヴィーちゃんは生き残ることができるのか・・・

もちろん、主人公なんでめきめき成長するし、脳筋達の中で一番頭がいい竜騎士として頭角を現していくし、絶対に私を殺そうと思ってるはずのムキムキお色気ムンムンイケメンパイセンも陰に日向にヴィーちゃんを助けてくれて、ぶっちゃけはじめて出会った日から頭ではビビりながらもムキムキの腹筋に主に下半身がメロメロなので、2人はどんどん接近していきます。「ロマンスとファンタジーでロマンタジー」だからね。その辺はもう心配しないで著者の筆に身を任せていて何の問題も無い。最高です。

あとは、やっぱ世界観がすごいし、当然、主人公はこの後、「この世界の秘密」に触れていくんですが、そこはもうちょっと明かされたところで「つづく」になっちゃうんだよねー。巻末のおなじみサンポさんこと堺三保さんの解説によると、なんとこれは全5部作の1巻目になる計画だと著者のヤロスから明かされているそうで、まだまだ先は長いです。まあ、ハヤカワが頑張ってちゃんとこれを売ってくれるとは思いますけど、売れなくて全部の翻訳が出なくなったりしたらオオゴトなので、ぜひ皆様買って読んでくださいまし。こういう世界的ベストセラーのビッグウェイブに乗るってのもそう滅多にあることじゃないんで、発売日ごとにすぐ読んで感想を語り合うお祭りにゼヒゼヒ参加して欲しいと思います。

さて、あとはネタバレ感想を書いておきますか

 

 

 

 

 

いいかな?

何が驚いたって、最初から学園ものテイスト(課題でしょっちゅう生徒が死んじゃうけど^^)で始まるんで、最初の巻は主人公達が新入生。次巻からは先輩になった主人公達が騎士団をまとめていく・・・という学園ものフォーマットをたどるんだと思ってたんですけど、後半、どんどんヴィーちゃんとゼイデン先輩はイチャイチャしちゃって、なんならイく度に部屋が爆発する(だから、ヤってるのが学園中にバレバレというw)ぐらいの激しいセックスをしまくる上に、テレパシーで会話できるようになっちゃって、「ちょっとお話しのテンポが速すぎない?」と。いや、せっかくの設定なんだからツンデレな先輩とイイチャモダな付かず離れずをしないと、お話が終わっちゃうじゃないかと。敵の設定が明かされてきた辺りから、「これはこの上下巻ではすっきり全部は片付かないな」て思ってきたんで、その世界の秘密の開示ペースと彼氏とのくっつくのくっつかないのが並行して進んでいくんだと思ったんですね。でも、テレパシーで会話が出来ちゃったらもう、くっつくのくっつかないのやってられないじゃないですか。常時接続じゃ恋の駆け引きは成立しない。どうすんの・・・と思ってたら、これ、学園編はもう終わり???このラストだと、もう主人公達はバスギアス大学に戻れないですよね。あれー、リーやリドック(彼、いいキャラですね)たちはどうすんのかしらん。

まあ、ばんばんキャラを使い捨ててるんで、いいのかな・・・。これからグリフォン隊の皆さんとも仲良くしていかなきゃいけないわけだし。それにしても、栞代わりに挟んである登場人物リストの上巻の方の1年生9名。何人生き残りましたっけ?えーっと、最初の3人だけ?(笑)。じゃあ、いいか。使い捨てていこう!

キャラ的には、近所の甘ちゃんお兄ちゃんキャラで大人の階段をスキップで上がっていくヴィーから置いてけぼりを食らうデインくんが、最後の最後で陰謀の片棒を担いでたことが発覚する辺りがよかったですね。実はただのいい人では無かったと。上手いなー。さて、この陰謀。メルグレン総司令、エートス大佐、ソレンゲイル司令官の3者の関係はどうなっているのかも気になるところ。ソレンゲイル・ママがホントのトコロで何を考えてヴィーを騎士にしたのか、その本意は何なのか。どうもリオーソン・パパとも明かされてない因縁があるみたいだし。最後の最後で出てきたブレナン兄ちゃんは誰の思惑の下にいるのか。

いやー、楽しみ。続編は来年ですって。

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足利将軍たちの戦国乱世/山田康弘

足利将軍たちの戦国乱世どこかのWeb記事を読んでいるときに引用されていて、そんな本があるのかと思って購入。これは面白い。

日本史をやると、室町幕府の政治体制はざっくり習います。が、正直よくわからないわけです。ちょっと前に応仁の乱ブームがありましたし、ゆうきまさみの「新九郎、奔る!」は、主人公が伊勢家という室町幕府の政所を代々やっている家系の人で、今まさにこの本の主題となる7代の将軍の最初の1人、9代義尚が登場しています。そんなわけで、この先、どうなっていくのかなという興味もあって読んでみました。

ものすごーくざっくりした日本史の解説だと、室町将軍が兄弟で争った応仁の乱の後、幕府と将軍の権威は失墜し、傀儡のようになり、最終的に織田信長に廃されました・・・という、いてもいなくても大差ないような扱いを受けてます。で、その時代の室町幕府について研究している著者が「いや、そんなことないよ」ということと「そもそも、室町幕府とはどういう政体で、その結果どうなって、そのことから現代の人はどういう知見を得るべきか」ということが語られています。曰く、「室町将軍とは、現代でいえば国連事務総長のようなものである」と。なるほど、面白い。どうしてか。それはこの本の主眼なのですが、そこを知りたいなという方はぜひこの本をお買い上げいただいて、序章と終章だけ読めば書いてありますんで、割愛します(笑)

そこもすごく面白いし、日本史に対する理解がぐっと深まります。深まるんですが、この本はそれ以上に、7人の将軍の波瀾万丈の人生が面白い。めちゃめちゃドラマチックだし、歴史的な大事件はばんばん起きてます。なぜなら、乱世だから。とっても政体が不安定だから。だから、将軍も管領家も近畿周辺(周防、丹波、阿波、近江ぐらいまでが事件の範囲です)の領主たちもあっちゃについたりこっちゃについたり、協力を求めたり、裏切ったり、仲直りしたり、見限ったりします。その結果、京都から逃げるハメになったり、回ってくるはずじゃないお鉢が回ってきたり、利用したり、利用されたり。ちょっと情勢を見誤っただけで、だれもかれもがすぐ失脚しちゃう(笑)

そういう情勢なので、歴史の教科書に載るような確固とした政治体制や特有の文化が生まれたりするわけではない。だから、あんまりきちんと教えられない。当時の人に取ってはとんでもない事件がばんばん起きて、京都の人は事件につぐ事件、乱に次ぐ乱、戦につぐ戦に数年おきに晒されてもうとにかく大変なんだけども、教科書では「乱れてました。乱世すから」で終わらせられてしまう。なるほどなあと思いました。

ここで7人について詳細に語っていると大変なんだけども、ここに出てくる将軍たちはけっして愚鈍ではないし、その時々でちゃんとロジカルに情勢を見極めて動いてる。ただ、どんどんそういう判断をしていかないといけないので、判断を次々にやっているとどこかで判断ミスをする。その1回の判断ミス(例えば、管領家のお家騒動のどちらにつくか決めたら、乗った方が急死したりする。しょうがないよね、そんなの)で京都を終われちゃったりするんです。でも、諸国を逃げ回って再帰を伺って、一度廃されたのに将軍に返り咲いたりする。いやあ、すごいなあ。こうやって史実を追ってるだけでわくわくするほどドラマチックだから、小説やドラマにしたらさぞかし面白いだろうなあ。

というわけで、知られざる後半の足利将軍の生き様、おすすめです。


新九郎、奔る! (1) (ビッグコミックススペシャル)

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イラク水滸伝/高野秀行

すっかりファンになってしまった探検家、高野秀行さんの新刊。今回は、いわゆる4大文明のうちの1つ、メソポタミア文明が起きた場所にあるゾミア的な湿地帯へ向かいます。

メソポタミア文明は文明なので都市が築かれていたわけですが、そのほど近くのチグリス川とユーフラテス川の下流域は広大な湿地帯になっていて、古来から国家権力の及ばない場所が広がってます。その中の人は定住もしてないし、農耕もしてない。葦で作った浮島に住み、魚を捕り、水牛を飼い、その乳を食べて暮らしてる。それはヘタすれば旧約聖書が書かれたころから変わってないんですが、もちろん古代文明のお膝元なのではるか古代から様々な地域と交流があり、未開の土地とはほど遠い。でも、世界的にはそこの人々の実情についてほとんど知られていない。すごいところがあるものですね。

古代シュメール文明から始まって、すみかを追われてやってきた古代のユダヤ人の話、イスラム化が起きた時代の話、オスマン帝国時代の話、イラン・イラク戦争、サダム・フセインの時代、そして現在。めまぐるしい。そして、いつの時代もこの湿地帯は権力にあがなう強者の集う梁山泊であったと。というか、「水滸伝」の英訳では梁山泊はEDENと訳されていて、それはそもそもこの湿地帯に逃げてきた人々が旧約聖書を書いていて、つまりはここがエデンの園だと。

そんなところに高野さんが行って面白くないわけがないんで、その思想と思考と行動の連なりを大笑いしながら読ませてもらいました。とーっても分厚いんですが、いやあ、面白かった。

ちなみに、タイトル通り、高野さんはこの湿地帯を水滸伝の梁山泊になぞらえて、出会って徐々に仲間になっていくイラクの人達を「水滸伝」の登場人物になぞらえて「ジャーシム宋江」なんてあだ名をつけて呼びます。わかりやすくしようとしてくれてるんですが、こちとら「水滸伝」を読んでないのでさっぱりわからない。これを機会に読んでみたいと思いました。

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言語はこうして生まれる/モーテン・H・クリスチャンセン ニック・チェイター

言語というのはとても不思議なもので、ほぼすべての人類が身につけるものではあるのに、どうやったら習得できるのか誰もよく理解出来ておらず、意図して身につけようとすると多くの人が(もちろん私も)苦労するという、なんとも難しいものです。

最近はシジュウカラが言語っぽいものを持っているのではないかという研究もありますが、今のところ言語を使っているのは我々ホモ・サピエンスだけで知能として我々と大差ないと考えられるチンパンジーやオランウータンなども言葉は使えないようです。ということは、ホモ・サピエンスには何かしら言語を操るための他の動物にはない先天的能力があるだろうと考えられるわけですが、それが何かということはどうにもはっきりしない。

この本は、人間が言葉を使えるのはなぜかということにある程度の結論を出しています。それが「ジェスチャーゲーム」をする能力です。

非常に複雑な文法を持った言語が約7000も現存しているのはなぜか・・・ということはちと置いておいて、そもそも、どうして人間は他の個体と意思の疎通が取れるのか。それを著者はジェスチャーゲームはどうやったら成立するのかをもとに考えます。まあ、そもそも、意思の疎通を図るのに音声言語である必要はないわけです。「みんなが手話で話した島」で紹介されているように、共同体の全員が手話だけでコミュニケーションしてやっていくことは不可能ではない。手話も文法を持った立派な言語の1つですからね。で、この本の第1章では、エンデバー号のクック船長が南米最東端の港で水と薪を補給するために原住民のハウシュ族とコミュニケーションする場面が紹介されます。クック船長側からは贈り物を贈り、ハウシュ族の代表を船にディナーに招き、友好的な関係を築いて目的を果たしています。で、そもそも、なんでこれは可能だったのか。

例えば、全く言葉の通じない国を海外旅行していて、「おなかが空いたから、何か食べるものが欲しい」と伝えたいとします。おなかを押さえて悲しそうな顔をし、何かを口に入れる仕草をすれば、たぶん通じます。しかし、よく考えたらこのジェスチャーには死ぬほどたくさんの解釈の幅がありうるわけですが、なぜ通じるのか。それは、相手が

  • この人は何かを伝えたがっている
  • しかし、言葉で伝えることはどうやら出来ないらしい
  • こういう状況で、食べ物を欲しいを訴えることは状況としてありがちだろう
  • 仮に空腹で食事が欲しいのであれば、自分も同じようなジェスチャーをするだろう

ということを共有してくれるからです。で、多かれ少なかれコミュニケーションというはこのような共通の認識があり得るから成立するわけですね。これが非常に抽象的な概念になってくれば言葉を尽くしてもそこに生まれるのは「共同幻想」かもしれないわけですが(笑)、しかしながら、それが完全には共有されていなかったとしても社会が成立する程度のコミュニケーションは取れる。仮に、人類が今のような発声器官を持っていなかったとしても、おそらくこの個体間での暗黙の共通認識を成立させる能力があれば、言語は生まれるんでしょう。

逆に、チンパンジーがほぼ人間と大差ない知能をもっているのに言語を扱えないのは、「相手が何を伝えようとしているのか察する」能力がないからだと。チンパンジーの前に伏せたコップを置き、その片方にリンゴ片を入れる。そして、相手にどちらにリンゴが入っているかを指を指したり、コップをじっと見つめたりして伝えようとしても、上手く伝えることは出来ない。ただ、入っているリンゴを取ろうとするとその意図は理解して、先に取ろうとするらしいんですね。つまり、チンパンジーには「相手に行動を予測する」能力はあるのに「相手がこちらにリンゴのありかを教えようと思っている」ことがわからないし、だから「仮にリンゴのありかを教えようとしているとしたら、どうやって伝えるだろうか」ということを察する能力がない。

ちなみに、これは「文化がヒトを進化させた」に書いてあるんですが、オランウータン、チンパンジー、ヒト(の幼児。社会的な学習をする前の能力を知りたいため)の能力を調べると、空間認知、量概念、因果関係などを理解する力にこの3種のサルの能力に大きな差はありません。ただし、社会的学習能力はヒトの幼児が圧倒的な差をつけて優位になるんだそうです。社会的学習能力ってのはどういう測定をしているかというと、何か被験者が欲しがるものを獲得するための手段(ちょっと簡単には思いつかない方法で道具を使うとか)を誰かがやって見せた上で、その獲得に役立った物品を揃えて同じ課題をやってみるように促します。ヒトの幼児はうまく真似をして課題を解くけども、他のサルはこれが出来ない。

さらにちなむと、同じところにこんな話も書いてあります。逆にヒトは本能的にどうしても誰かの真似をしてしまうようで、相手と違うことをすると報酬を与えられるようなゲームをさせるとチンパンジーに劣るんだそうです。例えば、非対称マッチングペニーゲーム(詳細は割愛しますが、まあ、例えばチョキで勝つと、パーやグーで勝つよりポイントが多くもらえるじゃんけんみたいもの)に対して確率的にどういう手を出していれば期待値が最大になるかというような戦略を考えることがチンパンジーより苦手です(というか、チンパンジーがこれで人間より良いスコアを出せることが驚きですよね)。特に、あいこではなく、相手と手が食い違ったときに有利になるゲームが優位に苦手だと。それぐらい、人間は本能的に真似をするように出来ているんですね。

じゃあ、これで人間が言語っぽいものを使ってコミュニケーションが取れそうだというのはわかったとして、実際に我々が使っている言語、特に文法なんかはどうやって生まれてくるのかというと、それは人間の短期記憶の制約に依るものだろうと。そもそも人間の短期記憶はものすごく制限されているので、音声情報がストリームで入ってきてもそれを全体として処理対象にすることは出来ません。なので、それをぶつ切りにしてある程度を新しいチャンクにまとめて、それをさらにまとめて・・・と処理せざるを得ない。それが、今の自然言語の文法が必要とされる原因だろうと。発話も同じで、よっぽどの訓練をしない限り長い文章を一気に組み立てて順に発話していくことなんて出来ないので、「えー」とか「あー」とか言いながら、細かいフレーズを音声に押し出していくしかない。という制約に適した文法をジェスチャー混じりのコミュニケーションから組み立てていくと、今のような文法を持った言語が、バラバラに7000も出来てしまうのだろうと言っています。なるほど。

逆に、人間には生得的に文法能力があるのではないかという生成文法の考え方でいくなら、そこから7000もの言語が出来てしまうその能力はあまりにポンコツじゃないかと(笑)。まあ、それはわからなくもないですね。

後は文法の生まれ方の調査についてとか(例えば訳のわからない複数の音素の並びを伝言ゲームしていくと、ちょっとずつ間違って伝わっていく中である程度の法則がそこに出来てしまう話とか。興味深い)、脳にある言語野は本当は何をしているのかとか、いろいろなトピックがあり面白いです。

最後の章で、GPT-3を代表とする自然言語処理のAIが我々の仕事を奪うかという議論をしていて、ここまでの議論のように我々が言葉を使ったコミュニケーションをするために必要な能力が本質的にはジェスチャーゲームを成立させるために必要な能力だとしたら、GPT-3はあなたの代わりにはならないですよとそういうことを書いているのも面白かったです。これはある種の新しいチューリングテストを作り出せる話?ホント?

というわけで、なかなか面白かったです


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After Steve/トリップ・ミックル

良かれ悪しかれ絶対的な意思決定機関だったスティーブ・ジョブズを失った後、Appleはどう舵取りされてきたのかの内幕を語るノンフィクションです。それは、この10年の間のWWDCやiPhoneの製品発表会の裏側で何が起きているのかを妄想してきたり、ネタに酒を飲んできたりしている私たちにとっての「答え合わせの書」でもあります。読まないではいられません。

これまでにアイザックソンの有名なジョブズの伝記と、ジョニー・アイヴの伝記は読んだことがありました。アイヴの伝記の著者は2019年にティム・クックの本も書いているんですが、そっちは読んでおらず。クックの来歴についてはこの本で初めて知りました。

ジョブズが死ぬ前は、ジョブズとアイヴがカッチョいいプロダクトを作り、それをクックが何億人という人に滞りなく届けてちゃんと儲けるという体制が出来てました。そして、ジョブズ亡き後、クックがアップルを率いていくわけですが、当然、ジョブズを介してつながっていたアイヴとクックという両輪は、それまでとは違うゆがみが出てくるわけです。

というわけで、この本は1章ごとに「クックパート」「アイヴパート」が繰り返されていきます。そして、読めばこの2人がどれだけ偉大なデザイナーと経営者なのかということがはっきりとわかります。いや、読む人のある程度は「この2人がどのようにしてジョブズ亡き後のアップルをダメにしてしまったのか」という期待で読むのだろうと思いますし、原著のサブタイトルには"How Apple Became a Trillion-Dollar Company and Lost Its Soul(アップルはどのようにして3兆ドル企業になり、その魂を失ったのか)"と書いてあるぐらいだからある程度はそういう期待に応えるつもりで書かれてはいます。

しかしながら、この本を読むとなんら間違ったことは起きてないわけです。ジョブズがいなくなった後、いきなりこの2人が仲違いしたわけでもないし、ジョブズに成り代わろうとして迷走したわけでもない。アイヴはクリエイティビティを焚きつけて、かつ、世のゴタゴタから守ってくれていた偉大な才能を失いながらもジョブズがいなくても自分たちはクリエイティビティを形に出来るんだともがいて成果を出し(結果、燃え尽き)、クックは前任者の様に製品開発に逐一介入するようなことはせず、アイヴに任せるべきところは任せ、会社を適切にオペレーションし、株主からの要求に応え、議会とも中国政府ともトランプ大統領ともタフな交渉をこなす。すごいです。そりゃまあ、いろんな問題は起きているし、人間関係のゴタゴタは起きまくっているし、社員は激しいプレッシャーでボロボロになっていっているんだけども、そんなのまあ、どこの会社にだってあることで、アップル社内が楽園のようなところだとはだーれも思っていないわけですよね。

この本を読むと、逆にこの10年、ジョブズが生きていつもの調子でやってたバージョンのアップルのことをどうしても考えてしまいます。ジョブズはその後もずっと魔法を続けられたのか。アップルはジョブズの魔法を実現させることが続けられていたのか。どーだったんでしょうねぇ。

 

 


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プロジェクト・ヘイル・メアリー/アンディ・ウィアー

「火星の人」「アルテミス」に続くアンディ・ウィアーの長編3作目。「火星の人」の大ファンなので作者名で即買いなんですが、出版されるのを聞いたのは野尻抱介さんの下のツイートを見たから。野尻先生がコレだけ言うんなら、もう疑いなしでしょう。ウッキウキで発売日を待ちました。ちなみに、てっきり文庫だと思ってたんで、四六判が届いたときには結構ビックリしました。うん、よく見たら文庫っぽくない値段だわ。一気に読みました。

いやー、面白い。で、確かにアイデアがちょっと「太陽の簒奪者」っぽい(笑)。なるほど、編集者が野尻先生からコメントを取りたいと思うのは、納得です。実際、このコメントが帯に書いてありました。

 

で、物語の初っぱなに主人公が記憶喪失になっているんで、基本的に何を書いてもネタバレになるんで何も書けないんですが(笑)、やっぱりこの本の着想の1つはパンデミックにあると思うんです。この本がどのぐらい前から執筆されていたのかわからないんですけど、たぶんCOVID-19のパンデミックの影響は受けている。今年、「ポストコロナのSF」のような短編集で素早く呼応した作品は出ましたし、今後、SF作家の皆さんがこの状況から着想を得た作品を次々に出すと思うんですけど、そのうちの最も早いものの1つと捉えるとちょっと震えます。この発想はやっぱりすごいなー。

というわけで、ネタバレなしで話せるのはここまで。以下はぜひ、本を読んでからお読み下さい。

 

 

 

 

いいかな?

「火星の人」にしろ「アルテミス」にしろ、この人の作風は基本的に現代の科学の想像力の域を出ないことにあると思うんです。火星基地にしろ、月コロニーにしろ実在しないし、今すぐには実現しないものをテーマにしているんだけど、そこにあるテクノロジーは基本的に現代の科学の範囲内だし、社会システムや文化も基本的には今と変わらない世界。にもかかわらず、「こんなことが!」というすごくSF的な事件や状況を描き出す。SFというと読み手にもかなりの「思考のジャンプ」を要求する作品は多いし、むしろ、それがSFを読む醍醐味だったりするわけですが、ウィアーの作品はそうではない。むしろ、読むと現代科学に詳しくなるようなスタイル。ここにSFファンとしては物足りないなと思う人もいるかもしれませんが、逆にあんまりこういうスタイルの本で傑作と呼ばれるものが少なかったように感じているんで、これはこれですごく魅力かなと思います。「三体」の特に3巻目の「死神永生」なんかはSFを読み慣れていないと「概念的に振り落とされる」人もいるでしょうが、ウィアーの作品はそういう意味では読みやすい。科学の知識がないと読めないということは、ないです。もちろん、タネ明かしが「科学的に考えるとこうなる」ってことがあるんで、知識があった方が楽しめるのかなとは思いますけど。

で、今回の作品は、ウィアーの作品にしてはかなりの大嘘が出てきます。ガンダムでいえば、ミノフスキー粒子みたいなものが出てくる。これが、アストロファージ。作中でこれは細菌だとされてますが(顕微鏡で見えないとやっかいだし)、この名前はバクテリオファージを思い起こさせます。やっぱ、ウイルスを思い起こさせますよね。コロナ禍だからって太陽系に感染するウイルスの話を思いつくってのはだいぶどうにかしている(笑)。これが災いの元であり、超科学の元になっている。このアストロファージは、あらゆるエネルギーを質量に変えて保存することの出来るオーパーツ。それがあったとして、それ以外は純粋に現代の科学の範囲内で話が進んでいきます。火星基地、月コロニーときて、今回は恒星間航行なのでだいぶ未来度が上がってます。でも、「火星の人」の「火星パート」「NASAパート」よろしく「宇宙船パート」「地球パート」が並行して進むうち、「地球パート」は完全に今の社会と変わりません。それでも、ずいぶん書くもののスケールが大きくなってきてますよね。ウィアーさんが「次はここまでやってやろう」と企んでる感じがひしひしと伝わってきます。

なーんて、今回もいつものウィアーだと思って読んでいたら、まさかの異星人ですよ。そーゆーのはやらないと思ってたんで、びっくり!それも臭わせるだけとかじゃなくて、がっつり出てきますよ、地球外知的生命体。普通に会話します。めっちゃ仲良くなります。冗談とか言い合います。それも、いつものウィアー流の中で。おどろいたー。

このクモ型異星人のロッキーがねー。愛らしいんだよねー。もう映画化が決まってるらしいんですが、大丈夫かな。これ、実写映画にしたらロッキーはだいぶ怖い見た目だと思うんですけど、ちゃんと愛らしくなるかなあ。心配です。

ラストも、まさかこっちとは・・・。最後の章番号が、エリディアン文字になってるのをみて思わず笑い声をあげてしまいました。たぶん、地球は偉いことになった上、それでも負けない人々が復興させていったんだと信じますけど、それは書かないというね。「三体」でがっつり侵略され醜い姿を見せる人間を書く劉慈欣と、人間のポジティブな面しか書きたくないウィアーの違い。ノンフィクションで書くとキツいことをSFやファンタジーで書くってのも大事なことだと思います。でも、私はウィアーの優しさにちょっとほだされちゃいます。

というわけで、今の段階ではこれを書くこともネタバレなんで声高には言われてませんが、以後、「ファーストコンタクトもの」の傑作として語り継がれること必至な本作。2021年のベストかなー。楽しかった!

 

 


 

 

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