三体III 死神永生/劉 慈欣

ついに完結編。出ました。

いやー、面白かったー。なんか、ホントにてんこ盛りというか、ごった煮というか、ある意味で「ハイペリオン」みたい。ただ、今回は程心ちゃんが一貫して主人公なので、その分の読みやすさはあります。ありますけど、今度は時間の方がびゅんびゅんとカッ飛んで進んでいくんで、そっちが大変。

でも、ここに惜しみなく投入されているSF的アイデアの数々には、本当に恐れ入ります。後書きによると、この「死神永生」では前2作ではある程度セーブしていた「ハードSFテイスト」をフルブーストにしているらしいです。物理学科卒の私は面白がってますけど、普通の人はどうなの?ひも理論が10次元を必要としているけど、我々の4次元以外の6次元はどうなったって話がありますが、まさか〇〇がどんどん〇〇してしまったので残り少なくなっているとか、面白いの、この話?(笑)

というわけで、もう面白さは保証されてるんで読むしかないです。今から思うと、「三体 I」はゆったり進んでたなあ・・・。

というわけで、以下、ネタバレです。本を読んだ方だけ、どうぞ。

 

 

 

こんなものでいいかな?

さて、最後まで読んだ方は全員思ったことがありますよね?それを書いておきましょう。

「最後、2人を会わせないとか、作者は鬼か!」

なんだろう。これも一種のロマンチックなの?これだけ引っ張っておいて、地球人類最後の2人を程心と雲天明にしないんだから、ビックリですよ。

なんていうかね、この雲天明が陰キャな理系男のシンパシーをくすぐるんですよね。こんな自分にも声をかけてくれる優しい同級生に恋をして、恋をした記憶だけ大事に生きてるという男。そして最後には彼女の心を手に入れるのに、その瞬間、自分は(それも彼女のせいで)お味噌だけになっているという・・・こんな話書くなよと(笑)。どんな絶望的なラブストーリーだよ。で、そこから800ページ引きずって、会わないという。酷い。こういう酷いのを書いてみたい気持ちはすごくよくわかる(笑)。

宇宙ヨットを連続核パルスで吹っ飛ばす話。異星人の超技術宇宙船を4次元空間からぶっ壊す話。光速を遅くすることにより星系をまるごと事象の地平線の中へ閉じ込める話。地球人類を木星の影に作ったスペースコロニーに移住させる話。太陽系をペラペラにすることにより破壊する話。いろとりどり、何でもあり。そして、最後はとっくに地球文明が滅び去った後、次の宇宙に行く話ですよ。すごいね。

で、今、感想を書こうかなと思って上巻の頭を見返して、コンスタンティノープルの話を読んであったあったと。これも、もう一度読むと4次元の欠片の話ってわかる。うあー、もう一回読まないとだめかー。「時の外の過去」パートもあるしなー。

いや、感想まとまらないな。まあいいや。こんな面白い小説だから、また読み返すこともあるだろう。とりあえず、今は満足!


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遊牧民から見た世界史/杉山 正明

 

スゴ本ブログで取り上げられているのをみて、なんとなく購入。

もの凄く面白かったんですけど、とにかく私がこの本に書かれていること、およびその前提となる知識がまったくないということがそれ以上に衝撃でした。

ウチの高校は文理に分かれるのが3年になってからで、1年では地理、2年では世界史と日本史を全員が勉強します。もちろん、どれも1年では履修範囲は終わらないので、3年になって受験に必要なものを選択して残りを勉強すると。そういう仕組みになっているために、歴史は1年しかやらない生徒が古代から中世やって終わってしまうのもどうなんだということで、日本史は幕末から、世界史は大航海時代から始まります。世界史のノートの1ページ目にトルデシリャス条約が出てくるんだな。いや、私も良く覚えてるよね、そんなこと。

大航海時代以降、各地域の歴史ではなく「世界史」という面で捉えると、中心はオランダ、スペイン、ポルトガル、イギリス、アメリカ・・・と移ろって現代へ続いていきます。「実社会で役に立つ」という意味では、この方針は役に立っていると思っていて、ウチの学校はエラいなと。

それはともかくとして、そういうわけなんで私の歴史の知識というのは、ルネサンス以降のヨーロッパに偏っていて、古代ローマとか、中国とかよく知りません。で、それ以上に、中央アジアとか西アジアとかモンゴル帝国に関する知識がこれっぽっちもないし、もっと言えば、地理的な感覚もまったくありません。黒海と中国の間がどうなってるのか、まったくイメージ出来てません。

この本の最初は、舞台となる地域の概略から入ります。テンシャン、パミール、アム川とシル川・・・どこ?全然位置関係が把握できない・・・。

仕方ないから、地図帳を買いました。懐かしい・・・。

これを参照しながら、本を読み進めていったんですが、わかったことはとにかくヨーロッパも中国もまったく騎馬遊牧民に太刀打ち出来なかったということです。基本的に、されるがままです。それぐらい、騎兵というものが圧倒的な武力だったってことなんですね。

中国もモンゴル以前に漢の時代から負けっぱなしで、内実はどんどんと取り込まれちゃってるし、ヨーロッパもスキタイから始まって、ペルシャ、トルコ、イスラム、モンゴルとやられっぱなしです。で、大航海時代より前で言えば、各地域の歴史ではなく「世界史」という観点で捉えれば、どう考えても主役は中央アジアなんですな。そこで起きた文明が世界を何度となく統一しかけているわけで、その力の源は物流と経済と軍事で、それらは全部中央アジアで行われていたのだから。ヨーロッパはほとんどの時期、田舎に過ぎなかったと(笑)。でも、そこで起きたこと全然知らない。まあ、単に私が果てしなく無知なんだけども、それはそれとして、あんまり文献が揃ってないというのもあると。さらに、中国語とモンゴル語とペルシャ語と、その他の文献を総合して研究していくことが難しいし、はかどってないってのはあるんだそうです。

はー、ほー、と無知にもまったく知らなかった歴史の流れを本から受け取っていると、ちょうど、NHK BSで我々が小学生の自分に大ブームになった「シルクロード」の再放送が始まりまして、まあ、これが面白い。1983年頃の取材なので、いまから40年近く前、天安門事件も起きる前の中国、ソ連。イラクとイランは戦争中。もちろん、日本だって昭和58年と令和3年では大きく変わってはいますが、日本はあるし、自民党もまだあるし、同じ通貨を使ってもいます。しかし、映し出されている圧倒的な映像(もちろん4:3)のウイグルや旧ソ連の中央アジア諸国、中東諸国の変化はおそらく日本の比ではないと思いますから、もう、凄まじく貴重な映像で、ため息が出ました。毎回、地図帳とにらめっこしながら(とはいえ、中央アジアはそれほどページも割かれていないんですが・・・もっと詳しい地図が欲しい)、はーとかほーとかいいながら観ました。観ながら、ホントに中央アジアについてはなーんにも知らないなあと。そして、日本に邪馬台国があったのなかったのというころから、世界史はもうこんなに激動していたんだということに圧倒されました。

いやー、小学生の時も親はこれを観ていて、横で「くそつまんねー」と思っていた記憶があるんですが、こういうものを面白がるためには大人になる必要があるんですなあ・・・。

というわけで、しばらくシルクロードがマイブームです。続けて、他の本も読んでみたいんですけど、何がいいのかなあ。

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「第二の不可能」を追え! ――理論物理学者、ありえない物質を求めてカムチャツカへ/ポール・J・スタインハート

2020年のノーベル物理学賞が、あのロジャー・ペンローズに与えられました。といっても「あの」と言われても全然ピンとこないよという人も多いとは思います。ペンローズはもちろん今回の受賞理由であるブラックホール理論でも有名ですが、宇宙論や脳科学の分野に量子論と数学で挑み、私のような理系のくせに数学が苦手な凡俗に取っては物理なんだか数学なんだか哲学なんだかオカルトなんだかよくわからない境地に行ってしまっている、知の大巨人みたいな人です。結果、そもそもどこを取り上げて評価して良いんだかなんともよくわからない人で、今回の受賞を聞いても「うーん、ペンローズにノーベル賞が授与されるのは当然の様な気がするが、ブラックホールであげて良いのかどうかはわからないなあ・・・でもそろそろ死んじゃいそうだし、あげとかないとなあ」みたいな気持ちになるのでした。

そんな偉大なペンローズ先生の業績のうち、わかりやすいものの1つがペンローズ・タイルです。これはこれで、別のノーベル賞が与えられた研究である「準結晶」というものの発見のきっかけになっている歴史的に重要なものなんですが、ペンローズ先生にとっては遊びです。数学のパズルの1つで「非周期的にしか隙間なくぴったり敷き詰められるタイルの形はあるか」という問題。この問題の答えは「ある」だということがわかっていたんですが、非常に多くの枚数のタイルが必要だと考えられてました。それに対して、ペンローズ先生はたった2種類の四角形のタイルでそれができることを発見したんですね。ただし、このタイルの並べ方にあるルールを適用することが必要だと。タイルのこの辺とこの辺しかくっつかないよというような。それはルール違反じゃないの?と思うかも知れませんが、その辺の部分にジグソーパズルのかみ合わせのような突起を付ければ実現できちゃうんで、ルール違反じゃないんですねー。まあ、「ペンローズタイル」でググってみて下さい。一見、ずらしたらぴったり重なる重ね方がありそうで、実は出来ないという、なかなか面白いパターンで、見飽きません。このペンローズタイルは人間が考え出したパターンなわけですが、では、実際にこのペンローズタイルのように結晶格子が非周期的にしか並んでいない、結晶のようで結晶ではない物質は存在しうるんでしょうか。します。それが、準結晶です。

で、この本は準結晶に深く挑んだ理論物理学者(といっても、結晶学の専門家ではなく、宇宙論もバリバリやってるんですが)が、その研究と発見の経緯を綴ったものです。うん、今回も前置きが超長い。

私が大学に入ったのは1994年。研究室に配属になって固体物理学の基礎を勉強していたのは97年頃。その頃には既に準結晶というものが存在すると言うことは、教科書に載っていました。ただ、そういうのもあるよ、ぐらいの感じだった気がします。10年ぐらい前の発見だったんですねぇ。この本のストーリーは80年代の半ばから2012年頃までなので、私が大学院生だったのはまさにど真ん中の時期。こんな面白い発見が隣接してる分野で起きていたなんて知らなかったです。私は透過型電子顕微鏡法(TEM)の研究室の出身なんで、ここで出てくる研究手法に毎日接していたわけなんで、この話題には非常になじみ深いんですけど。

この本の著者のスタインハート先生は、結晶化の過程の計算機シミュレーションをしていて、結晶として決して許されない対称性である5回対称性(72°(=360÷5)回転させると元の図形とぴったり一致する回転対称性のこと)を持つ正二十面体が安定となり得る可能性があることを発見します。もちろん、正二十面体のサイコロ(いにしえのD&Dプレイヤーにはおなじみですね)を隙間無く箱に詰めることはできないわけですから、これが結晶を構成することはできません。そこにペンローズ・タイルのことを聞きつけます。ペンローズ・タイルは見ての通り、5回対称性っぽい形です。もし、3次元版のペンローズ・タイルともいうべき結晶格子が存在して、それで立体をみっちり敷き詰めることができたなら、結晶学で否定された5回対称性を持つ結晶のようなものが存在しうるのでは・・・?

スタインハート先生は必死こいて考えます。まあ、2次元のペンローズ・タイルでも頭こんがらがりそうなのに、その3次元版ですから、私の頭ではどうにもなりません。世の中には賢い人がいっぱいいるもので、どうも理論的には存在出来そうだということがわかると。

そうなると、今度はそれが数学の世界だけでなく実際の物質として存在しうるかが問題になります。結晶でも非晶質(アモルファル)でもない、第三の物質。従来の常識では「不可能」と考えられていたものは、現実に存在しうるのか。難しい疑問ですが、もちろん我々は答えを知っています。存在します。最初に合金の中から発見した人はノーベル賞を取りました。さらに言えば、かなり綺麗なものが作れます。私的には、日本の東北大学がその分野で有名なことも知ってました。

というわけで、準結晶の合金は作れるようになり、現在では焦げ付かないフライパンみたいな実用化もされています。ここまで、20世紀の話。私が大学院生だったのはここまでなので、その後、準結晶はどうなったのか。

当然の疑問として、天然の鉱物に準結晶は存在するのかという疑問が沸いてきます。人工的に準結晶を作る場合にはかなり厳密な条件を作って成長させてやる必要があります。なかなか勝手になるというのは考えにくい。考えにくいのですが、もちろん、ないとは限らない。ここから、スタインハート先生の長い戦いが始まります。というか、ですね。天然鉱物に存在するかどうかの問題は、すでに理論物理学者の守備範囲ではなくなってます(笑)。でも、スタインハート先生、どうしても知りたい。

ここから、話は紙とペンの世界から離れ、大冒険の様相となります。もちろん、すべては天然の準結晶が存在することを科学的に証明するために必要なことなのです。

登場人物も多彩!

盟友となるイタリアの博物館の鉱物学者。電子顕微鏡のプロ。フィールドワークでならした地質学の権威。スミソニアンの隕石学者。イスラエルに移住したソ連のプラチナ研究所の元所長。オランダの怪しげな鉱物商。etc・・・。

そして、世界にたった2つしか存在しない鍵を握るサンプルを数十年前にカムチャッカで採取した当時の学生(今は60代のロシア人地質学者)に導かれ、一同はツンドラを越えて巨大熊に怯えつつカムチャッカの地図に載らないような小さな川の畔へ・・・。いや、凄いな、これは。最後は冒険小説みたいになっていきます。うん、熊怖い。

いやー、面白かった。夢中で読みました。サンプル中の一部に電子ビームを絞って回折パターンを取って結晶構造を特定するのは電子顕微鏡の得意技で、学生の時にはTEMの勉強をそこそこしましたから、久しぶりにブラッグスポットやら菊池パターンやら懐かしい言葉に触れたのも個人的な喜びでした。でも、別にそんなこと知らなくてもこの知的大冒険には興奮出来ると思います。表紙の点々が何を意味するかなんてわからなくても(この点々の並びは、当時の結晶学の専門家が即座に「あり得ない!」と叫ぶようなものなんですが)、この本は間違いなくオススメです。

 

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幻のアフリカ納豆を追え! : そして現れた<サピエンス納豆>/高野秀行

各所で話題のこの本、読んでみました。

この本は、「謎のアジア納豆」の続編です。が、いきなりこの本を読んでも全然大丈夫です。

物語は、「謎のアジア納豆」を読んだ高野さんの幼なじみの健ちゃんが

「ダワダワの製造農家取材、9月の下旬に行ってきま~す。西アフリカ共通のうま味調味料ということがわかって、前から行こうと思ってたので。確かボコ・ハラムとかの活動エリアに近づくので、3人のAK47を持ったセキュリティーと行きます。場所はKANOというところ。一緒にどう?笑」 

というかるーい感じでナイジェリア取材に誘ってくるところからはじまります。

うん。最初からおかしい(笑)。普通はそんな幼なじみはいない。

というわけで、イスラム過激派が跋扈してあっちこっちが危ない西アフリカはナイジェリアへ納豆探しの旅にでます。味の素の現地法人の偉い人と一緒に。この幼なじみの人は味の素の社員で、現地の旨み調味料の調査がお仕事なんですね。世の中にはいろんな人がいる・・・。

というわけで、アフリカで納豆(=納豆菌で豆を発酵させた食品)探し。アフリカには様々な納豆があるようです。面白いのは、納豆を愛する人達がみんな(アジアのいろいろな納豆を作っている人もそうらしいです)納豆は自分のところにしかない変わった食べ物だと思い込んでるところ。「日本にもダワダワ(ナイジェリアの納豆)はありますよ」というと、「えっ?ナイジェリアから輸入しているんですか?」という返事が来るらしい(笑)。あー、でもこれ、日本人もそう言いそう。

そんなこんなで、ナイジェリア、セネガル、さらにはブルキナファソという聞いたことのない(少なくとも私はこの本を読むまで聞いたことありませんでした)アフリカの国と、そして韓国へ高野さんは出かけていきます。韓国にもあるらしいよ、納豆。でも、なんでほとんどの日本人は隣の国にも納豆があることを知らないんだろう・・・という謎を解くために高野さんはゆく。

いやー、面白い。1日で一気に読んじゃいました。単にルポタージュ・・・というか珍道中が面白いというのと同時に、「人類にとって納豆とは何なのか」「どんな人達が納豆を必要としたのか」という問いが各地の取材をするウチに立ち上がってくるのが見事。後は「主にネバネバ状態をご飯の上に載せて食べる」という日本人の納豆の利用方法がけっこう特殊で、海外の納豆を参考にすればまだまだいろんな納豆の食べ方があるというのが新鮮。勉強になるなあ。

ちなみに、最初にでてくる幼なじみの人、「健ちゃん」は同じ調査について別の視点でnoteに書いてて、この本を読んでからそっちを読むとまたなかなか面白い。なんてったって、この取材を通じて調査したダワダワを元に味の素は現地で「ダワダワ版ほんだし」を開発して売っているんだそうです。すごい!

幻のアフリカ納豆を追え!アナザーストーリー

ナイジェリアのうま味の秘密は「豆」にあり!味の素グループの「うま味ハンター」が生み出したものは・・・


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More Effective Agile/Steve McConnell

あの「Code Complete」のマコネルさんの、アジャイル指南・・・というよりも2010年代を通過してソフトウェア開発の手法はどのように進化してきていて、マコネルさんのコンサル会社がどのようなケースを見聞きして、その結果として彼が考える「現代のソフトウェア開発のベストプラクティス」とは何かということを語った本です。

2000年代には、それまで軽量プロセスとかイテレーショナル開発とかいろいろな呼ばれ方をしていた知見を「アジャイル」という言葉の元に束ねて、アジャイルとはいかなるものかの試行錯誤が行われました。その頃には、従来の手法とは別にアジャイルという新しい手法が生まれた様に見えていましたし、案件の性質によって使い分けようというような動きもありました。しかし、2010年代には従来のソフトウェア開発の手法の問題を克服するために生まれた次の手法がアジャイルだということがはっきり示され、それ以外の手法で使うための新たなメソッドやツールを生み出す動きが潰えました。つまり、「ソフトウェア開発のベストプラクティス」とは、イコールとしてアジャイル開発のことであり、結果としてこの本はアジャイルの本といって過言ではないです。タイトルに偽りなし。

ただし、この本が「アジャイルという新しい考え方を説明し、普及する」という視点ではなく、あくまで2010年を通過して今あるソフトウェア開発の手法のベストについて語るという本であることは重要で、つまりはアジャイルが正道となった世界で、我々はどうしていくのかという本です。

もちろん、私たちみんながアジャイル開発をやっているわけじゃないし、「正しい」アジャイル開発を出来ているわけでもありません。それは20世紀に誰しもが「正しい」ウォーターフォール開発を出来ていなかったのと同じです。どちらにしろ、開発手法を理解し、そこで起きうる問題を把握し、対処し、その手法の目指すところを体現できているかどうかというのは、ものすごーくムツカシイことです。

というわけで、なんか新しいことが書いてあるわけでもなんでもないですが、短いページ数(日本語版でも300ページ未満です)にエッセンスがぎちっと詰まっていて、取り上げたい知見や、引用したい名言に満ちた本です。すべからく読むべき。特に、アジャイル開発におけるリーダーの役割についての言及が素晴らしい。まあ、書いていることがソフトウェア開発手法で、それはつまり「管理手法」なんだから当然なんですが、もう、耳が痛いことがびっちり書いてあります。知識の整理にはぴったりだし、アジャイルを開始するとっかかりとしても良い本。私も「ちゃんとしたスクラムができた」と感じたプロジェクトはまだ出来てないんで、ちゃんとしたいですね。なかなか状況が許しませんが。

というわけで、以下は読み終わった本のページをめくりながら、面白いなと思ったところをピックアップしておきます。

Cynefin

3章。聞いたことがない概念がでてきて、意外とこの本の最後まで使われます。IBMにいた人が作ったフレームワークで、「クネビン」と読むそうです。

Cynefin_as_of_1st_june_2014

図の通り、5つのドメイン(系)があって、問題はどこかに分類されると。で、分類された位置によって異なるアプローチがされるべき、とCynefinでは言ってます。詳しくはWikipediaでも。

で、はしょりますが、ソフトウェア開発で相手にすべきなのは図の上の2つ。「複雑(Complex)」と「煩雑(Complicated)」だと。カオスはソフトウェアで解決しようとすんなと(笑)。では、上の2つに対してどうアプローチすべきかというと、

複雑:調査(probe)-把握(sense)-対処(respond)

煩雑:把握(sense)-分析(analyze)-対処(respond)

はい、ピンときましたね。アジャイルにおいて最も重要なことはリリース間隔が短いことなわけですが(「LeanとDevOpsの科学-Accelarate」を読んでね)、それはつまり複雑なドメインに対するアプローチだからです。短い間隔でリリースして、フィードバックを得る。そしてそれに対して次のリリースで対応する。「調査-把握-対処」ですね。

それに対して従来のソフトウェア開発手法、この本ではシーケンシャル開発と呼んでますが、それでは、様々な要求をかき集めてきて、それを分析して、モデリングして、アーキテクチャリングして、ソリューションを作り上げている。つまり、煩雑系に対してアプローチしているわけです。

で、ソフトウェアで解決しようとしている問題があって、その多くは複雑なのか煩雑なのか。複雑だと思ってたら煩雑だったことがわかった場合、「とりあえず、やってみようぜ」とトライして行った調査・実験はムダだったということになります。ちょっとショック。しかし、煩雑だと思ってたら複雑だった場合、プロジェクト終盤に「あれ、やろうとしてたこと間違ってね?」となる。これは致命的なショック。なので、ソフトウェア開発は、まずは対象を複雑系だと考えてアジャイルに取り組み、煩雑系だとわかったらそれに対処する(その部分に対しては、きっちり問題を分析して組み立てるシーケンシャルな開発へシフトする)方がよい。だから、アジャイルなんだよーと言ってます。なるほどね。

スクラムから始める

アジャイルやりてーなと思ったら、とりあえず、スクラムをやれ。アジャイルうまくいかねーなと思ったら、とりあえず、きっちりスクラムをやれ。スクラムから取捨選択をするな。なぜなら、アジャイルには膨大なプラクティスが存在するが、そこから最小限のプロセスを使って作られたフレームワークがスクラムだから。これ以上省くことは許さぬぞ、とマコネル先生の教えです。ワカル。

スクラムがダメっていう奴はだいたいちゃんとやってない奴なんだよねーということで、4章ではスクラムの様々な失敗モードが紹介されてます。「無能なプロダクトオーナー」とかいう節があって、読むと心が痛い。ちなみに、今までみたダメスクラム傑作例は

「スクラムを検討してみたが、そのプラクティスのほとんどは私たちの組織ではうまくいかないようだった。私たちはスクラムを実践しているが、主に導入しているのはデイリースタンドアップで、毎週金曜日に行っている

だそうです。ウケル。

チーム文化

6章はチーム文化に関する章です。文化の問題はものすごく大事で、これこそがチームの生産性の要なんだけど、わかってないリーダーが多すぎ。マコネル先生曰く「企業は事実上、人々の脳内のスペースを借り上げ、企業が従業員に考えさせたいことを考えて貰うために賃金を支払う。外的モチベーションがうまくいかないのは、何かについて考えることを人に強制させるのは無理だからだ。あなたに出来るのは、企業の問題について自主的に考えたくなるような状況を整えることくらいである。」

まったくその通りなんだけど、やって欲しいことが「考えること」ではなくて「作業」だと思ってるクズリーダーが多すぎる。そのくせ、「作業」の結果上がってきたアプトプットの品質が低いと怒るわけですが、やってることがソフトウェア開発なんだからそこに「考えること」が含まれてなければ品質が低いのは当たり前なわけです。では、「考えること」のために何をやっているかというと、モチベーションを削ぐことしかやってない・・・みたいなね。

では、内的モチベーションの向上には・・・ということについては、当たり前だけど大事なことが本に書いてあるので是非読んで下さい。

分散チーム

はい、リモートワークの話です。で、おわかりの通り、チームのロケーションを分散させることはダメだよと書いてあります。まあ、その通りですな。ここで面白かったのは、以下の部分

ここで重要になるのは、定期的に直接会ってコミュニケーションを取ることである。あるグローバル企業の最高幹部は、「信頼の半減期は6週間だ」と言っていた。ミスが増えてきたと感じたら、メンバーを飛行機に乗せ、一緒にゲームをさせ、一緒に食事をさせることで、信頼関係が築かれるようにしよう。

6週間かー。つまり、緊急事態宣言でリモートワークになって本当にうまくいく仕組みが作れているかどうか、勝負は6週間経ったあとって事です。確かにねー。

個人および対話

アジャイルはこれまでプロセスの話に注力しすぎて、個人の能力開発にはあまり取り組んできてません。これは従来の開発プロセスでも同様で、個人が仕事を通じて成長することを求められているのはどこの組織でも同じだと思いますが、それが個人を受け入れるプロジェクト側では基本的に何も考慮されておらず、必要な知識やスキルを身につけられるかどうかは個人の(プロジェクト外での)努力と運に左右されているというのが現状です。しかし、アジャイルが必要とする「自律したチーム」は個人の能力に大きく影響を受けるんですから、個人の能力開発に注力するのは当然。8章はこのことに大きく記述が割かれてます。

ま、とにかく個人の成長に対して組織はもっと投資をしないといけないって事です。こんなインターネットミームが引用されてます。

CFO: メンバーに投資して、彼らが辞めてしまったらどうするんだ。

CEO: メンバーに投資せずにいて、彼らがいつまでも辞めなかったらどうするんだ。

ウケル。でも、これは自社の社員に対してはその通りでしょうが、現状、我々は外部の人員を含めてプロジェクトをしていて、これが社外の人間(つまり、長くてもプロジェクト終了時点でいなくなる人)に対しても同じように対応するべきなのかは疑問。ここは大きくやり方を変える必要があるところです。

また、開発者に求められる対話の能力やチーム内の対話の重要性にも触れられてます。これは自分がどうかというよりも、リーダーとしてメンバーをどう向上させるかという観点に立つとより重要です。ここをケアしているリーダーはまれですが、とにかく重要なんですよねぇ。

バーンアウトの回避

リリース間隔を短く保ち、スプリントを繰り返して成果を出すアジャイル開発のリズムは基本的にはいいものだけども、「締め切り前に頑張って、締め切りが過ぎたらリラックスする」という起伏がないことによって、かえってバーンアウトを誘発することがあるといいます。なるほど。確かにぱつぱつのスクラムしんどい。

そこで著者は6×2+1パターンなど、一定じゃないリズムを使うことも提案してます。2週間スプリントを6回やったら、1週のスプリントを1度はさみ、そこでは技術的負債の返済やツールの見直し、研修、チームビルディング、ハッカソン、日々の改善などをやると。これ良いですね。

要求の改善

シーケンシャルな開発手法では、最初に要件定義をしてしまい、その要件定義の品質が後々まで影響します。要求管理は非常に大事。ただ、私の感覚としてはシーケンシャルな開発においては、失敗の原因を要件定義フェーズの品質に求めすぎている気がしますけどね。要件定義が不明確だったが為に、後続のフェーズで時間がかかったり、手戻りが発生したとして、ではそれを要件定義もっとリソースをかけて回避すべきだったかどうかは疑問です。だって、後続のフェーズで必要となったリソースを前のフェーズで使ったとして、それはリソースの総量の削減になっているかどうかはわからないから。ただし、要件定義フェーズでのアウトプットを元に後続フェーズで必要となるリソース総量を見積もって、それが間違っていてエラいことになったということはあるかもしれないですが、それは単に契約形態の問題で、プロジェクト全体から見たら本質的な問題じゃないからね。

アジャイルの最も重要な点は、リリースサイクルを小さくして、一度に必要とする要求の量も小さくして、コントロールしやすくできることにあります。ただし、プロジェクト全体のリスクとしてはそれで改善されているけども、1つ1つのフィーチャーについて要求の品質が高いか低いかが出来上がるフィーチャーそのものの品質に直結することはシーケンシャル開発だろうがアジャイル開発だろうが同じ事です。ここまでユルユルでいいと誤解してアジャイルを捉えている人が実に多い。それは間違いです。

で、要求について、アジャイルだからシーケンシャルだからというのは無くて、むしろ、アジャイルは要求管理の改善の1手法であるわけです。従来の要求管理の手法には改善が必要なことは誰しもわかっているわけで、その連続的な改善の取り組みの1つがアジャイルであり、バックログ管理のようなアジャイルのプラクティスだと。

で、この分野は大変ホットなので、この20年で様々な取り組みがなされてきてて、下のリストに上がってる単語を聞いて「何それ」と思ったら勉強不足だから補えよとマコネル先生は仰ってます。はーい。

  • 受入テスト駆動開発(ATDD)
  • ビヘイビア駆動開発
  • チェックリスト
  • コンテキスト図
  • エレベーターピッチ
  • エクストリームキャラクター
  • 5つのなぜ(five whys)
  • ハッスルマップ
  • インパクトマッピング
  • インタビュー
  • ラダリング法による質問
  • リーンキャンバス
  • MVP
  • ペルソナ
  • Planguage 言語
  • プレスリリース
  • プロダクトビジョン
  • プロトタイプ
  • シナリオ
  • ストーリーマッピング
  • ユーザーストーリー

 ふぅ、いっぱいあんね。

リーダーシップ

16章ではリーダーシップについて。この本を通じて何度も出てくる原則は「スクラムチームをブラックボックスとして扱う」ということ。マイクロマネージメントを避け、インプットとアウトプットだけを管理しないと自律したチームは作れません。リーダーに出来るのは仕事の仕方をあれこれ指図することじゃなくて、せいぜいメンバーのモチベーションを上げることぐらいなわけです。辛い。「チームの生産性をどうやって上げれば良いか決めるのもチームなので、メンバーの1人が1日休めばチームの生産性が最も良くなる可能性があるとしたら、チームがその決定を下すのは自由である」とも書いてあり、リーダーはせいぜいその可能性を指摘したり、チームの決定を尊重したりとかしか出来んわけです。

もうひとつ、リーダーが大事なこととして「司令官の意図」を伝えること。これはアメリカ軍の概念で、司令部と部隊の間の連絡や協議の機会を失った状態で、部隊が意思決定を出来るようにしておかないといけないっちゅうことですね。「人にやり方を教えてはいけない。何をするのかを伝え、その結果であなたを驚かせるように仕向けるのだ」というジョージ・S・パットンの言葉が引用されてます。しみるね。まあ、この本はリーダー向けの本なので、16章は短いながら重要なことがたくさん書いてあります。

間違いを犯す

アジャイルの短いリリース間隔に期待することは素早いフィードバックであって、それはつまり、やってたことが間違ってたということが早くわかると言うこと。必然的に間違いを許す組織文化が必要になります。で、せっかく間違いによって得られた知見なので活かさないといけない。というわけで、以下の様なことが重要

  • 直すのが大変にならないうちに正す
  • エスカレーションを許す
  • 心理的安全性を高めておく
  • 知見を共有するプラクティスコミュニティ(例えば、スクラムマスターのコミュニティなど)を確立する

心理的安全性は一種のバズワードのようになりましたが、これは全てのリーダーが考えねばならぬこと。文化大事ですよ。ほんとに。

生産性の向上

このことがあんまりプロジェクトで真面目に考えられているところを見たことがないけれども、チームの生産性向上はとても大事。だいたいは、「今週は進捗よくないです。でも、作業に慣れてきたので、今後は大丈夫だと思います」的なところでいい加減に語られてしまいがちだけれども、まあ、それはそもそも生産性を測定していないんだからしょうがない。まずは測定が大事です。チームのベロシティはちゃんと測りましょう。

その上で、プロセスの改善をする。ツールを変えたり、バックログリファインメントの精度を上げたり、必要なメンバーを追加したり・・・それをちゃんとスプリントごとに改善することが大事です。

面白かったのは、「チームの生産性が向上すると何が可能になるか」という項目。引用します。

短いスプリントは、プロセスを実験的に変更し、それらの変更の結果を追跡し、うまくいく変更を足がかりにする機会を頻繁に提供する。このようにして改善がどんどん蓄積されていく。私たちはこれまで、チームの生産性が2倍かそれ以上になるのを実際に見てきた。

このことには思いもよらない意味合いもある。というのも、パフォーマンスが悪いことを理由に「問題のあるチームメンバーを多数決で締めだそう」とする場面を何度か目撃したことがあるからだ。どの場合も、事の顛末はだいたい同じである。「あのメンバーを異動させたら同じベロシティを保つことを確約できるか」とマネージャーが尋ねると、チームはこう答える。「あの人が足を引っ張っていた分、ベロシティがよくなることを確約しますよ」

もう1つの例は、チームが2つの拠点(サイト)に分散しているデジタルコンテンツ会社と仕事をしていたときのことである。1つ目のチームは15人のメンバーで構成され、2つ目のチームは45人のメンバーで構成されていた。ベロシティを厳格に追跡し、作業の進捗を監視し、その待ち状態を分析したところ、1つ目のチームが2つ目のチームとの連携に費やしていた時間と作業量だけで、2つ目のチームの作業量を超えているという結論が下された。そこで、2つ目のチームを別プロジェクトに回したところ、1つ目のたった15人のチームだけで元のプロジェクトの総生産量が増加した。1つ目のチームはアジャイルの生産性の指標をきちんと使用することで、生産性を実質的に4倍に増やした。

ツラい。でも、わかるなー。1つ目の話も、2つ目の話も、なんとなく実感があります。うーむ。

予測可能性

20章は見積の話。アジャイルは見積が出来ないと考えている人がたまにいるんですが、全然そんなことはなくて、プロジェクトの開始前でもシーケンシャル開発と同程度の「不確かな見積」は可能です。つまり、どちらの手法もある程度の仮定、つまり不確かさを認めてしまうなら、その不確かさを含んだ予測はできるわけです。だって、タスクを見積もって積み上げるだけならどっちだって出来ますよ、そりゃ。

アジャイルでそれがあまり重視されないのは、いくらかのスプリントを経ればその不確かさをすぐに小さくできるから。であれば、その不確かな見積になんか意味あるの?となると。で、通常はもの凄く意味はあって、不確かな見積が無ければプロジェクトはスタートしないんで、プロジェクト開始後に得られるより正確な見積に意味なんかないわけです(笑)。

マコネル先生はプラクティカルな人なので、もっと予測可能性が求められるときにはどーしたらいいのかという議論をきっちりやってます。見積の不確かさの管理方法はもちろん、

  • エピックを予算として扱う
  • 予測可能な範囲を考慮してアジャイルの境界を移動させる

など、言われてみればもっともだし、部分的にはやってるようなことをきっちり手法にしてあるので、エラいですね。

また、プロジェクトのスケジュールの管理のためにはポートフォリオの管理が凄い重要で、WSJF(Weighted Shortest Job First)の手法が紹介されてます。これ、有名らしいけど、知らなかった。フィーチャーそれぞれについて、それがないと発生するコストを見積もって、その合計が最小になるようにフィーチャーの優先順位を管理する方法です。これはそのまま自分たちで使えるかどうかはわからないけど(例えば、発注機能のこのフィーチャーがないとユーザーはどのぐらい時間を損するんですかって聞いて回っても、すぐに有効な数字が貰えるわけではないだろうし)、でも重要な視点だな。


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黒暗森林 三体II / 劉 慈欣

みんな、昨年の「三体」を読んだ人は手ぐすねを引いて待っていたはず。エンジニア系のポッドキャストでもあちらこちらで語られてました。「三体」三部作の第2作、「黒暗森林」です。

文化大革命を通じて人類の愚かさに絶望したある女性科学者が、侵略的異星人とファースト・コンタクトして地球の存在がバレ、侵略的移民団により地球が存亡の危機に立つという中国的といえば中国的、中国という文化圏を飛び抜けた物語のスケールが中国を越えて現代的、そして中国本土で三部作合計で2000万部以上が売れているというスケールがコレまた中国的という、非常に印象深い第1作は「そうは言ってもヤバい異星人が来るまでまだ何百年かはある」というところでラストでした。絶望の中にも希望はあるというか、なんというか。

それを受けての第2作。さて、人類はどうやって三体人に立ち向かうのか。そもそも地球人のやっていることは筒抜け。こっちの技術革新は妨害されて絶望的。しかし、三体人は「人を騙したことがない」ことが判明。地球スケール、いや太陽系スケールの空間的スケールと、登場人物がコールドスリープを繰り返すことによる数百年スケールの時間的スケールで繰り広げられる幼稚園児地球人と朴訥ピュア異星人のコンゲーム。本の厚みも第1作の倍になって、まあ、面白い。いや、よくこれだけのアイデアをぶち込んだね、しかし。

難点は、今回の主人公がちょっと変な奴ってこと。付き合ってる女性に妄想の「100%の恋人」がいて、自分もその妄想にトライし、本当に抜け出ることが出来なくなるという危ない人。で、そのアブなさが物語のキーに・・・なっているようで直線的にはなってないという(笑)、なんだかすっきりしなさがよくわからない読了感をもたらします。まあ、ちゃんと考えてみると、この「黒暗森林」というテーマと付き合わせてなかなか面白いことにはなってるんだけど、でも、主人公がちょっとアブない人だと感情移入しづらくて、最後のカタルシスが減じてるのは確かだよね(笑)。でも、そのぐらいかな。逆に言えば、途中に美味しいネタがいっぱい出てくる割に割と乱暴に「はい、その手はダメでしたー」と使い捨てられるところが気になるけど、まあ、贅沢って事だよね。あと、三体人が何考えていたのかってのの種明かしがもうちょっと欲しいかなあ。まあでも、それは第3部なのかな。

ともかく、割にハードSFなのに抜群に読みやすい(それは大森望さんの監修に依るところも大きく、普段、SF読んでる人だけがそう思うのかもしんないけど)し、逆に仕上げ感として荒っぽいところがエンタメっぽさを強めてる感じもあるし、ヒットするのはよくわかる。これは面白いですよ。ぜひぜひ


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Unnamed Memory/古宮九時

いやー、ティナーシャちゃんが可愛いのよー。

「小説家になろう」からの書籍化。いわゆるもなにも、「なろう系」それそのもの。文庫ではなく、いわゆる新文芸の書籍サイズで出版されるというのも、今どき感がありますね。

一般に、「なろう系」というものをどう捉えるのかというのは、なかなか難しいものがあります。

たくさんの書き手と、それ以上に重要なことにたくさんの読者がいて、新しい才能が登場し、磨かれる場所があるということが、日本の文芸の世界にとって悪いことであるはずはありません。無料で読めるサイトで評判になって出版され、無料で読めるにもかかわらずお金を払って読もうという人がいる作品には、何かしらひとかどのものがあります。間違いなく面白い。

ただし、そのサイトで目にとまるためには、ジャンルがかなり激しく固定されてしまいます。「なろう系」がだいたい似通ったモチーフになってしまうというのはそのせいですし、「なんか異世界転生ものばっかりやないかい」ということになってしまう。それにうんざりしている消費者は少なからずいて、そうするといわゆるジャンルの行き詰まりが起きる。今の文庫のライトノベルはまさにそういう感じになっちゃって、すっかり衰退しています。なので、これはあんまり良くない。

でも、さらに言えば、その厳しい制約のなかで「こうくるか!」「異世界転生でもまだこのやり方があったか!」みたいな作品は生まれてくるので、そういう作品に出会ったときの喜びはあります。これは先鋭化したジャンルを追っかけている醍醐味みたいなものですね。ま、それは間口がすっかり狭くなっているということでもありますが、面白い作品が生まれることが悪いことであるはずもなく。

というわけで、今のこの状況が良いのか悪いのか、これはなかなか難しい。私もすっかりおっさんなのでシーンを追いかけているわけじゃないんで、今どうなっているのか掴んでいるかというと全然そんなことはないし、むしろ「涼宮ハルヒブームのころは、ラノベ楽しかったなあ」という懐古厨なんですけども、でも、「Unnamed Memory」みたいな作品に出会うと、「うーん、捨てたもんじゃないんじゃーん」と楽しい気分になる。

というわけで、「Unnamed Memory」はそういう作品です。

もちろん、キャラ同士の掛け合いの楽しさや、ヒロインのティナーシャちゃんの可愛らしさはライトノベルの変わらない魅力であり、この作者は非常にその部分にも長けてます。また、お約束として主役二人の「俺TSUEEE」ぶりも読者のカタルシスをしっかり保証してくれます。でも、ただそれだけじゃなくて、世界観やテーマの選定の仕方、悪役の味わいある描写、エピソードの積み重ね方、ギミック溢れる(若干、反則気味の)ストーリー構成など、どこをとっても一級品。ウェルメイドなエンターテイメント。いやー、面白い。これが「なろう系」に入れられて特定のジャンル小説に興味がある人の目にしか触れないのはひじょーに残念。むしろね、読んだ感じは「あとは野となれ大和撫子」に匹敵するんで、角川文庫にいれて、一般書のとこに平積みしたらいいんじゃないかなあ。本読みならみんな好きな本だと思います、コレ。


 

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読書で離婚を考えた。/ 円城塔・田辺青蛙

円城塔と言えばガチガチの理学博士であり、ゴリゴリの研究者でありながら、研究では飯が食えず芥川賞を取った(はしょりすぎ)という、研究者としての道に挫折しCSもロクに囓ること無く安易にSEとして糊口を凌ぎ、ちょっと愉快な手順書を作って同僚を笑かしてはかすかなエゴを満足させて生きている私から見れば、羨むばかりの才能に溢れまくっている人です。「Self Reference ENGINE」と「Boy's Surface」はほんっとに面白かった。もうね、嫉妬しかないです。でも、最近の作品は私もいまいち理解できないときが・・。

そんな円城塔さんが奥様と共同で書評の連載をしたそうですと。ほほう・・・どのような本を・・・。目次を眺めてみたんですが・・・なんだこれは・・・どうして料理のレシピ本とか折り紙の本とかVOW(懐かしい)とかが入っているんだ・・・。

なんでも、本の趣味がまったく違う2人が「その人の本棚をみれば(略)」という格言よろしく相手に読ませて感想を聞くことにより相互理解を深めるためにお題を出し合ったという連載なんだそうです。迷走している感が目次だけでありありとわかる(笑)。なるほど、それでこのタイトルなんですね。

で、円城さんの方はきっちりしているので、ちゃんと最初のお題に絡めて本を選ぶ。奥様の田辺さんは、割とそのテーマを忘れがち。自由奔放・大らかに連載を進めて楽しそう。そんな奥様と円城さんは自然現象に相対するかのような半ば諦めの境地で着地点を探す。そんな噛み合ってんだか、噛み合ってないんだかよくわからないけどなんだか仲の良さそうな関係性を楽しむ、そんな本です。んー、だって紹介されてる本で「あ、読んでみようかな」ってなる本ないんだよ、この本は(笑)。まあでも、割と楽しく読みました。だって、もう完全に円城さんには共感しかないんだもの。

あ、でも私はたまになら嫁が料理してくれてもいいと思ってますよ(笑)


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天冥の標が日本SF大賞を受賞

おめでとーございまーす!

というわけで、2/23(日)に青山ブックセンターで開催された「飛浩隆・小川一水トークイベント」に行って参りました。

この日はまさに日本SF大賞の選考日でして、イベントの冒頭で「天冥の標」の大賞受賞、そして、「零號琴」が受賞を逃したことが発表になったのでした。悲喜こもごもでございます。

まあ、「天冥の標」はもう、1巻が出て、そしてこれが10巻で完結すると聞いた時点で読者全員が「うん、完結したらSF大賞決定だな」と確信するという、初っぱなからそんな完成度の作品だったわけですが、小川さんが「10年がかりで17冊も書かないと大賞が貰えないとは辛い。作者はちょっとずつご褒美が欲しいのです」と受賞の弁で愚痴るのもわかる(笑)。この10年、天冥の新刊が出るたびにむさぼるように読んでいた読者としては、ずっと「リアルタイムでこの作品と対峙できるのは幸運以外の何物でも無いんだから、とにかく読め」とみんなに言っていた一方で、「ホントにいつ完結するんだ・・・」と遠い目になったこともしばしば。1巻の感想をこのブログに10年前に書いていますが、そこでいきなし「完結は何年後なんだー」って書いてますからね(笑)。

いや、それにしてもホントに凄い小説もあったものです。太陽系外の植民惑星の破滅が1巻で書かれて、「どうなっちゃうんだー」とどっきどきで2巻を待ち、2巻を読んでみたらいきなり現代でパンデミックものという。今、まさにCOVID-19のパンデミックが間近に迫っているのが小説世界とリンクしてどっきどきです。まあ、肺炎は冥王斑みたいな致死率ではないものの・・・SFの想像力が人間を強くするということはあると思いますね。この1巻のラストから2巻を読んだときの衝撃と等しいレベルの衝撃が、10巻までに・・・3度はあったかな。「えええっっっ」っていうのが。それが無くても十分に面白いSFの満漢全席みたいな本なんだけども。いや、書かない方がいいな。とにかく

まだ読んでないなら、
絶対に読め!

としか言いようがない。悲劇も喜劇も、冒険も浪漫もエロティシズムも、差別も殺戮も飢餓も貧困も、異世界も異星人も超知性体も、愛も友情も孤独も連帯も、すべてがここにあるすさまじい小説なので(ないのは時間SFぐらいだな)、これを読んでない人生なんてあり得ないんで、読んで下さい。

いやー、しかし、小川一水さんはほぼ同年代なんだよな。これを10年前に構想して書き上げたわけでしょう、同年代の人が。凄すぎるよ。

というわけで、トークショーなんですが、内容はまあ、そんな大した話はありませんでした。とりあえず酉島伝法と伴名練は(買ってあるんだから)とっとと読もうと思いました。てへぺろ。

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キリン解剖記/郡司芽久

冬ごもり2冊目は、世界で一番キリンを解剖している学者こと、郡司芽久さんの研究の日々。いたって学術的な真面目な本ですけど、キリンが大好きな女の子が学位論文を取ってキリン博士になるまでの話なんで、なんか凄い業績とか、人類の英知に関わる何かとか、そういうものはありません。

そういうものは無いわけですけど、おそらく日本の学者の卵が学位を取るまでの研究の日々って、どの人の話も同じぐらい面白いと思うんです。郡司さんはなんせ文章が上手いし(つか、日本の博物学系の学者はみんな話が面白いよな)、ネタが日本人なら誰でも知っているキリンなんで本に出来るぐらい一般性があるわけですが、私が大学院にいたときの経験からして、博士課程までいって学位を取ろうというのは人生におけるかなり致命的な決断であり、そんなことになってしまう人は、人生のどこかで一般的な幸せを棒に振ってもいいぞと思えるぐらいの面白いものに出会ってしまっているわけだから、そりゃ面白いに決まってるんです。でもしかでDr取る奴はいないし、取れないしね。

というわけで、郡司さんの話も面白い。そもそも、キリン博士ってなりたいと思ってなれるものじゃありません。というか、日本にキリン博士は1人いれば十分で、別にいなくてもいいわけだから、なりかたが誰もわからないわけです(笑)。私も、日本にいるキリン博士はどういう人かイマイチわからない。それは動物園の飼育員とか、獣医ではなくキリンの研究者とは何をしているのか。

郡司さんも東大に入ってすぐに、先生方に聞いてみる。「キリンの研究者にはどうやったらなれますか?」。でも、だれも知らない。しかし、ある先生との出会いが彼女を変えます。それは解剖学の先生でした。「キリン?キリンの遺体は結構手に入るから、解剖のチャンスは多いよ。機会があったら連絡するね」。実は、日本には100頭以上のキリンがいるので、ちょいちょいお亡くなりになるんですな。

そして、彼女は大学1年生にして、「日本の動物園でキリンが死んだら声がかかる人」というポジションへの足がかりを得て、早くも最初の解剖をしてしまうのでした。なるほど、キリンの研究者になるとはそういうことか・・・。もちろん、行動学や遺伝進化学からキリンをテーマにすることも出来るでしょうが、キリンメインの解剖学者は強いポジションですね。というわけで、どうしたらいいのか誰もわからないテーマの世界では「あたし、キリンがやりたい」とあっちこっちでアピールしとくというのは超重要って事ですね。

という、キリン(だけ解剖するわけじゃないけども)の死体だらけの研究生活は、なんだか微笑ましい。D論書くというのは、まあもの凄く辛いことですし、そもそも頑張ったからといって成果が出るものでもないし、キリンが死ななければ成果は出ないし、死体解剖は破壊検査なので常に緊張の連続だし。でも、そうやって辛い研究の話も、所詮は好きでやっている話。楽しくアピールして、我々は楽しく聞いて、税金払って、世界の知の総体の拡大に貢献して、それでよいってことです。というわけで、この本はすべからく読むべし。そして、学者たるもの、こういう文書はちゃんと書いて世に問うべしと、そう思いますね。

 

 

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