ミッション:インポッシブル デッドレコニング Part One

トム・クルーズによるミッション:インポッシブル最後の作品となる前後編の前編。見てきました。

これはね・・・評価が難しいです。この映画はどう評価されるべきなのか。

第1の観点として、単純にこの夏休み一番の娯楽大作として。とても面白いです。

世界中をロケ地にして、アクションに継ぐアクション。どれもが一級品。世界中どこに言ってもほぼ全員英語をしゃべる良くできたアトラクションの数々。あんまり細かいことは考えずに次から次へと押し寄せる映像にただただ翻弄されていれば至極のひとときが味わえます。なんとなく複雑そうなストーリーも、「ただひたすらみんなが鍵を奪い合っている」というアホみたいな設定をなんとなくカッコよく見せるためだけの演出で、わかんないところは「なんかわかんないな」と思ったまま観ていて全然OK。さすがにその理解で観ているには今回の上映時間は長すぎる(けっこう途中退席する人多かったんですよね。膀胱の限界だったんでしょうね)と思いますが、短いよりはいいよね。

第2の観点として、後世に名を残すアクションの金字塔になりうるか。これはね・・・ムズい。

この作品が間違いなくそれを目指していることは確かです。なぜなら、わざわざ観たことがあるシチュエーションを選んでやっているから。オープニングは、わざわざ「アラビアのロレンス」風に砂漠に馬を走らせる。続いてカーチェイスをわざわざローマでやる。なんならわざわざ黄色のフィアット500を登場させて、トレビの泉の周りをグルグル回る。パーティー会場に乗り込んで敵と対決するなんて20回ぐらいみたシチュエーションもわざわざやる。それも、ベニスで水路を船で移動させるし、地下鉄に轢かれそうになるシチュエーションも入れる。そして最後は列車、それもオリエント急行の屋根の上で対決させる。

これ、全部どこかで観たことがある奴。なんなら、全部「スターウォーズ」シリーズの中だけで同じシーンが見つけられる奴(笑)。それを、できる限り特撮なしの本気の撮影で、今の技術をフル動員して、たっぷりの時間と予算をかけて撮る。つまり、アクション映画はこれ1本だけ観ればいいというショーケースを作ろうとしている。

いやいや、正気の沙汰とは思えません。すごいことを考えるなあ。で、その目論見はおおよそ成功していると言っていいでしょう。作ろうとしてるものが「アクション映画のショーケース」なので、そりゃストーリーはご都合にならざるを得ません。でも、ここまで踏まえると、このご都合ストーリーはその制約の中でめちゃめちゃ頑張ってるとは思います。

とはいえ、ですよ。良くできたショーケースであることは認めますが、観たいのはショーケースなのかと言われれば、うーむ・・・と。拍手喝采で、「こりゃ面白い最高の映画だ!」とは言いがたい。ただ、最初から「伝統芸能を観に来た」としたならば、これはもう「良いモノを見せていただきました」と満点つけて帰るしかないんじゃないかと。なので、極端なことを言えば、小演劇を観に来たと思ったら能を観せられた的な戸惑いはあります。おお、こういう映画なんだねと。伝統芸能だとしても、「トップガン」は他に現用戦闘機でのドックファイトなんて映画は他に誰も撮ってないので気にならないんですが、今回のは、なあ。

ただこれ前後編なので、前半が「過去のショーケース」で後半は「未来のアクションの提案」だという可能性がありますな。だとすると、後編を見終わった時にはそれも踏まえて満点ってことになっているかもしれません。いや、後半が「ショーケース増補版」である可能性もあるんで、まだなんとも言えませんけど。

で、最後に1本の劇映画としてみると・・・ストーリーはまあ、酷いモノです。全てがご都合主義。

ちょうど生成AIが一斉を風靡していて「やっぱイマドキ戦う相手はAIっすかね」なんて趣きもありますが、撮ってるのは数年前(撮影中にコロナ禍に突入したらしいからね)なわけで、今回暴走したAIが仇役なのは単純にイーサンチームにコンピュータを自由に使わせたらアクションをするまでもなくイーサン達が目的を果たしちゃうからです。それはすっごくわかりやすく提示されていて、最初のアブダビの空港のシーンではイーサン達のハッキング能力でイーサン達に対抗する勢力はほぼ無力化されちゃうよってことが示されます。なんせ敵はイーサンを見つけることすら出来ない。

ところが、ここにより強いハッキング能力で介入されてこのやり方では解決できない。つまり、今回もトム・クルーズは全力疾走せざるを得ないよ、という舞台設定が示されます。ここまではすごく上手い。

ただ、こうしたんだったら今回は60年代にはなかったテクノロジーは使えないという前提でやらせてもらいますよーってコトにすればいいのに、微妙にテクノロジーを使う。「今回はネットワークを使わないと出来ないものはなし!」にすればいいのにそこをわざと曖昧にするので、何は出来て何は出来ないのかがわからないし、ハッキングしてきている主体がその謎のAIなのかAI一味、今回のラスボスのガブリエル君なのかがよくわからない。そこがはっきりしないので、今、絶体絶命の危機なのか、ハッキング能力でどうにか出来るシチュエーションなのかがわからず、ちょっとそこは残念でした。一番「あちゃー」と思ったのは、途中、イーサンをサポートするために運転中の車を自動運転に任せてコンピュータをいじり始めるシーン。いや、ネット上の悪のAIと戦うのに、自動運転の車に乗ってはいかん。自殺行為だろ。

巨大AIの暴走っていう話にも面白い奴いくらでもあるわけで、その辺の味付けはほぼなーんにもなく、ただ、USBメモリじゃなくてわざわざ鍵の形をしたものを奪い合うだけというのは、なんだかな。まあ、いいんですけど。

というわけで、なかなか評価の難しい1本。ただ、アタマからっぽにしてみれば楽しめるし、後から引用・参照されることがメッチャ多そうな気もするんで、お嫌いでなければ観に行って損はないかなと。

 

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THE FIRST SLAM DUNK

「スラムダンク」のアニメが劇場版としてリブートすると聞いて、「ああ、それはいいなあ」と素直に思いました。が、「まあ、観ないだろうけどな」とも。「スラムダンク」ほどの名作を眠らせておくことはないわけで、Bリーグもなんか盛り上がってきてる訳だし、もう20年以上前の作品だし、頃合いだろうと。「銀河英雄伝説」のリブートにも付き合ってますしね。やはり、技術の進歩は素晴らしい。

でも、不良の桜木花道がまともにバスケし始めるまで物語的にはだいぶかかるわけで、最初から観るのはかったるい。「スラムダンク」を観たことがない若者が楽しんでくれれば良くて、古くからのファンにとっては「Not For Me」なんじゃないかと。いや、私はそれほどのファンという訳でもないのですが。ジャンプ読まないんですよ。中高とバスケをやっていたこともあって、完結してから読みました。

ところがですよ、まさにあの頃ファンだった人達が観たいものが実は作られていたっていう。それを公開まで完全に隠してて。たぶん観た人の評判でちゃんと伝わるだろうという計算なんでしょう。なんてリスキー。なんてわがまま。これはね、観に行かないとダメですよ。逆に「スラムダンク」を読んだことない人はちょっと微妙かもしれない。読んでから観に行ってもぜんぜんいいかもしれない。もちろん、読んでなくてもすごく面白く観られるとは思います。最初はちょっと不親切かもしれないけど。いきなり「こいつら、誰?」って感じになりますが、でも、バスケの試合見に行ったとして、普通は選手全員の名前知らないから大丈夫だよ。それぐらい、いきなりバスケの試合に魅了されます。

そうなんですよ。試合が凄いの。3Dアニメって今、ここまでいけるの? びっくり。アト6で宇多丸さんが「これはアメコミの映像化としての『スパイダーバース』に対する日本のマンガの映像化としてのアンサーかもしれない」って言ってましたけど、ホントに凄い。本当にバスケの試合を観てるみたいだけど、ホントの試合なら絶対に観られないアングルがあるし、実写では絶対出来ない演出が入ってくるし。これをどうやって作っているのか、ホントに気が遠くなる。だから、「スラムダンク」知らなくても、なんならバスケ知らなくても、凄いことはわかるし、ちゃんと感動出来ると思う。それぐらい凄い。

でも、そんなことより、この作品は、あの頃ファンだった人達が「こういうのが観たいな」と思っていなかったけど観たら「これだよ」としか思えないものが作られているというのが凄い。でも、それが何かは言えない。ここまで秘密にしてきたものを書くわけにはいかない。まあ、もう公開されて大分経つし、私も、噂を聞きつけて「えっ?そういうことなの?じゃあ、観に行かないと」となって観に行ったんだからいいのかもしれないけども、とりあえず、もしここまでを読んで気になったら観に行って。すぐ行って。絶対その方がいいから。

「いやいやいや、信じられんでしょう。いいよ、言ってよ。聞いて、へーって思ったら観に行くから」という人のためと、ネタバレの感想を書きたいからとの理由で、もうこの下に書いちゃうよ。ネタバレバリアー!

 

 

 

 

いいかな?

 

つまりね、こういうことです。「スラムダンク」のファンにこう言ったら全員、「えっ?」ってなるじゃないですか。

宮城リョータを主人公にした山王戦を、CGアニメで井上雄彦が納得するレベルの動きにしました

なにそれ、観に行かないわけないじゃん。山王戦?りょーちんが主人公?プレイはCG作画?まあ、そりゃそうだ。井上雄彦が納得するレベルで動かすにはそれしかありえねぇ。でも、本当にできるの?モーションキャプチャで動かしたら、今までのアニメとノリが繋がらなくなるんじゃない?あ、だから声優全取っ替えなの?マジかよ。ホントにマジなんだな。そんなの、いくら金がかかるかわからない上に、見た目地味で儲かるかどうかわからんけども、それでもやるんだな。そうだよな。言われてみれば、その通りだよ。

観たかったの、それだわ

いやあ、最高だったー。泣いたー。湘北に入ってよかったー。いや、入ってないけど、もう、なんか入ったわ。これはね、ホントに凄い作品ですよ。こんなアニメ観たことないですよ。気が遠くなります。

あとね、音が最高。ホントに体育館にいるみたい。とりあえず、劇場に観に行っとけ。

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RRR

話題の「RRR」を観てきました。

観てないんですけど「バーフバリ」の評判は耳にしてましたし、その監督がとんでもない予算でとんでもないサイコーの映画を作ったというじゃないですか。いろいろと耳にする評判のどれもが「サイコー」という感じなんで、こりゃ行っとくかなという感じで。

うん、こりゃ凄いね。すっごい。

観る映画、観る映画これだとちょっと困っちゃうけど、なんだろう。月に1回ぐらい元気になるために観てもいいかもしれないぐらい。いや、3時間あるから観るの大変ですけども。とにかく、主人公2人はナイスガイでめちゃめちゃ強いし、悪役のイギリス人どもは1人を除いてホント最悪だし、死ぬほど人が出てくるし、豪快だけど構成は練りに練られてて、すっごい。

誤解を恐れずに言えば、見終わった感覚としては劇団新感線の「五右衛門ロック」を劇シネで見た感じ。荒々しくて、音楽も激しくて、歌も踊りもあって、ベタで熱い芝居と見栄があって。あれを

 

100億円かけて作った

 

感じ。7200万ドルだからね。劇団新感線の何百倍なんだっていう(笑)。エンドロールもずっと踊ってて、終わったらイマドキ珍しく拍手が起きました。そう、観てる感じが映画と言うよりお芝居なんですよ。そんな凄いもの、観に行かない理由はないよ。面白いに決まってるでしょ。

インドの独立闘争の話なんでセンシティブな面はありますし、インド映画界のいろんなもろもろな事情とかもあるらしいんですけど、そのへんは宇多丸師匠の劇評とかを聞いてもらうとして、とりあえず公開されてるウチになんとか行っておくべき。見終わった後の、客席のなんとも言えない、おかしなもの見ちゃったぞという「にへらっ」とした雰囲気まで含めて是非味わうべきです。

あと、前半のクライマックスであるダンスバトルシーンは、これはもうインド映画といえばコレっていうものの最高な逸品で、どうしようもなくすごい何かで、劇場に行く前に観ていってもそのシーンになったら「あー、これかー。キター」になってネタバレでも何でもないので、下の町山さんのツイートでリンクされている4分半のこのシーンを全部観ていってなんら問題はないからインド映画よくわかんないぞ勢は今すぐみて「なんじゃこりゃー」ってなってください。よろしく。

 

 

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トップガン マーヴェリック

「トップガン」という映画が公開されたのは1986年。まだ私が小学生のころ。テレビで見たことあるのかあ・・・。オープニングの部分だけ知っているだけなのかなあ。F-14はカッコイイよなあ。サントラはめちゃめちゃかかってたし、私もレンタルショップで借りて聞いたなあ。

そんなおぼろげな記憶なもので、特別に「トップガン マーヴェリック」にも思い入れはないんです。が、毎月模型誌を買っていれば「このビッグウェイブに乗せられて踊らない手はない」とは思うじゃないですか。ちなみに、モデルグラフィックス誌がF/A-18E特集をしたのが2020年の6月号。本来はその頃に公開予定だったんですねぇ・・・もう2年前のこと。私もハセガワの1/72のキットをずいぶん前に買ってあるので、これを作るモチベーションを上げるためにも、観に行かなければなりません。

と、その前に普通に続編ですから、前作を見ておかなければなりません。Amazon Primeにあったので、前日に観ました。

いや、こりゃ酷い映画だな!

当時も映画自体の評判はよくなかったような記憶がありますが、ぺっらぺらです。「もしかしたら小学生の頃に観ているんだけど、飛行機しか観ていなくて、オトナ向けのストーリーはすっかり忘れてしまったのではないか」と思っていたんだけど、これは忘れようがないわ。いや、むしろ何を覚えておけばいいかわからない。ともかく、主役のトム・クルーズは何か一言二言話してニコッと笑うか、悲しい場面では悲しそうな顔をして何も言わないかとどちらかしかしておらず、周りの役者が必死に補っているだけなので、彼の何が問題で、どう克服していこうとしているのかがまーったく伝わらない。

でも、止めの絵が格好良くて、トムキャットが格好良くて、音楽が格好良いから、なんか全体としては「良い感じのポエムみた」みたいな気持ちになるのはわかる。それにしても、これは21世紀では通用しないペラペラさだな!まあ、でも、こんなもんだったよ、当時の映画。トム・クルーズと言えばモータースポーツファンのひよこだった当時に友達と「デイズ・オブ・サンダー」を劇場に観に行った記憶がありますが、「クソだった」ということ以外、何にも覚えてないもんな。

さて、気持ちよく往年のダメ映画を心に秘めた上で、観てきましたよ。

ちゃんとしてました(笑)。いやあー、ちゃんとトム・クルーズの抱えた問題もわかるし、対人関係の問題もわかるし、仕事上のチームの問題もわかるし、世界の問題もわかるし、それがちゃんと絡み合って解決していく作りになっています。ちゃんとしてるぅ〜

その辺がちゃんとしてれば、「トムと飛行機と音楽が格好いい」というオリジナルの良さは何も失っていないので、もうほぼ100点の映画でした。MCUみたいに社会問題とか取り込まないので、もうすっきりしたものです。というか、86年にはミグを撃墜したけど何でなのかはぼやかしてるみたいな感じだったのが、湾岸戦争とイラク戦争を経て、きっぱり「ならず者国家の軍事施設を先制攻撃する」と言って侵略しちゃうんで、「ちょっ、おまっ!」って感じではあるんですが、「まあ、これはミッション:インポッシブルと同じ、トム時空だ」と割り切って観るのでいいかなーみたいな、一種何かを超越したようなそんな感じのするバカ映画です。これはこれで、あり。

というわけで、だいぶよろしかったので、是非観に行って下さい。そして、見終わったら、この下のネタバレ部分を読んで下さい

 

 

 

 

いいかな?

 

やっぱり言いたいのは、「最後のアレはなんだ!」ですよね(笑)。ずーっと前半から敵国の施設を破壊するミッションをずーっとやっていて、ミッションは成功するも、事故で失った親友の息子を庇って、主人公は撃墜されて死ぬ。普通の映画はそれで終わりです。

が、死んでない。死んでないどころか、どうにかして敵基地に侵入して、どういうわけか稼働状態で武装までされているF-14を奪って、敵戦闘機とドッグファイトして、撃墜して帰還する。

んな、アホな。

途中からスターウォーズになったのかと思った。でも、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーのコンビでも、フォースとR2-D2の助けなしにはそんなことは出来ない(笑)

いきなりここからのシーケンスで映画の知能指数がぐっと下がるワケですが、でも、あまりにあんまりなご都合主義なんですけど、不思議と嫌な気持ちはしないんです。それはたぶん、このシーンに向けてちゃんと「リアリティ」の調整が行われているからなんです。

事ここに至ってから思い返せば、冒頭のシーケンスでトムは高々度のマッハ10でのテストフライト中の事故でも(なぜか)ひょっこり生きていて「どういうわけか、死なないヤツ」という称号を得ていることが示されました。ここで、ちょっとギャグっぽい「不死身感」を見せておく。その上で、敵がなぜか最新鋭の戦闘機とおんぼろF-14を一緒に保有しているだの、チラチラと「怪しい気配」をちりばめる。そうして、「そんなわけないんけど、F-14が飛ぶところも観たいよね」「そんなわけないけど、せっかくのお祭り映画なんだから誰も死ぬところを見たくはないよね」という観客の「ワガママな願い」をストーリーの整合性をうっちゃって見せちゃうので、嫌な気持ちにはならないんです。言うなれば、ミュージカルのラストで役者が敵味方も関係なく楽しそうなダンスをして終わっても、誰も「んなわけあるかーい」とはツッコまないのと同じ。だから、なんだか妙な爽快感のある映画です。

しかし、じゃあ、それはオリジナルの「トップガン」の続編に相応しいのかというと、「トップガン」はむしろ幻想的なまでにリアリズムであり、戦闘機に乗ってるのにむしろたいしたことが起こらないのがリアル・・・みたいな謎テイストの映画なわけで、オリジナルと続編はまったくテイストの違う映画になっちゃってるのは否めない。本当の本当にオリジナルの「トップガン」が好きだった人がこれを手放しで喜ぶのかは疑問である・・・けど、まあね。オリジナルはクソ映画なんで(笑)、オリジナルを継いじゃいかんのは間違いないんで、これで正しい。

ま、とりあえず、これでF/A-18のプラモデルを作り始められます。よかよか。

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スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム

公開と同時に良い評判と、ネタバレ情報が入ってきてしまってたので、慌てて1/14に観てました。感想書いてなかったんで、書いとかないとね。

でも、これもネタバレなしには何も書けないんですよね。まあ、もう公開から1ヶ月ぐらい経ってるし、気にするような人はもう観てて、観てない人は今更文句を言ってもしょうがないでしょう。というわけで、以下、ネタバレアリで書きます。

 

 

 

いいよね?

 

 

さて、この映画がなんなのかというのを理解するには、結構メタ知識が必要になります。ある意味、めっちゃマニアックな映画。うーん、まあ、知っているつもりのことを書くけど、私も別に詳しいわけじゃないんで詳細は各自調べてください。

まずは、スパイダーマンのマルチバースに関する知識ね。2019年に「スパイダーバース」ってアニメ映画がありましたが、それを観たときに学びました。アメコミって結構カオスなんで、いろんな人がいろんなスパイダーマンを書いていたりしますよと。で、成り行きでそうなってるんだけども、それをまとめるためにそれらの世界はすべてパラレルワールドですよとしました。他の作品でも、スピンオフ作品とかを作る時にはよくやりますね。そこまではいいんだけど、じゃあそのいろんなスパイダーマンが一堂に会するとすごくない?っていう危ないことを考える人がいるわけです。で、「スパイダーバース」はそんな作品で、今回の「ノー・ウェイ・ホーム」もそれ。

ただし、じゃあなんで「ノー・ウェイ・ホーム」がマルチバースにならないといけないかなんですが、ここに映画のスパイダーマンのややこしい歴史が関わってくると。まず、マーベルさんは、貧乏だった時代にソニーにスパイダーマンの権利を売ってしまってます。で、ソニーではサム・ライミの「スパイダーマン」と、リブートした「アメイジングスパイダーマン」の2つのシリーズが作られてます。ところが、「アメイジング」が興行的にイマイチだったところにMCUが絶好調のマーベルから、「アベンジャーズにスパイダーマン、貸して?」と言われOKします。ただし、その新しいスパイダーマンで単独作品出すときは、ソニーで配給はするからねという約束です。というわけで、「シビルウォー」にトム・ホランド演じる映画3代目スパイダーマンが登場したと。

そんな感じで、MCUにも出るし、「ホームカミング」という映画も作られて愛された3代目ですが、そもそもがアベンジャーズのメンバーとして準備されたんで、あえてシリーズでスパイダーマンにその死をもってヒーローの覚悟を与えるベンおじさんを設定せず、アイアンマン=トニー・スタークがその役をするという大胆な設定になりました。というわけで、MCUの大きな区切りになった「エンドゲーム」でトニー・スタークは死に、「ファー・フロム・ホーム」では「スーパーヒーローであるアイアンマンの後継者として苦悩する若きヒーローであるスパイダーマン」という姿が作られました。これは、「黒人でありながら、星条旗を背負うキャプテンアメリカの後を継ぐことを求められ苦悩するファルコン」と対になる設定で、なかなか唸らされます。

ところが、ここでソニーからマーベルにストップがかけられて、続きが作れない状況になります。ここからは私の想像になりますけど、「スパイダーマンをアベンジャーズに貸してくれと言われたからOKしたけど、アベンジャーズのリーダーにするとなるとちょっと話は別だぜ」ということになったんじゃないかなと。それはちょっと思ってたんと違うんやけどと。それは「貸して」で済む話かって事になったんじゃないか。スパイダーマンってのは「親愛なる隣人」であって、ご近所ヒーローで、アイアンマンの後を継いじゃいかんだろうと。で、揉めました。

というわけで、当初の構想は修正だ。「ファー・フロム・ホーム」で「私がアイアンマンだ」状態になったのをなんとか巻き戻さなきゃいけない。そのために偉い人達と脚本家達が頭を絞って考えたのが、「そうだ、ドクターストレンジに魔法でなんとかしてもらおう」だと(笑)。この経緯からソニーとMCUの協働案件になっているんで、「ドクターストレンジが状況を戻そうとするんだけど失敗して、ソニーとMCUごちゃまぜ状態の世界崩壊お祭り映画になり、なんとかして元に戻す」という構想が生まれた・・・というのが、私が妄想する、この映画がこういう映画になっている理由です。

その難しい案件を考えると、まあ、この映画の出来は素晴らしい。間違いなく面白いし、その状況を逆手にとってよくこんなに魅力的なシナリオを作ったなと感心せざるを得ません。そして、この新しいMCU版スパイダーマンのシリーズの魅力もしっかりと出ています。ずっとスパイダーマンのシリーズを見てきた人にとって、あるいはMCUと付き合ってきた人にとって、こんな心にしみる映画はありません。

とはいうものの、MCU版スパイダーマンシリーズしか観ていない人、あるいは、この映画だけを観た人にとってはちょっと問題のある作品であることは否めません。

そもそも、ヒロインを演じているゼンデイアが「ピーターとMJの2人がハッピーにならないこのエンディングは気に入らない」って言ってるとおり、後味は良くないですわ。3部作で考えるなら、2作目でピーターとMJの関係に問題が生じて、最終作で解決しないといけないのに逆になっちゃってる。さらに、今回の状況はスパイダーマンがストレンジに任せとけばいいのに自業自得で引き起こしたようにも見える。まあ、それは「スパイダーマンはヒーローとして未熟」ってのがMCUの中でずっと提示されてるし、高校生なんでしょうがないとも思えるんだけど、今回はその結果がかなり悲惨なので観ていて辛いというのがある。そして、スパイダーマンを元に戻すということは、もう一回ベンおじさんが死ななきゃいけない。その結果、人気キャラクターのメイおばさんが死ぬことになっちゃった。これが、どうしても「必要だからこのキャラここで死にます」ってのがみえちゃうんで観客に理不尽な印象を与えちゃう。

というわけで、私はこれは間違いなく「ある種の達成」だと思うし、そんな状況をメタに取り込んだ作品として1つ上のレイヤへの奥行きを感じさせる素晴らしい作品だと思うんですが、それはまあ、バックグラウンドをある程度知っているからであって、庵野秀明と90年代のエヴァを知っていて「シン・エヴァ」を観るかどうか問題なわけです。この作品だけ、あるいはMCUのスパイダーマンだけを観ると、これは作品として成立しているのか・・・と思わなくも、ない。ただ、前作の「ファー・フロム・ホーム」からして「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観ていなくて成立しているのかというとそうは思わないし、「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観るためには13本ぐらいその前に観ておかなければいけないんで、それは言ってもしょうがないんじゃないのかなと(笑)。そのぐらいが要求されてるんなら、ついでにソニーのスパイダーマンと「スパイダーバース」も観ておいたらいいんじゃないかと。

でも、そんな作品を手放しで「いい映画」って言っていいのかってのは、思いますよね。うん、難しい。でも、見事な技を見せられたんで、私は満足。そんな感じで!

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シン・エヴァンゲリオン劇場版

正直、もう完全に忘れてましたし、私の中では終わってました。いや、そりゃそーでしょ。「Q」って2012年ですよ。今更、やるよと言われても・・・

とはいえ、観ないという選択肢もない。しかも、どうやら評判は上々だ。というわけで、公開初日は避けーの、かといって、最初の週末も避けーのってことで3/11(木)の17:00に日比谷のIMAX。前日に、発売当時に買ってシュリンクも破いてなかった「Q」のブルーレイを観ておさらいです。

・・・いや、それにしても「Q」はホント、さっぱりわからないね。こりゃ、覚えてないのもムリはないな・・・。

あまりにさっぱりわからないので、「シン」がいきなり「Q」とはまったく無関係の何かであっても不思議ではないと思ってましたが、思いっきり「Q」の続きからだったので逆にびっくりしました。

さて、「破」の感想で以下の様に書きました。

もともと、テレビ版のエヴァは途中入り組んではいますが、大きく4つのパートに分けられます。

  1. 大怪獣活劇(代表的には6話)
  2. 楽しいキャラアニメ(代表的には9話、13話)
  3. 90年代的カタストロフアニメ(代表的には19話)
  4. キャラクターの存在意義を問うメタアニメ(代表的には20話や25話)

「破」は2番目と3番目が取り上げられてます。4番目の要素は最小限に抑えられています。また、テレビ版との大きな差として、今回は碇シンジの物語になっています。テレビではアスカ、ミサトも主人公扱いでした(レイはまたちょっと違う扱いですな)が、今回はアスカやレイは「シンジを取り巻く人達」として描かれていて、その内面的な葛藤は主題とされていません。

次の「急」あるいは「Q」が、まさに俺たちの観たいエヴァかもしれません。そういう意味では、楽しいエヴァはここまでかもしれないんだぜ?(笑)

で、「Q」はほぼ、3番目と4番目だけで出来ているようなものでした。あからさまなメタ描写こそないものの、荒廃したネルフ本部は完全にこの世のものではなくなってます。いくら何でも、ゲンドウと冬月、アヤナミ(っぽいもの)とカオルだけしかあそこにいないわけないし、天井もないあんなトコロにピアノ置いておけるわけないし、まあマジックリアリズムというか、村上春樹っぽい不条理さというか、既に半分以上、ストーリーが放棄されてます。

そして、すれっからしのエヴァファンはよく理解しているように、エヴァにおいては理解できなくなったら理解しなくていいサインです(笑)。それは「主人公であるシンジがわけのわからない状況に追いやられているので、当然、観てるあなた方にもわけはわからないのです」ということで、親切な庵野監督はそういう場合には登場人物に「わからないよ」とか「おかしいですよ」とか言わせるので、そうなったらおかしな事になってるんだなと思えばOK。とにかく「Q」は「やれっていうからやったらちょっと楽しくなってきたのに、なんかいつの間にか酷いことになったのはお前のせいだと周囲から責められまくり、まったくわけがわからず、そんな中でも唯一『頑張ればなんとかなるよ』と言ってくれた人のことを信じて頑張ったら、マジで超ヤバいことになってわけもわからず茫然自失」という心理状態を執拗に丹念に100分かけて書いただけの話なんで、まあ、わけがわからない。大変ですわ。

それを受けての「シン」は、ついに「得意のメタ視点」全開。線画でるわコンテでるわ実写でるわという旧劇場版要素に加え、ついには(CGで作った)ミニチュアセットでるわスタジオでるわTV版のテロップでるわの大盤振る舞い。いやあ、エヴァだねぇ(笑)。エヴァみてる気がしてきた。

というところでこれ以上のネタバレはマズかろうということで、以下は観た後でお読みください。いや、まあ、ネタバレされて面白くなくなるような話でもないけども。なんせ、ストーリーは例によって半ば放棄されてるからねぇ・・・。

 

 

 

 

 

 

さて、今回意外なのは「Q」であれだけ精神的に追い込んだシンジのトラウマを回復させるパートがあったこと。これまでメタアニメパートは、精神的に追い込まれたシンジ(や、旧作的にはアスカやミサト)の狂気と救済を描くためにあったわけだけども、今回のシンジくんは田舎暮らしで回復して、元気です。あれ?じゃあ、誰が・・・ってゲンドウかい。というわけで、なんか最後、話の主人公がゲンドウに移ってしまいます。

「破」あたりではゲンドウとシンジの関係が旧作とは違っている描写があって、今回のゲンドウは単なるわけのわからない状況装置ではない感じになってたんですが、「Q」ではその当たりはガン無視だったんで・・・。ただ、ストーリーの構造上はラスボスの位置にいるんだから、作劇的にはまったく正しい。いやー、今回のゲンドウさんはラスボスだったわー。ゲンドウさん、自ら動くタイプだと思ってなかったからびっくりしたわ。ゲンドウさんが甲板に自ら降臨なさるあたりから、TRIGGERのアニメになったのかと思いました。まあ、今石監督もたぶん関わってはいるんだろうけどさ(笑)。

というわけで、「なぜ、わざわざ追い込んだシンジを回復させるパートを必要としたのか」というのがこの映画の本質なんだろうなと思います。なぜなら、そこがTV版や旧劇場版と最も違うところだからです。ゲンドウさんがひとつ目になっちゃったのは、たぶんこの変更の副産物だと思います。そこは・・・やっぱり庵野監督の経験もあるんだろうし、今日はたまたま311の日ですけど、震災から10年の間、多く語られなければならなかったトラウマと回復の記憶も無関係ではないんでしょうなあ。

もちろん、大きく観ればこれは24年前の呪いに満ちた劇場版と語っている内容は同じだし、正直、「またその話ですか」感はなきにしもあらずです。実際、ファンの中には「そういうメタアニメ的な観念的な部分は抜いて、謎と伏線とアクションとストーリーと世界観が美味しいエヴァを見せてよ」という期待がある程度、あったと思います。少なくとも「序」はそういうアニメだったし、「破」の段階でもその範疇に収まる可能性はまだありました。ただ、「Q」「シン」と見終わって、まあ、エヴァはこれだなって感じは(しぶしぶながら^^;)あります。作り物の世界、人と人とが向き合うことを避けた世界と現実世界の狭間を突きつけるという意味では変わってませんが(また綾波でっかくなってたしな)、「輪になって『おめでとう』」に比べれば圧倒的な祝祭的雰囲気に満ちた映像は、何か大きな違いを感じさせるものでした。

いや、しかし疲れた。長い。アクションのボリュームが凄いからお腹いっぱい。ともあれ、長い間お疲れ様。ウルトラマン、期待してるぜ。

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TENET

クリストファー・ノーラン監督の最新作、テネットを見てきました。

ノーラン監督の作品はなんと言っても脚本が素晴らしい。基本的にはギミック先行だと思うんですけど、やってみたいギミックがあって、そのためのストーリーを作って、さらにそのギミックの説明を視覚的にどう説明するかとう設定をちゃんと作る。これが出来る人はそんなに多くありません。

で、今回のテネットは、時間の逆行。つまり、フィルムの逆回しです。フィルムの逆回しって、取って逆に再生するだけなのでいたって簡単にできます。その映像はそこはかとなく、面白い。

しかし、その映像は真面目に考えるとなかなか難しい問題をはらんでいます。ほとんどの物理現象は時間に対して対称です。つまり、時間tを含んだ式があって、そこにt = -tを代入しても意味が変わりません。ところが、熱力学はそうはいかない。ものが粉々になることは統計的に起こりやすいけど、粉々なものが1つにまとまることは起こりにくい。起こりにくいことが起きていると「あ、これは逆回しだな」とわかるというわけですね。

では、この逆回しの世界が現実に起こるなら。このアイデアからこの設定を思いつくのはなかなかですよ。でも、ネタバレになるから書けないよ。

さらに、逆回しの世界を認めると、時間が逆行するので因果律が壊れます。つまり、事態は速やかにタイムトラベルものになるわけです。古今東西の時間SFにはタイムパラドクスをどう誤魔化すか、あるいは逆手にとってあっと言わせるかという課題があります。もはや、「バック・トゥ・ザ・フュチャー」から35年も経っているので、あんまり素朴なものをやるわけにもいきません。しかし、真面目にやるとどんどんフィルムの中の原因と結果がこんがらがり、観客の耳から煙が出ます。どうするか。ノーランの結論は、出るのはしかたないだろう、みたい(笑)。

今、何が起きているのか。誰が何をしようとしているのか。ラストの危機はどう解決されたのか。わかりづらい。見終わった直後の感想は、「すげえけど、こんなもんがヒットするわけないだろう」でした。でもね、すげぇからいいかなという気にはなりますし、「で、ここはどうなってたの?」ってメッチャ語りたい映画なんで、これはこれで成功なのではって気がする。こういうことだったんだーってわかった上でもう一回観に行ったら、画面のあちこちで新たな発見があって面白そう。うん、やっぱりノーランはいいなあ。

というわけで、ネタバレしたいと思います。とりあえず、観てきてからこの下は読んでね。ただ、あんまりネタバレが気にならないタイプの映画かも知れない。観に行くつもりが無い人は、下を読むと見てみたくなるかも。


 

 

 

というわけで、やりたいことは逆回しです。

逆回しの格闘シーンがあって、逆回しのカーチェイスがあって、逆回しのジャンボジェット激突があって、逆回しの拠点制圧戦があります。バッカだなー(笑)。でも、これを大真面目に撮影して、007ばりのスパイ映画にしちゃうんだから、これはもう「バカSF」の1つの頂点です。逆回しバージョンを面白くみせるためには、いったん順行バージョンをみせておかないと行けないので、上記のシーンは全部順行版があります。順行バージョンがつまんないとこの映画は辛いので、そっちもちゃんと面白いのが素晴らしい。そのために格闘シーンには不活性ガスで息が出来なくなるというスパイスがふられてるし、カーチェイスは普通のスパイものによくある盗みのシーケンスがもの凄く上手く描かれていて楽しいし、ジャンボジェットは本物を爆破してるし(マジかよ)、拠点制圧戦はなんと順行と逆行が同時進行です。わけわかんない。

これが全部面白いから、ホントすごい。どの人が順行でどの人が逆行かわかるように「逆行していると外気が吸えないから酸素マスクしている」というルールを入れてるのもナイス。ちゃんと絵で見てわかるようにしてくれるの素晴らしいです。順行と逆行は回転ドアで切り替えられるんだけど、それぞれのサイドが青と赤でライティングされていて、色でも今逆行中の映像なのか区別できるようにしていたり、すごくよい。

後は、物理出身としては、この映画が「素粒子の擬人化」になってるのも可笑しい。順行版と逆行版の同一人物が接触すると対消滅するって言ってて、これは電子と陽電子みたいな反物質をイメージしているわけですが、本当に逆行世界のものが反物質で出来ているなら、あらゆる物質と接触した瞬間に対消滅しちゃいます(だって、反物質も物質もそれぞれ電子と陽電子を山ほどふくんでいるわけだから)。でも、個人と個人でしか対消滅しないと言ってるのは、これは擬人化ですよー。新しいよね、素粒子の擬人化。

そもそも、素粒子物理学では、対消滅を「時間の逆行」と捉える考え方もあります。例えば陽電子は電子の質量以外の属性が反転している粒子ですが、電子が時間を遡っていると電荷などの属性が反転して見えると考えるとします。そこで、電子がふよふよーと漂っていて、ある瞬間時間を遡るとします。すると、その瞬間から電子は陽電子に見えるようになるわけですが、時間を遡っているので反転した瞬間から先の時間にはこの陽電子は存在せず、反転した瞬間から過去に「存在していた」ことになります。これを一定の方向に流れている時間でみると、電子と陽電子が漂っていて、2つが出会ったら消える様に見えると。でもそれは消えたのではなくて、引き返しただけだと考えることもできるわけです。この理屈を押さえた上で、回転ドアのシーンを観ると面白いよ。

で、そういうギミック中心の映画なんで、登場人物の行動は、大分謎です。主人公の素性も動機もわからない。名前もわからない。なんでこんな理不尽な任務に一生懸命なのかも謎。なんで任務を危険にさらしてまでヒロインを助けようとするのか謎。悪役のモチベーションも謎。「余命幾ばくもないからやけになっている」って、やけになっている人はインフィニティストーンを集めません(笑)。

そういうわけで、めっちゃびっちり考え抜かれていて、それが映像的快感にがっちり結びついているところもたくさんあるけども、「ちゃんと考えてないでしょ?」「ノリでそうなったら面白いからそういう設定にしただけでしょ」みたいなところも一杯あるのはご愛敬。そこは全然疵になってないと言い切って良いと思います。いや、気にする人はすると思うけど、ちゃんとしたってこの映画が良くなるとは思えないって。その辺の割り切りもすごくよいです。

いやー、このぐらい「バカ」が入ってきた方がノーランはいいと思う。

問題は、どう頑張っても続編が作れないぐらいだな(笑)

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機動警察パトレイバー the Movie 4DX

緊急事態宣言によって日本から消えかけたCOVID-19は、我々が我慢しきれなかったために消えきらずにまた徐々に感染者が増え、今ではすっかり緊急事態宣言前に逆戻り。そんな難儀な日本は、本来、オリンピック開幕式をやるために設けられた4連休を迎えました。

そんな中、延期になっていたパトレイバー30周年記念 4DX公開がひっそりと始まっておりまして。連休の外出はおひかえくださいってたって、これは観ないわけにはいかないわけで。感染リスクを顧みず、豊洲まで観に行ってきました。ま、高いんでレイトショー。公共交通機関は使いたくないんで行き帰りともタクシーでございます。贅沢ね。

映画館に着いてみると、やっているものは昔の映画ばっかりだったりで、「ここは昭和何年なんだ」感があります。我々が観る劇場版パトレイバーは1989年公開。昭和が終わった頃ですなあ。当時、模型誌にはガレージキットは紹介されていたと思うので回転灯のついたおかしなロボットのことは認知はしていたと思うんですが、なんせ中学生なんでOVAなんて観るような歳でもなく、パトレイバーをちゃんと観るようになったのはTV版の途中からでした。なので、P2は勇んで劇場にいきましたが、この第1作は劇場では観てません。

劇場では観てませんが、まあ、素晴らしい作品です。ビデオは何度観たかわからない。サントラも何度聞いたかわからない。映画の始まりを告げる帆場の静かなシーンにかかる「夏の嘲笑」からの、オープニングテーマである「ヘヴィ・アーマー」の4分間。一言のセリフも無く、どんな重要なことが起きているのかの説明もなく、ただ音楽の盛り上がりと共に激しい戦闘シーンが繰り広げられて、曲が長調になってタイトルバック。素晴らしい。もうこの5分間を劇場の大スクリーンで、がっつんがっつん揺さぶられる椅子で、(1989年にはまだなかった)5.1chサラウンドで、観られる幸せ。くぁー、もうね、長生きはするものですね。そして、ラスト、迎えのヘリが飛んでくるシーンからエンディングテーマ、名曲中の名曲である「朝陽の中へ」の4分きっちりで終わるエンドクレジット。すぱんっと終わり。

もうね、何度観ても心地良い。テンポが最高なんですよ。出来事がテンポ良く繋がっていく。OPの無人コックピット、レイバーの暴走、コンピューターウイルス、野明の不安、後藤の陰謀、松井の追跡、嵐、決戦。ぽん、ぽん、ぽんと、本当に気持ちいい。こんなに良く出来てる映画、他にあるかな。決してわかりやすい話じゃないです。コンピューターウイルスの話ですから、ヘタすれば地味。犯人はもう死んでるんで、追い詰めて対決・・・なんてわかりやすい構図も作らない。動機も明確には語られない。アバンで帆場がカラスを抱いているのも何を象徴しているのか観客は考えなきゃいけない。最後、野明とイングラムは何と対決しているのか、はっきりとはよくわからない。でも、そのややこしい話をすーっと見せて盛り上げちゃう手腕が凄い。映画が終わった後、たぶん私よりかなり若いお客さんなんでしょうな、思わず、「すっごい・・・面白い」と歓声を上げてました。だよねぇ!

そんな最高の映画を劇場でみせてくれるだけじゃなく、4DXです。椅子が揺れるのはいいとして、水が出ます。あれ、ともすれば鑑賞の邪魔って感じもするじゃないですか。でも、考えてみて下さい。劇場版パトレイバーですよ。最後、台風が来る映画なのよ(笑)。嵐の出陣のところは、もうずーっと雨降ってるんですよ、劇場の中も。こんな映画体験初めてですよ。でも、しょうが無いよね。嵐なんだから。ここは、否応なく盛り上がりました。ただまあ、マジで結構濡れるんで覚悟してください。いいよね、夏だしね。

というわけで、まあ、最高の映画だし。劇場で観られるチャンスなんでもうたぶんないし、4DXともなればあり得ないし、これはもう見に行くしか無いんじゃないの?

というわけで、みなさまも是非。今、劇場は席をひとつおきにしかお客さんをいれてないのでチケット取りづらいですけど、取れれば両側の肘掛けをがっしり掴んで揺れる椅子を満喫できます。あー、もう一回行こうかなあ。

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スタートレック:ピカード

Netflixで「スタートレック・ディスカバリー」、ディズニーデラックスで「スターウォーズ・マンダロリアン」が放送中の中、Amazonからは「スタートレック・ピカード」が登場。結局、全部入るしかないんですね?あ、huluが息してないんですけど・・・

それはともかく、「ピカード」ですが、1話観ました。もちろん吹き替えで。Netflixは字幕と吹き替えを観ながら切り替えられるんですが、Amazonは字幕版と吹き替え版が別の番組扱いになってることに気がつかずに、最初のシーンは字幕で観ちゃいました。いかんいかんと吹き替え版を探して再度、観たわけですが、例のポーカーのシーン、やっぱり麦人さんと芳忠さんじゃないとしっくりこない。

しかしまあ、「ディスカバリー」の方は歴史から消された船の話なんで逆にこれまでのスタートレックの歴史をあんまり知らなくても楽しめる様になっているんですが、「ピカード」はもう、これは「新スタートレック」の全178話と劇場版4作、そしてリブート版の1作目を全部観ている人向け。

なんせ第2シーズンの「人間の条件」を観てないとマドックスがどういう人かわからず、第3-4シーズンのクリフハンガーだった「浮遊機械都市ボーグ」および劇場版「ファーストコンタクト」を観ていないとボーグとピカードの関係がわからず、第3シーズン「アンドロイドのめざめ」を観ていないとデータの娘という話がピンとこない。浮遊機械都市ボーグ」 のエピローグである「戦士の休息」と、劇場版「ジェネレーションズ」を観ていないとなぜピカードがワイン農場を持っているかわからないし、リブート版「スタートレック」を観ていないと当然の様に語られる「ロミュランが超新星爆発で大打撃」という事件も知らない。そして、178話の第1話と最終話を見ていないと、ポーカーで「Qのファイブカード」を観ておおぅと思うことも出来ないし、劇場版「ネメシス」を観ていないとデータとB4がどう違うのかもわからない。

いや、こりゃ随分とマニアックなものをこさえましたな・・・

だが、それがいい

というか、そういう私みたいな人が世界中にいっぱいいるってことなんでしょうなあ。

そういうハイコンテクストな作品であり、かつ、「ディスカバリー」と違いテレビで放映しない作品ということもあって、かなーり説明が少なくストーリーの追いづらい作品になってます。まあ、いいんでしょうね、これは一見さんお断りってことで。私としては全然OK。例によって連邦のユニフォームがどうなっちゃってるのかがよくわからなかったけど、まあ、それはいいよね(笑)。

というわけで、全10話楽しませていただきたいと思います。ん、前日譚のマンガがあるの?英語?うーん、大変だなあ。とりあえず、買ってみるけど(安いし)、読めるかなあ。

 

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フォード vs フェラーリ

モータースポーツファンの教養ですから、観てきましたとも。

と、言ってもですね。なんせこれは1966年のル・マン24時間レースの話ですから、何が行われているのかさっぱりわかりません。

私も多くの日本人と同じようにマツダ787Bが日本車として初優勝した1991年にル・マンの存在を知り、ちゃんと追っているのはGT1規定になったころから。ポルシェ911GT1が超格好良くて、メルセデスのペラペラのマシンが空中を舞っていたころです。その時代だって今からもう20年以上前なんですけど、この話はそこからさらに30年前。ハントとラウダの話を映画化した「Rush」も教養として観に行きましたが、あの映画の10年前なわけです。

劇中に出てくるドライバーの名前と言えば、ダン・ガーニーとかブルース・マクラーレンとか。ガーニーがガーニーフラップのガーニーだし、マクラーレンはあのF1のマクラーレンチームのマクラーレンであって、ドライバーとしてどうだったかとか、知りませんもの。翌年のル・マン優勝者が佐藤琢磨をチームオーナーとしてインディーカーで走らせていたあのA.J.フォイト御大(御年84歳)ですから、まあ、すっかり昔。

ル・マンだって今と全然違います。ドライバーはフルフェイスのヘルメットどころかゴーグルをつけて走っているし、夜は本気で真っ暗だし、ユノディエールにシケインがないどころかフォードシケインすらないし(まあ、フォードがル・マンに出始めた頃の話なんだからそりゃそうだ)、ホントにルマン式スタートをやってますし(1970年までだったらしい)。

レースというものの価値も、レースチームの規模も、ドライバーという存在も、今とは全然違う。そういう時代のお話です。

とはいえ、数年前にフォードGTが復活して、ル・マンのLGT Proクラスでガッチガチの争いをしていて、その姿に66年に初めてフォードがフェラーリを打ち破ったという伝説とその時のGT40というマシンを重ね合わせて楽しんでいるというのはまったくもって教養のなせるワザであって、それをこうやって最高の映画の形で教えてくれるというのはホントにありがたいことです。

いや、映画はね、ホント、いいんだわ。とにかく、マット・デイモンがいい。良い役者ってのは、ほんと素晴らしい。お話の組み立てもいい。テンポも最高だし、後半30分まるまる使ったル・マン24時間レースのシーンもとても良い。フェラーリがフォードの買収提案を蹴ってフィアットの傘下に入り、怒ったフォードがル・マン24時間に打って出る。それに手を貸したのがあのコブラで有名なシェルビー。そういう大まかな歴史は知っていても、ドラマとして見せられるとびしっと頭に入る(いや、多少ならずも誇張はいろいろあるんだろうとは思うけどさ)し、シェルビーがル・マンを勝った初めてのアメリカ人だったとか知らないこともいろいろあるし。燃えるし、泣ける映画観て、教養まで付けばいうことなし。というわけで、モータースポーツファンは全員観るべし。

そうじゃない人が観て面白いのかどうかは、私にはわかりかねます。ま、でも、たぶん面白いと思うよ?

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