プロジェクト・ヘイル・メアリー

原作が発売された時から映画化は決まっていた「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。当時の感想はコレですが、まあ、もう傑作なのは間違いない。私は「火星の人」の方が好きなんですが、でも、SFとしてのスケール感としては圧倒的にこっちで、アンディー・ウィアーが次のレベルに達したなってのはみんな感じました。

で、みんな待ってた映画ですが・・・大満足でした。「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を映画にするならこうじゃなきゃっていう、まさに理想的な形です。まあね、あの「スパイダーバース」の人が映画化してるんだから、もうやってくれるのはわかってました。ビジュアルは最高!ロッキーの造形も最高!めっちゃエモい科学賞賛映画でした。

ラスト以外はね(笑)

いやー、それは「火星の人」も同じだったんですが、ラストだけはどうしてもなー。わかりますよ。1,800円払って映画観て、原作通りのラストだと厳しい。ちゃんとハッピーエンドにする必要がある。でも、原作のラストはめっちゃ格好いいんで、そこだけはねー。

贅沢ですよ。映像作品としてはホントに最高なんで。宇垣美里さんとか宇多丸さんとか「でもさー」って言いまくっていて、言っていることはわかるけど、別に満足だけどなー・・・みたいな。

で、原作読み返してみるか・・・と4年ぶりに原作を読んでみたら・・・確かに原作のオモロポイントはことごとく映画になかった(笑)。映画を観て帰ってきたら原作の良かった点は全部忘れてましたわ。

しかし、しかしですよ。原作のオモロポイントをことごとくなくしてもこんな面白い映画になるんだから、やっぱ原作は素材として良くできてたってことなんだと思うんですよ。原作のストーリーのベースがやっぱ良くて、そこに小説はウィアー節が乗ってて、映画はフィル・ロード&クリス・ミラーのめくるめく快感が乗ってる。どちらもいい。が、なんか別の何かとして成立している。それはある意味、最高なのかも。なんか、最近の原作付きアニメとか「ちゃんと原作が映像になっているか答え合わせ」になっちゃってる例もあるじゃないですか。原作が好きで、アニメを観たら「おお、ちゃんとしている・・・がそれ以上でも以下でもないんで、話は知っているから続きは観なくていいか」みたいな。どんな作品のアニメ化も「涼宮ハルヒ」になるわきゃないんで、そういうものです。でも、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」はそうじゃないってことなのかも?

とりあえず、原作を読んだのに観に行ってないのはあり得ないし、原作読んでない人はそれはそれでラッキーってことで観に行った方がいいと思います。うん。

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8番出口

映画「8番出口」を観てきました。

映画の「8番出口」、わりに評判良いですよね。ゲームは知ってて、それを川村元気さんが、二宮和也主演で映画化したと。いっちゃなんだけど、ウェルメイドなアイドル主演映画にしたと認識してて、まあ、そういう人は正直たくさんいて、期待値を下げて見に行ったら意外といいじゃんと、みんなそういう感じみたい。

なるほどなー、ちゃんとやってんだなー、えらいなー・・・ぐらいの気持ちでいました。

それでたまたまアトロクで宇多丸さんが「佐藤雅彦ファンは注目だ」と言ってるのを聞いて(ずいぶん前の放送分です)、「なにぃ〜」となったので慌てて9/22にレイトショーで観てきました。

よくできてる。格好いい。

えっと、この映画の監督は川村元気さんなんですけど、監督補に平瀬謙太朗という方がクレジットされてます。この人、慶応SFCを出て東京藝大佐藤雅彦研究室にいって、「五月」という監督集団を佐藤雅彦さんと一緒にやっているという、まさに佐藤雅彦さんのお弟子さんみたいな方なんですね。だから、映像のテクニカルな部分、物語の構造的な部分はかなり佐藤雅彦チックです。つまり、方法論ありきってことです。

ストーリーの情緒的な部分はたぶん川村さんの個性だと思いますし、それがこの映画のポップさ(二宮さんはこのポップを担っているわけですよね)に上手く寄与しています。逆に、もともとのゲームの持っている構造的な部分、メカニカルなルール、そしてそれが醸し出すキッチュさ(川村大和さんはこのキッチュさを担っているわけです。だから、キャストもすごく上手く出来ている)は、平瀬さんが作り出しているんでしょうね。

全体としては、これは「あのゲーム」の映画化で、それをべたべたのストーリーものにしてしまったらファンから袋だたきにあうに決まってます。なので、全体のトーンは平瀬さんよりです。それにしても、こう書いていて、「ルール」に「トーン」ですからね。すごく佐藤雅彦的ですよね。

その、「ゲームファンを失望させない」「二宮くんを見に来た人も飽きさせない」「二宮くんが出ているだけで舐める観客を驚かせる」「2011的であり、2019的であり、2025的である目配せを忘れない」「ただ通路を歩くという制約の中でのカットとカメラワークで芸を見せる」などなど、「それ全部成立させられんの」的な離れ業をこの短期間で(そりゃだって、ゲームのヒットの後企画したわけでしょうしね)やっていて、

 

こりゃすげぇ

 

としか言いようがないです。もちろん、ストーリーで泣かせるとかないし、感動の1作とかではないです。テーマの凡庸さはラジオの中でもリスナーから散々言われてましたが、まあ、構造側がすごいんでこれでテーマが深かったらポップになり得ません。このテーマを語りたいんじゃなくて、このゲームと映像の構造にあうストーリーを持って来てるんだから、そういうもの。宇多丸さんはそれでもラストに突っ込んでましたが、いや、私的にはキャストも含めて文句の付け所ないですわ。感服です

 

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ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング

トム・クルーズの「ミッション:インポッシブル」シリーズの最後を飾る(ということでいいんですか?)前後編の、後編。前編の感想はこちら。

あたかも「アベンジャーズ・エンドゲーム」のような祝祭感のある1本で、なんせ映画が始まる前にわざわざトム・クルーズが日本の観客に向けてメッセージする映像が入るという特別感。あのですね、役者がこれから芝居をするという時に、中の人として挨拶をすることはありません(笑)。つまり、もうこの作品は、「ミッション:インポッシブル」のイーサン・ハントという役を借りて、トム・クルーズが芸を見せる映画です。言ってしまえば、羽生結弦が陰陽師っぽい衣装を着て、それっぽい音楽でスケートするけど、「まるで華麗な陰陽師という架空の存在があり、それを体現する」とかではなもちろんまったくなく、単にすごい羽生結弦を見る以外の何もでもないというのに近い。今回の映画では、トム・クルーズは何をやるのか。そのシークエンスごとに技術点・芸術点がつきますというような、謎の映画です。少なくとも、「エンドゲーム」はトニー・スタークやスティーブ・ロジャースという映画の中の人物が結末としてどーなんのといういうのが観客の興味です。でも、この映画の熱心なファンは、トム・クルーズが最後に何をやるのかという、トム・クルーズという映画史に輝くアクションスターが、今回どんな映画を見せてくれるのかを見に行ってます。これがね、「トムがどんな演技をするのか」とか「どんな格好いいトムの活躍シーンが見られるのか」だと、それはトム・クルーズのアイドル映画になってしまうわけですが、あくまで「トムはどんな映画を見せてくれるのか」なわけです。トムが考える「すげぇ映画」というものがどう提示されるのか。そこには当然そんなこと世界でトム・クルーズしかやろうと思わないし、出来ないし、やらせて貰えないというアクションシーンが含まれるわけですが、それだけでもなくて、アクションやスタントに対する考え方や、映画を作るシステム、そこで働く人の倫理や今後の映画のビジョンみたいなものまで入っている。なので、このトムはこの映画の監督ではなく、プロデューサーなわけです。同人ですらない。出版社を経営している漫画家みたいな状態です(笑)。

そして、ここが非常に面白いところだと思うんですが、稀代のアクションスターが考える「これが俺の出せる最高のアクション映画だ」というものは、我々から見るとかなり歪です(笑)。言ってしまえば、変です。今思えば、前編はそんなに変じゃありませんでした。前編の感想で「この映画はこれまでのアクション映画のショーケースだ」と書きました。はっきりそれが意図されてたと思います。なので、映画は「鍵を奪い合う」という単純なルールに基づく、アクションに次ぐアクションに次ぐアクションでした。後編と並べると、これはフィギュアスケートの規定演技と自由演技みたいなものです。前編は規定でした。しかし、フリーにはこれまで誰も観たことがない名前がまだ付いてないようなジャンプも入ってれば、独創的な演技も要る。「ファイナル・レコニング」には、これまでもシリーズゆかりのキャラの再集合や、世界が破滅一歩手前まで行く深刻な危機や、イーサンのチームを揺るがすドラマがないといけない。そうじゃないと、トムの考える「最高のアクション映画」にはならない。ただし、あくまでそれは「最高のアクション映画」でなければならない。政治パートがめっちゃ面白かったりそこのキャラが全部を食っちゃったりチームのドラマで号泣されてはならない。それは入ってるんだけど、それ以上にそこにはモリモリにアクションが入ってないといけないし、なんなら観客が「これどうなるんだろうと思ってドキドキ見ていたらアクションが凄すぎて細かいことはどうでも良くなって全力でみんなを応援する気持ちになる」というのがゴールだと。

これはだいぶ偏った理想なので、「いや、それは私の考える優れた映画とは違うなあ」という人も多いでしょうし、「スパイ大作戦」のファンは「スパイ大作戦でやんなよ。自分のシリーズでやれよ」と思うかも知れないです。でも、それはそれとして、このトム・クルーズの理想は理解はできるし、実現の困難さも想像に難くないし、なにより、結構できてるだろうと思います。これが理想だというと、作ってるトム・クルーズや監督のクリストファー・マッカリーは「いや、まだまだ気に入ってないところもいろいろあるし、やりたかったことは他にももっとあったんだよ」と言うかもしれないですけど、いや、これ以上はしんどいって。観てる方だって、お腹いっぱいだって。もうね、見終わった後ぐったりですよ。

という感じで、ネタバレなしで語れるのはこれぐらい?いや、ネタバレしちゃダメなタイプの映画ではすでにないんですけど、一応ね。もう、ネタバレの感想は書きません。アクション最高でした。シナリオはツッコミどころ満載だけど、必要十分です。「エンドゲーム」と同じような映画の歴史の1ページなので、みなさん、見に行きましょう。義務です。

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教皇選挙

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フランシスコ教皇の死によりいきなりタイムリーな映画になってしまった「教皇選挙」を遅まきながら観てきました。

全世界13億人の信者を抱える宗教のトップですから、新しい教皇が選ばれるのはもちろん歴史的に大きな出来事です。とはいえ、大半の日本人にとって馴染みがないことといえばそうでしょう。なくなったフランシスコ教皇はかなり改革派の教皇だそうですが、それゆえにバチカンの内部では保守派と政治的な対立などもあるんだそうです。ちなみに、この人はアルゼンチンの人で、初めてのイエズス会出身の教皇なんですって。イグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルが作ったあのイエズス会です。まだあるんだね(私のカトリック知識はそのレベルです)

そういうバチカン内部あるいはもっと世界的な保守派とリベラル派の分断を背景にしているこの映画。もちろん、フィクションですがフランシスコ教皇が選出された2013年のコンクラーベ(教皇を選ぶ選挙のこと。この映画の原題もコンクラーベ)が直近ですから、それを取材して作っているのは間違いないですし、フランシスコ教皇に様々な批判があることも踏まえているんでしょうな。

さて、バチカンに政治的な思惑が渦巻きまくっているであろうことは確かですが、それと共に個人的な野心だって渦巻きまくっていることも確かなんでしょうね。劇中の登場人物のセリフで「枢機卿になって、教皇を夢みない奴なんかいない。みんな選出されたら名乗る教皇名を心に決めているものだ」みたいなことをいう奴がいるんですが、そりゃまあ、そうかもですね。枢機卿は100人以上いるので(だって、世界中のあらゆるところにいますからね。フランシスコ教皇はイタリア系のアルゼンチン人ですが、アラブ人だって、インド人だって、アフリカ人だってそりゃいるでしょう。ちなみに、今、日本人の枢機卿は2人います)、みんながみんな教皇になりたいと思ってるわけじゃないと思うんだけどね。

で、コンクラーベってのは、世界の枢機卿が集められて、ただひたすら決められた得票数を取る候補者が現れるまで秘密投票を繰り返すという仕組みになっています。なので、最初は投票結果はかなりバラバラなんですが、それを見込みのある候補者にみんなが絞っていって、最終的に1人を選び出すと、そういうことですな

で、権謀術数や説得や蹴落としが起きます。いや、仮にも聖職者の集まりなんだからこんなにドロドロするかってぐらい、映画ではドロドロします。ここはね、実際のところがどうなのかは知りませんけど、かなりハデにいろんなことが起きます。なので、「なんか映像がキレイな感じの地味なドラマなのかな。眠くなる?」みたいな気持ちで観に行ったんですけど「めちゃめちゃエンタメやん」と思って観てました。ミステリーっぽさもあるんですけど、別にトリックとか謎解きとかはなく、単にドロドロしてます。なので、人間関係を示すために公式サイトにキャラ相関図がありますね。

みんなめっちゃキャラが立ってるので(逆にちょっとカリカチュアしすぎだろとも思います)、別にこれを観ておかないと関係がわからなくなるような映画ではないです。単に「ドロドロしてんねん」という図ですね(笑)

主人公は右上のローレンスという人です。首席なのでコンクラーベを仕切らないといけない人です。世界中からクセツヨ枢機卿が集まってくるし、この人は一応リベラル派なので、リベラルの有力候補のプッシュもしつつ、中立な選挙をやりたいと考えています。でも、「もうはじまるよ。隔離するよ−」って言ってるのに、「教皇がこっそり任じていた誰も知らない追加枢機卿が来てますけど?」とか言われたり「なんかあの人悪い噂があるんですけど、マスコミとかって大丈夫ですか?」って言われたり、次々に面倒が降りかかってきます。

あるシチュエーションで、次から次へと問題が起きるけど、なんとか選挙をやり遂げないと・・・と頑張るローレンス首席枢機卿。構図は、言っちゃえば三谷幸喜みたいです。一切笑いの起きない三谷映画(笑)。有力候補者の身に、次から次へと困ったことが起きる。ローレンスもいろんな人からプレッシャーを受ける。でも、きっと亡き教皇はコンクラーベを自分に仕切って欲しいと思っていたから自分が首席を外れたいと言ったときに慰留したんだろうと信じ、彼の思いに応えて必死に頑張ります。そして、驚きの結末は・・・いや、驚きました。そうくるか。幾重にも仕掛けられた脚本の構造に舌を巻きました。これは一流のエンタメだし、ただエンタメに留まらず、この時期に世界に出す意義があるテーマになってる。なってるけど、やはりなんといっても

 

エンタメとして面白い

 

3月から公開してるからもうすぐ終わっちゃうかもだけども、観られるんならすぐ観に行くべき。これは面白いよ

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キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド

2月に「ベルばら」を観に行った時にはすでに公開になっていたMCU最新作。まあ・・・観ないという選択肢はないんでしょうな。

そうこうしてたら公開1ヶ月が経ってしまい、近場での上映はレイトショーのみ。それも字幕だけになってしまいました。MCUは吹き替えで観る派なので、「もうディズニー+でいいかな・・・」とか思ってましたが、先週の土曜日にぱぱっと観てきました。晩ご飯食べてからタクシーで5分で劇場にいって終わったらもう23時過ぎ。でも、そんな時間にぷらぷら歩いて帰ってきても凍えることはなくなりました。春ですねぇ・・・

・・・とお茶を濁したくなるぐらい、語りどころの難しい映画です。

というのも、「エンドゲーム」でサムが盾を受け継いで、それをどう引き受けていくかという話はもうドラマの「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」でやっちゃってるし、ハリソン・フォードがレッドハルクになるってのも知ってるし。ラストのバトルも一番いいところは予告編で10回ぐらい観たし。何を話せと。

逆にね、今回はハルクの話で、実は「インクレディブル・ハルク」の続編といって差し支えない話っぽい。というのも、観てないからなあ、「ハルク」。だって、みんな観なくて大丈夫っていうんだもん(笑)。「エターナルズ」の伏線も入ってくるらしいんだよなあ。でも、観てないんだよなあ。だって、みんな(以下略)。何を話せと。

とはいえ

キャラクターと役者さんはとても素晴らしいので、映画を観てる間はぜんぜん退屈しませんでした。お話はもう、どうでもいい感あるんだけども(笑)、お師匠さんと相棒と適役と適役のおつきの人とツンデレちゃんが全部いい感じに頑張ってたら、もう2時間ぐらいは十分楽しい。問題は、この映画が始まる前と始まった後で仇役はともかく、主人公側になんの変化も成長もないことなんだけども、でも宇多丸さんがアトロクのムービーウォッチメンで言ってたとおり、とっちらかけてるエンドゲーム後のMCUをなんとか上手く進めていこうということを担わされてる一作だとしたら、サム達は「今日もキャプテン・アメリカが、世界を救ったよ」という1話完結ものの1話をやることが仕事で、その隙にいろんなものを取り混ぜてシリーズとしての方向性を出した一作なのかもしれない。物語は進んでないけど、後から見たらそういう評価になるのかもね。

それはともかく、今後の物語のキーは出てきたよね。新しいアベンジャーズを結成しなきゃいけなくて、そこには別のユニバースのヒーローが絡んでいく(さんざっぱら、マルチバースやったのはそっちに行きたいんだよね)。そして、「エターナルズ」の遺産はこの世界のヴィブラニウムを持つ特権を毀損するんだよっというのも物語の鍵だと。ぶっちゃけ、今のキャプテン・アメリカが主人公でありうるのは、ヴィブラニウムの盾と翼があってこそなので、それがなくなったときに新しいアベンジャーズは何に依って立つのだろうかというのがテーマになってくるよーという予告はちゃんと出来たんじゃないかしらん?

あ、あとですね。この映画の中で、日本がアメリカ相手にケンカ売るわけですけど、日本人的には「そんなわけなくね?もし、アメリカの大統領が慌てて飛んできて頼むわーって行ってくれたら、なんでもよっしゃーって言っちゃう奴隷根性の国ですけど、我が国って」と思ってる気がします(笑)。しますが、純粋に2025年の戦力で言えば、日本は空母2艦と艦載機があるわけですから、いずもと搭載したF-35Bでインド洋に行くことは出来なくもない。純粋な戦力的には、そういうことが出来るよねということは作り手もわかっていて、かつ中国でもこの映画を公開したいからわざわざ日本を仮想敵国にしているわけです。この設定で日本人が「買いかぶられとんなあ」と思うのはさておき、怒ったり不買運動が起きたりはしないだろうということはわかってると。

ただ、これインド洋で海上自衛隊の軽空母護衛艦の艦隊と、第七艦隊の第五空母打撃群がぶつかるんですが、アメリカはともかく日本側ってアメリカのネットワーク支援なしに運用出来るのかなという心配はちょっとある(笑)。普段、めっちゃ一緒に行動してるだろうしなあ。そもそも、日本のF-35Bってアメリカの艦にミサイル撃てるのかしら?いざ引き金を引いたらタマでなかったりするかも?(爆)

でも、いつのまにやら日本の海上戦力も、インド洋まで出張っていてアメリカとドンパチをやれなくもないというところまできてるよねと外から見られてるんだなというのも、気づきですね。この映画みたらみんなそう思うし、日本の総理大臣があれぐらいのことをいうのも違和感はないのかもしれない。うーむ。

てな感じで、レイトショーで1500円で観たこともあって、別に不満もない、いい感じのMCUでした。スターウォーズのシークェル・トリロジーに比べれば、ぜんぜん面白かったし(笑)。

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劇場アニメ『ベルサイユのばら』

Img_kvけっこう前の話なんですけど、お茶か何かのペットボトルを買ったら、「ベルばら」タイアップのキャンペーンをやってました。え、今頃、「ベルばら」?あのベルばら???

あの「ベルばら」です。新しい劇場版が作られたんですね。池田理代子原作の、あの「ベルサイユのばら」です。日本人なら誰でも知っていると言って良いでしょう。

と・は・い・へ。わたくし、なんもしりません。この世代か?といわれるとそうでもないでしょうし。妹がいましたから瞳に☆飛びまくりの少女漫画をたくさん読んで育ちましたけど、「セーラームーン」に「ハンサムな彼女」に「天使なんかじゃない」の世代です。池田理代子とはだいぶ距離がある。

知ってるのはですね、オスカルってのが出てきて、この人は男装。フランス革命の話。以上。それぐらいです。

ただ、私の妻、Milueはそこそこ詳しいみたいです。同い年なんだけどな・・・女の子はどこかで通過するものなんですかね?。学生時代の友達と見に行こうという相談をしてたらしいんですが、子供が受験だったりで、どうもみんなと観にはいけなさそうだと。というわけで、お伴いたしました。

ネタバレも別に関係ないだろうと思うので、観る直前にそもそもなんで今これが企画されたのかというようなことをぱぱっと調べました。2015年に「Dance with Devils」というミュージカルアニメを作った人達が、「次は何を作ろうか」と相談して「ベルばらをやりたいね」となったと。なので、この作品は最初からミュージカル前提として作られています。これはね、最初から知っておいて良かった。

で、その認識で観ると、このミュージカル映画はかなりよく出来ている。すごい。想像の10倍ぐらい良かった。ま、初っぱなから「これは普通の劇映画ではないですよー」って気付く作りになってます。なっがーいオープニングの歌を聴けば、まあ、わかりますが、最初からそのつもりで観た方が最初から楽しめます。

でね、これはふつうの劇映画のアニメーションではないってのは、けっこうすごいことだと思うんですよ。あー、えーっと、そういう意味では評価はだいぶ捻れている気がしますが・・・整理しましょう。

まず、演劇のジャンルとしてのミュージカルというものがありますね。「ウェストサイド物語」とか。特になんの説明も必然性もなく、不良が踊り出します。演劇の場合、ミュージカルと対になる概念はストリート・プレイです。とはいっても、演劇の場合にはミュージカルではない、ストリートプレイを観に行っても普通にダンスシーンがあったりします。それは、目の前で役者がパフォーマンスする芸能の持つ強さでもあるわけですよ。目の前で普通にセリフを言っていた役者が、シーンの切れ目でいきなり踊り出してもみている観客は「どうしたどうした、頭がおかしくなったのか」とは思いません。そもそも目の前で行われているものは演技であり現実ではあり得ないわけで、それを役者の魅力によって成立させてしまっているわけですから、逆に歌い踊り出してもいいわけです。その役者に力があれば。歌と踊りがへっぽこだとえらいことになりますけど。

さて、これが映画になった場合、すこし捻れます。なぜなら、映像にはドキュメンタリーというジャンルがありうるからです。演劇のストリートプレイを映画化した場合、それは現実にカメラを持ち込んだように思えます。実際には劇映画はイマジナリーラインを構築して演出されなければ観てる方は大混乱になってしまうのですが、演劇のように観る方向が1方向に固定されるのではなく、カットごとに視線を切り替えていけばあたかも実際にそこで起きている出来事をカメラで撮影したかのような臨場感に観客は晒されます。そうすると、登場人物が突然歌い踊り出したら「どうしたどうした、頭おかしくなったのか」と思ってしまいます。なので、ミュージカル映画というのは「これはミュージカルの文法を映像に持ち込んだものですからね」というお約束の理解が観客側に必要ですし、「必要ですよ」という誘導が映像で行われている必要があります。ちょっと成立が難しくなります。「ウェストサイド物語」の映画は、そこが異常に上手いので伝説になっているって面がありますよね。あの映画を観て「どうしたどうした」って思う人は、だいぶ察しが悪い(笑)

そして、これがアニメーションになった場合、さらに捻れます。そもそも、演劇のミュージカルというのは、目の前にいる役者が作り出す虚構性というものに支えられている面があります。演劇というのはそういう意味ではすごいパワーがあって、役者が棒を一本手に持って、それを上に向けて持って「これは傘で、今、雨が降っています」という演技をすれば、それで成立するんですね。わざわざお芝居を観に来ている以上、そこは合意の上で進んでいけます。だから、「今、私はとても悲しいので、それを表現するために歌います」と言っても成立するわけです。映像作品の場合には、そこを映像上の演出で「今、ちょっとリアリズムのラインから遠ざけるよ」と示す、例えば現実世界にはそこにあり得ないピンスポットを登場人物に当てるなどを行うことにより、「現実あり得ないけど、悲しいから歌うし、聞きたいでしょ?」という観客との共犯関係を結べます。しかし、これがアニメーションになった場合に何が起きるかというと、画面上のすべてのものが現実じゃないわけです。逆の事が起きます。手で書いた絵が、生きた人間なんだってことを、演技や演出の力で観客に納得させないとそもそも物語に入ってもらえないわけです。実写だと「現実っぽいものが踊り出した瞬間、リアリティレベルが下がって観客が置いていかれる」ということが起きますが、アニメでは「絵を頑張って現実の、感情移入可能なものに見せていたのに、歌い出した瞬間その助けがなくなる」ということになります。これはなかなか大変です。

さらに、そもそもミュージカルはなんで踊り出すのかというと、リアリティラインを下げて、登場人物の心情がそのまま歌と踊りに表出することで伝えたいものがあるわけです。役者が「おお、私はいまはっきりと苦悩している!」とセリフでいいだしたらだいぶマズいわけですが、踊るならいいかって話なわけ。でも、アニメーションだったら、モノローグで言っちゃってもいいわけですよね(笑)。そもそも歌う必要がない。BGMでも背景でもなんでも自由に使えるし、漫符を出しても横に変なマスコットキャラ出してもいいわけです。逆に、歌う必然性というものの理由付けをやれという要請が出てくる。だから、ミュージカルアニメというのはすごく希です。一番有名な例は、「アナと雪の女王」だと思います。「ありのーままのー」と歌い出すのは何でなのか。あれは、あの作品がわざわざミュージカルをやろうとしているからです。ディスニーアニメって、ミュージカルやるよねーっていうのは、たぶん観てる人の多くが共有していると思うし、あまりに「Let it go」が有名なので普段ディズニーアニメを観ないひとも「歌うんだろうね」と思って観に行ったのでバッチリでした。でも、それ以外ってあんまりない。

そこで、この「ベルサイユのばら」ですよ。あー、話が長い。ともかく、「ベルサイユのばら」はマンガ原作と最初の出崎アニメ以降には、主に宝塚歌劇団で継承されてきた作品です。漫画もアニメも別にミュージカルになんの関係もないですが、ずっと宝塚でやってるってイメージがついているので、「今度のアニメはミュージカルです」と言っても違和感がない。そして、ミュージカルをやる一番大きな問題は、複雑なストーリーを語ることができないということです。すっごい長大なオペラとかなら話は別ですが、たかだか2時間しか時間がない。予想できることですがレビューサイトなんかでは「ベルばらのストーリーが簡略化されちゃってて酷い!」という感想を書いている人もいるんです。まあ、それもわかる。でも、そもそもが「アニメでミュージカルをやる」ということがメインで、じゃあ、何をやりたいかというと「ベルばら」をやらずにはいられないんだという動機なわけで、それはもうしょうがない。なんなら、オリジナルをやるなら省けない説明を「ベルばら」なら一気に省いても問題ないわけです。だって、超有名作品で、最後にオスカルは死ぬし、マリーアントワネットはギロチンにかけられることは、観に来る全員が知ってる。じゃあ、その2人の気持ちを、ただひたすらに歌ってても成立する。こんな恵まれた作品ないわけで、思いっきり歌と踊り・・・はないから、歌のシーンの映像に全パワーをかけて、「これを観て聞いてー!!」ってやってしまえる。

はい、この作品の鑑賞のポイント、わかってきましたね。じゃあ、そのメインディッシュはどうなのよってことですが・・・これはね、最大級の賛辞を送らざるを得ない。とにかく

 

歌がめちゃめちゃ上手い

 

はいはい、オスカルが沢城めぐみで、マリーアントワネットが平野綾。そうでしょうよ。日本のアニメ界の歌が上手い女優の双璧でしょ。

それにしても震えるレベルで上手い。もちろん、沢城さんはトップ・オブ・トップの女性声優で、林原めぐみの後を継ぐのはコイツってレベルの超絶スキルを持つ声優さんですが、声の仕事しかしない林原さんと違って、3割ぐらいは舞台女優。そして、キャラソンを歌わせたら林原さんにはかなわないけど、普通に歌ったら負けず劣らずですよ。このレベルの演技ができて、このレベルの歌唱力はちょっと他にいない。そして、平野さんはもう「涼宮ハルヒ」のキャラソンをやってたとき、まだ二十歳前の頃からそのボーカルはプレスコのアニメが作られるレベル(ハルヒの「God knows...」のシーンのことね。あれ、歌ってる平野さんの映像を撮って、それを参考にして作画してるんですって)で魅力的でしたが、今や、その頃のゴツゴツした荒さなんか微塵もなく、ただひたすら上手い。いまや、平野綾といえば、9割はミュージカル女優ですからね。それでいてもちろん声優としても素晴らしい。今回、4人の主人公のなかでマリーアントワネットだけが唯一大きく成長するキャラクターですが、初登場のシーンとオスカルと決別するシーンでは年齢も内面も全く別人になったマリーアントワネットをここまでくっきり演じ分けてるのはすごい。これはたぶんね、声優経験のない役者さんだと難しいと思う。最終的なフィルムがイメージ出来ている演技。

そして、アンドレとフェルゼンの男性チームですが、フェルゼンがマリーと出会うシーンの最初にフェルゼンの歌がクローズアップされるところ。低音で押さえたマリーよりもぐんと高い、ファルセットかと思わせる高音の歌い出しでぞくぞくぞくっとさせられます。これも只者じゃない。加藤和樹さんという方で、こっちは完全にミュージカル畑の人。テニミュの2.5次元から出てきて、ずっと舞台をやってきてる人。すごい。

加藤さんほどの派手な登場ではないけど、アンドレ役の豊永利行だってテニミュ出身で歌える声優さん。豊永さんはだんぜん声優さんって感じだけどね。

原作の「ベルサイユのばら」はおそらくいっぱい登場人物がいるんでしょうけど、この映画はほぼこの4人に絞ってしまってます。これは明らかによい判断。まあね、正直、この4人が会って話して、それで気持ちを吐露してってだけで話は進んでいっちゃうんですけど、やりたいのは歌なんで問題なし。私的にはね。もちろん、この4人以外のキャラのファンって人は不満に決まってますが、まあ、しょうがない。

そして、歌はもう文句ないというか震えがくるほど素晴らしいので、後は映像。そこも上手いです。ナレーションのところ、歌のところは通常の劇映画パートと明らかに様式が変わります。わかりやすい。それもかなりいろんなパターンの映像表現が出てきます。「ここは非現実」をわかりやすくする手持ちの文法がもともとたくさんあります。例えば画面に枠が出てその周りが花で埋められる的な、漫画的表現は全部使えるわけです。ここもすごく自覚的で、洗練されている。例えば、いきなり手に花を持っていれば、そこはもう劇映画パートじゃないって観ていてはっきりわかりますよね。こういうのがさりげないのから空飛んじゃっているというあからさまなものまで状況に合わせて、背景もフルに使って表現されます。歌ばかりだったら退屈しそうなところですが、けしてそんなことはない。手練れです。

最後に曲が素晴らしくないとだめですが、聞いてすぐわかる澤野弘之さんの仕事です。分厚いマットのような曲で包んでくれます。基本的に同じモチーフで通してるんですけど、曲のクオリティも高い。ただ、さすがに「ガンダムUC」でも、「銀河英雄伝説 die neue these」でも、何度も劇場で聞いた澤野サウンドにちょっとお腹いっぱい感はあります。たまにはギター一本とか、弦楽四重奏とか、そういうのでもいいのにと思うけど毎回分厚いマットが飛んでくるので、映画が終始デストロイモードといいますか(笑)、ちょっと疲れちゃうかなと思いました。でも、まあ、ダレ場がない構成でもないし、せっかくだからグロッキーになるまでマットで殴られるのも悪くないです。

というわけで、ミュージカルアニメの1つの到達点であり、忠臣蔵のようなある種の伝統芸能のようなものでありうるこの作品。むしろ、あまり「ベルばら」に思い入れがないという方にもオススメです。2時間見れば話はだいたいわかるしね。

しかし、あまりにもミュージカルアニメの出来がよかったんで、「Dance with Devils」も観てみるかな・・・ニコニコでPPVが観られるらしいし。

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アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方

「アプレンティス」という、若かりし頃のトランプ大統領を描いた映画を観てきました。

アプレンティスというのは、皆さん、ご存じの通りフォースの暗黒面をつかさどるシスの弟子のことです。ジェダイには、パダワン。シスにはアプレンティス。

この映画はスターウォーズのスピンオフ最新作として、なかなか面白い作品でした。シスの暗黒卿であるコーンに見いだされ、彼のアプレンティスとして悪の教えをたたき込まれるドナルド青年がついにダークサイドに落ち、最後はマスターであるコーン卿を悲嘆と絶望の淵に追いやり、彼の葬儀が行われるまさにその時に肉体改造を受けてダース・トランプとして生まれ変わり、最後は「過去を語るのは好きではない」と自叙伝のライターに語りながら高層ビルからコルサントを眺めるラストシーンは、あまりのいたたまれなさに胸が痛くなりました。我々はこのダース・トランプがこの後、事業には失敗しながらもフォースの暗黒面を駆使して、ついには帝国の皇帝になることを知っているので、複雑な気持ちでした。

・・・という映画なんですよ、ホントに。ホントに改造手術されるの。脂肪吸引とハゲ隠しなんだけど(笑)

今までスターウォーズで完全にシスが主人公の作品というのはたぶんないと思うんですけど(最近はいっぱいありすぎてわからない・・・)、もし、あったらこんな作品かなと思います。ノワールものっぽい。つまりは、マスターのロイ・コーンもアプレンティスのトランプも、完全に悪人。悪辣っぷりでむしろちょっと面白い。

アト6の宇多丸さんのムービー・ウォッチメンを聞いて観に行くことを決めたので、どういう映画なのか、登場してくる人物がどういう人達なのかはある程度理解していきました。宇多丸さんの映画評を聞くまではロイ・コーンという人自体を知らなかったのですが、たぶんこの映画を観に来るアメリカ人はみんな知っているレベルの人みたい。映画の冒頭で、初めてロイと対面した時に、「え、あのロイ・コーン?(The Roy Cohn?)」ってその辺のアパートの家賃回収してるレベルのトランプが聞き返すぐらいだから、有名なんですね。だいたいは悪い意味で(笑)。

なので、宇多丸さんの映画評は聞いていった方がいいかも。史実だし、「この人、このあとなんと大統領になります」が最終的なネタバレみたいなものなので、ネタバレ気にする必要は全然ないです。

でも、この後はラストシーンの感想を書いちゃうんで、一応、ちょっと空間をあけとくね

 

 

 

で、このロイ・コーンが、まあ、わりぃ奴なんですよ。トランプに悪いこと教えるの。「絶対に非を認めるな。負けも認めるな」みたいな。現実歪曲フィールドを伝授するんですよ。ただ、コーンはゲイを弾圧するくせに自分もゲイで、そのせいもあるのか、ハイソでおしゃれで美学があるんですよね。クソ野郎なんですけど。ちょっと格好いい。

ところが、トランプはコーンからフォースの暗黒面の使い方を教わって、皆さんご存じのあの攻撃方法を使いまくってむちゃくちゃしまくるんだけども、勝負の亡者みたいになっちゃって肉親に無駄なマウント取りに行ったり、ネゴらなきゃいけない相手にブチ切れちゃったり、マスターの美学は受け継いでない。投資を広げすぎて、コーンに「ちょっと考えろ」って言われるんだけど、聞く耳を持たない。ばんばんカジノを作ってどうだってコーンを招いて自慢するんだけど、本物を知ってるコーンからすると出てる食事とかがビンボくさい。間違いなく一番有名で力も持っている最強の弟子なんだけど、なんか失敗した感がある。

時代はちょうどAIDSが大問題になっていたころで、コーンも彼のパートナーもAIDSの合併症を発症しちゃう。より症状が重いパートナーを助けてやってくれとコーンはトランプに頼みに行くんだけども、トランプは適当にあしらって助けてくれない。教えたとおりのクソ野郎にはなってるんだけど、美学がない。最後、パートナーも死んじゃって、コーンももうすぐ死ぬ(この人、最後の最後まで自分はガンだといいはって、AIDSであることは認めない。みんなもうわかっているのに、絶対に認めない。そういう人)という時に、トランプが最後に連絡してくる。誕生日に自分のフロリダの家に招待したい。これが、仲直りの最後のチャンスだし、失敗作ではあるけどこれが自分が最後に作り上げた弟子だし・・・と招きに応じるコーン。ただひたすら豪邸を自慢するトランプ。最後にカフスをプレゼントしてくれる。高そうだけど、「Trump」って書いてある。すげぇダサい。誕生日パーティの席で出席者に「これ、イミテーションの安物よ」と言われる。ダサい上に、ケチってる。情けない。ホストのトランプのスピーチで持ち上げられて、返しのスピーチでコーンは言葉に詰まる。雰囲気として、トランプを誇りに思うと言わざるを得ない。言いたくない。コーンはトランプを嫌いじゃないし、彼をフックしてこう仕上げたのは自分。良いところも悪いところも嫌と言うほど知っているが、自分が最期に残したのがこれなのかという絶望感に囚われている。なんとか、絞り出してひとこと、ふたこと喋ったところで、誕生日祝いのケーキが出てくる。でーっかい長方形の星条旗がデザインされたケーキに花火が刺さってる。

ダサい

もうね、バカにしてこれやってんのか、マジでこれでコーンが喜ぶと思ってるのか、わかんないんだよね。だって、車椅子でしか移動出来ない病人なんだよ。もうどうみてもすぐ死ぬのよ。この時代のAIDSは不治の病だからね。その人にこのケーキって・・・

ここでこのケーキ見て、ロイ・コーン、泣いちゃうんだよ。絶対に負けを認めないって、自分がAIDSであることも頑なに認めないって言ってる人が、泣いちゃうの。せつなーい。もうね、このシーンはマジで辛い。こんな絶望あるっていう。でも、トランプたぶんわかっていないっていうね。いや、すごいシーンですよ。どこまで史実かわからないけど、このシーンを作った監督はすごい。

もうね、こんなペラッペラのクソ野郎がアメリカ大統領なわけですよ。情けなくて泣けてくるよね。ラストシーンは、伝記を書くために呼ばれた記者がトランプに「あなたの人生、伝記になりませんよ。読者が読みたいものがない」って言うので終わるという。ペラペラだからね。それを、彼を題材にした映画のラストで言うという・・・。ふーっ、なんというか、切り口がすごい面白かった。

観て気分がいい映画ではあんまりないんだけど、まー、独特の後味なんで、これはこれで。とにかく、これを企画して撮って公開したのはマジですごい。観て良かったです

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機動戦士Gundam GQuuuuuuX Begining

「THE FIRST SLAM DUNK」を思い出します。スラムダンクのファンが何も知らないで劇場に行ってアレを見せられる体験を重視して、宣伝としてはマイナスなのを覚悟して事前情報をまったく出さず。実際に鑑賞してそれを感じ取ったファンが自分も一切のネタバレをさせず「とにかく見に行って!」と言いまくる・・・というのが、そのときの現象でした。

アレからおよそ2年

今度はガンダムで同じ事が起きました。GQuuuuuuXですよ。読めないんだよ、そもそも。

新しいガンダムが発表されたことは知っていました。ここのところのガンダムはやりたいことがちゃんと分離されて、整理されて進んでいる気がします。ガンダムに新しい血を入れるための新しいシリーズである「鉄血のオルフェンズ」「水星の魔女」は、「あの花」から続く人脈の流れで手堅く評価される作品を生み出しているし、宇宙世紀に心を囚われたままのオールドファン向けには「UC」から続く流れとして「閃光のハサウェイ」「ククルスドアンの島」が出てる。新しき古典、スタートレックでいうところのTNGとしての「SEED」は念願の続編劇場版が作られました。全方向のガンダムファンに、絶え間なく何かしらが提供されています。運営が立派になりすぎて供給過多で死にそう。

そんな中、発表されたのが新しいテレビシリーズであるGQuuuuuuX。公開されたビジュアルイメージからは、「水星の魔女」に続く「間口を広げる」作品の枠に見えました。絵柄的に最初、「TRIGGERがやるのかな?ガンダム・グレンラガン?」てな感じに受け取って「水星の魔女よりは好みなのかなあ・・・」とぐらいに思ってました。

テレビ放送に先立ち、前半の数話を劇場公開にするという話をチラッと聞きましたが、それも特に気にしていませんでした。最近はそういうお商売が盛んですわね。そしたらtwitter(X?何それ?)でちょっとした騒ぎになっているじゃないですか。曰く、「ガンダムを見に行ったら、ガンダムがはじまって混乱した」と。どゆこと?

20250122-115401公式サイトでアナウンスされているストーリーはこれです。こう紹介されてる映画を見に行った人が「とりあえず、最初の『機動戦士ガンダム』のファンだと思っている人はすべからく観に行った方が良い」と言う。そりゃもう、完全に何か仕掛けられてるってことですよ。

 

というわけで行ってきました。

 

 

やりたい放題


やりやがって・・・

 

そうきたかー。いや、これは盲点。これだけ「ガンダム」を翻案していろんな作品が作られてきたけど、これは一番ありそうで無かった奴だわ。

というわけで、ネタバレして感想書きますけど、映画はじまって最初のカットから仕掛けがはじまるという映画なんでネタバレなしでは何にも書くことありません。以下は、劇場に行ってからみてください。いつからTVシリーズが放映になるかもわからない生殺し状態になりそうなんで、気になっている人はとっとと行こう!

 

 

 

 

 

 

さて、ネタバレしますよ。

いまや、「エヴァの会社」というより「シン・○○の会社」というノリのスタジオ・カラー。大ヒットしたゴジラと自作自演のエヴァで「シン」ブランドを確立して、ウルトラマンやって、仮面ライダーやって、ヤマトもやる。正直、ウルトラマン以降はそんなに大きな話題にもなってませんし、私も正直、世代じゃないのでピンとこないんですが、エヴァはさておき、彼らは一貫して「大好きだったあの作品の、でも観られなかったアレ」を作ろうとしています。観られなかったのは、当時の技術ではムリだったのか、演出として選ばれない選択肢だったのか、制作者と趣味が合わなかったのか、まあ、いろいろあんだろうと思いますが、そういうことですね。

そういう意味で、今回の作品の前半は「シン・ガンダム」。で、ガンダムでやりたい「観られなかったアレ」っていうのは、えらく細かい歴史のif。パンフによると、元々は、鶴巻さんのところに「ガンダムやりませんかー」という話が来て、「こんなのはどうですか」と返したのが架空戦記ものだそうです。

たぶん、もう今の若い人はわからないと思うんですよね、架空戦記。私が子供の頃はまだけっこう元気だったんですよ、荒巻義雄の「紺碧の艦隊」とかの、太平洋戦争で「もし、○○だったら」って奴。ただ、私ですらそうですが、今の人は太平洋戦争の史実も知らないですから。知らないと架空戦記面白くないから。

でも、ミッドウェー海戦もラバウル航空隊もルンガ沖夜戦も知りませんが、ルウム戦役や第13独立部隊、星一号作戦なら知っているのが我々の世代。これをベースにした架空戦記ものは成立します。いや、そもそも「機動戦士ガンダム」自体が架空戦記ものだと言っていいわけですから、架空の架空なんですけど、それだけにまだやってなかった。「ガンダム」でパラレル展開、例えばテレビ版と劇場版で結末が違うとか、小説版は話がそもそも全然違うとかはありましたけど、「あそこで仮にこうなっていたら、歴史が変わっていた」みたいなものを正面切ってはやってません。そこで、鶴巻さんが「ジオンが勝つ世界線の話」はどうだと提案したと。アバンタイトルでシャアがサイド7でガンダムの強奪に成功するのを描いて、結果、ジオンが勝った世界での物語はどうか。ダメじゃね?って思ってたけど、意外なことにサンライズはOKを出した。

そこに「アバンじゃなくてもっと膨らましたら・・・」ということで庵野秀明登場(笑)。そもそも「赤いガンダムにシャアが乗る戦記物」をやりたいなーと思っていた庵野さんが、あっという間に映画1本分ぐらい、かつ脚本レベルに詳細なプロットを書いて持って来たと(笑)。というわけで、それをがっつり削って、今回の映画の前半部分が出来ました。つまり、前半は「シン・ガンダム」になっちゃってんのよ。

最初のカットから、コロニーのデザインやモビルスーツのデザインは変わっているものの、ナレーションのセリフ、BGM、レイアウトまで全く「機動戦士ガンダム」の冒頭と同じ。「ガンダム大地に立つ」のタイトルテロップとSEまで同じ。ただし、タイトルは「Beginning_。鈴置さんの声が聞こえるのは空耳(笑)。もうね、ここまでで「や、やりやがったーーーー!」ですよ。隣で観ているMilueが「これってアレよね、だよね」という顔でこっちをチラチラ見てくる(笑)。Beginningか。ガンダムでビギニングって言えば、「めぐりあい宇宙」の劇中歌だもんな。「そして時がすこーやかにぃ〜」ですよ。

もうね、ここからは言いたいことだらけ。あのセリフはこっちで言うのかとか、あそこでガンダムにやられちゃうあの人がこっちで生きてるのかとか、ホントに「ビグザムが量産のあかつき」きちゃってんじゃんとか、詰め込みに詰め込まれていて何度見ても楽しい映像。これ、TVでもやってくれるのかなあ・・・。録画して50回ぐらい観たい。

ここまで、「マジで?マジで?」って思いながら楽しんだわけですが、色々あってシャアのガンダム無双によって歴史は変わり、ジオンと連邦は休戦して、本編は0085のサイド6が舞台です。

で、「シン・ガンダム」のところはいいとして、後半のGQuuuuuuXも含めて考えると、これってターンエーっぽくもある。たぶん、わざわざ歴代ガンダムの要素をつっこんでる。冒頭のザクの侵入シーンはガンダム第1話まんまなわけですが、実はΖガンダムの第1話はまさにこのガンダムの第1話のオマージュで、でもガンダムではそこにいなかったシャアがサイド7(グリプス)に潜入するってのをやっているので、シャアがいるガンダムの第1話はΖガンダムの第1話のオマージュでもあり、どっちでもやったモビルスーツに接触したコロニーの一部がデブリになってコロニーから出ていく描写ももちろんやる。隕石落としがオカルトで阻止出来ちゃうのはもちろん「逆シャア」を踏まえているわけだし、0085パートで軍警察のザクが青で塗られていて、エグザベが尋問されて殴られたり、改札を飛び越えたニャアンとマチュが接触してそれを米津さんが主題歌で歌うところまではΖオマージュだし、ジャンク屋が出てきちゃったらΖΖガンダムじゃんだし、サイド6内部にペガサス級が入港しちゃったらそれ0080でしょだし、クランバトルは「頭部を破壊されたら失格となる」ってガンダムファイトじゃん(笑)。まあ、わざとですよね。

これが単なるオマージュとファンサービスなのか、黒歴史をどうにかしようとしてるのか(笑)はわかりませんけど、

> そして、世界は新たな時代を迎えようとした

は、なんか格好いいこと書いてあるだけなのか、マジで新しい時代を迎えちゃうのか。この世界をUCガンダムのラストで亡霊となってゆらゆらしてたアムロとシャアとララの3柱(笑)は、どうしようとしているのか。つか、ハロがいるけどアムロはバンダイのおもちゃ事業部に就職してしまったのか(笑)。鶴巻さんなので、そこらへんはほどほどにちゃんとマチュとニャアンの話を描いてくれるとは思いますけど、それと、Beginnigしちゃったところがどう世界に影響して、それがこの子たちにどう影響を与えていくのか。架空戦記ものだとすると、シャアのひらめきがこんな形で影響しちゃって、世界はこうなっちゃったよというのが、0079に留まっていては面白くないし、全然正史と違っていても面白くないわけですから、どう絡んでくるのか。

やー、どうなっちゃうんでしょうなあ

とりあえず、大仕掛けで大笑いはさせてもらったんで、観に行ってとても満足です

 

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マイケル・マン監督の「フェラーリ」を観た

ちょっと前の話ですが、近所の劇場公開の最終日に慌てて観てきました。マイケル・マン監督の「フェラーリ」
本題はエンツォの私生活なんで、とっても昼ドラというか昼ドロドロというかそんな感じなんですが、中で描かれるレースが2024年のレースファンからみると、もう異次元過ぎてすごい。
とにかく、危険。いわば、キケン。あえて言えばデンジャラス
スターリング・モスがドライバーとして出てくるのでF1でいうとどのぐらいの時代感なのかはなんとなくわかります。フルフェイスのヘルメットはおろかシートベルトもない世界なのでとてもキケン。F1的にはなんとなくカーボンモノコックが出てくる前の70年代の方が人が死にまくったイメージがありますが。とはいえ、それってサーキットレースの話。
「フォード vs フェラーリ」が64年のル・マンを描いていますが、それよりもっと前の1957年のミッレミリアがこの映画のクライマックス。このミッレミリアはイタリア語で1000マイルレースのことで、街から街へ公道を1000マイル走っちゃう。北部のブレジア(いにしえのスクーデリア・イタリアの本拠地らしい)からローマへ南下して、またブレジアまで戻っちゃうんだって。
それ、もうラリーじゃん。ル・マン走ってるみたいなツーシーター・オープンプロトみたいな車なのになあ。
だから街中もガンガン走るし、湖畔もガンガン走るし、マジでモナコラリーみたいなつづらおりの山道も走る。ちなみにスタート時刻は真っ暗。そらそうなるわな。で、そんな山道で接触してライバルがコースアウトして車が壊れたら、接触したもう一台の車がマシンを止めてリタイアしたドライバーを隣に乗せて走る(笑)。ホント?史実?こんなレースを昔はやってたの?
世界観が今と違いすぎる!

で、このレースがどうなるかは完全なネタバレなのではっきりは書きませんが、史実なんでWikipediaとか調べてみて下さい。はい、このレースはこの年で中止になります。そら、そうよ。
こんな時代にレースをやってた人が、ホンダがF1でガンガン勝ちまくってた80年代まで生きてたってことに驚いちゃう。それぐらいなんかもう、別世界でした。わけがわからなかった。すごいな、自動車レースの歴史って。なんか、勉強になった。
で、昼ドラの方は最後に「ここに出てきたピエロくんが、フェラーリの副社長になるよ」って字幕が出てきて「あー、たまにピットにいるおじいちゃんがこの子か」ってなります。人生いろいろですね

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ミッション:インポッシブル デッドレコニング Part One

トム・クルーズによるミッション:インポッシブル最後の作品となる前後編の前編。見てきました。

これはね・・・評価が難しいです。この映画はどう評価されるべきなのか。

第1の観点として、単純にこの夏休み一番の娯楽大作として。とても面白いです。

世界中をロケ地にして、アクションに継ぐアクション。どれもが一級品。世界中どこに言ってもほぼ全員英語をしゃべる良くできたアトラクションの数々。あんまり細かいことは考えずに次から次へと押し寄せる映像にただただ翻弄されていれば至極のひとときが味わえます。なんとなく複雑そうなストーリーも、「ただひたすらみんなが鍵を奪い合っている」というアホみたいな設定をなんとなくカッコよく見せるためだけの演出で、わかんないところは「なんかわかんないな」と思ったまま観ていて全然OK。さすがにその理解で観ているには今回の上映時間は長すぎる(けっこう途中退席する人多かったんですよね。膀胱の限界だったんでしょうね)と思いますが、短いよりはいいよね。

第2の観点として、後世に名を残すアクションの金字塔になりうるか。これはね・・・ムズい。

この作品が間違いなくそれを目指していることは確かです。なぜなら、わざわざ観たことがあるシチュエーションを選んでやっているから。オープニングは、わざわざ「アラビアのロレンス」風に砂漠に馬を走らせる。続いてカーチェイスをわざわざローマでやる。なんならわざわざ黄色のフィアット500を登場させて、トレビの泉の周りをグルグル回る。パーティー会場に乗り込んで敵と対決するなんて20回ぐらいみたシチュエーションもわざわざやる。それも、ベニスで水路を船で移動させるし、地下鉄に轢かれそうになるシチュエーションも入れる。そして最後は列車、それもオリエント急行の屋根の上で対決させる。

これ、全部どこかで観たことがある奴。なんなら、全部「スターウォーズ」シリーズの中だけで同じシーンが見つけられる奴(笑)。それを、できる限り特撮なしの本気の撮影で、今の技術をフル動員して、たっぷりの時間と予算をかけて撮る。つまり、アクション映画はこれ1本だけ観ればいいというショーケースを作ろうとしている。

いやいや、正気の沙汰とは思えません。すごいことを考えるなあ。で、その目論見はおおよそ成功していると言っていいでしょう。作ろうとしてるものが「アクション映画のショーケース」なので、そりゃストーリーはご都合にならざるを得ません。でも、ここまで踏まえると、このご都合ストーリーはその制約の中でめちゃめちゃ頑張ってるとは思います。

とはいえ、ですよ。良くできたショーケースであることは認めますが、観たいのはショーケースなのかと言われれば、うーむ・・・と。拍手喝采で、「こりゃ面白い最高の映画だ!」とは言いがたい。ただ、最初から「伝統芸能を観に来た」としたならば、これはもう「良いモノを見せていただきました」と満点つけて帰るしかないんじゃないかと。なので、極端なことを言えば、小演劇を観に来たと思ったら能を観せられた的な戸惑いはあります。おお、こういう映画なんだねと。伝統芸能だとしても、「トップガン」は他に現用戦闘機でのドックファイトなんて映画は他に誰も撮ってないので気にならないんですが、今回のは、なあ。

ただこれ前後編なので、前半が「過去のショーケース」で後半は「未来のアクションの提案」だという可能性がありますな。だとすると、後編を見終わった時にはそれも踏まえて満点ってことになっているかもしれません。いや、後半が「ショーケース増補版」である可能性もあるんで、まだなんとも言えませんけど。

で、最後に1本の劇映画としてみると・・・ストーリーはまあ、酷いモノです。全てがご都合主義。

ちょうど生成AIが一斉を風靡していて「やっぱイマドキ戦う相手はAIっすかね」なんて趣きもありますが、撮ってるのは数年前(撮影中にコロナ禍に突入したらしいからね)なわけで、今回暴走したAIが仇役なのは単純にイーサンチームにコンピュータを自由に使わせたらアクションをするまでもなくイーサン達が目的を果たしちゃうからです。それはすっごくわかりやすく提示されていて、最初のアブダビの空港のシーンではイーサン達のハッキング能力でイーサン達に対抗する勢力はほぼ無力化されちゃうよってことが示されます。なんせ敵はイーサンを見つけることすら出来ない。

ところが、ここにより強いハッキング能力で介入されてこのやり方では解決できない。つまり、今回もトム・クルーズは全力疾走せざるを得ないよ、という舞台設定が示されます。ここまではすごく上手い。

ただ、こうしたんだったら今回は60年代にはなかったテクノロジーは使えないという前提でやらせてもらいますよーってコトにすればいいのに、微妙にテクノロジーを使う。「今回はネットワークを使わないと出来ないものはなし!」にすればいいのにそこをわざと曖昧にするので、何は出来て何は出来ないのかがわからないし、ハッキングしてきている主体がその謎のAIなのかAI一味、今回のラスボスのガブリエル君なのかがよくわからない。そこがはっきりしないので、今、絶体絶命の危機なのか、ハッキング能力でどうにか出来るシチュエーションなのかがわからず、ちょっとそこは残念でした。一番「あちゃー」と思ったのは、途中、イーサンをサポートするために運転中の車を自動運転に任せてコンピュータをいじり始めるシーン。いや、ネット上の悪のAIと戦うのに、自動運転の車に乗ってはいかん。自殺行為だろ。

巨大AIの暴走っていう話にも面白い奴いくらでもあるわけで、その辺の味付けはほぼなーんにもなく、ただ、USBメモリじゃなくてわざわざ鍵の形をしたものを奪い合うだけというのは、なんだかな。まあ、いいんですけど。

というわけで、なかなか評価の難しい1本。ただ、アタマからっぽにしてみれば楽しめるし、後から引用・参照されることがメッチャ多そうな気もするんで、お嫌いでなければ観に行って損はないかなと。

 

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