機動戦士ガンダム GQuuuuuuX 感想 そのに

せっかくなので、「クライマックスにむけて」で提示したポイントを振り返ってみますか。

(1) マチュとニャアン

狂犬よばわりされてたマチュですが、最終回でシャリア・ブルによって端的な評価が語られます。やりたい事をやって、それによって自分が損したり不利な環境におかれても、決して人のせいにせず、後悔せず、ただやりたい事をやる人物。それでいいじゃないと。「それがニュータイプ」とか言ってますけど、それはたぶん言葉のアヤで(笑)、鶴巻さんはマチュをそういう人物として書きたかったし、もちろん幼い危ない面は多数あるんだけど、それは周囲の大人が守ってあげればいい事で、若い奴はそれでいいと思うよってメッセージされてて、それはきっちり描かれててよかったですね。マチュは1年戦争という悲惨な現実からちょっと離れた恵まれた世界にいて、恵まれているという自覚もあんまりない。でも、恵まれているんだからワガママ言うなっていうのも違うでしょう。違うと思ったら行動すればいいでしょう・・・というのは、今の恵まれた日本に閉塞感を感じている若者に対するストレートな物言いですよね。あたしゃもう若者じゃないんで、このメッセージがどう響くのかはわかりませんけど、好感はもってます。逆に「このワガママ娘に共感できない」って声も多く見かけて、まあ、それがこの日本の閉塞感だろって作品は言ってるんだから、そういうことだわな。

ニャアンに関しては、マチュに対比させられているわけですが、マチュが「恵まれてないニャアンがもがいてる戦いも、恵まれている私がもがいている戦いも、どちらも等しく戦いだろう。ニャアンの戦いを否定するものか」といい、2人がMAVになって最後の戦いに赴き、ニャアンはその言葉に救われるというのもよかったなと。こういうこと言ってくれるからニャアンはマチュにずっと憧れてたんだよね。

で、結末はEDみたいになるんだろって予想してましたが、ラストカットで着てる水着が干してあるので「みたい」じゃなくて、EDはまさにラストカットの後みたいだね(笑)

(2) ガンダムにおけるオカルトの存在

オカルトくるよ、で、イオ・マグヌッソがゼクノヴァを意図的に起こす装置、これはキシリアの意図通り。でも、その意図を超えた状況になるはずーって予想しました。ストーリーの構造上、そうなるに決まってるんですが、イオ・マグヌッソがぱっくり割れてキシリアが「これ知らない。シャアがこっそり仕込んでたのか。ちくしょう」ってなってましたが、知られないでできるわけあるかーい(笑)。ここは無理矢理ですね。で、その意図を超えたオカルトにより問題の元凶であるシャロンの薔薇を送り返そうと思ったら、向こうから恐怖の大王が来ちゃうっていう、これもわりとよくみるテンプレですよ。

問題は何がくるのかですな。手に負えないほどのラスボスということで、「こいつしかいないだろ」と予想されてた方もいるみたいですが、私はまったく想像してませんでした。あのシルエットが見えたとき、大爆笑しました(笑)

私はこの作品を架空戦記、あるいは歴史改変SFだと思っていて、このジャンルでは別に正史とは別の歴史があることの理由(シャアがガンダムをダッシュしたから、ということじゃなくて、なんで正史と違う別の歴史が存在しうるのかという事)を説明する必要はないんですが、ララァが「シャアが死ぬ夢を見まくる」って言った時に、「あ、そっちじゃなくてマルチバースにするってこと?」と思って意外に感じました。まあ、マルチバースの方が馴染んでる人が多いし、間口は広いかなととは思いました。マルチバースにすると、その間は移動出来るのかって話に当然なるので(ならないとマルチバースにする意味が無いからね。完全に独立してて干渉できないならただの歴史改変SFだから)、「誰が移動しているんだ?」って考えるとシュウジとシャアになるわけですよ。まあ、そうなるよな・・・と。

ただね、最終回を見てもゼクノヴァで消えたシャアは再び現れるまでどこで何をしてたのか、シュウジは何者でどのユニバースのどのタイミングでシャアと知り合ったのかはさっぱりわからない(制作側が決めてるのかどうかも怪しいよね・・・)んで、「その設定いる?」みたいな気持ちだったんですけど、まあ、RX-78-2を呼び寄せようと思ってんならしゃーないわな(笑)。ここは雑だなーって思うけど、まあね、オカルト部分だからね。細かい事をいってもしょうがない。

で、この作品のオカルトは実はゼクノヴァでもなく、概念としてのRX-78-2(巨大化するのはこいつがリアルな存在じゃないよという意味があるわけ。いや、ラスボス感の演出ってのもあるだろうけど)が並行世界(=パロディ作品)を自らぶっ潰しに来るというメタな感じで、「オモシローイ」って感じですよ

(3) ガンダム VS エヴァ

10話のラストではガンダム VS エヴァだったんですが、その後「アルファ殺しが揃った」と言われると。ここでいうアルファ殺しって何かと思うんだけど、単純に「ガンダムとエヴァがアニメ界を席巻したよねー。リードしたよねー」って意味なんだろうね。そうやって派生作品を含むシリーズ総体としてのガンダムの象徴としてのジークアクスと、エヴァンゲリオンで世界を制したカラーを象徴するガンダムであるジフレドが戦うのが、「出来損ないの別ユニバースはゆるさーん」と襲ってくる初代ガンダムという構図で、10話ではVSかと思ってたら違いました。

しかし、わざわざ古谷徹に「これ以上、ララァが死ぬのは見たくない」って言わせるの、「いい加減、アムロとシャアとララァってネタをこすってんじゃねえよ」っていう自虐な台詞になってて、なんかアンビバレントな思いがあるんでしょうね(笑)

(4) ヒゲマン、あるいは緑のおじさんの戦い

最終回を踏まえて考えるとこの作品にはいくつかのレイヤーがあって、一番下(あるいは上?)のレイヤーはマチュとニャアンのストーリーで、そこはすでに言及した通り。

その次にくるのが、架空戦記としてのガンダムifのレイヤーで、そこの主人公はシャアとシャリア・ブル。アムロがいない世界を作って、この世界が物語的に何を意味するのかを語らないと架空戦記の真の面白さ(例えば、太平洋戦争の架空戦記だったら「結局、日本軍あるいは日本人ってこんな奴らだよな」を書きたいとか)にはつながらないと思うんで、そこはどうするのかなーと思っていたら、なんとそこはあんまりなにもなくて(笑)、アムロに関わったせいで不幸になったランバ・ラルやガルマ・ザビ、シャリア・ブルそしてシャアとララァがそれなりに自分の幸せを見つけました。オレは幸せなこいつらを見たかったんだよ・・・みたいな感じになってて「おおぃ、マジかよ。でも、なんかこれはこれでガンダムファンの夢の1つではあるな。アリか」って感じです。緑のおじさんの戦いは、シャアでもザビ家でもなく、アルテイシアを立てれば平和になんじゃねだった。これはこれでなるほどって感じ。

で、ついでに書いておくと、この上にエンディングロールに役名が記載されない3人の声優がやった役のレイヤーがありますと。この人たちはガンダムUCでもう神様みたいになってたんで(笑)、リアルを超越したなにかでいらっしゃいます。このレイヤーのララァがこのユニバースの創造主でした。

そして、創造主ララァを殺しに来るさらにその上のレイヤーの存在のシュウジ(笑)。シュウジ意味わかんないんだけど、ここはもう完全にメタな世界ですね。なんせ「概念としてのガンダム」に乗ってくるんだから、シュウジはもう完全にこの下のレイヤーの人にとっては神。マチュは神にあらがい、最後、神の恩寵を得るわけだ。これは恋なのか?ちがうくないか?で、このレイヤーに対して行ったことは、巨大に膨らみトリコロールすら失った概念としてのガンダムの首をはねる(クランバトルに勝利する)ってことで、たぶん、鶴巻さんも「こんなんガンダムじゃねぇ」って言われまくるだろうと思いながら作っていて、そういう批判に対して「うるせぇ」っていう姿勢が、巨大ガンダムの首をジークアクスがはねるって絵に象徴されんだろうね。

ふう。そのさんは書かなくてもいいかな。というわけで、最終回予想に紐付けて語りましたが、もう物語のつじつまとかだいぶわけわかんなくなっているわけですが、それぞれのレイヤーで何を書きたいのかなということをちゃんと勘案して、それを絵にしたらこうなっているんだよということが読み取れればOK。鴻上尚史のいうところの「起承転結など犬に食われろ」という奴で、ちゃんと場面で何がメッセージされているのか読み取る。それはホントに作者の意図通りかはわかんないんだけども、メッセージや気分やそういうもろもろを画面に出して、それを我々が受け止めて感じ取るってことが鑑賞ってことなんで、そういうもんだぜ、つじつまがあっていることより大事なことがあるんだぜって感じすかね。ま、つじつまなんて画面に勢いがあればどーでもいい気になって感動しちゃいますけど、それはわりと本質的なことなんすよ。こういう感じで構造をちゃんと整理すると、「なるほど、面白いな。まあ、ここから何を読み取るかはお前とは違うけど、読み方はこういう感じなのか」ってみなさん思うんじゃないかしら。

あーおもしろかった。

 

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機動戦士ガンダム GQuuuuuuX 感想 そのいち

はい、めでたく最終回を迎えました。面白かったですねー。

でも、なんかこれ、賛否両論なんですって?で、いわゆる失敗だという人の感想を見ると、多くの人が「ガンダムというのは〇〇でないといけない」とか「ガンダムは〇〇なのに、これは違う」とか言っているわけです。うん、わかる。それはもう1985年に「Ζガンダム」が、1991年に「0083」が、1994年に「Gガンダム」が、2002年に「SEED」が・・・もういいか。とりあえず、これまでのガンダム像と違うガンダムが作られる度に、みーんな言ってきたわけです。だから、「ガンダムは主人公の成長を描くものだ」とか「ガンダムは戦争を描くものだ」とかいうのは、まったくもって勝手な思い込みで、別に思っていてもいいんだけども、それは歴代の「否定されたガンダム」が結果として形づくって来たガンダム像だし、常に新しいガンダムによって否定されるものなのです。私も幾度となく「えー、これ私が思てるガンダムとちゃうー」って感じてきたわけで、そういうのはね、言うだけ虚しい(笑)。

だって、サンライズとしては常に新しいものを作ってガンダムの世界を広げなくてはいけないわけです。これまでのお客さんも大事にしなければならないですし、だから「閃光のハサウェイ」とかやってるわけです。そっちはそっちでやっておいて、次に欲しいのはガンダムの幅を広げる作品であり、今までガンダムのファンではない人に見られる作品。さらに新しい作品のファンが、過去のガンダムも見てくれたら最高です。

それを考えたらジークアクス、最高でしょ。

これまでに、擬人化ガンダム、格闘ガンダム、美少年ガンダム、ヤクザガンダム、百合ガンダムなどが作られて、その都度批判もされながらファンを拡大していったわけですよね。流石にもうやり尽くされてるんじゃないのというところで、ガンダム架空戦記を出してきたのはファインプレーだったし、オレたちがやるならそれだろっていう自認もすごいですよね。スタジオカラーに依頼しにいく時点で、サンライズには「カラーらしい、言っちゃえばエヴァみたいなガンダムを作ってほしい」という期待があるわけですよね。でも、たぶん依頼に行った方には、「じゃあ、エヴァみたいなガンダムって何?」ってことを明確に認識はしていなかっただろうと思うんです。でも、最終的に出来上がったジークアクスは、ものすごいエヴァっぽい。表層的なってことじゃなくて「自分が好きな作品に対するオマージュがある」「大きな世界の謎と陰謀が最初から提示されて、それによりテンションが維持される」「怪獣映画っぽいテイストをいれるなどの絵作りの快感にあふれている」なんていう部分。むしろ、富野さんっぽいのって「台詞回しに独特の面白さがある」「コンテレベルの演出が抜群に優れてる」「登場人物がどんどん思想を語り、思想でぶつかり合う」って感じで、ある種、そういうことをやると「ガンダムっぽい(トミノっぽい)」わけですが、そういう意味ではジークアクスはガンダムっぽくない。それは確かです。

この「オマージュ」と「世界の謎」こそ、95年に私たちを毎週パソコン通信のフォーラムに張り付けにした要因です。あの頃を知っている人は、ジークアクスで久しぶりにあの頃のことを思い出してうれしくなっちゃっただろうし、これが初体験という人はもう、たまらなく楽しかっただろうなと思います。エヴァ、こんな感じだったんだよ。だから、ジークアクスについて、「面白かった」と言っている人より「楽しかった」と言っている人が多いのは、まさに「エヴァっぽい」って思います。依頼したサンライズさん、「これですよ、これ!」って感じでホクホクなんじゃないかな。しかも、「機動戦士ガンダム」という45年前の作品がまた参照されまくって見てくれる若い人も増えただろうから、これはもう目的に対して最高の作品なんですよ。たぶん、作ってる方もここまでヒットするとは思ってなかっただろうね。

とはいえ、ね。じゃあ、ジークアクスが並み居るガンダム作品の中、あるいは様々なアニメ作品、あるいは映像作品の中で揺るぎない評価を与えられるものかというと、それは違うと思うんです。架空戦記はあくまで架空戦記、歴史改変SFはあくまで歴史改変SF、パロディはあくまでパロディです。もちろん、そのジャンルに面白いもの、いくらでもありますよ。「紺碧の艦隊」や「高い城の男」や「ギャラクシー・クエスト」はめっちゃ面白い作品なんだと思いますよ(いや、実はどれもちゃんと読んだり観たりしてないんですけどw)。でも、そのジャンルを選んじゃった瞬間に、作品の格ってものはやっぱちょっと下がります。それはね、仕方ないです。鶴巻さんは俺たちを楽しませようと死ぬ思いで最大限のパワーを注ぎ込んでジークアクスを作ってくれたと信じていますし、映像からそれはビンビン感じましたけど、でも、鶴巻さんは自身の代表作が「フリクリ」ではなく「ジークアクス」だと言われたら、ちょっと微妙な表情をするんじゃないかと思います。それはね、イチから世界を作り上げて、隅々まで自分の世界として出した作品と、自宅から持ってきたバッグいっぱいのレコードを使ってフロアをマックスに沸かせてやったぜってのは、違うだろうなと。そこはね、ちゃんと理解して評価しないといけないです。世界一のDJに対して、お前はビートルズでもなければモーツァルトでもないって批判するヤツはいない。ここをわかってないなって人が、そこそこいますね。まあ、若い。観てるジャンルが狭い。私も若い頃に年長のオタクにそう言われて「へぇー」って思ってきたんで、そういうものっすな。

というわけで、「クリエイターが、スポンサーに求められた仕事を十二分に達成。すごすぎて頭が上がんない」という側面で見れば、これはもう誰も文句の付け所がないわけです。もちろん、今やサンライズはガンダムファンをひとまとまりだと思ってなくて、「閃光のハサウェイ」と「SEED FREEDOM」と「水星の魔女」は狙ってるターゲットが全然違います。「いや、オレは全部好きだぜ」って人がいてももちろんいいし、サンライズにとってもそれが望ましいに決まっていますが、「Not For Meだな」って人もいるでしょう。そういう意味では、ジークアクスはそんなに間口が広い作品ではないんじゃないかなあ。例えば、人間ドラマとして見ると、ドラマのわかりやすさの基本があんまり成立してないんだよね(笑)。そもそも葛藤を抱えている人物があんまりいないというか。だから、キャラクターに感情移入しないと物語が楽しめないというタイプの人には結構、ツラい作品なんじゃないかと思います。だから、「つまんない」っていう人がいても不思議じゃないんだけども、そういう人は楽しめる物語の幅が狭くて損してるよね。

じゃあ、お前はこの物語を評価してるのって言われると、してます。めちゃめちゃ面白いと思う。ジャンル的な不利はあるなかで、物語的な挑戦もすごくされていて、結果的にも面白いものができてると思う。パロディとオマージュがばんばん入ってきちゃうんで本質はわかりにくいと思うし、綺麗に言語化もできないんですけど、やっぱ流石だなと。

というわけで、いい加減長いので、続きはまた書きます。

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「機動戦士ガンダム GQuuuuuuX」 のクライマックスにむけて

いやー、面白いですね、ジークアクス。一年戦争を題材にした架空戦記物としての「シン・ガンダム」と、そしてそれを下敷きにしたスタジオ・カラーらしい「ジークアクス」のどちらのパートもとても面白く見ています。これは10話まで見て、あと2話を残すところというところで、クライマックスを見るポイントをまとめておきたいと思います

(1) マチュとニャアン

恵まれた環境にありながら「不自由さ」を感じてもがくマチュと、恵まれない環境から抜け出したくてもがくニャアン。どちらのもがき方もとても不器用ですが、よく見れば対照的な環境にいる2人がお互いのことを受け入れたり、拒絶したりする物語が「ジークアクス」のメインストーリーだと考えると少女マンガなんかでわりによくある話をやっています。要するに、いろいろあってグレて学校に行ってない不良少女と、本当にやりたいことがわからずなんとなく優等生をやっているイライラ少女の出会いですから、よくあるよね。そういう話をじわじわやりたいがために、「サイド6のこの地区はだいたい21世紀の日本みたいな文化のところ!」として、現代日本を舞台にしちゃってます。学校も、神社も、電車もすごく現代日本。そうすることによって、この定番の構図をリアリティを持たせて描いてます。これが宇宙世紀の高校生の話にしちゃうと、その時代の女子高生が何に悩んでいるかなんて我々にはよくわからないし、なにより見てる女子高生が共感を持てません。そして、その世界に「ガンダム」があるという面白さを入れられるわけです。つまり、この話は「ガンダムの世界に、現代日本みたいなところがある」のではなく、「現代日本にガンダムがいる」話にしてるんですね。少なくとも、2人の少女の世界はそう作られている。怪しい闇バイトをしたり、フラフラしてる美大の学生みたいなあんちゃんと餃子を作ったり、3者面談で大げんかしたり。

となると、まずはこの2人の物語をどうするのかということになります。いろいろなオチが考えられます。でも、EDがああいう映像なので、ああなるんだと思います。さて、10話のラスト、2人が自分の世界を手に入れつつあり、それぞれの属する社会の論理で衝突するところまでもってきましたが、2人はどうやって何を捨てて何を手に入れるのか。まず、これがこの話の中心であるというのは忘れちゃいけないところです。そして、あのEDからわかるとおり、シュウジはこの2人の世界には人格を持った主体としてはたぶん関わらないわけですな

(2) ガンダムにおけるオカルトの存在

富野さんの作るガンダムには、ストーリーのクライマックスにでっかいオカルトが入ることが多いです。そして、それがいわゆる誰がどうしたというストーリーとは別の大上段のメッセージ性を持っているというのがパターンです。「人は○○というものだ」みたいな。富野さんというのは、ストーリーとは別にそういうでっかい仕掛けがないと映画は成立しないと思っていて、人知を超えた何かを入れたがるわけですね。別にそういうのがないとガンダムは出来ないとは思わないし、富野さん以外が手がけるガンダムにはあんまりそういうものは出てこないですが、富野さんがそういう人なので、それをやると「ガンダムらしくなる」というのはあると思います。例を出すと、

  • アムロがララァを殺してしまうところのぶっ飛んだ描写(ジークアクスでいうところの、キラキラ)
  • Ζガンダムで死んだ女性キャラの霊に守られてシロッコを倒すカミーユ
  • 精神力で小惑星の軌道を変えてしまう逆シャアのラスト
  • エンジェルハイロウという超能力者を集めて全人類の頭を吹っ飛ばそうとする悪夢な兵器
  • ∀ガンダムの月光蝶

てな具合です。善かれ悪しかれ人の思いが科学的な説明を越えた凄い現象を起こします。ガンダムUCでは福井さんはこの伝統を引き継いで、サイコフレームでコロニーレーザーを止めてます。

ジークアクスではこのオカルトをやるよーっていうことで、最初から伏線が張られてました。はい、ゼクノヴァですね。クライマックスの大ネタがゼクノヴァだということはほぼ約束されてましたが、そこに異世界からやって来たエルメスとララァが関わってア・バオア・クーを消し飛ばすというレベルになるとは思いませんでした。いや、凄いね。

で、いろいろな考察で「ゼクノヴァとは何か」みたいな説明をしようとしてるのを見かけますが、たぶん意味ないです。というのも、上のオカルトたちは全部「説明不能」だから。説明不能な何かで何かを表現しようという話ですからね。

ただし、今のところ今回のオカルトは「キシリアの意図通り」ということの様ですから、そのキシリアの意図とは何か。さらに言えば、ガンダムの伝統にのっとれば、そのキシリアの意図を越えた何かが起きる可能性も大いにあります。ゼクノヴァはどういう仕組みかとか、そういうことを考えても意味ないんで、いったいこのお話しにとってゼクノヴァが指し示すものはなんぞっていうことを考えると楽しいと思います

(3) ガンダム VS エヴァ

パロディだったり、オマージュだったりが大好きなスタジオ・カラーですから、我々もジフレドが出てきたとき「エヴァやん!」と爆笑しました。カラーリングといい、初登場の時の構図とあの足場といい、明確にエヴァ初号機をモチーフにしていることがわかります。「2号機が必要なら、こっちはエヴァにしちゃおうぜ」ということなのかなと。イオマグヌッソの中心に向かうシーンは、明確にセントラルドグマだったし。

ただ、10話のラストを見ると、これって「トリコロールに塗られたガンダム」と「紫と緑に塗られたエヴァ」が対決しているという構図になっているんですよね。この構図に何を仮託するつもりなんだろうかというのもメタな見所ですね。これで、ジフレドをジークアクスが「何やってんだ!」ってボコボコにしたら、怒れる富野に「だからおまえらはダメなんだ。俺のガンダムをめちゃめちゃにしやがって」と怒られるところをイメージしてるのかもしれません。さて、エヴァ側からの反論は如何に?(笑)

(4) ヒゲマン、あるいは緑のおじさんの戦い

もう一人の主役と言ってもいいのがシャリア・ブル。シャリア・ブルは消えてしまったシャアをずっと追いかけている存在です。これをシャアとシャリアのラブラブBL話ととってもいいのですが(もちろん、狙っていると思います)、若い視聴者が気持ちを投影する対象としてマチュとニャアンがいるのだとすれば、ファースト世代の気持ちを代弁する存在がシャリア・ブルのはずです。では、ファースト世代のガンダムファンが追いかけている「消えてしまった存在」とは何なのか。なんでシャリア・ブルは若いマチュ(=若い視聴者)を助けようとするのか。消えてしまった存在であるシャアが姿と名前を変えている「シロウズ」とは何を暗示しているのか。わざわざ、過去の遺物であるホワイトベースを今の時代に引っ張り出して、新しいガンダム(ジークアクス)を作って古いガンダム(赤いガンダム)を追いかけているシャリア・ブルおよびソドンチームが、鶴巻監督とジークアクスチームに対比されるのは当然なわけで、じゃあ、結局のところ、シャリア・ブルはこの世界はどうなって欲しかったのか。いろんな可能性があって、どの場合もシャア(=ガンダム世界で失われ、追い求めているもの)は死んじゃうんだよねっていうのも、この深読みをするとちょっと笑えます。さて、では自ら作り出したこの世界で、シャリア・ブルは欲しかった世界を得られるのか・・・と思ったら「キシリアが思ったことと違うこと始めたーーーー!」と言ってる。さて、キシリアって誰?あるいは何?(笑)

 

 

いや、GQuuuuuuXのメタ読み、面白すぎじゃね?

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2025年春アニメ 1話感想(そのなな)

九龍ジェネリックロマンス

原作マンガはもうクライマックスに向かっている感じですが、完結のタイミングを見計らってのアニメ化なんでしょうか。かなりSFっぽい話でストーリーは結構難解ですが、1話は不穏な雰囲気も含めて上手く演出していていい感じ。水曜日のカンパネラのOPもよいですよねー

それはそれとして、ジェネリック地球は飛行機より上にあるような、雲より下にあるような・・・どのぐらいの高度に浮かんでるんだろね?(笑)

前橋ウィッチーズ

ホームページを見る限り、声優さんが2.5次元アイドルとして存在してるみたい?魔女っ子もの+アイドルもの+ご当地ものを組み合わせて、さらに2.5次元と合体させ、これにサンライズとバンダイナムコが絡むという、何やら広い会議室を取らないと企画できなさそうな感じではありますが、別にアニメとして出来は悪くない。頑張ってる女の子を励ます魔女っ子アイドルってのは手垢が付きすぎてますが、「失敗したからやりなおすぞ」っつって平然と時間を巻き戻してみたり、あっちの世界で心象風景の映像化に遊び心で工夫してあったり、面白くしようと頑張っているというか、この面倒くさい企画を良い意味でクリエイティブが遊んじゃっている感じというか、平凡には落ち着かせない気概を感じます。頑張れ。

それにしても「九龍」と「前橋」の杉田さんの役柄の差がすごい。連続して見たから感心することしきり。

宇宙人ムームー

これも原作既読。猫マンガでも宇宙人マンガでもなく、「家電マンガ」だというのがこの作品の変わったところ。原作の絵柄はけっこうクセが強いんだけども、そこに栗コーダーカルテットをBGMに持ってくるあたりのセンスがいい!冷静に考えたら宇宙人に下宿を破壊されていて大変な目にあっているんだけども、普段からいじめられていて常に悲惨なのでキャパが溢れてもうなんだかわからなくなっているヒロインがケナゲですな。

そして、エンディングの栗コーダー版「さよなら人類」が、もうぴったり過ぎて爆笑。さるにーなるよー

mono

またまたあ原作既読。さいきん、「ゆるキャン△」の方も中古で買って読んでます。なんとも言えないおかしみがある。前橋は群馬だけど、こっちは甲府。山梨県には、立ち入ったこともないなあ。「ゆるキャン△聖地巡礼」してみてもいいかも。ざつ旅ばりにw

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2025年春アニメ 1話感想(そのろく)

これで24本。だいぶ頑張って観たけども、AV Watchのリストは58本あるわけで。半分にも達してない。どういうことなの?

 

ボールパークでつかまえて!

球場で働く人たちの人間模様を描く短いアニメが何本かで1話という形式。ビールの売り子のルリコちゃんがあざとピュアギャルで可愛くてズルい。サイトからコミックDAYSに飛んでマンガの最初の方がかなり読めるんですが、楽しくて結構読んじゃった。マンガ買おう・・・

幕張はかなり馴染みがある場所なんですが、マリンスタジアムには一度も行ったことがないんですよねー。今年は行ってみよ!

真・侍伝 YAIBA

青山剛昌先生が、コナンの前に連載していたマンガ。たまーにサンデーを立ち読みすると載ってたけど、どんな話かは知らず。

土曜の夕方のアニメなので子供向けギャグマンガだからこれでいいのかもしれないけど、流石にちょっと観るのが辛かったー。ノリがだいぶ古い気はするなー。まあ、30年前のマンガだからなー

日々は過ぎれど飯うまし

知らないお店になかなか入れない派なので、共感。若い子はこういうマンガを見て、来るべき素敵な大学生活に思いを馳せるんでしょうなあ。こんな綺麗なキャンパスに通いたかった。マンガは「のんのんびより」の人なのね。にゃんぱすー

アポカリプスホテル

人類が地球から退去して100年。ホテルはロボット達によってひっそりと維持されて続けていました・・・というほのぼのせつなアポカリプスもの。絵があからさまに竹本泉なので、こういうマンガがあるのかと思ったらそういうわけでもないみたいです。1話はそんなホテルの日常を書いていてそれはそれで素敵だったんですけど、最後に地球外生命体のお客様がくる・・・というわけで、2話目からが本格的にストーリーがスタートって感じですね。

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2025年春アニメ 1話感想(そのご)

中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。

京極夏彦は「姑獲鳥の夏」しか読んでなくて、かつ、中身はなーんにも覚えていませんが、この本が京極堂の若かりし頃を描くスピンオフと聞いて、興味を覚えました。なーんにも覚えてないのでスピンオフとしての感想は特にないんですが、主人公の元気な女の子と陰気な臨時講師のやり取りが愉快で普通に楽しめました。面白くなりそう!

未ル わたしのみらい

新世代のヤン坊・マー坊だと聞いて。ヤンマーの提供、というかヤンマーがデザインにがっちり関わっているロボアニメ的な何か。オムニバスなんですと。

で、1本目はデブリ回収屋の話・・・んー、これをやると当然、「プラネテス」と比べられちゃうわけでちょっと無理かなーという。宇宙ステーションがあるような軌道上の物体の速度ってむっちゃくちゃ速いわけで、頑張ったら追いつけるとかいうものではないし、そもそも、軌道上で先行するものを追いかけるんだったら速度を落とさないといけない(すると軌道が下がって角速度があがる)わけで、いやー、ちょっと厳しいかなー。軌道事故の遺品が・・・っていうのもプラネテスでやってたし。からい点数を付けざるを得ないですよねぇ・・・

ゴリラの神から加護された令嬢は王立騎士団で可愛がられる

女の子がいきなりゴリラパワーを手に入れるという、言ってしまえば超人もの。それを乙女ゲーム世界に持ち込んでるわけですね。でも、その超人パワーを「ゴリラの加護」と呼ぶのがなんかちょっとおかしい(笑)。だって、その世界にゴリラいるの?みんなゴリラ知ってるの?そういうナンセンスなところも含めて楽しめばいいのではないかと。

忍者と殺し屋のふたりぐらし

シャフトらしい、動きと色彩とナンセンスのアニメ。カジュアルにばんばん人殺しする2人が不謹慎で愉快です。オープニングもエンディングも良い電波でいいですねー。花澤香菜さんのOPの作曲は、ナムコのゲームミュージックをやってた人らしいですよ。

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2025年春アニメ 1話感想(そのよん)

原作を知っているもの、(1期を観てるモノもほとんどないけど)2期目以降のものは基本、後回しにしてます。後でみるかも。

俺は星間国家の悪徳領主!

1話だけを観ると、ちょっとこれはいただけないかも。ノワールものなんだけど、主人公も理不尽なことをしているし、その理由が主人公が理不尽なことをされた復讐をしているからということなんだけど、1話を見てる限りまったく理がないんで困ったもの。観てて気分が悪くなるシーンしかない。ある意味、闇ヒーラーの逆かも。

ただ、何が何でも1話を面白くしないといかんということもないからねぇ。続けてみると印象が変わりそうではある。

そして、転生先がロボットアニメなんだけども、割とロボットのデザインも戦艦のデザインもカッコよくて、そこは良かった(笑)。デザインしてるのは・・・山根まさひろさん。調べるとかなりベテランのロボアニメーターですな。ガオガイガーのロボ作監やってる。さらに、あのことぶきつかささんもクレジットされてる。なんか、ここはすごく力が入ってますね。

ざつ旅-That's Journey-

いろいろ上手く行かない主人公が、突発的に旅に出る話。え、毎話、これでいくんですか?

ただ、1話目はとても楽しかった。会津若松行ってみたい。これがヒットしたら、kashmirの「ぱらのま」もアニメ化しましょうよ(笑)。あと、なんと言ってもナレーションに窪田等さんを連れてきてるのが凄い。一声で情報番組みたいな信頼感を出してきます。

Summer Pockets

どこからどうみても、エロゲ原作のアニメ。クレジットにKeyって書いてあるよ。ほらね。え?全年齢ですか。Switchで遊べるんだ。

それはともかく、雰囲気はゼロ年代のKeyのゲーム原作のアニメっぽさがすごくありながら、それを失わないレベルで絵柄や作劇は今っぽくなっていて、観ていてすごく安心感があります。まあ、普通にはあり得ない設定、あり得ない人達との出会いなんですけど、お約束感もあり、それでいてはっちゃけてる感じもあり、心地良い。喫茶店のナポリタンのような、ホッとする味わいです。もちろん、日常系では終わらないんでしょうし。期待感あります。

#コンパス2.0 戦闘摂理解析システム -

「ユア・フォルマ」が面倒くさいSF設定を上手く演出していた一方で、こっちはゲームのスピンオフアニメで序盤、丁寧に説明しているようで視聴者をもの凄い勢いで置いてけぼります。続けてみたから、落差が凄かった。ゲームのプレイヤーは問題ないのかなあ。この世界がゲームの世界だというのは理解出来るんだけども、ゲームなんだったらプレイヤー視点の目的が説明されないとだめなのにNPCの立場の理由しか説明されないのでなんのこっちゃよくわかりません。

しかも、途中からゲーム内アイドルのコンサートみたいなのが始まって、それはそれで可愛いけども、その横で「世界の危機だ」って言って悪者が攻めて来てる。攻めてこられてる様子はコンサート会場からもよく見えてるのに、別にコンサートはのんびり続いていて、一体何が危機なのかさっぱりわからないし、どうやって危機が解決したのかも何にもわからない。

うーん、これはダメっすね・・・

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2025年春アニメ 1話感想(そのさん)

ここまで、ものすごく平均点が高い・・・。昔、1話感想をやってたときって、もっとどうしようもないのがいっぱいあった気がするんだけども・・・この5年で何が起きたんだ・・・?

ユア・フォルマ

「攻殻機動隊」っぽい電脳デバイスが絡むバディ刑事物で、さほどオリジナリティのある設定ではないんだけども、むしろそれを逆手にとって世界観の説明を極力絞って1話を組み立てていて「たぶんこういう設定なんだろうな」と想像させながら本当なら説明がもっと必要なことを省いて物語のキーを見せる組み立てが上手いです。

「このバディ2人の関係は?」「そもそも電索官って何?」「アミクスがいわゆるアンドロイドのことを指しているのはわかるけど、どういういきさつでこういう世の中になった?」という視聴者の疑問を漂わせたままで、「以前の事件の関係者が襲われる」というまた「以前の事件って何?」を語らずに今、主人公達が直接追っている謎を語る。これはそこそこトリッキーなことをやっていて、加減を間違うと「全然わからん。置いてけぼりにされた」から「世界の説明が多すぎて、物語が進まん」までの幅がありうるわけですよね。その絶妙なところをやっていて、これは次回が気になります・・・。演出のクオリティが高い!

この恋で鼻血を止めて

なんとこれは吹き替え版。中国のアニメです。クレジットを見ればそれはすぐわかるんですが、それがなければ「変わったアニメだなあ」とは思うけども、これが中国のアニメである・・・というか日本のアニメではないというのはわからんと思います。日本のアニメの「おかしな作品」の幅の中には普通に入ってます。こういうのを中国で作るんだ・・・それでもこいつはだいぶ変わった作品だとは思いますが、その「アニメというもののベース」の共通認識っていうのが、日本と中国で共有されているんだなというのはわかります。つまり、これはアニメであって、カートゥーンでもないし、アメコミでもないっていう意味ね。キャラはちょっと「ヲタクに恋は難しい」っぽいし、ヘンさ加減はちょっと「スペース・ダンディー」っぽさもある。

でも、サイトのキャラの立ち絵のポーズがおかしいのはなんだ?これが中国のセンスなのか?愉快w

ロックは淑女の嗜みでして

お嬢様学校の正真正銘のお嬢様と、急造の転入生お嬢様は、どちらもロックな正体を隠してました。

といっても、このお嬢様学校自体がファンタジーだし、中指立てるようなロックンローラーもファンタジー。全体としてワケのわからないファンタジーになっちゃって、妙に面白い。すでに、どこを切り取っても「そうはならんやろ」という感じ。「けいおん」の方が100倍リアリティがある(笑)。でも、この世界のルールがはっきりしてるので、これはこれでいいよね。

マンガ原作でヤングアニマル連載らしい。この顔の崩れ方が凄いよね。ホラーだよ、もう。

で、演奏シーンは超絶凄くて、どうやらオープニングをやってるガールズメタルバンドのモーションキャプチャーらしい。すっげー。そんなことができるのか。ドラムとギターの演奏シーンを観て「イマドキ、ここまでやらないとダメなの!?」とショックを感じました。

一瞬で治療していたのに役立たずと追放された天才治癒師、闇ヒーラーとして楽しく生きる

これはちょっと1話厳しいかも。厳しい作品がやっと現れて安心しました(笑)

いや、悪くはないです。ぜんぜん許容範囲だけども、1話で主人公のハーレムをじっくり描いてどうする。主人公不在で主人公がモテモテで、その理由がわからないので、すごく居心地が悪い。なんか、今後の展開のとっかかりを作ってくれないと。

ただ、原作のファンなら最初からヒロイン達がわっと出てきて、楽しいのかもしんない。原作のファンだとこういう不満はないと思うんだよね。

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2025年春アニメ 1話感想(そのに)

ある魔女が死ぬまで

可愛い魔女の女の子がきゃぴきゃぴするアニメではあるんです。主人公のメグは元気印でとっても可愛い。ですが、それだけのアニメにオープニングを坂本真綾、エンディングに手嶌葵を起用はしないわけで。1話から、ベタなんだけど泣かせる話をちゃんとやってて、エンタメとしてよくできてます。原作も面白いんだろうなあ。

かつてはこういう作品がライトノベルからわんさか出てきてたんですが、急激にIQが下がったライトノベルから新文芸の枠の方にこういうのが移っているんですかね。もちろん、ファンタジー世界のテンプレを使いまくっているんですが、設定のテンプレ(転生だとか、パーティがどうとか、悪役令嬢がどうとか)は使わない話で、すごくいいなと思いました。2話も観たい。

完璧すぎて可愛げがないと婚約破棄された聖女は隣国に売られる

一方、こっちは設定テンプレ満載です。聖女様追放もの。いや「国には超自然的な能力で国を守る聖女がいる」という設定ってあんまり普通じゃないと思うんですけど(ちょっと発想が東洋的ですよね)、もうタイトルに「聖女」って入っているだけでこの設定をみんなテンプレとして理解するというのが、すごいなあと。

で、これはもうテンプレ中のテンプレなので、主人公が隣国でどれだけちやほやされて、追い出した祖国がどれだけ酷い目にあうかをみて、みんなスカッとするという、そういうもの。なので、それをどれだけ丁寧にアニメにするかがポイントでしょう。その点で言うと、演出はすごくしっかりしているし(例えば、天気とかね)、悪役はちゃんと悪役しているし、BGMも凄く良いし、背景もいい。1話でいうと、隣国へ流される旅路が独特の背景と音楽で表現されるんだけど、ちょっと感心しちゃいました。

いやー、今期はどれも原作のレベルもアニメーションのレベルも総じて高いわ。こんなにチェックする作品が全部楽しいもんだったか、アニメって。

男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)

いや、ラノベはもうダメだろう・・・と思っていたんですが、なんか久しぶりに電撃文庫の新刊ラインナップを確認すると、なんか持ち直してる?これもタイトルはちょっとアレだけども、ダブルヒロインの三角関係でキャラ作りも嫌みがなく、それこそ竹宮ゆゆこがラノベで頑張っていた頃の趣すらあるじゃない。いいじゃない。主題歌も良い電波だし、なんか20年前の調子良かった頃のアニメ見てるみたい。

LAZARUS ラザロ

ナベシンだし、スパイクっぽいのがいるし、エドっぽいのがいるし、キービジュアルの色使いもすごくアレっぽい。皆まで言うな。でも、アレっぽいからダメだとかないし、普通に格好いいし、なんで今まで山ほどコイツのフォロワーがいなかったのっていう。これを毎年観たいんですけど。でも、アレってもう30年前のアニメなんだよなあ。でも、ワックワク。これは最後まで観ます。

キャストもさー、すごーくアレっぽいよね。いま、公式サイトのキャストのところを眺めながらこれを書いてますけど、主役が宮野真守で、山寺宏一と林原めぐみがいて、大塚明夫、中村悠一、杉田智和、小野大輔、井上和彦、上坂すみれ、榊原良子・・・いや、なんかすごいよね。よくこれだけ揃え・・・ん?

多田葵!?エドおるやん!?うそ、アニメの新キャラやるの、何年ぶり!?!?

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2025年春アニメ 1話感想(そのいち)

GQuuuuuuXみるぞってことで、すごく久しぶりに他の番組の1話も見てみることにしました。でも、とても全部はみられない。

勘違いの工房主

かなりピュアな「俺TUEEE」系のゲーム世界ファンタジー。新しさというのは主人公が戦闘じゃなくてクラフトで無双するところなんだけども、別段、それで目新し面白さが見つけられているかというとそうとは言えないです。でも、久しぶりにピュアな「え、このぐらい普通ですよ−」な無双主人公を見て、ちゃんと面白かったり、笑えたので良くできたフォーマットなんだなと思うなど。変にひねりがなくて、むしろいいです。

片田舎のおっさん、剣聖になる

これもまあ、テンプレですね。でも、冴えないと自分で思っているだけのイカすおっさんをやらせたら平田さん最高なんで、見ていてとても楽しい。ちゃんとおっさん強いんで、弟子のかわいこちゃん達が1話からほの字でも違和感ないんでハーレム展開も微笑ましい。これは人気ある原作なんだろうなー。アニメが終わったら原作も読もう。

最強の王様、二度目の人生は何をする?

ここじゃないSFファンタジーっぽい世界の王様が、剣と魔法のファンタジー世界に転生する話。第1話はまだ幼児だったので面白いも面白くないもさっぱりわからない、普通な感じでした。なんか英語のサイトががっつり作られてるのが凄い。海外でも人気ある原作なんだね。

謎解きはディナーのあとで

すっごい久しぶりにノイタミナのアイキャッチ見た(笑)。なんで今やるのかはよくわからないけど、絵柄を思いっきりギャグに振っていてこれはこれで面白いのではないかと。それにしても風祭警部を宮野真守がやるのはすごくぴったりだけど、ちょっとこのアニメの風祭君はボンクラすぎないか?

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