シン・エヴァンゲリオン劇場版
正直、もう完全に忘れてましたし、私の中では終わってました。いや、そりゃそーでしょ。「Q」って2012年ですよ。今更、やるよと言われても・・・
とはいえ、観ないという選択肢もない。しかも、どうやら評判は上々だ。というわけで、公開初日は避けーの、かといって、最初の週末も避けーのってことで3/11(木)の17:00に日比谷のIMAX。前日に、発売当時に買ってシュリンクも破いてなかった「Q」のブルーレイを観ておさらいです。
・・・いや、それにしても「Q」はホント、さっぱりわからないね。こりゃ、覚えてないのもムリはないな・・・。
あまりにさっぱりわからないので、「シン」がいきなり「Q」とはまったく無関係の何かであっても不思議ではないと思ってましたが、思いっきり「Q」の続きからだったので逆にびっくりしました。
さて、「破」の感想で以下の様に書きました。
もともと、テレビ版のエヴァは途中入り組んではいますが、大きく4つのパートに分けられます。
- 大怪獣活劇(代表的には6話)
- 楽しいキャラアニメ(代表的には9話、13話)
- 90年代的カタストロフアニメ(代表的には19話)
- キャラクターの存在意義を問うメタアニメ(代表的には20話や25話)
「破」は2番目と3番目が取り上げられてます。4番目の要素は最小限に抑えられています。また、テレビ版との大きな差として、今回は碇シンジの物語になっています。テレビではアスカ、ミサトも主人公扱いでした(レイはまたちょっと違う扱いですな)が、今回はアスカやレイは「シンジを取り巻く人達」として描かれていて、その内面的な葛藤は主題とされていません。
次の「急」あるいは「Q」が、まさに俺たちの観たいエヴァかもしれません。そういう意味では、楽しいエヴァはここまでかもしれないんだぜ?(笑)
で、「Q」はほぼ、3番目と4番目だけで出来ているようなものでした。あからさまなメタ描写こそないものの、荒廃したネルフ本部は完全にこの世のものではなくなってます。いくら何でも、ゲンドウと冬月、アヤナミ(っぽいもの)とカオルだけしかあそこにいないわけないし、天井もないあんなトコロにピアノ置いておけるわけないし、まあマジックリアリズムというか、村上春樹っぽい不条理さというか、既に半分以上、ストーリーが放棄されてます。
そして、すれっからしのエヴァファンはよく理解しているように、エヴァにおいては理解できなくなったら理解しなくていいサインです(笑)。それは「主人公であるシンジがわけのわからない状況に追いやられているので、当然、観てるあなた方にもわけはわからないのです」ということで、親切な庵野監督はそういう場合には登場人物に「わからないよ」とか「おかしいですよ」とか言わせるので、そうなったらおかしな事になってるんだなと思えばOK。とにかく「Q」は「やれっていうからやったらちょっと楽しくなってきたのに、なんかいつの間にか酷いことになったのはお前のせいだと周囲から責められまくり、まったくわけがわからず、そんな中でも唯一『頑張ればなんとかなるよ』と言ってくれた人のことを信じて頑張ったら、マジで超ヤバいことになってわけもわからず茫然自失」という心理状態を執拗に丹念に100分かけて書いただけの話なんで、まあ、わけがわからない。大変ですわ。
それを受けての「シン」は、ついに「得意のメタ視点」全開。線画でるわコンテでるわ実写でるわという旧劇場版要素に加え、ついには(CGで作った)ミニチュアセットでるわスタジオでるわTV版のテロップでるわの大盤振る舞い。いやあ、エヴァだねぇ(笑)。エヴァみてる気がしてきた。
というところでこれ以上のネタバレはマズかろうということで、以下は観た後でお読みください。いや、まあ、ネタバレされて面白くなくなるような話でもないけども。なんせ、ストーリーは例によって半ば放棄されてるからねぇ・・・。
さて、今回意外なのは「Q」であれだけ精神的に追い込んだシンジのトラウマを回復させるパートがあったこと。これまでメタアニメパートは、精神的に追い込まれたシンジ(や、旧作的にはアスカやミサト)の狂気と救済を描くためにあったわけだけども、今回のシンジくんは田舎暮らしで回復して、元気です。あれ?じゃあ、誰が・・・ってゲンドウかい。というわけで、なんか最後、話の主人公がゲンドウに移ってしまいます。
「破」あたりではゲンドウとシンジの関係が旧作とは違っている描写があって、今回のゲンドウは単なるわけのわからない状況装置ではない感じになってたんですが、「Q」ではその当たりはガン無視だったんで・・・。ただ、ストーリーの構造上はラスボスの位置にいるんだから、作劇的にはまったく正しい。いやー、今回のゲンドウさんはラスボスだったわー。ゲンドウさん、自ら動くタイプだと思ってなかったからびっくりしたわ。ゲンドウさんが甲板に自ら降臨なさるあたりから、TRIGGERのアニメになったのかと思いました。まあ、今石監督もたぶん関わってはいるんだろうけどさ(笑)。
というわけで、「なぜ、わざわざ追い込んだシンジを回復させるパートを必要としたのか」というのがこの映画の本質なんだろうなと思います。なぜなら、そこがTV版や旧劇場版と最も違うところだからです。ゲンドウさんがひとつ目になっちゃったのは、たぶんこの変更の副産物だと思います。そこは・・・やっぱり庵野監督の経験もあるんだろうし、今日はたまたま311の日ですけど、震災から10年の間、多く語られなければならなかったトラウマと回復の記憶も無関係ではないんでしょうなあ。
もちろん、大きく観ればこれは24年前の呪いに満ちた劇場版と語っている内容は同じだし、正直、「またその話ですか」感はなきにしもあらずです。実際、ファンの中には「そういうメタアニメ的な観念的な部分は抜いて、謎と伏線とアクションとストーリーと世界観が美味しいエヴァを見せてよ」という期待がある程度、あったと思います。少なくとも「序」はそういうアニメだったし、「破」の段階でもその範疇に収まる可能性はまだありました。ただ、「Q」「シン」と見終わって、まあ、エヴァはこれだなって感じは(しぶしぶながら^^;)あります。作り物の世界、人と人とが向き合うことを避けた世界と現実世界の狭間を突きつけるという意味では変わってませんが(また綾波でっかくなってたしな)、「輪になって『おめでとう』」に比べれば圧倒的な祝祭的雰囲気に満ちた映像は、何か大きな違いを感じさせるものでした。
いや、しかし疲れた。長い。アクションのボリュームが凄いからお腹いっぱい。ともあれ、長い間お疲れ様。ウルトラマン、期待してるぜ。
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