KOKAMI@network vol.22 『トランス』
KOKAMI@network vol.22 『トランス』を見てきました。本多劇場 5/5 18:00の追加公演です。
「トランス」は私が初めて自分の意思で見に行ったお芝居です。
WOWOWの無料放送でやっていた「天使は瞳を閉じて」のロンドン公演のドキュメンタリーを見て、「オールナイトニッポン」を楽しく聞いていた鴻上尚史とは何をやっている人なのか初めて知り(笑)、その鴻上さんがやっているお芝居が家の近所にやってくることがわかり、すたすた歩いて観に行きました。93年の講演は阿倍野にあった初代の近鉄アート館での公演だったのです。ちなみに今、ハルカスにある近鉄アート館は2代目なのね。
それまで芝居といえば劇団四季のような大規模なものしか知らなかった私にとって「天使は瞳を閉じて」の映像を通じて初めて触れた小劇場のお芝居はとても刺激的だったのですが、初めて生で観た「トランス」は本当に衝撃的でした。
どのシーンでもゲラゲラ笑えるのに、そこで語られている3人の苦悩と絶望はまったく解決されないまま。皇族、精神疾患、トランスジェンダー、不倫という扱いづらいモノを扱いづらいモノとして提示し、生きる目的や心無い噂に基づく不安定な人間関係や日常の理不尽なルールを顕わにさらけ出させる。それを目の前で汗を飛び散らし、激しい運動とダンスで大きく胸を上下させるぐらいなのにきちっとセリフも表現し、わかりやすい起承転結は放棄され感情は唐突に表現され心地よいハッピーエンドは提供されず、「で、結局、これはどういう話だったの?」は観客が丁寧に包んで各自、持って帰ることが要求されている。
演劇って、こういうものであり得るんだ。80年代、小劇場ブームに熱狂した上の世代はこれにやられたんだ・・・というのをまさにたたきつけられたのが、私にとっての「トランス」でした。
まあ、それでも鴻上さんにとっては、これは役者が3人しか要らなくて舞台装置も最低限で済む「お手軽に上演できる作品」を目指して作った作品らしいということを後で知るんですが・・・いや、でもこれは高校生にとってはかなり衝撃的だったんですよ。
そういう作品で、後にDVDを買い、小須田康人・長野里美・松重豊の初演バージョンを何度も観た「トランス」は、あくまであの「トランス」で、後に鴻上さんも何度か上演しているし、他の人が上演した公演の案内を見たこともあったのですが、特に積極的に観ようとは思わない作品です。
そんなわけで、今回の公演もスルーしてたんですが、5/5の追加公演のメールになぜかうちの妻のMilueさんが反応して「行かないの?」と。別に行きたくないわけでもないし、Milueが観に行きたいなら行きましょうかと。それに伊礼彼方の参三は、なんかぴったりな感じがするしね。
紀伊國屋ホールとサザンシアターは何度となく行きましたが、本多劇場は何故か行ったことがなかったし。
追加公演のチケットは抽選だったんですが、素晴らしいことに座席はA-7。ホントに目の前に役者さんがいます。逆に客層がどういう感じかわかりませんでした。朝日24よりはやっぱり年齢層は上だったかな。
はるか30年以上前のお芝居との差というと、もう通じないギャグが直されていたり(「遠い海から来たCoo」はもう誰もわからんのよ)、照明が限りなく「映像」になって表現力を増していたり、参三が自分のことを「オカマ」と呼称しなかったり、いろいろあるわけです。が、お話の根本的なところどころか、割と詳細の部分まであまり変わっておらず。
変わってないんですよ。どうなんでしょう。物語には、普遍性というものがあります。ギリシャ神話や、ホメロスやら、ギルガメシュ伝説の中にも現代の我々に通底するようなテーマはあるし、普遍的なテーマがあるからいまでもシェイクスピアが上演されたりするわけでしょう。でもね、「トランス」ってそういうものだったのかなと。もちろん、「トランス」には普遍的なテーマがあります。あると思うけど、私の中では、非常に90年代的なテーマに思えていたんですよ。30年後には、「あー、20世紀末にはこういうのは深刻なテーマだったよな−」ってなっててもおかしくない話だよねという認識でした。それを、鴻上さんが21世紀も1/4過ぎた段階で上演するならどうなるんだろうという気持ちがあったんです。
でも、それがない古臭い作品になっていてがっかりしたっていう感じはなくて。雅人がネット専業ライターであることがむしろ問題を深くしていたり、天皇制の問題と保守の関係は新しい局面に入っていたり、宗教問題は依然として根深く首相経験者の暗殺事件に繋がっていたり。うーむ・・・って思ってしまいました。もしかしたら、3人の出会いが屋上にタバコの吸い殻をぶちまけるところから始まるのは、20世紀的かも?。2010年代の不良はタバコを吸わないかも(笑)。でも、それ以外の部分があんまり古びていないのは、それはそれで社会があまり良くなっていないことの現れなんでしょうか。それとも、これこそが普遍的なテーマなのでしょうか。うーむ・・・
役者さんについては、初演のイメージが強すぎるので評価するのが難しいんですが、風間さんの陛下は「天皇ってどんな感じでしゃべるか」の解像度が高くなっている感じがありますね(笑)。初演の93年って天皇陛下が雅子皇后と結婚した年で、その後、今の陛下がどんな感じでしゃべるのかを聞く機会が増えたように思うし。小須田さんの陛下はイマジナリー天皇だったけど、風間さんはかなりそれっぽかった。小須田さんの雅人の「狂気」って感じはすごかったけど、あれはちょっと小須田さんならではって感じがします。
岡本さんの礼子はお医者さんっぽさがより強かった気がする。真面目なお医者さんがポッキリ折れる「分析するしかないじゃない!」のシーンはぐっときました。最初のシーンの「早く言ってよ!」のくだりは非常に長野さん的というか、長野さんだからこれを書いたんじゃないかという感じがあって大変そうでしたけど。お芝居の最初、まだ客席の反応を見られないタイミングでアレをやるのは大変ですよー
そして、伊礼さんの参三はもう予想通り、ぴったりでした。なんというか、松重さんの参三よりエレガントな参三になってますね(笑)。松重さんのオカマは場末感があってすごい好きなんですけど、伊礼さんは普通に人気がありそう。
そして、これは私が50歳になってしまったからなのか、18歳で観たときには「物語の残酷さに胸が苦しくなる」という感覚だったのに、屋上のシーンでうるっときてしまいました。というかですね、隣に座っていたおばさまがかなり早い段階からボロボロ泣いてらして(笑)。こっちとしては昔の感覚だったので「えっ!?この話、泣くようなもの???」って思ってたんですが、屋上のシーンはうるっときてしまいました。まあ、私のタイミングとしては「トランス」見た後に高校卒業してるんで、その当時はあの屋上の光景はリアルタイムなんですよね。今、うるっときてしまうのは、あの光景がかつて自分にもあって、そしてもう2度とないって思うから何だろうなと。隣のおばさまは屋上の辺りでは号泣です。でも、もしかしたら芝居自体も今回は初演よりメランコリックだったかもしれないかなあ。やー、わかんないなあ。観てるこっちの変化が大きすぎる。
というわけで、18歳で観た初演よりいい点は絶対つけられないワケですが、それでも満足して帰ってきました。なんかね、観ていない過去の再演のDVDを買って観てもいいかなあって思っちゃった。思ったら劇場で買えば良かったんだけど、まとめて買っちゃったら返ってみないんで、もう少し欲しい気持ちを熟成させた上で、仕事でストレスが溜まって散財したくなったときに買おっと
「トランス」観てきました!
— 長野里美 (@SatomiNagano) May 5, 2026
所々覚えている台詞があったけど、
懐かしいというよりは、むしろもう別物。
30年も前ですものね。
その間、どれだけの人達がこの作品に関わって、どれだけの人達を喜ばせて来たのか…
ただ、この作品が初めてこの世に生まれた時の一つのきっかけになれてありがとうです😊 pic.twitter.com/5URAVuzp3V
おおぅ、同じ回で長野さんが観てたんだ
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