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万博に行った(6/24,25)

もう1ヶ月前の話になりつつあるんですが、大阪万博に行ってきました。

まず、結論から言うと、万博は見事なものでした。このイベントをトータルコントロールした皆さんには最大限の賛辞を。海外からのお客さんが満足できるのかはわからんのですが、日本人なら誰しもがこの祝祭の感覚を共有できるのではないかと思います。個人的には大満足です。

ただし、「万博に行ったよ!」と言うと誰しもが「どのパビリオンに行きました?」って聞いて来ますが、なーんにも観ていません。ただ会場内を練り歩いていただけです。なので、例えば「6時間滞在していたうち、1つ予約したパビリオンを観て、90分待ちのパビリオン2つに並んで、あとちょっと大屋根の上に登ってきた」・・・というのがわりと典型的な万博ツアーの在り方じゃないかと想像しますけど、そういう体験は一切してません。だから、だいぶ偏った感想ではあるんでしょう。あと、子供連れや友達数人とワイワイとかならまた感想が違うと思います。

しかし、そういうことをとりあえず置いておいて、あそこに凄まじくデカいにもかかわらずいい感じに囲まれた感覚がある一体感が感じられるイベントが成立していて、その場の人がそれをちゃんと共有できている雰囲気があったのは確かで、それを作り出すのはめちゃくちゃ難しいことです。だって、音楽フェスやスポーツイベントなら来場者全員が共通して体験できることが前提にあるわけですが、基本、そういうものはないなかで、みんなが「万博に来たなあ。万博って総体としてこんな感じだったなあ。みんなそれなりに楽しそうだったなあ」って思えるって凄いことですよ。

昔の大阪万博ならそもそもこんな課題はなかったわけです。そもそも博覧会というより、このような大規模イベント自体が始めてで、「外人さんが歩いてる」「めっちゃ並ばされた」みたいなこと自体が体験したコンテンツとして成立しました。どのパビリオンで並んでいても、そもそもそんなみんながあちこちで一斉に並んでるということが珍しいので、それが共通体験として刻まれました。

しかし、今やディズニーランドもUSJもある世界です。ただ大規模な会場に様々なコンテンツがあるだけで一体感のある体験が出来るかというのはとても難しい。じゃあ、ディズニーランドはどうしているのかというと、そもそも全体を統一するディズニーの世界のコンセプトがあり、共通したデザインコンセプトがあり、みんなが同じミッキーの耳のかぶり物をしていることによる体験のコントロールが出来ているわけです。そして、シンデレラ城が建っていてみんなが1度はあれをみるということが大事。そういう体験をもう日本人はだいたいしちゃってます。比べられちゃうわけです。

しかし、そもそも万博はそういうトータルコーディネートが難しいです。各国が好きなようにパビリオンを作るのが万博ですからね。そして、シンデレラ城や太陽の塔のようなランドマークを作ってしまうと、そこに人が集まりすぎてしまうというのも課題です。これはかなりの難問です。

そこで、大屋根リングなわけです。

まず、大屋根リング自体が凄いです。近くで見ると圧倒されます。単純なものですが、それだけにこんなもの見たことありません。誰が観てもどうやって成立しているかわかりますが、誰が観てもちゃんと成立させるのが並大抵のことじゃないこともわかります。適当に作れるようなシロモノではない。古代に今はなき高さ50m級の出雲大社を見た人の気持ちが、ちょっとわかります。

さらに、リングなのが凄い。つまり、会場内でどこにいても見渡せば視界にリングが入ります。ここが万博会場であることがすぐ認識出来ます。こいつが無理矢理に世界観の統一を果たしてくれます。会場内のどこからでも観られる太陽の塔と同じランドマークでありながら、人を分散させる効果もあります。

3つ目の凄い点。これのおかげでどこからどこまでが万博か認識出来ます。もちろん、万博会場と大屋根リングは一致しているわけではなく、リングの外にも会場が広がってはいます。でも、そういうことは置いておいて、リングがあるおかげで視覚的に万博自体を一体のものとして捉えられます。これぐらい広いと、そもそも広い会場の一部にいたのでは全体のどのぐらいを視界に収めているのかわからなくなって、そもそも広いのかどうかもわからなくなってきます。都市の目抜き通りなんかはこういう全体感の把握をさせてくれるもので、それがないとそもそも広さが実感できないわけですが、リングのおかげで万博の規模がちゃんと理解出来るわけです。

4つ目。大屋根リングは万博の境界であり、把握を助けてくれるものですが、壁ではありません。範囲を認識したければ例えば壁で覆ってしまえばいいわけですが、大屋根リングは地面の高さではスッカスカなので圧迫感がありません。これは本当に優れてる。

5つ目。当然ですが、夏の屋外イベントです。ゲリラ豪雨のような夕立が何度も起きるでしょう。日差しは観客をじりじり焦げ付かせるでしょう。大勢が避難できる場所として、大屋根リングは大活用されることでしょう。

そして、最後。今回感じた万博の最大の魅力は建築でした。そのパビリオンを大屋根リングは高いところから、かなりの近さでみることができます。これは本当に素晴らしい。

実際問題、パビリオンの中で観られるものに関しては、観てないでいうのは何ですが私が心から「これは凄い」と体感できるものはないと思ってます。河森さんにも、宮田さんにも、石黒さんにも申し訳ないけども、プラネタリウムや4DXの映画、生身の人間のお芝居、科博の企画展に勝てるのかと言われると、すごい難しいと思います。しかも、そこで表現してるものがアートであったり、社会科学習みたいなものであったりするならなおさらです。対象年齢もバラバラだし。そりゃムズいって。実は、ガンダムだけは当日予約のやり方がわかりやすかったので観られたのですが、うん、正直、昔の富士急ハイランドの「ガンダム・ザ・ライド」から大きく変わっているかというと難しいです。ディスプレイははるかに大型にできるようになりましたし、CGのクオリティも上がってますけど、体験の本質が変わってない。で、ガンダム・ザ・ライドが出来たのはギリ20世紀だからね。

でも、特に各国パビリオンの建築は本当に見事でした。どこも甲乙付けがたい。圧倒されました。全部この目で見たかったので、早々にどこかに並ぶのは諦めました。この会場で、1カ所に留まって1時間経つなんて耐えられない。ただひたすら外から眺めて、そして大屋根に上がってまた眺めました。最高だったなあ。アゼルバイジャンの格子も凄かった。中国の竹簡デザインも凄かった。韓国の巨大ディスプレイの映像も端的にカッコよかった。ライトアップされたトルクメニスタンの美しさは優雅そのものでした。タイのミラーを使って巨大な屋根を疑似的に作り出しているのも素晴らしかった。挙げていけば、本当にきりがないです。

私はこの大阪万博は、作り手の顔が見えないことを本当に心配していました。これだけの大規模イベントを一体感持ってやるためにはかなりの統率力が必要で、それが感じられないのはどういうことなのよと。だって、まあ、今、大阪で万博やる意義があるかって言ったら、ないと思うんですよ。これだけ褒めましたけど、それに関しては行って帰って来た後も変わりません。どうせやるんならいいイベントが出来てよかったなとは思うけども、別にやんなくてもよかったよ(笑)。

そういえば、そう思っていた中で1年以上前、東浩紀さんが大屋根リングの設計者、藤本壮介さんを呼んで話を聞いたイベントを視聴しました。

これを観たときにその不安感は高まりましたが(笑)、藤本さんが何かやりたいことがあって、かつ、複雑な状況(それこそなんだか誰がリードしてんだがよくわかんないみたいな)に対してすごくプロフェッショナルな対応をして、その狭間でものをつくるということをしているんだということは感じました。それに対して、山本さんは「いや、お前は中の人なんだから状況をちゃんとすることまで含めてプロデューサーだろ」って厳しいことを言う。でも、それも1つの戦い方だけどもそんなこと知らねえよ、税金の仕事だからって俺がみんなにとっていいと思うものを作るのは変わらねえだろ(とは藤本さんはちゃんとしたオトナだから直接的には言わないんだけども、まあ、それは伝わる)というのが、本当に偉いと思います。大屋根リングは本当に凄いし、これ無しに会場デザインはあり得ないわけだから、藤本さんは偉業を成し遂げたと思うし、藤本さんにこれをちゃんと作らせたマネージメントも立派。いや、びっくりですよ。無理だと思ってた。

まあ、タダ券もらっていったわけだし、ちょっと変わった楽しみ方をしたのは間違いないんですけども、イベントごとだからね。行って体感して損はないと思います。オススメです。行ってお祭りの雰囲気を目一杯吸い込めば十分だと思います。みなさん、ぜひどうぞ。

あ、注意点。日傘、日焼け止め必須です。なんなら、フード被ってもいいぐらい。飲み物、休憩スペースはわりにあります。食べ物はすぐ食べられるメッチャ高いしょうもないものとすげー並ばないと食べられないメッチャ高いまともなものの2種類しかないというわりと絶望的な感じなので、お弁当持っていっていいと思います。

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Surface Pro 12インチを買った

特にこう、必要があったわけじゃないんですが、発売日に買いました。

初めてのSurfaceですが、Microsoftのハードウェアにハズレなしなんで、品質的なことは特に心配なし。これまでのSurfaceの一番の問題は、商品企画なんですよね・・・出発点からしてx86のソフトウェアが動かないところからスタートして、Windowsに無理矢理にタッチインターフェースを入れたWindows8で開発の方向性を見失い・・・、Atom入れて微妙な性能になってみたり、ただ普通のノートPCになってみたり、正直、やりたいことがよくわからない商品展開を10年にわたって繰り広げてきてます。

で、偉いもんで10年以上やっていれば、Arm版Windowsのx86_64エミュレーションはめちゃめちゃ良くなっているし、Windowsのタッチインターフェースサポートもめちゃめちゃ改善されています(なんならもう多くのWindows PCには普通にタッチ可能なモニターがついてます)。Appleはこの間ずーっと慎重にiPadOSとmacOSの微妙なすりあわせを続けていて、未だにMacは画面をタッチできないままですが、それはそれで結局、あのAppleでさえ「ノートPCとタブレットのOSの共通化を紐解くコンセプトが見つからない」ってことを意味しているわけです。その間、Microsoftは生煮えのまま答えがないところに突っ込んで、改良を重ねたけどその先に正解があるのかどうかわからず、艦これブームでちょっと勝ち目がありそうだったWindowsタブレットはその勢いを維持できずに、未だに作ってるのはMicrosoftのSurfaceだけ・・・みたいな感じ。今や、使おうと思ったら十分に使えるけど、別にAndroidじゃなくてWindowsを買う意味は無いし、ChromeboodじゃなくてWindowsを買う意味は無いし・・・みたいな。

そこにやってきたのがSnapdragon Xであり、初めてiPadに勝てるかもしれないCPUとそこそこまともに使えるOSがそろって、かつ、IntelにはまだないNPU性能も手に入れて、よっしゃここでいっちょ本気出すだけの商品企画ができたよーというのが今回のSurface Pro 12です。Laptopの方はダメね。それはASUSも作るヤツなんで、ケンカすると負けるからね。

そしてお値段はMicrosoft 365が2年分4万円がバンドルされてることを考えると、この性能のハードが実質10万円で手に入るわけで、これはCopilot PCを普及させるための戦略価格ですわ。買っとくでしょ。

それに、なんかAI関係のツールが山盛り出てくる昨今なので、自由にいろんなものをインストールして遊んでいいPCが欲しかったんですよね。あ、あと、Nintendo Switchがバーチャルカードを導入したおかげで、2台のSwitchでドラクエXを起動してMilueと遊べなくなったというのも理由の1つです。据え置きのPCでしかドラクエX出来ないと不便。

そういう次第で、別にWindowsのノートPCが欲しかったわけではないし、安くでNPU性能が高いPCが欲しかっただけなので、キーボードカバー買ってません。潔く本体のみ!たぶん実用上問題ないとは思うけど、あの薄べったいキーボードに3万円弱は払えないし、ペンも要らない。ペンでやりたいようなことは、iPadでやるし。

で、買って、タブレットスタンドに立てて、時々そこから取り外して持ち歩いて使ってます。ふつーに便利。まあ、iPadでできることしかやっていないといえばそうなんですけど、やりかけた操作で「あ、この続きは大きいディスプレイとキーボードとマウスがあった方が良い」と思ったら他のPCやMacからリモートデスクトップしてしまえば、ただ普通のPCとして続きの作業ができるというのがiPadとの大きな違いです。あ、キーボードを買っていない以上これができることは必須なので、買ってすぐWindows HomeをProにアップグレードしました。1万円ぱっと払えばすぐアップグレードできて面倒な手続きも、ましてやOSの再インストールも要らない。素晴らしい。

とはいえ、セット運用できるキーボードがあるならそれはそれで良いわけで、この12インチの小さなボディに組み合わせるのに相応しい小さいキーボードがあればいいのになと思ってたら、見つけました。

Epomakerという、最近いろいろありますこだわりのキーボードメーカーから出ている40%キーボード。たったの44キー。ちっこ!こいつがAmazonプライムセールで1万円で買えたので買いました。

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ほら、なんかいいサイズ感(笑)。このキーボードで文章を打つのはだいぶ難しいですが、そもそもSurfaceにはATOKがインストール出来ないので(ARM版WindowsではATOKは動かない)、ガリガリ文章を書くのはそもそも無理だし。AZIKないと日本語打てないし。

セットアップのなかなか難しかったですが、初めてVIAを触って面白かったです。その辺は、こっちに書いておきました。

というわけで、いろいろと遊んでみてます。いや、ちょっと忙しくてAIと戯れるところまではなかなか行ってないんだけども。

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機動戦士ガンダム GQuuuuuuX 感想 そのに

せっかくなので、「クライマックスにむけて」で提示したポイントを振り返ってみますか。

(1) マチュとニャアン

狂犬よばわりされてたマチュですが、最終回でシャリア・ブルによって端的な評価が語られます。やりたい事をやって、それによって自分が損したり不利な環境におかれても、決して人のせいにせず、後悔せず、ただやりたい事をやる人物。それでいいじゃないと。「それがニュータイプ」とか言ってますけど、それはたぶん言葉のアヤで(笑)、鶴巻さんはマチュをそういう人物として書きたかったし、もちろん幼い危ない面は多数あるんだけど、それは周囲の大人が守ってあげればいい事で、若い奴はそれでいいと思うよってメッセージされてて、それはきっちり描かれててよかったですね。マチュは1年戦争という悲惨な現実からちょっと離れた恵まれた世界にいて、恵まれているという自覚もあんまりない。でも、恵まれているんだからワガママ言うなっていうのも違うでしょう。違うと思ったら行動すればいいでしょう・・・というのは、今の恵まれた日本に閉塞感を感じている若者に対するストレートな物言いですよね。あたしゃもう若者じゃないんで、このメッセージがどう響くのかはわかりませんけど、好感はもってます。逆に「このワガママ娘に共感できない」って声も多く見かけて、まあ、それがこの日本の閉塞感だろって作品は言ってるんだから、そういうことだわな。

ニャアンに関しては、マチュに対比させられているわけですが、マチュが「恵まれてないニャアンがもがいてる戦いも、恵まれている私がもがいている戦いも、どちらも等しく戦いだろう。ニャアンの戦いを否定するものか」といい、2人がMAVになって最後の戦いに赴き、ニャアンはその言葉に救われるというのもよかったなと。こういうこと言ってくれるからニャアンはマチュにずっと憧れてたんだよね。

で、結末はEDみたいになるんだろって予想してましたが、ラストカットで着てる水着が干してあるので「みたい」じゃなくて、EDはまさにラストカットの後みたいだね(笑)

(2) ガンダムにおけるオカルトの存在

オカルトくるよ、で、イオ・マグヌッソがゼクノヴァを意図的に起こす装置、これはキシリアの意図通り。でも、その意図を超えた状況になるはずーって予想しました。ストーリーの構造上、そうなるに決まってるんですが、イオ・マグヌッソがぱっくり割れてキシリアが「これ知らない。シャアがこっそり仕込んでたのか。ちくしょう」ってなってましたが、知られないでできるわけあるかーい(笑)。ここは無理矢理ですね。で、その意図を超えたオカルトにより問題の元凶であるシャロンの薔薇を送り返そうと思ったら、向こうから恐怖の大王が来ちゃうっていう、これもわりとよくみるテンプレですよ。

問題は何がくるのかですな。手に負えないほどのラスボスということで、「こいつしかいないだろ」と予想されてた方もいるみたいですが、私はまったく想像してませんでした。あのシルエットが見えたとき、大爆笑しました(笑)

私はこの作品を架空戦記、あるいは歴史改変SFだと思っていて、このジャンルでは別に正史とは別の歴史があることの理由(シャアがガンダムをダッシュしたから、ということじゃなくて、なんで正史と違う別の歴史が存在しうるのかという事)を説明する必要はないんですが、ララァが「シャアが死ぬ夢を見まくる」って言った時に、「あ、そっちじゃなくてマルチバースにするってこと?」と思って意外に感じました。まあ、マルチバースの方が馴染んでる人が多いし、間口は広いかなととは思いました。マルチバースにすると、その間は移動出来るのかって話に当然なるので(ならないとマルチバースにする意味が無いからね。完全に独立してて干渉できないならただの歴史改変SFだから)、「誰が移動しているんだ?」って考えるとシュウジとシャアになるわけですよ。まあ、そうなるよな・・・と。

ただね、最終回を見てもゼクノヴァで消えたシャアは再び現れるまでどこで何をしてたのか、シュウジは何者でどのユニバースのどのタイミングでシャアと知り合ったのかはさっぱりわからない(制作側が決めてるのかどうかも怪しいよね・・・)んで、「その設定いる?」みたいな気持ちだったんですけど、まあ、RX-78-2を呼び寄せようと思ってんならしゃーないわな(笑)。ここは雑だなーって思うけど、まあね、オカルト部分だからね。細かい事をいってもしょうがない。

で、この作品のオカルトは実はゼクノヴァでもなく、概念としてのRX-78-2(巨大化するのはこいつがリアルな存在じゃないよという意味があるわけ。いや、ラスボス感の演出ってのもあるだろうけど)が並行世界(=パロディ作品)を自らぶっ潰しに来るというメタな感じで、「オモシローイ」って感じですよ

(3) ガンダム VS エヴァ

10話のラストではガンダム VS エヴァだったんですが、その後「アルファ殺しが揃った」と言われると。ここでいうアルファ殺しって何かと思うんだけど、単純に「ガンダムとエヴァがアニメ界を席巻したよねー。リードしたよねー」って意味なんだろうね。そうやって派生作品を含むシリーズ総体としてのガンダムの象徴としてのジークアクスと、エヴァンゲリオンで世界を制したカラーを象徴するガンダムであるジフレドが戦うのが、「出来損ないの別ユニバースはゆるさーん」と襲ってくる初代ガンダムという構図で、10話ではVSかと思ってたら違いました。

しかし、わざわざ古谷徹に「これ以上、ララァが死ぬのは見たくない」って言わせるの、「いい加減、アムロとシャアとララァってネタをこすってんじゃねえよ」っていう自虐な台詞になってて、なんかアンビバレントな思いがあるんでしょうね(笑)

(4) ヒゲマン、あるいは緑のおじさんの戦い

最終回を踏まえて考えるとこの作品にはいくつかのレイヤーがあって、一番下(あるいは上?)のレイヤーはマチュとニャアンのストーリーで、そこはすでに言及した通り。

その次にくるのが、架空戦記としてのガンダムifのレイヤーで、そこの主人公はシャアとシャリア・ブル。アムロがいない世界を作って、この世界が物語的に何を意味するのかを語らないと架空戦記の真の面白さ(例えば、太平洋戦争の架空戦記だったら「結局、日本軍あるいは日本人ってこんな奴らだよな」を書きたいとか)にはつながらないと思うんで、そこはどうするのかなーと思っていたら、なんとそこはあんまりなにもなくて(笑)、アムロに関わったせいで不幸になったランバ・ラルやガルマ・ザビ、シャリア・ブルそしてシャアとララァがそれなりに自分の幸せを見つけました。オレは幸せなこいつらを見たかったんだよ・・・みたいな感じになってて「おおぃ、マジかよ。でも、なんかこれはこれでガンダムファンの夢の1つではあるな。アリか」って感じです。緑のおじさんの戦いは、シャアでもザビ家でもなく、アルテイシアを立てれば平和になんじゃねだった。これはこれでなるほどって感じ。

で、ついでに書いておくと、この上にエンディングロールに役名が記載されない3人の声優がやった役のレイヤーがありますと。この人たちはガンダムUCでもう神様みたいになってたんで(笑)、リアルを超越したなにかでいらっしゃいます。このレイヤーのララァがこのユニバースの創造主でした。

そして、創造主ララァを殺しに来るさらにその上のレイヤーの存在のシュウジ(笑)。シュウジ意味わかんないんだけど、ここはもう完全にメタな世界ですね。なんせ「概念としてのガンダム」に乗ってくるんだから、シュウジはもう完全にこの下のレイヤーの人にとっては神。マチュは神にあらがい、最後、神の恩寵を得るわけだ。これは恋なのか?ちがうくないか?で、このレイヤーに対して行ったことは、巨大に膨らみトリコロールすら失った概念としてのガンダムの首をはねる(クランバトルに勝利する)ってことで、たぶん、鶴巻さんも「こんなんガンダムじゃねぇ」って言われまくるだろうと思いながら作っていて、そういう批判に対して「うるせぇ」っていう姿勢が、巨大ガンダムの首をジークアクスがはねるって絵に象徴されんだろうね。

ふう。そのさんは書かなくてもいいかな。というわけで、最終回予想に紐付けて語りましたが、もう物語のつじつまとかだいぶわけわかんなくなっているわけですが、それぞれのレイヤーで何を書きたいのかなということをちゃんと勘案して、それを絵にしたらこうなっているんだよということが読み取れればOK。鴻上尚史のいうところの「起承転結など犬に食われろ」という奴で、ちゃんと場面で何がメッセージされているのか読み取る。それはホントに作者の意図通りかはわかんないんだけども、メッセージや気分やそういうもろもろを画面に出して、それを我々が受け止めて感じ取るってことが鑑賞ってことなんで、そういうもんだぜ、つじつまがあっていることより大事なことがあるんだぜって感じすかね。ま、つじつまなんて画面に勢いがあればどーでもいい気になって感動しちゃいますけど、それはわりと本質的なことなんすよ。こういう感じで構造をちゃんと整理すると、「なるほど、面白いな。まあ、ここから何を読み取るかはお前とは違うけど、読み方はこういう感じなのか」ってみなさん思うんじゃないかしら。

あーおもしろかった。

 

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機動戦士ガンダム GQuuuuuuX 感想 そのいち

はい、めでたく最終回を迎えました。面白かったですねー。

でも、なんかこれ、賛否両論なんですって?で、いわゆる失敗だという人の感想を見ると、多くの人が「ガンダムというのは〇〇でないといけない」とか「ガンダムは〇〇なのに、これは違う」とか言っているわけです。うん、わかる。それはもう1985年に「Ζガンダム」が、1991年に「0083」が、1994年に「Gガンダム」が、2002年に「SEED」が・・・もういいか。とりあえず、これまでのガンダム像と違うガンダムが作られる度に、みーんな言ってきたわけです。だから、「ガンダムは主人公の成長を描くものだ」とか「ガンダムは戦争を描くものだ」とかいうのは、まったくもって勝手な思い込みで、別に思っていてもいいんだけども、それは歴代の「否定されたガンダム」が結果として形づくって来たガンダム像だし、常に新しいガンダムによって否定されるものなのです。私も幾度となく「えー、これ私が思てるガンダムとちゃうー」って感じてきたわけで、そういうのはね、言うだけ虚しい(笑)。

だって、サンライズとしては常に新しいものを作ってガンダムの世界を広げなくてはいけないわけです。これまでのお客さんも大事にしなければならないですし、だから「閃光のハサウェイ」とかやってるわけです。そっちはそっちでやっておいて、次に欲しいのはガンダムの幅を広げる作品であり、今までガンダムのファンではない人に見られる作品。さらに新しい作品のファンが、過去のガンダムも見てくれたら最高です。

それを考えたらジークアクス、最高でしょ。

これまでに、擬人化ガンダム、格闘ガンダム、美少年ガンダム、ヤクザガンダム、百合ガンダムなどが作られて、その都度批判もされながらファンを拡大していったわけですよね。流石にもうやり尽くされてるんじゃないのというところで、ガンダム架空戦記を出してきたのはファインプレーだったし、オレたちがやるならそれだろっていう自認もすごいですよね。スタジオカラーに依頼しにいく時点で、サンライズには「カラーらしい、言っちゃえばエヴァみたいなガンダムを作ってほしい」という期待があるわけですよね。でも、たぶん依頼に行った方には、「じゃあ、エヴァみたいなガンダムって何?」ってことを明確に認識はしていなかっただろうと思うんです。でも、最終的に出来上がったジークアクスは、ものすごいエヴァっぽい。表層的なってことじゃなくて「自分が好きな作品に対するオマージュがある」「大きな世界の謎と陰謀が最初から提示されて、それによりテンションが維持される」「怪獣映画っぽいテイストをいれるなどの絵作りの快感にあふれている」なんていう部分。むしろ、富野さんっぽいのって「台詞回しに独特の面白さがある」「コンテレベルの演出が抜群に優れてる」「登場人物がどんどん思想を語り、思想でぶつかり合う」って感じで、ある種、そういうことをやると「ガンダムっぽい(トミノっぽい)」わけですが、そういう意味ではジークアクスはガンダムっぽくない。それは確かです。

この「オマージュ」と「世界の謎」こそ、95年に私たちを毎週パソコン通信のフォーラムに張り付けにした要因です。あの頃を知っている人は、ジークアクスで久しぶりにあの頃のことを思い出してうれしくなっちゃっただろうし、これが初体験という人はもう、たまらなく楽しかっただろうなと思います。エヴァ、こんな感じだったんだよ。だから、ジークアクスについて、「面白かった」と言っている人より「楽しかった」と言っている人が多いのは、まさに「エヴァっぽい」って思います。依頼したサンライズさん、「これですよ、これ!」って感じでホクホクなんじゃないかな。しかも、「機動戦士ガンダム」という45年前の作品がまた参照されまくって見てくれる若い人も増えただろうから、これはもう目的に対して最高の作品なんですよ。たぶん、作ってる方もここまでヒットするとは思ってなかっただろうね。

とはいえ、ね。じゃあ、ジークアクスが並み居るガンダム作品の中、あるいは様々なアニメ作品、あるいは映像作品の中で揺るぎない評価を与えられるものかというと、それは違うと思うんです。架空戦記はあくまで架空戦記、歴史改変SFはあくまで歴史改変SF、パロディはあくまでパロディです。もちろん、そのジャンルに面白いもの、いくらでもありますよ。「紺碧の艦隊」や「高い城の男」や「ギャラクシー・クエスト」はめっちゃ面白い作品なんだと思いますよ(いや、実はどれもちゃんと読んだり観たりしてないんですけどw)。でも、そのジャンルを選んじゃった瞬間に、作品の格ってものはやっぱちょっと下がります。それはね、仕方ないです。鶴巻さんは俺たちを楽しませようと死ぬ思いで最大限のパワーを注ぎ込んでジークアクスを作ってくれたと信じていますし、映像からそれはビンビン感じましたけど、でも、鶴巻さんは自身の代表作が「フリクリ」ではなく「ジークアクス」だと言われたら、ちょっと微妙な表情をするんじゃないかと思います。それはね、イチから世界を作り上げて、隅々まで自分の世界として出した作品と、自宅から持ってきたバッグいっぱいのレコードを使ってフロアをマックスに沸かせてやったぜってのは、違うだろうなと。そこはね、ちゃんと理解して評価しないといけないです。世界一のDJに対して、お前はビートルズでもなければモーツァルトでもないって批判するヤツはいない。ここをわかってないなって人が、そこそこいますね。まあ、若い。観てるジャンルが狭い。私も若い頃に年長のオタクにそう言われて「へぇー」って思ってきたんで、そういうものっすな。

というわけで、「クリエイターが、スポンサーに求められた仕事を十二分に達成。すごすぎて頭が上がんない」という側面で見れば、これはもう誰も文句の付け所がないわけです。もちろん、今やサンライズはガンダムファンをひとまとまりだと思ってなくて、「閃光のハサウェイ」と「SEED FREEDOM」と「水星の魔女」は狙ってるターゲットが全然違います。「いや、オレは全部好きだぜ」って人がいてももちろんいいし、サンライズにとってもそれが望ましいに決まっていますが、「Not For Meだな」って人もいるでしょう。そういう意味では、ジークアクスはそんなに間口が広い作品ではないんじゃないかなあ。例えば、人間ドラマとして見ると、ドラマのわかりやすさの基本があんまり成立してないんだよね(笑)。そもそも葛藤を抱えている人物があんまりいないというか。だから、キャラクターに感情移入しないと物語が楽しめないというタイプの人には結構、ツラい作品なんじゃないかと思います。だから、「つまんない」っていう人がいても不思議じゃないんだけども、そういう人は楽しめる物語の幅が狭くて損してるよね。

じゃあ、お前はこの物語を評価してるのって言われると、してます。めちゃめちゃ面白いと思う。ジャンル的な不利はあるなかで、物語的な挑戦もすごくされていて、結果的にも面白いものができてると思う。パロディとオマージュがばんばん入ってきちゃうんで本質はわかりにくいと思うし、綺麗に言語化もできないんですけど、やっぱ流石だなと。

というわけで、いい加減長いので、続きはまた書きます。

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