仏教は、いかにして多様化したか/佐々木閑
NHK出版の「世界のリテラシー」シリーズの第9弾。このシリーズは200ページ以下の薄さで「今、知りたい世界史のトピック」をがっつり教えてくれるのが素晴らしい。誰がテーマを決めてるのかわからないですけど、シリーズの最初が「『ロシア』は、いかにして生まれたか」で、ウクライナ戦争の背景知識を得るために必読でしたし、「イギリス国王とは、なにか」はチャールズ国王戴冠、「ユダヤ人は、いつユダヤ人になったのか」はガザ問題というニュースに直結してます。テーマの選び方が上手いんだよなあ。
というわけで、今回は仏教です。今回も面白かったけど、すぐ忘れちゃいそうだからメモっときます。
まず、釈迦が悟って、「俺は悟れたから、みんなも頑張れ」って言ったのが仏教の成立。釈迦がどういう人生だったのかというのは、わりに聞く機会が多いわけです。でも、基本的に釈迦が言ってる事ってとっても哲学的で、いわゆる神様的な超自然的なものが出てこないわけです。だいたいどこの宗教も超自然的な有り難いものがあって、それに畏敬の念を持って祈るというのが、プリミティブな姿だと思うんですが、ここにあんまりそういうものは感じない。
一方、我々はお寺さんにいって、なんか拝んで帰ってきます。あれは、何だと。例えば、阿弥陀仏に「なむあみだぶつー」と言っているとき、あれは釈迦とどういう関係なんだろうと。答えは、無関係で、阿弥陀はパラレルワールドのブッダらしい。どゆこと?
どうやらこういうことらしい
- 釈迦が死ぬ。弟子が集まって釈迦が言ってたこと(経蔵、つまりお経でんな)と、信者が守るルール(律蔵、つまり戒律)を取りまとめる
- 100年ぐらいたって、世の中も変わってきて、律蔵の解釈で揉める。リテラルにがっつり守っていこうぜ派や、趣旨を酌んでもう少し柔軟にやっていこうぜ派などが、律蔵のいろんなバージョンを作ることになる(部派仏教)
- いろんなバージョンが出来ちゃったので、サンガという修行集団の中で「あいつは守ってるとか破ってる」とかの解釈で揉める。このままでは分裂しちゃうので、アショーカ王の頃に「みんなでいっしょに儀式をやってるなら仲間でいいじゃん」という懐深めのルールにする。
- 「出家して修行してオレたちも釈迦みたいに悟ろうぜ」という宗教だったのに、懐が深くなりすぎて「善いことをしてれば、出家しなくても悟れるんじゃね」という主張(大乗仏教)が出てきた。
- どうやったらみんな悟れるんかなーと、大乗仏教を支える理論と爆速で悟れる方法をみんないっぱい考えてそれぞれをお経にまとめたところ、そのお経ごと(般若経とか法華経とか)に宗派がばんばん出来た。
- 爆速で悟れる祈り方は開発されたけど、悟る条件に「前世のどこかでブッダに会ってる」があるのでこれをどうするか考えたところ、我々の世界(娑婆)の釈迦とは違うパラレルワールド(極楽)のブッダが凄いパワーで会ってくれることになってんじゃねと考える一派が出てきた。このパラレルワールドのブッダが阿弥陀。阿弥陀におまかせで悟るのが他力本願。これが浄土宗。
- パラレルワールドありなら、死ぬほどあるパラレルワールドにいるたくさんのブッダにもうバーチャルで会ってると考えていいんじゃね。たくさんのバーチャルブッダを束ねた概念(大日如来)を拝みまくったら一瞬で悟れるからその技を開発しようぜってのが密教。
- あまりにもいろんな設定が出まくったので、それらを統一した上位設定をデッチアップする必要が出たのでメッチャ考えてどうにかしたのが天台宗。
と、日本に仏教が伝わってくるまでにインドから中国まででもうここまで進んでたと。最澄と空海が天台と密教をそれぞれ持って帰ってくるわけだけども、天台が大乗統一設定で、密教が究極大乗進化形なので、持って帰ってくるとするとそれになるわけ。というわけで、インドにおける仏教の最終形態がわりと初期段階の日本に、それまでの積み重ねなしに入ってくることになったと。
ちなみに、なんでこれが最終形かというと、密教が釈迦の仏教からかけ離れた神秘主義になった結果、その先の進化はバラモン教やら土着のインド宗教やらと溶け合ってヒンズー教になる・・・だったから。だから、仏教なのはここで終わりだと。なるほどねー。
とりあえず、ここまでの仏教の流れがとても面白いです。
この本の最後の章は、この流れで日本に入ってきた仏教がどうなったのかという話なんですが、まず仏教のしょっぱなに「経蔵」と「律蔵」(と本当は「論蔵」ってのもある)がありましたと。で、「律蔵」をどう実態に合わせていくか(例えば、服装規定とかがあるわけだけど、インドの服装規定がチベットや中国で適用できるはずがない)というのが最初の大問題で、いろいろな部に分かれていったわけですが、そのうちの1つの部が大乗仏教になっていき、理論的に暴走(?)して「経蔵」のところが多様化したよという話でした。で、その最終段階を取り込んだ日本は「律蔵」のところがちゃんと入ってこなかったと。いろんな理由があるし、ないとそもそも正式な僧侶になれないのでわざわざ鑑真も招いたわけです。ですが、律令制でもそうだったんだけども、日本人は自分で決めたルールを自分で守って組織を運用するということが伝統的にできない。今でもそうですが、1000年以上前からルールじゃなくてその場の空気で組織を運用してるんですな。ダメな国。
というわけで、世界の仏教国で唯一、「ちゃんとした戒律がないし、何も守ってない国」になっちゃいましたと。僧侶が妻帯するし、肉食うし、僧兵とかいって武器も取る。およそ余所から見たら全然仏教してない国です。かっこ悪い(笑)。そして、最澄が天台を教えた比叡山から「天台、ムズすぎるな。部分的に取り出してわかりやすい教えにしないと無理なのでは?」と思った弟子達が、気に入った経典をチョイスしていろんな宗派を始めてしまい、中国からインド発じゃない宗派の禅宗も伝わり、何十どころか百を越える宗派がある国になったと。ただし、天台と並んで導入された密教である真言宗だけはわりと今でも空海が始めたとおりのことを今でもやってますよと。それがこの国の仏教のカタチ。
さすがに釈迦と釈迦入滅から500年ぐらいのこと(つまり紀元前にあったこと)は資料がなさ過ぎてよくわからないことも多いらしいですが、全体像としてはこういうことらしい。すこし見通しがよくなった。特に、空海と最澄が持って帰ってきた時点の仏教が、何がどうなってたどり着いたものだったのかというのが繋がってなかったので、勉強になりました。
あとは、コテンラジオの仏教回で聞いた話も繋がって、すごいよかったですわー。皆さんにコテンラジオの仏教回も聞いて欲しいです。鑑真の回でがっつり律蔵とサンガの話をしてくださってるのが勉強になります。
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