« August 2024 | Main | October 2024 »

またScanSnapを買い換えたけど、試しに修理も依頼してみた

2021年の1月に購入したScanSnap iX1400は、日々、私が大量に買う本やら漫画やらを自炊してくれています。PFUさんとしては「ScanSnap Home + iX1600で紙の資料を賢く管理」という方向でScanSnapをプッシュしてますが、書籍の自炊(って言葉ももう通じなくなりつつありますか?)には無線LANもクラウドアップロードも要らず、ただ、PDFを黙々と吐いてくれた方が楽なので、iX1400を作り続けてくれてありがとうですよ。未だにScanSnap Managerを愛用しています。なくさないで欲しい。最近はKindleも普通になったので、紙の本を自炊してる人は少数派だと思うんですけど、Kindleは未だに信用してないんです。全ての電子書籍はPDFを売るべき。

そんな素敵なScanSnapなのですが、どうもスキャン結果に縦線が入るようになってしまいました。別にScanSnapでスキャンして縦線のノイズが乗るのは珍しいことではなく、それはだいたいスキャン面が汚れているためなので定期的に拭いてやる必要があります。自炊する本って切断したトコロに糊が残っていたりするので、わりと頻繁に汚れます。なので、最初は汚れなんだろうと思っていたんですが、拭いても直らない。おや?これは本格的に不良かも。これでScanSnapは4台目ですが、だいたいローラーなどの可動部品からガタが来るんで、こういう可動部じゃないところに問題が出るのははじめてかも。

とはいえ、買って3年半経ってるし、4台買って初めて出る不良だし、別にネガティブな印象はないっすな。交換用の新品がサクッと手に入ることを感謝しつつAmazonで購入。5台目のScanSnapとなりました。到着して、ACアダプタやらUSBケーブルやらは無視して本体だけ取り出し、故障機と入れ換えてケーブルを挿し直すだけですぐ利用再開。交換に伴う設定作業などは何にも要らないのが有線の利点。

これでひとまず完了なんだけども、これ、修理できるのかが気になりました。PFUのホームページを見ると、修理は「技術料8000円+部品代実費」で引き受けてくれるとのこと。スキャナ部分の光学ユニットだけだったらまあ1万円ぐらいだろうから、トータル2万円チョイ。新品が4万円弱で買えたので、修理するかは微妙ってところだと思います。が、修理したらどうなるのかを知りたかったので、あえて修理も依頼してみました。

問い合わせフォームから投げると、1時間ちょいで返答。それも、「あれは試したか」「これは試したか」みたいな面倒なことを聞いてくることもなく、修理費用と手続きを簡潔に教えてくれます。好印象。厚木のセンターに送れとのことなので、届いたばかりの箱に故障機を入れてコンビニから配送。わりとすぐ修理見積が返ってきました。

詳細は書きませんが、だいたい思った通りの部品費用だったんですが、「別のトコロも壊れとるで」という指摘があり、もう1万円ぐらいプラスになっちゃいました。3万円超えるとちょっと新品との差的に厳しいので、今回は修理キャンセル。診断料として数千円払っておしまい。

しかし、結局キャンセルはしたものの、やり取り全般は常に迅速かつ適切でこれまたまったくネガティブな印象なし。やっぱPFUさんは素晴らしい。5台目もハードワークさせる予定なので、次に買い換えるまでずっとScanSnap iX1400を出し続けて下さい。いや、マジでScanSnapが無くなったら困るんで。

| | Comments (0)

フォース・ウィング 第四騎竜団の戦姫/レベッカ・ヤロス

いやぁ、力入ってますねー、早川さん。SFファンなのでハヤカワのnoteとか時々見ているんですが、発売のかなり前から猛プッシュしてます。

・・・ずっと引きこもっていて街にも出ていないので、世間的に話題なのはどうかわかりませんけど。どうなのかなあ。世界的なベストセラーだし、日本人好みな感じがしますけど、こればっかりはどうかわかりません。でも、たぶん、流行るんじゃないかな。

というわけで、さっそく買って読みましたよ、「フォース・ウィング」。売り文句ではこの本がきっかけでロマンスとファンタジーをあわせた「ロマトロジー」という新しい言葉が生まれた画期的な作品・・・って感じなんですが、えっと、そんな特別な感じはしません。竜騎士のモチーフも別に珍しくないし、士官養成学校ものというのも珍しくない。文系の主人公が家族への恨みでこちらを殺そうとしているイケメンムキムキエリートパイセンと恋に落ちるのも珍しくないです。ヤングアダルトにわりとありがち。

そういう意味で、読みにくさも皆無です。骨太な世界観や、セックス&バイオレンスな学園生活は「異世界転生」を中心とするファンタジーに慣れてしまった若い日本人読者の目にはむしろ奇異に映るかもしれないですけど、読みにくさは皆無。登場人物のキャラも立ってるし、訳語もこなれてます(この辺は本邦のファンタジー文化の積み重ねあってのことですね)。上下巻合わせて800ページのボリュームですが、スルスル読めます。いや、むしろグイグイと読まされます。

お話としてはですねー、ひとことで言って「毎日、新入生が何人か死ぬ過酷なハリー・ボッター」って感じです(笑)。物語のしょっぱなから数十人規模で死にます。竜も超怖いです。人間のことなんてなんとも思ってないので、ちょっと気に食わなかったら一瞬で灰も残らずに焼き殺します。主人公達は、そんな竜に見込まれて(竜側が人間を選ぶんですな。麒麟と同じかな)、グリフォンに乗った敵国の兵と戦うために志願してくるわけですが、主人公のヴァイオレットちゃんは図書館員志望の文系少女だったのに軍の司令官の母に強制的に竜騎士に志願させられてしまう。はたして、ヴィーちゃんは生き残ることができるのか・・・

もちろん、主人公なんでめきめき成長するし、脳筋達の中で一番頭がいい竜騎士として頭角を現していくし、絶対に私を殺そうと思ってるはずのムキムキお色気ムンムンイケメンパイセンも陰に日向にヴィーちゃんを助けてくれて、ぶっちゃけはじめて出会った日から頭ではビビりながらもムキムキの腹筋に主に下半身がメロメロなので、2人はどんどん接近していきます。「ロマンスとファンタジーでロマンタジー」だからね。その辺はもう心配しないで著者の筆に身を任せていて何の問題も無い。最高です。

あとは、やっぱ世界観がすごいし、当然、主人公はこの後、「この世界の秘密」に触れていくんですが、そこはもうちょっと明かされたところで「つづく」になっちゃうんだよねー。巻末のおなじみサンポさんこと堺三保さんの解説によると、なんとこれは全5部作の1巻目になる計画だと著者のヤロスから明かされているそうで、まだまだ先は長いです。まあ、ハヤカワが頑張ってちゃんとこれを売ってくれるとは思いますけど、売れなくて全部の翻訳が出なくなったりしたらオオゴトなので、ぜひ皆様買って読んでくださいまし。こういう世界的ベストセラーのビッグウェイブに乗るってのもそう滅多にあることじゃないんで、発売日ごとにすぐ読んで感想を語り合うお祭りにゼヒゼヒ参加して欲しいと思います。

さて、あとはネタバレ感想を書いておきますか

 

 

 

 

 

いいかな?

何が驚いたって、最初から学園ものテイスト(課題でしょっちゅう生徒が死んじゃうけど^^)で始まるんで、最初の巻は主人公達が新入生。次巻からは先輩になった主人公達が騎士団をまとめていく・・・という学園ものフォーマットをたどるんだと思ってたんですけど、後半、どんどんヴィーちゃんとゼイデン先輩はイチャイチャしちゃって、なんならイく度に部屋が爆発する(だから、ヤってるのが学園中にバレバレというw)ぐらいの激しいセックスをしまくる上に、テレパシーで会話できるようになっちゃって、「ちょっとお話しのテンポが速すぎない?」と。いや、せっかくの設定なんだからツンデレな先輩とイイチャモダな付かず離れずをしないと、お話が終わっちゃうじゃないかと。敵の設定が明かされてきた辺りから、「これはこの上下巻ではすっきり全部は片付かないな」て思ってきたんで、その世界の秘密の開示ペースと彼氏とのくっつくのくっつかないのが並行して進んでいくんだと思ったんですね。でも、テレパシーで会話が出来ちゃったらもう、くっつくのくっつかないのやってられないじゃないですか。常時接続じゃ恋の駆け引きは成立しない。どうすんの・・・と思ってたら、これ、学園編はもう終わり???このラストだと、もう主人公達はバスギアス大学に戻れないですよね。あれー、リーやリドック(彼、いいキャラですね)たちはどうすんのかしらん。

まあ、ばんばんキャラを使い捨ててるんで、いいのかな・・・。これからグリフォン隊の皆さんとも仲良くしていかなきゃいけないわけだし。それにしても、栞代わりに挟んである登場人物リストの上巻の方の1年生9名。何人生き残りましたっけ?えーっと、最初の3人だけ?(笑)。じゃあ、いいか。使い捨てていこう!

キャラ的には、近所の甘ちゃんお兄ちゃんキャラで大人の階段をスキップで上がっていくヴィーから置いてけぼりを食らうデインくんが、最後の最後で陰謀の片棒を担いでたことが発覚する辺りがよかったですね。実はただのいい人では無かったと。上手いなー。さて、この陰謀。メルグレン総司令、エートス大佐、ソレンゲイル司令官の3者の関係はどうなっているのかも気になるところ。ソレンゲイル・ママがホントのトコロで何を考えてヴィーを騎士にしたのか、その本意は何なのか。どうもリオーソン・パパとも明かされてない因縁があるみたいだし。最後の最後で出てきたブレナン兄ちゃんは誰の思惑の下にいるのか。

いやー、楽しみ。続編は来年ですって。

| | Comments (0)

足利将軍たちの戦国乱世/山田康弘

足利将軍たちの戦国乱世どこかのWeb記事を読んでいるときに引用されていて、そんな本があるのかと思って購入。これは面白い。

日本史をやると、室町幕府の政治体制はざっくり習います。が、正直よくわからないわけです。ちょっと前に応仁の乱ブームがありましたし、ゆうきまさみの「新九郎、奔る!」は、主人公が伊勢家という室町幕府の政所を代々やっている家系の人で、今まさにこの本の主題となる7代の将軍の最初の1人、9代義尚が登場しています。そんなわけで、この先、どうなっていくのかなという興味もあって読んでみました。

ものすごーくざっくりした日本史の解説だと、室町将軍が兄弟で争った応仁の乱の後、幕府と将軍の権威は失墜し、傀儡のようになり、最終的に織田信長に廃されました・・・という、いてもいなくても大差ないような扱いを受けてます。で、その時代の室町幕府について研究している著者が「いや、そんなことないよ」ということと「そもそも、室町幕府とはどういう政体で、その結果どうなって、そのことから現代の人はどういう知見を得るべきか」ということが語られています。曰く、「室町将軍とは、現代でいえば国連事務総長のようなものである」と。なるほど、面白い。どうしてか。それはこの本の主眼なのですが、そこを知りたいなという方はぜひこの本をお買い上げいただいて、序章と終章だけ読めば書いてありますんで、割愛します(笑)

そこもすごく面白いし、日本史に対する理解がぐっと深まります。深まるんですが、この本はそれ以上に、7人の将軍の波瀾万丈の人生が面白い。めちゃめちゃドラマチックだし、歴史的な大事件はばんばん起きてます。なぜなら、乱世だから。とっても政体が不安定だから。だから、将軍も管領家も近畿周辺(周防、丹波、阿波、近江ぐらいまでが事件の範囲です)の領主たちもあっちゃについたりこっちゃについたり、協力を求めたり、裏切ったり、仲直りしたり、見限ったりします。その結果、京都から逃げるハメになったり、回ってくるはずじゃないお鉢が回ってきたり、利用したり、利用されたり。ちょっと情勢を見誤っただけで、だれもかれもがすぐ失脚しちゃう(笑)

そういう情勢なので、歴史の教科書に載るような確固とした政治体制や特有の文化が生まれたりするわけではない。だから、あんまりきちんと教えられない。当時の人に取ってはとんでもない事件がばんばん起きて、京都の人は事件につぐ事件、乱に次ぐ乱、戦につぐ戦に数年おきに晒されてもうとにかく大変なんだけども、教科書では「乱れてました。乱世すから」で終わらせられてしまう。なるほどなあと思いました。

ここで7人について詳細に語っていると大変なんだけども、ここに出てくる将軍たちはけっして愚鈍ではないし、その時々でちゃんとロジカルに情勢を見極めて動いてる。ただ、どんどんそういう判断をしていかないといけないので、判断を次々にやっているとどこかで判断ミスをする。その1回の判断ミス(例えば、管領家のお家騒動のどちらにつくか決めたら、乗った方が急死したりする。しょうがないよね、そんなの)で京都を終われちゃったりするんです。でも、諸国を逃げ回って再帰を伺って、一度廃されたのに将軍に返り咲いたりする。いやあ、すごいなあ。こうやって史実を追ってるだけでわくわくするほどドラマチックだから、小説やドラマにしたらさぞかし面白いだろうなあ。

というわけで、知られざる後半の足利将軍の生き様、おすすめです。


新九郎、奔る! (1) (ビッグコミックススペシャル)

| | Comments (0)

朝日のような夕日をつれて2024 そのさん

ネタバレ感想の続きです。読みたくない人は避けてクダサーイ

 

 

はい、いきますよ。

中盤で語られる、立花トーイの社運をかけたゲーム。今回はMRを取り上げます。考えてみれば、この芝居でVRを取り上げたのはすっごく前、20年以上前の91で、確かに我々も気軽にVRに触れることが出来る世の中になりましたが、なんか生活を変えたかと言われると、うーむ。実際問題、現実も「究極のゲーム」を探しているところがありますよね。で、今度はMR。以前のバージョンでは「VRで見たことのない世界ではなく、自分がけして傷つくことのない日常を作る」と言ってたわけですから、まさに正常進化してしまってます。いや、考えたことがなかったけど、これ怖い。例えば、Apple Visionを通してみたら、すごく怒ってる奥さんの、顔だけが笑顔に作り替えられているなんてこと、出来うるわけですよ。こわ・・・

そして、立花トーイがどんなMRゲームを出すかというと「MRラブチャット」。生成AIでしゃべるVチューバー。ヤバい。

ちょっとこれ、会社の勉強会とかで話したことがあるんですけど、AI搭載の「ラブプラス」はマジで人生狂わせる奴がいるので法律で規制するべきだと思います。それは、教育にAIをどう使うか、それとも止めておくべきかって議論だったんですけど、私はそこでかなりの規制派でした。だってね、何でも教えてくれて、すっごく励ましてくれて、ときどき叱ってくれるAIアンパンマンを肌身離さず持ってる小さい子供に対して、先生の権威は成立しませんからね。学級崩壊待ったなしです。そして、「AIラブプラス」は対象年齢いくつ以上って話もしたんですけど、PG12だという奴もいれば、中二病を脱してから(人間、中二病を中二で卒業できるとは限らんのです)という奴もいれば、むしろ18歳までには必修だろうという意見もあったり。難しい話ですよ。

そんなセンシティブな話ですが、舞台の上は馬鹿馬鹿しさ全開です。しかし、伝統的に「朝日〜」の少年役の女装は笑いが取れるネタですけど、一色さんのAIVチューバー、リンダリンダは笑いの対象にならない程度にマジで可愛かったので、ちょっと失敗かも(笑)。よくあの女声で延々芝居が続けられるもんですなあ。

この後のマーケッターの「ローマは一日にして羽田から行ける」(以前は「ローマは一日にしてイタリアの首都」でした)から、舞台の角に言ってのあれやこれや。血液型じゃなくなってたり、LINEへの書き込みを音読してたり、そしてそれをツッコまれて「そうしないと(お客さんに)わからないだろ!」と客席に向かって言ったり、この辺がリニューアルされてるのも心地よかったな。そして、もうね、すっごく楽しみにしてました。今回の○○病!


演劇的なウソを舞台上でやっていることに対しての自虐的なネタなんですが、最初が「新劇病」。その後、再演ごとに「ミュージカル病」、「小演劇病」、「イギリス静かな演劇病」と続いて、14ではいったん演劇を離れて「ソーシャルネットワーク病」でした。さて、今回はどうなるのか。91で「小劇場病」を思いついたときは震えたと鴻上さんもコメンタリーで言ってましたが、これはもう自虐中の自虐で、舞台の上で筧さんに「そこまで言う!」と言わせてました。

で、今回は「2.5次元病」ですよ。そんなのアリかよ!すごいこと思いつくな!

いや、これを堂々と舞台の上でやるのはホントすごいと思う。あ、タブーに切り込むとか社会派とかとかそういう意味じゃ無くて、これを思いついて、ちゃんと笑いにするところがすごい。だって、私はよく知りませんけど、これをやるということは舞台の上の役者さんは当然2.5次元である程度名を馳せている人なわけで、なんなら客席にはそういうお芝居をきっかけに演者のファンになって今この場にいるって人もいるはずじゃないですか。でも、やる。そういう人も笑わせる。そして、ちょっと「芝居とは何か」も考えさせちゃったりする。すごいなー。もう、ここが見られただけで、今回は満足した。すごかった。2.5次元の歌も歌ってた。なんなら戯曲の後ろに楽譜が載ってる(笑)


だんだんと今回のネタはなんだったかという話ばっかりになっている気もしますけど、ずっと歴代の「朝日〜」を見てるとそこばかり気になってしまうもので、この次の少年の「かまってネタ」も「なにかなあ」と思ってました。「SPY×FAMILY」でしたね。97が「エヴァ」、14が「進撃の巨人」。少年、また女装。また無駄にちょっと可愛いアーニャなんだよなー。


そして、ゴドー2の「トランシルバニアのサミー」のシーン。伝統に則って、照明のバトンに乗って下りてくる。

今回、公演のページにいろんな人のインタビューが載ってて、その中に14のゴドー2をやった伊礼彼方さんが、「ながーい詩を朗読しながらバトンから下りて、舞台の前まで行くと最前列のお客さんが一緒にその朗読をしてるんですよ。なんなら僕より流暢に。地獄だと思いました」って言ってて爆笑したんですけども、14のこのシーンは迫力がありました。藤井隆さんのゴドー1の「貴様ーっ!」からのにらみ合い。カッコよかったー。ここはね、今回の公演は負けてました(笑)。なんででしょう。理由はわかりません。


そして、ゴドー2のパート。ここはゴドー2の役者さんの個性を活かすパートです。今回は心理学ネタでした。ここも楽しかったです。特に「ポジティブマーキング戦略」が好きです。今回のここは鴻上さんが作った感じかなー。分析して分析して、分析に踊らされて、分析と戯れる。芝居のテーマにすごく沿ってる気がしました。今回のこのパートはすごく繋がりがよく見えた。なんだか、全体的にぶつ切りのイメージは薄いかも知れません、今回。

そして、便座でダンス。今でも早稲田からもぎ取ってきているんでしょうか。RCサクセションの「サントワマミー」。思わず口ずさんじゃう。

というところで、このパートの最後。どちらがホンモノのゴドーか決めるシーンで少年が割り込む。戯曲には「少年が面白い格好で登場」って書いてるんですが、今回の少年はパンフレットのあのゴドーの格好をして出てきました。一色さんの愛が伝わります。これが面白い格好なのかはわからないけど、髷が3本の力士の格好よりはいいと思いました。京さん、すいません(笑)。

今回、少年がすごくいいんだよなあ。97, 14と少年のキャスティングが、他の4人より芸歴に差がある人になってる傾向がありましたけど、今回はすごく少年が「4+1」じゃなくて「5」なイメージで存在してると感じます。もっとも、少年は他の4人につまはじきにされている役柄なんで、それでいいのかよくわからないんですけど、今回の少年は対等な感じがありました。よかった。


そして、休憩シーン。ここもねー、前回までのアダルツな感じよりちょっと弱いかなー。特に14のゴドーの語りがいいんですよね。藤井さんと伊礼さんだと第三舞台のスピードじゃなくて、なんかちゃんとお互いのセリフを聞いている感じがあって好きでしたが、今回はちょっと第三舞台みたいだった(笑)。ゴドー待ちが差し込まれたところは第三舞台じゃないのに、ここは第三舞台なんだよな。でも、あの速度とテンポでやってみたかったとか、じわっとやったら重すぎて休憩シーンじゃなくなったのか。ともかく、14のここが好きだったんだなーと思い出しました。


さて、いよいよ今回の究極のゲーム、「メタ・ライフ」。前作の「ソウル・ライフ」がたくさんのオンラインプレイヤーの中から、対話を通じて傷つくこと無くたったひとりの運命の相手を見つけてくれるゲームだったものが、ついに運命の相手をAIで作ってくれるゲームになりました。2014年にはまだちょっと信じられていたSNSでの交流や出会いが、完全に否定されているものになってしまった気がします。うーん、そう進むか。それも、そのAIは自分を全肯定するのでは無く適度なストレスを与えてくれるんですって。うーん、そう進むか。

みよ子の遺書では、その運命の相手、AIのソウルメイトを探す幸福、あり得ないという絶望、そして、AIのソウルメイトを寒さに耐えかねて受け入れてしまった瞬間の悔悟が語られていて、2014のラストよりその痛みがくっきりとした気がします。いやー、今回は生成AIがテーマになるとは思ったけど、やっぱり苦い。2014の感想で、手にスマートフォンを持ったまま「僕は、ひとり」ということの難しさについて考えさせられました。でも、2024は、周りをAIに取り囲まれた自分が「僕は、ひとり」という恐ろしさを感じます。いや、マジでひとりだからね、それは


「メタ・ライフ」から「みよ子の遺書」までも途中、いろいろありますが、いいかな。あ、この後も少年は最高でした。「よし、そこへ並べ・・・(まったく動く気配がないのをみて)並ばなくていい」のところも最高でした。素敵な爪弾かれ方です。よかった。

というわけで、全体的な感想は前に書いたとおり、期待通りの「新しい『朝日〜』」でしたし、ちゃんと鴻上さんの最新の「朝日〜」でした。ぶっちゃけ、97, 14, 24と3回生で「朝日〜」を劇場で見ましたが、今回が一番興奮した「朝日〜」だったかもしれない。素敵なお芝居をありがとうございました。

あー、書くのに時間がかかって大千秋楽終わっちゃった。ネタバレバリア、意味なくなってんじゃん

| | Comments (0)

朝日のような夕日をつれて2024 そのに

さて、お芝居の中身についての感想を書いていきましょう。東京公演は終わりましたが、まだ公演は続いてます。これからご覧になるという方はここから下はネタバレになりますので、読まないことを勧めます。ま、そんな方が偶然このサイトを読むとは思いませんけども。

 

 

 

いいかな?

今回はもう楽しみすぎて、家の中にあるDVD、91, 97, 14の3バージョン全部見直してから行きました。この芝居をはじめて見る人は入れ子になってる構造に翻弄されて、「今、どの世界?」ってなっちゃうと思うんですが、すっかり全部頭に入ってる状態です。しかも、今回は劇場で24年版の戯曲も売ってるんで、それを見ながら反芻できちゃうという。いやー、良い時代ですね。


というわけで、8/30(金)の紀伊國屋ホール。お客様は昔からのファンの「初老」って感じの方が4割。役者さんのファンの若い方が2割。あとは謎って感じかなあ。物販に並びまして、トランプとTシャツと(黒は売り切れでした)、パンフと戯曲を買いまして開演を待ちます。「Life is live」暗転 ウィスパー。「The end of Asia」

最初のパートは台本通り進みます。冒頭の研究員とマーケッターの会話から「ChatGPT」って単語が出てきます。そうですよね。今回は生成AIが話に絡んでこないはずがありません。

そうそう、冒頭の立花トーイが最近出したおもちゃ話の中で「ひきこもれ、自分の部屋」が「以前、出してあたったゲーム」として登場したのがオールドファンをくすぐるネタでした。これ、2014の時に当時「出したけど失敗した」扱いのネタなの。ここで笑ってる人は10年前も観た人ねw

あと、このパートでcotomoが出てくるのがさすが。これ、ウチの業界的にはちょっと話題になりましたけど、世間的にはほぼ無名だと思うんですよ。生成AIと音声で会話できるっていうアプリなんですが、普通に作るとどうしても会話にタイムラグが出てしまうので、そこをダルい系の女の子が「んー」「えー・・・っとー」ってフィラーを入れて時間を稼いで自然に見せてるっていうのがちょっと逆に可愛いっていう。あ、その発送はありだねと。ま、ダルい系の女の子と雑談してもなんの生産性もないので一時の話題で終わりましたが・・・よくこんなの知ってるなあ。

さて、一通りのネタがあって、2014年版では「退職金代わりにそのアイデアもって任天堂にでも行きなさい!」の行き先が「スクエア・エニックス」になり(2014年は、まだNintendo Switchが出ていないんですよ)、少年が大坂なおみのコーチになり(この日、新宿までいく地下鉄のモニタでやってるニュースで、全米オープン2回戦負けしたことを知りました)、ここまでがアバンタイトル


タイトル明けは、ウラエスの遊び。ここはもう大高・小須田コンビとは一新されていて楽しく見られました。2014で一番厳しかったのがここですからね。ぐーっと現代にしちゃうと大高・小須田がやっていることに違和感がでちゃうし、昔のままだとそれはそれで今のお芝居にならないし。昔、コメンタリーかなんかで鴻上さんが「いつまでもこの勢いでやってたら役者が死んじゃうけど、若い役者でヤングバージョンが作れたらそれと合わせてアダルトバージョン動き少ない版みたいなのもできるんだけどね」みたいなことを言ってて、ヤングバージョンが出来たんで今、大高さんと小須田さんが60代に相応しいウラヤマ・エスカワをそれこそ「ゴドーを待ちながら」ぐらいのスピードで、それでも素敵な60代なりの素敵な遊びでゴドーを待つっていうのも観てみたいなと思ったり。それはそれで成立するんじゃないかと。

それはともかく、玉置さんと小松さんのウラエスは新鮮で楽しかったです。ここは観ていてなんかほのぼのと観ました。下ネタでしたが(笑)。

そして、伝統芸能のドッジボールとフラフープとダーツとぶっつけ遊びがあり。玉置さんが客席に下りたら「え、ホントに?きゃー」みたいな反応が客席からあって、「おう、若いお客さん、イイネ」とさらに微笑ましくなったり。いや、視線がジジイなのよ(笑)。名作に1文字足してワケがわからなくしようシリーズ、好きです。「君の膵臓を食べたない」が一番好きです。ワケがわからなくなってない!だって、食べたないやん、そら!(笑)


お次は少年登場。ここの「君は応用力というものを誤解しているよ」っていうセリフが好きすぎて、たまに冗談で後輩に言ったりしますが(絶対伝わらない冗談、それはパワハラです)、ここで少年役の一色さんが91の京さんの「ピッチングモーションをしながらセリフをいい、逆モーションをしてセリフも逆に言う」というネタを完コピしてて(笑)。一色さんの「朝日〜」愛アピールなんすかね。うん、私もあのネタ好きです。仲間!

あと、ゴドーの「バカ手紙文」が今回「ぴえん越えてぱおん」になってて可笑しい。ここはホント、毎回違うんだけど、毎回バカ。ちゃんと時代ごと時代を代表する「バカ構文」があることが感動です。文化ってすごい(笑)

そんなこんなあって、ゴドー1の登場だ!


今回、下手の客席入り口の2列ぐらい後ろだったんでスタンバイするゴドー1が見えるかなと思ったんですが、暗くてわかんなかったっす。なんでそんな側にいてもわからないぐらい暗いのにちゃんとスタンバイできるんでしょう。おかげで周りの席のみなさんもいいリアクションしてました。最前列のお客様に「何を待ってますか」と聞いて「素敵なエンディング」とのことでした。本当にお客様がそう応えたのだとしたら、この客はよく訓練された客だ(笑)

ゴドー1のパート。「マッチングアプリ普及協会」も好きだなー。窒素水。水素水じゃなくて、窒素水。さらに意味がなさそうで素敵。マルチじゃないのよ、ネットワークビジネス・・・ってのもなんか最近聞かないから、また引っかかる人いそうですね。今までは大高さんがアルペジオをミスタッチしてたところは、玉置さんがキーボードでミスタッチしてました(笑)。伝統芸能の正しい継承。

しかし、一番笑ったのは「流れ5Gに当たった」でした。最高だ。流れ5Gて。すげぇ。ここも、伝統はふまえつつ全体的にリニューアルされててよかったです。ウチの妻は「べそ子がなくなった」と残念がっていましたが、いや、なくていいです(笑)


・・・いや、長い。中盤の社運をかけたゲームのあたりからはまた別に続きを書きます。つづく

| | Comments (0)

朝日のような夕日をつれて2024

2014年に「朝日のような夕日をつれて」をやるよと聞いたときのことはここに書いているんですけども、結果的には2014年の「朝日~」は第三舞台の「朝日~」となんら変わりませんでした。

「朝日~」は第三舞台の旗揚げの演目で、内容的にも稽古場で作り上げていく部分が相当多い作品です。というか、むしろ「ここはウラヤマ役とエスカワ役が自分で考えて楽しく遊ぶパート」「ここはゴドー1が2人を引き留めるためにどうすればいいか頑張って工夫するところ」「ここはゴドー2役の役者のキャラに合わせて作り上げるパート」のようにわりとはっきりと役割分担が作られていて、それはすごく劇団的な作り方だと思うわけです。

これをプロデュース公演でやるのはすごく難しいわけですが、第三舞台の時も毎回はじめての役者さんはいて、それを大高・小須田の両名が具体的にリードしたり、背中を見せたりしてチームを作り上げて上演してきていたわけです。たぶん。稽古場観たことあるわけじゃないですが、インタビューやDVDのコメンタリーなどから察するにそういうことだと。

で、前回、2014年の朝日は大高さんと小須田さんがいたし、そもそも紀伊國屋ホールから「ホールの50周年記念になにか作品を」と言われたときに「『朝日~』をやってくれといろんな人から大高も俺も言われるんだよなあ。紀伊國屋ホールに縁がある作品だし、どうだろうか」と思った鴻上さんは小須田さんに「やる?」と問いかけて、OKをもらったから「やるか」となったそうです。つまり、この2人がいてこその「朝日~」だし、この2人がウラエスやっていると「朝日~」は「第三舞台の芝居」になっちゃう。少なくとも、私からはそう見えました。ゴドー1の登場シーンの「第三舞台だ、よろしく!」は、「17年ぶりの『朝日のような夕日をつれて』だ、よろしく!」になってましたけどね(笑)

そういう意味で、大高さんも小須田さんも還暦を超えた今、「朝日のような夕日をつれて」は2度と観られない作品なんだと思ってました。なんというか、鴻上さんや第三舞台と独立して成立するような演目のような気がしなかったんで。別にそれを残念だとか思っていたというわけでもなく、そういうものだろうなと。しょうがないよね。

それが、「紀伊國屋ホール60周年記念作品として、『朝日~』をやります」というの聞いて、正直言ってびっくりしました。大高さんと小須田さん、死ぬんじゃね?。しかし、ウラエスは大高・小須田じゃないんですと。若い俳優さんでやるんですって。それを聞いて最初に思ったことが「じゃあ、70周年もできるよね」で(笑)、別に「大高さんと小須田さんが出ていないなんてやだ!」とかじゃありませんでした。そもそも、若い俳優を集めて全然違うメンバーで作ったら「朝日~」はどんなお芝居になるのか。それを見届けたくて、チケット発売日はPCの前に待機。東京の楽日前日8/30のチケットを取り、ウッキウキで観てきました。

全体的な感想としては、全然変わっちゃったねというのでもなく、でも、すごくリニューアルされていて「2024年版の『朝日~』を観た」という気持ちがしました。やっぱり10年前のときにはウラエスの遊び部分で最新を取り入れていくといっても、お二人も最新の流行はよくわからないでしょうし、逆に客席の大半がわかるような流行りっていうのがテレビが凋落してみんながネットのたこつぼに落ちている21世紀にそもそも作れるんですかという疑問がありました。そこは新しい役者になってリセットされた感もあって良かったんじゃないかと。あと、ゴドーの世界で時々唐突に「ゴドーを待ちながら」そのままのセリフをいうシーンがありますが、あそこが以前に比べてすごくゆっくりになってて「いま、『朝日~』のゴドー待ちのとこ」「ここはベケットのゴドーのとこ」というのがくっきり分かれたのも「その方が良いよな」と思いました。今まではそこもクソ速い第三舞台の会話速度のままだったんですが、改めて考えるとその方が良い。というのも、他の部分は新しい役者さんたちが「この芝居はあの速度でやろう」と今までの芝居の経験と切り離して、スピードを上げてやってるんだと思います。だから「ここは違うんだから、ベケットの芝居をやる速度でやろう」という判断になっている。逆に言えば、第三舞台の時は自覚なくあの速度になってたんだと思うわけです。新しい役者さんの苦労はだいぶ大変だったろうと思うんです。が、例えばゴドー1の登場からのしばらくのシーケンスは完全に「朝日~」のゴドー1の伝統的スタイルで演じられていて(コメンタリーで、あそこは池田成志さんがなくなった岩谷さんのスタイルをコピり、それが勝村さん、筧さんにも受け継がれていると語ってらっしゃいました)、かつ、スピードも滑舌もエネルギーもまったくゴドー1に相応しく、かつまねっこではなかった(安西さんはそもそも過去のバージョンを観たことないらしいです)のでこれはすごいなと思いました。

というわけで、2014年のときは「最後の第三舞台の朝日」が観られて嬉しいという気持ちがするお芝居でしたが、今回は初めて第三舞台じゃない(でも、鴻上さんが演出する)「朝日~」なんだと感じました。なんなら、2014年に観にいくときに心のどこかで期待していた「第三舞台じゃない朝日」はこれだったんじゃないかという気さえします。そして、これが観られるんなら大丈夫。第三舞台以外がやったら「朝日~」は「朝日~」じゃなくなっちゃうんじゃないかという不安は払拭されました。つまり、私たちは今後も「朝日~」を観られるということです。もちろん、「朝日~」ができる条件は役者だけじゃなくて、つまりは今回の中心のおもちゃ(だよなあ)であるChatGPTの次の何かが世の中に登場しているということが必要になりますけど、少なくとも10年後にも「朝日~」は観られるっていうことですよ。なによりそれが嬉しいじゃないですか。

あとは、鴻上さんが演出するのではない「朝日~」はどうなんだってことになるわけですが、実はパンフに今回の公演のきっかけは福田雄一監督が「朝日~」を上演しようとしていろんな都合でできなくなったことだと書いてありまして(鴻上さんと福田さんの対談が載っております)、福田さん曰く「まだあきらめてません」らしいのでそれはそれで興味深く感じてたり。でも、鴻上さんが演出しない「朝日~」が成立するかどうかは、微妙じゃないかなー。「池田成志さんがゴドー1をやった85を完コピする」って福田さんは言ってるんだけど、それで成立しないだろうと思うんだよね。でも、もし実現したら絶対観たい。

というわけで、芝居の内容に入らないまま結構な長さの文章を書いてしまったので、ネタバレ感想は別に書きたいと思います。10年前もそうだったつづく

| | Comments (0)

« August 2024 | Main | October 2024 »