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TENET

クリストファー・ノーラン監督の最新作、テネットを見てきました。

ノーラン監督の作品はなんと言っても脚本が素晴らしい。基本的にはギミック先行だと思うんですけど、やってみたいギミックがあって、そのためのストーリーを作って、さらにそのギミックの説明を視覚的にどう説明するかとう設定をちゃんと作る。これが出来る人はそんなに多くありません。

で、今回のテネットは、時間の逆行。つまり、フィルムの逆回しです。フィルムの逆回しって、取って逆に再生するだけなのでいたって簡単にできます。その映像はそこはかとなく、面白い。

しかし、その映像は真面目に考えるとなかなか難しい問題をはらんでいます。ほとんどの物理現象は時間に対して対称です。つまり、時間tを含んだ式があって、そこにt = -tを代入しても意味が変わりません。ところが、熱力学はそうはいかない。ものが粉々になることは統計的に起こりやすいけど、粉々なものが1つにまとまることは起こりにくい。起こりにくいことが起きていると「あ、これは逆回しだな」とわかるというわけですね。

では、この逆回しの世界が現実に起こるなら。このアイデアからこの設定を思いつくのはなかなかですよ。でも、ネタバレになるから書けないよ。

さらに、逆回しの世界を認めると、時間が逆行するので因果律が壊れます。つまり、事態は速やかにタイムトラベルものになるわけです。古今東西の時間SFにはタイムパラドクスをどう誤魔化すか、あるいは逆手にとってあっと言わせるかという課題があります。もはや、「バック・トゥ・ザ・フュチャー」から35年も経っているので、あんまり素朴なものをやるわけにもいきません。しかし、真面目にやるとどんどんフィルムの中の原因と結果がこんがらがり、観客の耳から煙が出ます。どうするか。ノーランの結論は、出るのはしかたないだろう、みたい(笑)。

今、何が起きているのか。誰が何をしようとしているのか。ラストの危機はどう解決されたのか。わかりづらい。見終わった直後の感想は、「すげえけど、こんなもんがヒットするわけないだろう」でした。でもね、すげぇからいいかなという気にはなりますし、「で、ここはどうなってたの?」ってメッチャ語りたい映画なんで、これはこれで成功なのではって気がする。こういうことだったんだーってわかった上でもう一回観に行ったら、画面のあちこちで新たな発見があって面白そう。うん、やっぱりノーランはいいなあ。

というわけで、ネタバレしたいと思います。とりあえず、観てきてからこの下は読んでね。ただ、あんまりネタバレが気にならないタイプの映画かも知れない。観に行くつもりが無い人は、下を読むと見てみたくなるかも。


 

 

 

というわけで、やりたいことは逆回しです。

逆回しの格闘シーンがあって、逆回しのカーチェイスがあって、逆回しのジャンボジェット激突があって、逆回しの拠点制圧戦があります。バッカだなー(笑)。でも、これを大真面目に撮影して、007ばりのスパイ映画にしちゃうんだから、これはもう「バカSF」の1つの頂点です。逆回しバージョンを面白くみせるためには、いったん順行バージョンをみせておかないと行けないので、上記のシーンは全部順行版があります。順行バージョンがつまんないとこの映画は辛いので、そっちもちゃんと面白いのが素晴らしい。そのために格闘シーンには不活性ガスで息が出来なくなるというスパイスがふられてるし、カーチェイスは普通のスパイものによくある盗みのシーケンスがもの凄く上手く描かれていて楽しいし、ジャンボジェットは本物を爆破してるし(マジかよ)、拠点制圧戦はなんと順行と逆行が同時進行です。わけわかんない。

これが全部面白いから、ホントすごい。どの人が順行でどの人が逆行かわかるように「逆行していると外気が吸えないから酸素マスクしている」というルールを入れてるのもナイス。ちゃんと絵で見てわかるようにしてくれるの素晴らしいです。順行と逆行は回転ドアで切り替えられるんだけど、それぞれのサイドが青と赤でライティングされていて、色でも今逆行中の映像なのか区別できるようにしていたり、すごくよい。

後は、物理出身としては、この映画が「素粒子の擬人化」になってるのも可笑しい。順行版と逆行版の同一人物が接触すると対消滅するって言ってて、これは電子と陽電子みたいな反物質をイメージしているわけですが、本当に逆行世界のものが反物質で出来ているなら、あらゆる物質と接触した瞬間に対消滅しちゃいます(だって、反物質も物質もそれぞれ電子と陽電子を山ほどふくんでいるわけだから)。でも、個人と個人でしか対消滅しないと言ってるのは、これは擬人化ですよー。新しいよね、素粒子の擬人化。

そもそも、素粒子物理学では、対消滅を「時間の逆行」と捉える考え方もあります。例えば陽電子は電子の質量以外の属性が反転している粒子ですが、電子が時間を遡っていると電荷などの属性が反転して見えると考えるとします。そこで、電子がふよふよーと漂っていて、ある瞬間時間を遡るとします。すると、その瞬間から電子は陽電子に見えるようになるわけですが、時間を遡っているので反転した瞬間から先の時間にはこの陽電子は存在せず、反転した瞬間から過去に「存在していた」ことになります。これを一定の方向に流れている時間でみると、電子と陽電子が漂っていて、2つが出会ったら消える様に見えると。でもそれは消えたのではなくて、引き返しただけだと考えることもできるわけです。この理屈を押さえた上で、回転ドアのシーンを観ると面白いよ。

で、そういうギミック中心の映画なんで、登場人物の行動は、大分謎です。主人公の素性も動機もわからない。名前もわからない。なんでこんな理不尽な任務に一生懸命なのかも謎。なんで任務を危険にさらしてまでヒロインを助けようとするのか謎。悪役のモチベーションも謎。「余命幾ばくもないからやけになっている」って、やけになっている人はインフィニティストーンを集めません(笑)。

そういうわけで、めっちゃびっちり考え抜かれていて、それが映像的快感にがっちり結びついているところもたくさんあるけども、「ちゃんと考えてないでしょ?」「ノリでそうなったら面白いからそういう設定にしただけでしょ」みたいなところも一杯あるのはご愛敬。そこは全然疵になってないと言い切って良いと思います。いや、気にする人はすると思うけど、ちゃんとしたってこの映画が良くなるとは思えないって。その辺の割り切りもすごくよいです。

いやー、このぐらい「バカ」が入ってきた方がノーランはいいと思う。

問題は、どう頑張っても続編が作れないぐらいだな(笑)

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