君の名は。
新海誠監督の最新作、「君の名は。」を観てきました。
もちろん新海監督の名前はよく知っていますけど、実はちゃんとは観てません。実は観たのは「秒速5センチメートル」だけです。「言の葉の庭」はBDを買ってあるんですけど、観てないんですよね。
というわけで、それほど新海監督の個性を理解しているわけではないですが、「秒速5センチメートル」と比較しても、とても共通するものを感じました。
その反面、今回は新海監督にとっては初めての製作委員会方式で、必然的に間口の広さが求められます。その期待にもかなり応えていたんではないでしょうか。
・・・とネタバレなしで言えるのはこのあたりまで。重要な脚本上のギミックがあり、感想も批評もそこに触れないではいられません。個人的にこの映画の評価は高めで凄く楽しめたのですが、細部にわたる完成度という意味ではあまり高い点数は上げられません。ただ、そこは新海監督作品のもっとも重要な点ではないので、これはこれでOKじゃないかと。
今回、BD/DVDになるのを待たずに公開1週目に観に行ったのは、どうやらその「ギミック」についてのネタバレを知ってしまうと面白さが半減してしまうよという感想を多く聞いたから。それは実際に観てみて私も同感です。少しでも興味があるのならとっとと観てきちゃったほうがいいです。配信やディスク販売が始まるころにはみんなネタバレを気にしなくなっちゃうでしょうからね。
というわけで、観てない人はここから下は読んじゃダメ。今すぐチケットを取って!
===ネタバレ防止フィールド===
まず、「秒速5センチメートル」と非常に近い感覚を感じたのは以下の点でした。
- 喪失がテーマであること
- 音楽の占める領域が通常の映像作品よりずっと大きいこと
- SFがギミックとして入ってくるところ
もうね、これ、全部私が好きな要素なんですよ。
私なりにこの作品のテーマを端的に言うならば、「朝、目が覚めたら泣いていた。夢で見たことが悲しくて悲しくて、でも夢なので何が悲しかったのかはどんどん忘れていってしまう。失ったことすら失う悲しみの背後で、では失ったものはなんだったのか」ということです。んとね、だからこの話の本質は、全然ラブストーリーじゃないです。
見終わった後、安心していくつかネタバレ批評を読んだんですけど、「なんでこの2人がお互いを好きになるのかわからない」って意見があるんですよね。でも、それはたぶん男女の恋愛として好きなんじゃないんですよ。何だかわからない運命の結びつきに対して、それを失いたくないと思っているだけで、そんなの言葉にできないから「すきだ」って書いたっていう話なので。そこはOK。
「秒速5センチメートル」は、ストーリーの結論が山崎まさよしの「one more time, one more chance」という曲そのものになっていて、ラストにこの曲を流して、この曲の心情にたどり着いた過程をそこまでに書くという非常に変わった映像作品でした。で、この曲は完全に喪失の曲です。
で、「君の名は。」の最後は大学卒業を控えた瀧が、自分でも理解できない喪失感を抱えたまま社会に出て行くという場面。これ、観てる気持ちは「秒速5センチメートル」にそっくりでした。瀧のような経験が無くても、いや、瀧自身も忘れてしまっているので具体的な経験は無い点では同じかもしれませんが、何かを失った、あるいは何かが足りないという感情で日々を過ごしている人、多いと思うんです。
ただし、「君の名は。」では、最後に2人は出会います。再会・・・じゃないよね。出会うでいい。ここは賛否両論あるのかな。私とMliueは「会えなくてもよかったよね」という感想でしたけど、この映画の規模とターゲットを考えると観客を落ち込ませて帰らせるべきではないし、ラストは十分いい出来でした。
併走する電車ってすごく素敵ですよね。周りの景色は流れていくのに、併走する電車の車内だけこちらからは止まって見える。それでまるでつながっているように思える。私もすごく好きで、窓に張り付いて隣の電車を観てしまいます。子供の頃の話なんで超ローカルなんですが、大阪市営地下鉄の四つ橋線と御堂筋線は、大国町駅を出てなんば駅へ向かうほんの数分だけ併走する区間があります。地下鉄なので真っ暗な中、併走する電車の車内の光景だけがぼーっと浮かび、すぐに壁で遮断されてしまいます。その見えなくなる瞬間の切なさが好きで、じっと観ていたものです。
なんの話かって? 観た人はわかりますよね。でも、じゃあ、あの後ふたりはどうやったら出会えるのか。なんであの階段へたどり着くことになったのか、さっぱりわからない(笑)。でも、そういう整合性は置いといてあの併走する電車のシーンを作ったってことは、監督は電車の併走が私と同じぐらい好きなんだろうなと思って嬉しくなってしまいました。なので、あのラストは私的にはOK!(笑)。でも、あのラストシーンだったら、タイトルは「君の名は。」じゃなくて、「君の名前は」あるいは「君の名前を」なんじゃないかなあ。「君の名は。」というタイトルはもちろん、あの昭和の名ラジオドラマの「君の名は」から取ってるんだと思いますけど、ちょっとどうかと思うセンスです。
さて、前述の通り、「秒速〜」はほぼ「one more time〜」というすでに存在する他人の曲ありきの作品でした。一方、「君の名は。」も音楽の占める割合が非常に大きい作品でした。オープニングからエンドクレジットまで全てあの特徴的なRADWINPSのサウンドで統一され、要所要所で挿入歌が使われます。劇伴とテーマ曲を全部まとめて特定のアーティストにお任せというのも珍しいと思いますが、全編があのサウンドに塗り込められていると、RADWINPSのためにこの作品があるのではないかと思わせるぐらいの強固な組み合い方になっています。音楽的にもなんだか1枚アルバムを通して聞いたような、ずっしりとした手応えを感じました。因果関係はもちろん逆なんですけど、ここも非常に似たところです。
そして、SF的なギミックが効果的に使われることも「らしいなあ」と感じたところ。ここが完全にフェイクになっていて、「高校生の男女の心と体が入れ替わる」話だと、アイデアとしては昔からあるし、過去に名作はいろいろあって、展開も予想がつきます。最初、「君の名は。」はそういう話だと紹介されていたので、そういう話なら観なくてもいいかなと思っていたんですが、どっこいtwitterで「入れ替わるだけじゃなくて、お互いの時間がズレているというのは新しい」という感想を読んでしまって、「なにぃ」と思うと同時に「しまった、これを聞く前に観に行って、劇場で『なにぃ』と言いたかった」と考えて慌てて観に行った次第。残念ながらそこはわかった上で観に行って、冒頭、二人が使っているiPhoneが5と6になっているので「ほお、三葉の方が過去なのね」とわかってしまいました。
しかし、ずれているのが3年で、しかも瀧の時間ではすでに三葉は死んでいるというこの設定が明かされた時には痺れました。もちろん、「瀧が夢の中で失っているものはなにか」という物語の要請から、「夢で出会った少女はすでに死んでいる」という設定が出て、そこから入れ替わりの設定へと組み立てていったんだと思いますけど、この設定は見事。もうね、その設定聞いただけで切ないもの。
大林宣彦監督の「転校生」的なラブコメを期待していたら、いきなりタイムパラドクスもの、そして時間改変ものへとなだれ込んでいき、またその改変しようとしている事象が、地球への隕石の落下という災害だというディザスターものへとなだれ込んでいくのは本当に見事。観客は呆然と目の前のストーリーの枠組みが変わっていくジェットコースター感を味わえます。いや、ストーリーがどんでん返しに次ぐどんでん返しのジェットコースタームービーってのはキャッチフレーズとしてよく言われますけど、ストーリーの枠組というか、ジャンル事態ががらんがらんと変わっていくっていうのは珍しいですよね。三葉との入れ替わりが途絶えてからの「飛騨パート」はさらにロードムービー感まで加わっていて、ここは本当に構成が見事でした。前半の楽しい「転校生」パートからの落差も相まって、驚嘆しました。
それも、オープニングでその隕石が落ちてくるシーンがイメージ的に使われていて、さらに最初のシーンから糸守の湖がクレーター(か、カルデラだけど、それが区別できるようにオープニングがある)であることはすぐわかります。しかも、宮水神社のご神体はさらに別のクレーターなので、ここは何らかの理由でばんばん隕石が落ちてくるヤバい土地であることがちゃんと説明的じゃなく示されているというのも見事。そこまできっちり伏線が張られていても、三葉が隕石の落下で死んでいるというシーンはショック。これも「シン・ゴジラ」と同じく東日本大震災の記憶と結びついた表現で、2016年はちょうどそれが世に出てくる時期なのですね。
と、これだけ「秒速〜」と「君の名は。」には共通点があるので、まあ、ファンは「結局、またあの話?」と思います。でも、押井守にしろ庵野秀明にしろ、作家性の強い監督って同じテーマを何度も変奏するものなので、それは全然アリです。
では、今回何が新しくなっているのかというと、アニメ表現自体。それもコンピューターを使うことにより全てを自分でコントロールする、初期はホントに全部自分で作るという新海監督の最初のアイデンティティから、大作を任される日本屈指のアニメーション作家への変貌です。
アニメーションとしての、黄昏時の再会から隕石落下のシーケンスは本当に見事。感心したのは、瀧が口噛み酒を飲んだあとのイメージカットでペーパーアニメーションをやったことと、落下シーンが迫力のある作画で描かれていたこと。デジタルネイティブな個人製作から出てきた新海監督はこれまでそういう表現をしてこなかったというか、「そういうことは出来ないけど、それでもアニメーション映画は作れる」というところで魅せてきた人だと思っていたので、すごく意外でした。エンドクレジットに黄瀬和哉(プロダクションIG作品における中心的なアニメーターさんです)という名前を観たときも、新海監督はそういう「作画愛でみるアニメ」の様なものと対極にある人だと思っていたので、本当に意外。そういう意味では、ちょっと言い方は変ですけど「普通の大作アニメ」(いや、大作アニメが普通かっていうとそんなことはないと思うんですけど)的でもあり、すごく新海作品でもあるという新海監督がもっとビッグネームになっていく過程でのバランスというか落としどころというか、そういうものを感じました。
その大きなドラマのシーケンスがあった上での、最後のパート。「秒速〜」で言えば第3話にあたる部分(笑)は、また一転して落ち着いたトーンになっていて、新海監督の最も特徴的な個性でとどめを刺してくれる。いや、この枠組は本当に見事。見事の一言に尽きます。
ただ、この見事な枠組、構成に対して、脚本の部分部分をみれば粗は結構あります。みんな疑問に思うのは、「いくらなんでも入れ替わっているときに日付ぐらい観るだろう」とか、「教科書も何もかも違う学校生活はいくら何でもやりきれないだろう」とか、勅使河原の役割が半端だろうとか、なんで瀧が入れ替わりの相手になったのか不明で脚本的に瀧には主人公の資格がないだろうとか。その辺りは甘いし緩い。気になる人は気になるでしょうし、本気で練り上げればまだやれる部分だと思います。思いますが、そのひと皿ひと皿の完成度ではなく、コース料理としてみたときの素晴らしさ、類の無さ。それを2時間以内でさらっと魅せてくれる構成力はすさまじいので、気にならない・・・というかむしろ、もう緩いのがいいぐらい。そこまでびちっとしてたらちょっと息苦しいかもしれないです。
というわけで、ちと論旨が飛び散ってまとまりのない感想を書き散らかしましたのでまとめますと、新海誠の変わらないテーマと、わかりやすい大作アニメ的すごさと一応のハッピーエンドに仕立てた間口の広さを併せ持ち、かつ、めくるめくジャンル変転による一級のストーリー構成を味わえるこの映画は、まさに押井監督にとっての「攻殻機動隊」、細田監督にとっての「サマーウォーズ」、庵野監督における「新世紀エヴァンゲリオン」のような、「メジャーとしての最初の代表作」になったのではないかと、そう思います。こいつは傑作ですよ。
いや、こりゃ次の作品は大変だぞぉ(笑)
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