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エンダーのゲーム

最初に映画化決定の報を聞いたのは果たして何年前のことか・・・10年ぐらいは経ったのかなあ。

カードの「エンダーのゲーム」は大好きな小説で、続編の「死者の代弁者」と共に私のSF者としてのベースになる作品です。世のSFファンはすべからく読んでいると言っても過言ではない、有名な作品でもあります。

そんな作品が映画化されたとあっては、観に行かないわけには行きません。たとえ、しょっぱい出来だったとしても、「しょっぱかった」という事実を確かめないわけにはいかないんです。

というわけで、本屋さんで平積みになっている新訳版の「エンダーのゲーム」を買って復習をばっちりした上で、公開2日目に有楽町で見てきました。

さっそく感想・・・なんですけど、正直言って私には判断が出来ません。個人的には結構、満足しています。小説を読んでいる時にはなかなかイメージするのが難しいバガーのビジュアルやバトルスクールの描写を見て「こんななんだー」と思ってすごくうれしいし、その意味では大胆な改編なくまんべんなく描写してくれたのは良かったです。

ただ、原作を読んでいなかったら厳しいかな・・・という感じはあります。何より、原作のいいところは全然映画には表れてなかったように感じるんですね。

でも、それは予告編を見たときからわかってました。大事なポイントは「少年は宇宙戦争を“終わらす使命”を背負って生まれてきた」という映画のコピーの表現ですな。これだと、最後はエンダーは世界を救うんだなと思っちゃいますよね。

原作は違うんです。原作がどんな話かというと、こんな話です。

2度に渡る異星人『バガー』の侵略を、知将メイザー・ラッカムの活躍により辛くも撃退した地球。最後の戦役から数十年が経ち、ラッカムも退いて久しい。いつになるともしれないバガーの『第三次侵攻』に備えて地球最高の司令官を育成するバトルスクールが作られた。

子供のうちから知能指数の高い子供を選抜し、情け容赦の無い訓練が行われる。異常なまでに優秀だが暴力的すぎて指揮官にはなれない兄と、異常なまでに優秀的だが優しすぎて兵士になれない姉のために、出産制限の例外である第三子(サード)として生まれたエンダーは、生まれながらに戦う義務を背負っていたのだ・・・

つまり、エンダーは「戦うこと」を義務づけられてはいるんですが、世界の救世主として生まれてくる訳ではありません。戦うこと、バガーを滅ぼすことだけが自分の存在意義だと思い、苦しみながらバトルスクールで頭角を現しますが、エンダーは優秀で期待されているが故に、わざと過酷な状況へ追い込まれます。ひとりぼっちのエンダーが信頼できる友達を得てはそこから引き離され、冷徹なリーダーにこっぴどくいじめられ、さらに未熟なまま孤独な指揮官にされ、次々に無茶な訓練を与えられて、壊れる寸前まで追い詰められる。

そんなエンダーが、泣いたり怒ったりしながらどうやって試練をくぐり抜けていくのかという成長の物語が「エンダーのゲーム」という小説のキーなんですが、それを2時間の映画でやるのは無理があります。であれば、このキーのさらにエッセンスを表現するために大胆にエピソードを作り変えるか、諦めて原作のダイジェスト映像集にするしかない。この映画は後者になってます。前者にしたら、よく出来た映画になったかもしれませんが、原作ファンには怒られたでしょうねぇ・・・

となると、この映画はエリート少年の挫折と成長を描いた物語では終われないわけで、ストーリー構造としてはエンダーが戦争を終わらせることは最初から決まっているというような流れになってしまうわけです。じゃないと、本気で何をみているのかわからなくなっちゃうから。

だから、なんでこうなっちゃったのかはすごーくよくわかるし、原作ファンはそこそこ満足できてしまう映画だったので、悪口は言いたくありませんが・・・まあ、100点満点で70点かなー。というか、原作知らずに観た方にききたいですが、これ、わかりましたか?

ちなみに、原作の方は、エンダーの成長というメインの柱がありながら、「没入型3Dゲームを心理テストとして使用しつつ、それが異星人とうにゃうにゃ」というマニアックなSFの部分が絡んできたり(これ、映画にも出てきますが、何だったのか伝わったかなあ?)、エンダーの兄と姉はブロガー(30年前にブロガーの存在が予言されてる!)として自作自演をしながら世論を誘導して只者でないっぷりをばりばり発揮していたりとか、エンダーの合わせ鏡のように設定されたビーンのストーリーもあったりとか、多重的でふかーい話です。さらに、30年前に書かれて散々下敷きにもされているので、それほどにも感じないと思われる「衝撃のラスト」も再読してみたら、やっぱり変わらず感動的でした。

私が原作で一番ぐっときたのは、エンダーが負担をかけすぎたペトラを「壊して」しまうシーンなんですが、これは映画ではカットされてます。まあ、しょうがないと思いますけど。

というわけで、もし、この記事を読んでちょっとでも興味が出た方がいましたら、まずは是非、原作をお読みください。最高に面白いです。保証します。で、原作を気に入ったら「あのバトルシーンが映像になっている」ってだけで間違いなく観に行きたくなるはずです。そういう方の期待にはばっちり応えてくれる映画です。とにかく、原作を!

そして、さらに言えば今は絶版で手に入らない続編の「死者の代弁者」は、誰しもが楽しく読めるというタイプの作品ではありませんが、「エンダーのゲーム」は「死者の代弁者」の壮大なプロローグだったと言い切る人がいるほどの名著でもあります。是非、読んで欲しいですが、絶版です。映画公開前はまだ中古が定価程度で買えましたが、今みたら上下それぞれ5000円ぐらいに値上がりしてます。うひー。頼むよ、Kindle。お前の存在意義を示すのは今だ!

こちら、続編で唯一まだ手に入る「エンダーズ・シャドウ」は「エンダーのゲーム」をビーンの視点から書いたもの。これも「エンダーのゲーム」を気に入ったのなら必読ですよー

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