誰が可夢偉を必要とするのか
鈴鹿の日本GPでは可夢偉の母国での初表彰台に沸きましたが、ペレスのマクラーレン移籍を受けて、一気に可夢偉のポジションは微妙になりつつあるようです。 ペレスの移籍がありながらテルメックスというメキシコの通信会社が引き続きザウバーのスポンサーとなることの発表があり、これは当然、サードドライバーのグティエレスがレギュラーに昇格することを意味しています。カムイは残りひとつのシートを他のドライバーと争うことになり、持ち込みスポンサーのない可夢偉はどうしても不利な立場です。
可夢偉以外の誰にとっても威張れた話ではないので日本ではあまり言われない事ですが、日本車メーカーとも日本のスポンサーともまったく関係なくシートを得ている日本人ドライバーは非常に稀です。 タキ井上のような例外もいるんですが、彼は並のドライバーでありながらF1に乗れてしまうほど実業家としての能力が高かったというべきで、ほぼ毎戦資金繰りのことを考えていたとのちに語っています。スーパーアグリの事例もご存知の方はご存知でしょう。F1というのはあり得ないほど閉鎖的で非常識でヤクザな世界なのです。
トヨタがF1から撤退したときも書きましたが、正直に言ってF1はまともな企業がまともに相手をすべきものではないです。トヨタさんはまともな会社なのでF1はやめたほうがいいです。ホンダさんは、ある意味でまともな会社ではないのでやって欲しいですが(笑)、それも「ホンダはまともな会社ではない。だが、それがいい!」というユーザーが多数いてこその話。次期NSXの話も聞こえてきますが、トヨタにはLEXUS LFAがあり、86があり、ニッサンにはGTRがあり、Zがあるという状況で、エンスーに売る車がなーんにもないホンダがF1だけやってればいいのかよという話です。ホンダがホンダらしい車を売りもせずにF1だけやっていて、ホンダファンは喜んでCRZ買いますかと。
自動車メーカーさんはそれでも「技術を磨く」という建前があるからいいのですが、一般企業になるとF1をスポンサードする理由ははっきりいって何もありません。マシンにロゴを貼っても、走っている映像を宣伝には使えない。年に一度しか日本で走らす、地上波のテレビ中継もない。少なくとも日本人向けの広告にはまったく役に立ちません。海外にブランドを浸透させるためには意味があるかもしれませんが、今、日本の企業でこれから海外に名前を売っていかなければいけない企業も思い当たりません。さらに、F1はアメリカではまったくプレゼンスがありません。シンガポール、中国、インドなどの新興国での開催が増えていますが、その国の人がF1を喜んでみているとも思えません。私も、誰かに「F1に広告を出したいんだけど」と相談されたとしたら(そんな機会があるわけはありませんが)、「金をどぶに捨てるのはおやめなさい。そんなお金が余っていてモータースポーツが好きなら、どうか国内レースを推してください」と言います。
そう思っていても、「じゃあ、あの鈴鹿の可夢偉コールの高まりのもって行き場所はどうすればいいんだよ」とも考えるわけです。韓国GPのガラガラの客席をみて、ドライバーからは「木曜日からファンが待ってる鈴鹿はホントいいよな」と口々にいいます。10万を超える人が日本中から集まり、その10倍、20倍というファンが中継でレースを楽しんだはずです。その人たちが500円ずつだせば可夢偉のシートは安泰なわけですが、それが届く方法がない。
中嶋一貴がシートを失ったときにも、フランク・ウィリアムズが「日本からのスポンサードを期待して一貴を乗せたが、まったく効果はなかった」と言ってます。過去にキャノンやセガなどの日本のビッグスポンサーがマシンを飾ったウィリアムズなので気持ちはわかります。スポンサーがあればF1ドライバーになれるというものでもありませんし、一貴の起用はトヨタエンジンの使用にもかかわっていたでしょう。しかし、F1界側の認識としては、今でもEU加盟国のひとつと比べれば十分に大きい経済規模を誇り、20数年連続してF1が開催され、世界で唯一(?)全セッションが生放送されている日本で、日本人初のF1レギュラードライバーの息子が日本のエンジンを搭載したマシンでレースをしていて、まったくスポンサーが現れないというのはまったくもって不可思議としかいいようがないわけです。なんてこった!
とりとめのない文章を書いていますが、私の心もまた迷っています。ホンダが撤退し、トヨタがいなくなり、ブリジストンがピレリに後を譲ったF1において、小林可夢偉はF1と日本を結ぶ唯一の線となっています。これを失うことの意味は大きい。計り知れない損失を日本のモータースポーツ界にもたらすことでしょう。スポーツとして、そしてマシン開発競争としてのF1が大好きで20年以上見続けているファンとして、心引き裂かれんばかりの思いです。
しかし、順風満帆とは言えませんが、最も厳しい競争が行われるハコ車レースであるスーパーGTと、ドライバーも車もGP2やINDYに勝るとも劣らないフォーミュラニッポン(改めスーパーフォーミュラ)を両立させて運営して年に20戦弱のレースを開催していることは、世界のどこの国と比べたって誇れることです。国内だけでFD-FJ1600-F3-FNと明確なカテゴリーのピラミッドを持って、フォーミュラ引退後もGTで国内だけでドライバー人生を全うできます。現にもう何年も国内フォーミュラ出身の日本人F1ドライバーは出ていません。INDYはなくなってしまいましたが、F1をはじめとして、WEC、WTCCなどの世界選手権レースも国内で見られます。モータースポーツ界全体のバランスを考えた上で、肥大化・特殊化してしまったF1から日本は距離を置くべきときがきているのかもしれません。
中嶋悟から始まり高木虎之介まで、つまり90年代までは国内F2クラスで実績を上げてF1に行く流れがありました。しかし、その後の世代、つまり佐藤琢磨、中嶋一貴、小林可夢偉はいずれも国内ではほとんど活躍していません。逆に、本山哲、脇坂寿一、道上龍以降の国内で活躍したドライバーはいずれもF1へはいけませんでした。本山の世代までは心の奥には「いずれはF1」という気持ちがあったでしょうし、実際に彼らはテストドライブまではしています。しかし、それよりも若い世代の今、才能を発揮しだしている塚越広大、伊沢拓也、石浦宏明、平手晃平は同世代でF1に行った一貴に対して「負けてねえぞ」という気持ちは持っているでしょうが、「俺もF1に」とは思っていない気がします。F1に行くだけではどうにもならないことを彼らもよくわかっているからでしょう。今のF1と日本の関係を考えると、当然のことと言えます。
そういう状況の中です。最初はトヨタのドライバーとしてきっかけをつかんだ可夢偉ですが、日本からのサポートを受けている気持ちはないのではないでしょうか。トヨタが撤退したときにペーター・ザウバーに拾われて、可夢偉はそこで数年の間に才能を示してスポンサー持ち込みの必要のないトップチームへ移籍する。基本的にF1ドライバーとしての可夢偉のキャリアにはそれしか道がありませんでした。ある意味でGP2からあがってきたドライバーはすべてその扱いです。ザウバー、トロロッソ、フォースインディアで戦いながらトップチームへ食い込むのを狙う。しかし、それはF1で走る以上の狭き門です。本来であればペレスではなく3年目の可夢偉がトップチームのシートを得なければならなったのであり、いろいろと不運はあったものの正しいときに正しい場所にペレスがいたとしかいいようがありません。マクラーレンがペレスを選んだ時点で、ある意味で可夢偉のF1での戦いは終わったとも言えるわけです。
そして、これがF1と日本との関係が新たな時代を向かえたことを意味しているのかもしれません。私はF1だって日本を必要としていると思いますが、総体としての日本がF1を必要としていないとしか言えない。日本も変わってしまいましたが、F1だって変わってしまいました。私がF1ファンであること、そしてモータースポーツのファンであることは今後もずっと変わらないと思いますが、それだからこそ歯がゆくも思うし、新しい時代を寂しくも楽しみにする気持ちもあるのです。
というか、マジでどーにかならねーのかよ、可夢偉。誰かばーんとお金出して乗っけてくれよー(本音)
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