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ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎×大澤真幸

社会学者同士が対談形式でキリスト教を解説する安い新書。安いレベルとしてはさすが講談社現代新書の中での安さなので、それなりのレベルはあるし、中身はそれなりに面白いです。

まえがきで「我々の社会は西洋社会で、西洋社会を理解するにはキリスト教を理解することが大切である」と書いてあります。ふむふむ。まあそうかなと。実感はないですが、異議申し立てるものでもありません。

第1部として、「一神教を理解する」というタイトルで、キリスト教の母体となったユダヤ教の話になります。この部分は大変にわかりやすいです。原始アミニズム的な多神教から一神教へ移行するには苦難の道を歩む民族の団結のためという側面があると。まあ、それは日本人的にも実感あります。仏教にしろ、キリスト教にしろ、明治の天皇神道にしろ、戦争の御旗として導入が進められた側面がありますからね。ユダヤ教のシステムがいかに必要性に迫られて、合理的なものかということが説明してあります。

第2部は、それをふまえていよいよイエスという人物とキリスト教の成立になるんですが、この辺から読んでいるとどうもふにゃふにゃした気持ちになってきます。まあ、信心の問題なんでどうこういっても仕方がないんですが、キリスト教はどうしてもユダヤ教に比べると合理的ではない。どうもイエスの言うこと(あるいは言ったとされること)は曖昧だし、後の人々がイエスをどう扱っていくかということも曖昧で非合理的です。

ただ、その「民族の団結を守る」という合理性からユダヤ教はユダヤ人以外に広まることはなく、キリスト教の曖昧で多数の解釈があり得るゆるゆるさが都合良く利用する人々によって広く信仰されるようになった側面はあるのかもしれません・・・が、まあ、ここを読んでる限り「キリスト教って、『信じる』ことはできるのかもしれないけど、なんか理解できるようなもんじゃねえな」という気持ちになります。この本の目的的にどうなのか(笑)

第3部では、そんなキリスト教社会から近代哲学や自然科学、そして資本主義がどうして生まれてきたのかという話なんですが・・・第2部でふにゃふにゃしたので、やはりしっくり来ません。どうしてもより合理的なユダヤ教やイスラム教の方がふさわしい。事実、中世ではイスラム圏の方が圧倒的に文明は進んでいたわけです。その後、キリスト教圏がイスラム教圏を圧倒していくわけですが、その理由としてキリスト教では宗教法に影響されることなく自由に法律が作れることが大きいとしているのですが・・・いやぁ、偶然じゃね?(笑)

というわけで、当初の目的をこの本が果たすかどうかはよくわからないところです。読み物としてはなかなか面白く、ユダヤ教とイエスの登場、そして初期キリスト教の成立の部分はドラマもあり面白いです。ただ、その2000年前の出来事と今の社会背景となっている物事の考え方をリンクさせて語るにはキリスト教は途中で変化しすぎていて、試みはうまくいっていないんじゃないかというのが結論になってしまいます。読みやすいし、売れているようですが・・・読み物にすぎないかなと。

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