日本語教室/井上ひさし

井上ひさしさんが2001年ごろに上智大学で行った連続講演がそのまま書籍になっています。
近年の新書ブームによって、新書らしい新書、つまり「専門家が一般の読者に向けに自身の専門分野について解説する本」がめっきり減ってしまいました。「バカの壁」がひとつのきっかけだったのではないかと思うのですが、著名人が自分の専門でもないことについてお門違いのことをいう本や、おもしろおかしいだけのエッセイ、対談で何時間かしゃべったものをまとめただけのものなどが増えました。
例えば学生の頃などに、勉強したいことがあれば、まず最初の1冊として岩波の赤い新書の棚に行くという習慣を持っていた人も多くいるのではないかと思うのですが(かくいう私もそうですが)、そういう人の感性からすれば、「ちょっとこれは新書の水準には達してないんじゃないか」と考える本が非常に多いのです。
しかし、最近は「まあ、いいかな」と思っています。例えばこの「日本語教室」ですが、以前の新書で言えばもうこのタイトルを付けた瞬間に日本語あるいは日本語教育の本でなければ詐欺呼ばわりされても仕方がないですが、もう今更そんな文句を言う人もいないでしょう。いたとしたら、逆によっぽど最近本を読んでいなかったんでしょうね。
結局のところ、10年も前の講演をそのまま文字におこして井上さんの一周忌に当て込んで売ろうという安い商売なんですが、果たしてそうでなければこの講演の内容が広く世に出ることがあったのか。出たとしても、1000円以下で買えたとは思えないわけで、これはこれとして十分に出版する価値があるのだろうと判断します。
ただ、講演そのままなので話はまとまってませんし、ネタも珠玉混交です。でも、面白いエピソードも多いしすぐ読めてしまうので、本屋の棚からなくならないうちにぱっと手にとって行き帰りの通勤電車のなかで読んでしまうのことをおすすめします。
私が面白いなと思った話は、日本語の起源の話。関西方言と東北方言では東北方言の方が古い日本語を残しているだろうというのは柳田國男さんが「蝸牛考」で言っていることですが、縄文時代の日本語は東北方言の様にアクセントがない言葉で、そこに弥生時代の渡来人がやってきて中国語とのピジン言語が作られて高低のアクセントがつくようになり、それが関西方言の元になったのではないかという推察が出てきます。それは面白い発想ですな。
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