セナvsプロスト―史上最速の”悪魔”は誰を愛したのか!?/マルコム・フォリー
セナのドキュメンタリー映画では、当然、プロストは悪役でした。いろんな記事などを見ると、当時の日本でもそういう扱いにされていたことが多かったようです。まあ、「私は神をみた!」なんて言っちゃうセナを主人公にした方が盛り上がるのは確かですわね。
今年翻訳が出たこの本は、セナプロの時代を主にプロストのインタビューを元に、解きほぐしていこうという本です。プロストも15年の月日を経て、できるだけ冷静かつ公平に当時を振り返っていますし、著者もそのプロストの回想にその他の人々の証言も交えて偏りがないように配慮して綴っているように見えます。それでも、同じストーリーに映画とまったく反対の側から光を当てたように感じるこの本は、当時のことを知らずに映画を観た人に是非読んで欲しい本です。
私がF1を見始めた1991年はアラン・プロスト(とフェラーリ)はさっぱりダメダメで、雨のサンマリノのフォーメーションラップでコースアウトしたことぐらいしか記憶に残ってません。92年は浪人で、93年には最後のチャンピオンを取りますが、伝説の雨のドニントンや、後半のデイモン・ヒルの3連勝の方が印象的でした。というわけで、プロストがすごいドライバーだという印象はあまり無いんです。
なので、多く語られているアイルトン・セナのことよりも、まずはプロストという人がどのようなドライバーでどのような考えを持っていたのかという点の方が面白く読めました。私がF1を見始めた頃のプロストが雨を苦手にしていた理由とレースのリスクに対する考え方は、悲劇に裏打ちされたものでした。とはいえ、目の前の勝利に対してF1ドライバーという種族の人間がどんなに執着を見せるのか、どんな嘘つきにでもエゴイストにでもなるのかということは、いろいろな場面で見ました。プロストだっていったんステアリングを握ればいい人だったわけはありません。
ただ、アイルトン・セナはやはり「普通の」F1ドライバーではなく、それ故にプロストには受け入れがたかった、それも、ライバルにするには「人格として受け入れがたかった」のだということが書かれていました。それは、我々のようなファンにもおぼろげに伝わっていたことでした。セナは、普通じゃない。他のドライバーとは違う。良くも、悪くも。
そのことがセナの命を縮めたとは私も思わず、単にあのイモラでのセナは26人のドライバーのうち、誰が死んでもおかしくなかったという意味で不運だった(26人のうち2人亡くなったんですから、そのこと自体が不運で済まされない出来事なんですが)と思っています。
しかし、結果的にプロストが引退したわずか3戦後にセナもF1から去ってしまった。最後に一緒に乗った表彰台が、二人共にとって最後の表彰台だったということが、アイルトン・セナという稀代のドライバーを語る上で、必然的に「セナ・プロ時代」を語ることになり、今でもこの様な本が出て、我々もそれを読むことになる。なんだか、上手く表現は出来ないんですが、あの頃のことがあたかも因縁めいたストーリーの様に思える要因なのだろうかと考えてしまいました。
ともかく、F1のノンフィクションとしては出色の出来で、F1でもっとも有名かつもっとも運命的な出来事について書いた本ですから、F1ファンなら必読の書であることは間違いないです。
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