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アイルトン・セナ ~音速の彼方へ

伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナのドキュメンタリー映画です。アイルトン・セナが何者かはあえて説明するまでもないと思います。お台場で月曜のレイト・ショーでMilueと観てきました。

ここ数年で現役F1ドライバーだけでなく、セナプロ時代のドライバーも見分けられるようになったMilueです。勉強家ですね・・・つか、ちょっと教育しすぎかな(笑)

映画は基本的にポルトガル語。まず、新人時代のセナの圧倒的なパフォーマンスをトールマンでプロストを後一歩で追い詰めた雨のモナコから紹介します。そして、ロータス時代をさくっと終えて(ピケも中嶋もふれられもしません^^;;)、マクラーレンでのセナ・プロの確執をじっくり。基本、セナ視点です。プロストは悪者ね。

しかし、セナ・プロ時代は常にクライマックスが鈴鹿だったんですね。こうやってドキュメンタリーとして改めて構成してみると、どれだけ日本のF1ファンが恵まれていたのか、なぜこの時代の日本で異常なまでのF1ブームが生じたのか、納得がいきます。

私がF1を見始めたのは90年の鈴鹿からなので、セナプロ対決の後の出来事は基本的に知らないことがないことばかりです。が、自身が高校生のころに家の小さなテレビで必死に観ていた映像を、おっさんになってまた劇場で観るというのは不思議なものでした。91年のブラジルGPで勝利して絶叫するセナが失神してピットに運ばれたあとの様子や、激痛に堪えて表彰台の上でトロフィーを担ぎ上げようとする様子は感動的でした。

このGPに限らず、セナが活躍していた当時に貧困にあえぐブラジル国民がどんな様子で、それ故にアイルトン・セナがブラジル人にとって、それだけ希望であり熱狂の的であったかがじっくりと描かれています。それは、日本でF1を観ているとわからない感覚なので感心しながら観てました。

そして、一方でセナという人間が持っていた恐ろしいばかりの勝利への妄執も、ジャッキー・スチュワートからの「あなたがここ数年でもっともクラッシュの多いドライバーだが、それについてどう思う?」という意地の悪いインタビューに対して、躍起になって否定し、不満を爆発させるセナとして映画で語られていました。

そして、91年の日本GPで3度目のチャンピオンを決めたシーンがあり(ベルガーに譲った事件はまったくふれられなかったよ!)、92年、93年はさらっと(ドニントンの1周目もカットだよ!)。そして、運命の94年。

いやぁ・・・判っていても辛い映像です。穴が開いたモノコックから丸見えになってしまったラッツェンバーガーの体。最後にぴくりと動いたきり、動かなくなってしまったセナのヘルメット。あの頃、繰り返し観た映像ですが、もう10年近く観ていませんでした。先日買った総集編DVDにも入っていませんでしたし、あえて観たいとは思わないという気持ちでした。あれから16年が経ち、あの映像を観た自分が、あの頃の胸が締め付けられるような気持ちとは違い、何か、しんみりとした気持ちになるのが不思議でした。

そして、これが日本以外の国で放映されるバージョンでも同じということはないと思うのですが、あの時、フジテレビで放映された川井さん、塩原アナ、今宮さんの三人がピット前でセナの訃報を伝える場面が流れます。言葉に詰まる塩原アナ。嗚咽する今宮さん。自分のコメントはしたり顔で語るものの、自分の番が終わった途端に苦痛に顔をゆがめる川井さん。

あの日、たしか放送ではF1中継が始まった途端、この3人の生放送でのコメントから入ったはずです。当時も今の地上波放送と同じようにF1は現地から数時間遅れで編集を入れての放送でした。しかし、当時は今と違い、F1の中継映像に放映局独自の映像を入れることができましたし、ピットへカメラとリポーターが入っていくことも今より難しくありませんでした。フジテレビもカメラを持ち込み、グリッド上やレース後の日本人ドライバーのインタビューを放映していました。

そのカメラに向かって、放送が始まるなり塩原アナが「アイルトン・セナが事故で重篤な状態にあり、病院に搬送された」という内容のコメントを伝えました。こんなことはそれまでの中継ではまったくなかったことですし、すごく驚きました。その時、ラッツェンバーガーの事故のことを知っていたのかどうか(もう、NiftyservのFMOTOR4は見ていたとは思うのですが・・・。まだ、予選結果をダイヤルQ2から得ていた時代だったかな?)覚えていません。しかし、F1を見始めて4年目で、それなりに酷いクラッシュも見慣れていましたので、まさか、F1のクラッシュで人が死ぬとは思っていませんでした。

その後、レース開始の場面から放映が始まり、セナがクラッシュ。その場面を観ても、当時はまさかセナが死ぬとは露ほども思っていませんでした。全日本F3000の中継で、鈴鹿の1コーナーで小河等が死ぬ場面も観ましたから、今でもモータースポーツで人が死ぬことはあるんだと判っていましたが、F1は特別で酷いクラッシュでもカーボンモノコックの中の人間は守られているんだと信じていました。

そして、中継が突然中断されて、この映画で使われたセナの訃報を伝える生放送が入りました。あの時と同じように唐突に、スクリーンに日本の中継がインサートされて驚きました。

あのサンマリノGPをきっかけにして、F1は大きく変化しました。それには良かったことも、悪かったことも様々あります。ただ、この16年でマシンの安全性が高まったことは間違いありません。ヘルメットの安全基準も高まり、ドライバーの首はHANSとプロテクターで守られています。サイドインパクトに対するクラッシャブルストラクチャーの装備が義務づけられ、ラッツェンバーガーのようにモノコックから体がむき出しになるなんて考えられません。正面からの衝突安全基準が高くなったことにより全ての車がハイノーズとなり、FW-16のようなスタイルの車はもうありません。

それでも、去年、今年だけをとっても、マッサのように脱落パーツが頭部を直撃したり、モナコのラスカスであわや首をもぎ取らんばかりの位置を衝突した車が飛び越えていったり、ウェバーのように宙を舞ったり、運が悪ければドライバーが命を落とすような事故は珍しくありません。今でも、このサンマリノGPのようなことは起こりえるのだということを、忘れてはいけないし、この94年のサンマリノGP当時、たった6歳だったドライバーがチャンピオンを争うほどに長い年月が経ったからこそ、もう一度語られる意味があるのかもしれません。

逆に、映画が終わった後、後ろの方の席で観ていた女性が、「シューマッハって、セナと一緒に走ってたんだねー。知らなかったー」と言っていました。うーん、改めて考えると、やっぱ、シューマッハとバリチェロってすっごいなー

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