「空気」と「世間」/鴻上尚史
鴻上さんは自身の戯曲の中で、「世間」や「共同体」についてこれまで何度もテーマにしてきました。80年代から90年代にかけて、息苦しい世間からどう逃げるかは若者の重要なテーマだったわけです。
ところが、最近では「世間」や「世間体」はぐっと力を失ったように思います。それとは別に、ちょっと前になりますけどKYなんて言葉が流行ったりして、「空気を読む」という行為がさも当たり前のように言われたりしました。どちらも「日本的息苦しさ」の源泉で、共通したものがあるような気がします。
この本では鴻上さんは「空気」と「世間」の関係について明らかにしています。「○○な空気になっている」という言葉は何も最近でてきたものではなくて、それこそ戦中に「特攻するのが当然のような空気」なんて使われ方をしているぞと。では、この二つの違いは何か。
それは「世間」が成立するためにはいくつかの条件があり、しかし、日本的共同体(地域や会社ですな)が壊れた結果、その条件のいくつかが失われて「世間が流動化した」ものが「空気」だということです。ほぉー、それは明確な説明です。
そして、「空気を読め」というとき、そこに人は失われてしまった「世間」を懐かしんでるのではないか。何も言わずとも意志決定が行われ、お互いの利害関係が調整され、何も面倒は起こらない。そんな「共同体幻想」を望んでいるんじゃないかといいます。宴会の席で、ちょっと場の雰囲気に合わないスベったギャグを言う人に「空気を読め」という時、その場の仮想的な共同体のタブーのルールを押しつけているわけです。
ただ、ホントにそんな「空気」は存在しているのかという問題があります。「世間」が存在するためには、例えばその場での人間関係にある程度固定的な関係が必要です。テレビで芸人が「空気読め」と言われる場合には、その番組内でのその人のキャラ、つまり立ち位置が決まっていて、その役割に適した言動が求められている(そして、視聴者もその「世間」を受け入れているということでもあります。初めて見る芸人さんばっかりの番組で誰かが「おい、空気読めよ」といい、他の視聴者が笑っていたとしても、キョトンです)と言うことです。が、宴会の席、それもそれほど濃密でない職場の打ち上げだったり、それこそ合コンだったりすると、「空気を読」もうにもまずお互いの関係が判らないですから、猛烈な「空気の読み合い」が始まります。そして、「空気」を作ったもの勝ちみたいな状況が生まれるわけです。
それはすごくしんどい。
じゃあ、我々はその「空気」をどうやってやり過ごして生きていけばいいのか。別の「世間」に安住するのか。それとも「世間」でもなく「空気」でもなく「社会」に生きていくのか。
例えば、ネット右翼みたいな人達。鴻上さんはこの人達を、自分たちの考える「世間」や「空気」と違う発言を徹底的に叩き、その事により「空気」を強化しようとする動きだと分析します。でも、たぶんあまり実りのあるやり方じゃないです。だって、いつ自分がKY扱いされ攻撃される側に立たされるかなんて判らないんですから。
いろいろな提言が挙げられていますので、それは是非、この本を読んでください。
ちなみに、この本を読んで「1Q84」の「空気さなぎ」という言葉の持つ、独特な感覚の正体がちょっと判ったような気がします。村上春樹はどこまで意識的にこの言葉を選んだのかなあ。
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Comments
文中にでてくる「世間」は阿部謹也さんのいう「世間」だと思うんだけれど、「空気」は書いているとおり、プチ世間、もしくは狭い空間での世間だと、僕も思います。
で、その世間もしくは空気がつらくなったからと言って、そこから脱出しても、日本のなかでは別な「世間」しか無く、言い換えれば「社会」というものは存在せず、常に明文化されないルールを読み取り続けなければいけないわけです。
その逃げられなさが、息苦しさを倍増させているのだと思います。
と、辺見庸氏の受け売りでした。
Posted by: nac | July 25, 2009 08:38 PM
さすがですね。この本の前半は阿部勤也さんの「世間とは何か」と、もう一世代古い研究である山本七平さんの「空気の研究」を接続する試みになってます。
> その逃げられなさが、息苦しさを倍増させているのだと思います
それに対抗する方法について、鴻上さんはいくつか挙げていますが、まあ、まったくもって平凡といえば平凡です。でも、「心許せる友達を2人作る」なんてのは、とてもプラクティカルな話で、ほほぅなんて思います。まあ、一読を勧めます。
でも、SPAの連載の方が面白いといえば、そうなんだけどさ
Posted by: Tambourine | July 26, 2009 01:13 PM