スカイ・クロラ(そのに)
さて、うっかり初日に観てしまった「スカイ・クロラ」について語りましょう。まだ公開して10日と経ってないにもかかわらず、ネタバレして書きますので観に行くつもりの方はご遠慮を。まあ、ストーリーを知った上で見たからといって、何かが失われるかといえば、それも疑問ですけど。
失敗作だったのか
夏休みの劇場アニメとしては、確実にダメでしょう(笑)
原作の映画化としては、原作ファンの期待にはある程度添ったのではないでしょうか。原作をあえて読まずに行ったのですが、原作を読んでいたドック(仮名)は「空戦シーンで何をやってるのか、原作ではよくわからなかったから、それがわかったのは良かった」との事です。後で原作も読んだので、なるほどという感じです。あ、原作は割と面白かったかもしれません。私には映画より原作のテーマの方が好きです・・・という話は後ほど。
で、肝心の押井映画としてですが・・・こんなものかなという感じです。ある意味、「またこのネタですか」という面もあるし、この映画から何か受け取るものがあるかと言えば、もういまさら、ないです(笑)。でも、キライかと言われればそんなこともない。情念と観念がとぐろを巻いてほどけないままの「イノセンス」に比べ、シンプルにまとまってすっきりとした構造の劇映画に収まってます。原作があるからかもね。
でも、もう少しエンターテイメントを指向しないのかな
空戦シーン
で、この映画でもっとも「あたまカラッポ」で楽しめる部分と言えば、何と言っても空戦シーン。プロペラが後ろにある「散香」の大きな垂直尾翼や逆ガルウィングもカッコイイし、スカイリィもいいよね~。カメラの追い方も抜群にいい!画面がごちゃごちゃとせず、どちらがどこにいて何が起こっているかちゃんとわかるってのはすごい。機銃から薬莢がばらばらこぼれるシーンや、墜落する機体を追いかけたカメラが湖面に水没する演出などはピカイチです。さすが「空戦は宮さんよりすごいものを作るよ」と言うだけのことはあります(笑)
それに、やはり川井憲次の曲にのって戦闘シーンが始まれば、そりゃもうノリノリさ
ただ、何で戦ってるのかは、さーっぱりわからないんですけどね
設定はほったらかし?
世界観というか、設定についてはなんも語りません
カンナミ・ユーイチは、戦争請負会社ロストック社に所属する戦闘機のパイロット。前線基地「兎離洲(ウリス)」に配属されてきた彼には、それ以前の記憶がない。彼にわかっているのは、自分が《キルドレ》であることと、戦闘機の操縦の仕方だけ。空で戦うこと——それがユーイチのすべてだった。
基地の女性司令官クサナギ・スイトも、かつてはエースパイロットとして空で戦ったキルドレのひとり。スイトについては、「ユーイチの前任者を殺した」「キルドレなのに子供を産んだ」……と、さまざまな噂が飛び交っている。そんなスイトに惹かれていくユーイチ。初めて会ったはずなのに、まるで彼を待ち続けていたかのような視線を注ぐスイト。二人の距離が縮まるのに、多くの言葉も、多くの時間も必要なかった。スイトは、思いもかけない言葉を口にする——「殺してくれる? さもないと、私たち、永遠にこのままだよ」
一方、基地を取り巻く戦況は日ごとに激しさを増していった。彼らの前に立ちはだかるのは、ティーチャーと呼ばれるラウテルン社のパイロット。仲間たちが次々に撃ち墜とされ、基地に新たなパイロットが増員されてきたとき、ユーイチは新任パイロットが新聞を几帳面に折りたたむのに気づく。それは、ティーチャーに撃墜されて戦死した同僚、ユダガワの癖そのものだった。
このことは、いったい何を意味するのか——?
蘇ってゆくユーイチの記憶。キルドレが背負った運命の真実。「殺してくれる?」と言ったスイトの言葉の意味。すべてが解き明かされたとき、ユーイチは自分達に課せられた運命に立ち向かう決意をするのだった。
「ティーチャーを撃墜する」
これが、公式サイトに載ってるストーリーなんですが、えっとね、これ、映画の98%ぐらい語ってます。で、やはり観ている人にとっては、何でこの人達は戦っているのかとか、誰と戦っているのかとか、そういうものが気になります。でも、それは何の説明もなし。公式サイトには用語集的なものもあって、一応説明はありますが劇中では説明なし。要らないんですね。
キルドレ
キルドレという言葉は何度か出てくるんですが、「このことは、いったい何を意味するのかーー?」じゃないだろうと(笑)。これだけ読めば、バレバレ。要するに、人間性を支える何かが肉体を越えて存在するという、攻殻の義体とゴーストの話を同じです。キルドレは思春期のまま成長しないという設定ですが、「思春期である」というよりは、単に人形であるというようにしか見えない。つまり、今生きている現実は本当に現実なのかという、いつもの押井さんの世界なんです。原作の方のキルドレはもう少し違うとらえ方をしています。原作のキルドレは、若い奴が「今日より明日がいい世界だなんて思えない」と感じていることを反映しています。今日と同じ明日が無限に続くという感覚。「私たちには運命はないの」というクサナギの台詞。その日々は戦争でそこで死なないと終わらない。それが成長しないキルドレという存在に反映されているんですね。
しかし、映画では「死んでも終わらない」になっちゃってます。確かに原作でも、ユーヒチはジンロウの記憶を移植された存在であることが匂わされてます。しかし、映画ではそっくり同じになっちゃってる。つまり、肉体はいくらでも同じ物がある、クローンのような存在だとされているわけです。ここは大きな差であり、その差が原作と映画の結末の違いに繋がっているわけです。
映画のラストシーン(エンドロール後)では、ユーヒチが死んだ後、またユーヒチそっくりの新人パイロットが補充されてきます。アニメファンはみんなティーチャーと対決して死んでいくユーヒチに「私が死んでも代わりはいるもの」とつぶやき、ラストでは「多分私は3人目」と思っていたと思います(笑)
役者を声優として使うこと
そんなわけで、途中から原作とはかなり大きな演出上の変更があるわけですが、余計に登場人物たちが捕らえにくい存在になってます。原作は今と違う位置に進めないキルドレであるクサナギもユーヒチも、シニカルながら生きた人間です。ところが、映画ではもうすこし温度が低い。で、こんな役をするのは大変だとは思いますが、出演者の演技も成功しているとは思えません。というか、一切の感情が出ていないというか、会話が噛み合ってないってレベルです。全部別録りか?というぐらい。
オープニングはユーヒチと笹倉の会話からですが、もう、この瞬間から絶望的。このレベルの芝居の要求を声優が本職ではない役者さんに求めるのは無理ですよ。榊原さんの台詞の生きた感じと、加瀬さんの死にきった演技の待避対比がすごいです(笑)。アニメ声の声優が雰囲気を壊しそうってのもわからなくもないですが、失敗してるように思います。クサナギの菊池さんは頑張っていたように思います・・・が、これも役の問題かもしれません。
犬 鳥 魚
さて、押井作品といえば、犬と鳥と魚。今回は犬しか出てきませんでした。飛行機が鳥のようなものだと言えば言えなくもない?犬が映っている時は、平和なシーンというお約束で、降りてくる飛行機を毎回迎えてくれるガブが可愛い。
小ネタ
- モデルグラフィックスを読んでるシーン、みんなわかったかな?
- 麦人の作戦説明シーンに、トレッキーはみんな喜んだ
- それにしても、原作もそうなんだけど、クサナギにジンロウって・・・。しかも、原作には「笑い男」が引用されてるし!
- 綺麗にたたまれる新聞は、読売新聞。スポンサーなんですね。どういうニュースが出てたかも、意外と興味深かったです
- ちなみに、FF XIプレイヤーにはどうしてもSky Crawlerと観ると、イモムシにしか思えない。S芋ですよ(笑)
- お馴染みの魚眼レンズはユーヒチが自分がジンロウの(というか、ジンロウと同じ)クローンだと悟るシーン。えらく親切です。
まとめ
押井作品としては、小粒でキレのある佳作です。
押井守の映像がどんなものか知りたいという人の入門編としてはいいかもしれません。映像は文句なく素晴らしいですし、とっかかりとしてはいいでしょう。こういうテイストが好きで、ちょっと琴線に触れたならどんどん押井さんの過去の作品を見てください。
押井ファンにとっては、既定路線。ああ、押井さん、まだ生きてるなと(笑)
原作ファンにとっては・・・一番大事なテーマのところを変えちゃってますからね。ここは原作ファンに聞いてみたい。nacもドック(仮名)も原作は既読だったんですが、原作ファンじゃありませんでしたから。
普通のアニメファンにとっては、ゴミ以下の作品でしょうなぁ。違う作品を見に行きましょう。
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Comments
死にきった演技の待避→死にきった演技の対比
Posted by: skycrawler | August 07, 2010 12:47 AM
気付くのが遅れてすいません。訂正しておきました。指摘有り難うございます
Posted by: Tambourine | August 19, 2010 06:22 PM