崖の上のポニョ
「スカイ・クロラ」を観ての私の感想は、平たく言えば、「ああ、押井くんがやらかしとる。みんなは押井さんに、『ぶっ飛んだビジュアルと、エキサイティングなストーリーと、難解っぽいカッコイイ台詞回しの映画』を作ってほしいのに、なんで『マニアしかぶっ飛ばないビジュアルと、難解っぽいストーリーと、アホっぽい意味不明の台詞回しの映画』を作っちゃうんだろう。押井さんがもっとサービス精神旺盛な時期なら違ったんだろうけど、なんか模索中?」というものでした。一言で行って、押井さんの本気を感じなかったんですね。
#模索中みたいです。
で、クリエイターとして期待されてる物のナナメ上をぶちかますとは言え、なんだかんだ言って富野由悠季さんや宮崎駿さんはもっとサービス精神があるよな。うん、この夏、アニメを観るなら、「スカイ・クロラ」より「ポニョ」だろう、やっぱり・・・と思いました。だって、あの「ぽーにょ、ぽーにょぽにょ、さかなのこー」の歌はものすごくキャッチーですしね。「とっとろ、とっとーろ」とやってることは同じですが、やっぱ夏休みのアニメだしね!
というわけで、観てきましたよ、「崖の上のポニョ」!
・・・悪い夢のようなアニメでした
もうね、なんだかわからないんです。ルールがないんです。というか、何が辛いって、ルールがありそうなのに守られないんです。破綻しまくってます。
子供は素直に観られるのかもしれない?いや、あれをナチュラルに観られるのは学童未満です。小学生はもうダメでしょう。マンガを読めるレベルにまで成長してたら、キツいと思います。マンガがわかるということは、何をどのレベルまで抽象化して表記するという作品内でのルールを(無意識のうちにでも)習熟しているということなのです。
まず、観客は無意識のうちにもこの世界のルールを認識しようと考えると思います。例えば、主人公の赤くて可愛いへんてこな生き物は、この世界では何なのか。歌で「魚の子」と言われているので魚なんだろうと考えます。ソースケと母親のリサは、この生物を「金魚」だと言い、「かわいいね」と言います。冷静に考えて、どう見ても観客には金魚には見えませんが、「そういうものなんだな」と思います。ところが、途中でおばあさんに「人面魚」だと言われます。いやあ、そう言われてしまえば、人面魚です。あり得ない生物です。考えられるのは
- この世界では、ソースケとおばあさんでは、見えているものが違う
- この世界では、人面魚は普通に存在していて、ソースケは人面魚を「金魚」と呼んでいる
他に、微妙に違う解釈がいくつも有り得ます。この先、「どれ、なんだろう?」と推測しながら観ることになりますが、結局なんだかワケわかりません。こういう点が山ほどあります。例えば、ポニョは魚に変化した波の上を走ってソースケに会いに来ます。でも、これは魚なのか、波なのか。ソースケには魚に見えてるけど、母親のリサはそれを波だとしか考えていない。でも、リサにはそれが波にしか見えてないのか、単に運転に必死で魚になったところを観てないのかがわからない。その結果、この世界のルールが伝わってこない。ポニョは魔法を使うとき、人間から両生類(というか、カエル)へ戻りますが、そこに何かのルールがありそう・・・だけど、わからない。そもそも、建物まで全部フリーハンド、手塗りだったりするもんだから、どこまでが抽象化された存在なのか、絵柄からも掴めない。「海で拾ったポニョを、水道水につけたら死んでまうんと違うか?」とかは、もう、ものすごく些細な問題ですよ
少し大人な観客(小学校高学年ぐらい?)は、ストーリーを把握しようとすると思います。ポニョが助けられる。助けられたポニョは、助けてくれたソースケに会いに来る。ところが、そのことが図らずも大災害をもたらす。ここまではいいんです。当然、ストーリーとして、「なぜ大災害が起きて、そして、これをどう解決するか」が要になります。ところが、観た人は、ここを誰一人として説明できません。なんとなくそれっぽいものはあるので、「まったくわからない」という作りにはなっていません。が、やっぱりわかりません。そして、ソースケは5歳児なのでそもそも論理ゼロ。こんな重いストーリーを担う資格が全然ありません。ポニョに至っては、「ポニョ、ソースケ、好き」と繰り返し、疲れたら寝るだけです(笑)。そして、さらに周りの大人もまるでダメダメです。突然の海面上昇という大災害のなか、母親に会いに行くとちっこいボートで5歳児がうろうろしているのを見かけたら、大人は保護してください。「健闘を祈る」とか言ってる場合じゃないよ!だれか、この状況を真面目に考えて!
んで、「ソースケの活躍で、世界が救われる」とか言う登場人物はいるんですが、なんでかはわからないし、本人に自覚もありません。しかも、なんかよくわからない決断をソースケに促し、勘違い丸出しの回答を引き出し、これで世界は大丈夫って言うことになるんですが、最終的に画面上でも何も解決したように見えないんです(笑)。おばあちゃんが元気になっただけ。なのに突然エンドクレジットが流れ出してしまいます。
「うぉい、ここでおわるんかい!」
と、思わず声が出ました。NHKの番組で散々悩んでいたラストシーンも、別にストーリー上の意味はありませんでした。なんじゃそりゃー。
さらに大人な観客は、テーマを考えます。
- 海の精霊の化身の子の好物がハム
- 仕事から帰ってこない父親(小金井丸に乗ってるだよね・・・小金井かー)
- 母親を子供が名前で呼ぶ
- ゴミにまみれた海
- 地球温暖化を思わせる海面上昇による水没した世界
- 人間であることを捨てて海の精霊に身を捧げた男
- 海の果てにある船の墓場
テーマがありそうなネタがゴロゴロしてます。でも、それら同士が全然整合してないし、ストーリーにも結びついてないんです。どこを拾っていいのかさっぱりわかりません。ごった煮。
とにかく、完全に支離滅裂ならまだいいんですが、部分部分は整合しているのに全体は破綻している。ホントに朝起きて思い返す自分の夢のような、そんな映画なんです。
で、やっかいなのは、じゃあこれは幼児だけが楽しめるまるっきりの童話なのかと言えば、だったら100分も要らないわけですよ。100分の童話は退屈極まりないです。しかし、この100分間、私は楽しむだけ楽しみました。どちらかというと、抽象絵画を鑑賞するとか、交響曲を聴くのに近い感覚です。
確実に受け取るべき「何か」はある。でも、それをストーリーにもビジュアルにもキャラクターにも託さず、未整理の脳内イメージのままぶつけてこられても圧倒されるだけです。そういう意味で、これは「宮崎さんのみた夢」、それも悪夢の類なんです。確かにビジュアルがすげぇので幼児は喜ぶかもしれませんが、幼児に与えるには高度すぎます。幼児に抽象絵画見せてもしょうがないですからね。しかし、これを、きっぱり起きた状態で(しかも、素面で)作ることが出来るんだから、宮崎駿は天才です。
私は、アニメーター、あるいは演出家としての宮崎駿は天才だと思っていました。しかし、映画監督としての宮崎駿が天才かどうかは疑わしいと思っていました。宮崎さんのアニメを観て、映画全体が固まりとなって己を揺さぶってくる体験をしたことがないからです。動きは素晴らしい。このシーン、あのカットはすごい。でも、全体はと言われると、うーんというのが、宮崎さんのアニメです。「もののけ姫」は微かにその気配がしていましたが、それ以後の作品ではまた引っ込みました。
しかし、「ポニョ」はすごい。これが作れる人は他にそういません。もしかしたら、リミッターを外した富野さんは作れるかもしれませんが、あの人は頭が良すぎるからダメでしょう。それに、リミッターを外した富野さんはきっぱりキ○ガイでしょうから、そもそも集団作業で作品が作れるか怪しい(笑)
と、書いていたら、竹熊健太郎さんが似たようなことを書いていることに気がつきました。
さすが、竹熊さん。私の文章よりだーいぶ深くて、かつわかりやすいです。
で、「結局、この映画はなんなのよ?」って事なんですけど、NHKの例の番組を観る限りはこういうことなんだと思います。
NHKの番組から、このアニメは
- あるイメージボードから始まった
- 作画に入っている時には、ストーリーは決まってなかった
- 宮崎さんの溢れるばかりのサービス精神によって支えられている
等のいろいろなことがわかりましたが、要するにこの映画を支えてるのは以下の二点だってことです。
一つめは、この映画のメインビジュアルは、「津波に乗って愛する男の子のところへやってくるポニョ」のイメージボードであるということです。一番やってみたかったのは、このシーンなんでしょう。これを書き終えた宮崎さんは、「ああ、怖い。いや、可愛い」とつぶやきます。つまり、ここで言いたいのは「女は怖いが、そんなところが可愛い」であって、それ以上でもそれ以下でもないらしいってこと(笑)。そのつもりで、あのシーンを見ると物凄く納得です。めちゃめちゃよく伝わってきます。なんかついでに世界が破滅してる気がしますけど、そんなことはどうでもいいわけです。で、あそこがクライマックスなので、ホントはあそこで終われば良かったわけです(笑)。尻切れトンボな印象はそのせいです。
二つめは、「ゲド戦記」を通じて息子という存在と向かい合う必要を感じたらしいということです。ただ、コッチは見事に失敗しています(笑)。表現を失敗したんじゃなくて、結局、息子にどうなってほしかったのか、どうあって欲しいと思っているのか、わかんないんでしょう。そういうことが良く伝わってきます。わざわざ、崖の上の一軒家に母子を置き去りにする父親を用意して(しかも、小金井丸に乗ってるんだから、この父親はやっぱ宮さんなわけですよ)、強い母、聡い男の子を用意して・・・と、舞台設定は用意した。で、宮崎さんは、このソースケにどうなって欲しいのか、どう成長させるつもりなのかが焦点です。このソースケの物語がメインストーリーになるはずなのです。ストーリーがワケワカなのは、このせいでしょう。どれだけ世界観が暴れ狂っていても、ソースケが意志を持って、何かを成し遂げるストーリーがちゃんと維持されていれば、こんなに「ぽかーん」な映画にはならなかったと思います。
番組内で、どんな映画にしたいかとの問いに「(難しい話じゃなくて)ポニョはかわいいね、ソースケは偉いねって映画」と答えていましたが、ポニョは自分でも可愛いと思っているので、前半は成功してます。ただ、後半は、ソースケ(=息子)がなぜ偉いのか、どういう局面で何をする子になって欲しいのか、本人がイマイチわかってないようで見事に失敗。でも、船員の帽子をかぶせてみたり、投光器での信号を教えて「あの子は天才だ」って父親に言わせてるあたりに、なーんとなく滲みでてる気はするんですけどね。素直じゃないですねえ。まあ、別に天才だからいいです(^^;
ちなみに、NHKの番組では、もう一つの軸として宮崎さんの母親の話があって、それがトキとのラストシーンに結実したという番組構成になってましたが、これは怪しいです。というか、そこに宮崎さんの興味が集まっていたならコンテが書けないわけがないわけで、出来上がったものを観てもやっぱりそれほどのものにはなってません。どちらかといえば、ソースケがさっぱり主役の資格を得ないので、物語を終わらせるために無理矢理に作ったシーンになっちゃってます。なくても良かったね、このシーン。いや、ないと終わらないんだけど、終わらなくてもいいかなと。
というわけで、この映画。評価が大変に難しいんですが、本来あるべきストーリーが破綻・・・というより消失しているという意味で失敗作と呼ぶこともできると思いますし、「つまらない」「ストーリーのわけがわからない」「登場人物が無責任すぎる」という感想もむべなるかな。しかし、その欠点を抱えていることすら作家性の一部でありえるわけで、宮崎駿の作品としては完全なもの、宮崎さんがすべてを貫き通したと言えるものになっているんじゃないでしょうか。しかも、自分の中に内在するテーマでこれだけのものを成し遂げている。傑作と言っていいとも思います。
・・・が、みんなが宮崎さんに期待しているのはコナン? それとも、ナウシカ? いやいや、ルパン?子供連れならやっぱりトトロ?
期待されてることをやっていないという意味では「スカイ・クロラ」と同じではあります。ただし、宮さんは本気も本気。ドマジです。で、作家性を除いた、アニメーションのクオリティという部分で「スカイ・クロラ」と「ポニョ」はどちらも素晴らしいことも間違いないし、その辺りは実はこの二人にとって「ちゃんとクオリティの仕事する」っていう以上の難しさはないわけです。もちろん、このお二人が苦労も無しにやっているわけじゃないし、それが出来ない人だっていっぱいいるし、どちらも方向性は違うけれど新しい挑戦がある。それだからこそどんどん次の仕事が出来るわけですけどね。でも、やはりファンである以上、本気の作品が見たい。そして「ポニョ」にはそれが観られたという満足感があります。
まあ、押井さんには「次回作に期待」と言えて、宮崎さんには「ありがとう。余生をどうぞ楽しんで」としか言えないんだから、しょうがないかもしれないんですけど。一応、引退するって言ってますからね。「もののけ姫」の時にも聞いたし、信じてないけどね!でも、ジブリは宮崎駿が存命の内に、後継者をどんどん育てないとだめだから、もう宮崎さんの映画作ってる余裕はないと思うぞ
それにしても、劇場で子供が結構泣いてたなあ。怖かったんだろうなあ(笑)
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