涼宮ハルヒの憂鬱/谷川流
ライトノベルブームなんだそうです。ま、いいことです。ちょっと省いて言えば、メディアが偏るのはよくないことですから
さて、この第8回スニーカー大賞受賞作品ですが、ずーっと該当者無しだった大賞を取るだけのことはあります。ただし、応募作品というのはどうしても「目に付きやすいお約束」を潜ませたいものですから、その部分で気に入らない部分は多少あります。というか、小説で美少女のメイド服が出てきてうれしいのか?・・・それは、スニーカー本誌ではうれしいのかもしれない。誰がって?編集者かな?いや、大人の世界ってそういうもの(笑)
ほほーっと思うところがいくつか
[1] あえて異世界に行かないこと
「ファンタジーは現実を表現するための手段である」というのはきっと真実で、こういうラブコメというかジュブナイルというか、そういうジャンルを表現の主体にしたときには、書きたいものを表現するのに、いわゆるファンタジーをの世界を使うのは、ありがちなことです。別にそっちのほうが楽ってワケじゃないですが、イチから全部考える苦労を厭わなければ、思った通りの世界感を用意できますな。たとえ、リアルな世界を主人公の身の置き場にしたとしても、クライマックスでは異世界に入り込んで・・・というのはありがちな話。でも、この話はそこへ行きそうで行かなくて、行ったようで行っていないあたりが微妙。いや、毎回、閉鎖空間へ行ってしまったらアレなんですけど、行きそうで行かないところで頑張っていただきたい。
[2] 新たな一人称?
解説にも「一人称というスタイルで最後まで飽きさせずに読ませるストーリーの運び方と文章力」が評価されたとありますが、なかなかのものだと思います。結構、大変ですよね、一人称。しかも、この話の場合、主人公が徹底的に受動的であるため、「おかしな人が次々に訪ねてくる」というスタイルじゃないと世界観を説明しきれないわけですから(で、自嘲的に3人目ぐらいになってくると、「次は私の番です」といいながら出てくるわけですが^^;)なおさらのこと。
そして、不思議な読了感を生み出しているのが、主人公の発言が必ずしも「・・・」でくくられていないこと。特に、誰かと一対一で話していない部分で、よく見られる。ぱっと見た限り、主人公の心のつぶやきっぽいところが、相手に伝わっている。例えば、以下のようなくだり(途中、省略してる部分があります。訴えないでね)
「全部のクラブに入ってみたってのは本当なのか。どこか面白そうな部があったら教えてくれよ。参考にするから」
「ない」
ハルヒは即答した。
「全然ない」
駄目押しでハルヒは蝶の羽ばたきのような吐息を漏らした。ため息のつもりだろうか。
「運動系も文化系も本当にもうまったく普通。これだけあれば少しは変なクラブがあってもよさそうなのに。」
何をもって変だとか普通だとかを決定するんだ?
「あたしが気に入るようなクラブが変、そうでないのは全然普通、決まってるでしょ」
そうかい、決まってるのかい。初めて知ったよ。
「ふん」
そっぽを向き、この日の会話、終了。
後半、主人公の台詞は「・・・」にくくられていません。なので、一見、口に出していないようにも見えますが、ハルヒの台詞と、最後の「この日の会話、終了」の部分から、そうではないことがわかります。「・・・」が連続するのって、文章の流れを損なう可能性がありますし、くどくなる部分もあります。よく考えられているなと思って感心。
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