イラク水滸伝/高野秀行

すっかりファンになってしまった探検家、高野秀行さんの新刊。今回は、いわゆる4大文明のうちの1つ、メソポタミア文明が起きた場所にあるゾミア的な湿地帯へ向かいます。

メソポタミア文明は文明なので都市が築かれていたわけですが、そのほど近くのチグリス川とユーフラテス川の下流域は広大な湿地帯になっていて、古来から国家権力の及ばない場所が広がってます。その中の人は定住もしてないし、農耕もしてない。葦で作った浮島に住み、魚を捕り、水牛を飼い、その乳を食べて暮らしてる。それはヘタすれば旧約聖書が書かれたころから変わってないんですが、もちろん古代文明のお膝元なのではるか古代から様々な地域と交流があり、未開の土地とはほど遠い。でも、世界的にはそこの人々の実情についてほとんど知られていない。すごいところがあるものですね。

古代シュメール文明から始まって、すみかを追われてやってきた古代のユダヤ人の話、イスラム化が起きた時代の話、オスマン帝国時代の話、イラン・イラク戦争、サダム・フセインの時代、そして現在。めまぐるしい。そして、いつの時代もこの湿地帯は権力にあがなう強者の集う梁山泊であったと。というか、「水滸伝」の英訳では梁山泊はEDENと訳されていて、それはそもそもこの湿地帯に逃げてきた人々が旧約聖書を書いていて、つまりはここがエデンの園だと。

そんなところに高野さんが行って面白くないわけがないんで、その思想と思考と行動の連なりを大笑いしながら読ませてもらいました。とーっても分厚いんですが、いやあ、面白かった。

ちなみに、タイトル通り、高野さんはこの湿地帯を水滸伝の梁山泊になぞらえて、出会って徐々に仲間になっていくイラクの人達を「水滸伝」の登場人物になぞらえて「ジャーシム宋江」なんてあだ名をつけて呼びます。わかりやすくしようとしてくれてるんですが、こちとら「水滸伝」を読んでないのでさっぱりわからない。これを機会に読んでみたいと思いました。

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ミッション:インポッシブル デッドレコニング Part One

トム・クルーズによるミッション:インポッシブル最後の作品となる前後編の前編。見てきました。

これはね・・・評価が難しいです。この映画はどう評価されるべきなのか。

第1の観点として、単純にこの夏休み一番の娯楽大作として。とても面白いです。

世界中をロケ地にして、アクションに継ぐアクション。どれもが一級品。世界中どこに言ってもほぼ全員英語をしゃべる良くできたアトラクションの数々。あんまり細かいことは考えずに次から次へと押し寄せる映像にただただ翻弄されていれば至極のひとときが味わえます。なんとなく複雑そうなストーリーも、「ただひたすらみんなが鍵を奪い合っている」というアホみたいな設定をなんとなくカッコよく見せるためだけの演出で、わかんないところは「なんかわかんないな」と思ったまま観ていて全然OK。さすがにその理解で観ているには今回の上映時間は長すぎる(けっこう途中退席する人多かったんですよね。膀胱の限界だったんでしょうね)と思いますが、短いよりはいいよね。

第2の観点として、後世に名を残すアクションの金字塔になりうるか。これはね・・・ムズい。

この作品が間違いなくそれを目指していることは確かです。なぜなら、わざわざ観たことがあるシチュエーションを選んでやっているから。オープニングは、わざわざ「アラビアのロレンス」風に砂漠に馬を走らせる。続いてカーチェイスをわざわざローマでやる。なんならわざわざ黄色のフィアット500を登場させて、トレビの泉の周りをグルグル回る。パーティー会場に乗り込んで敵と対決するなんて20回ぐらいみたシチュエーションもわざわざやる。それも、ベニスで水路を船で移動させるし、地下鉄に轢かれそうになるシチュエーションも入れる。そして最後は列車、それもオリエント急行の屋根の上で対決させる。

これ、全部どこかで観たことがある奴。なんなら、全部「スターウォーズ」シリーズの中だけで同じシーンが見つけられる奴(笑)。それを、できる限り特撮なしの本気の撮影で、今の技術をフル動員して、たっぷりの時間と予算をかけて撮る。つまり、アクション映画はこれ1本だけ観ればいいというショーケースを作ろうとしている。

いやいや、正気の沙汰とは思えません。すごいことを考えるなあ。で、その目論見はおおよそ成功していると言っていいでしょう。作ろうとしてるものが「アクション映画のショーケース」なので、そりゃストーリーはご都合にならざるを得ません。でも、ここまで踏まえると、このご都合ストーリーはその制約の中でめちゃめちゃ頑張ってるとは思います。

とはいえ、ですよ。良くできたショーケースであることは認めますが、観たいのはショーケースなのかと言われれば、うーむ・・・と。拍手喝采で、「こりゃ面白い最高の映画だ!」とは言いがたい。ただ、最初から「伝統芸能を観に来た」としたならば、これはもう「良いモノを見せていただきました」と満点つけて帰るしかないんじゃないかと。なので、極端なことを言えば、小演劇を観に来たと思ったら能を観せられた的な戸惑いはあります。おお、こういう映画なんだねと。伝統芸能だとしても、「トップガン」は他に現用戦闘機でのドックファイトなんて映画は他に誰も撮ってないので気にならないんですが、今回のは、なあ。

ただこれ前後編なので、前半が「過去のショーケース」で後半は「未来のアクションの提案」だという可能性がありますな。だとすると、後編を見終わった時にはそれも踏まえて満点ってことになっているかもしれません。いや、後半が「ショーケース増補版」である可能性もあるんで、まだなんとも言えませんけど。

で、最後に1本の劇映画としてみると・・・ストーリーはまあ、酷いモノです。全てがご都合主義。

ちょうど生成AIが一斉を風靡していて「やっぱイマドキ戦う相手はAIっすかね」なんて趣きもありますが、撮ってるのは数年前(撮影中にコロナ禍に突入したらしいからね)なわけで、今回暴走したAIが仇役なのは単純にイーサンチームにコンピュータを自由に使わせたらアクションをするまでもなくイーサン達が目的を果たしちゃうからです。それはすっごくわかりやすく提示されていて、最初のアブダビの空港のシーンではイーサン達のハッキング能力でイーサン達に対抗する勢力はほぼ無力化されちゃうよってことが示されます。なんせ敵はイーサンを見つけることすら出来ない。

ところが、ここにより強いハッキング能力で介入されてこのやり方では解決できない。つまり、今回もトム・クルーズは全力疾走せざるを得ないよ、という舞台設定が示されます。ここまではすごく上手い。

ただ、こうしたんだったら今回は60年代にはなかったテクノロジーは使えないという前提でやらせてもらいますよーってコトにすればいいのに、微妙にテクノロジーを使う。「今回はネットワークを使わないと出来ないものはなし!」にすればいいのにそこをわざと曖昧にするので、何は出来て何は出来ないのかがわからないし、ハッキングしてきている主体がその謎のAIなのかAI一味、今回のラスボスのガブリエル君なのかがよくわからない。そこがはっきりしないので、今、絶体絶命の危機なのか、ハッキング能力でどうにか出来るシチュエーションなのかがわからず、ちょっとそこは残念でした。一番「あちゃー」と思ったのは、途中、イーサンをサポートするために運転中の車を自動運転に任せてコンピュータをいじり始めるシーン。いや、ネット上の悪のAIと戦うのに、自動運転の車に乗ってはいかん。自殺行為だろ。

巨大AIの暴走っていう話にも面白い奴いくらでもあるわけで、その辺の味付けはほぼなーんにもなく、ただ、USBメモリじゃなくてわざわざ鍵の形をしたものを奪い合うだけというのは、なんだかな。まあ、いいんですけど。

というわけで、なかなか評価の難しい1本。ただ、アタマからっぽにしてみれば楽しめるし、後から引用・参照されることがメッチャ多そうな気もするんで、お嫌いでなければ観に行って損はないかなと。

 

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めがねを作り直した

すっかり自宅で仕事するのが当たり前になり、その影響か関係ないのか、またすこし近視が進んだ気がします。仕事するのに支障はないんですが、部屋の端からだとテレビに移したゲームの文字が読めないとか、駅のホームでちょっと離れた行き先表示が読めないとか。使っているもだいぶレンスが傷んできたこともありますし。外出用と自宅用を分けて、自宅用はブルーライトカットにしたんですが、かけて運動しちゃったりする自宅用がだいぶ表面がハゲた。

というわけで、眼鏡用の処方箋を作ってもらいに、久しぶりに眼科に行きました。円錐角膜というレアな病気持ちということで、ちょいちょい眼科に行くに越したことはない。

眼鏡とコンタクトの両方の視力を測ってもらいました。先生のコメントとしては

  • 前回は2019年か。コロナがあったのはしょうがないが、4年は間空けすぎ。2年に1度は来て。
  • 眼鏡は確かに遠くが見づらいかも。すこし度を強くしてみよう。
  • コンタクトは両目が見えることもあってまだ大丈夫(私は左目の円錐角膜が酷く、眼鏡で矯正できず、ハードコンタクトが必要)
  • そろそろ老眼を感じるよね。コンタクトのときは老眼鏡を使っても良いのでは?1.0か0.75でもいいかも。眼鏡は・・・本を読むときはいままでの眼鏡にすればいいんじゃない?

とのことでした。

処方箋をゲットしたので新しいめがねを作りに銀座のKamuroへ。しばらく横に細長いタイプのめがねをかけていたので、気分を変えて丸いのにしました。ic berlinというドイツのメーカーのフレーム。ネジを使わずに折りたためます。おもしろい。枠が2重になっていてちょっと変わってる。そして、かけ心地はめちゃめちゃ軽くてすごい。まあ、高いですけど。

ic! berlin/アイシーベルリン/Purity Black/フレーム(眼鏡) – 眼鏡屋 福のゐ

https://www.ic-berlin-jp.com/japan-limited-model/purity

ついでに、近所のzoffにも行って、お仕事用のブルーライトカット眼鏡も買います。ツルにクリップが仕込まれためがねが珍しかったのでそれを購入。フィットボクシングやってるときにズレないといいなあ。かけ心地はic berlinとは比べものにならないぐらいゴワゴワしてる。でも、レンズ入れて2万円以内。安い。まあ、これで困るかと言われたら困らんからなあ。

Zoff SPORTS

https://www.zoff.co.jp/shop/g/gZA231024-14F1

というわけで、ちょっとイメチェンしました。

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10年ぶりに脳神経外科に行った

先週の末から、左足のかかとに違和感を感じるようになりました。しびれが切れたときのように感覚が鈍くなっているんだけど、足全体だけなく、かかとだけが痺れてる。おかしい。まあ、そのうち治るかなと思っていたら、今度は左手の薬指と小指に軽いしびれを感じるように。うーむ・・・、複数箇所はちょっとやだな。最悪、脳梗塞とかだとほおっておくのは得策ではないでしょう。

というわけで、ちょっと仕事を休んで朝から脳神経外科へ。以前、顔の左半分が痙攣したときに行った「いしせ脳神経クリニック」を思い出し、くそ暑いなかを自転車を漕いできました。いや、マジで暑いね。うーん、ブログによると10年前か。久しぶりだ。

「予約してないんですか?お待ちいただくことになりますよ?」という受付のお姉さんの言葉通りたっぷりと待たされましたが(ブログを見ると、10年前は予約して行ったんですね)、診てもらうことができました。

「原因に思い当たることありますか?なんかぶつけたとか」「ないですね」「腰痛い?」「いいえ」「いっぱい歩いたりした?」「いや、特に・・・」「うーん・・・」

「末梢系だと思うんですよ。たぶん脳ではない。(脊髄の模型を出して)、こんな感じに脊髄の骨の間から足にいく神経は出ているわけですが、こことここの間から出た神経が足の親指に行くんです。その下の隙間から出て行く奴が足の外側ね。かかとってことは、ここから出る奴なんで、典型的には椎間板ヘルニアとかになってはみ出たのが神経を圧迫したりするとこういう症状が出ます。手も同じね。薬指と小指の分がまとめて1つの神経として足の場合よりもっと上の方の脊髄の骨の間から出てます。なので、症状からいうと脊髄から出た後の問題のように思います。その場合は緊急性の高いものではないだろう。一応、レントゲンは撮っておきましょうね」

というわけでレントゲンを何枚か撮られて、それを見た結果、「すぐにヤバいようなものでないね。細かいところは時間あるときに診ておきます。とりあえず、しびれの薬としてビタミンB12を出すんでそれをしばらく飲んで。飲み終わったら所見を伝えるのでまた来て下さい」とのことでした。重大な病気ではない(とお医者さんが思う)ようなので、ひとまずは安心。処方してもらったのはメチコバールという薬でした。メコバラミンという成分がしびれのお薬の成分の名前なんですが、普通に市販のビタミン剤にも入っているようなものらしい。

あと、「〇〇にお勤めなんですね。じゃあ、だいたいは座りっぱなしでパソコンに向かってる感じ。うーん・・・。結構前に〇〇の産業医さんと話すことがあって、『社員に手のしびれを訴える人が多い』って。ちょうどその頃、仕事に使うパソコンがデスクトップ型から1人1台のノートパソコンに変わった時期で、『やっぱりそれが良くないのかなあ』っていう話はしましたね。モニター使ってまっすぐ前を見て仕事する方がいいですよ」とのこと。まあ、そうですよねぇ・・・。デカいモニターは人権!

ともあれ、ひとまずは様子見です。

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長野の松本までお芝居を観に行った(そのいち)

話は去年の12月まで遡ります。

友人から「用事で行けなくなったお芝居のチケットを買ってくれないか」と持ちかけられました。お芝居のチケットなんで安くはないんですが、ヤツが観に行こうとしているのならハズレはあるまいと信頼出来る友人だったので、二つ返事でOKしました。演劇ユニットWBBの「いえないアメイジングファミリー」。ぜんぜん知らなかったんですが、まあ、皆さん芸達者で、脚本もウェルメイドなコメディーで、大満足でした。

劇場は六本木の俳優座劇場で、これも初めて行ったんですが、古いけど居心地のよい劇場でした。前から4列目だったので大いに堪能できました。

WBB vol.21「いえないアメイジングファミリー」ビジュアル

で、久しぶりにお芝居を観に行ったわけで、劇場にはチラシがいっぱい置いてあったりするわけです。その中に、三谷幸喜さんが自らの演出で再演する「笑の大学」のものがありまして。役者は「鎌倉殿の13人」で北条時房(トキューサ)を演じた瀬戸康史と「真田丸」で徳川家康を演じた内野聖陽。これは観たい。小屋は渋谷のPARCO劇場です。

20230409-220958 

というわけで、チケット発売日にはパソコンの前に待機しまして、争奪戦に臨みました・・・が脆くも敗れ去りました。いや、まあ、そうですよね。しょうがない。そこで、公演日のリストをみてふと思ったんですよ。大阪とか福岡とかはちょっと辛いけど、長野ならいけるんじゃないのと。新幹線乗っちゃえばあっという間じゃないですか。調べました。長野といっても松本なので、新幹線は通っていません(笑)。東京に住んで10年以上になるのに関東の地理はさっぱりのままなんですが、北陸新幹線は群馬の高崎へ向かって走って行って、そこから上越新幹線と分かれて軽井沢-上田を通って長野市へ向かいます。一方、松本に行くのは甲府-諏訪-塩尻を通っていく中央本線ルートです。松本市と長野市の間にはでっかい山があり、容易に行き来は出来ません。とはいえ、松本はかの有名な特急あずさの終着駅ですから、新宿からぱぱっと2時間半でいけてしまいます。週末のちょっとした小旅行にはいい感じの距離。

ですが、松本について何にも知らないんですよね・・・今年のRubyKaigiが開かれるぐらいしか(笑)。食べ物もわからないし、なんか観光地があるのかどうかもわからない。そばと野沢菜とおやき・・・はわかりますよ。あと、松本城が国宝だということもすぐわかりました。でも、それ以外に特に何にもなさそう。うーむ。

そこで、Milueに「三谷さんのお芝居を観に、松本まで行こうと思うんだが、どう思うよ」と聞いてみたところ「こんな宿を発見した」と。それが松本十帖というホテルです。うむ、これはだいぶ格好いいが、お高いぞ?しかし、本屋が併設されたホテル・・・面白い。まあなー。一昨年のいわき旅行以降、どこにも行ってないし、まあ、いいか。一泊だけだし。

そんなわけで、1月の半ばに3/19の公演チケットを取り、3/18チェックインの宿泊予約を取り、行きの新宿9時発の特急あずさのチケットを取り、帰りの高速バスのチケットを取りました。ぜんぶネットで出来るのラクでいいですね。JRも帰りのバスも紙の切符の用意は要らないんですね。ふぁー、便利な世の中になってますなあ。そんな感じの春の小旅行でございます。

 

 

 

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言語はこうして生まれる/モーテン・H・クリスチャンセン ニック・チェイター

言語というのはとても不思議なもので、ほぼすべての人類が身につけるものではあるのに、どうやったら習得できるのか誰もよく理解出来ておらず、意図して身につけようとすると多くの人が(もちろん私も)苦労するという、なんとも難しいものです。

最近はシジュウカラが言語っぽいものを持っているのではないかという研究もありますが、今のところ言語を使っているのは我々ホモ・サピエンスだけで知能として我々と大差ないと考えられるチンパンジーやオランウータンなども言葉は使えないようです。ということは、ホモ・サピエンスには何かしら言語を操るための他の動物にはない先天的能力があるだろうと考えられるわけですが、それが何かということはどうにもはっきりしない。

この本は、人間が言葉を使えるのはなぜかということにある程度の結論を出しています。それが「ジェスチャーゲーム」をする能力です。

非常に複雑な文法を持った言語が約7000も現存しているのはなぜか・・・ということはちと置いておいて、そもそも、どうして人間は他の個体と意思の疎通が取れるのか。それを著者はジェスチャーゲームはどうやったら成立するのかをもとに考えます。まあ、そもそも、意思の疎通を図るのに音声言語である必要はないわけです。「みんなが手話で話した島」で紹介されているように、共同体の全員が手話だけでコミュニケーションしてやっていくことは不可能ではない。手話も文法を持った立派な言語の1つですからね。で、この本の第1章では、エンデバー号のクック船長が南米最東端の港で水と薪を補給するために原住民のハウシュ族とコミュニケーションする場面が紹介されます。クック船長側からは贈り物を贈り、ハウシュ族の代表を船にディナーに招き、友好的な関係を築いて目的を果たしています。で、そもそも、なんでこれは可能だったのか。

例えば、全く言葉の通じない国を海外旅行していて、「おなかが空いたから、何か食べるものが欲しい」と伝えたいとします。おなかを押さえて悲しそうな顔をし、何かを口に入れる仕草をすれば、たぶん通じます。しかし、よく考えたらこのジェスチャーには死ぬほどたくさんの解釈の幅がありうるわけですが、なぜ通じるのか。それは、相手が

  • この人は何かを伝えたがっている
  • しかし、言葉で伝えることはどうやら出来ないらしい
  • こういう状況で、食べ物を欲しいを訴えることは状況としてありがちだろう
  • 仮に空腹で食事が欲しいのであれば、自分も同じようなジェスチャーをするだろう

ということを共有してくれるからです。で、多かれ少なかれコミュニケーションというはこのような共通の認識があり得るから成立するわけですね。これが非常に抽象的な概念になってくれば言葉を尽くしてもそこに生まれるのは「共同幻想」かもしれないわけですが(笑)、しかしながら、それが完全には共有されていなかったとしても社会が成立する程度のコミュニケーションは取れる。仮に、人類が今のような発声器官を持っていなかったとしても、おそらくこの個体間での暗黙の共通認識を成立させる能力があれば、言語は生まれるんでしょう。

逆に、チンパンジーがほぼ人間と大差ない知能をもっているのに言語を扱えないのは、「相手が何を伝えようとしているのか察する」能力がないからだと。チンパンジーの前に伏せたコップを置き、その片方にリンゴ片を入れる。そして、相手にどちらにリンゴが入っているかを指を指したり、コップをじっと見つめたりして伝えようとしても、上手く伝えることは出来ない。ただ、入っているリンゴを取ろうとするとその意図は理解して、先に取ろうとするらしいんですね。つまり、チンパンジーには「相手に行動を予測する」能力はあるのに「相手がこちらにリンゴのありかを教えようと思っている」ことがわからないし、だから「仮にリンゴのありかを教えようとしているとしたら、どうやって伝えるだろうか」ということを察する能力がない。

ちなみに、これは「文化がヒトを進化させた」に書いてあるんですが、オランウータン、チンパンジー、ヒト(の幼児。社会的な学習をする前の能力を知りたいため)の能力を調べると、空間認知、量概念、因果関係などを理解する力にこの3種のサルの能力に大きな差はありません。ただし、社会的学習能力はヒトの幼児が圧倒的な差をつけて優位になるんだそうです。社会的学習能力ってのはどういう測定をしているかというと、何か被験者が欲しがるものを獲得するための手段(ちょっと簡単には思いつかない方法で道具を使うとか)を誰かがやって見せた上で、その獲得に役立った物品を揃えて同じ課題をやってみるように促します。ヒトの幼児はうまく真似をして課題を解くけども、他のサルはこれが出来ない。

さらにちなむと、同じところにこんな話も書いてあります。逆にヒトは本能的にどうしても誰かの真似をしてしまうようで、相手と違うことをすると報酬を与えられるようなゲームをさせるとチンパンジーに劣るんだそうです。例えば、非対称マッチングペニーゲーム(詳細は割愛しますが、まあ、例えばチョキで勝つと、パーやグーで勝つよりポイントが多くもらえるじゃんけんみたいもの)に対して確率的にどういう手を出していれば期待値が最大になるかというような戦略を考えることがチンパンジーより苦手です(というか、チンパンジーがこれで人間より良いスコアを出せることが驚きですよね)。特に、あいこではなく、相手と手が食い違ったときに有利になるゲームが優位に苦手だと。それぐらい、人間は本能的に真似をするように出来ているんですね。

じゃあ、これで人間が言語っぽいものを使ってコミュニケーションが取れそうだというのはわかったとして、実際に我々が使っている言語、特に文法なんかはどうやって生まれてくるのかというと、それは人間の短期記憶の制約に依るものだろうと。そもそも人間の短期記憶はものすごく制限されているので、音声情報がストリームで入ってきてもそれを全体として処理対象にすることは出来ません。なので、それをぶつ切りにしてある程度を新しいチャンクにまとめて、それをさらにまとめて・・・と処理せざるを得ない。それが、今の自然言語の文法が必要とされる原因だろうと。発話も同じで、よっぽどの訓練をしない限り長い文章を一気に組み立てて順に発話していくことなんて出来ないので、「えー」とか「あー」とか言いながら、細かいフレーズを音声に押し出していくしかない。という制約に適した文法をジェスチャー混じりのコミュニケーションから組み立てていくと、今のような文法を持った言語が、バラバラに7000も出来てしまうのだろうと言っています。なるほど。

逆に、人間には生得的に文法能力があるのではないかという生成文法の考え方でいくなら、そこから7000もの言語が出来てしまうその能力はあまりにポンコツじゃないかと(笑)。まあ、それはわからなくもないですね。

後は文法の生まれ方の調査についてとか(例えば訳のわからない複数の音素の並びを伝言ゲームしていくと、ちょっとずつ間違って伝わっていく中である程度の法則がそこに出来てしまう話とか。興味深い)、脳にある言語野は本当は何をしているのかとか、いろいろなトピックがあり面白いです。

最後の章で、GPT-3を代表とする自然言語処理のAIが我々の仕事を奪うかという議論をしていて、ここまでの議論のように我々が言葉を使ったコミュニケーションをするために必要な能力が本質的にはジェスチャーゲームを成立させるために必要な能力だとしたら、GPT-3はあなたの代わりにはならないですよとそういうことを書いているのも面白かったです。これはある種の新しいチューリングテストを作り出せる話?ホント?

というわけで、なかなか面白かったです


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THE FIRST SLAM DUNK

「スラムダンク」のアニメが劇場版としてリブートすると聞いて、「ああ、それはいいなあ」と素直に思いました。が、「まあ、観ないだろうけどな」とも。「スラムダンク」ほどの名作を眠らせておくことはないわけで、Bリーグもなんか盛り上がってきてる訳だし、もう20年以上前の作品だし、頃合いだろうと。「銀河英雄伝説」のリブートにも付き合ってますしね。やはり、技術の進歩は素晴らしい。

でも、不良の桜木花道がまともにバスケし始めるまで物語的にはだいぶかかるわけで、最初から観るのはかったるい。「スラムダンク」を観たことがない若者が楽しんでくれれば良くて、古くからのファンにとっては「Not For Me」なんじゃないかと。いや、私はそれほどのファンという訳でもないのですが。ジャンプ読まないんですよ。中高とバスケをやっていたこともあって、完結してから読みました。

ところがですよ、まさにあの頃ファンだった人達が観たいものが実は作られていたっていう。それを公開まで完全に隠してて。たぶん観た人の評判でちゃんと伝わるだろうという計算なんでしょう。なんてリスキー。なんてわがまま。これはね、観に行かないとダメですよ。逆に「スラムダンク」を読んだことない人はちょっと微妙かもしれない。読んでから観に行ってもぜんぜんいいかもしれない。もちろん、読んでなくてもすごく面白く観られるとは思います。最初はちょっと不親切かもしれないけど。いきなり「こいつら、誰?」って感じになりますが、でも、バスケの試合見に行ったとして、普通は選手全員の名前知らないから大丈夫だよ。それぐらい、いきなりバスケの試合に魅了されます。

そうなんですよ。試合が凄いの。3Dアニメって今、ここまでいけるの? びっくり。アト6で宇多丸さんが「これはアメコミの映像化としての『スパイダーバース』に対する日本のマンガの映像化としてのアンサーかもしれない」って言ってましたけど、ホントに凄い。本当にバスケの試合を観てるみたいだけど、ホントの試合なら絶対に観られないアングルがあるし、実写では絶対出来ない演出が入ってくるし。これをどうやって作っているのか、ホントに気が遠くなる。だから、「スラムダンク」知らなくても、なんならバスケ知らなくても、凄いことはわかるし、ちゃんと感動出来ると思う。それぐらい凄い。

でも、そんなことより、この作品は、あの頃ファンだった人達が「こういうのが観たいな」と思っていなかったけど観たら「これだよ」としか思えないものが作られているというのが凄い。でも、それが何かは言えない。ここまで秘密にしてきたものを書くわけにはいかない。まあ、もう公開されて大分経つし、私も、噂を聞きつけて「えっ?そういうことなの?じゃあ、観に行かないと」となって観に行ったんだからいいのかもしれないけども、とりあえず、もしここまでを読んで気になったら観に行って。すぐ行って。絶対その方がいいから。

「いやいやいや、信じられんでしょう。いいよ、言ってよ。聞いて、へーって思ったら観に行くから」という人のためと、ネタバレの感想を書きたいからとの理由で、もうこの下に書いちゃうよ。ネタバレバリアー!

 

 

 

 

いいかな?

 

つまりね、こういうことです。「スラムダンク」のファンにこう言ったら全員、「えっ?」ってなるじゃないですか。

宮城リョータを主人公にした山王戦を、CGアニメで井上雄彦が納得するレベルの動きにしました

なにそれ、観に行かないわけないじゃん。山王戦?りょーちんが主人公?プレイはCG作画?まあ、そりゃそうだ。井上雄彦が納得するレベルで動かすにはそれしかありえねぇ。でも、本当にできるの?モーションキャプチャで動かしたら、今までのアニメとノリが繋がらなくなるんじゃない?あ、だから声優全取っ替えなの?マジかよ。ホントにマジなんだな。そんなの、いくら金がかかるかわからない上に、見た目地味で儲かるかどうかわからんけども、それでもやるんだな。そうだよな。言われてみれば、その通りだよ。

観たかったの、それだわ

いやあ、最高だったー。泣いたー。湘北に入ってよかったー。いや、入ってないけど、もう、なんか入ったわ。これはね、ホントに凄い作品ですよ。こんなアニメ観たことないですよ。気が遠くなります。

あとね、音が最高。ホントに体育館にいるみたい。とりあえず、劇場に観に行っとけ。

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After Steve/トリップ・ミックル

良かれ悪しかれ絶対的な意思決定機関だったスティーブ・ジョブズを失った後、Appleはどう舵取りされてきたのかの内幕を語るノンフィクションです。それは、この10年の間のWWDCやiPhoneの製品発表会の裏側で何が起きているのかを妄想してきたり、ネタに酒を飲んできたりしている私たちにとっての「答え合わせの書」でもあります。読まないではいられません。

これまでにアイザックソンの有名なジョブズの伝記と、ジョニー・アイヴの伝記は読んだことがありました。アイヴの伝記の著者は2019年にティム・クックの本も書いているんですが、そっちは読んでおらず。クックの来歴についてはこの本で初めて知りました。

ジョブズが死ぬ前は、ジョブズとアイヴがカッチョいいプロダクトを作り、それをクックが何億人という人に滞りなく届けてちゃんと儲けるという体制が出来てました。そして、ジョブズ亡き後、クックがアップルを率いていくわけですが、当然、ジョブズを介してつながっていたアイヴとクックという両輪は、それまでとは違うゆがみが出てくるわけです。

というわけで、この本は1章ごとに「クックパート」「アイヴパート」が繰り返されていきます。そして、読めばこの2人がどれだけ偉大なデザイナーと経営者なのかということがはっきりとわかります。いや、読む人のある程度は「この2人がどのようにしてジョブズ亡き後のアップルをダメにしてしまったのか」という期待で読むのだろうと思いますし、原著のサブタイトルには"How Apple Became a Trillion-Dollar Company and Lost Its Soul(アップルはどのようにして3兆ドル企業になり、その魂を失ったのか)"と書いてあるぐらいだからある程度はそういう期待に応えるつもりで書かれてはいます。

しかしながら、この本を読むとなんら間違ったことは起きてないわけです。ジョブズがいなくなった後、いきなりこの2人が仲違いしたわけでもないし、ジョブズに成り代わろうとして迷走したわけでもない。アイヴはクリエイティビティを焚きつけて、かつ、世のゴタゴタから守ってくれていた偉大な才能を失いながらもジョブズがいなくても自分たちはクリエイティビティを形に出来るんだともがいて成果を出し(結果、燃え尽き)、クックは前任者の様に製品開発に逐一介入するようなことはせず、アイヴに任せるべきところは任せ、会社を適切にオペレーションし、株主からの要求に応え、議会とも中国政府ともトランプ大統領ともタフな交渉をこなす。すごいです。そりゃまあ、いろんな問題は起きているし、人間関係のゴタゴタは起きまくっているし、社員は激しいプレッシャーでボロボロになっていっているんだけども、そんなのまあ、どこの会社にだってあることで、アップル社内が楽園のようなところだとはだーれも思っていないわけですよね。

この本を読むと、逆にこの10年、ジョブズが生きていつもの調子でやってたバージョンのアップルのことをどうしても考えてしまいます。ジョブズはその後もずっと魔法を続けられたのか。アップルはジョブズの魔法を実現させることが続けられていたのか。どーだったんでしょうねぇ。

 

 


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RRR

話題の「RRR」を観てきました。

観てないんですけど「バーフバリ」の評判は耳にしてましたし、その監督がとんでもない予算でとんでもないサイコーの映画を作ったというじゃないですか。いろいろと耳にする評判のどれもが「サイコー」という感じなんで、こりゃ行っとくかなという感じで。

うん、こりゃ凄いね。すっごい。

観る映画、観る映画これだとちょっと困っちゃうけど、なんだろう。月に1回ぐらい元気になるために観てもいいかもしれないぐらい。いや、3時間あるから観るの大変ですけども。とにかく、主人公2人はナイスガイでめちゃめちゃ強いし、悪役のイギリス人どもは1人を除いてホント最悪だし、死ぬほど人が出てくるし、豪快だけど構成は練りに練られてて、すっごい。

誤解を恐れずに言えば、見終わった感覚としては劇団新感線の「五右衛門ロック」を劇シネで見た感じ。荒々しくて、音楽も激しくて、歌も踊りもあって、ベタで熱い芝居と見栄があって。あれを

 

100億円かけて作った

 

感じ。7200万ドルだからね。劇団新感線の何百倍なんだっていう(笑)。エンドロールもずっと踊ってて、終わったらイマドキ珍しく拍手が起きました。そう、観てる感じが映画と言うよりお芝居なんですよ。そんな凄いもの、観に行かない理由はないよ。面白いに決まってるでしょ。

インドの独立闘争の話なんでセンシティブな面はありますし、インド映画界のいろんなもろもろな事情とかもあるらしいんですけど、そのへんは宇多丸師匠の劇評とかを聞いてもらうとして、とりあえず公開されてるウチになんとか行っておくべき。見終わった後の、客席のなんとも言えない、おかしなもの見ちゃったぞという「にへらっ」とした雰囲気まで含めて是非味わうべきです。

あと、前半のクライマックスであるダンスバトルシーンは、これはもうインド映画といえばコレっていうものの最高な逸品で、どうしようもなくすごい何かで、劇場に行く前に観ていってもそのシーンになったら「あー、これかー。キター」になってネタバレでも何でもないので、下の町山さんのツイートでリンクされている4分半のこのシーンを全部観ていってなんら問題はないからインド映画よくわかんないぞ勢は今すぐみて「なんじゃこりゃー」ってなってください。よろしく。

 

 

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