新サクラ大戦

そうそう。FF7Rの感想を書いて思い出した。「新サクラ大戦」のレビュー書いてないや。

いや、正確には書いたんです。Amazonに(笑)。例によって、クソミソに貶されてたから、応援しとこうと思いまして。その程度にはセガファンなのです。というわけで、それをこちらにも転載しておきます。アニメも面白かったし、サントラも最高よ。


「サクラ大戦」って、そもそもそんなに優れたゲームではなかったと思うんです。LIPSのせいで主人公のキャラ付けは上手く出来ないし、選択肢も「そんなこという男、いるか?」みたいなのが最も好感度高い(=正解)だし、ストーリーは無駄に大風呂敷でご都合主義だし、アドベンチャーパートと戦闘パートが別ゲーでどっちの完成度もそれほど優れているわけでもない。

だが、見過ごせない良さがあるんです。そこには主人公の性格をブレブレにすることによるリアクションの面白さがある。ベタが故に、駆け引き抜きですぐにキャラの可愛さだけを楽しむことが出来ている。恋愛より世界の危機を救いたい中二病にぴったりのなんじゃそりゃな展開のストーリーで熱くなれる。ほどほどのアドベンチャーと戦闘を1パックにして、アニメの1話を楽しむように進められる。ぶっちゃけて言えば、上の欠点を直しちゃうと、それはたぶん「サクラ大戦」では無くなっちゃう。そして、これほど有名なゲームではあるのに、フォロワーがほとんど無いと言うことは、「サクラ大戦」はゲームの王道ではない。何か、パーティーゲームのように微妙なバランスで組み合わさって飾り付けられた、コントロールされたおもてなしの逸品。やり過ぎと破綻のその向こう側にあるSEGAが、SEGAらしくあったころに生み出したSEGAの考えるギャルゲー。だからこそ、好きな人は熱狂的に好き。それが「サクラ大戦」なんですよ。

で、ですよ。今作。まー、みなさんレビューで欠点をいろいろと上げておられます。とにかく、文句を言い始めたらいろいろあるわけです。だいたい私も同意です。だけども、その欠点はだいたい歴代の「サクラ大戦」も共通して持ってたものなわけです。「アドベンチャーパートに戦略性が無く、ゲームとしてどうか」。うん、その通り。でも、これ、アニメなんで。これだっていう見せたいストーリー以外、見せるつもりないみたいだし。「アクションパートがつまらない」。うん、でもこれ、所詮アニメの戦闘シーンに過ぎないんで。言っちゃえば、お話の一部ですから(それにしちゃ長いけどもw)。

というわけで、欠点だらけではあるんですが、いや、むしろあるが故に、これは間違いなく「サクラ大戦」です。この手触りは、このいびつさは「サクラ大戦」のそれ。それも、相当よく出来た部類の。もちろん、初代の「サクラ大戦」には私も思い入れがあるんで言いづらい。言いづらいけども、私はこれは歴代で一番良い「サクラ大戦」だと思いますね。どのキャラも可愛い。ストーリーは熱い。アドベンチャーパートはバカバカしい。合体攻撃はもう見ていられないほどにバカバカしい。音楽は燃えに燃えまくる。正直、最後のストーリー展開はよく出来すぎてる(あかほりさとるならもっと破綻させるはずだw)が、○○が裏切る辺りからはもうコントローラーを置けないぐらいに盛り上がる。いやー、これはいい。後にいっさい感動とかは残らないが、バカ熱い。

えっと、2周目?いらんでしょ。どの子とエンディングになったかとか、そんなん些細なことでしょ(私は遠隔攻撃が楽なのでクラリス選びました。どーでもいいけど、まあ、クラリス可愛いからいいや)。

というわけで、90年代バカ熱血アニメ(それこそあかほりさとる原作のとか)とか、「キルラキル」のトリガーのアニメとかが好きな人は是非やるべき。いわゆるゲーマーな人は、ま、期待しないでおくべき。田中公平先生のファンは何を置いてもCD付きを買うべき。

そして、「サクラ大戦」のファン。それも、キャラが好きとかそういうんじゃなくて、「サクラ大戦」って存在が好きって人は、ご安心を。ゆっくりお楽しみください。キャラが好きな人はねー、えーっと、1人を除いて前作までのキャラ全員死んでるんで、それでもよければどうぞ(笑)。


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ファイナルファンタジーVII リメイク

よくよく考えると、エヴァのせいなんだよね。

FF7が出た当時、私は毎週「セガサターンマガジン」を買うほどのコテコテのセガ派に仕上がってました。原因は、「新世紀エヴァンゲリオン」にハマったからです。あの最終回に「はぁ?」となり、庵野監督がラジオに出て事の経緯をしゃべるとネットで聞き、「林原めぐみのハートフルステーション」のリスナーになり、セガ広報の竹崎氏のファンになり・・・。まあ、いいや。とにかく、もちろんこれが出た当時の騒ぎも記憶にあるんだけども、やらなかったわけです。プレステ、持ってなかったからね。

というか、どうもFFとは相性がよくない・・・。FFとDQでは完全なDQ派。私がこれまでちゃんとやったFFはFFXIだけなのね。「FFXIをちゃんとやる」って言葉の意味に押しつぶされそうだけど(笑)、まあ、そこそこやったわな。

どうも、「剣と魔法の世界」と「SF近未来」の融合して無さ感が好きじゃなかったんですよ。それぞれは好きなんだけど。でかい剣をもったニッカポッカの男が魔法を使って戦うところまではいいんだけど、召喚獣とかは流石にさ・・・世界観壊してるでしょ。そういう意味では、単に同期の可愛い女の子とゴールデンウィークに遊ぶだけのつもりでよくわからずに始めたFFXIは、そこのところ違和感がなかったんだよね。ちゃんとファンタジーだった。FF13もMilueがやってるのを横で観てたけど、やっぱそこの違和感はあったし、FF15もそう。なんか、「あーゆーメタルなかんじ」こそがFFってイメージが定着してるよね。そして、このFF7はまさにそれを決定づけた作品っすよね。印象は良くない。

そのFF7のリメイクをなんで買ったのかというと・・・なんでだろうね。Rebuild.fmで散々話題にされていたからかなあ・・・。直前に「新サクラ大戦」を楽しく遊んでて、PS4が暖まってたからかなあ。大きな助けとしては「これは分作」って聞いていたからかな。そんなにむっちゃ長くはないだろうと。いや、クリアに50時間かかりましたけど。そして、ともあれストーリーの最後までたどり着くことができたのは、Milueが「今日は、クラウドさんやる?何時から?」とひたすらせっつくからでした。横で観てるだけのくせにうるさい。でも、後述するけど終盤はホントにプレイが苦痛だったから、妻の励ましとせっつきがなければ多分放置したな・・・。

終わって振り返って感想を言えば、割と満足度は高いです。

戦闘システムはよく出来ていて、ボタン連打で勝てるようでもないし、「これムリくない?」みたいなこともないし。戦闘をオートにするのも、がっつり操作するのも簡単に選べるし。マップはそこそこの広さで、うんざりするほどでもないし、探索する楽しみがある程度には広いし。

声優さんのしゃべりは概ね満足。最初誰しもがウザく感じるバレットがだんだん可愛く感じてくる案配とか絶妙。というか、これ声優さんのしゃべりによる力添えがなかったら、ストーリーを追うのはもっと辛かったかも知れない。というのも、主人公のクラウドがいわゆる「信頼できない語り手」であって、ヒロインの1人も信頼できないキャラなんですけど、そこの「何言ってんだ、こいつ」感を声優さんの演技でごまかされてる感じがあるんですよ(笑)。ボイス重要。

グラフィックは文句のつけようがないかな。このレベルのキャラが普通に動かせて、シームレスに戦闘に入ってってホントに凄い。全体に画面が暗い中、黒い服のキャラを動かすんだからわかりづらくなりそうなものなんだけど、そのへんも上手く出来ていて、操作にほとんどストレスはないです。ティファのおっぱいすごいしね。剣道の胴着が中にはいってんのかってほど固そうだけど。

音楽も全体的によかったなあ。サントラがでたら欲しいレベルです。あ、今日、「新サクラ大戦」のサントラが届きました。こっちはもっと最高だけど、種類が全然違うよね。

世界観も、まあ、壊れてると思うけども良く出来てる。壊れているってのは、あんなにぽんぽん魔法が打たれてるのに、兵士が銃持って魔法に対策無しとか、この世界どうなっているの?ってことなんだけど、まあ、主人公たちがおかしな人達で他の人たちは普通の人間なんだとしたら(じゃあ、なんでマテリアを自動販売機で売ってるんだってことになるけども)、いいじゃないかと。何重にも目をつむって楽しもうと、言えなくはない感じ。巨大企業が空中都市を作ってその上で暮らしている人と、日の当たらなくなったスラム化した地上にくらす人々・・・なんて世界観は嫌いじゃないし、圧倒的なビジュアルイメージで成立させちゃってる。すごいなと思います。

ミニゲームも面白いし(1時間以上やらせられると、うえーってなるけど・・・)、サブクエストも楽しい。ストーリーもそんなに悪くないと思います。少なくとも、七番街スラムが崩壊するまでのトコロは。

そこからが、問題なんだよね・・・。

えーっと、まず、このゲームがオリジナルの序盤のストーリーだけを取り出したもので、完結していないことを批判する声が大きいのは知ってます。それを「水増しだ」とか「金儲けだ」という批判はちょっとどうかなと。すくなくとも、ゲームのボリューム感としては十分だし、これを仮に10時間分ぐらいのゲームにしたらちょっとそれはどうなのかなという感じはあります。そこは問題だと感じない。

問題は、とにかくストーリーが進行しないこと。このお話は、世界の謎について主人公達がぶつかってそれを解明していく形で進んでいきます。そして、主人公側のキャラ達にもそれぞれ秘密があり、あるいは、自分も知らされていない謎を持っていて、それがほのめかされながらストーリーをドライブしていきます。序盤はそれがすごく魅力的なワケ。

ところが、当たり前なのかも知れないけど、このゲームの終盤になっても、謎はほとんど何にも解明しません。そらそうだわな。ここから先、まだまだストーリーの残り分量があるんだからそれはまだまだ。にも関わらず、この第1作目としてはエンディングに向かわなきゃいけないから、結構大がかりなイベントが起きます。ラストダンジョン的なものもやるし、ボスモンスター的なものとも戦います。ストーリーのテンションはすごく盛り上げられます。キャラ達も「いよいよだ」とかそういうことを言い始めるし、敵のボスっぽい人はこの戦いで退場されられます。

でもね、プレイヤーは完全に置いてかれちゃうの。とにかく、キャラ達がなんでそう判断してそういう行動を取ろうとするのか、いちいち理解できない。さっきまで「脱出には屋上へ向かわねば」と言ってた人達が、応援のヘリが落とされた途端、下へ向かい出す。いや、下から逃げられたんかい。謎のキャラクターが思わせぶりなことを言って、異世界に誘う。主人公は何故か追おうとする。なぜか別のキャラが止める。でも、止めた側から「行くしか無い」みたいなことを言い出す。まったく、何言ってるのかわからない。あげく、追いかけて、なんだったかわからないボスと戦い、倒して、倒したことにより何が達成されたのかよくわからないまま、変なところに転送され、その世界へ歩き出して終わる。なんじゃらほい。どうなっているのだ、このクソストーリーは。

構造上、問題があることはわかってます。であれば、この1作目で何かを達成するキャラを作らないといけない。クラウドやエアリスはどうやらこの世界の秘密に関わっているキャラらしいので彼らはムリかも知れない。バレットの妄執も、世界の謎に対する真相と関わってそう。そこらへんには触れないなら、例えばクラウドがこの仲間達を手に入れてちょっと大人になるとか、田舎から出てきてその日暮らしだったティファの内面の葛藤が何らかの解決を見るとか、あるいは退場させられちゃう悪役のボスが企んでいたことが明らかになって、それが辛くも止められてなにかが守られるとか、この1作目の中で提示され、危機にさらされ、解決する問題を軸にしてそれをストーリーの動力源に設定しないといけません。それがないので、最後の部分が、もーーーーーーのすごく苦痛。ストーリーを見ながら、5分に1回、「はぁ?」「えー?」「おーい」と罵り続けることになる。

実は、これはこの先のストーリーの概略を知っているプレイヤーや制作陣には見えづらい問題点なのかも知れません。でも、私にはキツかった。続きがあるなら、やりたい。やりたいけど、2作目はその辺りはもうちょっと上手くやってね。

というような、致命的な苦痛は伴うものの、この後もいろいろ楽しませて貰えそうなことを考えると、続編は楽しみです。システムには大きな問題は無いと思いますが、武器のアップデートとか、めんどくさそうなのでシカトした要素とかもけっこうあります。これ以上複雑にしないで欲しい。あまり間隔をあけず、これ以上、頑張りすぎず(笑)、さくさくと続きを出して貰えるとうれしいですね。

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Unnamed Memory/古宮九時

いやー、ティナーシャちゃんが可愛いのよー。

「小説家になろう」からの書籍化。いわゆるもなにも、「なろう系」それそのもの。文庫ではなく、いわゆる新文芸の書籍サイズで出版されるというのも、今どき感がありますね。

一般に、「なろう系」というものをどう捉えるのかというのは、なかなか難しいものがあります。

たくさんの書き手と、それ以上に重要なことにたくさんの読者がいて、新しい才能が登場し、磨かれる場所があるということが、日本の文芸の世界にとって悪いことであるはずはありません。無料で読めるサイトで評判になって出版され、無料で読めるにもかかわらずお金を払って読もうという人がいる作品には、何かしらひとかどのものがあります。間違いなく面白い。

ただし、そのサイトで目にとまるためには、ジャンルがかなり激しく固定されてしまいます。「なろう系」がだいたい似通ったモチーフになってしまうというのはそのせいですし、「なんか異世界転生ものばっかりやないかい」ということになってしまう。それにうんざりしている消費者は少なからずいて、そうするといわゆるジャンルの行き詰まりが起きる。今の文庫のライトノベルはまさにそういう感じになっちゃって、すっかり衰退しています。なので、これはあんまり良くない。

でも、さらに言えば、その厳しい制約のなかで「こうくるか!」「異世界転生でもまだこのやり方があったか!」みたいな作品は生まれてくるので、そういう作品に出会ったときの喜びはあります。これは先鋭化したジャンルを追っかけている醍醐味みたいなものですね。ま、それは間口がすっかり狭くなっているということでもありますが、面白い作品が生まれることが悪いことであるはずもなく。

というわけで、今のこの状況が良いのか悪いのか、これはなかなか難しい。私もすっかりおっさんなのでシーンを追いかけているわけじゃないんで、今どうなっているのか掴んでいるかというと全然そんなことはないし、むしろ「涼宮ハルヒブームのころは、ラノベ楽しかったなあ」という懐古厨なんですけども、でも、「Unnamed Memory」みたいな作品に出会うと、「うーん、捨てたもんじゃないんじゃーん」と楽しい気分になる。

というわけで、「Unnamed Memory」はそういう作品です。

もちろん、キャラ同士の掛け合いの楽しさや、ヒロインのティナーシャちゃんの可愛らしさはライトノベルの変わらない魅力であり、この作者は非常にその部分にも長けてます。また、お約束として主役二人の「俺TSUEEE」ぶりも読者のカタルシスをしっかり保証してくれます。でも、ただそれだけじゃなくて、世界観やテーマの選定の仕方、悪役の味わいある描写、エピソードの積み重ね方、ギミック溢れる(若干、反則気味の)ストーリー構成など、どこをとっても一級品。ウェルメイドなエンターテイメント。いやー、面白い。これが「なろう系」に入れられて特定のジャンル小説に興味がある人の目にしか触れないのはひじょーに残念。むしろね、読んだ感じは「あとは野となれ大和撫子」に匹敵するんで、角川文庫にいれて、一般書のとこに平積みしたらいいんじゃないかなあ。本読みならみんな好きな本だと思います、コレ。


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勉強している

新型コロナウイルスのせいばかりではないんだけども、4月5月はほとんど仕事がありませんでした。

まあ、これはウチの会社がっていうのではなく、私がってことです。たまたま長期のプロジェクトを終えたばかりで、その次にアサイン予定のプロジェクトが延びたり、始まりそうで始まらなかったりということがコロナのせいで起こったというだけ。普通にプロジェクトにアサインされている人は、普通に働いてます。

そんな中、去年から部門の勉強会のとりまとめみたいなことをやっていたので、「ヒマだから」と2本とりまとめて、1本参加して、週3回勉強会をやってます。んとね、おかげで普通に忙しい(笑)。入社して以来、そんなに真面目にがっちり勉強する機会はなかったんで、なんだかすごく賢くなった感じです。

まず、「データ指向アプリケーションデザイン」という去年邦訳が出た本の読書会。ノートを取りながら毎週1章ずつがっちり読んでます。クラウドやNoSQLが前提になった世界を前提にした、分散システムの解説書。これはめちゃめちゃ良い本ですけど、1人でさっと読んだんではたぶん挫折しただろうなと。レプリケーションやトランザクション、合意のあたりとか、いかに自分の理解がいい加減だったかを痛感してます。

 次に、「マイクロシステムパターン」の読書会。上の本と合わせて読むと、マイクロサービスが何を捨ててメリットを取ろうとしているのかがよく理解できます。うん、マイクロサービス大変だ。こっちはがっちり読み込んでるわけではないのですが、とりあえず、言葉は通じるぐらいには理解できてきたかな・・・。

3つめの会は、ケント・ベックの「テスト駆動開発」の第1部の写経の会。メンバーには普通にJava/JUnitで写経してもらっているんだけど、私はJavaでやってもつまらないので、Rustでやってます。普通のOOP言語とRustの違いを認識するのに非常に役に立った。いや、別にRustを仕事で使うってわけじゃないんですけども。

印象的だったのは、2つの似たクラスを汎用化して表現するのに、JavaだとInterfaceを使い、それに相当するものはRustではTraitを使う・・・と言ってしまいがちだけど、そこには結構な思想の違いがあるということ。Interfaceに宣言されたメソッドを実装クラスで実装したとして、どの実装クラスのメソッドが呼ばれるかはJavaは実行時に決まる一方、Rustはできる限り静的に解決したいわけ。この辺りの考え方の違いがコードに出てくる辺りが面白くて、とても楽しみました。あと、第1部は一通り読んではいたんだけど、実際に写経してみると結構違うことを感じるのも楽しかったです。

で、そのためもあって、オライリーのRustの本もなんだかんだで1/3ぐらいは読みました。Rust Bookのおおよそは2年前の勉強会で読んではいたんだけど、その上でこの本をじっくり読んで、だいぶRustに親しんできた感じはあります。ポインターが連鎖してくると、ライフタイムで頭が大混乱するけども。

というわけで、今年になってからこんだけ勉強しているわけで、なんだかすげぇ賢くなった様な気がします。気のせいかもだし、大学院時代のボスには「勉強は楽しすぎるから気をつけろ」とよく言われたものですが(その当時は勉強は勉強でイヤだったですよ。学生なんてそんなもんでしょ)、たまにはこうやってがっちり勉強する機会があるというのも、人生において良いモノですね。

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最後の一文が極端病:思ってもいない極端なことを書くと、信用を失うということ

昔からですね、「思ってもいない極端なこと」を言う人は信用できないと思っているんですよ。だってそれは嘘つきってことだから。少なくとも、自分の発言を軽々しく考えているか、言葉に対するセンスが欠如しているか、そういうことだから。

政治家どうしの批判なんかに多いですね。「いや、そんなこと実は思っていないでしょ?だって本当にそう思っていたら、あなた、バカですよ」というような極端なことを言う人。それが、だんだんと一般の人にも広まってきている気がするんです。そういう人に限って、政治家や官僚の言動を批判していたりするんですけど。アレですかね、移っちゃうモノなんですかね、ミーム的に。

えーっと、私が言っているのは政治家が例えば総理大臣を批判するのに、「これでは独裁だ」とか「民主主義の危機だ」とか「辞職ものだ」とか、そういうことをいうことがあるじゃないですか。だいたい、批判の内容はその通りだと思うことが多いんですけど、じゃあ、「独裁」なのかというと、あんた独裁ってどういうものだと考えて言ってるんですか・・・みたいな。でも、みんな「いやあ、それぐらい怒っているっていうことを表現したいだけなんだよ」と思って、あんまりごちゃごちゃ言わない。むしろ、「いや、独裁ではないですよね?」というと「本題と違うところで揚げ足をとるな」と言われる。

でも、ですよ。やっぱ言葉って大事だと思うんです。言っちゃえば、「また総理大臣がおかしな事をしてる。これは良くないからちゃんと直して下さい」で済むことを「総理の職務に相応しいかどうか、疑問であり直ちに不信任を問いたい」みたいなことをいう。実際に不信任決議を求めたりする。いや、求めてもいいんだけど、心の中では「って言っても、まあ、不信任決議は否決されるに決まってて、万に一つも通らないんですけどね」と思っていて、でも、そんなことは一言も言わない。そういう風なアピールをすることが、政治としては大事なんだよって言うのかも知れませんけど、それ、あんたのところの常識で、うちらの常識とは違う世界に生きているのね・・・ってことが伝わってくるだけ。私にとってのその人の信用は落ちているわけですよ。

これが、かなり一般の言説にも広がっていると思います。特にtwitterでは140字しか書けないので、極端な一文でツイートを締めがち。こういう奴。

「〇〇は大変な問題だ(←ワカル)。〇〇が原因で困っている人がたくさんいるにも関わらず、政府は何もしていない(←ワカル)。〇〇を××できるよう政府は改革を断行しなければならない(←ワカル)。このままでは日本は崩壊する(←ソレハナイ)」

最後の一文が無ければ他全ての内容に対して、同意はできなくとも理解はできて、リツイートしようかなーと思うのに、最後の一文のせいで出来ない。こういうのを、すごく多く見るんですよね。

これ、端的には国語表現能力の欠如で、本質的にはダサいってだけだと思うんです。書いている人は、単に修飾表現として書いているものだから。ただし、「ネタがベタになる」ってことはあるんで、こういうことを続けていると本当だと思い込む人が出てきます。文章全体が過激になっていったり、行動までつられて過激になったり。そういうおかしな人を誘発します。ツイート一つするにしても、それはやはり表現なので、ちゃんと誠実に書くべきで、みんながそういう風にしているからと言って、自分も強い感情を表すだけのために「思ってもいないこと」。特に「辞めさせろ」だの「追放すべき」だの、逸脱した手続きで行ったら問題になるようなことは、軽々しく言っちゃダメです。しかも、それで伝わるのは「こいつの言っていることは信用できない」ってことだけなんで。

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今、接触削減を緩めてはいけない理由。日本のCOVID-19対策は何を目指していて、我々は何を成し遂げる必要があるのか

今日も今日とて、いろいろな人がいろいろなことを言っています。COVID-19対策専門家会議は2/25というだいぶ手遅れ感のある時期に結成されたにも関わらず、世界でまれに見るほど素晴らしい働きをしていると私は評価していますし、かなり明確で多様なメッセージを発信しています。とりあえず、私には今何を目的に彼らは動いていて、どういう状況にあるのか、だいたい理解していると思っています。

そして、専門家会議の今の判断は、「感染者の増加は減っているが、期待した効果にはまだ足りていない」です。私たちがやるべき事は、もっと人と人との接触を減らし、新たに感染する人を限りなく0にするように努力することです。そして、そうしなければ我々はヘルスケア的だけでなく、よりもっと大きな経済的ダメージを被ることになります。

あー、そうだねー。もっとがんばるよーという人は、まあそれでいいんですが、「なんで減ってるのにまだダメだって言うの?」「上手くいってるから、もうぼちぼち解除に向かってもいいんじゃ無いの?」「どうせ感染は抑えられないんだからほどほどで付き合えばいいんじゃないの?」と思っている人向けの説明を書きます。いろいろな人に個別に説明するのがめんどくさくなりました。

まず、海外の状況まで考えてもどうせ何もできないので、問題を日本国内のことに限定しましょう。今から、日本は鎖国したと考えて下さい。さらに、最悪のケースとして、このウィルスには人間は免疫を獲得できず(ノロウイルスはそうです)、ワクチンも作れない(HIVはそうです)、特効薬もない(大抵の風邪のウィルスはそうです)と仮定します。まだ、十分に可能性のある仮定です。

日本人が感染していようがいまいが、老いも若きも、男も女も、全員家に引きこもり、一切の外部との接触を断ったとしましょう。この場合、2週間で日本から新型コロナウイルスはいなくなります。ただし、2週間かかるので苛烈な犠牲が伴います。現実的には不可能です。これが最短コースです。このコースの良いところは、感染者がどんなに多かろうが、やれば絶対に完全な効果が出ることです。最悪のケースではこのコースに突入します。

一方、何もしなければコロナウイルスはあっという間に日本人全員に罹患し、感染者の0.6%を殺します。仮に1人の感染者が感染して発病して寝込むまでの5日間に平均で2人に感染させるとすると、患者の増加は5日ごとに倍になります。2の10乗が約1000ですから、50日後に1000人、100日後に100万人、150日後には10億人の患者が出ることになります。もちろん、日本には1億人ちょっとしかいませんし、時期が過ぎれば感染者の周りは感染者ばっかりになりますからペースは鈍ります。しかし、日本人全員が感染するまでせいぜい数ヶ月しかかからないのだということを認識して下さい。そして、全感染者の0.6%が死ぬとすれば、何十万人も死ぬことになります。治った人もまた罹り、これがずっと続いていくことになります。これがロックダウンをする前のイタリアやスペインで起きかけていたことです。地獄コースです。

これを何らかの感染対策によって、感染者1人から1人未満の感染者しか出さない状態になんとか持ち込めたとしましょう。すると、感染者はゆっくりと減っていき、この状態を維持すればいつかは感染者を0に出来ます。ただし、最短コースが2週間ですから、それに比べると何倍もの時間がかかります。また、感染者の総数もかなり大きくなります。しかし、取りうる選択肢です。長期戦コースです。

ちなみに、非常事態宣言前の3密回避+自粛モードではこのレベルに達しませんでした。地獄コースと長期戦コースの中間で、それはつまりゆっくりとした地獄で、かなりの経済的・社会的犠牲を払っているにも関わらず最終的に何十万人が死ぬのでは受け入れがたいというのが日本政府の非常事態宣言の理由です。

さて、長期戦コースと最短コースの間のどこかにしか我々の目指すべきポイントはありません。しかし、完全な2週間の籠城戦と3密避けましょうモードの中間のどこに目標をセットすれば良いのでしょうか。ここで登場するのが8割おじさんこと、北大の西浦先生です。西浦先生は理論上のモデルを元に計算し、通常の8割の接触回避で1ヶ月我慢すれば最短コースと同じ、少なくとも、個別撃破が可能なレベルまでの効果を得られると結論づけました。これ、正しいのか。誰も知りません。今まさに、社会実験中と言えるかも知れません。しかし、誰も観たことのないウィルスと戦っているんですから、それはそういうものです。オルタナティブを提示出来る人は誰もおらず、西浦先生は多くの専門家が認める適任者です。我々に異を唱える資格はありません。これが今、我々が乗っている8割削減コースです。1ヶ月は苦しいですが、長期戦コースは下手すれば数年かかるし、ゆっくりとした地獄コースは永遠に自粛が終わらず、それを日常にするという選択肢です。それは多分耐えられません。しかし、なんとか1ヶ月の8割減を耐えられるのではないか。そういう厳しいながらも最も可能性のある道を、今、日本人は歩いているわけです。少なくとも、政府と専門家会議はそう考えています。

しかし、非常事態宣言から2週間、この計算モデル上に我々は乗っていないことが判明しました。感染者は減っているのですが、8割削減1ヶ月コースには乗っていない。このままではこの辛い状況がずるずると続き、耐えられなくなった人々が地獄コースへ踏み込んで行ってしまう。西浦先生の「これでは足りません」はそういう焦り、危機感から出ている言葉なのです。なぜモデル通りでは無いのか。削減が8割に達していないのか。モデルが正しくないのか。それはわかりません。きっと面白い研究テーマだと思いますが、それを追求している場合では無い。観測によってコースを逸れていることがわかったのならば、我々は軌道を修正しなければならない。しかし、この舵は切ってから2週間経たないと軌道が変わらない難儀な舵ですから、おそらく非常事態宣言の解除は予定の1ヶ月では出来ないでしょう。想定より長期戦コースに寄った側を走っていたということです。しかし、やるしかありません。想定通りにならなかったからといって、誰を責めることもできません。とにかく、やるしかないのです。

さて、最初に仮定を置きました。この仮定が覆った場合、新たなコースが生まれ得ます。免疫が獲得できるということがわかった場合は、制御しつつも地獄コースを行き、集団免疫を獲得するという道があります。ワクチンが開発される見込みが生まれたら、それが使える時期までどうやって耐えれば良いのかというプランを考えられます。特効薬ができて、死亡リスクが1/10にできたら(それでも季節性インフルより1桁高い死亡リスクなわけですけど・・・)、もうこの病気と共存して生きていくというのもあり得るかも知れません。致死率0.6%は、ちょっと受け入れがたいですが、1万人に1人ぐらいなら諦められるかもしれない(疫病に対して祈るしか無い昔の人はそういう状況で暮らしていたわけです)。これらの新たなコースが生まれることはあり得ます。

しかし、それはまだ今の時点ではわかりません。作れるかどうかわからないワクチンに依存したプランや、獲得できるかわからない集団免疫に依存したプランを望む声も聞かれますが、今の時点ではそれはないものとしてプランするのが正しい選択です。なので、基本的に地獄コースへ行くことはダメ。とにかく社会的・経済的に厳しくとも封じ込めに向かうしかないのです。仮にそうしなかった場合、ワクチンや集団免疫への期待が崩れた場合にはもっと酷いダメージを負うことになるからです。

というわけで、とにかく誰が持っているかわからないウィルスを誰にも渡さない。つまり、誰とも接触をしない。あるいは、接触する人を増やさない。これが今必要なことの全てなのです。目指すべきは、新規感染者が限りなく0を2週間維持(8割削減1ヶ月コースではそれが途中に現れ出すはずです)。戦いはまだ続いているのです。

 

 

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作業用BGMとしてFFXIのサントラを使う

ちょいと前の話になりますが、各種音楽サブスクリプションサービスでファイナルファンタジーのサウンドトラックが解禁になりました。懐かしいFFXIのサントラが聴き放題です。

で、ですね。発見したんですが、これ作業用BGMに最適です。会社で作業しているときでも、オフィスの周りの席がやかましくて集中できないことはちょいちょいあります。ノイズキャンセルヘッドホンを常用していますが、隣の人が電話会議を始めちゃったりすると流石に厳しい。

そんなときは音楽を流したいところですがノリノリのナイスなミュージックをかけるとそちらに気を取られがち。あえて意識を持って行かれない環境音を流すなどのライフハックがあるわけですが、ヴァナディールに人生の一部を捧げた我々にとってFFXIのBGMはまさしく環境音以外のなにものでもないんですよ。

だってさ、The Grand Duchy of Jeunoを聞きながら何千時間の時を過ごしたと思います?

会社から帰宅してログインしてサチコメ書いてジュノにぼーっと立たせたまま、飯を食い、アニメを観、本を読み、残った仕事を片付けていたわけです。音消さないのかって?消したらTellを見逃しちゃいますからね。音は鳴らしっぱなしです。で、「今日も暗黒は誘われなかったなあ」って1日が終わる(笑)。

ホントにこのBGMを聞きながらありとあらゆることをやってきたわけで、聞いていてもまったくそちらに意識を取られることがない完璧な音源なのです。いやあ、仕事がはかどるよ。

というわけで、FFXIのサントラの曲でだいたい25分(1ポモドーロ分)というプレイリストを複数作って、それをタイマー代わりにしながら仕事をしています。まったく聞き飽きません。というか、すでに完璧に聞き飽きているのです(笑)。だいたい、どのプレイリストにも終わりから2曲目に戦闘BGMなどをいれるようにしてあります。不穏な音楽がなったらそろそろポモドーロが終わる印なので、それを目安にします。なかなかいいですよ。

 

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ずいぶん会社に行ってない

衝撃的な世の中です。

この記事を3年先が、5年先かに読み返していることを想定して書きますけど、今、いろいろ大変みたいです。新型のコロナウイルスの世界的なパンデミックが現在進行中です。今回、パンデミックを引き起こしているコロナウイルス(COVID-19)は、これまでのSARSやMARSとは違い、症状的にはぶっちゃけタダの風邪です。それ故にやっかいで、封じ込めるのはほぼ不可能。なので、パンデミックを社会的・経済的観点からコントロールするという非常に困難なタスクを今、世界は舵とることを求められています。世界恐慌と破滅的なパンデミックの間の綱渡りが求められているということです。いやあ、難しい。ウチの国のすっとこどっこいな政治家にはもちろん無理だろうし、まあ、世界各国、どこも政治家はたいがいろくでもないんで、これはもうだいぶヤバいです。

それは1人の市民としてはどうしようもないんで、せいぜい適度にお金を使いつつ、感染リスクの高いことは避けつつ生きてます。そして、突如としてテレワークが正義となり、猫も杓子も在宅勤務(まあ、猫は在宅勤務の邪魔しかしませんけど)という風潮がやってきました。

ウチの会社は、在宅勤務という点では先進的です。そもそも、お客様のシステムを開発・保守していることが多い私たちは、普段から自分の会社には出社しないわけです。お客様先でメールを読み、勤務表を申請し、経費を精算するという文化がすっかり根付いています。そんな状態ですから、すでに出勤しても全員に行き渡るだけの座席はなく、ミーティングをしようにも会議室は足りず、そもそもミーティング相手がお客様先だったり、大阪だったり、フィリピンだったりするんでテレコン(電話会議)が基本なんだけどもテレコンのためのスペースも足りない。会社って何するところなのよ状態。夕方には誰かとテレコンする人で食堂は溢れ、私は会社と家が割と近い(電車で2駅)もんで、「テレコンに入るので家に帰る」という不可思議な行動すらとる始末であります。

さらに、ウチの業界はすっかりクラウドが主体になってきまして、「お客様システムがお客様先にない」ということも普通になってきました。こうなると、お客様も「なんで出入りの業者のためにウチがオフィススペースを提供してやらにゃいかんのだ」ということになるわけで、いよいよ居場所がありません。というわけで、「特に用事がなければ家に居る」というのが普通になってきました。この場合の用事ってのは、ま、打ち合わせですな。テレコンでも打ち合わせできますけど、可能なら会って話をした方がコミュニケーションの質は上がります。というわけで、打ち合わせのある日だけ出社する・・・という感じに。

ところがですよ。この新型コロナウイルス騒動でウチの会社も「打ち合わせはオンラインでやること」という方針になってしまいました・・・。いや、正直、仕事の上では困らないです。むしろ、自宅は50インチの4KディスプレイにHHK、オカムラ製の高品質オフィスチェアを奢っております故、仕事環境は会社に比べて圧倒的に快適です。しかし、去年までやっていたプロジェクトを1月末に離れて以来、2月からこっち、仕事のために外出したのは・・・2/12,13と沖縄に出張。2/14はお客様先で会議。このあたりからいよいよコロナウイルス騒ぎが大きくなり、2/18に部門会議で、2/28に借りていたPCを返しに・・・で2度本社に行っただけ。この5週間で出張を除けば3回しか出勤してません。

仕事はもりもりやってますし、打ち合わせも、研修の受講も、社内の勉強会も、上司との1on1もやってますし、なんの支障もないんですけど・・・なんだろうね。つい、2,3年前まで毎日背広着て出勤してたはずなんだけどね。いや、ウチの会社でもまだ多くの人が普通に毎朝出勤していると思うんだけども、ふと、遠い目になりますね。変化が急すぎて。一日中家にいると流石に不健康なんで、朝は「リングフィット アドベンチャー」をやって輪っか野郎にスクワットさせられ、夕食後は本日の取り組みを見ながらエアロバイクを漕ぐ。問題ないんすけど、遠い目にはなるね。

世界的にはリモートワークでプロダクトを開発しているエンジニアなんて何年も前から別段珍しくもないんで、何周も遅れてウチらもそういう状況になったってだけなんですけど、会社人生20年。だいぶ思ってたサラリーマンとは違うとこに来たなあ。ま、遠い目になるだけなんですけどね。

というわけで、最近老眼が進んだって話でした(えっ?)

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読書で離婚を考えた。/ 円城塔・田辺青蛙

円城塔と言えばガチガチの理学博士であり、ゴリゴリの研究者でありながら、研究では飯が食えず芥川賞を取った(はしょりすぎ)という、研究者としての道に挫折しCSもロクに囓ること無く安易にSEとして糊口を凌ぎ、ちょっと愉快な手順書を作って同僚を笑かしてはかすかなエゴを満足させて生きている私から見れば、羨むばかりの才能に溢れまくっている人です。「Self Reference ENGINE」と「Boy's Surface」はほんっとに面白かった。もうね、嫉妬しかないです。でも、最近の作品は私もいまいち理解できないときが・・。

そんな円城塔さんが奥様と共同で書評の連載をしたそうですと。ほほう・・・どのような本を・・・。目次を眺めてみたんですが・・・なんだこれは・・・どうして料理のレシピ本とか折り紙の本とかVOW(懐かしい)とかが入っているんだ・・・。

なんでも、本の趣味がまったく違う2人が「その人の本棚をみれば(略)」という格言よろしく相手に読ませて感想を聞くことにより相互理解を深めるためにお題を出し合ったという連載なんだそうです。迷走している感が目次だけでありありとわかる(笑)。なるほど、それでこのタイトルなんですね。

で、円城さんの方はきっちりしているので、ちゃんと最初のお題に絡めて本を選ぶ。奥様の田辺さんは、割とそのテーマを忘れがち。自由奔放・大らかに連載を進めて楽しそう。そんな奥様と円城さんは自然現象に相対するかのような半ば諦めの境地で着地点を探す。そんな噛み合ってんだか、噛み合ってないんだかよくわからないけどなんだか仲の良さそうな関係性を楽しむ、そんな本です。んー、だって紹介されてる本で「あ、読んでみようかな」ってなる本ないんだよ、この本は(笑)。まあでも、割と楽しく読みました。だって、もう完全に円城さんには共感しかないんだもの。

あ、でも私はたまになら嫁が料理してくれてもいいと思ってますよ(笑)


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天冥の標が日本SF大賞を受賞

おめでとーございまーす!

というわけで、2/23(日)に青山ブックセンターで開催された「飛浩隆・小川一水トークイベント」に行って参りました。

この日はまさに日本SF大賞の選考日でして、イベントの冒頭で「天冥の標」の大賞受賞、そして、「零號琴」が受賞を逃したことが発表になったのでした。悲喜こもごもでございます。

まあ、「天冥の標」はもう、1巻が出て、そしてこれが10巻で完結すると聞いた時点で読者全員が「うん、完結したらSF大賞決定だな」と確信するという、初っぱなからそんな完成度の作品だったわけですが、小川さんが「10年がかりで17冊も書かないと大賞が貰えないとは辛い。作者はちょっとずつご褒美が欲しいのです」と受賞の弁で愚痴るのもわかる(笑)。この10年、天冥の新刊が出るたびにむさぼるように読んでいた読者としては、ずっと「リアルタイムでこの作品と対峙できるのは幸運以外の何物でも無いんだから、とにかく読め」とみんなに言っていた一方で、「ホントにいつ完結するんだ・・・」と遠い目になったこともしばしば。1巻の感想をこのブログに10年前に書いていますが、そこでいきなし「完結は何年後なんだー」って書いてますからね(笑)。

いや、それにしてもホントに凄い小説もあったものです。太陽系外の植民惑星の破滅が1巻で書かれて、「どうなっちゃうんだー」とどっきどきで2巻を待ち、2巻を読んでみたらいきなり現代でパンデミックものという。今、まさにCOVID-19のパンデミックが間近に迫っているのが小説世界とリンクしてどっきどきです。まあ、肺炎は冥王斑みたいな致死率ではないものの・・・SFの想像力が人間を強くするということはあると思いますね。この1巻のラストから2巻を読んだときの衝撃と等しいレベルの衝撃が、10巻までに・・・3度はあったかな。「えええっっっ」っていうのが。それが無くても十分に面白いSFの満漢全席みたいな本なんだけども。いや、書かない方がいいな。とにかく

まだ読んでないなら、
絶対に読め!

としか言いようがない。悲劇も喜劇も、冒険も浪漫もエロティシズムも、差別も殺戮も飢餓も貧困も、異世界も異星人も超知性体も、愛も友情も孤独も連帯も、すべてがここにあるすさまじい小説なので(ないのは時間SFぐらいだな)、これを読んでない人生なんてあり得ないんで、読んで下さい。

いやー、しかし、小川一水さんはほぼ同年代なんだよな。これを10年前に構想して書き上げたわけでしょう、同年代の人が。凄すぎるよ。

というわけで、トークショーなんですが、内容はまあ、そんな大した話はありませんでした。とりあえず酉島伝法と伴名練は(買ってあるんだから)とっとと読もうと思いました。てへぺろ。

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