機動警察パトレイバー the Movie 4DX

緊急事態宣言によって日本から消えかけたCOVID-19は、我々が我慢しきれなかったために消えきらずにまた徐々に感染者が増え、今ではすっかり緊急事態宣言前に逆戻り。そんな難儀な日本は、本来、オリンピック開幕式をやるために設けられた4連休を迎えました。

そんな中、延期になっていたパトレイバー30周年記念 4DX公開がひっそりと始まっておりまして。連休の外出はおひかえくださいってたって、これは観ないわけにはいかないわけで。感染リスクを顧みず、豊洲まで観に行ってきました。ま、高いんでレイトショー。公共交通機関は使いたくないんで行き帰りともタクシーでございます。贅沢ね。

映画館に着いてみると、やっているものは昔の映画ばっかりだったりで、「ここは昭和何年なんだ」感があります。我々が観る劇場版パトレイバーは1989年公開。昭和が終わった頃ですなあ。当時、模型誌にはガレージキットは紹介されていたと思うので回転灯のついたおかしなロボットのことは認知はしていたと思うんですが、なんせ中学生なんでOVAなんて観るような歳でもなく、パトレイバーをちゃんと観るようになったのはTV版の途中からでした。なので、P2は勇んで劇場にいきましたが、この第1作は劇場では観てません。

劇場では観てませんが、まあ、素晴らしい作品です。ビデオは何度観たかわからない。サントラも何度聞いたかわからない。映画の始まりを告げる帆場の静かなシーンにかかる「夏の嘲笑」からの、オープニングテーマである「ヘヴィ・アーマー」の4分間。一言のセリフも無く、どんな重要なことが起きているのかの説明もなく、ただ音楽の盛り上がりと共に激しい戦闘シーンが繰り広げられて、曲が長調になってタイトルバック。素晴らしい。もうこの5分間を劇場の大スクリーンで、がっつんがっつん揺さぶられる椅子で、(1989年にはまだなかった)5.1chサラウンドで、観られる幸せ。くぁー、もうね、長生きはするものですね。そして、ラスト、迎えのヘリが飛んでくるシーンからエンディングテーマ、名曲中の名曲である「朝陽の中へ」の4分きっちりで終わるエンドクレジット。すぱんっと終わり。

もうね、何度観ても心地良い。テンポが最高なんですよ。出来事がテンポ良く繋がっていく。OPの無人コックピット、レイバーの暴走、コンピューターウイルス、野明の不安、後藤の陰謀、松井の追跡、嵐、決戦。ぽん、ぽん、ぽんと、本当に気持ちいい。こんなに良く出来てる映画、他にあるかな。決してわかりやすい話じゃないです。コンピューターウイルスの話ですから、ヘタすれば地味。犯人はもう死んでるんで、追い詰めて対決・・・なんてわかりやすい構図も作らない。動機も明確には語られない。アバンで帆場がカラスを抱いているのも何を象徴しているのか観客は考えなきゃいけない。最後、野明とイングラムは何と対決しているのか、はっきりとはよくわからない。でも、そのややこしい話をすーっと見せて盛り上げちゃう手腕が凄い。映画が終わった後、たぶん私よりかなり若いお客さんなんでしょうな、思わず、「すっごい・・・面白い」と歓声を上げてました。だよねぇ!

そんな最高の映画を劇場でみせてくれるだけじゃなく、4DXです。椅子が揺れるのはいいとして、水が出ます。あれ、ともすれば鑑賞の邪魔って感じもするじゃないですか。でも、考えてみて下さい。劇場版パトレイバーですよ。最後、台風が来る映画なのよ(笑)。嵐の出陣のところは、もうずーっと雨降ってるんですよ、劇場の中も。こんな映画体験初めてですよ。でも、しょうが無いよね。嵐なんだから。ここは、否応なく盛り上がりました。ただまあ、マジで結構濡れるんで覚悟してください。いいよね、夏だしね。

というわけで、まあ、最高の映画だし。劇場で観られるチャンスなんでもうたぶんないし、4DXともなればあり得ないし、これはもう見に行くしか無いんじゃないの?

というわけで、みなさまも是非。今、劇場は席をひとつおきにしかお客さんをいれてないのでチケット取りづらいですけど、取れれば両側の肘掛けをがっしり掴んで揺れる椅子を満喫できます。あー、もう一回行こうかなあ。

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More Effective Agile/Steve McConnell

あの「Code Complete」のマコネルさんの、アジャイル指南・・・というよりも2010年代を通過してソフトウェア開発の手法はどのように進化してきていて、マコネルさんのコンサル会社がどのようなケースを見聞きして、その結果として彼が考える「現代のソフトウェア開発のベストプラクティス」とは何かということを語った本です。

2000年代には、それまで軽量プロセスとかイテレーショナル開発とかいろいろな呼ばれ方をしていた知見を「アジャイル」という言葉の元に束ねて、アジャイルとはいかなるものかの試行錯誤が行われました。その頃には、従来の手法とは別にアジャイルという新しい手法が生まれた様に見えていましたし、案件の性質によって使い分けようというような動きもありました。しかし、2010年代には従来のソフトウェア開発の手法の問題を克服するために生まれた次の手法がアジャイルだということがはっきり示され、それ以外の手法で使うための新たなメソッドやツールを生み出す動きが潰えました。つまり、「ソフトウェア開発のベストプラクティス」とは、イコールとしてアジャイル開発のことであり、結果としてこの本はアジャイルの本といって過言ではないです。タイトルに偽りなし。

ただし、この本が「アジャイルという新しい考え方を説明し、普及する」という視点ではなく、あくまで2010年を通過して今あるソフトウェア開発の手法のベストについて語るという本であることは重要で、つまりはアジャイルが正道となった世界で、我々はどうしていくのかという本です。

もちろん、私たちみんながアジャイル開発をやっているわけじゃないし、「正しい」アジャイル開発を出来ているわけでもありません。それは20世紀に誰しもが「正しい」ウォーターフォール開発を出来ていなかったのと同じです。どちらにしろ、開発手法を理解し、そこで起きうる問題を把握し、対処し、その手法の目指すところを体現できているかどうかというのは、ものすごーくムツカシイことです。

というわけで、なんか新しいことが書いてあるわけでもなんでもないですが、短いページ数(日本語版でも300ページ未満です)にエッセンスがぎちっと詰まっていて、取り上げたい知見や、引用したい名言に満ちた本です。すべからく読むべき。特に、アジャイル開発におけるリーダーの役割についての言及が素晴らしい。まあ、書いていることがソフトウェア開発手法で、それはつまり「管理手法」なんだから当然なんですが、もう、耳が痛いことがびっちり書いてあります。知識の整理にはぴったりだし、アジャイルを開始するとっかかりとしても良い本。私も「ちゃんとしたスクラムができた」と感じたプロジェクトはまだ出来てないんで、ちゃんとしたいですね。なかなか状況が許しませんが。

というわけで、以下は読み終わった本のページをめくりながら、面白いなと思ったところをピックアップしておきます。

Cynefin

3章。聞いたことがない概念がでてきて、意外とこの本の最後まで使われます。IBMにいた人が作ったフレームワークで、「クネビン」と読むそうです。

Cynefin_as_of_1st_june_2014

図の通り、5つのドメイン(系)があって、問題はどこかに分類されると。で、分類された位置によって異なるアプローチがされるべき、とCynefinでは言ってます。詳しくはWikipediaでも。

で、はしょりますが、ソフトウェア開発で相手にすべきなのは図の上の2つ。「複雑(Complex)」と「煩雑(Complicated)」だと。カオスはソフトウェアで解決しようとすんなと(笑)。では、上の2つに対してどうアプローチすべきかというと、

複雑:調査(probe)-把握(sense)-対処(respond)

煩雑:把握(sense)-分析(analyze)-対処(respond)

はい、ピンときましたね。アジャイルにおいて最も重要なことはリリース間隔が短いことなわけですが(「LeanとDevOpsの科学-Accelarate」を読んでね)、それはつまり複雑なドメインに対するアプローチだからです。短い間隔でリリースして、フィードバックを得る。そしてそれに対して次のリリースで対応する。「調査-把握-対処」ですね。

それに対して従来のソフトウェア開発手法、この本ではシーケンシャル開発と呼んでますが、それでは、様々な要求をかき集めてきて、それを分析して、モデリングして、アーキテクチャリングして、ソリューションを作り上げている。つまり、煩雑系に対してアプローチしているわけです。

で、ソフトウェアで解決しようとしている問題があって、その多くは複雑なのか煩雑なのか。複雑だと思ってたら煩雑だったことがわかった場合、「とりあえず、やってみようぜ」とトライして行った調査・実験はムダだったということになります。ちょっとショック。しかし、煩雑だと思ってたら複雑だった場合、プロジェクト終盤に「あれ、やろうとしてたこと間違ってね?」となる。これは致命的なショック。なので、ソフトウェア開発は、まずは対象を複雑系だと考えてアジャイルに取り組み、煩雑系だとわかったらそれに対処する(その部分に対しては、きっちり問題を分析して組み立てるシーケンシャルな開発へシフトする)方がよい。だから、アジャイルなんだよーと言ってます。なるほどね。

スクラムから始める

アジャイルやりてーなと思ったら、とりあえず、スクラムをやれ。アジャイルうまくいかねーなと思ったら、とりあえず、きっちりスクラムをやれ。スクラムから取捨選択をするな。なぜなら、アジャイルには膨大なプラクティスが存在するが、そこから最小限のプロセスを使って作られたフレームワークがスクラムだから。これ以上省くことは許さぬぞ、とマコネル先生の教えです。ワカル。

スクラムがダメっていう奴はだいたいちゃんとやってない奴なんだよねーということで、4章ではスクラムの様々な失敗モードが紹介されてます。「無能なプロダクトオーナー」とかいう節があって、読むと心が痛い。ちなみに、今までみたダメスクラム傑作例は

「スクラムを検討してみたが、そのプラクティスのほとんどは私たちの組織ではうまくいかないようだった。私たちはスクラムを実践しているが、主に導入しているのはデイリースタンドアップで、毎週金曜日に行っている

だそうです。ウケル。

チーム文化

6章はチーム文化に関する章です。文化の問題はものすごく大事で、これこそがチームの生産性の要なんだけど、わかってないリーダーが多すぎ。マコネル先生曰く「企業は事実上、人々の脳内のスペースを借り上げ、企業が従業員に考えさせたいことを考えて貰うために賃金を支払う。外的モチベーションがうまくいかないのは、何かについて考えることを人に強制させるのは無理だからだ。あなたに出来るのは、企業の問題について自主的に考えたくなるような状況を整えることくらいである。」

まったくその通りなんだけど、やって欲しいことが「考えること」ではなくて「作業」だと思ってるクズリーダーが多すぎる。そのくせ、「作業」の結果上がってきたアプトプットの品質が低いと怒るわけですが、やってることがソフトウェア開発なんだからそこに「考えること」が含まれてなければ品質が低いのは当たり前なわけです。では、「考えること」のために何をやっているかというと、モチベーションを削ぐことしかやってない・・・みたいなね。

では、内的モチベーションの向上には・・・ということについては、当たり前だけど大事なことが本に書いてあるので是非読んで下さい。

分散チーム

はい、リモートワークの話です。で、おわかりの通り、チームのロケーションを分散させることはダメだよと書いてあります。まあ、その通りですな。ここで面白かったのは、以下の部分

ここで重要になるのは、定期的に直接会ってコミュニケーションを取ることである。あるグローバル企業の最高幹部は、「信頼の半減期は6週間だ」と言っていた。ミスが増えてきたと感じたら、メンバーを飛行機に乗せ、一緒にゲームをさせ、一緒に食事をさせることで、信頼関係が築かれるようにしよう。

6週間かー。つまり、緊急事態宣言でリモートワークになって本当にうまくいく仕組みが作れているかどうか、勝負は6週間経ったあとって事です。確かにねー。

個人および対話

アジャイルはこれまでプロセスの話に注力しすぎて、個人の能力開発にはあまり取り組んできてません。これは従来の開発プロセスでも同様で、個人が仕事を通じて成長することを求められているのはどこの組織でも同じだと思いますが、それが個人を受け入れるプロジェクト側では基本的に何も考慮されておらず、必要な知識やスキルを身につけられるかどうかは個人の(プロジェクト外での)努力と運に左右されているというのが現状です。しかし、アジャイルが必要とする「自律したチーム」は個人の能力に大きく影響を受けるんですから、個人の能力開発に注力するのは当然。8章はこのことに大きく記述が割かれてます。

ま、とにかく個人の成長に対して組織はもっと投資をしないといけないって事です。こんなインターネットミームが引用されてます。

CFO: メンバーに投資して、彼らが辞めてしまったらどうするんだ。

CEO: メンバーに投資せずにいて、彼らがいつまでも辞めなかったらどうするんだ。

ウケル。でも、これは自社の社員に対してはその通りでしょうが、現状、我々は外部の人員を含めてプロジェクトをしていて、これが社外の人間(つまり、長くてもプロジェクト終了時点でいなくなる人)に対しても同じように対応するべきなのかは疑問。ここは大きくやり方を変える必要があるところです。

また、開発者に求められる対話の能力やチーム内の対話の重要性にも触れられてます。これは自分がどうかというよりも、リーダーとしてメンバーをどう向上させるかという観点に立つとより重要です。ここをケアしているリーダーはまれですが、とにかく重要なんですよねぇ。

バーンアウトの回避

リリース間隔を短く保ち、スプリントを繰り返して成果を出すアジャイル開発のリズムは基本的にはいいものだけども、「締め切り前に頑張って、締め切りが過ぎたらリラックスする」という起伏がないことによって、かえってバーンアウトを誘発することがあるといいます。なるほど。確かにぱつぱつのスクラムしんどい。

そこで著者は6×2+1パターンなど、一定じゃないリズムを使うことも提案してます。2週間スプリントを6回やったら、1週のスプリントを1度はさみ、そこでは技術的負債の返済やツールの見直し、研修、チームビルディング、ハッカソン、日々の改善などをやると。これ良いですね。

要求の改善

シーケンシャルな開発手法では、最初に要件定義をしてしまい、その要件定義の品質が後々まで影響します。要求管理は非常に大事。ただ、私の感覚としてはシーケンシャルな開発においては、失敗の原因を要件定義フェーズの品質に求めすぎている気がしますけどね。要件定義が不明確だったが為に、後続のフェーズで時間がかかったり、手戻りが発生したとして、ではそれを要件定義もっとリソースをかけて回避すべきだったかどうかは疑問です。だって、後続のフェーズで必要となったリソースを前のフェーズで使ったとして、それはリソースの総量の削減になっているかどうかはわからないから。ただし、要件定義フェーズでのアウトプットを元に後続フェーズで必要となるリソース総量を見積もって、それが間違っていてエラいことになったということはあるかもしれないですが、それは単に契約形態の問題で、プロジェクト全体から見たら本質的な問題じゃないからね。

アジャイルの最も重要な点は、リリースサイクルを小さくして、一度に必要とする要求の量も小さくして、コントロールしやすくできることにあります。ただし、プロジェクト全体のリスクとしてはそれで改善されているけども、1つ1つのフィーチャーについて要求の品質が高いか低いかが出来上がるフィーチャーそのものの品質に直結することはシーケンシャル開発だろうがアジャイル開発だろうが同じ事です。ここまでユルユルでいいと誤解してアジャイルを捉えている人が実に多い。それは間違いです。

で、要求について、アジャイルだからシーケンシャルだからというのは無くて、むしろ、アジャイルは要求管理の改善の1手法であるわけです。従来の要求管理の手法には改善が必要なことは誰しもわかっているわけで、その連続的な改善の取り組みの1つがアジャイルであり、バックログ管理のようなアジャイルのプラクティスだと。

で、この分野は大変ホットなので、この20年で様々な取り組みがなされてきてて、下のリストに上がってる単語を聞いて「何それ」と思ったら勉強不足だから補えよとマコネル先生は仰ってます。はーい。

  • 受入テスト駆動開発(ATDD)
  • ビヘイビア駆動開発
  • チェックリスト
  • コンテキスト図
  • エレベーターピッチ
  • エクストリームキャラクター
  • 5つのなぜ(five whys)
  • ハッスルマップ
  • インパクトマッピング
  • インタビュー
  • ラダリング法による質問
  • リーンキャンバス
  • MVP
  • ペルソナ
  • Planguage 言語
  • プレスリリース
  • プロダクトビジョン
  • プロトタイプ
  • シナリオ
  • ストーリーマッピング
  • ユーザーストーリー

 ふぅ、いっぱいあんね。

リーダーシップ

16章ではリーダーシップについて。この本を通じて何度も出てくる原則は「スクラムチームをブラックボックスとして扱う」ということ。マイクロマネージメントを避け、インプットとアウトプットだけを管理しないと自律したチームは作れません。リーダーに出来るのは仕事の仕方をあれこれ指図することじゃなくて、せいぜいメンバーのモチベーションを上げることぐらいなわけです。辛い。「チームの生産性をどうやって上げれば良いか決めるのもチームなので、メンバーの1人が1日休めばチームの生産性が最も良くなる可能性があるとしたら、チームがその決定を下すのは自由である」とも書いてあり、リーダーはせいぜいその可能性を指摘したり、チームの決定を尊重したりとかしか出来んわけです。

もうひとつ、リーダーが大事なこととして「司令官の意図」を伝えること。これはアメリカ軍の概念で、司令部と部隊の間の連絡や協議の機会を失った状態で、部隊が意思決定を出来るようにしておかないといけないっちゅうことですね。「人にやり方を教えてはいけない。何をするのかを伝え、その結果であなたを驚かせるように仕向けるのだ」というジョージ・S・パットンの言葉が引用されてます。しみるね。まあ、この本はリーダー向けの本なので、16章は短いながら重要なことがたくさん書いてあります。

間違いを犯す

アジャイルの短いリリース間隔に期待することは素早いフィードバックであって、それはつまり、やってたことが間違ってたということが早くわかると言うこと。必然的に間違いを許す組織文化が必要になります。で、せっかく間違いによって得られた知見なので活かさないといけない。というわけで、以下の様なことが重要

  • 直すのが大変にならないうちに正す
  • エスカレーションを許す
  • 心理的安全性を高めておく
  • 知見を共有するプラクティスコミュニティ(例えば、スクラムマスターのコミュニティなど)を確立する

心理的安全性は一種のバズワードのようになりましたが、これは全てのリーダーが考えねばならぬこと。文化大事ですよ。ほんとに。

生産性の向上

このことがあんまりプロジェクトで真面目に考えられているところを見たことがないけれども、チームの生産性向上はとても大事。だいたいは、「今週は進捗よくないです。でも、作業に慣れてきたので、今後は大丈夫だと思います」的なところでいい加減に語られてしまいがちだけれども、まあ、それはそもそも生産性を測定していないんだからしょうがない。まずは測定が大事です。チームのベロシティはちゃんと測りましょう。

その上で、プロセスの改善をする。ツールを変えたり、バックログリファインメントの精度を上げたり、必要なメンバーを追加したり・・・それをちゃんとスプリントごとに改善することが大事です。

面白かったのは、「チームの生産性が向上すると何が可能になるか」という項目。引用します。

短いスプリントは、プロセスを実験的に変更し、それらの変更の結果を追跡し、うまくいく変更を足がかりにする機会を頻繁に提供する。このようにして改善がどんどん蓄積されていく。私たちはこれまで、チームの生産性が2倍かそれ以上になるのを実際に見てきた。

このことには思いもよらない意味合いもある。というのも、パフォーマンスが悪いことを理由に「問題のあるチームメンバーを多数決で締めだそう」とする場面を何度か目撃したことがあるからだ。どの場合も、事の顛末はだいたい同じである。「あのメンバーを異動させたら同じベロシティを保つことを確約できるか」とマネージャーが尋ねると、チームはこう答える。「あの人が足を引っ張っていた分、ベロシティがよくなることを確約しますよ」

もう1つの例は、チームが2つの拠点(サイト)に分散しているデジタルコンテンツ会社と仕事をしていたときのことである。1つ目のチームは15人のメンバーで構成され、2つ目のチームは45人のメンバーで構成されていた。ベロシティを厳格に追跡し、作業の進捗を監視し、その待ち状態を分析したところ、1つ目のチームが2つ目のチームとの連携に費やしていた時間と作業量だけで、2つ目のチームの作業量を超えているという結論が下された。そこで、2つ目のチームを別プロジェクトに回したところ、1つ目のたった15人のチームだけで元のプロジェクトの総生産量が増加した。1つ目のチームはアジャイルの生産性の指標をきちんと使用することで、生産性を実質的に4倍に増やした。

ツラい。でも、わかるなー。1つ目の話も、2つ目の話も、なんとなく実感があります。うーむ。

予測可能性

20章は見積の話。アジャイルは見積が出来ないと考えている人がたまにいるんですが、全然そんなことはなくて、プロジェクトの開始前でもシーケンシャル開発と同程度の「不確かな見積」は可能です。つまり、どちらの手法もある程度の仮定、つまり不確かさを認めてしまうなら、その不確かさを含んだ予測はできるわけです。だって、タスクを見積もって積み上げるだけならどっちだって出来ますよ、そりゃ。

アジャイルでそれがあまり重視されないのは、いくらかのスプリントを経ればその不確かさをすぐに小さくできるから。であれば、その不確かな見積になんか意味あるの?となると。で、通常はもの凄く意味はあって、不確かな見積が無ければプロジェクトはスタートしないんで、プロジェクト開始後に得られるより正確な見積に意味なんかないわけです(笑)。

マコネル先生はプラクティカルな人なので、もっと予測可能性が求められるときにはどーしたらいいのかという議論をきっちりやってます。見積の不確かさの管理方法はもちろん、

  • エピックを予算として扱う
  • 予測可能な範囲を考慮してアジャイルの境界を移動させる

など、言われてみればもっともだし、部分的にはやってるようなことをきっちり手法にしてあるので、エラいですね。

また、プロジェクトのスケジュールの管理のためにはポートフォリオの管理が凄い重要で、WSJF(Weighted Shortest Job First)の手法が紹介されてます。これ、有名らしいけど、知らなかった。フィーチャーそれぞれについて、それがないと発生するコストを見積もって、その合計が最小になるようにフィーチャーの優先順位を管理する方法です。これはそのまま自分たちで使えるかどうかはわからないけど(例えば、発注機能のこのフィーチャーがないとユーザーはどのぐらい時間を損するんですかって聞いて回っても、すぐに有効な数字が貰えるわけではないだろうし)、でも重要な視点だな。


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黒暗森林 三体II / 劉 慈欣

みんな、昨年の「三体」を読んだ人は手ぐすねを引いて待っていたはず。エンジニア系のポッドキャストでもあちらこちらで語られてました。「三体」三部作の第2作、「黒暗森林」です。

文化大革命を通じて人類の愚かさに絶望したある女性科学者が、侵略的異星人とファースト・コンタクトして地球の存在がバレ、侵略的移民団により地球が存亡の危機に立つという中国的といえば中国的、中国という文化圏を飛び抜けた物語のスケールが中国を越えて現代的、そして中国本土で三部作合計で2000万部以上が売れているというスケールがコレまた中国的という、非常に印象深い第1作は「そうは言ってもヤバい異星人が来るまでまだ何百年かはある」というところでラストでした。絶望の中にも希望はあるというか、なんというか。

それを受けての第2作。さて、人類はどうやって三体人に立ち向かうのか。そもそも地球人のやっていることは筒抜け。こっちの技術革新は妨害されて絶望的。しかし、三体人は「人を騙したことがない」ことが判明。地球スケール、いや太陽系スケールの空間的スケールと、登場人物がコールドスリープを繰り返すことによる数百年スケールの時間的スケールで繰り広げられる幼稚園児地球人と朴訥ピュア異星人のコンゲーム。本の厚みも第1作の倍になって、まあ、面白い。いや、よくこれだけのアイデアをぶち込んだね、しかし。

難点は、今回の主人公がちょっと変な奴ってこと。付き合ってる女性に妄想の「100%の恋人」がいて、自分もその妄想にトライし、本当に抜け出ることが出来なくなるという危ない人。で、そのアブなさが物語のキーに・・・なっているようで直線的にはなってないという(笑)、なんだかすっきりしなさがよくわからない読了感をもたらします。まあ、ちゃんと考えてみると、この「黒暗森林」というテーマと付き合わせてなかなか面白いことにはなってるんだけど、でも、主人公がちょっとアブない人だと感情移入しづらくて、最後のカタルシスが減じてるのは確かだよね(笑)。でも、そのぐらいかな。逆に言えば、途中に美味しいネタがいっぱい出てくる割に割と乱暴に「はい、その手はダメでしたー」と使い捨てられるところが気になるけど、まあ、贅沢って事だよね。あと、三体人が何考えていたのかってのの種明かしがもうちょっと欲しいかなあ。まあでも、それは第3部なのかな。

ともかく、割にハードSFなのに抜群に読みやすい(それは大森望さんの監修に依るところも大きく、普段、SF読んでる人だけがそう思うのかもしんないけど)し、逆に仕上げ感として荒っぽいところがエンタメっぽさを強めてる感じもあるし、ヒットするのはよくわかる。これは面白いですよ。ぜひぜひ


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新サクラ大戦

そうそう。FF7Rの感想を書いて思い出した。「新サクラ大戦」のレビュー書いてないや。

いや、正確には書いたんです。Amazonに(笑)。例によって、クソミソに貶されてたから、応援しとこうと思いまして。その程度にはセガファンなのです。というわけで、それをこちらにも転載しておきます。アニメも面白かったし、サントラも最高よ。


「サクラ大戦」って、そもそもそんなに優れたゲームではなかったと思うんです。LIPSのせいで主人公のキャラ付けは上手く出来ないし、選択肢も「そんなこという男、いるか?」みたいなのが最も好感度高い(=正解)だし、ストーリーは無駄に大風呂敷でご都合主義だし、アドベンチャーパートと戦闘パートが別ゲーでどっちの完成度もそれほど優れているわけでもない。

だが、見過ごせない良さがあるんです。そこには主人公の性格をブレブレにすることによるリアクションの面白さがある。ベタが故に、駆け引き抜きですぐにキャラの可愛さだけを楽しむことが出来ている。恋愛より世界の危機を救いたい中二病にぴったりのなんじゃそりゃな展開のストーリーで熱くなれる。ほどほどのアドベンチャーと戦闘を1パックにして、アニメの1話を楽しむように進められる。ぶっちゃけて言えば、上の欠点を直しちゃうと、それはたぶん「サクラ大戦」では無くなっちゃう。そして、これほど有名なゲームではあるのに、フォロワーがほとんど無いと言うことは、「サクラ大戦」はゲームの王道ではない。何か、パーティーゲームのように微妙なバランスで組み合わさって飾り付けられた、コントロールされたおもてなしの逸品。やり過ぎと破綻のその向こう側にあるSEGAが、SEGAらしくあったころに生み出したSEGAの考えるギャルゲー。だからこそ、好きな人は熱狂的に好き。それが「サクラ大戦」なんですよ。

で、ですよ。今作。まー、みなさんレビューで欠点をいろいろと上げておられます。とにかく、文句を言い始めたらいろいろあるわけです。だいたい私も同意です。だけども、その欠点はだいたい歴代の「サクラ大戦」も共通して持ってたものなわけです。「アドベンチャーパートに戦略性が無く、ゲームとしてどうか」。うん、その通り。でも、これ、アニメなんで。これだっていう見せたいストーリー以外、見せるつもりないみたいだし。「アクションパートがつまらない」。うん、でもこれ、所詮アニメの戦闘シーンに過ぎないんで。言っちゃえば、お話の一部ですから(それにしちゃ長いけどもw)。

というわけで、欠点だらけではあるんですが、いや、むしろあるが故に、これは間違いなく「サクラ大戦」です。この手触りは、このいびつさは「サクラ大戦」のそれ。それも、相当よく出来た部類の。もちろん、初代の「サクラ大戦」には私も思い入れがあるんで言いづらい。言いづらいけども、私はこれは歴代で一番良い「サクラ大戦」だと思いますね。どのキャラも可愛い。ストーリーは熱い。アドベンチャーパートはバカバカしい。合体攻撃はもう見ていられないほどにバカバカしい。音楽は燃えに燃えまくる。正直、最後のストーリー展開はよく出来すぎてる(あかほりさとるならもっと破綻させるはずだw)が、○○が裏切る辺りからはもうコントローラーを置けないぐらいに盛り上がる。いやー、これはいい。後にいっさい感動とかは残らないが、バカ熱い。

えっと、2周目?いらんでしょ。どの子とエンディングになったかとか、そんなん些細なことでしょ(私は遠隔攻撃が楽なのでクラリス選びました。どーでもいいけど、まあ、クラリス可愛いからいいや)。

というわけで、90年代バカ熱血アニメ(それこそあかほりさとる原作のとか)とか、「キルラキル」のトリガーのアニメとかが好きな人は是非やるべき。いわゆるゲーマーな人は、ま、期待しないでおくべき。田中公平先生のファンは何を置いてもCD付きを買うべき。

そして、「サクラ大戦」のファン。それも、キャラが好きとかそういうんじゃなくて、「サクラ大戦」って存在が好きって人は、ご安心を。ゆっくりお楽しみください。キャラが好きな人はねー、えーっと、1人を除いて前作までのキャラ全員死んでるんで、それでもよければどうぞ(笑)。


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ファイナルファンタジーVII リメイク

よくよく考えると、エヴァのせいなんだよね。

FF7が出た当時、私は毎週「セガサターンマガジン」を買うほどのコテコテのセガ派に仕上がってました。原因は、「新世紀エヴァンゲリオン」にハマったからです。あの最終回に「はぁ?」となり、庵野監督がラジオに出て事の経緯をしゃべるとネットで聞き、「林原めぐみのハートフルステーション」のリスナーになり、セガ広報の竹崎氏のファンになり・・・。まあ、いいや。とにかく、もちろんこれが出た当時の騒ぎも記憶にあるんだけども、やらなかったわけです。プレステ、持ってなかったからね。

というか、どうもFFとは相性がよくない・・・。FFとDQでは完全なDQ派。私がこれまでちゃんとやったFFはFFXIだけなのね。「FFXIをちゃんとやる」って言葉の意味に押しつぶされそうだけど(笑)、まあ、そこそこやったわな。

どうも、「剣と魔法の世界」と「SF近未来」の融合して無さ感が好きじゃなかったんですよ。それぞれは好きなんだけど。でかい剣をもったニッカポッカの男が魔法を使って戦うところまではいいんだけど、召喚獣とかは流石にさ・・・世界観壊してるでしょ。そういう意味では、単に同期の可愛い女の子とゴールデンウィークに遊ぶだけのつもりでよくわからずに始めたFFXIは、そこのところ違和感がなかったんだよね。ちゃんとファンタジーだった。FF13もMilueがやってるのを横で観てたけど、やっぱそこの違和感はあったし、FF15もそう。なんか、「あーゆーメタルなかんじ」こそがFFってイメージが定着してるよね。そして、このFF7はまさにそれを決定づけた作品っすよね。印象は良くない。

そのFF7のリメイクをなんで買ったのかというと・・・なんでだろうね。Rebuild.fmで散々話題にされていたからかなあ・・・。直前に「新サクラ大戦」を楽しく遊んでて、PS4が暖まってたからかなあ。大きな助けとしては「これは分作」って聞いていたからかな。そんなにむっちゃ長くはないだろうと。いや、クリアに50時間かかりましたけど。そして、ともあれストーリーの最後までたどり着くことができたのは、Milueが「今日は、クラウドさんやる?何時から?」とひたすらせっつくからでした。横で観てるだけのくせにうるさい。でも、後述するけど終盤はホントにプレイが苦痛だったから、妻の励ましとせっつきがなければ多分放置したな・・・。

終わって振り返って感想を言えば、割と満足度は高いです。

戦闘システムはよく出来ていて、ボタン連打で勝てるようでもないし、「これムリくない?」みたいなこともないし。戦闘をオートにするのも、がっつり操作するのも簡単に選べるし。マップはそこそこの広さで、うんざりするほどでもないし、探索する楽しみがある程度には広いし。

声優さんのしゃべりは概ね満足。最初誰しもがウザく感じるバレットがだんだん可愛く感じてくる案配とか絶妙。というか、これ声優さんのしゃべりによる力添えがなかったら、ストーリーを追うのはもっと辛かったかも知れない。というのも、主人公のクラウドがいわゆる「信頼できない語り手」であって、ヒロインの1人も信頼できないキャラなんですけど、そこの「何言ってんだ、こいつ」感を声優さんの演技でごまかされてる感じがあるんですよ(笑)。ボイス重要。

グラフィックは文句のつけようがないかな。このレベルのキャラが普通に動かせて、シームレスに戦闘に入ってってホントに凄い。全体に画面が暗い中、黒い服のキャラを動かすんだからわかりづらくなりそうなものなんだけど、そのへんも上手く出来ていて、操作にほとんどストレスはないです。ティファのおっぱいすごいしね。剣道の胴着が中にはいってんのかってほど固そうだけど。

音楽も全体的によかったなあ。サントラがでたら欲しいレベルです。あ、今日、「新サクラ大戦」のサントラが届きました。こっちはもっと最高だけど、種類が全然違うよね。

世界観も、まあ、壊れてると思うけども良く出来てる。壊れているってのは、あんなにぽんぽん魔法が打たれてるのに、兵士が銃持って魔法に対策無しとか、この世界どうなっているの?ってことなんだけど、まあ、主人公たちがおかしな人達で他の人たちは普通の人間なんだとしたら(じゃあ、なんでマテリアを自動販売機で売ってるんだってことになるけども)、いいじゃないかと。何重にも目をつむって楽しもうと、言えなくはない感じ。巨大企業が空中都市を作ってその上で暮らしている人と、日の当たらなくなったスラム化した地上にくらす人々・・・なんて世界観は嫌いじゃないし、圧倒的なビジュアルイメージで成立させちゃってる。すごいなと思います。

ミニゲームも面白いし(1時間以上やらせられると、うえーってなるけど・・・)、サブクエストも楽しい。ストーリーもそんなに悪くないと思います。少なくとも、七番街スラムが崩壊するまでのトコロは。

そこからが、問題なんだよね・・・。

えーっと、まず、このゲームがオリジナルの序盤のストーリーだけを取り出したもので、完結していないことを批判する声が大きいのは知ってます。それを「水増しだ」とか「金儲けだ」という批判はちょっとどうかなと。すくなくとも、ゲームのボリューム感としては十分だし、これを仮に10時間分ぐらいのゲームにしたらちょっとそれはどうなのかなという感じはあります。そこは問題だと感じない。

問題は、とにかくストーリーが進行しないこと。このお話は、世界の謎について主人公達がぶつかってそれを解明していく形で進んでいきます。そして、主人公側のキャラ達にもそれぞれ秘密があり、あるいは、自分も知らされていない謎を持っていて、それがほのめかされながらストーリーをドライブしていきます。序盤はそれがすごく魅力的なワケ。

ところが、当たり前なのかも知れないけど、このゲームの終盤になっても、謎はほとんど何にも解明しません。そらそうだわな。ここから先、まだまだストーリーの残り分量があるんだからそれはまだまだ。にも関わらず、この第1作目としてはエンディングに向かわなきゃいけないから、結構大がかりなイベントが起きます。ラストダンジョン的なものもやるし、ボスモンスター的なものとも戦います。ストーリーのテンションはすごく盛り上げられます。キャラ達も「いよいよだ」とかそういうことを言い始めるし、敵のボスっぽい人はこの戦いで退場されられます。

でもね、プレイヤーは完全に置いてかれちゃうの。とにかく、キャラ達がなんでそう判断してそういう行動を取ろうとするのか、いちいち理解できない。さっきまで「脱出には屋上へ向かわねば」と言ってた人達が、応援のヘリが落とされた途端、下へ向かい出す。いや、下から逃げられたんかい。謎のキャラクターが思わせぶりなことを言って、異世界に誘う。主人公は何故か追おうとする。なぜか別のキャラが止める。でも、止めた側から「行くしか無い」みたいなことを言い出す。まったく、何言ってるのかわからない。あげく、追いかけて、なんだったかわからないボスと戦い、倒して、倒したことにより何が達成されたのかよくわからないまま、変なところに転送され、その世界へ歩き出して終わる。なんじゃらほい。どうなっているのだ、このクソストーリーは。

構造上、問題があることはわかってます。であれば、この1作目で何かを達成するキャラを作らないといけない。クラウドやエアリスはどうやらこの世界の秘密に関わっているキャラらしいので彼らはムリかも知れない。バレットの妄執も、世界の謎に対する真相と関わってそう。そこらへんには触れないなら、例えばクラウドがこの仲間達を手に入れてちょっと大人になるとか、田舎から出てきてその日暮らしだったティファの内面の葛藤が何らかの解決を見るとか、あるいは退場させられちゃう悪役のボスが企んでいたことが明らかになって、それが辛くも止められてなにかが守られるとか、この1作目の中で提示され、危機にさらされ、解決する問題を軸にしてそれをストーリーの動力源に設定しないといけません。それがないので、最後の部分が、もーーーーーーのすごく苦痛。ストーリーを見ながら、5分に1回、「はぁ?」「えー?」「おーい」と罵り続けることになる。

実は、これはこの先のストーリーの概略を知っているプレイヤーや制作陣には見えづらい問題点なのかも知れません。でも、私にはキツかった。続きがあるなら、やりたい。やりたいけど、2作目はその辺りはもうちょっと上手くやってね。

というような、致命的な苦痛は伴うものの、この後もいろいろ楽しませて貰えそうなことを考えると、続編は楽しみです。システムには大きな問題は無いと思いますが、武器のアップデートとか、めんどくさそうなのでシカトした要素とかもけっこうあります。これ以上複雑にしないで欲しい。あまり間隔をあけず、これ以上、頑張りすぎず(笑)、さくさくと続きを出して貰えるとうれしいですね。

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Unnamed Memory/古宮九時

いやー、ティナーシャちゃんが可愛いのよー。

「小説家になろう」からの書籍化。いわゆるもなにも、「なろう系」それそのもの。文庫ではなく、いわゆる新文芸の書籍サイズで出版されるというのも、今どき感がありますね。

一般に、「なろう系」というものをどう捉えるのかというのは、なかなか難しいものがあります。

たくさんの書き手と、それ以上に重要なことにたくさんの読者がいて、新しい才能が登場し、磨かれる場所があるということが、日本の文芸の世界にとって悪いことであるはずはありません。無料で読めるサイトで評判になって出版され、無料で読めるにもかかわらずお金を払って読もうという人がいる作品には、何かしらひとかどのものがあります。間違いなく面白い。

ただし、そのサイトで目にとまるためには、ジャンルがかなり激しく固定されてしまいます。「なろう系」がだいたい似通ったモチーフになってしまうというのはそのせいですし、「なんか異世界転生ものばっかりやないかい」ということになってしまう。それにうんざりしている消費者は少なからずいて、そうするといわゆるジャンルの行き詰まりが起きる。今の文庫のライトノベルはまさにそういう感じになっちゃって、すっかり衰退しています。なので、これはあんまり良くない。

でも、さらに言えば、その厳しい制約のなかで「こうくるか!」「異世界転生でもまだこのやり方があったか!」みたいな作品は生まれてくるので、そういう作品に出会ったときの喜びはあります。これは先鋭化したジャンルを追っかけている醍醐味みたいなものですね。ま、それは間口がすっかり狭くなっているということでもありますが、面白い作品が生まれることが悪いことであるはずもなく。

というわけで、今のこの状況が良いのか悪いのか、これはなかなか難しい。私もすっかりおっさんなのでシーンを追いかけているわけじゃないんで、今どうなっているのか掴んでいるかというと全然そんなことはないし、むしろ「涼宮ハルヒブームのころは、ラノベ楽しかったなあ」という懐古厨なんですけども、でも、「Unnamed Memory」みたいな作品に出会うと、「うーん、捨てたもんじゃないんじゃーん」と楽しい気分になる。

というわけで、「Unnamed Memory」はそういう作品です。

もちろん、キャラ同士の掛け合いの楽しさや、ヒロインのティナーシャちゃんの可愛らしさはライトノベルの変わらない魅力であり、この作者は非常にその部分にも長けてます。また、お約束として主役二人の「俺TSUEEE」ぶりも読者のカタルシスをしっかり保証してくれます。でも、ただそれだけじゃなくて、世界観やテーマの選定の仕方、悪役の味わいある描写、エピソードの積み重ね方、ギミック溢れる(若干、反則気味の)ストーリー構成など、どこをとっても一級品。ウェルメイドなエンターテイメント。いやー、面白い。これが「なろう系」に入れられて特定のジャンル小説に興味がある人の目にしか触れないのはひじょーに残念。むしろね、読んだ感じは「あとは野となれ大和撫子」に匹敵するんで、角川文庫にいれて、一般書のとこに平積みしたらいいんじゃないかなあ。本読みならみんな好きな本だと思います、コレ。


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勉強している

新型コロナウイルスのせいばかりではないんだけども、4月5月はほとんど仕事がありませんでした。

まあ、これはウチの会社がっていうのではなく、私がってことです。たまたま長期のプロジェクトを終えたばかりで、その次にアサイン予定のプロジェクトが延びたり、始まりそうで始まらなかったりということがコロナのせいで起こったというだけ。普通にプロジェクトにアサインされている人は、普通に働いてます。

そんな中、去年から部門の勉強会のとりまとめみたいなことをやっていたので、「ヒマだから」と2本とりまとめて、1本参加して、週3回勉強会をやってます。んとね、おかげで普通に忙しい(笑)。入社して以来、そんなに真面目にがっちり勉強する機会はなかったんで、なんだかすごく賢くなった感じです。

まず、「データ指向アプリケーションデザイン」という去年邦訳が出た本の読書会。ノートを取りながら毎週1章ずつがっちり読んでます。クラウドやNoSQLが前提になった世界を前提にした、分散システムの解説書。これはめちゃめちゃ良い本ですけど、1人でさっと読んだんではたぶん挫折しただろうなと。レプリケーションやトランザクション、合意のあたりとか、いかに自分の理解がいい加減だったかを痛感してます。

 次に、「マイクロシステムパターン」の読書会。上の本と合わせて読むと、マイクロサービスが何を捨ててメリットを取ろうとしているのかがよく理解できます。うん、マイクロサービス大変だ。こっちはがっちり読み込んでるわけではないのですが、とりあえず、言葉は通じるぐらいには理解できてきたかな・・・。

3つめの会は、ケント・ベックの「テスト駆動開発」の第1部の写経の会。メンバーには普通にJava/JUnitで写経してもらっているんだけど、私はJavaでやってもつまらないので、Rustでやってます。普通のOOP言語とRustの違いを認識するのに非常に役に立った。いや、別にRustを仕事で使うってわけじゃないんですけども。

印象的だったのは、2つの似たクラスを汎用化して表現するのに、JavaだとInterfaceを使い、それに相当するものはRustではTraitを使う・・・と言ってしまいがちだけど、そこには結構な思想の違いがあるということ。Interfaceに宣言されたメソッドを実装クラスで実装したとして、どの実装クラスのメソッドが呼ばれるかはJavaは実行時に決まる一方、Rustはできる限り静的に解決したいわけ。この辺りの考え方の違いがコードに出てくる辺りが面白くて、とても楽しみました。あと、第1部は一通り読んではいたんだけど、実際に写経してみると結構違うことを感じるのも楽しかったです。

で、そのためもあって、オライリーのRustの本もなんだかんだで1/3ぐらいは読みました。Rust Bookのおおよそは2年前の勉強会で読んではいたんだけど、その上でこの本をじっくり読んで、だいぶRustに親しんできた感じはあります。ポインターが連鎖してくると、ライフタイムで頭が大混乱するけども。

というわけで、今年になってからこんだけ勉強しているわけで、なんだかすげぇ賢くなった様な気がします。気のせいかもだし、大学院時代のボスには「勉強は楽しすぎるから気をつけろ」とよく言われたものですが(その当時は勉強は勉強でイヤだったですよ。学生なんてそんなもんでしょ)、たまにはこうやってがっちり勉強する機会があるというのも、人生において良いモノですね。

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最後の一文が極端病:思ってもいない極端なことを書くと、信用を失うということ

昔からですね、「思ってもいない極端なこと」を言う人は信用できないと思っているんですよ。だってそれは嘘つきってことだから。少なくとも、自分の発言を軽々しく考えているか、言葉に対するセンスが欠如しているか、そういうことだから。

政治家どうしの批判なんかに多いですね。「いや、そんなこと実は思っていないでしょ?だって本当にそう思っていたら、あなた、バカですよ」というような極端なことを言う人。それが、だんだんと一般の人にも広まってきている気がするんです。そういう人に限って、政治家や官僚の言動を批判していたりするんですけど。アレですかね、移っちゃうモノなんですかね、ミーム的に。

えーっと、私が言っているのは政治家が例えば総理大臣を批判するのに、「これでは独裁だ」とか「民主主義の危機だ」とか「辞職ものだ」とか、そういうことをいうことがあるじゃないですか。だいたい、批判の内容はその通りだと思うことが多いんですけど、じゃあ、「独裁」なのかというと、あんた独裁ってどういうものだと考えて言ってるんですか・・・みたいな。でも、みんな「いやあ、それぐらい怒っているっていうことを表現したいだけなんだよ」と思って、あんまりごちゃごちゃ言わない。むしろ、「いや、独裁ではないですよね?」というと「本題と違うところで揚げ足をとるな」と言われる。

でも、ですよ。やっぱ言葉って大事だと思うんです。言っちゃえば、「また総理大臣がおかしな事をしてる。これは良くないからちゃんと直して下さい」で済むことを「総理の職務に相応しいかどうか、疑問であり直ちに不信任を問いたい」みたいなことをいう。実際に不信任決議を求めたりする。いや、求めてもいいんだけど、心の中では「って言っても、まあ、不信任決議は否決されるに決まってて、万に一つも通らないんですけどね」と思っていて、でも、そんなことは一言も言わない。そういう風なアピールをすることが、政治としては大事なんだよって言うのかも知れませんけど、それ、あんたのところの常識で、うちらの常識とは違う世界に生きているのね・・・ってことが伝わってくるだけ。私にとってのその人の信用は落ちているわけですよ。

これが、かなり一般の言説にも広がっていると思います。特にtwitterでは140字しか書けないので、極端な一文でツイートを締めがち。こういう奴。

「〇〇は大変な問題だ(←ワカル)。〇〇が原因で困っている人がたくさんいるにも関わらず、政府は何もしていない(←ワカル)。〇〇を××できるよう政府は改革を断行しなければならない(←ワカル)。このままでは日本は崩壊する(←ソレハナイ)」

最後の一文が無ければ他全ての内容に対して、同意はできなくとも理解はできて、リツイートしようかなーと思うのに、最後の一文のせいで出来ない。こういうのを、すごく多く見るんですよね。

これ、端的には国語表現能力の欠如で、本質的にはダサいってだけだと思うんです。書いている人は、単に修飾表現として書いているものだから。ただし、「ネタがベタになる」ってことはあるんで、こういうことを続けていると本当だと思い込む人が出てきます。文章全体が過激になっていったり、行動までつられて過激になったり。そういうおかしな人を誘発します。ツイート一つするにしても、それはやはり表現なので、ちゃんと誠実に書くべきで、みんながそういう風にしているからと言って、自分も強い感情を表すだけのために「思ってもいないこと」。特に「辞めさせろ」だの「追放すべき」だの、逸脱した手続きで行ったら問題になるようなことは、軽々しく言っちゃダメです。しかも、それで伝わるのは「こいつの言っていることは信用できない」ってことだけなんで。

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今、接触削減を緩めてはいけない理由。日本のCOVID-19対策は何を目指していて、我々は何を成し遂げる必要があるのか

今日も今日とて、いろいろな人がいろいろなことを言っています。COVID-19対策専門家会議は2/25というだいぶ手遅れ感のある時期に結成されたにも関わらず、世界でまれに見るほど素晴らしい働きをしていると私は評価していますし、かなり明確で多様なメッセージを発信しています。とりあえず、私には今何を目的に彼らは動いていて、どういう状況にあるのか、だいたい理解していると思っています。

そして、専門家会議の今の判断は、「感染者の増加は減っているが、期待した効果にはまだ足りていない」です。私たちがやるべき事は、もっと人と人との接触を減らし、新たに感染する人を限りなく0にするように努力することです。そして、そうしなければ我々はヘルスケア的だけでなく、よりもっと大きな経済的ダメージを被ることになります。

あー、そうだねー。もっとがんばるよーという人は、まあそれでいいんですが、「なんで減ってるのにまだダメだって言うの?」「上手くいってるから、もうぼちぼち解除に向かってもいいんじゃ無いの?」「どうせ感染は抑えられないんだからほどほどで付き合えばいいんじゃないの?」と思っている人向けの説明を書きます。いろいろな人に個別に説明するのがめんどくさくなりました。

まず、海外の状況まで考えてもどうせ何もできないので、問題を日本国内のことに限定しましょう。今から、日本は鎖国したと考えて下さい。さらに、最悪のケースとして、このウィルスには人間は免疫を獲得できず(ノロウイルスはそうです)、ワクチンも作れない(HIVはそうです)、特効薬もない(大抵の風邪のウィルスはそうです)と仮定します。まだ、十分に可能性のある仮定です。

日本人が感染していようがいまいが、老いも若きも、男も女も、全員家に引きこもり、一切の外部との接触を断ったとしましょう。この場合、2週間で日本から新型コロナウイルスはいなくなります。ただし、2週間かかるので苛烈な犠牲が伴います。現実的には不可能です。これが最短コースです。このコースの良いところは、感染者がどんなに多かろうが、やれば絶対に完全な効果が出ることです。最悪のケースではこのコースに突入します。

一方、何もしなければコロナウイルスはあっという間に日本人全員に罹患し、感染者の0.6%を殺します。仮に1人の感染者が感染して発病して寝込むまでの5日間に平均で2人に感染させるとすると、患者の増加は5日ごとに倍になります。2の10乗が約1000ですから、50日後に1000人、100日後に100万人、150日後には10億人の患者が出ることになります。もちろん、日本には1億人ちょっとしかいませんし、時期が過ぎれば感染者の周りは感染者ばっかりになりますからペースは鈍ります。しかし、日本人全員が感染するまでせいぜい数ヶ月しかかからないのだということを認識して下さい。そして、全感染者の0.6%が死ぬとすれば、何十万人も死ぬことになります。治った人もまた罹り、これがずっと続いていくことになります。これがロックダウンをする前のイタリアやスペインで起きかけていたことです。地獄コースです。

これを何らかの感染対策によって、感染者1人から1人未満の感染者しか出さない状態になんとか持ち込めたとしましょう。すると、感染者はゆっくりと減っていき、この状態を維持すればいつかは感染者を0に出来ます。ただし、最短コースが2週間ですから、それに比べると何倍もの時間がかかります。また、感染者の総数もかなり大きくなります。しかし、取りうる選択肢です。長期戦コースです。

ちなみに、非常事態宣言前の3密回避+自粛モードではこのレベルに達しませんでした。地獄コースと長期戦コースの中間で、それはつまりゆっくりとした地獄で、かなりの経済的・社会的犠牲を払っているにも関わらず最終的に何十万人が死ぬのでは受け入れがたいというのが日本政府の非常事態宣言の理由です。

さて、長期戦コースと最短コースの間のどこかにしか我々の目指すべきポイントはありません。しかし、完全な2週間の籠城戦と3密避けましょうモードの中間のどこに目標をセットすれば良いのでしょうか。ここで登場するのが8割おじさんこと、北大の西浦先生です。西浦先生は理論上のモデルを元に計算し、通常の8割の接触回避で1ヶ月我慢すれば最短コースと同じ、少なくとも、個別撃破が可能なレベルまでの効果を得られると結論づけました。これ、正しいのか。誰も知りません。今まさに、社会実験中と言えるかも知れません。しかし、誰も観たことのないウィルスと戦っているんですから、それはそういうものです。オルタナティブを提示出来る人は誰もおらず、西浦先生は多くの専門家が認める適任者です。我々に異を唱える資格はありません。これが今、我々が乗っている8割削減コースです。1ヶ月は苦しいですが、長期戦コースは下手すれば数年かかるし、ゆっくりとした地獄コースは永遠に自粛が終わらず、それを日常にするという選択肢です。それは多分耐えられません。しかし、なんとか1ヶ月の8割減を耐えられるのではないか。そういう厳しいながらも最も可能性のある道を、今、日本人は歩いているわけです。少なくとも、政府と専門家会議はそう考えています。

しかし、非常事態宣言から2週間、この計算モデル上に我々は乗っていないことが判明しました。感染者は減っているのですが、8割削減1ヶ月コースには乗っていない。このままではこの辛い状況がずるずると続き、耐えられなくなった人々が地獄コースへ踏み込んで行ってしまう。西浦先生の「これでは足りません」はそういう焦り、危機感から出ている言葉なのです。なぜモデル通りでは無いのか。削減が8割に達していないのか。モデルが正しくないのか。それはわかりません。きっと面白い研究テーマだと思いますが、それを追求している場合では無い。観測によってコースを逸れていることがわかったのならば、我々は軌道を修正しなければならない。しかし、この舵は切ってから2週間経たないと軌道が変わらない難儀な舵ですから、おそらく非常事態宣言の解除は予定の1ヶ月では出来ないでしょう。想定より長期戦コースに寄った側を走っていたということです。しかし、やるしかありません。想定通りにならなかったからといって、誰を責めることもできません。とにかく、やるしかないのです。

さて、最初に仮定を置きました。この仮定が覆った場合、新たなコースが生まれ得ます。免疫が獲得できるということがわかった場合は、制御しつつも地獄コースを行き、集団免疫を獲得するという道があります。ワクチンが開発される見込みが生まれたら、それが使える時期までどうやって耐えれば良いのかというプランを考えられます。特効薬ができて、死亡リスクが1/10にできたら(それでも季節性インフルより1桁高い死亡リスクなわけですけど・・・)、もうこの病気と共存して生きていくというのもあり得るかも知れません。致死率0.6%は、ちょっと受け入れがたいですが、1万人に1人ぐらいなら諦められるかもしれない(疫病に対して祈るしか無い昔の人はそういう状況で暮らしていたわけです)。これらの新たなコースが生まれることはあり得ます。

しかし、それはまだ今の時点ではわかりません。作れるかどうかわからないワクチンに依存したプランや、獲得できるかわからない集団免疫に依存したプランを望む声も聞かれますが、今の時点ではそれはないものとしてプランするのが正しい選択です。なので、基本的に地獄コースへ行くことはダメ。とにかく社会的・経済的に厳しくとも封じ込めに向かうしかないのです。仮にそうしなかった場合、ワクチンや集団免疫への期待が崩れた場合にはもっと酷いダメージを負うことになるからです。

というわけで、とにかく誰が持っているかわからないウィルスを誰にも渡さない。つまり、誰とも接触をしない。あるいは、接触する人を増やさない。これが今必要なことの全てなのです。目指すべきは、新規感染者が限りなく0を2週間維持(8割削減1ヶ月コースではそれが途中に現れ出すはずです)。戦いはまだ続いているのです。

 

 

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作業用BGMとしてFFXIのサントラを使う

ちょいと前の話になりますが、各種音楽サブスクリプションサービスでファイナルファンタジーのサウンドトラックが解禁になりました。懐かしいFFXIのサントラが聴き放題です。

で、ですね。発見したんですが、これ作業用BGMに最適です。会社で作業しているときでも、オフィスの周りの席がやかましくて集中できないことはちょいちょいあります。ノイズキャンセルヘッドホンを常用していますが、隣の人が電話会議を始めちゃったりすると流石に厳しい。

そんなときは音楽を流したいところですがノリノリのナイスなミュージックをかけるとそちらに気を取られがち。あえて意識を持って行かれない環境音を流すなどのライフハックがあるわけですが、ヴァナディールに人生の一部を捧げた我々にとってFFXIのBGMはまさしく環境音以外のなにものでもないんですよ。

だってさ、The Grand Duchy of Jeunoを聞きながら何千時間の時を過ごしたと思います?

会社から帰宅してログインしてサチコメ書いてジュノにぼーっと立たせたまま、飯を食い、アニメを観、本を読み、残った仕事を片付けていたわけです。音消さないのかって?消したらTellを見逃しちゃいますからね。音は鳴らしっぱなしです。で、「今日も暗黒は誘われなかったなあ」って1日が終わる(笑)。

ホントにこのBGMを聞きながらありとあらゆることをやってきたわけで、聞いていてもまったくそちらに意識を取られることがない完璧な音源なのです。いやあ、仕事がはかどるよ。

というわけで、FFXIのサントラの曲でだいたい25分(1ポモドーロ分)というプレイリストを複数作って、それをタイマー代わりにしながら仕事をしています。まったく聞き飽きません。というか、すでに完璧に聞き飽きているのです(笑)。だいたい、どのプレイリストにも終わりから2曲目に戦闘BGMなどをいれるようにしてあります。不穏な音楽がなったらそろそろポモドーロが終わる印なので、それを目安にします。なかなかいいですよ。

 

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