久しぶりにエッセーじゃない、新書らしい新書を読んだ気がします。
が、重い。気が滅入ります。
タイトルを見てもしかしたらエコで近視眼的な近代文明批判の本を想像してしまうかも知れませんが、筆者は至極真っ当なジャーナリストで、冷静な視点と大量の資料をもとに淡々と状況を説明していきます。まさに石油に「呪縛」された人類の今現在の状況をです。しかし、淡々とした文章なのにあたかも物語を読んでいるような引き込まれ方をします。所々に論文のような文章に似つかわしくない比喩やエピソードの挿入や引用が入ることがいいリズムを作っていて、この著者の巧さだと思います。
ただ、そうやって引き込まれて読んでいくと、どんどんとくらーい気持ちになっていきます。第一章は地質学的に石油とは何かを説明し、人類が石油を発見してどうやって文明に取り込んでいったかという話で始まります。しかし、こう続いていきます。石油が文明の発達にどれほど深く貢献して「しまった」か。石油がどれほど利潤と利権に繋がるのか。どれほどの資金をかけて新しい油田の開発が行われていて、それが何を破壊したのか。石油が出る地域の経済はオイルマネーのもたらす不均衡でどれほど深く破壊されてしまうのか。石油を運ぶ海運の現状はどうなっているのか。採掘現場の労働者に何が起きているのか。オイルマネーが学問の分野にどれほど深く影響してしまったのか。そして、もちろん温暖化について。
とにかく、すべて人類の問題です。人類が石油を取り、運び、使い、使い果たすまでに何をしてきて、何をしていて、何をする気なのか。そして、そのことが人類自身の未来にとって何を起こしているのか。
アフリカのある部族のほぼ全員が故郷を汚染され、そして虐殺された。中東のある地域に爆弾の雨が降った。ヨーロッパの湾が油にまみれた。太平洋のある島が沈んだ。北海の採掘リグから男達が冷たい海に投げ出された。そして、世界から石油が枯渇するその時、世界は今考えられるどんな混乱をも霞ませる大混乱に陥るかもしれない。
もうね、「地球に優しい」とか「シロクマを守れ」とかそんなことはどうでもいい。地球なんて人間が少々温暖化させようが気にするわけがないんです。もともと恐竜が生きていた時代にはもっと二酸化炭素濃度が高くて暑かったのだし、地球自身の火山活動によって温暖化していたこともあります。光合成するバクテリアが地球に大繁殖して二酸化炭素を吸い尽くし、そのことで地球が寒冷化して全球凍結したこともあります。地球というのはもっとダイナミズムに溢れていて、人間なんて手の届かないほどの物です。
ただ、石油を巡って、今まさに殺されている人がいる。家を失おうとしている人がいるんです。そして、我々の子孫達が飢え、争い、殺し合うことになろうとしている。我々が環境にダメージを与えることによって起きることは、全て人間自身がこの先も生きながらえる為に必要な事です。そして、石油という宝石の前には、環境問題ですらその呪いの一部でしかないという、背筋の冷える現実がこの本には淡々と書いてあるのです。
とはいっても、人類も所詮、地球の上の生物種である以上、ときに絶滅したり、その危機に瀕したり運命にあるんでしょう。環境問題なんて、実は新型インフルエンザが蔓延して人類の半数が死滅したらいきなり解決してしまうかもしれませんし(笑)、たとえその半数を失っても新型インフルエンザに強い遺伝子を遺伝子プールに取り込んだ人類は歴史をいくらか遡ってまた文明を取り戻すでしょう。人類なんてその程度の存在ですが、せめて、自らの手で自らを絶やすことのないようにはしたいものですね。
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SPAの連載。この単行本に入ってるのは2007年頃で、丁度、「僕たちの好きだった革命」をやってたころです。私も見に行きました。なんか随分前のことのような気がします。かなり時代性が強い連載なので、やはり連載で読んでないとつまらない気がするんです。が、SPAかー、SPAなー(笑)
タイトルですが、うーん、重い。基本、アホなことしか書いてませんが、とりあえず「私って仕事ちゃんとしてない?家事もちゃんとしてない?うーむ?」と最近落ち込み気味のウチの妻に読ませたいと思います。「いったい、何をちゃんとしてなくてはいけないのか」は大きなテーマですね。
私は中学生の頃から鴻上さんの本をたくさん読んだりしてるせいか、「ちゃんとしてなくて何が悪い。つか、ちゃんとしてるって何だ!」と感じが染みついてしまって、朝は朝礼を避けて出勤する、やれと言われても出来ないものはズルける、納得できない方針にはへらへら従わないなど現代日本を強く生き抜く力を備えてるわけですが(笑)、みんなもこの本を読んで「ちゃんとする」にはどうしたらいいか考えた方がいいですよ。あ、例の「日本人は旅行したらお土産を配る」話も入ってたりします。
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私もそれなりに本を読む人ですが、「新作がでたら単行本を即買いする」ような作家はそんなに多くありません。私にとって、村上春樹は数少ない「即買い作家」の一人です。そういう人は多数いると思いますし、日本の文芸にある程度の興味がある人ならば、村上春樹の新作が出たらとりあえず読むのは当たり前だと考えてます。
とはいうものの
どういうことですか?この「1Q84」のバカ売れっぷりは!
そもそも、知ってました?村上春樹の新作がでることを。
私は仲俣暁生さんのブログを観て知りこのブログにも書いてますが、他のところで宣伝などは一切目にしてません。「海辺のカフカ」の時には書店にPOPぐらいは出ていたり、中吊り広告があったりしたような覚えがあるのですが、今回は全く。
先週の金曜日に浜松駅の小さな本屋さんで平積みされていて、「ああ、出たんだね」と思ってBOOK1だけを買いました。しかし、BOOK1をその日のうちに読み切れるとは思えなかったので、BOOK2はその場では買いませんでした。村上春樹の新作ですからね。どんな小さな書店でも入荷してるでしょうから、その気になればいつでも買えるでしょうし。
土日で楽しく読み終わり、さてBOOK2をと思って近所の本屋さんに行ったら、無い。浜松の駅ビルに最近できた大きな本屋さんでも売り切れ。Amazonにももちろんない。
どして?
BOOK1は、どこをとっても村上春樹で、それも「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の幻想的なシリアスさと「ダンス・ダンス・ダンス」のポップな寂寥感をあわせて持っているような(あえて言えば、青豆が「世界の終わり~」で、天吾が「ダンス・ダンス・ダンス」かなあ)感じです。さらに、そこには美少女文学賞作家やカルト信仰集団がいて、今までの村上春樹作品に比べて世界の組み立ての材料にワザと現実に近いものを入れてとっかかり易いようにしてくれています。くり出される比喩も巧さは失わずに華美では無くなっていて、いわば比喩の巧さと同じレベルに全ての文がたどり着いてしまったような、考えつくされた文章に唸らざるを得ない素晴らしい出来です。内容についてはまた改めて書きたいと思いますが、小説の技法としては日本語の小説がここまで到達できるのかというようなレベルで、美しいメロディを聴いたときのように、読みながら恍惚としてしまうような本です。
・・・が読者のそんな評判が伝わる前ですよね、この売り切れぶりは。
うーむ・・・。聞けば40万部とかがハケちゃってるようです。40万という数は「みんな読んでるよ」という数には到底及ばないですが(実感としては、500万ぐらい必要だと思います)、この日本で定常的に読書する人間ってそれこそ100万人ぐらいしかいないと思うので(笑)、驚くべきことです。100万部売るということは、「今年読んだ本がこの本だけ」というような読者をたくさん掴むということだと思うのですが、素晴らしい小説で村上春樹作品としてはかなり間口の広さを意識して書かれていると思われるとはいえ、エンターテイメント小説とはほど遠いこの本がそんなに売れるなんて・・・。ハリー・ポッター最終巻の初週売上が119万部だったそうなので、その1/3ですからね。物凄いことです。
んー、誰がどうして買っているんでしょう?
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東大の地球惑星物理の松井先生が、2005年に駒場で、つまり東大の教養過程の授業として行った「惑星地球科学II」の講義録です。
私は理学部物理学科の出身ですが、私の出た大学の物理学科は当時、正式には「物理学・宇宙地球科学科」と言っていて、研究室もいわゆる物理学のグループと宇宙天文学や惑星科学のグループに分かれてました。そんなわけで1,2回生の頃は惑星科学の授業も多少齧ったので懐かしく読みました。
それにしても、そんな私ですら東大の松井先生と聞いてすぐに惑星科学の先生だとわかるわけではないんですから、この本のタイトルはどうなんでしょう?普通に「惑星地球科学入門 -松井教授の東大駒場講義録」でいいと思うんですが。最近の新書のタイトルはおかしいですね。
やはり、岩石をはじめとした地学分野の内容が多いんですが、太陽系、惑星系、生物圏そして知的文明とスケールを変えながらそれを作った物理学的な条件は何だったのか、どのようなシステム(系)が形作られていて、それはどのようにして始まりどのように終わるのかなど、教養の授業にふさわしい幅の広い内容です。これを興味深く思わない物理の学生は速いところ経済学部かなにかに転部したほうがいいし、幅広い内容ながらそこには物理学的な考え方が随所に含まれていて、物理屋ってのは世の中をこういう様に捕らえているというのがよくわかる、大変すぐれた講義だと思います。
それに、この分野の研究はNASAのマーズ・パスファインダー、マーズ・エクスプロレーション・ローバーなどの探査によるここ10年の発見から多くの知見を得ているわけで、私が大学生だった頃とも状況は随分と変わっています。ときどき、こういう理系の大学生の一般教養向けレベルで最新の研究について啓蒙してくれる本があると素晴らしいですね。できれば、講義もyoutubeなんかで聞けるようになるとすばらしいんですけど。
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「ウェブ進化論」の梅田望夫さんは立て続けにIT社会についての本を出した後、抜け殻宣言をして充電するので執筆は控えると言っていたのですが、その間に以前からの将棋Loveが燃焼。Webでリアルタイム観戦記更新などを行ってました。
そんな梅田さんが、この1年の活動のまとめとして出したのがこの本です。やはり、仕事と愛とは全然違うもので、何冊か梅田さんの書いた本を読みましたが、この本が間違いなく一番面白いです。「ウェブ進化論」の感想で「梅田さんはあまり文章が面白くない」と書きましたがそれは大変な誤解で、将棋について書いているときの梅田望夫の文章はたまらなく面白いです。
私は駒の動かし方を知っているだけで、居飛車・振り飛車だの穴熊・矢倉だの言われてもなんとなく想像は付くけど駒のならびはさっぱりわからないという程度の、将棋については素人以下です。そんな私がドキワクで一気に読み終えました。確かにわからないなりに日曜の昼に将棋番組の解説をぼーっとみていると意外と面白かったりするものですが、それにしても、将棋の対局は誰が書いても面白いという素材だとは思えません。そこに梅田さんの頭の中に収められている棋士の背景や、対極の伏線、そして、その場の空気を感じ取る力や人脈などすべてが反映されているからこその名観戦記です
だいたい、どんなものでもその筋のマニアの横でウンチクを聴きながら見るのが一番楽しいのです。F1も、私は20年分のウンチクを抱えて観てるから面白いのであって、何も知らない人が同じところを車がぐるぐる回るのを観ても面白いはずがありません。
もし、このレベルの観戦記(将棋をそれ単体として観るのではなく、棋士の性格、世代論、将棋界の潮流その他もろもろ含んだもの)を毎号読めるのならば、私はぜひ将棋雑誌を購読したいです。私のレベルならリアルタイム性はまったく必要ないですし。そして、例えばそれで1年ほど雑誌を買い続けていれば自然と将棋を観戦するに問題ないレベルの知識は備わってくると思います。どんな分野でも、その分野の雑誌を1年読み続ければそうなることを経験的に知ってます。
しかしなあ・・・。なかなか難しいといえば難しいことです。将棋に詳しい方に是非この本を見ていただいて、タイトル戦を楽しく観るにはこのぐらいを知っておけばいいというあたりを私に教えてもらえたら嬉しいんですけど。
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Ruby界近辺で評判が良かったので読んでみました。私のXPやアジャイルに関する知識は、まともな本は一冊も読んだことがなくて、雑誌やWebでちらほら見かけたというレベルです。
アジャイルな開発といえば、事前にきっちりとした見積をせず、要件定義もせず、いきなりコード書き始めてイテレーション。ドキュメントは書かないし、出来たときがリリース日みたいなイメージがあります。が、まあ、当たり前の話ですがそんなわけはなくて、アジャイルにも見積も計画もありますという本です
中でも言及がありますが、この本は「アジャイルの見積り」の話ではなくて「アジャイルな見積り」の話です。アジャイルというのは別に楽をする方法のことではなくて、そもそもソフトウェア開発なんてそういう方法でしかできないよねという話で、それはおそらくみんな感覚としては持っていると思います。開発がスタートする段階では、どんなものを作ればいいのか誰も知らないし、どんな問題が持ち上がるかわからないし、いつ出来上がるのかもわからない。それが当たり前なんだから、それを受け入れた上で何ができるかという話。
こういうゴタクは何度も聞いたことがあって、「じゃあ、どうしたらいいのよ」ということなんですが、ここにきっぱり書いてあります。まず、私たちの強い味方、WBSが否定されます。いや、WBS自体は個人レベルでは有用ですが、プロジェクト全体をWBSで見積もってはいけない。
プロジェクトの規模は作業ではなく、機能で測る
これ、私にはかなり浸みました。そうなんですよね。例えば、画面数とかの話をしているうちって実はあんまり話がおかしい方向に行かないんです。そりゃ重い画面、軽い画面といろいろあるわけですが、総じて画面数の見積って狂いません。画面の数が大体、機能によく相関するからなんですね。ただ、これをもうすこし良くするには、機能をもっと広く捕らえて「ストーリー」にしましょうと。そうすれば、画面がないものも見積に入ってきます。それに「ストーリーポイント」をつけて、これを規模の単位にします。画面数からクラス数やコード行数、ファンクションポイントになった途端に見積が得体の知れないものになる場面をたくさんみましたが、それらのうまくいかない数値化の代わりになる物です。
そして更に重要なのは、ここで機能に対していきなり人月を入れてはいけないということですね。なぜか。そんなもの、やる人によって違うからに決まってます。みんな知ってます。じゃあ、ストーリーポイントからスケジュールにするにはどうするか。プロジェクトチームのペロシティという概念が登場するわけです。イテレーションの中でどれだけのストーリーポイントをこなせるかがベロシティ。そして、これを変動要素だと捉えることが大事ですね。これも目から鱗です。
ある作業の量を「人月」と呼んで、ある人の人月と別の人の人月は違うと、そこまではみんなわかってるんですが、それを計測してるかどうかが問題です。更に言えば、所詮、個々人の作業なんて測定したってそれが複雑に絡み合って全体を形作っている以上、測って意味があるのは、あるチームがある規模の機能をどのぐらいの速度で実装できるか(もちろん、アジャイルですからこのの実装は設計してコードを書いてテストを全て通るという全体を意味します)だということ。
そして、当然のことながらメンバーが決まるまでチームのベロシティは不明です。ですから、プロジェクトの規模をストーリーポイントで見積もっても、それを誰がやるかわかっていない段階ではスケジュールにすることは不可能です。
「それじゃ困る」というかもしれませんが、だって不可能なのは間違いないんです。どうしても必要なら、ベロシティを仮定するわけです。結局、この時点の見積のいい加減さはアジャイルだろうが今までのやり方だろうが本質的には何も変わらない。ところが、この方法が明確に優れていることは、この仮定が正しかったのかどうか実際にプロジェクトが始まったらわかるということです。つまり、ベロシティは測定可能で、継続してウォッチできるということが大事。今までのやり方だと当初の見積で作ったスケジュール通りに作業が進んでいるかはわかっても、そうでない場合にどのぐらい送れていて、今後もどのぐらいの遅れが見込まれるのか全然わからないということです。ただ、バッファを食いつぶしていってハラハラしながらバッファの残りを見守ることしかできません。
アジャイルであれば、もし見積より全然ベロシティが悪ければ(もちろんその原因を調べ改善することはしますが)、そのベロシティに基づいてスケジュールを修正し、今のままではいつまでかかるということがバーンアウトグラフで一目瞭然ですし、スケジュールの終わりで実装する予定だったストーリーを諦めればその分早くリリースできることがはっきりわかってます。これはかなり安心感があります
そうかー、これはかなり合理的な考え方です。そして、今のやり方よりアジャイルだからといって曖昧になることなんて何にもないってことですよ。何か物凄く自分の中に上手く落ち着く考え方です。自分の仕事に上手くフィットするかどうかはわかりませんが、意識してみたいと思います。
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NBオンラインの「誰でもメディア宣言」という連載の書籍化です。連載はそれほど熱心に読んできたわけではないですが、今、連載の目次と本の目次を並べてみてみると同じテーマで再度書き直したぐらいの差があるように見えます。
私はどちらかというとメディアの進化による変化を社会論的に論じたものが好みなのですが、さすがにこれはNBオンラインという日経のコンテンツが元になっているだけあってかなりビジネス寄りです。サブタイトルが示すように、出版社や編集者がネット時代に生き残るために何をしていくのか、何がビジネスとして成立するのかについて語ってます。
結局、今に至ってもネット上のサービスのマネタイズについての新しい動きは見えてこないままで、それにも関わらず、いや、それだからこそネットのその状態が逆に既存メディアのビジネススキームを壊していて、テレビ、雑誌、新聞、ラジオ、そしてネットもひっくるめてメディアが今の時代に成立しうる新しいビジネスモデルを探して模索しているというのが今の状態です。
著者の主張は、編集や出版というものをもっと大きく捕らえ直して、情報をエディットしてコンテンツに仕上げることだと捉えるということです。未だに出版を「紙に印刷して、流通に載せること」だと思っている人が多すぎると。まあ、私のような門外漢から見ると「そんな人、まだ居るんですか?」てなものですが、実際はそんなものなのかもしれません。
というわけで、それほど新しい知見が得られたと言うほどのことはないのですが、とりあえず「紙はもうだめだが、こうしたらいいんじゃない?ってのもまだない」って現状はよく理解できました。さて、誰が新しいものを見つけるんでしょう。楽しみな時代になってきました。
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Amazonさんが親切にも教えてくれたところによれば、私がこの本を買ったのは2005年の8月です。放置してすいません。
遅ればせながらこれを読んだきっかけは、評判が悪いことを知っていながら今さら「かぐや」のBru-rayを買って観たこと。評判が悪かったので発売当初は買うのを止めていた(し、そもそも発売当時にはBlu-rayが見られる環境がなかった^^;)んですが、逆にいつまで買えるかわからないんだから買っておくべきかなと思い直しました。。本来、ただで観られてしかるべきものではあるんですが、Amazonで4000円ぐらいのものですし、発売されないよりは全然ましです。これに味をしめて、NHKがどんどん番組を出してくれたらそれはそれで嬉しいですし。
で、観た感想としては・・・いやあ、ただ月の映像を眺めててもつまんないね(爆)。確かに綺麗ではあるんですが、地球の風景の方がいいですよ。当たり前ですけど。
むしろ、私の心を揺さぶるのは日本が月へ衛星を送り込んでこんな素晴らしい映像を録ってきたというそのこと自体なのです。そこには様々な苦労や工夫、そしてドロドロとしたドラマがあるに違いありません・・・が、そこが全然わからない。そこはNHKエンターブライズの能力でばばんと何とかしていただきたい。それで値段が倍なら全然よかったのに。
という気持ちを抱えてふと部屋の本棚を見たら、積ん読されてるこの本が。ここだ、私が求めてるものはここにあるはず。
そして堪能しました。相変わらず松浦さんの語り口は素晴らしい。そこに人間がいる、ドラマがある、そして無限の宇宙がある。
この本は、火星探査機「のぞみ」のプロジェクトについてのドキュメンタリーです。「のぞみ」は何のために、どのように始まったのか。何を考えて探査機を作り、それを打ち上げ、火星まで導き、そして、夢潰えたのかを語っています。まるまる半分が打ち上げまでの話で、残りの半分が打ち上げた後の話です。
この本を読んでまず驚かされるのは、他の惑星へ探査機を出すということが具体的にどういう事なのかということ。わかっているようでわかっていないことがたくさんあるんですね。
私は仮にも物理屋出身ですから、ニュートン力学は把握しています。地球から火星へ物を投げ込むには、太陽の周りを円運動している軌道で二つが再接近する時に地球の重力を振り切って火星に届きその時の速度が火星の軌道に一致する力で打ち出してやればいいだけです。ニュートン力学なんですから、とにかく問題はタイミングと初速だけ。後はすべて計算通りです。かんたん、かんたん
・・・と理想化して言えるのは、それが力学の演習問題だからで実際には様々な問題があります。
誰でも思いつくのは観測機の重量。ある初速を与えるためには重量に応じた力をかけてやる必要があります。運動方程式に従って、重量が大きくなればそれだけ大きな力が必要になりますから、観測機は軽ければ軽い方がいい。軽量化は大変な苦労が必要でしょう。
しかし、重量には推進剤の問題がついて回ります。観測機は様々な理由で途中で速度を変えてやる必要があります。初速だけで火星軌道にはいるにはタイミングと速度は非常に限られた物になりますが、途中で自分で速度を変えられれば経路の柔軟性はずっと増すのです。したがって、探査機はロケットエンジンを積むことになります。しかし、ロケットエンジンで速度を得るには推進剤が必要です。燃料じゃありません。推進剤です。地球上では、エネルギーさえあればプロペラやスクリューや車輪をまわして進むことが出来ます。しかし、宇宙空間ではエネルギーだけでは速度を得ることができません。何か重い物を速い速度で放り投げることによる反動ですすむしかないのです。つまり、重い物を積んでないと、速度を得ることが出来ないのです。ああ、なんというむじゅん!
そして、そもそも日本では漁業権の問題があってロケットは年中打ち上げるわけにはいかないらしいです。打ち上げできる季節が決まってるんですって。がーん・・・。それじゃ、そもそもロケットエンジンを持ってない探査機を送れるハズがありません。そして、更にいろんな事情があって、当時持っていたロケットでは火星に届くだけの速度を得られないんですって!どーせぃっちゅーの(笑)
そこで、「のぞみ」のとった方法とは、いったん「のぞみ」を月に向かって放り投げて、また落っこちてきたところを火星に向かってひっぱたくという「2回の月スイングバイ+地球でのパワースイングバイ」という方法でした。なんという涙ぐましい努力。というか、「かぐや」より前に日本が月へ探査機を(火星にいくついでに^^;)送っていたことを全然知りませんでした。日本は、アメリカ、ソ連についで月の裏側を撮影した3番目の国なんですって。
そもそも、そんなまだるっこしいことをしなくてもアメリカのロケットならぼーんと打ち上げて終わりなんですけどね。詳しい話は是非、この本を読んでみてください。96年の大接近での打ち上げが延期され、98年の地球と火星の距離では「のぞみ」は火星へ届かない・・・そこにくり出される軌道計算の魔術師の妙技。川口さん、格好いい。この本の前半のクライマックスです。
このほかにも衛星が作動するためには、温度を維持すること、太陽へ太陽電池を向け続けること、地球へアンテナを向け続けることなどいろいろな制約があります。望遠鏡でも見えない衛星の位置と速度を地上からどうやって知るのか。探査機にコマンドを送って実行させるとはどういうことなのか。送れるデータ量は?届くまでの遅延は?そもそも、地球は自転しているのでいつでも探査機が見えているわけではありません。有名な「1ビット通信」とは何か。潤滑油があっという間に蒸発してしまい、極端な高温と低温の差に晒される真空で可動部品を作ることとはどういうことか。
そして、問題はもちろん理工学的、技術的なものだけではありません。無知蒙昧なマスコミの目。欲しいデータをかけた研究者同士の鍔迫り合い。官需に頼ったメーカーの苦悩。文部省と科学技術庁の対立と文科省への統合のごたごた・・・。ちょっと誇張しましたが、まあ、そりゃいろいろあるわけですよ。
ただ、探査機の固まりを隣の惑星へ投げつける・・・そこにはまさに様々な困難があり、その数だけその困難に打ち勝つべく努力した人の顔と編み出した工夫の数々があるのです。
そして、本の丁度半ばで「のぞみ」は打ち上げられます。順調に見えた旅路。その肝心かなめで不幸が襲います。月から落下してきた「のぞみ」をセンター前にヒットするハズが、ピッチャーゴロに!。それも、その瞬間まで順調に動いていた、たったひとつのバルブのせいで・・・
そこには様々は「こうしておけばよかった」があります。スイングバイのやりかたが複雑過ぎたのではないか。バルブの構造をもっと簡単にしておけばよかったのではないか。あと2年、もっと条件がいい打ち上げを待てばよかったのではないか。しかし、全ては結果論でしかないのです。
ここから、科学者と技術者にとってさらなる苛烈な戦いが始まります。足りない速度、予定外の軌道への遷移、通信機の不調、ショートした回線。それでも、科学者は知恵を絞り、軌道計算屋はすこしでも可能性のある軌道を計算し、技術者は限られた機能の中で探査機の状態を調べ、問題を回避する方法はないかトライを重ねます。そして、すべての"のぞみ"が絶たれ、最後の決断を下すとき・・・涙無しでは読めません。
さて、「のぞみ」は結果的に失敗に終わりました。その結果、我々の税金の186億円は失われたのでしょうか?
否。断じて否なのです。
この本を読むとわかること。それは、「のぞみ」を成功させるためにもっとも必要だった物。「のぞみ」の地球パワースイングバイの失敗の後、諦めずにチャレンジし続けたからこそ得られた物。今、我々が失ってはいけない物。それが、「惑星探査の経験」だということがわかります。それは、後の「はやぶさ」にも生きているです。これこそが失ってはいけないものです。
そして、ここにあるドラマ。それ自体が100億円の価値があるものです。考えてもみてください。たかだか186億円なんて、「崖の上のポニョ」の興業収入と同じぐらいです。松浦さんのような人が伝えてくれてこそですが、これだけのドラマを、ロマンをお金にしなくてどうしますか。日本人がすべからく知り、誇りに思わなくてどうしますか。そのための186億円が惜しいものですか。
・・・というところで、冒頭の「かぐや」のDVDに話が戻るわけですけどネ。もうちょっとやり方っつーもんがあると思うですよ。
ちなみに、本棚には「ローバー、火星を駆ける」も積まれていたりなんかして、これもさっさと読まなくてはいけませんな。

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だいだーんえん。「とらドラ!」見事に最終巻です
「とらドラ!」の主人公とヒロインは、出会ったときにお互いの親友に恋してるというちょっと変わった二人です。その二人の関係がお互いを支えあっていく中で変わっていくのがストーリーの中心です。読者にとってもその結末は見えているわけで、ストーリーはあらかじめ決められた運命に沿って、作者に巧みに操られながら進んでいきます。
その主軸も十分に魅力的なのですが、「とらドラ!」を非凡な作品にしているのは櫛枝実乃梨と川嶋亜美の存在感です。二人ともがそれぞれ自分の世界を持ち、その世界に踏みいられることを嫌い、そして、同じ一人の男の子に恋をする。が、それぞれの考えもやり方も全く別。二人ともが相手にも、自分自身の気持ちにも素直になれずに、報われない恋を持て余してイライラする。
ああ、なんてかあいらしい
と、30もとっくに過ぎたおっさんは身もだえしてしまうわけです。最終的にはみのりんとあーみんの二人は「ラブコメ」って範疇からすかっと放り出されちゃいます。それでも彼女らなりに少しだけ変わって大人になっていくわけですが、不憫でのぉ~
それにしても、この対照的な二人をこういう人物配置に置くってのは凄いなあと思っちゃいます・・・まあ、物語上の必然はわかるんだけどね。主人公とヒロインが知り合うきっかけを作るみのりんのポジションのキャラは当然必要だし、あーみんはいわゆる「予言者」の役割ですから。この作者はオーソドックスなストーリーの上に自分の技量を載せて書いていくタイプの人ですから、プロットを書いている段階でそういうキャラが要るなーというのは多分作者として何の違和感もなかったと思うんですよね。その必然で配置したキャラにこれだけの存在感を持つような造形をしていくことが非凡ってことなのかもしれません。
で、あたしゃ、とにかく報われない女の子に弱いのよ(笑)
アニメの方も今週最終回ですね。文庫とアニメのラストを揃えて出したのも立派(メディアミックスといってもそんな美しくはいかないものですわ)だし、アニメ版は安定した出来でした。特筆すべきはどーかんがえても難しいキャラである実乃梨を、竜児が惚れてもおかしくないほど可愛く、視聴者を困惑させるほどヘンテコなキャラにきちんと演じた堀江由衣さんですね。デビューの頃は「アイドル声優」で、人気はありつつもあまりに悪い意味でアイドルっぽすぎて実力が評価されて来なかった感がありますが(というか、私はそういう印象でしたが)、「とらドラ」の実乃梨はベテラン声優らしい仕事だったと思います。りっぱである!。まあ、30過ぎてあのOPのPVは・・・大変だなって感じだけど、そこも立派だと思いますよ(笑)
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森見さんの小説を読むのは3冊目。いつもの森見さんの小説ですが、今回の主人公は京都から能登の研究所へ島流しに遭っています。そこで、研究室の友人、恐ろしい女先輩、家庭教師をしていた小学生などと手紙のやりとりをします。この手紙の内容がもうホントにバカバカしくて楽しい。本人は寂しい思いをしているし、想い人への恋慕の念も隠しているし、仕事がうまくいかなくて落ち込んだりもしているんですが、それがいろんな形で手紙にでてくるのが楽しいです。
ちょっぴりメタ風味な仕掛けとして、森見登美彦とも文通します。小説の中の森見さんは「夜は短し 歩けよ乙女」を執筆中なので、「夜は短し」を読んでから読むと10%増ぐらいで楽しめるかも知れません。読んでなくてもじぇんじぇん問題はないですけど。
そして、なぜか徐々に「恋文の技術」を学ばざるを得ない展開になっていきます。もうね、「おっぱい万歳」の辺りは大爆笑しながら読みましたよ。
最後の締め方が、また上手い。こういうヘンテコでストーリーがあるようなないような話は終わるのが難しくて、「四畳半神話大系」では小説の構造自体で結末を作っていたんですが、今回はちゃんとストーリーでうまーくまとめてくれてます。まんぞく、まんぞく。
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最近はライトノベルのコラボが流行ってるみたいです。ようするに、人気のある著者が偏っているからライトノベル読者の横の広がりを目指したい・・・つまりジャンルとしてのライトノベルのファンを作ろうということなのかもしれません。でも、ミステリーとかと違ってライトノベルのジャンル化ってのはちょっと難しいような。
それはさておき、ファミ通文庫のはせがわみやびのノベライズシリーズは人気があり長く続いていますが、今回はコラボということで、「吉永さん家のガーゴイル」(読んだことないっす)の田口仙年堂、白ポリフォニカや「カーリー」の高殿円(名前も存じませんでした・・・)、そしてはせがわみやび、それぞれ短編の3作入りです。しかし、どう考えてもFF XIプレイヤーじゃないと書くのは難しいでしょうから、誰でもできるわけじゃないですよね。
はせがわさんのは、まあ、いつものやつのいつものです(笑)。プルゴノルゴ島のウラグナイトが公害問題だったというマニアックな設定がいいですね。田口さんの話が表紙やつで、AF着た忍者と狩人と暗黒がサブリガで雪山をねりあるく変態ぶりは、ヴァナの住人にしかわからないネタ。
そして、高殿さんの話がね・・・ベタな話なんですよ。ガルカの設定上、ツッコミどころもたくさんなんですよ。
でも、泣けた(T-T)
おいおい泣いてしまいました。自分がガルカだからかもしれません。ついでに、奥さんがタルタルだからかもしれません(笑)。いやあ、ええ話や・・・
まあ、もちろんやってない人にはなんのこっちゃまったくわからない話であることにはかわりはないわけですけど。
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Ruby 1.9.1リリースというRuby界では大きな変革をうけて、るびまに「日本Rubyの会」の高橋会長が熱い巻頭言を出してます。新井素子の「扉を開けて」の内容を引用して、前に進むことの大事さをうったえています。熱いです。
その熱さに胸打たれて、私もRuby1.9.1をインストール・・・するんじゃなくて、「扉を開けて」を読んでしまいました。すんません。
実は新井素子を読むのは初めてだったりします。
1980年にコバルト文庫で出た本なので、文体やら雰囲気やらはアレな感じです。でも、この感じキライじゃないです。小学生の時に普通に読んでましたしね、コバルト文庫。昔から、少女マンガを買うのも抵抗無かったんです。
そのアレな感じも楽しみつつ、中身は真っ当な異世界ファンタジー。今書くと、この話も典型的イケメン揃いとかになっちゃうのかもしれませんが、その辺りも常識的で恋愛要素もあまりなく(せっかくプレイボーイ設定なのに)、後味もあんまりよくありません。今なら編集者が×だしそうだなあ・・・。でも、返ってそれが好印象。
テーマは、停滞した世界や抑圧された個性に対してもっと自由になろうという話なんですが、それも時代を感じるなあと思ってしまいます。ゼロ年代的には「個性なんて持ってねえよ。自己責任って俺たちのことを投げ出すなよ」ですからね。当時、この話がどのように受け入れられたのかはわかりませんが、この話が前向きなメッセージを持っていたんだろうということはわかります。しかも、この話の最後は少し後味が悪いんですが、その後味の悪さが今の時代の暗さに繋がっているのではないか。自由を得た中の国の人達が、だんだんと無法をしていっているのが、今の我々の姿なんじゃないのかと思うと示唆的ですらあります。
なーんてことをすっとばしても、楽しくおいしく読める一冊です。まあ、コバルト文庫ですからさくっと読めないとね。新装版は表紙が羽海野チカなのもポイントアップ。なんか森見登見彦の「夜は短し 歩けよ乙女」でも羽海野チカを見かけました。最近、遭遇率が高いですね。
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大森望・日下三蔵という定評のある「本読み」が編んだSF年刊傑作選。この2007年版が初の試みです。
日本人SF作家の作品が、ここのところ非常に面白いです。急に・・・というわけでもないのでしょうが、大森さんも解説で言っているとおり、円城塔、伊藤計劃という二人の新人が現れなければこの状況もこの本の存在もなかったというわけで、一気にシーンが盛り上がっているわけです。2007年はワールドコンもあったしね。
というわけで、この新たな状況を俯瞰するという意味も込めての2007傑作選。もちろん、大森さんのことなので、「これSF?」みたいなものも織り交ぜているので、ベリーベストってわけではないですが、それも含めて「俯瞰」には成功している気がします。
非常に短いものやエッセイ、萩尾望都のマンガも含んで非常にカラフルなアンソロジーですが、メインディッシュといいますか、ある程度の長さのある短編で読み応えがあったものも多数。面白いです。
小川一水はスピリチュアル・ブームをテーマにしたちょっと辛口な恋愛もの。これ、「世にも奇妙な・・・」でドラマ化するのにちょうどいいような感じですよね。
山本弘は人間の意志についての考察を遺伝病と恋人関係に絡めるという巧みな話。
田中哲弥はヘンタイまるだし。美人はいかに男の敵かって話。私はこれが一番気に入りました
円城塔はいつもの円城塔。ガンマ線をひょいっと避ける微生物のあたりで大爆笑
八杉将司は、イーガンの「ディアスポラ」にでてくるような計算機の中に作られた世界が多世界理論的にバグった話。日本人らしいゆるふわなファンタジー調がむしろ好感
平谷美樹は、人の意思をフラクタルに閉じ込めるという発想を怪奇話にしちゃうところがGood。もっとキャラたてまくりの名探偵ものっぽいミステリーにしちゃってもよかったかも
林 譲治は「ひとつぐらいないと・・・」の宇宙もの。ファーストコンタクト話ですが、シリーズがあるらしいものの一遍。SF大会できいた「人工降着円盤」が出てきて、ああ、これかーと
トリは伊藤計劃。マインドコントロールされた少年兵を平和に戻すために行われる医学的な暴力の話。なるほど、「ハーモニー」とこれとで伊藤計劃がどんな作風かわかってきたかも
という感じで、十分におなか一杯。2008年版にも期待です。年末?出ないと困るので、みんな買おう!
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女性というのは通販が好きですね。別に悪いとも思いませんが、Milueに毎月送られてくるフェリシモさんのダンボールには、フェリシモさんが毎月「これ読んだらええんとちがうの?」と勝手に選んだ新書が2冊含まれていると聞いたときには大変驚きました。
ええ、私はそんなことしてもらうまでもなく、読みたい本で家が溢れかえってますからね。とっても余計なお世話です。
そんなフェリシモさんセレクションの1冊ですが、面白そうだったので横からかっさらいました。いやいや、その積読はどーすんだよ>僕様ちゃん
というわけで、アニメファンには有名人。ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、これまでの仕事を振り返るお話。これが岩波の赤本だってんだから世も末ですが、普通にエッセイとして面白いです。
というか、鈴木さんはかなりまともな普通の人だと思うんですが、なんせ偉大なクリエイターってのは変な人ばっかり。特に、アニメ界の巨匠といえば、富野由悠季も、庵野秀明も、押井守も、どの人もどーかんがえても頭がおかしい人達です。そして、宮崎駿もご多分に漏れず・・・というか、真骨頂というか、ヘンな人。そんなヘンな宮崎駿の話がいっぱい出てきます。他にヘンな人がたくさん。とにかく、苦労してるんでしょうねえ、鈴木さんは(笑)
読みどころは、やっぱり高畑勲と宮崎駿との関係です。どうして宮崎駿が「ポニョ」のような映画を作らなきゃいけなかったのかの一端というのは、ひとつに高畑さんの影響から抜け出したいからなんでしょうねえ
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狼の骨を巡る寄り道篇も、いよいよ海を渡りエーヴの故郷、ウィンフィールへ。
ところが、島国ウィンフィールは景気対策が大失敗で大不況。狼の骨を買ったと噂されるブロンデル修道院は財政難でハゲタカファンドに食い荒らされている・・・という、なんだか我が身を省みて笑えない状況(笑)
国家と教会と大企業が噛みつきあう状況に、ケルーベの教訓から「危うきに近寄らず」を決め込むつもりのロレンス達でしたが、今回もまんまと巻き込まれることに。ただ、大きな力に翻弄されるばかりだったケルーベとは違い、今回のロレンスはちょっと格好いいです。
人ならざるものとの儚い関係。剣をペンに持ち替えての激烈な戦い。そして、ホロとロレンス、あるいは魅力的な登場人物たちとの会話の妙。今回は、このシリーズの良いところが全部出ているお話です。支倉さんも迷いなく読者を楽しませようとしている気がします。それにしても丁々発止のやりとりで、絵にしたら立って話しているだけの地味な物語をこんなに盛り上げてしまうのはすごいなあ。
「では、そういうことで」
その一言が、ロレンスを商人に変える。
契約の僕にして貨幣の虜。
そして、人の世を裏から操る、陰の王の一族だった。
ここからラストまでの100ページあまりの緊迫感は素晴らしいです。
そして、ラストではついに寄り道は終わりだと知らされます。ホロとロレンスの進む道が離れる日が来ることはわかっていますが、ここしばらく二人はそこから目をそらし続けていました。ついにそれもできなくなるのか・・・ああ、次巻が気になります。
そして、夏からはアニメ第2弾。個人的には3巻のアマーティとのホロの恋心を巡る仕手戦が一番好きなので、とても楽しみです。ホロとロレンスのじれったいやりとりでテレビの前の我々をおもいっきり身もだえさせてくれるでしょう(笑)
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今年の表紙も「今日の早川さん」です。やはり、女の子はむちむちに限ります。
それはさておき、昨年のベストSFが発表に。ランキングは是非、お手にとって確かめてください。
で、眺めてみると、国内篇のトップ10は割と馴染みがあるラインナップ。貴志祐介「新世界より」、円城塔の「Boy's Surface」、「サイエンス・イマジネーション 科学とSFの最前線、そして未来へ」は読みました。山本弘「MM9」、小林泰三「天体の回転について」、小林一水「フリーランチの時代」は購入済で積読。読まなきゃ。で、舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日」は多分読みます・・・って感じです。
反対に海外篇は今年は一冊も読んでません。ウィルスン、プリースト、レナルズあたりの有名どころは気になっていますが・・・どちらかというと、ここしばらくは日本の作家の方が面白いものを書いてると思うんですよね。
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昨年の「SFが読みたい」で国内1位だった「虐殺器官」は、タイトルといい表紙といい、難しい感じの筆者の名前といい(笑)、イマイチ趣味じゃありませんでした。
が、一転、今作はタイトルといい表紙といい、筆者の名前・・・は同じか。なかなかに興味をそそられます。そこに持ってきて、久しぶりに見たBS週刊ブックレビューで佐々木敦さんが紹介していたのに背中を押されて、購入。他に読む本も溜まってるのにねぇ
さて、高度化した医療とネットワーク社会が過剰なまでに健康を推進し、体に悪いこと(例えば、食べ過ぎだとか、煙草を吸うとか、飲酒とか)は「社会リソースとしての我々の身体を損なう行為」として非難される社会のお話。勝手に不健康になることができない息苦しい社会から少しだけずれて生きている主人公と、それに「自殺」を持って真っ向から立ち向かう少女、そして、さらに過激に健康であることを押し進める人々。我々が健康を損なう行為をするのは、我々に○○があるから・・・物語の結末は、ちょっと切ないです。
それにしても、行きすぎた嫌煙活動やメタボ健診などを見てると、なんだかこの小説の世界を笑えません。デブは医療費高くなるから社会の敵(!)みたいなことを言われるんですが、この高齢化社会において早死にする奴の方が公共の利益に与してると思うんですけどね。長生きしたからといって死の持つ意味が変わるとも思わないし。60歳で死んだら悲しいけど80歳だったらそうでもないとでもいうんでしょうか。私にとってはどちらも遙か先の話だし、それでも80歳までで自分のやりたいことをやり尽くしているとも思えませんし。
それにしても、EMTLなんて架空のマークアップ言語で書いてあったり、ミァハなんて名前が普通の日本人の名前となってる未来だったりと、意外にスタイリッシュな形式にも驚きました。前作の(読んでない段階での)イメージと随分違います。次作も期待です。
(2009/3/24追記:インタビューなどで闘病してらっしゃることは知っていましたが、残念なことに亡くなられたんだそうです。次作は永遠に読めないのです。まだまだたくさんの形になる前のアイデアをお持ちだったことでしょうに。ご冥福をお祈りします)
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artonさんに昼の宇野るいもさんに助けてもらった話を書いたら、artonさんのブログからリンクされてしまいまいした。「ファンです」と書いたエントリなのでちと恥ずかしい。
そのエントリにはartonさんとるいもさんのコンビで書かれた数々の本が並べてありました。artonさんの本はRailsの本やC#の本(眺めただけだけ)は買ったことがあるのですが、もちろんるいもさんと組む以上はJavaの本なのです。
とはいえ、最近は自分がインフラとして保守で関わっているアプリケーションのメモリアロケーション時のスタックトレースから遡って
String str = "";
Iterator hmit = hm.keySet().iterator();
Object obj;
while(hmit.hasNext()) {
obj = hmit.next();
if(hmit.hasNext()){
str += "'" + obj.toString() + "',";
}else{
str += "'" + obj.toString() + "'";
}
}
のようなアポなコードを見つけて鉄槌を下す(自分では直さない。なぜなら私は(少なくとも、公式には)Javaが書けない人だから)というようなのが仕事だったりするので、Javaを全く知らないというのも許されません。
でも、Cでプログラミングとメモリ操作について学び、VB2でGUIプログラミングに触れ、Delphiで本格的なオブジェクト指向と(VCLで)クラスライブラリの設計について学んだ末に、1.4の時代からRubyistになった私にとって、JavaはシステムプログラミングをするにはCに及ばず、GUIを作るにはVBに及ばず、言語とクラスライブラリの美しさでDelphiに及ばず、生産性でRubyと勝負にもならないという「学ぶ気ゼロ」言語だったりするわけです。何せ、上のコードはRubyで書けば
str = hm.keys.map{|a| "'#{a}'" }.join(",")
で終わってしまうわけで、なんでわざわざやりづらい方法を学ぶのかと。
と言いつつ、素のJavaはともかくServlet(というかJavaEE?)とJDBCはやはりメリットの多いシステムだと思います。Strutsも加えてもいいかもしれません。こいつらはちゃんと勉強しないとなあと思ってます。
というわけで、この機にお二人の本を・・・といいつつ一番楽しく読めそうな「コーディングの掟」を読みました。とにかく、
例外とマルチスレッドは(いろんな意味で)難しい
ということはよくわかりました(笑)
参考になったのは、Servletを使うからにはマルチスレッドにならざるを得ないよという辺りです。マルチスレッドを意識するときには、スレッドセーフであるとか、同期だとか、ロックだとかをうんうん考えるより、そもそもオブジェクトのスコープをちゃんと意識するということが大事だというのは、目から鱗です。Servletにおいて、「ThreadLocal=スコープがリクエスト単位」というのはちゃんとわかってませんでした。
Javaアプリケーションサーバの世界においてスコープを考えると
- アプリケーション全体
- サーバ
- セッション
- リクエスト
のような、Webアプリケーションとして自然なスコープがあるはずで、それとJavaのコードがどう対応するのかきちっと理解できていないなあというのが感想です。アプリケーション全体はDBで永続化されるべきで、セッションはセッションオブジェクトだから明確ですが、残りをどこに記述しておくのが正しいのか、どこに書かれる可能性があるのかは整理されていないと困りますよね。
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ほぼ日の「やっぱり正直者で行こう」を読んで興味を持ちました。
やはりしっくり来るようなものというのは、うすうすみんなが感じているものの言語化だったりするわけですが、ここで語られているのは、
- 「集団主義」は「安心」を基盤にしている
- 「個人主義」は「信頼」を基盤にしている
という対比であって、その差は道徳によるものではないということです。そして、今、日本は「誰でも周囲の人を知っているという安心に支えられた閉鎖的な社会」から「見知らぬ人をまず信頼するところから出発する都会的な社会」へ移行しているというと言います。
ところが、この差を「昔の日本人は品格があった」などのモラルの問題で語る人が多いけど、それは単に社会への適用の差であって、その人がいい人か悪い人かということとは何の関係もないんだよということを、心理学の実験を交えて書いてあります。
それにしても、心理学の実験というのは不思議なものですね。どんなにその結果が意外であったとしても、実験対象は自分(が持っているものと同じ人間)の心なので、なんとなく自分の心の中で検証できてしまうような気がしてしまいます。おそらく科学的には全然正しくないんだと思いますけど。
この説明を通して、いじめの問題、日本人らしさ(滅私奉公、集団主義など)の問題、相次ぐ企業の不正の問題、KY(空気を読む・読まない)の問題について分析していきます。ひとつひとつの話は納得できるし、あえて言うならば「当たり前の話」に見えなくもないんですが、ではこれを前提に社会システムができている必要があるというレベルになると、うっと詰まってしまうものがあります。
そして、最後に「モラルハザード」の話になります。今の日本ではこの「安心社会」と「信頼社会」の二つの相反するモラルが至るところでせめぎ合っています。自分の所属する集団を守る倫理か、それを越えた社会を支える倫理か。この二つは相反するのだという認識を持っていないと、常に都合のよいように二つの倫理を使い分けて、結果としてモラルも何も無くなってしまうのではないかという危惧を提示してます。うーむ、ここまで明確には認識してなかったなあ
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2008年の日本SF大賞。今は本屋大賞のノミネートになって、この美しいカバーに赤い○の醜いシールが貼ってあります。本屋の立場でそんなこと考えるなんて・・・死ねばいいのに。
SF読みであれば、冒頭から描かれている世界が何かカタストロフィがあり、一度人類が滅びかけた未来の日本であることがすぐにわかります。そこで数を減らした人類は、蘇った自然と共存し、今の我々と大差のない生活を送っているように見えます。ただ、村の外にでることは禁忌とされ、外には私たちが知っているのとはすこし違う生き物がいます。日本の生物圏がこれほど変わってしまうなんて、どれほど未来のことなのでしょう・・・?
まず、この本を通じてはこの世界の秘密が大きなテーマになります。読み進めていき、主人公達が何もしらない子供から青年、大人になっていくに従ってこの世界の秩序の仕組みが判明します。そして、その秩序と繁栄の基礎となっているある秘密と最初に少年達は冒険の末に出会う・・・
いや、とにかく面白い。これは凄い。まあ、厚さも凄い(笑)
「今日の早川さん」のCocoさんも、レビューを書いてらっしゃいますけど
読み手の興味の対象如何でいかようにも深く読み込めるものとなっているが、表面上の物語だけでもここ最近他に比較できるものがないほど面白かったこ
ともまた確か。物語に食われてしまうかのような、ひたすら先へ先へと追いやられるこの感覚を味わったのは随分久しぶり。そして待ち受けるラストでの、感情
が色彩と音を伴ってぐるぐる回る大渦巻きといったら、もう…。
とまあ冷静を装って書いてはみたけれど、誰も見ていないところで正直に書くとしたら…
うっひょおぉぉぉぉ!めちゃめちゃ面白~~ぇぇぇぇ!みんな読め!今すぐ読め!
こんな感じ。
うん。そんな感じ。みんな読め!
とはいえ、500頁越えが2冊の単行本を読むのは辛いです。というわけで、こないだ少し書きましたけど、私はScanSnapで読み込んだPDFファイルをトリミングしてJPEGでエクスポートしてPSPに入れて読みました。これで通勤でも読めます。こんな感じです
液晶部分に光の加減でへんなモアレが出ちゃってますけど、肉眼では見えません。意外と読めるものです。アナログキーでスクロールと拡大もできるのですが、あまり実用的ではないです。それよりはぴちっとトリミングするほうがベターです。PSPぶらぼー
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「生徒会の一存」シリーズも4冊目(+番外編1冊)。プロローグとエピローグだけでしかストーリーが進まないという画期的な作品(笑)ですが、さすがに少し進んできたのか。まあ、別に進まなくていいんですけど。
中身はいつもの通りの女の子漫談なので特に言うべきことはないです。げらげら笑いながら読めばよし。
しかし、アニメ化ですか・・・正直、この本の絵師さんはキャラのかき分けが出来てない(けど、小説を読んでる分には全然困らない)んですけど・・・ラジオドラマがよかったんじゃないでしょうか。いっそのこと、1本100枚の驚異の動かないアニメとかを目指すといいかもしれません(笑)
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芥川賞おめでとうございます。というわけで、受賞記念に一冊津村さんの本を買ってみました。
アレグリアというのは、コピー機の製品名。雑誌に載ったときにはこの話、「コピー機が憎い」だったそうですが、そのタイトルなら買わないな(笑)
建築関係の会社へ転職してきて2年のいわゆる「事務のお姉さん」な主人公と先輩OLの二人は新しく入った複合機のアレグリアに手こずらされてます。少々のクセのある機械ならなんとか折り合いが付けられるし、使っているうちに機械に不思議な愛着すら湧いてくるし、そんな自分にある種の誇りをもっている主人公にとって、1分コピーとして動くと2分ウォームアップになってしまうアレグリアは単なる「怠惰」にしか見えません。そして、そのことを誰に訴えていいのか。先輩は自分ほどアレグリアに怒りを覚えてはいない様子。サービスセンターの受付には完全にクレーマー扱い。サービス担当員には見下された態度を取られます。そして、難しい使い方をする男性社員の前では華麗に舞い、単純なコピーはサボるアレグリア。
さて、主人公からはそんな風に見えていた周囲の人ですが、徐々に愚図なアレグリアに巻き込まれてその人間関係があぶりだされていき・・・そしてついに。
この主人公が、まあ、可愛くないOL(笑)。ほんとのところ、こんなモンなんだろうと思いますけど、まあ、可愛くない。で、私は仕事上、どちらかというと文句を言われて呼びつけられる方なんで、サービス員の「コピー機を使わない女と付き合いたい」ってのはよくわかる(笑)。文句を言う方の気持ちももちろんわかるんですけどね。でも、じっとりと溜めてる先輩の方が付き合うとめんどくさいんでしょうね。最後はちょっとスッキリする、妙な読了感でした。
さて、芥川賞ももらって、今後はもっとエンターテイメントの方へ突っ走ってみても良いんじゃないでしょうか。この人のユーモアセンスが、もっと大全開になったところを観てみたい気がしました。
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表紙とタイトルが格好良かったので手に取ってみました。あ、「我が家のお稲荷様。」の人ですか。
さて、電撃文庫としてリリースされてますが、表紙からもわかるとおりまったくラノベっぽくはなく、普通に青春小説。まあ、こういうモノも許容してしまうようにラノベというジャンルも成長してきたということですかな。
冒頭、主人公は飛び降り自殺をする女生徒を目撃する場面から始まります。不登校だった彼女はどんな女性だったのか。そして、由良という男が彼女の死の真相を知るべく接近してきて・・・とミステリー調で始まりますが、物語は本の半ばにして意外な結末へ。そして、そこからが、この本の本当のストーリーの始まり・・・という非常に凝った構成です。
いやー、切ないわ。物語を最後まで読んで、そして本の半ばのクライマックスを思い返すと余計に胸が痛むという。構成の特徴上、読んでない人にあらすじを言えないタイプの本なので説明しづらいですけど、偶然重なり合った希望と不幸と心の闇にこういう結びつけ方をさせて、それに「プシュケの涙」と名付ける。そしてこの表紙。2009年初っぱなにして、今年のラノベNo.1候補でしょう。
単巻ものとして今年これ以上のものが出てこなかったとしても、私は不思議に思いません。でも、読んでも幸せな気持ちにはならないので、すっごくお勧めとも言いにくいですけどね。
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イーガンの新刊が出ました。日本オリジナルの短編集で、河出書房の奇想コレクションのひとつです。イーガンが読みたくて初めてこの奇想コレクションを知りましたが、奇想コレクションはSFのシリーズというわけではないということで、ホラーっぽい作品が多くいつものめくるめくSFの極みのようなイーガンとは少し趣が違います。
しかし、「ユージーン」や表題作の「TAP」はさすが。「TAP」は探偵モノっぽいストーリーの進め方といい、脳との直接インターフェースをとる言語に変わるプロトコルという発想といい、子供との会話で示されるネットワーク社会への洞察といい、まぎれもなくイーガン。それなりの長さがあったしね。
でも、私はやっぱりイーガンは長編が好きだなあ。新しい長編が読みたいです。
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文化系トークラジオ Lifeのパーソナリティのcharlieこと鈴木謙介が、様々な人からのピントずれた(?)質問に華麗に応じる(答えているかば微妙^^;)一冊
Lifeを通じてcharlieはだんだん第2ロスジェネ世代の「アニキ」的存在になっているような気もします。でも、Lifeのメインの視聴者層って実はcharlieや黒幕はせがわ氏(や私)と同世代のような気もしますけど。そんなcharlieのアニキな部分を、質問者役として荻上チキさんが上手く引き出しています。
さて、例えばこんな感じ。
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Q001:働いたら負けだと思っているのですが、空腹に負けそうです。どうしたらいいのでしょう?
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そもそもさ、「働いたら負け」ってフレーズ自体、働かなくても生きていける人しか言えないじゃん。
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Q008:先月、今年40になる父親がデビューするといって会社をやめてスタジオにこもっています。父にオトナになってもらうにはどうすれば良いでしょう?
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正直すいませんとしか言いようが(涙)
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Q017:男子って、ファッションの幅が少なすぎると思います。センスがないの?
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ごめんなさい(涙)。
がんばれ、charlie(T-T)
いや、極端な引用をしました(本当の回答はもっともっと長いです)。ただ、こういう身近で、いっちゃ悪いけど低レベルな質問から社会学の果たす役割やそもそも、社会学とは何かという問題。ついでに、charlieってどんな考えで何をしている人なのかというところまで迫ります。
いわゆる「ロスジェネ世代」の論客をcharlieが代表していいのかはさておき、この世代(っていうのは、オタクでもスターな批評家になれた東浩紀より下の、オタクカルチャーも前提の教養とした批評家世代)の社会学者、批評家たちが今、何を見て、何に立脚して何を議論をしているかは、この回答の中のcharlieとチキさんのやりとりと、大量の脚注を見ればわかるというお得な本であり、かつ、charlieの人格のにじみ出るほんわかした本で、肩肘貼らずにパラパラとめくるのに丁度いい感じです。
我が家ではトイレ文庫に認定されました。便器に腰かけて少しずつ読まれています。すいません。
ちなみに、charlieの下の世代の批評家は、「オタクカルチャーも前提」からまた転じて話題がここ10年のドメスティックな問題に限られつつあるという話がLifeの「文化系大忘年会2008」で言われてましたね。速水健朗やチキさんもそういえばそうかも。ウケるところがそういうところなのかもしれません。今、デリダとか言っても・・・という感覚?
あと、この本の感想を追加するならば、charlieとチキさんが仲よさそうで微笑ましくてちょっと羨ましいです(笑)
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ゆるゆるハードSFの妖精ワールド、第4巻。
3巻はわりにハードで裏設定も垣間見える展開だったんですが、4巻はいつもの妖精さんとのぐんにゃりしたやりとりと、シュールな世界観に醒めた主人公の感性を楽しめる回でした。にまにましながら、妖精ワールドに浸りましょう・・・この先、どうにかする気はあるんだろうか(笑)
それにしても、表紙の女の子は誰?・・・と思ったら、そういえば前回のラストで罰として断髪したんでしたっけ。似合ってませんね、これは
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「四畳半神話体系」が気に入ったので、この本も文庫になるのを待ってました。
しかし、こりゃ「四畳半~」の続編みたいな小説です。「みそぎ」も出てきますし、
樋口と羽貫のコンビも出てきますし、下鴨幽水荘もちょろっと出てきます。
というわけで、舞台は基本的に同じ。
主人公も、まあ大して変わらなくて、「黒髪の乙女」に
恋するうだつの上がらない「先輩」は「四畳半~」の主人公の類似品です。
ただし、今回は「黒髪の乙女」の方が主人公。この二人の一人称が
交互に繰り返され(「黒髪の乙女」の方が6:4で多い感じ)、
二人はそれぞれ運命を交差しつつ(というか、「先輩」が
一生懸命交差させようと必死になり)、奇想天外な人たちと
破天荒でほのぼのとした事件を巻き起こします。
なんというか、この本を読んでると京都はどんなマジカルワールドかと(笑)。
私は出町柳周辺と四条河原町あたりぐらいしか土地勘がないんですが、
逆にまったく土地勘がない人が想像する京都がどうなっちゃうのか心配です。
それにしても、「二足歩行ロボットのステップ」「偽電気ブラン」「詭弁踊り」
「韋駄天コタツ」「偏屈王事件」「パンツ総番長」「象の尻」
「プリンセス・ダルマ」「ジュンパイロ」。
何ともオモチロイ言葉に溢れてます。なむなむ!
あと、文庫版には羽海野チカさんの解説(っぽい何か)が載ってます。
これがまた、良いセンスなんですわ。ハチクロファンは必見です。
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革命前の18世紀のパリに、人並み外れた嗅覚を持つ主人公グルヌイユは生まれます。
グルヌイユにとってはどんな匂いもそれを嗅ぐこと自体が快感。全てのものの匂いをかぎ分け、体臭から感情まで見抜く嗅覚の持ち主ですから、「匂いの本」とも言うべき香水の世界に足を踏み入れるのも必然です。
そして、ある日、ひとつの匂いにグルヌイユは陶然となります。匂いを辿ってたどり着いた先で、それはまだ女になりきっていない一人の少女の立てるものだと知りました
娘の肩の汗、油くさい髪、性器からにおい立つ魚の匂い。途方もなく快い匂いだった。娘の汗は海風のように初々しく、髪の生えぎわはクルミ油の匂いと似ていた。性器の辺りは百合の花束。肌は杏子の花の香りがした・・・これらすべての要素を組み合わせたとき、ようやくこんなにも豊かな、こんなにもバランスのいい、摩訶不思議な芳香が生じる。これまで彼が香水として嗅いできて、ひそかに匂いの貯蔵部屋でつくり出したつもりになっていたもの、そのすべてが突如として無意味きわまるものに下落した。
変態です。間違いなく変態です。でも、この後の彼の辿った道は間違いなく変人ですが、ストイックで波瀾万丈。サブタイトルに「ある人殺しの物語」とあるとおり、この変態さんは最後には本懐を遂げちゃうわけですが、ラストも思っても見ない結末になります。
何より、このグルヌイユがヘンだけど魅力的。そして、彼の人生に登場する人物、幼いグルヌイユを預かってすぐに放り出すテリエ神父、乳母のマダム・ガイヤール、無能の香水師バルディーニ、愛すべき学者バカのタイヤード侯爵、娘を守ろうとするアントワーヌ・リシ。どの人物もこれまた魅力的です。
変態さんが出てくる、それも殺人鬼が出てくる小説となるとなんともいやーな読了感があったりするんですが、なぜか最後は痛快です。これは面白い。ある意味で、エスパーの話なんですよ。我々に持ってない感覚・能力を持った主人公なんで。その人物が何を成し遂げ、その過程でどういう運命に会い、どんな最期を遂げるのか。是非、楽しんで下さい
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佐々木敦さんが主催する<BRAINZ>で行われた「批評家養成ギプス」というレクチャーの採録です。
タイトル通り、「批評って何?」ってことについて丁寧に辿っています。概念的な「レビュー」や「感想」とどう違うのという話から、「これやっちゃ批評じゃない」「この形も批評として成立する」という肯定的/否定的な批評の条件を形作り、そして音楽批評、映画批評、文芸批評、その他と日本の批評家の足跡を辿り、批評という名のもとに何が行われてきて何が行われているか。ジャンルごとに批評が成立するための条件は違うし、また、「ジャンル」が規定するもの、ジャンルを横断すること、ジャンルを貫通するものなどについても語っています。
浅学もここに極まれりで、ここで語られてる批評家達や批評されている作品なんかもぜーんぜんしらないものばっかりだったりでよくわからないところもあるんですが(というか、ゴダールとかひとつも見てない人が読むほんじゃない?^^;)、それでも十分に刺激的。こういう本を読まないと、自分が拡がらないしね。
ちなみに、私は批評の持つ啓蒙的な側面に期待してます。なぜなら、私はもっと啓蒙されたいし啓蒙したいタイプの人間だから(笑)
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時かけの回です。この回はたまたまホテルでオンエアを観られて、テーマが上滑りしていない良い回だと思ったんですが、カット部分を読んでもその印象は変わらないですね。なぜ、「時かけ」が原作のままではなくこの形になったのかというこの作品の根幹に関わる部分に製作者の観点と、原作の筒井さんの観点でうまく近づいているということと、最後の岡田斗司夫はなぜこの作品を好きになりきれないかという部分が秀逸。最後の岡田さんの部分をカットせずに放送出来たのは、この番組がただ「面白いアニメを紹介する」というレベルに留まらないためにどうしても必要な部分だと思います。
岡田さんが「恋愛ドラマとしてはものすごい作品だが、代わりに何か、すごい大きなリアリティみたいなものは失っている。そのバランスが納得できない」と言えば、それに対して筒井さんが
仰るとおりです。仰るとおりです。なんていうかな、今、それは文学でも一番難しいところですよね。だから、僕はよく言うんだけれども、新人の選考会の席なんかで「上手くまとまってる」と。だけど、ここから先を書かなきゃ。ここから先が文学になるんだということはよく言うんですね。ただ、そこから先を書いたら破綻しちゃうかもしれない
この話に続くもやもやっとした部分は、この回の白眉だと思います。再放送をしてほしいなあ
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やたら評判がいいので読んでみましたが・・・うーん、これはエッセイですな
サイエンスエッセイとしては日本人離れしたうまさを感じる、いい本だと思うんです。ですが、これが新書で、しかも「科学ミステリー」だとか「生命とは何か」だとか「生きることへの不条理さが描かれている」だとかは何の寝言かと。
ラストの尻切れトンボさからもわかるとおり、この本はまったく論として形を成してません。この本が面白いのは、福岡さんの科学者らしからぬ叙情的な文章のうまさと、そこから現場の科学者の生の息づかいが聞こえてくるからです。はっきりいって、現場の研究の悲喜こもごもはそりゃ間違いなく面白いですよ。でも、それはどんな仕事でも同じじゃないかと思うのです。
ちなみに、私の研究室時代のボスのH先生はそれはそれはエッセイが面白い人で、コロキュウムの度に研究に関係があったりなかったりするエッセイをそっと忍ばせて配ってました。H先生は、一流の学者だというにはちと難ありな感じでしたが、間違いなく彼なりの確固たる姿勢を持ったブロの研究者で、かつ、半分遊び人みたいな人で、先生の書くものはなんとも言えない味がありました。
それにしても、科学者からもっとこのような面白いエッセイが出てくるべきです。他に一般に読まれているのは養老先生や茂木健一郎さんぐらいかな。もっともっとたくさん出てくるべきです。それはやはり最新の科学技術というものが我々の生活や思想に少なからぬ影響を与えるにもかかわらず、その世界が遠く感じられている現状を覆すことになるからです。そして、単純に面白いからですな!
でも、この本が売れる余地があるんであれば、何も本当の科学者が書かなくてもこういう話を面白おかしく伝えることのできるライターさんはいっぱいいるんじゃないかと思うし、ネタなんて日本中、世界中にわんさかとあると思うんですが。ぶっちゃけ、私が書きたいぐらいなんですけどね。
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「鼓笛隊の襲来」の感想で「この作風でどこまでスケールの大きな作品が書けるのかは疑問に感じます。その疑問は「となり町戦争」を読めば明らかになるのかな?」と書きましたが、ばっちり。なるほど、「鼓笛隊の襲来」で物足りなく感じたものがきちんとありました。
ネタの大きさ的には「鼓笛隊の襲来」の一篇一篇と変わらないのですが、ひとつをきっちりと膨らませて、しっとりと書いています。おそらく作者が書きたいものは「戦争」なんかじゃ全然なくて、手にとってみることはできないけど今の世の中にしっかとあるなんらかの「理不尽さ」です。それを「戦争」と読み替えることでファンタジーの手法を使ってその「理不尽さ」にきっちりとした輪郭を付けるということだと思うので、「戦争」というテーマにはそれほど突っ込んでいく必要はないんだと思います。にもかかわらず、長編にすることであえて「戦争」という軽々しくは扱えないものをファンタジーとして使ってしまったオトシマエのようなものをキチンとつけているところに誠意を感じます。そして、最後はちゃんと元のテーマに即して、理不尽に失われていくものを書く。このあたりはちょっとだけ村上春樹を思わせました。
いや、この小説はすごいですね。これは直木賞を取っても不思議はな・・・くはないかな、やっぱ(笑)
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1巻は爽やかな読了感でほのぼのっとさせてくれた「とらドラ!」だったんですが、「なかなか面白いじゃん」と読み進めているうちに4巻でやられました。
なんか頭がおかしいキャラだった実乃梨が内に秘めた想いを少しだけ垣間見せます。だめ。こういうのに弱いのよ。亜美も素直じゃないながら深謀を巡らし始め物語は動き始めます。
しかし、私はここに宣言しよう
私はみのりん派である!
いや、だからなんだってことはないんですけど(笑)
というわけで、ここからは一気。最新刊の9巻まで、一気に読み切りました。9巻で大河・実乃梨・亜美の3人の想いは明らかになるんですが、最後でまた大河に主人公ががーんと戻ってきて新展開です。いやあ「まあ、このキャラ配置ならこうなるんだよね」ってところへストーリーは着々と向かっていて、よくよく考えるとなんの意外性もないんですけど。それでもこれだけ読ませるってのはすごいですね。7巻の大河と熊さんのシーンは、恥ずかしながら胸がぎゅーっとなりました。なるほど、このラノ2位も納得です。アニメも先週がちょうど4巻の海の話の後編。先を知ってると実乃梨の表情や、亜美のまなざしが気になっちゃいます。この先も楽しませてもらいましょう。
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ここでいう「アーキテクチャ」はレッシグが「CODE」の中で提唱した概念で、ある社会を形作るもの、例えば、慣習や法律などと並列するものです。例えば、法律で未成年の喫煙を禁じるのではなく、タスポで買えなくするなんてのが、「アーキテクチャ」の例ですな。
インターネットの様に技術的に生み出されて、まだそれを縛る規範は法がはっきりしない世界では秩序を守るためのアーキテクチャの存在は相対的に大きくなります。「迷惑メール防止法」なんてつくるよりは、25番ポートに認証付けた方が早いとか、そんな感じですかね
筆者はこのような、あるネット上のシステム、例えばグーグルや2ちゃんねるの持つ「アーキテクチャ」がどのようなもので、結果、どのような社会が生み出されたのか。あるいは、社会に受け入れられた「アーキテクチャ」とはどのようなものだったかということを論じています。タイトルに「生態系」という言葉を使っているのは、どのような「アーキテクチャ」を持ったサービスが生き残るかということを生命の進化になぞらえているからです。ここで進化というからには、「アーキテクチャ」はサービス提供者が様々な試みをし、散々討ち死にして、ある意味、開発者の意図を越えた部分で環境(この場合、社会)に淘汰されて生き残ったものという意味を含んでいます。例えば、2ちゃんねるが1000レスでdat落ちするという仕組みは、おそらく当時のサーバリソース的に持っておけないからだと思うのですが、そのアーキテクチャが2ちゃんねるの「フロー」の性格、コピペ主義、まとめサイトなどの文化を形作ったといった具合です。
この本では、まず今のネット界を語る上で外せないグーグルの仕組み(特に、具体的に経済的な循環を起こしているのはグーグルだけと言ってもいいぐらいですから)について概観します。そして、ここからがこの本の主題だと思いますが、「グーグルに引っかかってこない世界」としての2ちゃんねるをきっかけに、mixi、winny、ニコニコ動画、初音ミク、恋空と、日本のネット界を形作っているものを上げ、それが持つアーキテクチャの特徴と、そのアーキテクチャを(進歩じゃなく)進化させた環境としての日本社会の関係を持って、日本社会論へと繋げています。そう。結局のところ、この本はネットの世界を通じた日本社会論です。技術的な本じゃないから、パソコンがコワい人でも読めます。
で、その結論的には、レッシグやハイエクが言うようなリバタリズムを支える仕組みとしてのネットって、日本じゃダメかもってなところに帰着しちゃうんです。もちろん、だから「日本がダメだ」というわけでもないですが。
本書の最後付近、「『ズレ』をはらむ日本のアーキテクチャ」から引用します。
ひとことでいえば、インターネットが自由で多様な生態系であるからこそ、この日本という場所には、「反理想的」ともいえるようなアーキテクチャが自然発生してしまうということ。いいかえれば、日本では、インターネットの「自由」と「自然成長性」に対するイメージが、(たとえば米国のレッシグが語るようには)きれいに重なることなく、「ズレ」をはらんでしまうということ。この「ズレ」の存在は、少なくとも90年代以降のインターネットをめぐる日本の言説史のなかに、常に影を落としてきました。
そうなんです。少なくともこの観点からみれば、日本は決してアメリカ的グローバルスタンダードにはないわけです。当たり前といえばそうなのかも知れませんが、なぜ日本で2ちゃんねるが「自然発生」したかということは非常に興味深い。いくら梅田望夫さんの本がベストセラーになっても、梅田さんが考える輝かしい未来を支えるサービスには決して入ってこない2ちゃんねるが、日本ではブロゴスフィアに比べ大きな影響力を持っていることも確かだし、最近も梅田さんは「書評にはてブでコメント付ける奴がバカばっか」とお怒り(私もまったく同感です^^;)ですが、はてブの影響力も小さくありません。
日本がこのまっさらだったハズの「インターネット」に何を生みだし、何を育て、そのことによって日本はどう変わっていくのか。ネットに深く接している人だったらこの本の個々のトピックはさほど目新しいものではないと思いますが、それを包括して観た上での日本社会論としては、出発になる一冊だと思います。まず議論の前提にこの一冊。お勧めです。
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ラノベ原作アニメ多いですね。また、四文字タイトルですよ。またツンデレでしかも釘宮ですよ。なんだかねえ
・・・と思っていたんですが、アニメは見始めたらこれがなかなか良かったです。演出もテンポよかったし。ただ、2話目でクライマックスになっちゃったので、ちょっとあっさりしすぎかなと思い、原作を読んでみました。
・・・ああん、ええ話やなあ。割とアニメは原作に忠実だと思いますが、夜中電柱に八つ当たりするシーンはぐっと来ました。いいなあ。もうお前らくっついちゃえよ
だって、みのりんも北村も頭おかしいぞ?(笑)
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「文化系トークラジオ Life」のメインパーソナリティ、charlieこと鈴木謙介さんの新著です。
副題に「既得権批判が若者を追い込む」とされているとおり、近頃盛んないわゆる「ロストジェネレーション」が言いがちな既得権批判に異を唱えるものです。ここでいう既得権批判は、例えば、「団塊の世代がいつまでも昭和的な価値観を振りかざしているから、俺たちに自由がない」とか「バブル世代が能力もないのに正社員でのさばっているから、俺たちに職がない」などの泥沼の就職氷河期で人格まで踏みにじられた結果、「オレラ負け組スカラ」と諦観に陥らなかった奴らが、「俺らが本当なら得られるはずだった権利を奪い返せ」と言い始めたという現象のことです。
いや、charlieは別に異を唱えるというものでもないんですね。気持ち的にはとても共感しています。しかし、そもそもの「本当なら得られるはずだった」というのは、本当に本当なんだろうかという疑問があるわけです。そしてさらには既得権批判には、例えば「俺たちにも終身雇用アゲイン!」な社会民主主義的な人もいれば、「俺らだけじゃなくて、みんな流動化すべきじゃん!」というもっと新自由主義な人もいる。ともすれば、同じ人が両方を言ったりする。これはどういうことなんだろう。こういう現象はどこから沸き立ってくるんだろうというところを、1968年にその発端を取って、高度経済成長の終わりから現在までを様々な研究を整理して説明してくれてます。
そういう意味では、この本は速水健朗さんの「自分探しがとまらない」や「ケータイ小説的。」のような、現象から一般的な社会学を導くという手法の本ではありません。様々な人の成果を丁寧に追って、整理し、時には批判的な観点を加えてくれている教科書的な本です。最終的には、現在の思想的対立を、単なる右派、左派ではなく、アナーキストとリバタリアンへと整理しています。さらに、その対立の先へも踏み込んでいます。
ま、それにしても、まず一度、この二項対立で整理してくれれば助かりますなあ。例えば、自民党がリバタリズム政党で、民主党がアナーキストだとすれば、あたしでも次の選挙で投票する意義がわかります。2大政党制って言ったって、同じ様な2つの党を並べて、「前回、あいつらは失敗したから、今度はこっち」ってのだけが政権交代する理由じゃあ、なんともつまんない。ちなみに、アナーキストというとちょっと過激に聞こえるので共産的リバタリズムとも言うんだそうです。まあ、どっちも自由主義で、小さな政府指向であることは変わらないわけですな。
そして、最後のcharlieの結論は非常にcharlieらしいというか、まず、相手にする問題はロストジェネレーションの貧困問題などではなくて、「報われない感覚」そのものなんですね。キーワードは、ネットであり、ジモトだったりというあたりは、いつものcharlieだなあという感じです。私個人は、安易な承認を目的としたライトなオタクの大量発生がオタクを死滅させたという岡田斗司夫さんの主張にも頷くので、なんだかなあという感じでもあるわけですが。
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映画「容疑者Xの献身」にあわせて・・・なんでしょうね。「探偵ガリレオ」のシリーズが刊行になってます。ぶっちゃけ何も単行本で読むほどの本じゃないんですけど(あっという間に文庫になるでしょうし)、駅前からタクシーに乗ろうと思ったら1万円札しかなかったんで、これで崩しました。
「容疑者Xの献身」の感想でも書きましたが、シリーズ最初の「探偵ガリレオ」は正直つまんなかったんですが、徐々に湯川のキャラが立ってきたのが功を奏していて、非常に読みやすくなっています。
探偵役が科学者ということでトリックに科学を用いたものになるんですが、実はこれってミステリーとあまり相性がよくありません。不思議なことがあっても、そのトリックが誰も知らないような新技術だったら読者は興ざめです。なので、このシリーズが向かう先はミステリーではなくてキャラ小説で、今ではすっかり湯川と薫は福山雅治と柴崎コウに脳内変換されて読まれるでしょうから読みやすくなるのも当然かもしれません。でも、やっぱり短編の出来はいまいちかもなあ
それにしても、「ガリレオ」のドラマ化の話が伝わってワトソン役が女性だと聞いて、「あらら。でも、まあ、テレビドラマとしてはそっちのほうがいいかもなー」という感想だったんですが、原作からちゃんと出てたんですね。原作としても、そりゃ女性刑事のほうが面白味があっていいと思います。キャラ小説ですからね(笑)
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よくいいますね。「金持ちばかりが得をする」「会社が株主のほうしか向いてない」「企業は環境に配慮すべき」。最近、友人の日記で「会社は設けてるんだから税金を上げるなら、消費税じゃなくて法人税を上げるべき」なんてのも見ました。まてまて。そんなことして何になるんだ?
どうもピンと来ません。金持ちって誰?会社って誰のものなの?企業さんって、そんな配慮とか出来る人格もってるの?
この本のタイトルは「暴走する資本主義」。現代は"Supercapitalism"で、本の中では「超資本主義」と訳しています。現代は、超資本主義の時代です。その超資本主義とは何でしょうか。
資本主義の歴史の中で、一昔前の主な対立構造は、資本家と労働者でした。こういう時代には、労働者が「金持ちは!」と文句をいうのもわかります。そして、権力を持った資本家に対してその力を制限するのが、民主主義です。独占的な企業があり、労働者は安心して(?)ストをし、経営者は労働者に福利厚生を施し、そのコストは製品の価格に積みましても別に構わなかった時代です。この本では「民主的資本主義」と呼んでいます。企業が繁栄することが、国家の繁栄と等しく、資本家がまるで政治家のような権力と誇りを持っていた時代です。
ところが、変化が訪れました。冷戦が生み出したコンテナ船は、世界を股にかける安い物流を誕生させました。通信システムの急速な進歩は世界的なサプライチェーンの構築を可能にしました。土地と資本と労働力という、資本家のバックボーンを持たなくても、安価で優れた製品を生み出すことが可能になりました。金融市場の規制緩和とテクノロジーの進歩は投資家の影響力を増しました。そして、インターネットは望田的に言えば「チープ革命」なのです。
そして、権力はついに、資本家や企業の経営者から、投資家と消費者に移ったのです。そう。ぶーぶー文句たれてる私たちが権力を持っているのですよ。
私たちは、10円でも安ければ日本の労働者のことなんて何も気にせずに中国産のものを買います。近所の商店街の没落を嘆きながら、ジャスコに行きます。近所の小さな書店を懐かしみながら、Amazonでワンクリックします。どんな企業も以前とは比べもののないほどのコスト競争に晒されています。少しでも安いものを求める我々自身が、我々の経営者をギリギリと締め付けているのです。
そして、企業は株式市場の動きに以前より敏感になりつつあります。ヘッジファンドとにわかの個人投資家が、企業が業績を上げ、企業価値を高めることに猛烈なプレッシャーをかけています。CEOの給料が跳ね上がったのは、「現場たたき上げの社長」が通用しなくなり、「経営」というもののスペシャリストを株主や投資家が要求するようになったからです。そうでない経営者はたちまち株主からクビにされてしまいます。リストラを出来ない経営者をクビにするのは投資家達です。そして、彼らが運用しているお金は、我々の年金だったりするわけです。少しでも利回りのいい金融商品を探し求める我々が、我々の経営者にプレッシャーをかけているのです。
権力が、資本家から、消費者と投資家としての私たちに移った。そして、そのことが労働者として私たちを苦しめている。CEOが強欲なのでもなく、ヘッジファンドがあくどいのでもなく、リーマン・ブラザーズの社員が悪の巣窟なわけではなく、悪いのはシステムなのです。ああ、明解だ。
そして、その暴走した資本主義が、民主主義とのバランスを欠きはじめている。そして、そのことへの処方箋は・・・
てな話が書いてあります。もっとも、基本アメリカの話なので、ロビイストがどうとか、その辺はよくわかりんせん。ただ、理由が世界的なサプライチェーンの構築と情報革命なので、この傾向は世界中のどこでも変わらないわけです。給料が上がらないことを嘆いているなら、牛丼が値下げしたことを喜んでいてはいかんということです。そんな身勝手な話はないわけです。
そもそも、我々が何かを買うときに、中国で作られたものと日本で作られたものを価格で比較して選んでしまうということは(それ自体を悪いというのではないですよ)、それはつまり、我々が提供する労働力自体も中国人との競争に晒されているんだから、中国人の生活水準に我々が引っ張られていくのは当たり前ということなわけです。世界はフラットになりつつあるわけだから。もっとも、中国人の生活水準だって我々に引っ張られるわけで、日本の高度成長期なんて目じゃないスピードで追いついちゃうに決まっているわけですが、そこは中国はなんせ貧しい人が文字通り死ぬほどいるわけで、なんとも恐ろしい。
しかし、システムの問題で、しかも、世界中を巻き込んだシステムの再構築が必要って話ですから、果てさて、人類はこの先、どんな壁にぶち当たって、どんな選択をしていくのかというのは、なかなか恐ろしいものです。とりあえず、「格差社会がヨクナイ」とか、大脳が萎縮した脊髄反射の持ち主は、すべからくこの本を読むべきですね。なんの解決にもならないけど、理解することが第一歩ですから。
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昨年のSF大会、NIPPON2007で行われた、現役のマッドな科学者に研究の最先端を話してもらい、SF作家とパネルするというセッションのまとめとして出た本です。その際に、SF作家さん達は科学者達の研究に対する「アンサー」として作品で応えることが求められていて、それがまとめられているという形になっています。
さて、科学者さん達の発表ですが、これはもう間違いなく面白いです。
- ヒューマノイド
- BMI(ブレイン・マシン・インターフェース。いわゆる「脳に電極」系のこと)
- 形状から創発される動き
- パラサイトヒューマンインターフェース(人間の感覚器に干渉して、人体を操るようなインターフェース)
- 発声と言語
- 構成的リアリティとシミュレーション社会
特に、パラサイトヒューマンインターフェースが面白いです。例えば、自分の視覚を全部記録するようなマシンを作ると。で、自分の行動パターンを記憶させて、いつもと違うことをしようとすると矯正させるようなものを考えたとします。視覚の記録ってところまでは普通に想像できると思いますが、そのマシンからのアウトプットをどう人体へインプットするか。HMDの片隅に表示されるなんてのは全然面白くないわけです。例えば、耳に電極を付けて平衡感覚を狂わせれば、まっすぐ歩いてるつもりの人の軌道を動かすことが出来てしまう。これがあれば、本を読みながら駅まで歩いて行けちゃう。ゆっくりの振動と速い振動では速い方が力も強いと錯覚してしまうことを利用すれば、釣り竿のようにぐいぐいと正しい方向へ引っ張っていってくれるケータイナビができる。うーん、面白いじゃないですか
そして、アンサーとしての短編も読み応えがあります。飛浩隆さんのシミュレーション人生ものは拡張高く、山田正紀さんの「不気味の谷」ものは読むものにSFらしい驚きを与えてくれます。そして、円城塔さんは、もうSFなんだかさっぱりわかりませんが、めちゃめちゃふざけてて面白い(笑)
それにしても、こうやって最新の研究を広く一般に紹介する試みというのは大事ですね。研究の内容に広く倫理と啓蒙が関わってくる分野でもあるが故に、それだからこそ研究者は「SF作家に広く我々の考える問題定義を世に知らしめて、コンセンサス形勢に力を貸して欲しい」なんて思っていたりするらしいですが、それは研究者もSF作家も同じように持つべき社会的意義じゃないでしょうか。
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IT業界にいる私ですが、この業界にもいろんな人がいます。で、私のやっていることをこの業界では「インフラさん」といいます。反対語は「アプリさん」です。なので、私は1行たりともプログラムは書けません。しかし、コンピューターがどうやって動くものなのか、その仕組みについてはものすごく知っています(知っていないといけないハズです)。
じゃあ、インフラさんは具体的に何を知っていなけりゃいけないのか。インフラさんはお仕事でどういうことをしているのか・・・が全部書いてあります。こりゃイカン。飯の種が全部ここにあるな
冗長化、負荷分散、レプリケーション、チューニング、稼働監視・・・全部ここにしっかりとまとまっています。しかも、すべてオープンソース系で設定ファイルの書き方まで載っていますから、PCを3,4台とスイッチを2台ぐらいどこかからかき集めてきて、ここに書いてあることを全部試してみれば(1ヶ月もあれば出来るでしょう)、アナタはすぐに専門家としてお金が稼げることでしょう。もちろん、LinuxやApacheやMySQLを普通にセットアップして使うぐらいのことはすでにできるとしてですけどね。
素晴らしいけど、ちょっと困った本だなあ
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表紙買いしました。このイラストのサツバツとした感じはすごい。
中身も、「文化部まったり」系と見せかけて10代の乾いた殺伐さが緻密に書かれています。ところが全然その地平から出ないのが不思議。実は、ここに描かれた登場人物たちはそれなりにドラマを背負っていることが本のカバーをめくるとわかるようになっています。
というか、物語中ではまったく平凡な女子である主人公(そして、その感性に感情移入して読者は物語世界をみつめる)の望美の人生が、えらく波瀾万丈であることがカバー裏に書いてあるんですよ。のけぞりました。おい、そっちの話を読ませろよ(笑)
ということは、ここで書きたいのは物語じゃないってことなんでしょうね。でも、どうも私とは波長が合わなかったかもしれません。長嶋さんにとってはここにあるこれが封じ込めておきたいほどのリアルなんだろうと想像します。何が私と違うんだろう。
地域?性別?時代?
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オタクに未来はあるかどうかという問いはあんまり意味がなくて、未来のオタクはどうなっているかが問題なわけですが、森永卓郎さんと岡田斗司夫さんが「オタクの経済活動」について対談した本です。
ただ、部分、部分に面白い考察は含まれてるんですけど、全体を通じて大して何も言ってないんですな。まあ、対談だからしょうがないのかも知れませんが。オタクの間で経済が循環している状態で、他から、あるいは他への流入出はどう起きているのかとか、オタクの経済活動が大きくなることの裏返しで縮小しているのはどの分野なのかとか、ところどころ面白いんですけど。
まあ、ちょっと安く本を作りすぎじゃないんでしょうかね
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いわずとしれた押井監督と、「世界の駄作機」の軍事評論家 岡部いさくさんの軍事ヨタ話
一応、押井監督が「日本人は真面目に戦争とか軍備とかのことを考えてなくてけしからぬ」とか、対談のテーマを語るんですが、面白いのは結局2人のオタクのヨタ話(笑)
まあ、一応言わんとしてることもわからないではないです。大多数の日本人が「戦争は良くない」っていうときに思い浮かべる光景が空襲から逃げまどう人々だったりするのは、どう考えてもなんか間違ってますからね。
この中では、日本の次期主力戦闘機(F-X)についての話が面白いです。
- F-15(イーグル)のままでいいのか?
- でもそれだと中国のSu-30に勝てないよ?
- じゃあ、F-22(ラプター)なの?
- すごい高いよ?
- じゃあ、日本もSu-30を買えばいいんだよ。ロシア人が作って中国人が整備してるSu-30になら勝てるよ!
- アメリカさんに怒られるんじゃね?
- じゃあ、もう使わないF-14(トムキャット)を。日本は浮沈空母だったんですよ!
- もうそんなに機体残ってないんじゃないの?
んふふ。面白い。そう言えば、先月のモデルグラフィックスはF-15&F-16特集。面白かった。もちろん、岡田ださくの解説入りダヨ!
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文庫が新装になったとのことで、この機会に購入しました。
私がどこでこの本を知ったかと言えば、あの頃のガンダムフリークの思想的バイブルである「ガンダムセンチネル」のあさのまさひこさんのインタビューだったりします。当時は私は中学生で、「シーンを作るということ」「プロデュースするということ」という概念に初めて触れたわけです。ドラクエIIIの熱狂にも、おニャン子クラブのブームにも乗り遅れた世代が仰ぎみたオトナの世界だったわけです。
そんなあさのさんが「センチネルをもっと知るための参考図書」としてあげていたのがこの「ノーライフキング」。その他の本は、鴻上尚史、大塚英志、渋谷陽一だったりするので、多分にそういう香りがしてますよね。
そして、ガンダムセンチネルからも20年が過ぎようとして、小室哲哉が通り過ぎ、モー娘。が通り過ぎた時代。電話はすべて個人が持ち、ゲーム機がすべて「本当の」ネットワークに繋がり、不用意な噂話が掲示板を盛り上げている時代に、この小説の持つ意味というのは新たに問われている気がします。
むしろ、未来予測的なSF小説としてみれば恐ろしいぐらいです。環境は確かに「ノーライフキング」が想定していたような場所になった。じゃあ、子供たちの居る場所は?。この小説が書かれた当時、私はほんとうにまことと同じぐらいの歳でした。ファミコン雑誌の「裏技」のページをくまなく探す子供でした。その頃の自分の姿と、今の環境の間にある界面を摺り合わせてみる。今、32歳になって、この「ノーライフキング」の世界に感じる違和感と恐ろしさをどう捕らえていいのかがよくわかりません。現実味がない話なのか、時代に即したリアリティを持つ話だったのか、自分がもう10歳じゃないからわからなくなってしまっているのか
うーん、なんだろう。歯がゆいですよ。
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今年の日本星雲賞海外長編部門がコレ。あの「たったひとつの冴えたやりかた」のティプトリーです・・・つっても、「たったひとつ~」読んでなかったり。
星が滅ぶときの光景を見に、辺境の惑星へ降り立つ12人。夜空の大スペクタクルを待ちわびる一同が泊まるホステルで起きる惨劇・・・と書くとまるでミステリーですが、実際に形式的には孤島ミステリーそのものです。
ただし、その形式を借りながら、登場人物の過去、復習と惨劇、辺境の地に潜む秘密と陰謀がSFの力を得て凄まじい物語を構成します。いや、なんというか、これは確かにすごい。極上の怪奇ミステリーと濃厚なSFの取り合わせがこんなに面白いとは!
それにしても、1985年の作品らしいんですが、何でこれが今頃に邦訳されたんでしょう?
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お待ちかねの下巻です。
上巻で、自分の矮小さを思い知らされて、「こあい。逃げよう、すぐ逃げよう」と震え上がってるロレンスくんですが、「落ち着かぬか。わっちの連れがそんなヘタレでは困りんす」とコルの前でホロに叱責されてしまいます。
いざとなったら無理にでもロレンスとコルを連れて逃げてやるというホロを支えにしながら、己の度胸と機転で「狼」とまで呼ばれる凄腕の没貴族の女商人エーブと、自分の手先を踏みにじることなど何とも思わないであろう、野心に溢れたロレンスの所属する商会の商館の主キーマンの密約の仲介をするロレンス。エーブの企みは?キーマンの魂胆は?
そして、急変する事態。
今回はホロの魅力より、やはりエーブでしょう。人を裏切る冷徹さは持っていても、信念に基づいてある種の高潔さを失っていないが為にカリスマ性を発揮するエーブ。それでいて、まったく情がないわけでもなく、一度は殺そうとしたロレンスにも不思議な信頼と興味と、そして愛情のようなものまで持っています。「悪女の魅力」って奴なんでしょうかね。エーブ・ボランに幸あれ
さて、次巻では舞台はいよいよ海を渡ります。寄り道がどんどん激しくなってきますが、アニメの第二シーズンの噂もありますし、まだまだこの二人は私たちをニヤニヤさせてくれそうです。楽しみにしましょう。
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「夜は短し歩けよ乙女」で話題になった森見登美彦です。気になってはいるんですが、とりあえず文庫から様子を見てみようと、これを購入してみました。
もう初っぱなからやられました。この文体はホントに私好み。というか、超ノリノリの時の私って、たぶんこんなまわりくどーいしゃべりをしてるんじゃないかしらんと思うぐらい。
主人公は京都のうだつの上がらない大学の三回生で、おそらく京都には未だにあるだろう、ふっるーい四畳半の下宿でうだうだしています。しょっぱなから後悔の念しきり。
当時、私はぴかぴかの一回生であった。すっかり花の散りきった桜の葉が青々として、清々しかったことを思い出す。
新入生が大学構内を歩いていればとかくビラを押しつけられるもので、私は個人の情報処理能力を遙かにに凌駕するビラを抱えて途方に暮れていた。その内容は様々であったが、私が興味を惹かれたのは次の四つであった。映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という奇想天外なビラ、ソフトボールサークル「ほんわか」、そして秘密機関<福猫飯店>である。おのおの胡散臭さには濃淡があるものの、どれもが未知の大学生活への扉であり、私はなけなしの好奇心でいっぱいになった。どれを選んでもとりあえず面白い未来が開かれると考えていたのは、もはや手の施しようのない阿呆としか言いようがない。
確かに、どれもなんかダメそう。そして、第一話では主人公は「みそぎ」へ入部するわけですが・・・。その奇想天外なストーリーとゆるゆるな会話を楽しみましょう。
さて、第二話・・・は、あれ?第一話とまったく同じ文章が。どうやら、今度は「弟子求ム」についていっちゃった場合の様子
こんな調子で、同じ登場人部が役割を変え、位置を変えしながら、こちらで起こったことがあちらへ影響しながら・・・と四話目まで、それぞれの道での主人公の運命が語られます。要するにパラレルワールドものなんですが、そのメタの次元にいるものが何かかが、なかなかしゃれてます。でも、読者はあんまり難しいことは考えずに、単純なメロディの4つの変奏曲を楽しめばいいと思います。どれか一話だけ取り出しても、十分ヘンテコで面白い話なんですから。
そんなわけで、面白かったので「夜は短し~」の文庫落ちを首を長くして待つことにします。
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ななせちゃんがー(T-T)
"文学少女"シリーズ、ついに完結です
最終巻まで遠子の物語は語られずにきたわけですが、読み始めた当初は当然、心葉は最後は遠子と心を通わすことになると思っていました。ツンデレななせちゃんは最初から酷い扱いだったので、二人が結ばれる話が入ってちょっと驚きました。その頃にはすっかりななせちゃんファンだったので、心葉のへなちょこぶりはさておいて、ななせちゃんの恋が成就すればいいなあと思っていましたし、このシリーズの山場である美羽の話を乗り切ったので、もしかして、このままいくのかと期待度アップ。最終巻の上巻の表紙を見る限り、遠子にはあまり幸せな運命が待っていそうには思えませんでしたし。相変わらずななせちゃんは酷い目にあいどおしなんですが・・・
というわけで、待望の下巻ですが
ヤバイ、この表紙の遠子の笑顔はヤバイ
手に取った瞬間、ななせちゃんの運命は覚悟しました・・・。あぁあ、可愛い、いい女の子なのになぁ・・・。最後の最後、エピローグまでいい女でした。男を見る目だけが残念でした(笑)
と、すっかり「ななせセントリック」な私ですが、内容は最終刊にふさわしい、"文学少女"シリーズらしい締めくくりでした。遠子の苦しい過去話になるんですが、最後の遠子の手紙にも心葉といっしょに「おいっ!」ってつっこんでしまうところが何とも微笑ましい。人間関係も、ストーリーの組み方も複雑で、登場人物の頭にネジの変わりに火薬が詰まってていて、謎解きがかなり強引なところもいつもの"文学少女"。もうすっかりこれがこの作品のカラーですから、このシリーズが好きでここまで付き合ってきた人には、ちゃんとご褒美があります。楽しみましょう!
それにしても、あのレモンパイの落ちは卑怯だよ!ななせだと、ななせちゃんの勝利だと思ってたのに!!
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もちろん、村上春樹ファンだから読んでいるのです。
もっとも、高校生ぐらいの時に清水版も読んでいるはずですし、マーロウはいくつか読んだはずです。
それにしても、長い長い、そして錯綜した話ですが、逆にどの部分を読んでも良い小説を読んでいるときのしみじみした感じが得られるというなんとも珍しい小説です。そして、春樹さんの訳を読んでいると、ここから大きく影響を受けてるんだな(特に、「羊~」や「世界の終わり~」は)というのがとてもよくわかります。
ここはしびれたなーってところを引用しておきますね
私はキッチンに行ってコーヒーを作った。大量のコーヒーを。深く強く、火傷しそうなくらい熱くて苦く、情けを知らず、性格のささくれだったコーヒーを。それはくたびれた男の血液となる。
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2001年、2002年、そして2007年に行われた二人の対談を集め、最後に書き下ろしとして今年、秋葉原無差別殺傷事件があった後に対談したものを付け加えた対談集です。
が、見事に噛み合ってません。話題はかなりハイレベルなんですけど。どちらかといえば、大塚さんが東さんの批評家としてのポジションや構え方についてを批判して、東さんが「あんたの言ってることは正しいけど、だからといって何が問題なのかわからない」といっているだけで全然生産的じゃない。当然、私は東さんの考え方に近いので、批評家あるいは知識人としてこの世の中の公的なものを維持して改善することにコミットするべきだという大塚さんに対して、「で、それでなんかよくなるんでしたっけ?」という東さんの立場にしか誠実さを見いだせません。大塚さんが言っている知識人は、自分の全然専門でもない話題に関してもしたり顔で能書きをたれてみせるワイドショーのコメンテイターにしか思えないのです。
しかし、秋葉原無差別殺傷事件の後では、少し立場が変わります。東さんはこの事件に対しては「自分たちの世代の問題だ」と認識して、いち早く朝日新聞にコメントを出す積極的にコミットする立場を取ります。それに対して大塚さんが、
ぼくが宮崎勤の事件が起きたときに思ったのは、どこかに書いたけど、「自分たちの順番が来たんだ」って言うことだけですよ。
それはたとえば、永山則夫の事件のときの文献を辿っていけば、江藤淳が熱心にものを言っているし、連合赤軍のときだっていろんなひとの発言があった。それをぼくは下の世代から見ていて、なるほどそういうものなのかっていうふうに単純に理解していて
この発言には、うっと詰まってしまうものがありました。なるほど、私が今は自分たちの世代にとっての「政治の季節」だと感じていたある一面の在り方がわかったような気がしたんです。
まあ、しかしながら、この本が講談社現代新書のレベルに達しているかは、ちと疑問と言わざるを得ないです。この本はまさに今出されるべきものだと思いますが、新書ってそういうものでいいのかなあ
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「自分探しがとまらない」に続く速水健朗さんの本です。
ケータイ小説とは、いかなるものか。「恋空」ぐらいは読んでみなきゃなーと思ってから読まないまま幾年月、先にコッチを読むのもなあと思いつつ、面白くてついつい読んでしまいました。
この本は、ケータイ小説を文芸的に批評するのではなく、その系譜や、それを受容している読者たちの環境など、現象としてのケータイ小説について論じてあります。それが、サブタイトルの「再ヤンキー化」です。もっとも、以前ヤンキーだった人が再びヤンキーになるワケじゃないので、第2次ヤンキー化とでもいうべきなのかもしれません。
「ヤンキーがいたら田舎」とか「暴走族がいたら田舎」なんてのは都市部に住んでいるとよくわかる感覚ですよね。この本に触発されて、今月の文化系トークラジオLifeのテーマは「地方を考える」だったりしますが、今、地方都市で何が起こっているのか。それは面白いなテーマです。
この本は、ぜひ手にとってみてもらいたいので、この本で紹介されるケータイ小説に連なるキーワードを各章ごとにざっと上げておきます。
- 浜崎あゆみ - 「NANA」 - 紡木たく
- 浜崎あゆみ(再ヤンキー) - 安室奈美恵(コギャル) - 中森明菜(ヤンキー)
- 「Deep Love」 - 「だからあなたも生き抜いて」 - ティーンズロード - 相田みつお
- ファスト風土 - TSUTAYA - ショッピングモール - 「頭文字D」
- ポケベル - 携帯メール - デートDV - アダルトチルドレン
うーん、いろんな軸があるものです。
しかし、都市部でのニート・フリーター化と郊外での再ヤンキー化・地元志向という近年の若者の行動様式と抱える問題をかたや「自分探し」、かたや「ケータイ小説」を軸にあぶり出しまとめ上げる速水さんの手腕は見事ですね
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一応、これで最後ということになっています。電撃文庫マガジンに載った緒方副隊長の話と、若き日の堂上と小牧の逸話、そして、なんといってもメインは表紙を見てすぐおわかりの通りです。
そそ、やっぱりみんなが気になってるのは、手塚と柴崎ですよね。そりゃ、「図書館戦争」ですから最後はきっちりハッピーエンドになるんですが、堂上と郁のような甘々ではなく、後味の悪い事件に巻き込まれます。そういう意味では、緒方の話も含めて別冊Iとはかなり感じが違います。どちらかというと、本編にノリが近いかも。お疲れさまでした
さらに、DVD1巻も買ってしまいました。こっちの方にはホントに短い短編がついてます。堂上に犬扱いされてうれしがる郁という変態ストーリーです<をい
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ひさしぶりのダグ&リン。シリーズ26巻目です。すごいですね、グインサーガと100冊ぐらいしか違いません<をい
ダグリンのシリーズは3巻構成になりますから、今回のはまだ上中下の上巻。「アルタナの神兵」の発売から1年弱になりましたが、いよいよ過去のお話。どうやら、探していたティッキィの母親は、禁断の口に飲み込まれているようです。
まだ台詞の中だけですが神聖アドゥリン都市同盟なんてのが出てきたり、救援要請に関するこの世界の設定が語られたり、白門のデジョン樽(兄)が登場したりというのは、ゲームをやっているとニヤリとする場面です。
また、シリーズの読者にとっては、20年前のペタ、ダグラスの父母、そしてメテオリがどんな様子だったかわかるのが楽しい。
でも、何より「アルタナの神兵」発売直後で、プレイヤー達もネットの情報を元に次々に過去に渡って右往左往している様子や、禁断の口で飛ばされた先でたむろしているプレイヤー達の様子が嬉しい。ほんとにプレイヤーの間に、主人公達が紛れ込んでるようで、当時、「で、飛ばされた先でどうすればいいの?」とLSメンバーに尋ねながら、ウロウロしていた自分もそこにいそうな感じがします。ダグとリンは、バタから、ブンカ浦を通ってサンドリアまで歩いていくことになるのですが、可哀想に一番面倒なルートをたどってます。もう、ネットの情報を見ないから(笑)
つづきが楽しみですね
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マンガの「鋼の錬金術師」も大変な名作(こちらもBSマンガ夜話でやってますね)なのですが、アニメも名作の誉れ高いです。私も、SEEDの後番組ということもあり楽しみました。
原作が優れている上でこのアニメ版が別に評価されている点は、やはりその志の高さとオリジナルストーリーだと思います。
近年、アニメを熱心に観ている人はMBSの竹田菁滋プロデューサーの名前は知っていると思いますが(私にとっては「一万人の第九」の人でも・・・^^;)、単に面白いとか、メジャー枠なのに踏み込んだ表現で頑張っていると思わせる作品の多くを手がけられています。最近では、マクFもそうですよね。
水島監督のインタビューで、その竹田プロデューサーについてこう語られています。
『鋼』では、MBSのプロデューサーの竹田(菁滋)さんという方が、(中略)、「表現の方法自体は考えてほしい。ただ、それはやらなければいけない、と思ったら止めない。むしろ絶対に必要だと思ったら、そこでブレーキを踏まないでほしい」とういうことを最初に言われたんです。例えば第一話の冒頭の母親の錬成を失敗するあたりもそうです。最初は原作に遠慮をして母親がどうなっているとか周囲をあまり具体的に描かず影と遮光を使った構成をしていたんです。直前のエドの足の喪失は直接的に痛みを伝えるような表現をしているのに。そのコンテを見せたところ、逆に「これでいいのか?エドが犯した"咎"とは何なんだ?彼らの人生に物凄く影響を及ぼすものであるはずなのに、これをこの程度の絵でいいのか?まあ、監督がいいと言うのであればいいけどね」という、いやなコメント付きで(笑)、帰ってきたんです。
すごい。MBSだってそれなりに大会社ですが、自分で確固たるものを持って責任をとると言ってくれる人が現場にいるのはクリエイターにとって素晴らしいですよね。
そして、それだけの環境があって、番組のゲストの脚本の會川昇さんが活躍するわけです。「ナデシコ」の時にも、會川さんは一クセも二クセもあるシナリオライターとして知られてましたが、「ハガレン」では會川節大爆発です。「ハガレン」は原作の連載初期のうちにアニメ化されたため、原作通りにやってまだまだ続くよーというやり方か、オリジナルへ分岐していくしかなかったわけです。
それを50話、1年を書けて大きな設定変更をしてテーマ性を整理して、最後はSF的な大風呂敷を広げて、物凄いテンションのストーリーでまとめ上げるというのは、物凄いことです。會川さんがそれをかなり自覚的に一貫して行ったことはこの本からよくわかります。いやあ、すごいです。
ああ、また観たくなっちゃったなあ、ハガレン。DVD-BOX出たんですよね・・・。でも、さすがに買えない(し、買っても全部は観ない)から、バンダイチャンネルでみんな観よう!
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オリンピックでお祭り気分と書いて、いきなりかいって感じですけど
日下公人さんは、元長銀の人で評論家。テレビで何度か見かけたことがありますけど、面白いことをいうおじさんです。石平さんは、中国から帰化した中国関係の評論家さんだそうで。
で、その二人がいろんな話をします。主に、中国の今の経済状況と日中関係の話なんですけど、なんだかこれを読んでると頭が痛くなってきます。
日下さんが、「日本人が戦後、中国に親切にしたのは同情心からで、別に謝罪の意図じゃないですよ」と言えば、「中国人は絶対に理解しないですよね。人が親切にしてくれるのは下心があるからだと思ってますから。ましてや、日本人が親切だなんて死んでも理解しないです」だそうです。なんだかなあ
歴史が古い国っていうのは、逆に難儀なんですかね?イタリアもよく国家レベルで腐敗してるなんていいますけど、中国もそうなんでしょうか。
もう、この二人の話を聞いてると頭がクラクラしてきて、中国人が信用できなくなってきます。いや、個人のレベルじゃないのかな。中国という組織がむちゃくちゃ。上は民を裏切るし、民はお上を信じない。横も裏切る。騙して儲けると褒められる。ホントなの?
あと、中国経済にかんしては、途中で大武健一郎さんが混じってこんなことを言ってます
外資導入でつくった中国の経済が、果たしてどういうことになるのか、例がないものですからね。
普通は、必ず経済発展モデルがあって、ある程度そこで産業が生まれて、自力で伸びていくわけです。(中略)
中国が今後も非常に安い賃金と安い地価などを利用して、外国企業を流入し続けることができるならば、中国経済の発展は続くのではないかと思うんですよ。(中略)
はっきりいって、すべてを外資によって国をつくった例はほとんどないので、それがわからないのですが、外資がずっと入り続けるなら、それなりに続いてしまうこともあるのではないか、ということも言える。
なるほど。そういう見方があるんですね。石さんは、今のバブル的な中国経済がはじけた時のことを心配してますが、日下さんは、「ま、中国の億ション買った人は困るけど、庶民は関係ないんじゃないの?」と言ってます。私もオリンピックイヤーでの過剰投資によって、今年後半から来年の中国はえらいことになるんじゃないかと感じますけど、どうなっちゃうんでしょうね。
あと、中国というのは何でもありなので、内乱になったり、経済的に立ちゆかなくなったりしたら、それはチベットを滅ぼすぐらいじゃ済まないことをするぞと言ってます。一人っ子政策で、4000万人ぐらい女性が足りなくなる。台湾ぐらいの人口じゃ攻めても解決しないけど、日本なら・・・ってヤダよ!
うーん、中国はヘンテコな国だなあ・・・
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以前、本文批評の本を読みました。「捏造された聖書」という本で、聖書を写本という形で伝えていく過程で含まれる誤りについての本でした。
今度も写本についての本です。今度は「アルキメデスのパリンプセスト」についてです。
まずは、アルキメデス。言わずとしれた古代ギリシャの大数学者です。風呂に入って「ヘウレーカ」と叫んだ人?そう、それです。でも、多分、実際にはそんなことしなかっただろうと言われてます(笑)
そんなアルキメデスさんにはいろんな伝承が残っていて、いろんな発見をしたといわれていますが、実際にアルキメデスの著作というのは誰かにあてた手紙です。シラクサにいたアルキメデスが、友達に「こんな事を発見した」と手紙に書いて出したものです。そして、そんなアルキメデスの著作の写本(当時、コンスタンティノープルに所蔵されていた)は、3冊しか確認されていません。それらはA写本、B写本、C写本と呼ばれてます。A写本とB写本を用いて、ルネサンス期のダ・ビンチやガリレオはアルキメデスを学びました。しかし、A写本は16世紀、B写本は14世紀に行方不明になりました。そして、1998年にC写本がクリスティーズで競売にかけられます。この本が、「アルキメデスのパリンプセスト」です。
パリンプセストというのは、一度使った羊皮紙の表面をこそげ取って、その上に新しく文字を書いたもののことです。再生紙ですな。「アルキメデスのパリンプセスト」は、アルキメデスのC写本に使われていた羊皮紙からアルキメデスを消して、上から祈祷書を書いちゃったものなのです。おーまいがー
さて、そんなパリンプセストを高額で買い取った、とあるお金持ちがいました。それを聞きつけたとある博物館の学芸員であるウィリアム・ノエルは是非、パリンプセストを展示させて欲しいと申し出ます。ところが、このお金持ち(本書では名を明かさず、ミスター・Bと呼ばれます)、ノエルにこの写本の解読プロジェクトを任せることにしたのです。さあ、大変。ノエルは、古書、希少書のプロですが、アルキメデスとピタゴラスの違いもわかりません。
それが、この本の奇数章、写本の歴史と解読プロジェクトの進行についてドキュメンタリータッチで綴るパートの著者ウィリアム・ノエルです。ノエルのパートは自らを「陽気な男だ」というとおり、困難なプロジェクトを束ねる立場にありながら、どこか軽やかに、楽しげに記述してくれます。まさに、学芸員としては一流の証でしょう。そもそも、羊皮紙ってどんなものなのか。写本とはどのようにして作られるのか。パリンプセストにするとはどういうことなのか。この写本はどこで作られ、どこでパリンプセストにされ、なぜ20世紀末にぽっかり表れたのか。パリンプセストはこれまでどう扱われてきたのか。貴重なのか、そうでもないのか。パリンプセストから写本の文字を読むのは難しいのか。不可能なのか。どんな技術が試され、用いられているのか。これは、文句なく面白い!
しかし、ノエルは数学はさっぱりわからないわけで、いろいろとツテを頼って古代ギリシャ数学の専門家を探します。そこで登場するのが、スタンフォードのリヴィエル・ネッツ。処理された画像からアルキメデスが何を書いているのか読み解いていくのはネッツの仕事です。
偶数章は、そのネッツが書いています。アルキメデスの当時、数学はどう扱われていたのか。それは現代の数学(特に、ニュートンやライプニッツが作り上げた数式を用いる微積分学)とはどう異なっているのか。そして、今回の発見が我々がアルキメデスと古代ギリシャ数学について知っていたことをどのように広げ、あるいは覆したのか。それは現代的にどんな意味があったのかを軽やかに語っています。正直言って、微積分学のコンセプトを理解していないとちょっとこのパートの真髄を味わうのは難しいかもしれませんが、設問のテーマと雰囲気は中学校までの幾何学で十分わかります。高校で微積分を習っている(そして、まだ覚えている)人は、無限小とlimitを用いた計算なしに鮮やかな手法でアルキメデスが曲線や立体の求積をする様を見て、是非、驚嘆してみてください。
いやあ、これは面白い話ですな!
ちなみに、パリンプセストの画像化の部分はスペクトロスコピー(分光学)の話なので、私はある意味、昔取った杵柄。「んあ?播磨のSpring8にでも持ち込んで走査X線分光でもすればいいんじゃないの?」と途中で思ったら、最後はまさにSLACに持ち込んでたので、やっぱりなと思ったり(笑)
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古代フェニキア人から紀元前のギリシャ人、ヴァイキング、ポルトガルとスペインの大航海時代、新大陸貿易、キリスト教宣教師達、そして、日本の鎖国への道・・・と海を渡る世界史上のトピックを軸に、なんだか著者が語りたいことを雑学っぽく書き散らしてあります。
と書くと、聞こえは悪いんですが、確かに体系立ってないので教科書的な使い方にはまったく向かない本ですが、逆にこういうテーマの大学の講義があって、先生が自分の興味があることを面白おかしく語ってくれるんなら、それは人気がある講義だろうなと思います。なんか、妙に砕けていて、しかも時々なぜか歴史上の人物に名古屋弁でしゃべらせるのがおかしい(笑)
例えば、ヴァスコ・ダ・ガマがインドに行った話は、こうなっちゃってます
ガマがカリカットの王に拝謁することになったとき、彼が調えた品々は、帯十二枚、緋の頭巾四枚、サンゴの数珠四連、鉾を入れた包み六個、砂糖一箱、オリーヴ油二樽、蜂蜜二樽であった。
と、王の家臣はこれを見て、雅びなカリカット弁でぶちかました。
「あのよォー、メッカやインドからやって来ゃあーず貧乏たらしい商売(しょうびゃあ)人でも、これよか、なんぼかマシなもの持ってくるがね。もし、どーしても贈り物してゃあ言やーすなら、黄金を持ってくるがええだ。そーもすりゃ、わしんたらーの朕さんもおよろこびになるべっちょ」
そんな雅びなインド人はいない!(笑)
それにしても、こういう本を読んでいると人類ってのは、何かって言えば略奪して強姦してるわけで、なんかげんなりしてしまいます。特に、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に何をしたのかというところは、もう少し突っ込んで勉強してみたいですね。インカとアステカを滅ぼしたってのは良く知られるところですが、じゃあ、北アメリカ大陸は未開の荒野で、インディアンが細々と暮らしていたのを悪いアメリカ人達が追い払っただけ・・・なのかは近年、疑問が示されているところですよね。
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ツンデレ、つまり「ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害」の女の子の苦悩を描いた切ないマンガ。
・・・いやあ、ツンデレを病気にする発想はなかったわ。
結局、ディスコミュニケーションの話なんだけど、ツンデレでそれをやって普遍的な感情をあぶり出すのはすごい。なんつーか、「最終兵器彼女」のギャグバージョンという香りすらしますな
うーん、エロいけど、なんなんでしょう、このサツバツとした感じは・・・
メガネ男子ブーム・・・。すまん、それはさすがに全然わからないです(笑)。でも、本屋の店員さんって、本好きにとっては憧れの職場の一つではありますよね。
ユキヒロのファンで、高野寛のファンで、原田知世のファンなので買わないわけにはいきますまい。
ちなみに、私の中の原田知世の代表曲は「さよならを言いに」です。かっこいいよー
突如、どうしても「Frends」が聞きたくなりました。なぜiTune Storeにないんだ!
「世界同時多発トロ」の水無田 気流の詩集。か、かっこいいよ、これ!
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「Web+DB Press」で広告の間のカラーページにそっと入ってい(て、つい見逃したりす)る小飼弾さんのインタビュー記事が本になったものです。
インタビュイーは、RailsのDHHだったり、PerlのLarry Wallだったり、twitterのEvanだったり、Pragmatic ProgramerのDave Thomasだったり、Seasarのひがさんだったり、はてなのid:jkondohとid:naoyaだったり、livedoor Readerのma.laさんだったり、まあ、この業界で仕事してて名前を知らなかったらモグリというような人達ばっかり。どの話もそれぞれに人柄が出ていて楽しいですね。
でも、それ以上の感想はあんまりないかも(笑)。なんでしょう、例えば、ここの出てくる人を梅田望夫的文脈のロールモデルにしたいかというと、なんか違うような人ばかっりですしねえ・・・dankogaiは一番違うしね(笑)
どうなんでしょうねえ、我々のような仕事(っていうのは、大手SIerのSEってことだと思ってください)をしていて、かつ、ヒーローっていう人が出てきてもいいのにね。
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日本人の中には日常、それほど宗教を意識しないで生きている人も多いと思います。私もそうです。信仰について尋ねられても、「無宗教です」と答えざるを得ません。ただ、神仏に祈ることを否定する気持ちもありませんし、積極的無神論者というわけではありませんから、マナーとして宗教的な場所や機会にはその宗教のやり方で神を敬うという姿勢です。
寺院を参拝したり、教会での結婚式に参加したりするときにはそんなもんで十分なわけですが、世の中にある宗教はそれだけに留まりません。3大宗教の一つのイスラム教についておなじことができるだけの知識があるとは言えませんし、日本ではイスラム教以上に日本独自の新宗教に接することが多いわけです。でも、その中で最大の勢力を有する創価学会についてすら、私は何にも知りません。
というわけで、この本は有名な日本の新宗教を10ほどリストアップして、その成り立ちについて簡単に紹介してくれている本です。リストアップされている新宗教は、以下の通り
- 天理教
- 大本
- 生長の家
- 天照皇大神宮教と慈宇
- 立正佼成会と霊友会
- 創価学会
- 世界救世教、神慈秀明会と真光系教団
- PL教団
- 真如苑
- GLA
ありゃ?アレがないよ、コレがないよ?という疑問が沸くでしょうが、まあ、そこはそれ。一応、筆者はカルト的な性格を持ち、反社会的な活動をする団体は除いてあると言っていますので、アレとかアレとかがないのはそのためかもしれないしそうでないかも(笑)
関西に住んでいると天理教やPLなんてのはお馴染みですけど、じゃあアレが仏教系なのか神道系なのかどちらでもないのかと言われるとさっぱり知らなかったりします。というわけで、入門書としてはすっきりまとまった良書だと思います。内容も、どちらかというと団体の成り立ちや沿革に関する記述が中心で教義にはあまり立ち入らない形でまとまっています。
基礎的な知識を得るための本ということで感想を述べる必要も無いのかもしれませんが、全体を通して感じたのは「組織を維持するというのは難しいものだな」ということです。いくつかの教団の創設にはパターンがあります。例えば
- カリスマばあさんが出現。神懸かる。近所の人気者に。
- ばあさん大人気につき、ファンの組織化の必要性が生じる
- ばあさん、死去。後継者問題勃発
- リーダーとして有能な2代目が組織を固める
てなところでしょうか。天理教はこの典型でしょう。おそらく1の段階というのは日本中、特に地域の結びつきの強かった過去の日本ではそんなに珍しいことではなかったでしょう。それを現在まで残る組織として作り上げるには、様々な試行錯誤と努力があるのだと思います。カリスマばあさんはヘンテコな能力で多くの人を助けたかもしれませんが、後々に通用する立派な教義を残しているとは限らないわけです。自分にはそのヘンテコ神通力はない。しかし、すでにある組織を解体すれば皆が悲しむ。路頭に迷う。うーん、ドラマですよね。
ここで紹介されてる中では、その意味ではやはり大本の話が興味深いし、著者も研究者として「大本のことだけは研究すまい」と書いてあったりします。ちょっと興味が湧きました。
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各地で評判がいい「碧陽学園生徒会議事録」シリーズ。内容は、美少女キャラを一式取りそろえて生徒会メンバーと称し、部屋に閉じこめてダラダラ会話させるだけ(笑)
なのに何でこれほどまでに評判がいいかといえば、単純に面白いからなんですけどね。作者自身が絶妙にキャラをいじる感じと、そこに縦横無尽に取り混ぜられるネタ会話、いい感じのメタな言及。まあ、どのキャラとどのキャラがボケとつっこみをやっていてもなんかおんなじなんで、キャラが立っているかどうかはびみょーなんですけど面白い。
一応、漫才の外枠として仕掛けも用意しているように匂わせてはいるんですけど・・・それを持ち出してきたからといってこの話がより面白くなるかは、なんか微妙な感じですよね
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SFらしいSFでした。邪馬台国を納める卑弥呼のもとへ未来から異星人の侵略者とそれと戦う戦士が現れて・・・という極めて正当派な時間ものSF。オーソドックスなだけによく練られていて、世界観も細部も完成度は高いです。
目次の仕掛けも、いいですね。カラクリに途中で気がつくわけですが、登場と同時に戦いに疲れていた「使いの王」が疲弊していく様子をたどっていくうちに目次のカラクリに読者が気がつくことで効果を増していると思います。卑弥呼のキャラも愛らしいし、最後は悲しい話ではありつつも希望のある展開で、カタルシスも満点。浜松からの帰りの新幹線の中で読んでいて、最後の決戦の部分で丁度最寄りの駅についてしまったんですが、読み終えるまで15分、そのまま駅のベンチで読み続けるほどの盛り上がりでした。大満足。
円城塔のように従来のSFの枠に収まらないハッチャケたものを書いてくれる人も居れば、小川一水のように完成度の高い正当派SFを書いてくれる人もいる。今の日本SF界は豊作って言ってもいいですよね!
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今年の直木賞ノミネートの一冊。「となり町戦争」もノミネートされてましたが、今回はどうなんでしょう。ということで、名前だけは知っていた三崎さんの新作を読んでみました。
この作品は短めの短編集で、「鼓笛隊の襲来」は表題作。20頁ほどのお話ですが、出だしからおかしい。
赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。
鼓笛隊は、通常であれば偏西風の影響で東へと向きを変え、次第に勢力を弱めながらマーチングバンドへと転じるはずであった。だが今回は、当初の予想を超えて迷走を続け、徐々に勢力を拡大しながら、この国へと進路を定めた。
なかなか意表を突いてくれるじゃありませんか。
その他の短編も日常の風景をするりとずらして、ある一部が我々の現実とは違う社会を描くことによって何か、説明の難しい「何か」を描き出そうとしています。私の目からみるとこれは完全にSFの手法で、やっていることは円城塔のそれにかなり近いです。円城塔がSFの手法でSF自体をずらそうとして、それ自体が目論見になっているのに比べて、三崎亜記は「現実を書くためにファンタジーの文脈を用いる」という姿勢の基に現実を狂わせた物語を書いています。三崎亜記の方が深みのあることをやっているとも言えるし、円城塔の方がメタレベルが一段上なので三崎亜記は「普通だ」とも言えるかもしれません。今作は短いこともあって、少し、星新一っぽくもあるかも知れません。特に「校庭」はそんな雰囲気でした。表題作はもっとばかばかしい面が前にでてますけど。私は、バカ話のほうが好みです。それに、バカ度が低いとあっという間に平凡な話になっちゃいますしね。
それにしても、三崎亜記は間違いなく確固たる才能だと思いますが、この作風でどこまでスケールの大きな作品が書けるのかは疑問に感じます。その疑問は「となり町戦争」を読めば明らかになるのかな?
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これも、文化系トークラジオLifeの「文化系大忘年会」で斎藤哲也さんがオススメに挙げていた本です。
プロの哲学者が大学入試の出題となった文章をプロの哲学者の用語や技法(なんてのがあるのかは知りませんけどね)を全く使わず、私たちと同じ思考プロセスでじっくりとその価値がある文章を読み解き、整理し、設問に答え、設問自体の意図を問い、予備校の出す回答例を紐解き、解説を解説。その結果、新書1冊300頁を使って4問しかできないワケです(笑)
しかし、これだけ気合いを込めて分析的に文章を読むことはそれこそ入試の時以来かもしれません。そもそも、私の場合は高校でまともに現代文の勉強および試験対策なんてしたことありませんけど。それだけになかなかにエキサイティングな本でした。
ただ、出題されている文章のレベルがちょっとちぐはぐなのが気になりました。4問のうち、前半の2問は面白かったのですが、後半はちょっと比べると文章の格が落ちるように感じられたのが残念です。
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最近公開された映画の原作だそうです。小説ではなくノンフィクションで、なかなか迫力のある文章。ベストセラーになるのもわかります。
カジノのギャンブルなんて、基本的には必ず胴元が勝つようになっているワケですが、唯一、ブラックジャックだけが統計学を利用することでプレイヤーが勝つことが可能なんだそうです。場に出たカードをカウントし、山札の中に10以上のカードがどのぐらい残っているかから自分の手の確率を計算しすることが出来ます。もちろん、違法行為ではありませんが、高い技術が求められます。これが、「カードカウンティング」です。
しかし、問題が2つ。まず、所詮、確率論なのでプレイヤーが有利に出来るとしても、それこそ「ブッつぶす」ほどの大もうけをすることは出来ません。そして、仮に大もうけできたとしても、カードカウンティングをしていることがカジノにばれれば、それが違法行為ではないとしても、もう二度と中には入れてもらえなくなってしまいます。
この常識に立ち向かって、ヴェガス中のカジノから何百万ドルもお金を奪い取った若きMITの天才頭脳たち。彼らはどんなやり方をしたのか。大金を得た彼らの人生はどうなったのか。それは本を読んでみてください。
映画の方は・・・ネットではあんまり評判がよろしくないようですねぇ。というか、この話、映画でちゃんと観客がわかるように説明できるんでしょうか?(笑)
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変わった作家ですねえ。古川日出夫さんの小説を読むのは、「アラビアの夜の種族」「サマーバケーションEP」に続いて3冊目です。
第二次大戦末期、撤退する日本軍に置き去りにされた軍用犬たち。その犬たちとその子孫がたどる数奇な運命を軸にして、戦後史をつかみ取ろうとする大胆な試みがされてます。歴史小説で登場人物はすべて実在の人物だけど(狂言廻し役の)主人公だけが架空の人物というパターンはよくあると思いますが、その主人公役が軍用犬になっているわけです。
もちろん、ただの目新しさだけでそうなっているわけではなくて、軍用犬を主人公にすることにより、犬たちはどんどん繁殖し、数を増やし、人の住むところ、そして、戦争のある至る所(アラスカ、ハワイ、ベトナム、アフガン、ソ連)に広がります。そのことが、戦後史を冷戦を軸に捕らえる視点を強化しているし、また、人間の行いをすこしだけ違った側面から見ることにも成功しています。
それにしても、これも独特の文体。前に読んだ「アラビアの~」も「サマー~」もそれぞれに変わった文体でしたけど、これもえらく変わってます。それに、前の2冊にはない勢いを感じるんですよね。削り取り方が荒々しいというか。面白いかと言われれば、ちょっくら微妙な小説なんですけど、間違いなくすごい小説ではあります。もちろん、例によってドラマツルギーや起承転結や上手な伏線なんかには縁がないんで、「なんじゃこりゃ」っていう人も沢山いるとは思いますが。
さて、次は何を読めばいいのかな。とりあえず、次の文庫落ちを待っておきましょうか
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Googleっは、あっという間に世界を作り替えてしまいました。インターネットにおける検索サービスというのは、それこそインターネット自体や、もっと言えば活版印刷ぐらいの革命的な技術です。今となっては当たり前のように「ググって」いて、ググレカスなんて言葉もあるぐらいですが、Googleの登場以前、インターネットYP(これ、書籍)、Yahoo、altavistaの頃までは、インターネット上のどこに求める情報があるかを示す索引を機械生成できるかどうか、それが人間が求める、使えるレベルになるかということはまったく自明のことではなかったのです。コンピューティングの性能の限界という問題以前に、そもそも可能かどうかがわからなったんです。
そこへpagerankという概念をひっさげてGoogleが登場。Googleの素っ気ないトップページから入力すれば、有用(っぽい)な順に検索結果が並んでいるというのは、画期的でした。
ただ、その画期的なシステムを支える別の側面については、その存在意義も含めてあんまり語られることがなかったように思います。ここ数年、注目されてきた「クラウドコンピューティング」という側面です。
皆さんもWebを使っていて実感があると思いますが、どんなWeb上のシステムでもアクセスが集中すれば遅くなります。大量の情報を処理するのは時間がかかります。にも関わらず、Googleの検索結果はいつでもすぐに返ってきますし、私が今夜公開するブログは数時間後には(もっと早い?)Googleの検索結果に載ってきます。これは、すごいことです。
世の中に存在するWebアプリは、ほぼすべてがOracleやDB2などのRDBをストレージにしています。ただし、この仕組みでは大量の処理を捌くにはRDBの負荷分散やチューニングが必要です。しかし、おそらく本当にGoogleがやっているレベルでの大量処理はRDBでは不可能です。そこで何が行われているかが書かれているのが、この本です。一応、誰でも読めるレベルで書かれていますが、本質的な理解は、なんらかのプログラミング言語でのプログラム作成の経験があり、「ファイルのオープン」と「メモリのアロケーション」のイメージが出来ている必要があります。
めちゃめちゃ単純化していえば、Amazonやはてなは、本質的な仕組みとしてPC上に「ミニAmazon」「ミニはてな」を作って動かすことができる・・・つまり、OSやファイルシステムやプログラミング言語はすでに確立されたものを使ったアプリケーションとして作られているけども、Googleはそのレベルから自分で作っているということなんです。もちろん、そんな七面倒くさいことが必要なのは、Googleほどのことをやる時だけでいいわけですが、逆に言えば、世界でGoogleだけがそんなことを本気でやって、今、まさに年中無休で動かしているわけです。すごいことです。
とにかく、Googleは何を実現するために、何が必要で、何を作っているのか。SEだったら知らないと恥ずかしいとすら思います。ともかく読め。で、読んだ後、さて、Googleをもう一個つくるにはいったいどうしたらいいか考えて途方に暮れてみましょう。しかし、我々の世の中にとって、Googleのオルタナティブがないことの意味ってのは、どう考えればいいんでしょうね。悩んでしまいます。
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これも文化系トークラジオLifeの「文化系大忘年会」で仲俣暁生さんの2007年のベストとして紹介されていた本です。
nacにコレを読んでると言ったら、「ベネディクトアンダーソンなら『想像の共同体』ですかね。
読んでないけど。」と言われました。えっ?有名な人なの?(笑)
というわけで、読みました。講演なので平易な日本語です・・・が、ダメだ。この話を理解するには教養が愕然と違いすぎる(笑)
ナショナリズムの起源を19世紀初めの出版に求め、グローバルなナショナリストのつながりからグローバリズムを紐解くという視点は面白いです。面白いですが、その視点からどういう知見が生まれてくるのかとか、現代的な意義とか、そういうのがよくわかんない・・・。うーん、「想像の共同体」を読まないとダメか?
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バカテス4巻目。この調子で、どんどん行きましょう。
3巻のラストで急に上昇したラブコメ度を保ったままのスタート。その分、バカ度が↓ですが、私はこっちの方が好みかもしれません。つかね、やっぱツンデレですよ。美波かあいいよ。今作の引きも、更にラブコメ路線が加速しそうな雰囲気です。次も期待してますよー
そういえば、瑞希は今回、見事にヒロインの座から陥落していますが、それ以上に意外だったのは表紙の美春がえれぇ可愛いことですな(笑)
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クラーク追悼の意味を込めて、買って積んでたこの本を読了。ちなみにクラークが亡くなったのは3/19のことなので、時機を逸するにも程があるという感じです。
さて、感想なんですが・・・んー、さすがに古典だけあって散々パクられた後だからか、何の新鮮味もありません(笑)
ファーストコンタクトとその後の人類の行く末が語られているわけですが、夢に満ちた話というわけでもありませんし、結局、オーバーロード達が何をしたく、そして、何をしたのか、イマイチ整合性がとれてないような気もします。まあ、別にいいのかな。ジャンの見るオーバーロードの世界の描写は今となっては余計な気がしますが、彼が地球に戻ってくるってのがこの話のもうひと味違うところになっているわけですよね。ラストシーンは、なんとも言えない感覚があります。清廉な終末感とでもいうのかなあ
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最後発のラノベレーベルとして注目されて新設された小学館 ガガガ文庫ですが、ここまでオリジナルとしては田中ロミオの「人類は衰退しました」以外にこれといった話題を作れないままでした。そこへやっとこ評判のいいオリジナル作品が登場したようです。方々でベタほめです。
「美姫を守って単機敵中翔破、1万2千キロ。やれるかね?」レヴァーム皇国の傭兵飛空士シャルルは、そのあまりに荒唐無稽な指令に我が耳を疑う。次期皇妃ファナは「光芒五里に及ぶ」美しさの少女。そのファナと自分のごとき流れ者が、ふたりきりで海上翔破の旅に出る!? 圧倒的攻撃力の敵国戦闘機群がシャルルとファナのちいさな複座式水上偵察機サンタ・クルスに襲いかかる! 蒼天に積乱雲がたちのぼる夏の洋上にきらめいた、恋と空戦の物語。
と、上がガガガ文庫のサイトから持ってきた裏表紙の紹介文。まあ、よくある話ではありますし、飛空挺の話ということで、「紅の豚」がそのイメージのモチーフにあることは間違いないでしょう。ファナの人物設定も、シャルルの生い立ちも、また、戦争をしている二つの国の設定も、どこか借り物でそれほど凝ったものでもありません。しかし、丁寧に丁寧に当たり前の話と伏線を丁寧に積み上げて、揺れる二人の心を繊細に書き、胸躍る空戦で楽しませてくれる佳作。
そして、ラストシーンの描写は抜群にいい。かっこいい。最後まで読み終えて、この印象的な表紙を改めてみると「あぁ~」って・・・ネタバレになるからこれ以上書けないですけど、感じるものがあります。ただ、中のイラストはどうかというものが多かったんですが・・・。もうちょっとハード目のイラストがあう話だと思うんですよ。
というわけで、堪能。でも、やっぱりあまりにも敵方の設定を旧日本軍に似せすぎてる辺りが減点かな。たぶん説明を省くためだと思うんだけど、どうしても横着したように思えちゃう。佳作どまりですかね~
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前作で、これまでの「ホロの故郷を探す」という旅の目的を一時、棚上げして、新たな旅の仲間と新しい旅の目的を手に入れたホロとロレンス。それは、作者からの「この二人の話をもっと続けるよ!」というメッセージを含んだ開幕ベルでした。そして、いよいよ躊躇無く新しい物語がスタート。そして、いきなり前後編(笑)
そんなわけで、相変わらずホロとロレンスはラブラブで、ロレンスはヘタレ。それは変わらないんですが、本格的な陰謀話が動いてきました。
悪役として、前々巻から登場の没落貴族女商人エーブが
バリバリ活躍してます。おそらく登場させた時はここまで大きなキャラクターにするつもりはなかったんだとおもいますが、なかなかどうして、りっぱなものです。
そんなエーブにロレンスは、裏切られて、殺されかけて、利用しかけて
脅されて、誘惑しようとして、ほだされかけてます。まるで敵う様子はありません。ある街の長年の対立構造に巻き込まれ、一方の手先であるエーブと、他方はローエン商業組合の商館の主。二人から「お前はこっちの味方だよな?違うって言ったらヒドいぞー」と脅されて自分の命の軽さを思い知りまくり、ビビリまくり。さあ、ここからロレンスの逆転の一手は・・・というところで、それは後編のお楽しみ。
ついに、作者がある程度の長編になることの覚悟を決めて始めた新展開。話の着地点を迷っているようなこれまでの展開とは違ってぐっと走り出した筆の勢いは素晴らしく、これまで以上に魅力的な話になってきました。支倉さんが力一杯取り組んでいることがよくわかって、嬉しくなるような一冊。後編が楽しみです。これでハルヒみたいに後編がずっとでなかったら、グレますぜ!(笑)
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いよいよ「文学少女」も最終エピソード。最後は上下巻です。 今回のお題(?)はジッドの「狭き門」。
前々巻で"ラスボス"も倒して、番外編でちょっと息を抜き、最後にこの世界の謎の根源である"文学少女"の秘密を語って終わり・・・という話だと思っていたら
りゅうおうがしょうたいをあらわした
ああ・・・真のラスボスが。美羽、中ボスに格下げです(笑)
しかも、誰にとっての敵かといえば・・・我らが愛すべきツンデレーションの鑑、ななせちゃんです。もうね、読み終わっての感想は
コトハコロス(-_-#)
の一言に尽きます。まあ、前巻で番外編とはいえ、遠子と心葉のただならぬ夏の思い出が語られた時点で怪しいと思うべきでした。
やー、最終的に我らがななせちゃんのレモンパイが勝利することは確定しているんです。それは前回のラストから明らかなんですが・・・ななせちゃん、やっぱこの男はヤメトケ(笑)
はぁ~、まあ、それ以上のこの話の本筋の部分は、下巻が出てみないと何も言えないかなあ。
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妖精さんほえほえラノベ第3巻。
ただし、この世界でのほえほえ成分はあくまで妖精さんから分泌されているらしく、とある事情で妖精さんがいなくなってしまうとたちまち物語は、生きるか死ぬかの大サバイバル冒険譚へと変貌します。
その中で、この世界で人類に何が起こり、結果、衰退していったのかという一端が語られます。
そして、人間の科学技術に満ちた世界と妖精さんほえほえ世界は共存しえぬことが明らかになり、主人公は当然のことながら選ぶことになります。豊かな暮らしを振り切って。その代償は・・・
・・・あら?ぜんぜんほえほえじゃないですな(笑)
といって、これまた前巻までと文体が変わってしまったというわけではありません。主人公はあいかわらずの性格ですし、妖精さんもいつもの口調です。ただし、今回は時々鬱入ってますけど(^^;。しかし、前回が認識にまつわるハードSFばりばりだったのに引き続き、今回は人類の未来と宇宙にまつわるハードSFばりばりです。この文体なので、かえって微に入り、細に入りといった描写はできない(そもそも、お菓子作りにのみ才能があり、ブラックホールも知らないものぐさ女子の1人称ですから)ために、読み手側により強いSFの教養が必要になります。うーん、もっかい読まないとよくわかんないっす
ここまできたら、もっと世界の謎に迫ってもらいたいですな
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Fate/stay nightの10年前、前回の聖杯戦争を描いたノベライズです。一般には流通していない、いわゆる同人誌なので今までは通販か、同人誌ショップに行かないと買えなかったわけですが、今回、Amazonで取り扱うことになりました。これで気軽に買えますね。もちろんISBNついてませんから、扱いは「ソフトウェア」。買いあぐねていた人も多いのでしょう。今も「ソフトウェア」のトップセラーリストの上位10位までに4冊ともランクインしてます。
というわけで買いました。しかし、ゆえあって、読む前にドック(仮名)に貸すことになりました。早く読んでね~
・・・というのもシャクなので、何とか1巻だけ先に読んだんですが、うん、面白い。ガチガチのきのこ節の「空の境界」はかなり読むのに苦戦したんですが、こちらは別のシナリオライターさんの作(ただし、作風をわざと似せてあるらしい)でほいほいと読めます。登場人物も、言峰、セイバー、アーチャーあたりはお馴染み。さらに、新キャラのライダー(真名はイスカンダル。正々堂々と名乗る^^;)のバカっぷりもステキ。この、金ぴかさんとでっかいバカに翻弄されるマジメっ子のセイバーが可愛い。聖杯戦争としてはいろいろとイレギュラーな展開になるFate/stay nightですが、こちらはガチンコの聖杯戦争。迫力が違います。うーん、面白いじゃないか
繰り返します。早く読んでね~
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情報システムを構築しようとしている顧客企業担当者に向けて、IT業界の人の生態を紹介して、彼らとうまくつきあうにはどうしたらいいかを説く本です。例えば、いわゆるSEとプログラマが違う職種だということを知らないひとは多いですからね。読んで参考にしてもらえれば・・・が、こりゃ私が読んでも面白いな。
とにかく、抜粋。運用系ってこんな人
特にインターネットが登場して以来、365日24時間稼働といった、いじめとしか思えないようなシステムが増えているので、システム障害が起これば運用系要員はたとえ午前4時であっても出勤することになる。怒られるために。
プログラマとコーダって違うの?
両者を厳密に区別している職場で、プログラマに「コーダさん」などと話しかけると、速やかにその場の気温が5度下がる。
SEさんてどんな仕事?
一般的には35歳ぐらいまでに次のステップ(職種)に進まないと、業界内における存在が危ぶまれるといわれている。その「35歳SE定年説」は、加齢とともに新しい技術知識を習得する速度や能力が鈍磨するから、と解釈されているが、むしろ徹夜に対する耐性が下落することの影響が大である。
システム営業ってどんな人?こんな人
いわゆるシステム営業、テクニカルソリューションアドバイザなどの肩書きを持つ人々である。まあ、要するに「技術をかじった営業」とか、「人見知りしないSE」程度の意味である。
オペレータさんてどんな仕事?
本書は主に顧客の立場でSEとつきあう方法を論考する書物であるが、間違って将来オペレータを志望する人が手に取っている可能性を考えて警告する。志望する会社に小綺麗な仮眠室や遊戯室、シャワールームが完備されているからといって、感動したり感謝したりしてはいけない。つまり、家に帰れない会社だということである。
オペレータにもっと光を。もっと給与と有給休暇を。
心が、心が痛い。でも、腹筋も痛い(笑)
まだ、第1部「SEという人々」までしか読んでませんが、第1部の最後はこうまとめられてました。
本書で想定している主読者である顧客の方は、IT企業の構成員たちはこんなに壊れているのか、と不安に思われたかもしれない。実際にはこれ以上に壊れているので、本書は準備運動のお手伝いをしている程度である。
だが、彼らは壊れてはいるものの基本的には善良であり、付き合い方さえ間違わなければ得難いビジネスパートナーになってくれるだろう。
コワレモノ注意でございますよ。
いやあ、普段、我々が接することが多いお客様は大抵がその企業での情報システム部門の人なので、同類というか、こういうことをご存じないわけではないですが、たまーにいわゆるエンドユーザー(最終的にシステムを使う人)と話をしたりすると、SEってなんだかわからない人はまだまだいるわけで。そういう方に読んでもらうと、我々への見方が変わるかも。良くも悪くも
つか、とりあえず、ウチの親に読ませよう(笑)
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押井守さんと岡田ださく・・・もとい、岡田いさくさんの「戦場のリアル」をAmazonで注文し(たけど、まだ届かなかったりし)たら、「これも買っています」でお奨めされた一冊。なんだこりゃ?
んとー、表紙のような萌えキャラのみなさんが、海兵隊のスラング盛りだくさん英語を教えてくれる本です。例文に
Your puny little ass is MINE! Just stand the fuck by!
「あなたのプリティなおケツをたっぷりかわいがってあげるから楽しみにね!」
なんて素敵な、外人に聞かれたらその場でぶん殴られるかホントにケツ掘られそうなものが載ってます。あまつさえ、素敵な女性声優さんたちが発音練習してくれるCDまでついてます(笑)。あー、「アームズマガジン」の連載なんですね。さすがホビージャパン。へんなところで命知らずです。
ちなみに、公式サイトはここ。こちらもネタが危なすぎて大爆笑ですな
歌もついてます。
海兵隊員さんたちの大好きなランニングケイデンス(Running Cadence)をまりたんとあーみーさんの声にあわせて歌っちゃおう!おうちの人にきかれないように注意してね♪さあ、いくよ
注意してよじゃねえよ(笑)
あ、ここで視聴出来るみたい。いいのかー?
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「なぜ若者は3年で辞めるのか」の続編・・・というには、ちょっと中身が散漫です。
というのも、この本はWebちくまで連載されていたものをまとめたものだというだけでなく、その連載が「これまでの昭和的な価値観を外れている若者に関するドキュメント」だからです。まあ、ドキュメント(それもひとつひとつはそう長い文章ではない)をまとめたものがそんなに一方向にすぱっとまとまっていたらそれはそれで作為的なので、論の体を成してないというのは当然で、仕方がないことでもあります。
だから、ひとつひとつの話を興味深く読んだんですけど、読み終わった後に「で、どうすりゃいいんだろう」と思ってしまうのです。
ここのところ、私が多く目にする議論は「ロストジェネレーションは、『勝ち組・負け組』なんて言われて世代的に水平なところと無理矢理に競争させられていたけど、本当に戦う相手は同世代だったのか?」というものです。「今時、都銀に勤めてるなんて、時代の流れがわからない負け組」「フリーターはもっと努力して正社員目指すべき」という論調から、「俺たち、横の連携で運動とかするべきだったんじゃね?」という流れが出来てきました。まあ、赤木智弘さんがきっかけですかね。ですが、団結するべき若者達は、心が弱すぎて友達もロクに作れず学歴も低いとなると、革命運動を引っ張る「調子いいが人をうまく動かすバカ」と「言説巧みにみんなをアジって喜ぶインテリ」がいないわけで、まあ、なかなか難しい。
なんか、自分で書いておいて最後の一文が微妙に自分の胸に突き刺さるけど、いいか。一応、アタシも勝ち組に入れてYO<をい
というわけで、いろんな人の生き方を見てふーんと思ったんですが、第三章の2節目、全体で22本掲載されている連載の最後のひとつ、「昭和的価値観22 『左翼は労働者の味方であるということ』」が、面白い視点をくれました。以前、ちょっとニートとフリーターについて書いてた時に読んだので、おおーっと思いましたね。
今、ロストジェネレーションについて語ろうとすると世代間闘争の構図をあぶり出します。つまり、以前の私たちが歴史で習った「持つものVS持たざるもの」の対立において「持つ」のは資本であり、資本家と労働者の間の闘争だったわけですが、それが今や「持つ」のは職になってしまい、サラリーマンVS非正規雇用者の間の闘争になりつつあるわけです。だって、倒すべき資本家なんてもう日本にはいないもんね。じゃあ、サラリーマンの方は戦う相手として打倒かと言えば、バブル以降入社の正社員は人員削減による過密労働、成果主義のプレッシャーと定期昇給なしの状態で体をぶっ壊すわ、鬱病になるわ、フリーターに舞い戻るわ、そんな有様。その上の世代はがっちりと既得権益を抱えて・・・家でニートを養ってたり?(笑)。誰と誰が戦えばいいのやら。
著者はあっさりと回答を投げかけます。「同一労働同一賃金」にすればいいと。40歳の正社員がやろうが、フリーターがやろうが、同じ仕事をしたら、同じ報酬を出せばよいと。まあ、私もそう思います。というか時代はそういう方向に行ってます。だって、自分が消費者だったらそう要求するんですからね。
で、本当なら左翼というか改革派はこぞってこれを打ち立てるべきですが・・・社民党や共産党がそれを出来ない。なぜならば、彼らは「労働者」の政党で、ここでいう「労働者」ってのは既得権益を抱えて成果主義とリストラに脅える正社員だから。「パートさんに俺たちと同じ給料を払え!」と労働組合が言うわけない。でも、そんな左翼が必要なの?批判票だけで食ってはいけないんじゃないの?
城さんは、痛烈に2つの党を批判します。この本で唯一、城さんの強い気持ちが全面に前に出ます。
そんな彼ら既存左派勢力にとっては、赤木氏のような若者の存在自体が、自らの矛盾を暴いてみせるパラドックスなのだ。といって、いまさら「すいません、実は私たち、体制派の保守主義者なんです」なんて、口が裂けても言えない。じゃあ、どうするか。別にスケープゴートを仕立て上げるしかないのだ。彼らがバカの一つ覚えのように「構造改革で格差が拡大し・・・」とお題目を唱えるのには、こんな理由がある。
うーん・・・全くその通り。はっきり言って、今、常識がある人で、社民党や共産党の意見に耳を貸すほうがどうかしてる。入れても私の1票が無駄になることは確実だもんなあ。さらにこんなことも。怒ってるなー
さらに言えば、社民党は2003年の選挙で大敗した後、「交付金も仕事も減ったから」という"どこの経営者でも言いそうな理由"で、党職員の4割ほどをリストラした輝かしい前科がある。まさにIBM並み、経団連会長もびっくりの荒技だ。社会全体に対しては明確に否定したアプローチでもって、自分のところの効率化だけは、ちゃっかり推進しているわけだ。この党が理念なんてものとは無縁な俗物だということが、この一点を持ってしてもよくわかる。
(中略)
言っておくが、自分は別に戦犯探しをしろと言っているわけではない。これは日本社会が向き合うべき問題であり、そしてそれを怠ってきたという事実を述べているだけだ。だが、スケープゴート論で論点をぼかし、結果的に問題の解決を遅らせてしまっている既存左派に対しては、激しい怒りをおぼえる。
50代以上は逃げ切れるかもしれない。でも、40歳未満はどこにも逃げる場所なんてないのだ。グローバル化の荒波の中を、上の世代が食い散らかしたツケを背負って乗り切らなければならないのだから。
うーん・・・ここでは触れられてないけど、これは自民党、民主党の主張と照らし合わせてもどうなんでしょう。上のような議論は正直言って政治で解決するのがもっともいいはずですが、私たち、ロストジェネレーションの声を吸い上げてくれる政党はどこなんでしょう?歳食ってるというだけで、時代に乗り遅れ、ろくな仕事も出来ないくせに私の倍の給料をもらってるやつをぶっとばすには、どこに票を入れれば?
自民党?でも、政権政党に票を入れ続けて変わるの?民主党?ジジィからもう少し医療費取ろうと言ったら鬼の首を取ったように批判しまくった政党が俺たちの味方?まさか・・・
結局、私たちが舐められてるってことなのですか?イジめても、得票に影響しない連中として。そのツケってのは確かにありそうな話ですね。うーん、考え込んでしまいます。
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岡田さんがロフトプラスワンでやった「オタク・イズ・デッド」というイベントの書籍化です。岡田さんが会場で感極まって涙を浮かべたという話が伝わっています。ご存じの通り、これ以降の岡田さんはオタキングとしてのオタク文化の喧伝、評論などから路線変更し、オタクとして鍛え上げられた視点を他の分野へ向けることで「世界征服は可能か」「いつまでもデブと思うなよ」などでヒットを飛ばしています。
まあ、ダイエット本はちょっと売れすぎだとは思いますが、本来の岡田斗司夫というのはこういう分析的な評論に定評がある人であり、いい加減アニメ界もオタク業界もつまんなくなってきたので、岡田さんのこの路線変更はファンとしては歓迎です。
という、きっかけのような本ですが、イベントから2年。ついに書籍かされました。
イベントでの発言をほぼそのまま収録した同人誌を買って読んでいたので、内容は知っていました。ここで描かれる「オタクであることがアイデンティティである」というオタク第3世代の分析はあまり釈然としない(し、私も今の若い世代のオタクの特徴を掴みかねているところもある)んですが、「オタク第1世代は貴族主義、オタク第2世代はエリート主義」というのは実感としてよくわかります。私はまさに第1世代に「ガンダム好きか。ほな『宇宙の戦士』は読んどけ」と言われて勉強した生粋の第2世代ですからね。「オタクの教養」なんて言葉が大好きです。
逆にオタク以外が読んで面白いのか、正直言ってわかりません。ところが、この本にはイベントで語られなかった部分が最後に付け加わっています。それが第8章「オタクの死、そして転生」です。
オタク第3世代を、自分を楽しませてくれるものだけを追い求めてそれを自分の内面の構築材料にし、外部との関わりに興味がない「自分の気持ち至上主義」と呼んで、この集団の誕生を高度成長時代の「昭和の日本」から不況が続き明日が今日よりよいとは思えない「平成の日本」へ社会が変わったことによって生み出されたと分析しています。この辺りは、以前紹介した「自分探しが止まらない」や、その他のいわゆる「ゼロ年代カルチャー」の分析にも通じるところがあります。
その上で、明日が今日よりよくなると思えない日本では「みんな大人になりたくないと思っている」として、それは仕方がないことだ。オタクの世界に依らない事だと綴っています。すぐキレる親、病的なクレーマー、過剰に謝罪を追い求めるワイドショー、健康と美容とグルメを無様に追い求めるシニア達・・・。自分たちは面白いものを選ぶ。自分たちは面白いものを育てる。自分たちは面白いものを学ぶ。自分たちは面白いものを自ら作る。こんな古い世代のオタクがみんな死に絶えたわけではないですが、もう「オタク」はそういう人達の集まりではない。それと同じで、今でも謙虚と思いやりと美意識のもとに生きていた日本人が死に絶えたわけではないけれど・・・みんなガキみたいな恥ずかしいことを平然というようになって、それをみんなおかしいと思わなくなっている。
それでも、岡田さんにしては珍しく「大人になろう」と呼びかけます。
自分の「純粋さ=子供な部分」を守るのは、自分自身の「大人な知恵と生き方」です。
日本人全体に呼びかけます。言葉は優しく、視線は冷たく。
「誰にでもある子供の部分は、他の誰かの大人な部分が面倒みてやるしかない」
家族や恋人や同僚や、上司や部下や、それどころか電車で同じ車両内にいるだけかもしれない、見知らぬ誰かの「子供な部分」というのは、その場にいるあなたの「大人な部分」でケアしてあげるしかない。その代わり、あなたの「子供な部分」は自分では気付かない、いろんな人たちの「大人な部分」できっと保護してもらえる。
もちろん「誰かのケアをするのは損」でしょう。損が嫌だから、面倒は見てもらうけど見たくはない!その気持ちもわかります。
「見てもらった分だけ返すならいいんだけど、どうせ損をするだけ」
ハイ、その通りです。
でも、そういう「一方的な損を引き受ける覚悟」を大人と言うんですけどね。
「一方的な得だけ、要求する根性」を子供っぽい、と言うんですけどねぇ。
この本は、「最近、オタクやっててもつまらなくなったよなあ・・・みんな今の状況をどう捉えてるんだろう」という寂しい第2世代オタクである私に取って「うん、もうキミらの好きだったオタクの連帯は、もうここにはないんだ」と、誰あろう岡田斗司夫に言われてしまったという意味でそれなりに大きな意味のあった内容ですが、この最後の1章によって今の日本人全体に取って、価値のある言説になっていると思います。
ま、読んで意味がわかるかはおいといて(笑)。実感としては、やっぱわかんないんだろうなあ
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桜庭さん、直木賞受賞おめでとうございます・・・ということで、初めて読みました。ラノベから一般書へ出世(?)していった作家として取り上げられることが多く、名前はよく目にしていたんですが、受賞会見を観るまで女性だということも知りませんでした(笑)
・・・うーん、ミステリーではないけどサスペンスな感じです。主人公が中学生の女の子で、それっぽいぐずぐずな文体で書いてあるので普通の小説だけを読んでいる人には違和感があるのかも知れませんが、今時こんなもん許容範囲でしょう。ラノベ読みに取っては、むしろふつーな感じ。
前半は、すごみが足りない「インストール」な感じで黄ばんだ青春ものですが、後半、尻上がりにテンションが上がります。後半はミステリーっぽい。ふむふむ。なるほど、ミステリー界に衝撃なんか与えないタイプ(笑)のエンターテイメント的なミステリーが巧そうに思えます。
「赤朽葉家の伝説」も読んでみたくなりました。
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電撃文庫Magazineを読んで、
「ほうほう、図書館戦争のスピンオフはこういう感じか。ま、郁と堂上のベタベタなのをこれ以上やっても胸やけするし、周りの登場人物に焦点をあてて語っていくのも面白いよな。キャラとしても進藤や彦根みたいにもっと掘り下げても面白そうなのもあるし、堂上と小牧の図書館大学時代や、稲嶺の若かりし頃の話も出来る。ラブな方面だって、玄田と折口もみんな気にしてるし、なんといってもメインディッシュは手塚と柴崎だし」
と勝手に納得し、単行本には雑誌に先行した緒方の話が入るものだと信じて疑わなかったのです。
この表紙を見るまでは(笑)
うへぇ。はぁとだ。帯にわざわざ
「武闘派バカップル恋人期間の紆余曲折アソート(恋愛成分が苦手な方はご健康のために購入をお控え下さい)」
・・・そうか、そう来たか。そういうことなんだな。わかった。覚悟しよう。
中身はいつもの図書館戦争でした。良化委員との抗争や権謀術策の部分はメインとの整合性もあるので抑え気味ですが、そうでなくても図書館にはいつもいろんな問題があり、荒唐無稽な設定の影に作者の問題意識がきちんと表現されているのもいつもの有川クオリティです。本編を読んだ人なら、まったく違和感なく楽しめるでしょう。
ただし!この目次を読んで勘のいいアナタが妄想するものは、ちゃんと全部含まれているので注意だ(笑)
一、「明日はときどき血の雨が降るでしょう」
二、「一番欲しい者はなんですか?」
三、「触りたい・触られたい二月」
四、「こらえる声」
五、「シアワセになりましょう」
特に、三、四あたりが気になりますね?郁と堂上があんなことやこんなことをするんじゃないかと気になりますね?
します(爆)
もうね、その部分はまんじゅう齧ったらアンコじゃなくて水飴だったというぐらいのベタ甘です。柴崎じゃなくても「ノロケばっかりでやっとられるかー」とグレますよ。えっ?嫌いかって?
大好物です
でも、一番笑ったのはこの部分でした。
張り込むポジションは最初から決まっている。閲覧室にいくつかある自習コーナーで、国文学の書架を一番見張りやすい机だ。開館時間と同時に手塚と閲覧室に入り、見張りやすい角度の席を差し向かいで二つ確保する。
「・・・勉強してる体裁ってどうやったら繕えるの」
「バカだ、お前はやっぱりバカだ」
郁ちゃん、図書館で勉強なんてしたことないんですね・・・オバカな子(笑)
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25巻目。すごいですね。良く続いてるなあ
今回は、パンクラティオンネタ。遠隔装備のうっかり投げができなくなったことなど、最近のヴァナでの話題を取り入れているところなど、プレイしている人だけがにんまりできるところが今回もあります。嬉しいですね
・・・というよりも、今回は新キャラです。ヒュームの暗黒騎士とミスラの黒魔道士のコンビ。せっかくのミスラなのにローブ姿で露出が足りないのが残念ですが、見事な前のめりパーティ。かたや、悪役は白魔のお姉様ととぼけたからくり士とおぼっちゃま。どちらもお笑い担当です(笑)
個人的にはもっともっと甘甘なラブコメでもOKなんだけど、お気軽な展開になってよかった。あ、今回はイラストレーターさんが変わってることもあって以前のキャラはだれも出てきません。ペタの皆勤賞が!(笑)
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また進化の話の本を読みました。
進化論を考えるときについつい我々がやってしまいがちなのが、進化を目的論的に捕らえてしまうことです。つまり、「キリンは高いところの葉を食べる為に首が長くなった」と考えることです。そうではなくて、単に首の長いキリンと短いキリンでは長いキリンのほうがたまたま少しだけ生存率が高かったということに過ぎないのが正解です。どこが違うのかと思う人もいるでしょうが、この自然淘汰の考え方と、環境から生物に加わる「淘汰圧」を理解することで、わかっているつもりだった進化論なのに、新鮮な視点を得られたりするわけです。
さて、人間だって進化の果てに今のような生物になったわけですし、今でも人間の進化は続いています。特に、環境の変化により大きな淘汰圧がかかることにより、人間の遺伝子プールに短期間に大きな影響を与えることがあります。
さて、この本のサブタイトルは「病気の遺伝子はどこから来たのか」とついています。今ではさまざまな遺伝病が知られていますが、なぜ病気になる遺伝子が進化の過程でこれほど広く受け継がれているんでしょうか。
それはもちろん、その遺伝子があったほうが生存に有利なことがあるからです。
この本の中には数多くの驚くべき知見が含まれていますが、その中でも普通の人も食いつきのよさそうな話をひとつ紹介します。
糖尿病になりやすい遺伝形質があるというのは、最近はかなり知られています。様々な複合的な要因で発病するかどうかが決まるようだとわかってきています(もちろん、肥満もその要因のひとつです>_<)。しかし、なぜこのような命に関わるような病気が淘汰されてしまわなかったのでしょう。血糖値が高いことによって人間はどんなメリットを受ける可能性があるでしょうか。
実は、氷河期の後、人類は極端な寒冷化の時代に遭遇したことがわかっています。そして、それこそ「血も凍る」ような寒さの中、インシュリンを作れなくなり血糖値が上がってしまった人の血液は、いわば「不凍液」としての働きをしたのではないかというのが、この本の説です。つまり、中年になってから糖尿病で早死にしようが、凍死するよりはよっぽどマシだったわけです。そもそも、子孫を残してからなる病気による淘汰圧は大きくないに決まってます。人類の一部は糖尿病の遺伝子を手に入れることによって生存の確率を高めたのです。ちなみに、ご想像通り、糖尿病のアフリカ人はほとんどいないんだそうです。
こんな話がいくつも出ています。この話は何万年か前の人類の進化の話ですが、別の話では中世のコレラの大流行がある遺伝病の遺伝子を生き残らせる淘汰圧になったという話が出てきます。コレラの大流行のような大量の人類を殺してしまうような、強い淘汰圧がかかった場合、人類の遺伝子プールに強い影響を残すということもわかっています。
とにかく、目からウロコが落ちる話がいくつもあること請け合いです。興味があるかたは是非、読んでみてください。
ちなみに、この本によると、白人が強い紫外線の環境に晒される、あるいは黒人が北欧のような日光の弱い場所に移動した場合、体色が変化するのに1000年程度しかかからないんだそうです。進化って意外に早いスピードで起きるんですね
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「ロストジェネレーション」という言葉があります。一般に就職氷河期を経験した世代。75年生まれの私はそのど真ん中の世代と言うことになります。
この世代の特徴的は、やはり、就職活動期に自分の存在価値を強く意識させられたと言うことでしょう。就職活動中に、10社、20社、はては100社と就職試験と面接にふるい落とされ、自信を失うと同時に、篩い落とす方便だろうと思いながらも「自分の長所はなに?」「自分の夢はなに?」「自分のやりたいことはなに?」とずっと問いかけられる日々。そんな日々が1年も続けば、人格形成に影響を与えないはずがありません。
重圧にドロップアウトする人、否定される日々に別の承認を求めて宗教に走る人、自分が足りないと思いこみ埋めるための旅に出る人、人生の価値を重く捕らえすぎサラリーマンに没せなくなった人・・・働く口がない、食い扶持が稼げないという、単にそれだけではない影響を私たちの世代は受けている。その事は感覚的にはわかっています。そして、その事を73年生まれの著者はキチンとまとめて提出してくれました。
「自分探し」といわれると、なんだか青春の象徴みたいなそういう甘酸っぱい、おもはゆい、そういう言葉だと感じられると思います。でも、この世代にとっての「自分探し」は、即座に生存に直結するほどの重さを持っています。そりゃそうですよ、「自分探し」が足りなければ今からの30年の人生が貧困のどん底かもしれない、無価値になるかもしれない。そう繰り返し繰り返し叩き込まれれば、何か違う自分、可能性の中の有り得た自分への幻想が高くなるのは必然でしょう
そして、著者はその「自分探し」を食い物にする人にも言及しています。「自分探し」すらが消費の一形態になる。いや、むしろ消費スタイル自体で自分を表現するというスタイルが有り得る以上、当然かもしれないですが。
でも、まあ、我々の世代は実感としてわかってる話だから、この本を読むのは確認でしかないとも思います。この時代を経て、平成生まれ前後はどういう感性なのか、そのあたりも知りたいところですね。
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読み始めるとすぐに違和感を感じます。この文体は何だろう。読みづらいけども、そのまま読んでいるとすぐに種明かしがあります。その瞬間、すっと腑に落ちて、そしてその世界がじんわりと暖かくなる感触があります。
文化系トークラジオLifeの年末の放送「文化系大忘年会」で柳瀬さんのお奨めの1冊として上がっていたのがきっかけで読みました。うーむ、これもある意味、童話。ファンタジー。ストーリーとしては、井の頭公園を基点に神田川の川沿いを海まで歩く。ただそれだけなんですが、それは、寓話に満ちた冒険。出会う人達は普通の人達でアリながら、まるでこの世のものではないような何かを持った人達です。
ちょっと感想書きづらいんですけど、これは素晴らしい。キャラクターでもない、プロットでもない、まさに、小説全体が何かを伝えてくる。ラノベやケータイ小説の対極にあるような小説です。こういう魔法を奏でられる人を、小説家と呼ぶにふさわしいんだと思います。部分を取りだして語ることが出来ないなあ
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ダ・ヴィンチのラノベ特集でも評判のよかったので、読んでみました。
あいた、あたたた、これはいかん。どこを評価していいか、わからん
今さら文庫まるまる1冊かけて「泣いた赤鬼」よまされたような気分です。序盤は結構良かったんです。主人公も魅力的。構成もしっかりしているし、描写もいい。心温まるいい話・・・なんだけど
どこもおかしなトコロがない
やはり、物語を物語るからには、何かどこか過剰であったり、不安定であったり、不条理であったりしないと作品に魅力がないと思うんです。ラノベってのは、本質的にキャラか世界観が過剰でなくてはいけないと思うんだけど、それもない。プロットにひねりもない。
うーん・・・、これを読んで感動して泣いちゃうような人は、ものごっつ歪んでるか、ものごっつ素直か、どっちかですな(笑)
まあ、童話だと思えば子供に読ませるのは構わないけど、賞とっていいようなレベルの本じゃないなあ。まいった。
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冲方丁はもちろん名前は知っていて、「マルドゥック」なんかも読んではみたいなーと思いつつ未読なんですが、最近文庫化された「ばいばい、アース」があちらこちらの書評ブログで大絶賛なのでこれを読んでみました。
こりゃ、すげえ
なんというんでしょうか。平べったい箱の中に、割とメタルでとげとげしたオモチャをごちゃっと盛って、むりやりに押し込めたような迫力があります。「マルドゥック」でSF大賞を取っている作者で、タイトルもなんだか出涸らしのSF短編みたいですが、内容はファンタジー。いや、ベースはそのタイトルから想像されるとおりのSF話なんです。
地球からエクソダスした人類が移住しようとした月の一都市。本当の人類は長らくカプセルに入れられていた主人公しか残っておらず、その人間が不自由なく過ごせるためのロボットやミュータントが独自の街を形成しているが、いつの頃からか、彼らも自我を持ち始め・・・
・・・なんて話を形だけ生かして、その上にファンタジー的異世界を構築しちゃってます。その異世界もまるで「十二国記」ぐらいのテンションで作り上げてます。「花」と書いて「とり」と読ませる奇想天外な生き物、木に実のようになる剣を持って悪と戦い糧をなす剣士達。正義と悪の作られた対立。そして、表れる<理の少女>。
第一巻の半ばまではその独特の世界観に慣れていくまでかなり戸惑いますが、主人公ラブラック=ベルが初めて楽隊に参加して戦闘に趣くくだりから猛烈に面白くなっていきます。そのストーリーの展開も見事ですが、この読ませる力は作者生来のものでじっくりと構成され企まれたそれではないようで、作者には何か書かずにはいられない情念のようなものがあり、それが強い力で物語をひっぱっている事がわかります。そのことが、世界をも作りこまれた感じではないごつごつ感があるものに仕立てています。また、そのために作った世界での独特の規則の名付け方が、世界観の深みも感じさせると同時に、作者の遊び心も感じさせる、何とも絶妙です。
それにしても<排泄魔法>と書いて「レスト・ルーム」って読ませる闇の軍団がいて、それはかなりおどろおどろしい描写でと共に表れて主人公達と対峙するわけです。その闇の軍団が
LET IT O
LET IT O
LET IT O
と、唱えながら進軍してきます。なかなか、迫力のあるシーンなんですが、よく見るとこれって「トイレット」のアナグラムなんですね。みんな便所に行きたくて侵攻してきたのかと思うとちと可笑しい(笑)
まあ、とにかく混沌としてて、ごつごつしてて、生き生きとして、溌剌として、どろどろして、魅力ある小説です。果てしなく長いですけどこれは是非、オススメです。
あ、最後に文庫版の表紙について。こんなごつごつした小説にラノベのような表紙が付いたことには議論があるというような記述をWikipediaでみました。でも、この表紙、好きです。キム・ヒョンテさんという韓国人のイラストレーターらしいです。日本のアニメ・ゲームの影響を色濃く受けていながら(特に村田蓮爾さんを思い起こさせますね)、日本の萌え絵とは違うところへ行っています。この人の個性なのか、お国柄なのかはよくわからないですけど。でも、なんというか、セクシーでむらむらっとくる、すごくいいイラストだと思いますよ。
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またしても時間ループもの。というか、「時間ループものづいててねー」とYukaさんに話したら、じゃあと貸してくれたもの。お気に入りの一冊らしいです。
時間がループする原因を描かないのでこれはどちらかというとSFではなくファンタジーに位置するかもしれないですが、その分、ケレン味なく人生をループする無常観を丁寧に書き出していていい小説だなあと思います。途中で、物語の流れを大きく変える出来事があります。タイムトラベルものでこういう「出会い」を入れるのは、タイムパラドックスをまともに考えるとややこしくなるために普通はやらないと思うのですが、この話の場合はそこからが本番。一気に二人の愛の問題になってしまうところがSF読みとしてはおよよって感じですが、でも、この小説の場合、ここが最も評価されるべきところでしょう。
あと、やっぱりラストはいらないかなーと思いましたけど、まあ、ここまで書いてきたら結末をどう締めるかなんて些細な問題かもしれません。うむうむ
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まさか続くとは思わなかったこのシリーズ。まあ、続けようと思えば幾らでも続けられるような気もしなくもないですけど・・・って、3巻のラストになって急にラブコメ度が増して来てますね。ええ、キライじゃないですよぉ~。というわけで、2巻、3巻と短編集の3.5巻と続けて読みました。
相変わらず、ゲラゲラ笑いながら読めるのもいいですね。考えてみれば、ここまでおばかで笑えるシリーズも見渡せばあんまりありません。私が読んでるのではあとは、スレイヤーズシリーズぐらいですかね。変にヤンデレや熱血にならず、ずーっとこのままおばかでいて欲しいと思うのです。
それにしてもおなじおバカと言っても、円城塔とはおバカの方向性がリーマン面を横切って3πぐらい違いますな(笑)
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「JOEL OF SOFTWARE」のJoelさんが面白そうなブログを選んで紹介した本の翻訳。原書の出版は2004年の本なので少し昔ですけど、そのあたりが気にならない普遍的な内容が選ばれてます。
日本人のセンスからすると、ちょっとギャグのセンスがビミョーなのも含まれてますけど、ここ数年、技術系のWebをちゃんとウォッチしてた人ならオリジナルを読んでいないまでも、人の名前や記事の存在は知っているものが結構あるんじゃないでしょうか。
コーディングスタイルに対する考察、プログラマのアウトソーシングについて、何でもExcel、非人間的な労働環境、ハッカーの嗜好・・・。
中でも、VBScriptを作っている人が、簡単な1機能を付け加えただけで、それをテストしリリースするためにどれほど大変なプロセスがMSの中で必要かを書いた「電球を替えるのにMicrosoft社員は何人必要か」は秀逸でした。
あと、「ハマったときにどうするか」という記事に、
何らかの形態のエディタやコンパイラを持たないエンジニアリング組織にはお目にかかったことがない。しかしドアから入った時に、チームがバージョン管理とバグトラッキングを持ってないことがわかってショックを受けたことなら、何度となくある。
うーん・・・しょっちゅうです。今のプロジェクトもBTSはないんですよね。Excelにちまちま書いてます。私はアプリ書かないので気にしてませんが、もし私がコードを書いていたらBTSなかったら暴れてます(笑)。というか、インフラ用BTSはお客さんのサーバにこっそり影舞をいれてます(爆)
なんというか、私はバージョン管理システムやバグトラッキングシステムがないことにショックを受けない人がたくさんいることの方が、よっぽど不思議なんですけどねぇ。今のプロジェクトで各チームにリリースタグを打たせるようにするのもかなり大変でした。
正直、「JOEL OF SOFTWARE」はいまいちピンとこなかった私ですが、この本はかなり面白かったです。だれか、これの日本語Blog版をつくりませんかね?
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長編デビュー作の「Self-Reference ENGINE」が至上のバカSFとして高い評価を得た円城塔の新作。前作は黄色の装丁でしたが、今作はピンク。
前作はめくるめくSFエッセンスの馬鹿話といった感じですが、今度はめくるめくSFエッセンスで綴るポエムになってしまいました。もうすでにストーリーを紡ごうという気がさらさら伝わってきません(笑)
しかし、私はこっちのほうが円城塔の感覚がむき出しに出てきているような気がします。前作の黄色い方(笑)は、SFバカエンターテイメントだったんですが、こっちは自分の感覚に沿って言葉とガジェットを選び紡いでいく情景になっちゃってるんですよね。そういう意味でポエム。
まあ、しかし、前作のほうがまだとっつきやすかったかな。これもかなり好きですけど、もう、小説読みの範囲を出かかっているので・・・。
しかし、SFマガジンの2007海外1位がプリーストの「双生児」で、国内の2位が黄色いの。国内1位の「虐殺器官」は読んでませんけど、難解なものが上位に来てますねえ。みんなホントにこんなの読んでるの?(笑)
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文化系トークラジオLifeの年末の放送「文化系大忘年会」で紹介されていた本。サイエンス・アイ新書です。ダメな本ばかり出た新書ブームの中で、サイエンス・アイ新書の創刊は明るいニュースでした。老舗の講談社ブルーバックスにも頑張っていただきたい。
さて、この本は進化生物学の本です。それも、計算機シミュレーション上の人工生命を持ちいて、進化を研究しています。ダーウィンの進化論のキモは「突然変異」と「自然淘汰」です。計算機上で、そのプログラムの動作に無作為な変更が起きる様にし、そのプログラムがある設定範囲での動作において数値で表せる適用度を定義して、その適用度に応じてプログラムが「生き残る」かどうかという淘汰手順を繰り返すことにより、「ある理想化された進化」をシミュレートさせることが出来ます。
そうして、そのシミュレートからデカルト的還元論では分析不可能な何かを見てとることができるのではないか。我々、地球上の生物の上に起こった進化もそのような非還元主義的な(この中では「創発的」という言葉を使っています)ものなのではないかと考え、初めて進化を「科学」として扱う(つまり、実験検証可能なもの)として扱うことができるのではないかという本です。
人工生命による進化のシミュレーションという発想自体も聞き慣れない人には面白い概念だと思いますが、私は、一応、計算機で飯を食っている人間なので、ライフゲームの基礎的な話は聞きかじったことがあります。しかし、人工生命を道具として使ってどうい成果が出てきているかということに関してはまったく無知だったので、本書の後半はかなり興奮して読みました。感情と社会性のような心の動きもある程度、人工生命でのシミュレーションで論じる事が出来ます。どんなパラメータをどう置いて、適用をどう定義するかという技法の問題もさることながら、結果が面白い。なるほど、これはなかなかに興味深い本ですね。
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あれ?ついこの間に6巻が出たところなのに・・・と思ったら、発表済の短編、中編それぞれ1本ずつに、短編を1本書き下ろしての番外編。タイトルにも"Side Colors"と入ってます。まあね、せっかくの1クールアニメの放送中に出さないと損だよね。
1本目はロレンスと出会う前の話。2本目は、1巻の後日談。3本目は、2巻の後日談ですが、ホロの一人称というところが変わってます。支倉さんもあとがきの中で、今回のイチオシはこのホロの一人称だと言ってます。
読んでみるまでは、私も「どうかなあ」と思っていたのですが、楽しめました。というか、もうホロってばこれじゃロレンスにベタ惚れじゃないですか。旅の疲れで倒れたホロの為にミルク粥をつくるために、ノーラに羊の乳を探して貰ったと聞いて、この反応です
裏切り者、裏切り者、裏切り者、と胸中では叫んでいる。
そんな、こちらが怒るような過ちが起こっていないことなど、連れのこれまでのへたれ具合を見ればわかりすぎるほどにわかるのに、どうしたってそう思ってしまう。
妬いてますよ、妬きまくりですよ、賢狼さん。全然威厳ないですよ?もう、ホロが可愛い過ぎて困っちゃいます!
しかし、考えてみれば、ホロはまさに年上のお姉様の無邪気な面というか、そういう「男性のお姉様願望」の上にいるキャラなんですよね。意外と珍しいかもしれません。で、こういうのって男の妄想で、実は女性読者にはピンとこないものなんじゃないだろうかという気もします。そこんとこ、どうなんでしょうね
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SF大会で「サイバーパンクの部屋」とかに遊びに行っていながらギブスンを読んでいなかったりするダメSF者なので、とりあえずは代表作の「ニューロマンサー」です。ああ、「電脳空間カウボーイ」の元ネタはこれか!
という感じで、最初の千葉のあたりまでは楽しく読んでたんですが、その後、もうメロメロ。今、どこ?今、誰がその場にいるの?この人誰?読みにくーい。わけわかんなーい
なんかかえって没入(ジャックイン)してる場面の方が分かり易いんだもの(笑)
しかし、設定も世界観もガジェットも散々パクられ倒してるからまったく目新しくないし(いや、これが元祖なんだけどさ)、別にSFだからという理由で読みづらいわけじゃないと思うんだけどなあ。翻訳?そもそもストーリー構成に難あり?酔っ払って書いてる?
うーん・・・
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"文学少女"シリーズの6巻目は初の番外編。今回は泉鏡花の「夜叉ヶ池」です。
今回はこれまでこの世界の「ドラえもん」として機能してきた姫倉麻貴が影の主人公。ただ、それほど麻貴を魅力的なキャラにできているかというとそうでもなくて、結局は遠子と心葉の夏の思い出・・・ってな感じになってます。というか、こんな強烈な一夏の思い出があって、しかもかなり遠子の心葉への想いが匂わされているにもかかわらず、心葉のダメさ加減といったらないですな・・・。というか、ぶっちゃけこの話が5話の前に出ていたら、もうななせちゃんに勝ち目はまったくなかったでしょう(笑)
それにしても、登場人物が今回はかなりひねくれているので通じてどんな話だったのか、どこで誰と誰が関係して、何がどうなったのか、カラクリが難しいです。しかも、全体をラップする挿話が今回は自身を取り戻して作家として大人になった心葉の回想になっていて、この部分が次巻(そしてたぶん最終巻)、遠子が主役となって心葉との別れが書かれる話への伏線になってます。うーん、もう一回読まないとよくわからなーい。
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ロフト・プラスワンでのロケット祭の書籍化。以前、私も一度「なぜなぜ宇宙」に遊びにいったことがありますが、この話も楽しそう。DVDが付いていまして、イベントの様子が垣間見られます。楽しそうだなあ・・・
中身は戦後、航空禁止を解かれたばかりのころからロケットの研究をやっていた人達の思い出話。聞き手は「はやぶさ」報道でお馴染みの松浦さん。松浦さんの本やブログはここでも何度か話題にしました。・・・にも関わらず、あのはやぶさがたどり着いた小惑星イトカワの名前は何度も耳にしていながら、日本のロケット黎明期に活躍した糸川先生のことは、この本を読むまで全然知りませんでした。学者先生って中には、へんてこな人がいるものですねえ(笑)
安い本ではないですが、DVDもついててオトク。オススメします
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うーむ・・・SFだ
正直、1巻目を読んだ感想は「妖精さん、ほえほえ~」以上のものはなかったんですが、案の定、それだけでは終わらないようです。なんだ、この急なSFっぷりは。
いや、前作と作風が大きく変わったということもないんです。前作の時から裏に妖精さんの設定がどかーんとありそうな気配がありました。というか、ないと不思議な妖精さんの行動に一貫性を持たせられないから、当然、作者は考えてるハズです。だって、素でこれを書いてたら頭がいい感じ過ぎます(笑)。
設定をぶちまければいいってもんじゃないんですけどあまりにも出さなさすぎなので、「うーむ・・・」な感じだったんですが、2巻目ではそのあたりにはあまり触れず、もっと外枠を攻めてきました。
今回は、短編2本の構成です。
1本目は「私」が妖精さんになってしまう話。おいおい。妖精さんって、なれちゃうんですか。この話を通じて妖精さんという存在が人間とどう関係しているのがわかる・・・ような、余計わかんなくなったような・・・???
少なくとも、妖精さんは妖精さんなりに何かすごくがんばっているけど、本能的にああなっちゃうんですね。人間を妖精化してしまう何かが起きて、そこから人類の衰退が始まったということなんでしょうか。深読みしたければいくらでも深掘りできてしまうこの設定。あああ、気になる。
そして、2本目はまさかのタイムパラドックスもの・・・というか、時間ループもの。またか!(笑)。いや、たまたま時間ループものばっかり立て続けに読んでるだけなんですが、しかし、こちらの時間ループは作られた動機がショボく、仕組みが格好良く、そして、解釈が難しい。いきなり、本格SFしないでください!でも、これは時間ループものの中でもかなりイカす類で、時間ループにより起こる物語がテーマのカギとなるのではなく、時間ループ自体が事件の中核を成してるという意味で、抜群にSF短編。
いやあ、作品全体としてどこへ着地させるかさっぱりわからなくなりましたけど、ロミオがただ者じゃないことだけは断然はっきりしてしまいました。引っ張ってもいいから、むずがゆいのでちゃんと着地はさせて頂戴ね。ガガガ文庫期待の星だから、簡単には終わらせられないかもしれないけどさ(笑)
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シャンス編もこの巻で解決。もちろんハッピーエンドで終わるわけですが、誰も文句はないでしょ。最終的にはかなり規模の大きい事件に発展し、今までのシリーズで出てきたゲストキャラの再登場も多くて、シリーズのファンには嬉しいところ。ま、買って1時間ぐらいでちゃちゃっと読めちゃうところも好きよ(笑)
今回の「流行モノ」ネタは、パンクラティオン。メテオリが博打にはまってます。あー、なんかピッタリのキャラだな。でも、パンクラティオンも全然やったことありません。FF XIはいつの間にか遊びの幅が広くなりました。同じゲームを遊んでる人どおしでもなかなか話があわなくなったりとかするようになるかもしれませんねえ。
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Podcastで「文化系トークラジオ Life」を聞くようになったというエントリを上げましたが、その時のゲストの荻上チキさんの本。我々が2000年代にネットで目撃してきた炎上事件についての丁寧な解説です。そこに書いてあることは大抵知っているといえば知っている範囲の事なんですが、こうやって丁寧にまとめられたモノを俯瞰で眺めると、久しぶりに「あいたっ、ネットやばいじゃん」というような感覚になってしまいます。
もちろん、今さらインターネットがない時代には戻れないのでそれにあった「法とリテラシー」が必要なのは間違いないと思っていたんですが、この本を読んでネット社会の特性や流れを眺めていると、我々の今使っている「法とリテラシー」が使い物にならないことはまだしも、人類が何千年も使ってきた「法とリテラシー」という枠組みそのものを変えなきゃいけないんじゃないかとすら思わされてしまいます。
今から何百年か後に、「21世紀初頭にネットが人間の生活に入り込んだが、文明社会がその枠組みに追いつくことが出来ず、それから無秩序状態の暗黒時代が続いた」なんて歴史書が書かれていても不思議じゃないよなあ・・・
我々の社会は、すでに「情報の伝達」とか「道徳」とか「法の執行」が危機にさらされているんですねえ。私はそれでも現実として落としどころはあると思っていますけど、それがはっきりとイメージとしては捕らえられません。なんか天才的な哲学者とかが出てこないとダメ?それこそ、何百年後の歴史書に出るような。うーむ・・・
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めでたく創刊された(って、随分前ですね。もう売ってないかも。すまん)電撃文庫マガジンに「図書館戦争」の番外編が載ってます。緒方副隊長の若かりしころの話。意外な副隊長の経歴に驚いてしまいます。また、この雑誌で告知されてますが、春には番外編を集めた「別冊 図書館戦争」も刊行されるということなので、「さすがにこの表紙は買えません!」という紳士・淑女の皆様もごゆっくり待たれるのがよろしいかと。いや、今さら・・・そんな奴は「図書館戦争」も知らないかも
しかし、こう、並べてみると電撃文庫は小説レーベルのヒット作でこんな雑誌を作っちゃえるんだからなんだかすごいね。
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「動ポ本2」で、アクションゲームをベースに発想された本として紹介されていた本です。やっとこ読めました。
あらー、これは話の構造を知らないで読んだ方がよかったわー。ということで、あえて詳細を書くのはやめますが、あとがきでも著者が書いているように、アクションゲームを何度も何度もプレイして、自然と指が反応していく様を文学にするとこんな感じなんでしょうね。構造的にはすごく面白いんですが、ただ、そういう「架空の世界」を元にメタレベルへあげてストーリーを紡ぐんであれば、こんな突拍子もない世界じゃなくてもっとベタにリアルな話のほうが面白かった様な気がします。世界観は作りこんであって好感が持てるんですが、逆に世界観が面白すぎて、まるでホントにこんなゲームがあって、その趣味の悪い(というのは、元の設定からメタレベルを作ってしまうという意味でです)ノベライズのように見えてしまうのがいささか残念。
それにしても、「涼宮ハルヒの約束」でも書きましたが、続けてループものを読んだなあ。この本は世界観にあからさまな曖昧さ(例えば、「使途が来るけど、なぜかは謎!」みたいな)を入れないようにしているだけに、リクツが難しくて、「えっ?今のホントに矛盾ない?ちょっと、ちょっと、よくわかんないんだけどー」みたいな気持ちになっちまいました。
いや、ある意味、後で感想を書く「人類は衰退しました(2)」の方が訳わかんないんだけど、あっちはほら、なんかわかんなくてもいいような気がするんですよ(笑)
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アニメ夜話の本の第6弾はヤッターマン。まあ、ヤッターマンを深く分析してもしょーがないっちゃしょうがないんですが、この回の目玉はゲストの山本正之さんがスタジオでギター1本で「ヤッターマンの歌」を歌ってくれたこと。いやあ、山本先生カッコイイですなあ
この映像を見て、記憶が蘇りました。私が、山本正之を初めて見た、あの夏の日(遠い目)
というわけで、あんまりヤッターマンとは関係ない思い出話です。
ただのガンダムマニアだった高校生の頃、丁度、アニメのガンダムはお休みで、ロボットアニメでは「機動警察パトレイバー」が注目されていました。TV版も好きで見ていましたし、マンガも当然読んでましたから、ゆうきまさみの名前は知ってました。
高校では、膝を痛めてバスケ部を辞めた後、ありとあらゆる文化系クラブにちょっかいを出していた私ですが、そのひとつに写真部がありました。写真を撮るのはあまり好きではなかったんですが、撮影旅行と暗室作業が好きだった私は、写真部にだけ入部届けを出しました。あ、そうだ。出して正式な部員にならないと合宿に連れて行ってやれないって言われたんだ(笑)
で、当時の部の仲間に「写真部員ならこれを読まないわけにはいくまい」と言って差し出されたのが「究極超人あ~る」だったのです。ゆうきまさみです。読みました。あっさり虜です。次の日には
「トライXで万全!」
と言ってました。使ってたフィルムはもっぱら長巻のネオパン プレストでしたけどね(笑)。イメージアルバムも買いました。まだ、山本正之も田中公平も全然知らない名前でしたが、気に入ってよく歌ってました。はっぴーぱらだいす♪
さて、そんなある日、友達に「あ~るのイベントがあるからいこう」と誘われました。正直、なんのこっちゃわかってなかったんですが、その当時、「あ~る」のOVAが作られて、それを上映するイベントがあったんです。今でこそ、「アニメ版」なんて言い方をされてますけど、当時はメインはイベントだったように記憶しています。
そして、たまたま見に行ったのは千秋楽。アニメの内容は完全にあ~るファンの為の盛大な内輪受けなんですが、それだけに全員があ~るのファンという会場で見るのにはふさわしく、幸せなイベントでした。ちょっとしたミニライブのコーナーがあり、イメージアルバムの曲が演奏されたりしました。
そして、「今日は千秋楽だから、サービスね」と正之さんがギターと椅子を持って舞台に再登場。舞台の真ん中に座って、ギターをかき鳴らしながら歌い始めました
「♪キラッキラッキラッキラッスタースッター そーらのかーなたかーら やってくるー」
衝撃を受けました。大げさに言えば、すべてのカラクリが解けたような気持ちでした。そうか、あ~るの曲を歌っていた人と、タイムボカンの歌を歌ってた人は同じなんだ!・・・というか、この時までわかってなかったのかよって感じですけど(笑)
それ以来、山本正之の名前はばっちりと頭にインプットされました。CDも沢山買いました。「飯田線のバラード」「命令形の応援歌(「ここはグリーンウッド!」のイメージソングで、実は劇中で蓮川が光流にだまされて歌うのはこの曲です)」「想い出のオムライス」「旅の化石」「サスクハナ号の曳航」「絶唱!カラオケマンの歌」「このまちだいすき」「アニメがなんだ」・・・名曲は数知れません。
でも、原点はヤッターマンですかね。カラオケで一番沢山歌ったかもしれません。みんな知ってるしね。アチョー!
本の中でも、当然放送ではカットされている部分として、こんな話が載ってます
| 中川翔子 |
皆様、今まで生きてきて何万回聞いたんですかね、山本ソングをね。 |
| 岡田斗司夫 |
すっごい聞いてますね、もう。 |
| 中川 |
ねぇ。 |
| 唐沢俊一 |
何か大きなのがあったときに・・・。 |
| 松村邦洋 |
「♪どこから来たのか~」 |
| 唐沢 |
いや、アニメソングに限らず。僕はやっぱり辛いとき苦しいときっていうのは、やっぱり「少年の夢は生きている」っていうね。 |
| 山本正之 |
ああ、ありがとうございます。 |
| 唐沢 |
あれは必ず僕がなんか、僕のイベントの打ち上げのときなんかやったときのカラオケの締めはかならずあの「少年の夢は」でみんなで大合唱。 |
| 山本 |
あ、そうですか。 |
| 岡田 |
前あの、山本さんのソロコンサート行ったときに、「少年の夢は生きている」がかかって、歌いながら後ろにスライドがどんどんかかるやつで、会場中みんな泣いてましたから(笑)。 |
| 唐沢 |
泣けますからね。 |
| 中川 |
うぉ~。 |
でも、CDはほとんど絶版なんですよねぇ
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ついにラスボス登場です。
主人公のトラウマの原因となった少女、美羽が再び主人公の前に姿を現します。そこへ、既刊の主役達が絡んできて・・・1巻、2巻で感じた「まだまだ本気じゃない感」がここへ結実します。あー、すっきりした。
実際には、まだ「"文学少女"の正体」という、このシリーズ最大の謎が控えているわけですが・・・この美羽のラスボスぶりの前にはそんなのは軽く霞んでしまっています。ななせちゃんもせっかく恋がかなったのに・・・こんな男に惚れたばっかりに酷い目に(T-T)。まあ、これだけしっちゃかめっちゃかになって、最凶のヒロインが傍若無人に暴れ回っても最後にはきっちりとまとめてみせるんだから、野村美月は大したものです。やはり、この話の為に"文学少女"シリーズはあったんだと思うし、この巻が出てから評価急上昇なのも納得です。
さて、今回のモチーフは「銀河鉄道の夜」。これまた読んだことありません。そうだなー、青空文庫にあるし、ワーズギアに入れてみるかなー
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夏に読んだ「ネジ式ザゼツキー」がとても面白かったので、本屋で見かけた時に購入しちゃいました。文庫になるの、待てませなんだ・・・。この装丁が非常に格好良かったからというのもありますけどね。
というわけで、「メフィスト」に載ってたらしい中編2本が収録です。どちらもユーゴの内戦がテーマ。たった10年前に、これほど悲惨な戦争がヨーロッパのど真ん中で起きていたなんて・・・当時はニュースでも盛んに取り上げられてましたけど、正直、記憶からはかなり薄れていました。
表題作は、そんな戦争の傷跡が癒えつつある旧ユーゴを舞台に起こる猟奇殺人の謎。犯人と動機はすぐ提示されるんですが、不可能犯罪と奇怪な所行の謎をまたも遠い北欧からなんかすごく忙しそうな御手洗が安楽椅子探偵として解決しちゃいます。なんだかあんまり登場しませんけど、まあ、いいか。
被害者は犯罪組織のリーダーなのですが、物語の途中でこの犯罪組織が遠くセルビアから日本のMMORPGのRMT(リアルマネートレード。ゲーム内通貨を現実の金銭でやりとりすること)を資金源にしてることがわ狩るんですが、RMTの構造やゲーム内インフレの影響などが描かれてて、「島田荘司、アンテナ広いなー」と感心してしまいました。MMORPGをやらない人にMMORPGのおかしな話としてゲーム世界の市場経済と現実との関わりについて、よく話すのですが、おもしろがってはくれるもののなかなか実感としてピンとこない上の世代の人もけっこう居ますからね。
もう一方の作品の方は、我らが石岡君が主人公。相変わらず忙しそうな御手洗に電話で邪険にされて、隅でしゃがんで泣いちゃうところがらぶりぃ(笑)。でも、ちょっとだけネタバレに触れると、御手洗はなんで木の上にアレがあることがわかったんだろう?あれ~??
というわけで、なかなか密度が濃く(昔の島田荘司だったら、3倍ぐらいの厚さにしちゃったかも)、面白かったです。少なくとも御手洗潔シリーズのファンなら大満足でしょう。そうじゃない人も、文庫になったら買っちゃえ!
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2005年の「このミス」大賞。面白いらしいという噂は聞いてましたがなんとなく手を出さないうちにこないだ文庫になりました。というわけで、これを機に購入
権謀術策渦巻く大学病院で、戦略的窓際族を決め込んでる世捨て医者の田口に、病院の花形外科医とその手術チームに対する不審が病院長から伝えられ、調査を命じられます。比類なき成功率を誇っていた「チーム・バチスタ」の連続術死は、偶然か、否か。看護師の交代が原因?花形外科医に何が?助手を勤める医師の羨望と嫉妬、技術チームの信頼と疑惑・・・その他の人間関係も巻き込んで田口の調査は続けられます。
・・・てなところで文庫は上巻が終わり。ここまで、みなさんしっかり読んで下さいね。下巻から小説の雰囲気ががらっと変わります。スーパーお役人白鳥が派遣されてくるのです。どういう意味でスーパーかは読んでのお楽しみ。コイツのお陰で物語は否応なくのたうち、最後は、ちょっと期待を裏切るいい話で終わります。うん、面白い
犯人の動機がイマイチだとか、犯行よりそれ以外の謎のほうが面白いとか、普通のミステリーとしたらちょっと難点もあるんですが、これはたぶん田口と白鳥のコンビをキャラ読みするのがいいんじゃないでしょうか。まあ、推理小説というのはホームズとワトソンのやりとりが最大の魅力だったりするわけで、その意味ではこの本は満点だと思います。
いや、嫌いな人は嫌いかもしれんけどな、白鳥は(笑)
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お待ちかね。本屋でフライングゲット(笑)の「狼と香辛料」の最新刊です。
今回の、二人の冒険はっ!
前作のラストでエーブに裏切られたロレンスが、ホロと共にエーブを追うべく船を見つけ、河を下る。
・・・それだけ?
ホント、それだけの話なんですけど、今回の話には著者の方針転換の意志が感じられました。
元々投稿作なので、最初の1作目が最高の物語となるような作りの作品です。二人が出会い、ホロの故郷を目指して旅をすることを決意する第一作の為に、この物語は用意されていたといっても過言ではないと思います。物語の先が語られ、二人の関係が深まり、そして、ホロの故郷への距離も縮まる。そのことに、登場人物たちも寂しさを露わにしていますが、読んでいるファンももちろん寂しいわけです。
4巻で、二人が旅をするって話なら幾らでも続けられるぞというところを見せたにもかかわらず、前作の5巻で「マンネリになって、この話の楽しさが摩滅するのはどうよ」と語っていた作者ですが(こうやってみると、ホロとロレンスの関係が著者と読者の関係に裏返されてるのがよくわかります。素直な作者だなあ。いい人なんだろうなあ^^;)、6巻では「うんにゃ、続ける。この二人を使って、まだ違うものが書ける!」という決意の話になっています。
・・・いや、こういう読みは邪道って言えば邪道だと思うんですが、そう読めちゃいますよね、これ?
というわけで、新たな展開への決意と共に、二人の旅に新たなメンバーが加わります。
いいのか、二人とも。もうコブつきになっちゃって!
おかしいなあ、前作では新婚さんだったハズなのに(笑)。さて、新たな決意を秘めて、次巻から新展開です。ちょっぴり心配ですが、やっぱり楽しみ。それまでは、もう一度、この巻の二人のやりとりを噛みしめながら待っていましょう。うーん、でもやっぱり
ホロ、かわいい