November 27, 2018

ボヘミアン・ラプソディ

「ボヘミアン・ラプソディ」みてきました。ロックバンド、Queenを題材にしたノン・フィクションものです。

で、別に私はクイーンのファンでもなんでもないです。世代が違うもんね。フレディ・マーキュリーが亡くなったときに話題になりましたが、それが中学か高校に入った頃かな。同時代のアーティストの話題だとは受け止めてはなかったです。

もういい加減おっさんの私でもそんなもんなので、この映画がヒットしていると聞いていったい誰が観に行っているのかと思っていたら、「2001年宇宙の旅」を見たときの予告編を気に入ったMilueが「観に行きたい」と言い出しました。Milueはクラッシック好きの親に育てられてるんで、ビートルズもストーンズもオアシスも区別がつかないけど、ヒットした曲は聴いたくらいあるよ・・・という人です。何がそんなにひっかかったんかな。

というわけで観に行ってきました。

もんのすごく出来の良い映画でした。

役者はみんな素晴らしいし、ライブシーンは大迫力だし、基本的にはエピソードをつまむしかない構成なのに演出がよく出来ているので一本筋が通ったストーリーのような気がするし(落ち着いて考えるとそんなことないんだけども)、もう、この映画のライブを「こっちがリニューアル版のクイーンだから」といってスターウォーズ4,5,6の特別版をさもオリジナルのように参照するがごとく捉えても不思議じゃないぐらいの出来でした。え?アレ本物じゃないの?いや、マニア以外気にしないでしょう・・・なんて言われかねないぐらい(笑)。

自分のセクシャリティとスター性のせいで二重に孤独を深め、最後にはAIDSによりさらなる孤独に覆われるフレディ・マーキュリーの人生を、失いかけた友情と愛と音楽が救うという形に綺麗にまとめられていることもこの映画のぐっとくるポイントです。上手い。見易い。素晴らしい。そういう一貫性の中に、「あの名曲の制作中のエピソードその○」が折りたたまれていて、ひじょーに楽しい。

というわけで、テーマが重い(実在のスターの人生まるごとだからね)割にストーリーが薄っぺらい(だって、一個人の人生に起きたことなんて、エピソード自体はそんな複雑でも入り組んでもないよね)ので、ドラマチックな音楽に観客も自分のナイーブさをそのまま泳がせて感情を揺さぶられる体感がとても気持ちよく、これはヒットするな思いましたね。

で、これってアイドルアニメとおんなじなんだよね(笑)。さすがにフレディ・マーキュリーほどのテーマを個人で背負うキャラを作るのは大変だから15人ぐらいに分散して、実力揃いの作曲家陣がよってたかって曲を揃えて、ありきたりのストーリーを歌と共に観客を揺さぶる。そこに生い立ちの不遇さを入れても良い、友情を入れても良い、セクシャリティの問題を入れても良い・・・ヒットの理由が見えてきたなー。

というわけで、今後、クイーンはこの映画抜きに語られることはないだろうというほどによく出来た映画なので、クイーンのファンはもちろん、「なんだかよく知らんけど、みんなクイーン好きだよね−」ぐらいの人にも幅広くお勧め。ある意味、「ドリーム」の黒人差別と同じ目線で「LGBT?まあ、そりゃいるっしょ、そんな人も」ぐらいの認識になった現代からおよそ40年前の世界の問題を眺めるんだから、気楽っていえば気楽。お気楽に観てください。

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November 09, 2018

カメラを止めるな!

まだ上映中なんですって。

6月だか7月だかからやってる映画ですよ。下手すれば話題になったってことでは「万引き家族」を超えるかもしれない1本ですよ。まあ、みんな観てますよね。

すいません、やっと観ました。

いや、話題になっているのは知ってたんですけど、私、ゾンビ映画が嫌いなんですよね。というか、ゾンビものを面白いと思ったことがないです。バンパイアものはわりと好きです。端的に言って、「登場人物が自我を失ってしまう」ということが鍵になるドラマ、面白くないと思うんですよ。それって、一時期ちょっと流行った「犯人が異常者」っていうミステリーと同じで、敵とか驚異とかってバカより賢い方が面白いと思うんですけど。

しかし、ここまで話題になっていて、かつ、ネタバレ厳禁のギミックにあふれた映画っていう評判を聞いちゃうと、観とかないとなー。というわけで、観に行きました。

というわけで、公開からもう何ヶ月も経っているのでネタバレもくそもないですけど、一応ここより下はネタバレするんで、映画を観てから読んでください。来月には配信も始まるらしいですよ。

おっけーかな?

さて、感想です。なるほど、面白い。これは、あれですね。三谷幸喜さんお得意の奴ですね。「ラヂオの時間」じゃん。パンフを観ると、やっぱり東京サンシャインボーイズのお芝居は意識されてたみたいですね。「ショウ・マスト・ゴー・オン」も最高に面白いもん。この作品の元のアイデアは演劇だったらしいので、それならなおさらでしょうな。

すごく画期的なギミックというようなことを言われたりしてますが、「ラヂオの時間」はヒットした映画だし、言っちゃえば三谷さんはこんなのばっかりやっているようなものだし、あるいはかの有名な「涼宮ハルヒの憂鬱」のTV放映第1話の「朝比奈ミクルの冒険 Episode:00」は、この映画の冒頭30分だけをテレビシリーズの第1話として流しちゃったというようなものだし、さほど目新しいものではありません。

でも、すっごい上手くできてる。劇中劇のすごく印象的なカット、違和感のあるカット、そのすべてに裏側の姿があって、ゲラゲラ笑えます。すごく時間をかけて脚本を練り上げてるんだなというのがよくわかります。すごく丁寧。

それ故に、三谷作品のような「え?どうするの、こんなの。え?それ、解決になってる?ええ?えええええええ?」というような力業の展開にはなっていないので、さすがに物語のテンションのうねりという点ではちょっと劣るんですが、しかし、この「カメラを止めるな!」には、先行作品にはなかった美点があります。

それは、劇中劇、つまり劇中で作られるゾンビ映画が、ちゃんと面白いってこと。とにかく芝居/放送を止めてはいけない、撮影を続けなければいけないという制限を逆手にとったこのスタイルは、作るものがとんでもないことになればなるほど裏側のドラマが面白いはずです。上手くいっちゃったらやりづらい。「ラヂオの時間」のドラマはくっちゃくちゃになってしまいますし、「ショー・マスト・ゴー・オン」のマクベスはしっちゃかめっちゃかになります。「朝比奈ミクル」もヒドい映像に仕上がっているからこそ、裏を知っていると面白い。

ところが、「カメラを止めるな!」では、「生放送・ワンカット撮影のゾンビドラマ」という、そんな無茶苦茶なという制限を設定として持ち込みながら、そんな無茶苦茶が行われていて裏側では大変なことになってるんですよーというドラマのキーポイントを隠したまま劇中劇をみせて、「確かになんかビンボーだし、ちょっと変なところもあるけど、それでもスリルと迫力のあるいいゾンビものじゃん」と最初に観客に思わせてしまうところがニクい。というか、それだけのものになっているからこそ、最初に「できあがり」をみせて、メイキングに遡るという手法が通用しているんです。これは、ちょっと難易度上がってますよ。だって、実際にワンカットのゾンビ映画を撮らなきゃいけないんだから。

というわけで、基本的なアイデアはそれほど奇抜ではないけどもみんな大好きな鉄板のネタで、しかしながら、そこに新しい挑戦が入っていて、かつ、きっちりと勝ちきっているという、これは賞賛してしかるべき映画です。これを300万円で撮ってるんだから、いや、感服です。すごい。

で、楽しかったねーと帰ってきた後で、Milueが観たことないっていうんで、Amazonでレンタルして「ラヂオの時間」も観て、もっとみたくなっちゃったんで「ショウ・マスト・ゴー・オン」のDVDも買って観てしまいました。いやあ、やっぱこっちも名作だなあ。ヒロインの女の子の「よろしくでーす」は「ショウ・マスト・ゴー・オン」の「いまやるとこですー」のオマージュなんだろうね。くっくっくっ。


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November 05, 2018

IMAX版「2001年宇宙の旅」

楽しくブログを拝見している、からぱたさんが、「『2001年宇宙の旅』を映画館で見たことない人に告ぐ」というアーティクルで「何度も見たはずなのに、大阪のIMAXレーザーで見たら全く違う映画になっていました。」と書いてます。ほっほー。

えー、私だってSF者のはしくれですから、2001年を観てないなんてことは・・・あれ?部分部分はテレビでやっていたらそのまま観ちゃうけども、通してみたことはないかも・・・。劇場で観たことは・・・あるわけないよね。生まれる前の映画(というか、もう半世紀前の映画だよ!)だもん。

よくよく考えてみたら、観たような気になっているもののパロディーやオマージュの元ネタであったり、歴史の一部として知っているだけで、通してどんな映画かはわかっていないのでした。

このアーティクルを観たのが10/31の水曜日の夕方。IMAXの特別上映は次の日(11/1)まで。えっ?あー・・・日比谷で21:00の回がある。行けるな。行くか。

というわけで、観て参りました。

まあ、どんな映画かは説明不要だと思います。といっても公開当時のことは私も知らないわけで、宇宙といえばスペースシャトルだとかはやぶさだとかISS(国際宇宙ステーション)を思い浮かべるような世代が理解しておかなければならないのは、この映画が制作された1960年代後半といえばアポロの月面着陸前であり、宇宙からみた地球や月面の様子、宇宙服をきた船外活動などがどんなもんなのかをみんなが理解していたわけではないっつーことです。

しかしながら、2018年の視点で見てもその描写は普通にリアルと言ってもいいもので、特撮の見栄え的にも現在の水準を満たしてます。いや、さすがに計器類は古めかしいんですけど、2001年ってもう15年以上前ですからね(笑)。2001年頃、計器にボタンは、まだあったわ。

むしろ、CGなんてこれっぽっちもない時代、さらには電子楽器・・・はあるけどまったく使ってない作品。それでこのクオリティって、まったく意味がわからない。2018年から振り返ると50年前に今我々が使ってるツールがなーんにもない世界で、なんでこれが作れるのか謎・・・という作品であります。

IMAXで観る2001年は、それはもう大迫力でした。一切の傷やガタがないデジタル処理済みの映像が視界いっぱいに広がり、前後左右のスピーカーからモノリスの立てるノイズが劇場を満たし、開始3分で大音響のなかあのタイトルが出た段階で意味不明な感動が体を満たしました。

が、長い。遅い。すげーゆっくり。

この映画、上映時間が3時間近くあるので、途中休憩が入ります。公開当時と同じらしいんですが、客電が点いたまま現代音楽っぽい不協和音のBGMが鳴り始め、それがスカッと止まった瞬間に劇場の電気が落ちて映画が始まり、休憩後の再会も同じように始まります。

そういうスタイルもすごく古めかしい(映画的じゃなく、むしろ観劇っぽい)ですが、なにしろ1カットが長い。冒頭30分、ひたすら猿。宇宙ステーションから月に行くシャトルの描写もた〜ぁっぷり。誰も何もしゃべってないシーンが多いこと、多いこと。話の内容的には60分ぐらいにすると、今の感覚的にはちょうどいいぐらいかな。疲れます。というか、話の内容は、そんなにない。下手したら30分アニメ1話分ぐらいしかない(笑)。

その散発的なストーリーをじーっとりした映像でびたーっと見せられる。これは趣味性が高い映画だなー。ハマる人が多いのもわかるけど、当時だってたぶん「なんじゃこりゃー。芸術鑑賞にきたんと違うぞー」っていう人も多かったんだろうと想像します。

私たちは「2001年宇宙の旅」という画期的な作品に影響を受けまくった50年後の世界のフィクションに接しまくっているので、惑星間航行、高次元知性体の遺物、人間を超える知性を持ったコンピュータ・・・なんて概念はご飯に納豆をかけるがごとく日常的に摂取しています。なので、この映画が当時どれほど画期的なものだったのかは正直、よくわからないんですけど、でも、おそらくディテールでは圧倒してたんだと思います。それで、高い芸術っぽさを打ち消していたか、エヴァ的な謎感がかえって相乗効果を出していたのか・・・。いやー、わかんないな。もう50年前だもんな。自分の幼い頃を思い出してみても、わからん。

というわけで、体験としてはすごく面白かったんですけど、映画として楽しかったかは疑問。でも、貴重な機会を活かせたことについてはからぱたさんに感謝でございます。

あー、後は、「エイリアン」とかも基本教養だと思うんですが、観てないんですよねー。

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January 09, 2018

オリエント急行殺人事件

アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」といえば、ミステリー界に燦然と輝く古典であり、名作中の名作であり、読んでない奴は本読みの風上にもおけないのであり、今更、この作品が映画化される意味が、まったくわからない。

ちなみに、私は未読です。いや、ごめんて。

冗談はこれぐらいにして、とはいえ、あまりにも有名な作品だからトリックは聞いたことあるし、なんかわざわざ観に行こうという気はしないじゃないですか。でも、スターウォーズを観に行ったときの予告をみた感触がすごくよかったんですよね。Milueも観たいって言ってるし。というわけで、新年1本目の映画はこれに決めました。

で、感想ですが、前言撤回です。2017年に作る意味あります。

なんせ古典的名作をありったけの映像で後世に残したいという欲求は理解できるじゃないですか。やって下さい。で、蒸気機関車が荒野を走る映像だったり、豪華な客室だったり、凝ったカメラワークだったり、20年前だったらこれを取るのはすごく大変だろうなという映像なんですよ。すっごいゴージャスな感じ。ただ、これからも映像技術は発展するとは思うんですけど、「オリエント急行殺人事件」を映像化するにあたって本質的に変わるようなことはない気がするんですよね。やりたいことは全部できるようになったよ。なら、今じゃない?

と言う意味で、ある種の完成形じゃないかと思いました。そのぐらい映像はよかった。お話は、まあ、変えようもないんだし、原作読んでない立場からしたら演出にも特に違和感ないし。まあ、ポアロさんが論理展開は全然わからないまま、いろんなことをポンポン当てていくのはおかしいんですけど、気にならないっちゃならないです。一種のクローズド・サーキットもので、キャラが魅力的じゃないと全部台無しになりますが、そこはそれ、役者はみんな芸達者揃いでとても素晴らしいしね。

ただ、ストーリーが進行しているときはいいんですけど、列車が走り出すまでのシーケンスはぐっだぐだでした。誰も物語をドライブさせないんですよ。開始直後にポアロがちょっとした事件を解決する下りも、大仰な「解決編」をやっているわりにたいしたこと言ってないし。あんなの公衆の面前でやる意味ないし。ネクタイの曲がりを指摘したり、調色のゆで卵の大きさがそろっていないことを気にしたりというシーンも、「ごらんのとおり、ポアロは○○な人です」の○○に何をいれたらいいのかわからない。完璧主義者?偏屈ってこと?優れた人だって言ってるの?おかしいやつだって言ってるの・・・?他の登場人物も一通り顔見せはあるんですけど、全然伝わらない。

挙げ句の果てには、なんでポアロが列車に乗るのか、それがわからない。ポアロに列車に乗ってどこかに来いという手紙が来て、移動することになったということはわかるんだけど、ポアロが乗りたいと思っているのか、できれば乗りたくないと思っているのか、そこがはっきりしない。なので、物語を誰もドライブさせないままずるずると進行してしまうんです。

そういう意味では、ちょっと映画としては危うい感じがします。事件が起きて、ポアロが説得されて捜査に乗り出したあとは、事件自体がドライブしてくれるんでいいんですが、そこまでがこうぐだぐだなのは、ライムスター宇多丸さんがタマフルで指摘してたとおり、演出力がちょっと足りねぇのかな・・・的な?。でも、いいか。絵はキレイだったし。という、そんな感じです。

だから、これは東川篤哉さんとかの楽しいミステリーで読書に興味が出てきたぐらいの中学生とかに観て欲しいかな。そんな感じです。観て損した感じとかは全然無いので、安心して観に行けると思いますよ。

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December 24, 2017

スターウォーズ 最後のジェダイ

ep8観てきました。

もちろん楽しみました。映像は大迫力。見所はたくさんあるし、展開も、まあこれほど世界中で予測されまくっているので想像を超えるのは難しいと思いますけど、それでも大多数の観客をあっと驚かせるものだったんじゃないでしょうか。十分に合格点。スカイウォーカーの血筋の話、レイとフィン、そしてカイロ・レンという新世代の主人公3人ドラマとしては最高!・・・なんですが。

・・・と、この後はもうネタバレをせずには語れませんから、観ていない人はここまで。観ない理由はまったくないと思いますからとっとと観てきてから、この後を読んで下さい。

いいかな?

長ーい長い2時間半にわたる映画を見終わってまず最初に思ったのは、「これ、銀河のレベルでは、何も起きてないんじゃない?」ってことでした。

この映画ってレジスタンスが、ファースト・オーダーの艦隊からひたすら逃げるっていうだけの話なんですが、お互いがもともと銀河帝国、新共和国軍それぞれの残党で、ep7の段階では割とそこそこの資金力と手勢を持っていたように見えたファースト・オーダーも自身の命運を賭けて建造したスターキラーを破壊されてしまって見る影もなく衰えています。

レジスタンスの方が、残りのクルーザーが数隻しかないというレベルで衰退しているのでファースト・オーダーの方が強そうに見えるんですが、そちらにしても1番偉い奴、2番目と3番目に偉い奴がまとめて艦隊にいるわけで、つまり要するに画面に映っているので全戦力にほぼ等しいってことですわ。ということは、星間無差別大量兵器であったスターキラーが亡くなってしまえば、今、画面に映っている以外の銀河のほっとんどは平和ってことですよね?(笑)

「やつらを根絶やしにしてやる!」とファースト・オーダーはレジスタンスを追い回しているわけですが、じゃあ、レジスタンスを壊滅させて何がしたいのん?今回、ファースト・オーダーにもレジスタンスにも武器を売っている武器商人達が出てきましたが、あの人らは確実にファースト・オーダーを上回る戦力を作れますからね。

というわけで、けっこうせせこましい話になってます。

そこが不満で、nacと映画を観た後でいつものメンツで忘年会になり、観ていなかったドック(仮名)にこういう説明をしたんですが、その場で思いついて、この状態をガンダムに例えてみました。

「機動戦士 ガンダム」というお話は、ジオン公国と地球連邦軍がどっかーんと戦争をしているさなかに、たまたま乗り込んだ戦艦に乗って戦争に巻き込まれていく主人公達を描いた作品でした。つまり、ホワイトベースの話は全体の戦争の中の、ほんの一部を切り取ったもの、それも歴史の片隅のお話だったわけ。

ところが続編の「機動戦士 Ζガンダム」は、前作で勝った地球連邦軍内のクーデターのお話で、主人公達が乗るアーガマという戦艦は、クーデター軍の中心となる艦で、アーガマのお話がそのまま歴史の中心になっていました。ちょっとスケールが小さくなっちゃった。

で、さらにその続編の「機動戦士 ガンダムΖΖ」では、内戦で地球連邦軍は分解状態になり、そこに押し込み強盗的に世界征服をしに来たジオン残党軍と、アーガマ1隻だけが戦う話になっちゃいます。アーガマが歴史の中心どころか、歴史そのものになっちゃうんです。これ、もの凄くep7-8の状況に似ています。

今作のラストで、レジスタンス=ミレニアム・ファルコン号になっちゃうワケですけど、これまさにΖΖ状態です。

しかし、船1隻(というかファルコンじゃあそれにも達しないわけですけども)でどうやって勝つのよと。ΖΖはどうなったかというと、ネオ・ジオンを名乗ったジオン残党軍は分裂して共倒れになってめでたしめでたしになります。おー、ep9が見えたね。

ファースト・オーダーが暴走するハックス将軍と、どうしてもワガママが止められないカイロ・レン君の2派に分裂して、ハックスを止めるためにやむを得ずカイロ・レンに協力するフィンとレイ。ハックスを倒した後で一人の女を巡って決闘するカイロ・レンとフィン。でも、結局一番強いのはレイなので、二人ともお仕置きされて一件落着ですな。すごいな、富野さん。もう出来てんじゃん(笑)

という、バカ話は置いておいて、主人公達のお話はちゃんと作り込まれているにもかかわらず、世界の方は置いてけぼりなのは、やっぱ不満ですね。あの世界自体もスターウォーズの魅力ですから。そういう意味ではやっぱep1〜3は好きなんだよね。共和国とそれに与しない勢力、共和国に協力しているけど独立しているジェダイ・オーダーという社会情勢がちゃんとあって、オビワンとアナキンはその世界でヒーローとして次々に銀河の各地で大冒険を繰り広げ、裏では悪い奴がこの情勢をひっくり返す悪い企みをしている。

それに対して、ファースト・オーダーは何がしたいのか、レジスタンスもファースト・オーダーがあれだけめちゃめちゃなことやってるのに何でならず者軍隊で対抗しようとしているのか。経済制裁とか、禁輸処置とか、ちゃんとやってください(笑)

そして、今回の映画はそういう世界情勢において、必死こいて逃げているレジスタンスが、出し抜いたと思ったらバレてて、でもなんとか不意を突いて一撃食らわせた、と思ったらやっぱりバレてて・・・というのが2時間半続くんで、とにかく長い。そして、「やっぱりバレてて」の度に格好いい戦士達や、なつかしのキャラ達がばんばん死んでいくんで、「どうなっちゃうの?」的な盛り上げはあるんだけど、だんだん寂しくなっていくんですよね。で、最初は数隻の戦艦で逃げていたはずが、最後の最後はファルコンに全員乗れるだけしか生き残ってないけど、なんとか逃げ延びました・・・で終わるわけで、見終わった後、高ぶらない映画です。

まあ、しょうが無いけど。ここで解決しちゃったら次を楽しみに待てないんで。わかってましたけども、すかっと「おもしろかったー」とは言えないですよね。

オープニングのポーのスーパーエースぶり、スノークとの対決、新キャラのローズ、ペンギンたち、赤い煙を巻き上げての最終決戦、ルーク無双、ここで出てくるのマスターヨーダ・・・などなど、語りたいポイントはいっぱいあるんだけど、ひとまず、気になったことを書きました。

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October 17, 2017

ドリーム(Hidden Figures)

パンフレットを読んだんですが、脚本の方のお婆様が実際にNASAで働いていたそうなんですが、当時のことを聞いても「私の頃には、もうこんな差別はなくなっていたから、わからない」と仰ったそうです。そんな昔の話です。

道徳の授業でアパルトヘイトについて習ったり、英語の授業でキング牧師の有名な演説を覚えさせられたりしたのも、はるか30年近く前のこと。なので、バスの席が決まっていたり、白人と有色人種でトイレが違ったりという話で驚きはしないものの、ちょっとクラクラする感覚はあります。

こんな差別がまかり通っていた時代があったとは、もう信じられないぐらいの気持ちです。米国に黒人のスーパースターはあらゆる分野にいて、単純に黒人に憧れを抱いている白人のアメリカ人はたくさんいるでしょうし、素直な感覚として黒人差別というものを実感できないアメリカ人は多数いると思います。

じゃあ、問題は解決したのか。もうなくなっちゃったのかというと、いやー、どうなんだろう。ほんと、どうなんだろう。何がどうなっちゃったんだろう。誰が誰を差別しているんだろう。劇中で主人公のうちの一人の管理職昇進の願いを「規則だから」とまったく受け入れない白人の女性管理職が「誤解しないでね。私に偏見はないわ」と言い、主人公が「あなたがそう思いこんでいることは知っています」と応える。 この台詞は重いです。

というようなことを考えさせられますが、まあ、この主人公の女性3人組はいろいろ辛いこともあるけどそれに立ち向かいながら、そして明るく生きていってます。差別という理不尽なものと戦っている辛さはありますけども、私たちも大概理不尽なものと戦ったり、戦わずに回避したり、愚痴ったり、ブチ切れたりしながら生きているわけで、普通に共感できるし、勇気づけられるし、楽しい気持ちになれるお仕事映画です。普通におすすめです。

さて、私としてはもうひとつの注目点はなんといってもIBMでございまして。

NASAのマーキュリー計画を支えた人々とIBMメインフレーム

それまでたくさんの女性を雇って行っていた計算を、代わりにやってくれる文明の利器。IBM 7090 DPS。劇中では、現代(?)でコピー機を「ゼロックス」、ポータブルオーディオを「ウォークマン」と呼ぶように、コンピュータを指して「IBM」と呼ばれます。マシンルームの扉より筐体がデカくて扉ぶち壊したり、「動くまで金払わねえからな」と言われていたり、「昨日と計算結果が違うじゃねえか」と言われていたりと大活躍です。

7090というと、今も売り続けられているIBMメインフレームの直接のご先祖様、System/360の直前の世代の機械で、LISPでおなじみのcar, cdrの由来であるアーキテクチャを持つIBM 704の後継(704→709→7090らしい)です。1959年の発売で、S/360が出るのが64年です。360はお仕事に使えるのがウリみたいなところがあったらしいので、こっちはおそらくは純粋に科学技術計算が求められているマシンですね。

ディスプレイなんてもちろん無くて、パンチカードで入力して、結果はプリンターから出てくる。今考えるとなんじゃいというような機械ですが、これが現場をガンガン変えていく様子がちらっと見られるのがマニア的には楽しい映画です。まあ、映画のクライマックスでは「金属の塊より、人間を信じるよ」ってdisられちゃうんですけどね(笑)。

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October 11, 2017

スタートレック・ディスカバリー

いつになったらはじまるのかなあ、何にも話題になってないなあ・・・と思っていたら、実はすっかり放映がはじまっていたスタートレック12年ぶりの新テレビシリーズ、「ディスカバリー」。

往年のファンとしては本国と同時に日本でも観られ、それもファンが望むレベルでの日本語吹き替え音声がついているなんて幸せすぎて何もいうことはありません。ありがとうございました。

・・・とかいって、いろいろ言うんですけどね。いやですね、うるさいファンって(笑)。

というわけで、この週末に一気に4話まで観ました。面白いか面白くないかと言われれば十分面白いし、求めてるスタートレックのテレビシリーズかと言われれば、コレジャナイ感満載なんですが、シリーズのファンとしてはまずは新しいシリーズの誕生を祝いたいと思います。

というわけで、各話レビューなんかやってみようかと思っています。第1シーズンの1部は9話で一段落らしいので、もう半分ぐらい終わっていていまさら間に合うのかという感じもあるんですが、いいじゃないの。お祭りだからね。

というわけで、各話レビューは当然のことながらネタバレ全開で書きますので、皆さんもちゃんと見ておいて下さい。Netflixにすぐに加入だ!

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June 12, 2017

メッセージ

「あなたの人生の物語」という有名なテッド・チャンの原作を映画化。「タイトルでネタバレしてね?」ということで、映画のタイトルは"Arival"に変更。日本では「アライバルじゃわっかんないよねー」とさらに「メッセージ」という邦題に変わりました。いや、「あなたの人生の物語」で良かったんじゃないかな(笑)。ま、要するにSFファンの間の知名度なんて映画の宣伝では考慮に値しないってことなんでしょう。そう言われたらそんな気もします。

数少ない(というか、ほぼこれ1冊しかないようなもの)チャンの本ですから、間違いなく読んでいるはず、それもワールドコンに行ったとき(10年前だ)には読んでいた(そして、そのときにはすでに中身を忘れかけていた)はずですが、まー、何にも覚えていなかったので、映画は楽しく観られました。映画を見終わった後で、原作も読み返しました。おー、こんな話でしたか。頭の中にビジュアルが思い描きづらい、覚えておきづらい原作ですよ、確かに。面白いんだけど。

見終わった感想ですが、いや、すごく良かったです。

ただですね、見終わった時に心に残る感じが「活劇を観たぜ」という感覚ではなくて、本当に優れたSFの短編、それこそテッド・チャンやグレッグ・イーガンの切れ味鋭い作品を読み終わった時のような、「はー、しびれたー」というような読了感に似ていて、感心すると共に「んー、この映画がヒットする世の中なら、みんなもっとSFを読むに違いない」と思うわけで、ぶっちゃけ「小難しくてつまんない」「よくあるタイムトラベル|歴史改変|ファーストコンタクトものでしょ(←大誤解)」と受け取られて駄作扱いされちゃうんじゃないかと感じたり。

もうこればっかりはその人の感性だったり、読書体験だったりに依存するものなので、なんとも言えないんですけど、「SFらしいSFってこういうものです」という見本みたいな作品なので、「SFの代表って言えば、ガンダムとスターウォーズですよね?」というような高千穂遙さんに聞かれたら自転車でひき殺されそうな認識の人こそ、試しに観てみてもいいと思います。「だめだー」でもまあいい経験だと思いますし、「うぉぉ」ならこれから楽しい世界が待っていますよ。

そして、ネタバレする前にもう一つ言っておきたいのが、音楽。実は、映画の初っぱなの弦の音を聞いた瞬間から「うわ、エンドロールで音楽家の名前を確認しなきゃ。もしかしたら凄く有名な人?」と思いながら観ていました。いわゆる現代音楽の範疇で、サントラっぽいといえばサントラっぽい感じかもしれませんが、アンビエント的な静けさをベースにクラシカルな部分とかなりエレクトロな部分が融合された素晴らしい楽曲でした。音楽担当のヨハン・ヨハンセンさんは、アイスランドの方だそうです。ほほー。で、「IBM 1401 A User's Manual」ってアルバムがディスコグラフィにあるけど、これは何?(笑)

さて、この下はネタバレです。原作と映画、両方についてネタバレしますんで、これから観るよ、読むよという方は注意して下さい。

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September 05, 2016

君の名は。

新海誠監督の最新作、「君の名は。」を観てきました。

もちろん新海監督の名前はよく知っていますけど、実はちゃんとは観てません。実は観たのは「秒速5センチメートル」だけです。「言の葉の庭」はBDを買ってあるんですけど、観てないんですよね。

というわけで、それほど新海監督の個性を理解しているわけではないですが、「秒速5センチメートル」と比較しても、とても共通するものを感じました。

その反面、今回は新海監督にとっては初めての製作委員会方式で、必然的に間口の広さが求められます。その期待にもかなり応えていたんではないでしょうか。

・・・とネタバレなしで言えるのはこのあたりまで。重要な脚本上のギミックがあり、感想も批評もそこに触れないではいられません。個人的にこの映画の評価は高めで凄く楽しめたのですが、細部にわたる完成度という意味ではあまり高い点数は上げられません。ただ、そこは新海監督作品のもっとも重要な点ではないので、これはこれでOKじゃないかと。

今回、BD/DVDになるのを待たずに公開1週目に観に行ったのは、どうやらその「ギミック」についてのネタバレを知ってしまうと面白さが半減してしまうよという感想を多く聞いたから。それは実際に観てみて私も同感です。少しでも興味があるのならとっとと観てきちゃったほうがいいです。配信やディスク販売が始まるころにはみんなネタバレを気にしなくなっちゃうでしょうからね。

というわけで、観てない人はここから下は読んじゃダメ。今すぐチケットを取って!

===ネタバレ防止フィールド===

まず、「秒速5センチメートル」と非常に近い感覚を感じたのは以下の点でした。

  • 喪失がテーマであること
  • 音楽の占める領域が通常の映像作品よりずっと大きいこと
  • SFがギミックとして入ってくるところ

もうね、これ、全部私が好きな要素なんですよ。

私なりにこの作品のテーマを端的に言うならば、「朝、目が覚めたら泣いていた。夢で見たことが悲しくて悲しくて、でも夢なので何が悲しかったのかはどんどん忘れていってしまう。失ったことすら失う悲しみの背後で、では失ったものはなんだったのか」ということです。んとね、だからこの話の本質は、全然ラブストーリーじゃないです。

見終わった後、安心していくつかネタバレ批評を読んだんですけど、「なんでこの2人がお互いを好きになるのかわからない」って意見があるんですよね。でも、それはたぶん男女の恋愛として好きなんじゃないんですよ。何だかわからない運命の結びつきに対して、それを失いたくないと思っているだけで、そんなの言葉にできないから「すきだ」って書いたっていう話なので。そこはOK。

「秒速5センチメートル」は、ストーリーの結論が山崎まさよしの「one more time, one more chance」という曲そのものになっていて、ラストにこの曲を流して、この曲の心情にたどり着いた過程をそこまでに書くという非常に変わった映像作品でした。で、この曲は完全に喪失の曲です。

で、「君の名は。」の最後は大学卒業を控えた瀧が、自分でも理解できない喪失感を抱えたまま社会に出て行くという場面。これ、観てる気持ちは「秒速5センチメートル」にそっくりでした。瀧のような経験が無くても、いや、瀧自身も忘れてしまっているので具体的な経験は無い点では同じかもしれませんが、何かを失った、あるいは何かが足りないという感情で日々を過ごしている人、多いと思うんです。

ただし、「君の名は。」では、最後に2人は出会います。再会・・・じゃないよね。出会うでいい。ここは賛否両論あるのかな。私とMliueは「会えなくてもよかったよね」という感想でしたけど、この映画の規模とターゲットを考えると観客を落ち込ませて帰らせるべきではないし、ラストは十分いい出来でした。

併走する電車ってすごく素敵ですよね。周りの景色は流れていくのに、併走する電車の車内だけこちらからは止まって見える。それでまるでつながっているように思える。私もすごく好きで、窓に張り付いて隣の電車を観てしまいます。子供の頃の話なんで超ローカルなんですが、大阪市営地下鉄の四つ橋線と御堂筋線は、大国町駅を出てなんば駅へ向かうほんの数分だけ併走する区間があります。地下鉄なので真っ暗な中、併走する電車の車内の光景だけがぼーっと浮かび、すぐに壁で遮断されてしまいます。その見えなくなる瞬間の切なさが好きで、じっと観ていたものです。

なんの話かって? 観た人はわかりますよね。でも、じゃあ、あの後ふたりはどうやったら出会えるのか。なんであの階段へたどり着くことになったのか、さっぱりわからない(笑)。でも、そういう整合性は置いといてあの併走する電車のシーンを作ったってことは、監督は電車の併走が私と同じぐらい好きなんだろうなと思って嬉しくなってしまいました。なので、あのラストは私的にはOK!(笑)。でも、あのラストシーンだったら、タイトルは「君の名は。」じゃなくて、「君の名前は」あるいは「君の名前を」なんじゃないかなあ。「君の名は。」というタイトルはもちろん、あの昭和の名ラジオドラマの「君の名は」から取ってるんだと思いますけど、ちょっとどうかと思うセンスです。

さて、前述の通り、「秒速〜」はほぼ「one more time〜」というすでに存在する他人の曲ありきの作品でした。一方、「君の名は。」も音楽の占める割合が非常に大きい作品でした。オープニングからエンドクレジットまで全てあの特徴的なRADWINPSのサウンドで統一され、要所要所で挿入歌が使われます。劇伴とテーマ曲を全部まとめて特定のアーティストにお任せというのも珍しいと思いますが、全編があのサウンドに塗り込められていると、RADWINPSのためにこの作品があるのではないかと思わせるぐらいの強固な組み合い方になっています。音楽的にもなんだか1枚アルバムを通して聞いたような、ずっしりとした手応えを感じました。因果関係はもちろん逆なんですけど、ここも非常に似たところです。

そして、SF的なギミックが効果的に使われることも「らしいなあ」と感じたところ。ここが完全にフェイクになっていて、「高校生の男女の心と体が入れ替わる」話だと、アイデアとしては昔からあるし、過去に名作はいろいろあって、展開も予想がつきます。最初、「君の名は。」はそういう話だと紹介されていたので、そういう話なら観なくてもいいかなと思っていたんですが、どっこいtwitterで「入れ替わるだけじゃなくて、お互いの時間がズレているというのは新しい」という感想を読んでしまって、「なにぃ」と思うと同時に「しまった、これを聞く前に観に行って、劇場で『なにぃ』と言いたかった」と考えて慌てて観に行った次第。残念ながらそこはわかった上で観に行って、冒頭、二人が使っているiPhoneが5と6になっているので「ほお、三葉の方が過去なのね」とわかってしまいました。

しかし、ずれているのが3年で、しかも瀧の時間ではすでに三葉は死んでいるというこの設定が明かされた時には痺れました。もちろん、「瀧が夢の中で失っているものはなにか」という物語の要請から、「夢で出会った少女はすでに死んでいる」という設定が出て、そこから入れ替わりの設定へと組み立てていったんだと思いますけど、この設定は見事。もうね、その設定聞いただけで切ないもの。

大林宣彦監督の「転校生」的なラブコメを期待していたら、いきなりタイムパラドクスもの、そして時間改変ものへとなだれ込んでいき、またその改変しようとしている事象が、地球への隕石の落下という災害だというディザスターものへとなだれ込んでいくのは本当に見事。観客は呆然と目の前のストーリーの枠組みが変わっていくジェットコースター感を味わえます。いや、ストーリーがどんでん返しに次ぐどんでん返しのジェットコースタームービーってのはキャッチフレーズとしてよく言われますけど、ストーリーの枠組というか、ジャンル事態ががらんがらんと変わっていくっていうのは珍しいですよね。三葉との入れ替わりが途絶えてからの「飛騨パート」はさらにロードムービー感まで加わっていて、ここは本当に構成が見事でした。前半の楽しい「転校生」パートからの落差も相まって、驚嘆しました。

それも、オープニングでその隕石が落ちてくるシーンがイメージ的に使われていて、さらに最初のシーンから糸守の湖がクレーター(か、カルデラだけど、それが区別できるようにオープニングがある)であることはすぐわかります。しかも、宮水神社のご神体はさらに別のクレーターなので、ここは何らかの理由でばんばん隕石が落ちてくるヤバい土地であることがちゃんと説明的じゃなく示されているというのも見事。そこまできっちり伏線が張られていても、三葉が隕石の落下で死んでいるというシーンはショック。これも「シン・ゴジラ」と同じく東日本大震災の記憶と結びついた表現で、2016年はちょうどそれが世に出てくる時期なのですね。

と、これだけ「秒速〜」と「君の名は。」には共通点があるので、まあ、ファンは「結局、またあの話?」と思います。でも、押井守にしろ庵野秀明にしろ、作家性の強い監督って同じテーマを何度も変奏するものなので、それは全然アリです。

では、今回何が新しくなっているのかというと、アニメ表現自体。それもコンピューターを使うことにより全てを自分でコントロールする、初期はホントに全部自分で作るという新海監督の最初のアイデンティティから、大作を任される日本屈指のアニメーション作家への変貌です。

アニメーションとしての、黄昏時の再会から隕石落下のシーケンスは本当に見事。感心したのは、瀧が口噛み酒を飲んだあとのイメージカットでペーパーアニメーションをやったことと、落下シーンが迫力のある作画で描かれていたこと。デジタルネイティブな個人製作から出てきた新海監督はこれまでそういう表現をしてこなかったというか、「そういうことは出来ないけど、それでもアニメーション映画は作れる」というところで魅せてきた人だと思っていたので、すごく意外でした。エンドクレジットに黄瀬和哉(プロダクションIG作品における中心的なアニメーターさんです)という名前を観たときも、新海監督はそういう「作画愛でみるアニメ」の様なものと対極にある人だと思っていたので、本当に意外。そういう意味では、ちょっと言い方は変ですけど「普通の大作アニメ」(いや、大作アニメが普通かっていうとそんなことはないと思うんですけど)的でもあり、すごく新海作品でもあるという新海監督がもっとビッグネームになっていく過程でのバランスというか落としどころというか、そういうものを感じました。

その大きなドラマのシーケンスがあった上での、最後のパート。「秒速〜」で言えば第3話にあたる部分(笑)は、また一転して落ち着いたトーンになっていて、新海監督の最も特徴的な個性でとどめを刺してくれる。いや、この枠組は本当に見事。見事の一言に尽きます。

ただ、この見事な枠組、構成に対して、脚本の部分部分をみれば粗は結構あります。みんな疑問に思うのは、「いくらなんでも入れ替わっているときに日付ぐらい観るだろう」とか、「教科書も何もかも違う学校生活はいくら何でもやりきれないだろう」とか、勅使河原の役割が半端だろうとか、なんで瀧が入れ替わりの相手になったのか不明で脚本的に瀧には主人公の資格がないだろうとか。その辺りは甘いし緩い。気になる人は気になるでしょうし、本気で練り上げればまだやれる部分だと思います。思いますが、そのひと皿ひと皿の完成度ではなく、コース料理としてみたときの素晴らしさ、類の無さ。それを2時間以内でさらっと魅せてくれる構成力はすさまじいので、気にならない・・・というかむしろ、もう緩いのがいいぐらい。そこまでびちっとしてたらちょっと息苦しいかもしれないです。

というわけで、ちと論旨が飛び散ってまとまりのない感想を書き散らかしましたのでまとめますと、新海誠の変わらないテーマと、わかりやすい大作アニメ的すごさと一応のハッピーエンドに仕立てた間口の広さを併せ持ち、かつ、めくるめくジャンル変転による一級のストーリー構成を味わえるこの映画は、まさに押井監督にとっての「攻殻機動隊」、細田監督にとっての「サマーウォーズ」、庵野監督における「新世紀エヴァンゲリオン」のような、「メジャーとしての最初の代表作」になったのではないかと、そう思います。こいつは傑作ですよ。

いや、こりゃ次の作品は大変だぞぉ(笑)

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August 02, 2016

シン・ゴジラを観てきました(ネタバレなし)

観てきました

FFXVの映画を観たときの予告で、下町の風景から見上げるとゴジラの尻尾がぶわっと上を横切るカットが出まして。それを見た瞬間、「ああ、庵野さんは、やっぱりすごい」と思いました。そのカットの見せ方だけで全然違う。

いやまあ、私はゴジラ映画を最初から最後まで通して一度もちゃんと見たことないんですけどね。でも、ちゃんと見たことがない理由って、どうしても途中で「なんでやねん」と思ってしまうからなんですよ。

で、すれっからしのオタクは「だが、それがいい」になってしまうか、「俺が作ったらゴジラはちゃんとしてやる。少なくともスーパーXはありえん」と妄想を積み上げまくるか、どちらかになります。もちろん、この映画は完全に後者であり、SF大会とかで夜な夜な「だから、ホントにゴジラが現れたらさあ、自衛隊は災害派遣になるんだから、そう簡単に撃てるわけないわけで・・・」と話している奴が、完璧な形で映画になってます。

なっていて、もちろん私はまったく怪獣映画の素養がないですけど、そういう先輩オタクの妄想激論を「うひひひ」と楽しく聞いているような奴なわけで、この映画はたまんないです。最高です。最後まで「ふぉぉぉ」と雄叫びを(心の中で)上げながら観ていたんですが、でも、普通の人がコレを観て面白いのか、ゴジラファンがコレをみて面白いのかはよくわかりません。

よく言われますよね。最初のゴジラは例えば伊勢湾台風のような巨大災害や、原爆などの大量破壊兵器の圧倒的な暴力と、それに立ち向かう人類の話だったと。でも、ゴジラが人気キャラクターになってしまってからは、多くの人はゴジラに感情移入をして映画を観ていたんだと思うのです。ゴジラがそのすさまじい力でいろんなものをぶっ壊す。そこで何百人、何千人が死んでるだろうということは、まあ、映画なんだからさておいて、その圧倒的な力に対するあこがれのようなもの、あるいは、日常を破壊してくれる爽快感のようなものを求めていて、だからこそ、往時、ゴジラは大ヒットしたんだと思うんですね。

そういう非日常感や爽快感はこの映画には全くありません。あくまでゴジラは「大災害」として完全に21世紀の日本の現実として描かれますから、想起されるのは東日本大震災で津波に押し流される人々であり、福島第二原子力発電所の事故による汚染で住むところを失う人々であり、都市機能の麻痺した東京であたりまえの日常が失われれば自分は家に帰ることすら出来ないんだということを思い知った人々の姿です。いや、なんせご存じの通り、ゴジラさんてば原子力駆動なんで、やっつけると後は除染がいるんですよ。マジデ。なんかですね、画面から受ける気持ちが、あのとき、津波の映像を見ていたときと変わらないんですよね。こう、呆然として、辛くて、そして、やっぱ現実だとは思えなくて。

というかですね、むしろそこがこの映画の貴重なところかもしれなくて、日本人はいくら戦争映画を作っても始終、どこかと戦争しているアメリカさんや、国民のほとんどが一度は銃を持つ韓国さんにかなわないわけですよ、たぶん。しかし、今回、災害映画を作らせたら圧倒的なリアリティが出せると言うことがわかりました。これ、外人がみたらそのリアリティにびっくりするか、逆にリアリティが持てなくて避難のバスが高速道路を埋め尽くす絵で笑っちゃうか、どちらかなんじゃないかな。日本人はまったく笑い事じゃないことをかなり現実的にわかっているわけですけど。

と、いうわけで、今回のゴジラには、基本的に全く超法規的な手続きは起こりませんし、全く超兵器は出てきません。そして、事態は国際問題化し(そりゃそうだわ。いままでのゴジラシリーズでたぶんそんな展開ないと思いますけど、そりゃそうです)、日本は破滅の一歩手前まで追い詰められます。絶体絶命です。そこで、役人も軍人も、にぎりめし食って机に突っ伏して寝て(これも外人にはまったく理解できないでしょうな・・・)、起死回生の手を生み出し、実行します。うん、考えるだけじゃなくて、どうやれば出来るかを考えるのが政治だからね。

まあ、凄い映画です。良くも悪くも、「日本」が「ゴジラ」と戦う映画です。映画の前半はとにかく会議ばっかりしてます。出現した巨大生物に対してのエラい人の対策指示も、「えっと、今の、どこの役所への指示です?」と受ける側も呆然ですが、粛々と手続きはしなければならないので、会議、議論、お仕事、会議、議論、お仕事の連続です。でも、それがまさに戦いなワケです。いや、自衛隊はホントに火気を使って戦いますけど。そんな感じで、かなり怪獣映画という趣は薄いですが、面白い映画であることは間違いないので皆様にもおすすめします。うむー。

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