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おおかみこどもの雨と雪

「おおかみこどもの雨と雪」を7/28(土)に池袋で観ました。レイトショーでしたが、8割ほどの入り。カップルが半分で残りはよく訓練されたアニメマニアの男性グループが3割で、同じく女性グループが2割という感じ。まるでSF大会のような雰囲気でした。昼間はもっと違う客層だと思いますけど。

あらすじはとりあえずこの辺とかを見ていただいて、いきなりネタバレ気にせず感想を。もっとも、本質的にこの作品はネタバレを気にする必要はないです。

観終わっての最初の感想は、「あれ?細田監督はそっちの人になっちゃうの?」でした。そっちってどこだよって話なんですが、それはうまく説明出来ません。しかし、もうアニメマニアのものでなくなったのは確かです。まるで萌える要素がないというか、アニメに潜在的にあるフェチっぽさが薄い。キャラは今回も貞本さんなんですが、貞本キャラを使ってでさえこんなものです。「時かけ」や「サマーウォーズ」にあったアニメっぽさがありません。ちょっと寂しいです。しかし、それにははっきりと理由があります。今回の映画は、いつもの細田さんの手つきでは作れないテーマなのでしょう。

アニメ的な見どころは確かに豊富にあります。CMでもよく観る狼に変身しながら雪山を走り回るシーンや、CGを駆使した溜息が出るほどに美しい背景動画、大雨で躍動する水、草平に自らの承認を求める雪の変身など、どれも素晴らしい。各所の演出もセンス爆発で、雪と雨の成長をスライドする教室の絵で見せた部分など細田さんのきらめく才能は凄いとしかいいようがありません。

で、これが何で「おおかみおとこ」などというファンタジーの設定をモロに使って、かわいい女性とかわいい子供たちの映画なのにもかかわらず、アニメっぽさがないのかというと、テーマがあまりにも普通の映画過ぎるからです。ファンタジーな設定をつかっていますが、要するに社会的に受け入れられない相手との子供を持ったシングルマザーの話です。

他の設定だと、なにせ社会的に受け入れられない人の話ですから、「だって自業自得じゃん」と感情移入してもらえないかもしれません。同じテーマを描くには、例えばナチ占領下のパリでドイツ兵の子供を身籠ったとかでもいいんですよ、たぶん。しかし、圧倒的におおかみおとこの方がホピュラリティのある設定です。リアリティは失っていますが、多くの日本人が身近に感じられ、受け入れやすい設定はどちらかといえば、明らかにおおかみおとこなんです。

そして、そこで描こうとしているのは、ある女性の人生であり、その人生を肯定するのか否定するのかという問題です。いや、否定する人はいないかな。意義深いとするか、そうでもないとするか、かな。だから観終わると「え?この人って映画の主人公足り得てる?」という感じがするはずなんですよ。そこがテーマだから。そんなのアニメアニメしたアニメで描けるはずがないので、このアニメがアニメっぽくないのは当たり前といえば当たり前です。

そこを捕らえそこなった批判がいくつか見られます。いや、面白くないと感じるのは仕方ないですよ。ただ、それは何でなのか、なぜこの映画はそう感じさせてしまうのかということを分析しないといけない。少なくとも、観終わってスカッとしないからダメだと言うのでは話になりません。

花は孤独に二人の子供を育て上げるわけですが、これ、男で言えば高卒だけど立派に定年まで勤めました的な賞賛には価するけど物語の主人公に相応しくないようなことです。花の苦労は描かれるんですが、内的な葛藤があまり描かれないので、「花のキャラクターが薄っぺらい」「細田さんが理想の女性/母親を描いている」といった批判をよく耳にします。

しかし、花は最初から人間的な欠落がある人物として登場します。さらに花の人生は喪失に満ちています。両親を早くに失い、情熱を傾ける対象を持てず、愛する人を失い、住むところを追われ、育て上げた子供はまだ幼さを宿したまま花の元を去ります。

そして、その決して幸せとは言えない人生と共に花は笑っているのです。けして子供を殴ることもなく、理解のない周囲に怒ることもない花を「美化されている」「ロボットのようだ」と揶揄するのもわかります。わかりますが、最初から花は「絶望を前にして笑うしかできない」人間だと描かれているわけです。象徴的なのは、待ち合わせに遅れてきた彼に微笑みかけるところです。あれは、観ている側に激しい違和感を感じさせます。「怒らず、文句ひとつ言わない花はおかしい」と誰しも感じます。しかし、こんなテンプレ的にいくらでも恋人同士の睦みごとを描けるシーンで、あえてそれをせずに違和感のあるシーンにしている理由は、つまり「花はおかしいんだ」ということなのです。

この演出は誤解を生みやすいです。だからこそ、細田監督は菅原文太さんまで使って「こんなときに笑っているお前はおかしいんだ」とはっきり言います。「花っておかしいでしょ?だから、おかしいって言わせてるんだけど」という細田さんの声が聞こえてくるようです。だから、「花というキャラクターはおかしい」という批判はまったくもって意味がないわけです。だってそういうキャラなんだもん。

ラストシーンで花の周りには何もありません。甘美な記憶以外にはすべてを失っているといってもいいでしょう。しかし、娘の雪の視点で花の人生は肯定的に語られます。そりゃそうです。雪からみればそうでしょう。じゃあ、観客からは花の人生はどう評価されるのか。もっと言えば、細田さんはどう思っているのか。おそらく細田監督は、心の底から花の人生を肯定できないはずです。これが子育ての経験があれば違うのかもしれませんが、細田さんには子供はありません。これを書いている私もです。

インタビューでこの映画を作るきっかけは、自分の母親と母になった友人たちの存在があると言ってます。つまり、息子から観て自分に捧げられた母の人生を肯定するのか。あるいは、人生のほとんどを子育てに費やして、疲弊はしているがそれを悲嘆していない母となった友人たちの人生を肯定するのかという映画なわけです。すべてを子供のために犠牲にすること、そんなことをできるのは花みたいな欠落した人間のすることですよ。それでも肯定するんですか。

もちろん、するんです。するんですが、もろ手を挙げてるわけではない。そこが、この映画の奇妙な手触りになっています。

さらに、男の視点からいけば、最後、雨を追って山に入り遭難する花は愚かです。雨は完全に花の手の届かない力を得ています。男には、それまで絶対的な存在であった母親が、自分が暴力を振るえば容易に叩きのめせてしまうのだということに気づく日があります。そして、それに気がつかない、それを認めようとしない母親を愚かに感じます。そうなったからといって、母親に対する思慕の念や感謝の気持ちがなくなることはありません。ですが、その瞬間から、母親を全肯定することはできないのです。

あのラストシーンはおそらく男女で感じ方が大きく違うのではないでしょうか。男は雨に感情移入して、母の権威を否定します。はっきりとあのシーンの花に苛立ちを感じます。「あのシーンで自分の欲求をはっきり示した花には感情移入できるので、あのシーンの花は好きだ」という女性の意見を聞きますが、男には逆です。つまり、これから肯定するものは、かつて一度自分が否定したものだよということなわけです。

それを全部踏まえて、ラストシーンは「どうよ、花って」ってことなんですが・・・いやー、どうよって言われても・・・うーん。結論としては、「わからない」ですよ。たぶん、一生わからない。わかったと言っちゃいかん気もするしね。比較して考えるなら「うさぎドロップ」かもしれないですが、あれのラストはラストでなんか違うんじゃねーのかなーって気もするしねー。うーん・・・。

というわけで、そんな簡単な話じゃないと思いますよ、これ

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