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January 30, 2012

一般意思2.0

佐々木敦さんの「ニッポンの思想」で、「ゼロ年代一人勝ち」と称された東浩紀さんの最新の著作です。

東さんは、思想家であり批評家であり、近年では作家でもあるわけですが、この本は思想と社会システムについての本です。近年は「文化系トークラジオLife」や「ゼロアカ道場」、「シノドス」などを足がかりに若い世代の批評家や哲学者、社会学者が紹介をされていますが、この本を読むと「現状に対する興味深い考察」を越えた真にわくわくするような知的興奮をもたらす思想を提示してくれる東さんは、ひとつ別のレベルにいるなと思えます。それほどまでにこの本は霧が晴れて今まで見えていなかったものがあたかも当たり前にそこにあったかのように新しいことを見せてくれると同時に、とても過激で、まるで面白いSFを読んだかのような読書体験を与えてくれます。

この本ではタイトルの通り、「一般意思2.0」について語っています。「一般意思」とは遥か昔に高校生だったころ倫理の授業で習ったルソーの「社会契約論」のアレです。「2.0」とついているのは、おそらく「Web2.0」という数年前にIT業界で流行った言葉からの類推で、要するに「次のバージョン」とか「新世代の」ぐらいの意味です。この本では、「情報技術の進化という環境変化に対応した」という意味で、「一般意思2.0」や「民主主義2.0」、「国家2.0」などという言葉が出てきます。

で、これまでの東さんの発言などを多少知っている人などがよく誤解しているのが、この「一般意思2.0」や「国家2.0」は「情報技術とかWeb2.0的な集合知を使うことによって、必要悪である代議士制なんかを取らなくても世論の統合とか政策決定とかできんじゃね?」という話だということ。ただ、どっちの方向に誤解かといえばその2つは逆の方向で、「一般意思2.0」は「そもそも世論とかそんなもん必要としませんから。議論?しちゃダメでしょ」的なもっと過激な存在で、「政府2.0」は元も子もない書き方をすれば国会が進化した「ニコニコ生放送」になることだとしてます。

東さんはまず、ルソーの「社会契約論」を読み直すところから始めるのですが、ルソーの「一般意思」とは「世論」ではなく、我々の意思や欲求のベクトル的総和として「勝手に」立ち上がってくるもので、議論により形成したりするものではありません。ルソーは一般意思が健全に生成されるための条件として「市民一人一人に判断の元となる情報が提示されていること」と同時に「お互いが意見の交換をしないで、一人一人が判断すること」としているのです。つまり、ルソーは全然民主主義の人じゃないんですね。ルソーはこの総和つまり数学的演繹の結果である一般意思に主権が存在し、政府は一般意思に従って政治を行えといってます。つまり、独裁を全然否定してません。一般意思は選挙や投票の結果によるものじゃないので明確に形にできませんから、そこで首尾よく一般意思とチャネっちゃったスーパーマンが現れたならその人が政治をするのがベストです。

一般意思の存在が明確でない以上、独裁者の「言ったもん勝ち」的なルソーのこの思想は後の世代の思想家によって批判されるわけですが、東さんはここに注目します。そりゃ、現代数学も存在しない時代には一般意思は想像上の産物だったかもしれない。しかし、それが計算で求まるものであるならば、今、我々には過去に人類が想像もしなかったような計算能力があり、そして、日々の人々の意思や欲望の発露はtwitterのDBや、GoogleのDBや、AmazonのDBの上に存在するのだと。そう、一般意思2.0とは人々の無意識が集積し集計されたデータベースなのだと。あー、そうかも。となると民主主義オワタ・・・?

とはいえ、ルソーの時代から200年の積み重ねをおじゃんにしてしまうのは無理がある。かといって、ハーバーマスのいうような理想的な公共が今、構築可能とは思えない。世の中見渡す限り失敗しまくっとる。東さんは可視化された無意識のデータベースと熟議を通した小さな公共の形成する意思の双方が政府2.0に必要であると議論を展開します。ここが大変に誤解されているところです。要するに今は一般意思2.0が政治に関与する割合が小さすぎると。結果、熟議に重きが置かれているんですが、そちらはそちらで機能マヒしている現状がある。しかし、実際のところ一般意思2.0は物理的な制約として存在してしまっている。それは日本的な「空気」の形成に似ていて、例えば、今はそれをそのまま政治に取り込む政治回路はないわけですが「原発はオワコン」という空気は確認するまでもなく形成されています。そういう「空気」を可視化できますよと。どちらにせよそれを無視することなどできないのだから取り込もうという発想なわけです。ふむふむ。議論の展開が地に足がついたように思えてきました。

で、なんで最後が「ニコ生」になってしまうのかはぜひこの本をお読みください。議論が散漫にならない程度にいろんな話題が大きく吸い込まれていて、しかも、ものすごく平易な文章で読みやすい。こんなに素晴らしい知的興奮を与えてくれる本はなかなかありません。何より、夢があります。

「増税をするために、定数是正をする」というどう考えてもまったく筋の通らない議論が激しくやり取りされている国会に皆さんも絶望してることと思いますが、そんなときにはこの本を読んで夢を語るのもいいじゃないですか。

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January 19, 2012

Cygwinで"fatal error - unable to remap"と言われた

一月ほど前に仕事PCのHDDが飛んで、それに伴ってCygwinもインストールし直しました。そして、Cygwinが自動で入れてくれるRubyはまだ1.8なので、1.9.1を手でメイキンストールして、見た目は元気に動いてました。

ちょっと必要があってrakeを使いたくなり、gemからインストールして実行したら、ありゃりゃりゃ?

$ rake
cat meta.cfg diary/20120106.md |bluefeather -f document - |embeddingCSS.rb > diary/20120106.html
      3 [main] ruby 5536 C:\cygwin\usr\local\bin\ruby.exe: *** fatal error - unable to remap \\?\C:\cygwin\usr\local\lib\ruby\1.9.1\i386-cygwin\etc.so to same address as parent: 0x18CB0000 != 0x18D30000
Stack trace:
Frame     Function  Args
00229DD8  6102796B  (00229DD8, 00000000, 00000000, 00000000)
0022A0C8  6102796B  (6117EC60, 00008000, 00000000, 61180977)
0022B0F8  61004F1B  (611A7FAC, 61247CE4, 18CB0000, 18D30000)
End of stack trace
    540 [main] ruby 3988 fork: child 5536 - died waiting for dll loading, errno 11
(以下ずっーとエラー)

なんでしょう・・・?

ググってみると、Cygwinにはよくある話のようで、理屈はよくわからないんですがcygwinを全部止めて、ash.exeを起動し、そこから/bin/rebaseall -vすればいいらしいです。なるほど!

・・・ダメでした。

rebaseallするとC:\cygwin以下のいろんな*.dllがだーっと流れていくんですが、その中に/usr/local以下のものが見えません。

/bin/rebaseallはシェルスクリプトだったので、中身を見てみましょう。最終行でcleanup処理があるので、これをコメントアウトすると、処理したファイルリスト(rebase.lst)が$TMPに残るようです。見てみましたが、やはり、/usr/local以下のものなんてありません。

rebase.lstの作成方法を確認してみたら、こんな感じ

find /etc/setup -name '*.lst.gz' | xargs gzip -d -c |
  grep -E "\.($Suffixes)\$" |
  sed -e '/cygwin1\.dll$/d' -e '/cyglsa.*\.dll$/d' \
      -e '/sys-root\/mingw/d' -e 's/^/\//' \
      -e '/d?ash\.exe$/d' -e '/rebase\.exe$/d' >"${TmpFile}"

Cygwinさんはインストールしたファイルの一覧を/etc/setup以下に持っているんですね。初めて知りました。

このシェルには対象にしたいファイルリストを引数で渡せて、それを渡すと${TmpFile}の末尾にアペンドして実行するようです。

というわけで、以下の様に実行

/usr/bin/find /usr/local -name '*.so' > $TMP/ruby-so.lst
/bin/rebaseall -T $TMP/ruby-so.lst -v

これで動くようになりました。めでたしめでたし。

そして、全部片付いてから、http://d.hatena.ne.jp/basyura/20110706/p1に全部書いてあることがわかりました。まあ、そういうものだよねー(>_<)

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January 17, 2012

PowerShell がステキ

全部小文字で書いたSQLを大文字にしてくれと言われたとしましょう。

自分のPCで作業していたのなら、Rubyでワンライナです。が、後の比較のため、あえてirbで。

>> File.foreach("t:\hoge.txt"){|i| print i}
select * from syscat.tables
where tabname like 'members'=> nil
>> File.foreach("t:\hoge.txt"){|i| print i.upcase}
SELECT * FROM SYSCAT.TABLES
WHERE TABNAME LIKE 'MEMBERS'=> nil

でも、お客様先のPCで作業していると、ちょっと途方に暮れます。変換するVBScriptを書く?うーん、手で変えた方が早いかも・・・

しかし、PowerShellがあれば

PS T:\> dir hoge.txt
    ディレクトリ: T:\
Mode                LastWriteTime     Length Name
----                -------------     ------ ----
-a---        2012/01/17     17:44         57 hoge.txt
PS T:\> cat hoge.txt
select * from syscat.tables
where tabname like 'members'
PS T:\> ${t:hoge.txt} |foreach{$_.ToUpper()}
SELECT * FROM SYSCAT.TABLES
WHERE TABNAME LIKE 'MEMBERS'

はうっ!これだよ、欲しかったのはこれだよ!もうWin7じゃないPCでは仕事しなくないっす!

てなわけで、言語設計者自ら書いた(いわゆるバイブルって事ですな)この本を見ながらお勉強中。

合間合間に「なぜこういう設計にしたか」というコラムが挟まっていて、そこにはcmd.exeやKshはもちろんのこと、Perl($_があるしね)やPython(一番参考にされてるのはこれかな)、Ruby(「whereは要するにRubyの.matchです」)やLISP(「要するに、これはlambdaです」)まで言及されてます。楽しく読めます。

そして、これらのエエトコ取りをするために、そしてインタラクティブシェルで便利に使えることを優先的に考えるために、ものすごーく考え抜いた設計になっていることがわかります。決して美しくはないですが、これだけ勉強して考えに考え抜いていると、私ごときが文句を付ける余地なんてありません。いや、この本を読んでなければ

while( $i -lt 10000)

とか見たら、「ダサっ」って言ってたと思いますけど、

PowerShell言語において最も議論を呼んだ設計上の決断とは、「>」、「>=」、「<」、「<=」、「==」、「!=」のような、比較のための従来のシンボルをあえて使用しなかったことです。これはきわどい問題でしたが、その理由は、出力リダイレクトに「>」と「<」が使用されているためでした。

(中略)

使いやすさを評価するテストを実施し、フォーカスグループを立ち上げ、結局、最初の暗に落ち着きました。

(略)

これらの(リダイレクト)演算子は30年もの歴史を持つため、PowerShellで使用するのにふさわしいものであると考えています(この決断は今後も批判されるでしょうが、30年間も続かないことを願っています)。

こう書かれちゃうと、しょうがなかったんだろうなあと素直な気持ちになります。いや、Kshを書くときだって

IF [ $i -lt 10000]

と書かずに

IF (( i < 10000))

って書いちゃうんですけど、我慢しますよ。

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January 16, 2012

ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち/三上延

ここに書いた感想で、以前にライトノベルと一般の小説の違いに言及しました。その時、ライトノベルとは「アニメ・ゲームの想像力に基づいた小説」と書きました。ライトノベルの読者にはいまさらな指摘でしょうが、この本にはライトノベルに対照となる作品があります。野村美月の「"文学少女"シリーズ」です。どちらもヒロインは黒髪の清楚で儚げな女性で膨大な本の知識を持ち、本の話題になると話が止まらなくなります。

ただし、「"文学少女"シリーズ」はラノベなので、普通じゃあり得ないほどいっぱい人が殺され、そしてヒロインの遠子は本を食べる妖怪です(笑)。

この「ビブリア古書店」を読んだときの感想は、どうしても「"文学少女"」と重なってしまいます。悪く言えば「二番煎じ」のように感じてしまいます。しかし、もともと大好物なので、またこれが味わえるならなんの不満があろうかというものですし、逆にライトノベルのお約束の外でこれが書けるのなら、こっちの方が正しいんじゃないのかなとも思えます。

でも、楽しんで読んだとはいえこれがヒットしていると聞くと「"文学少女"シリーズ」のファンとしては微妙な気持ちになるのも事実。この本を面白く読んだ人は、未読ならぜひ「"文学少女"」も読んでみてください。荒唐無稽のご都合主義にみえてお気に召さないかもしれませんが、少なくとも「幼児期のトラウマで本が読めない」主人公に比べて、「"文学少女"シリーズ」の主人公の抱える問題はもっと面白い設定ですので。

後は、主人公を好きで栞子さんに敵愾心を燃やすツンデレ少女が出てくれば好みとしては最高なんですけど、それじゃやっぱラノベになっちゃいますかね。

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馬たちよ、それでも光は無垢で/古川日出男

古川日出男の「聖家族」は凄まじい小説でした。エンターテイメントの対局にあるような小説で、圧倒されながら読んで、そして途中で圧倒されて力つきました(笑)。まあ、佐々木敦さんも「文化系トークラジオLife」で「もうね、読まなくていい。買うだけでいい」と言ってたし。ともかく、東北を舞台にした暴力的な歴史と発想の濁流が700ページを超える厚い本にも関わらず、あふれて止まらないというような本です。

そんな本を書いた福島県出身の作家である古川日出男さんが、震災後、東北を舞台にした小説を書いた小説家として、何を感じ、何を思い、何をしたか。そこに綴られている感情は震災の記憶として古川日出男の筆で書き留めておくにふさわしい感情ですが、しかし、ありふれているとも言えます。被災地というその場にいなかった私たち日本人全員が感じた恐怖と不安と焦りだからです。

その感情に突き動かされて、古川さんは震災から一ヶ月後の福島県を訪れます。そして、彼に出会う。誰か。狗塚牛一郎に。犬と牛の名を持つ彼に。そして、馬と語り合う。

・・・「聖家族」を読んでいないとなんのことやらさっぱりわからないと思うんですが、あの濁流がこの作家の心を一度はもみくちゃにしているのだということを読んだ我々は知っていて、そりゃあ見えないはずの彼が見えちゃいますよねと。それを納得してしまえます。

彼が現れた瞬間から、この本はルポタージュと小説が格子模様を書いたような色合いになっていきます。その二つは混ざり合うことなく、しかしぎこちなくなることなく自然に織られてこの奇妙な本を形作ります。この本は優れているがありふれている題材の本から、急速に古川日出男の小説に変わって行く。作者もこのなかで、自分は小説家だ。小説家がするべきことは小説を書くことだと語ります。

しかし、小説が我々に提示される形になるには時間がかかります。芦屋の出身の村上春樹が95年の阪神大震災に呼応し、小説「神の子どもたちはみな踊る」として提出したのは99年。やはり、そのぐらいの時間はかかるものなんでしょう。

今、この形でこの本が出たことは、やむにやまれぬことなのでしょう。この本は「聖家族」の世界に立脚しすぎているし、「聖家族」という巨大な小説の一部となるにしては、あまりに小説部分が微かすぎる。しかし、この形でこの本が出たことに意味はあったと感じました。いずれこの本で古川さんが通過した思考過程やほとばしる感情を元にした小説が私たちの前に現れるはずですが、とりあえずのスナップショットを見せてくれたことには、素直にうれしさを感じずにはいられません。

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January 11, 2012

USBマウスでPCをスリープから復帰させたいんだが・・・

キッチンを改造し、ヘルシオを置いたり、ネスプレッソを置いたりしたんですが、PCも置きました。

いや、キッチンとPCは切っても切り離せない関係ですよ。大量に買い込んでもてあました挙げ句に自炊した料理の本やクックパッドを参照する必要があります。これまでiPadやMac Book Airをキッチンに持ち込んでいたんですが、濡らしたり落としたりするリスクがあるので場所を固定化したかったんです。でも、それなら普通にデスクトップPCでいいわけですわね。

というわけで、ウチで余ってたThinkpad X60(仕事に使っていたWindowsは消去済み)を使います。要はWebとPDFがみられればいいのでLinuxで十分。ubuntu 11.10のインストールメディアが付いた雑誌を買ってきてほいっとインストール。超簡単。Unityっていうんですか、このデスクトップ。設定アプリとかドックの具合とかから察するに、最近はWindowsはやめてMacになろうとしてるようですね。まあ、そうかもねー

なんとAdobe Readerも普通に使えるようで、ちゃちゃっとセットアップ。狭いキッチンで場所を取るのは悪なので蓋を閉じてもスリープしないように設定し、100均で買ってきた包丁立てに立てます。外部ディスプレイとUSBマウスを付けて、画面にソフトウェアキーボードが表示されるようにします。キーボードは付けません。まあ、せいぜいクックパッドで検索するときに「白菜」とか入力できればいいので、これで十分です。ソフトウェアキーボードは「ユニバーサルアクセス」に関する設定にあります。標準でちゃんとあるの、偉いね。

と、まあ、ここまではターミナルに触らずに出来ました。いや、途中で設定の場所を探すのに戸惑ってますが、それはまあ、しょうがないよね。いいんです。Googleさんが教えてくれるから。

次に、NASに保存してあるPDFを参照できるようにします。と言ってもsmbfsをaptでいれて、/etc/fstabに/mnt/nasにマウントするように1行追加するだけ。さすがに毎回ネットワークごしにアクセスすると辛いし、Nautlilusが表紙を表示してくれたほうが見やすいので、後でホームディレクトリにrsyncするようにcrontabに追記するつもり。

さて、年柄年中電源ONというのもエコ的によろしくないですが、包丁立てに立ててあるThinkpadを毎回取り出して電源ボタンを押すというのも微妙です。スリープにしておいて、マウスクリックで復帰してくれると大変ありがたい。

調べてみると、/proc/acpi/wakeupにスリープ復帰に使われるデバイス定義があるようです。USB0,USB1,USB2,USB7と並んでいますが、どこにマウスがささっているのかわからないのでとりあえず全部enableに変えちゃいました。こんな感じです

sudo su
echo USB0 > /proc/acpi/wakeup

しかし、スリープさせてマウスをいじってみてもさっぱり復帰しません。

うむむー。指しているポートが良くないのかなと、ケーブルを抜いてみたら復帰しました(笑)

なるほど、設定は間違ってないけどスリープ状態のUSBポートが通電されていないので、クリックしても信号は出ないってことなんですかね。そりゃまあ、そうかもね。

・・・じゃあどうすればいいのさ!

うーん・・・電源有りのUSBハブを持ってきてそれを挟めばいいのかな?というか、スリープ中にUSBに通電する設定とかがあるのかしらん?

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January 04, 2012

100000年後の安全

激烈の2011年が終わり、原発についてはみなさんお腹いっぱいかもしれません。しかし、整理しましょう。2011年にみんなが知っているようでよくわかっていなかったことは、原発は止まっていても危ないということでした。

逆に、止めたままの原発は全くもって始末に負えないものです。運転している原発は価値を生み続けますから、それをもって運用を続けて行くことができます。しかし、止めた原発はただの金食い虫です。一度動かした原発はずっと冷却が必要になります。すべての原発を同時に廃炉にすることができない以上、優先順位(当然、古いものから止めて行くんでしょうから)をつけて廃炉にし、それ以外は運転を続けるべきです。

ただし、原発を動かすことにより新たな核廃棄物がうまれてしまう問題はあります。原発の最もマズい点は核廃棄物の最終処分方法が決まっていないことです。この問題を先送りにして原子力発電をやり始めてしまったのは罪以外の何物でもないし、この問題にめどがつかない限り原子力発電に未来はない。もっとも、もう既に大量の核廃棄物があるので、上の「一部を動かしながら、どう脱・原発を実現するか」の方針は変わらないんですけど。だって、価値をまったく生まないものに対して投資もできんわけで。

さて、その大問題であるところの核廃棄物最終処分問題ですが、フィンランドではオンカロというところに10億年ぐらい前の岩盤があって、そこを掘って埋めることにしたそうです。核廃棄物が無害になるまでは10万年ぐらいかかるんですが、なんせ10億年間安定的だった岩盤なので、10万年ぐらいは平気だろうと。たぶんその推測は正しい。しかし、せっかく埋めた核廃棄物を掘り出しちゃう可能性はある。

この「100000年後の安全」は、このオンカロに関するドキュメンタリーです。その主眼はこの施設の安全性。それも、100年先ではなく、1万年、10万年先。ここで議論になるのは、例えば「ここは危ないから掘っちゃ駄目」というメッセージを残すかどうか。ある人は、きちんとメッセージを残して子々孫々語り継ぐべきだと言う。ある人は、そもそも正しく伝わるメッセージを用意できる保証はないんだから、何も残さない方がいいという。一番恐ろしいのは人間の好奇心だと。

やー、確かに古代人の遺跡とか発見しちゃったら、そりゃ掘るわ。「掘っちゃ駄目」って書いてあったら、嬉々として掘るでしょう。

いや、そもそも今から10万年前の人類といえばネアンデルタール人な訳です。コミュニケーション可能どころか、別な種になっちゃってるかもしれない。ネアンデルタール人からのメッセージを読める自信はどう考えてもない。そもそも、気にしなくちゃいけないのは、人類かどうかもわかりません。何か違う種が知性を持っているかもしれません。来週した異星人かもしれません。

このような事柄に関して、フィンランドの有識者たちがどう思っていて何を語るのか。さほど長くない映画で、DVDもそんなに高くないのでぜひ観てください。

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January 01, 2012

あけまろしく

みなさま、大変だった2011年。どうでしたか。何はともあれ、年が変わりました。あけまろしく。

年賀状を出さなくなって10年以上が過ぎまして、代わりの近況をここに書くのも恒例ですが、無事に生きてます。他、特に変わりません。埼玉県はいまだほとんどが謎です。

一昨年の夏から某ネット銀行さんのインフラの運用の仕事をしてたんですが、晴れてプロジェクトから抜けました。抜けないと何の仕事をしていたのか書けない難儀な仕事ですが、めでたく抜けましたのでここにお知らせ。

これまであまりクリティカルなシステムはやったことがなく、それよりもどちらかと言えば「速い・安い・うまくない」というようなシステム構築が多かったので、いろいろと新鮮でした。製造業のシステム屋の常識から言えば、「こんなことにこんな膨大な工数をかけて、そんなじゃぶじゃぶお金使っていいの?」という感じでしたが、周りの金融畑のSEさんに話を聞いてみると、メガバンクさんとかに比べればこのお客様は相当にイケイケでいい加減なんだそうです。メガバンク、うぜぇ。

というわけで、多重化されているディスク装置の中の一個のHDDが壊れただけで夜中に叩き起こされる生活から解放されました。緊急対応当番の日は休日でも家から出られず、それが酷いときには3日に1度回ってくるという何の奴隷かというようなトンデモ体制でした。私が抜けるときには5日に1度だったんですが、私が抜けると同時に、メンバーの一人がちょんぼで本番作業禁止をくらい、残してきた人たちは3日に1度に逆戻りです。グレた方がいいね。

年明けからは、また製造業のお客様になるんですが、仕事の内容的にはインフラじゃなくなる予定なので、また別のギャップがあるはずです。まあ、できることばっかりやってたって面白くありませんので、お金をもらいながら勉強させてもらえればお得ということでがんばっていきます。Excelを触らなくていい仕事がいいなあ。

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