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F1GP2011 #8 ヨーロッパGP

ヨーロッパGPの一番の驚き。それは、なんと出走したすべてのマシーンがチェッカーフラッグを受けたことです。F1史上、4度目だとか。

・・・いや、これはなんかマズイです。F1レースというものの本質が変わってしまったのではないでしょうか。変わってはいけないかどうかは議論がありますが、変わったことは違いない。

かつては、みんなリタイヤしまくってチェッカーを受けたマシンが全部入賞した(モナコでしたよね、確か。いつのモナコだったかは忘れましたが)なんてレースを見たことまであるのにですよ。

さすがにだーれもリタイアしなければトップチーム以外がポイントを取るのは困難です。とはいえ、ペトロフと(主に)シューマッハがドジとフロントウィングを同時に踏んだことにより、アルグエルスアリとスーティルはポイントを取ったわけですが、それにしてもねぇ。可夢偉の脅威の連続入賞記録も途絶えてしまいました。続いていたことが異常だったのですが。

この脅威の信頼性の陰には技術の向上もありますが、リタイアに対するペナルティが大きすぎることがあるような気がします。今のポイント制度では、壊れるかもしれないけどどんどん新技術を入れて、たまに優勝できればOKというようなやり方ではチャンピオンは取れませんし、バトルもし辛い状況です。ハミルトンはそんな中でも果敢にアタックしてますが、白い目で見られまくりです。なんだろう。今回誰もリタイアしなかったのは、ハミルトンが自重してたからなんでしょうか(笑)

というわけで、レースとしてはそれなりに面白かったバレンシアですが、ちょっと別なことが気がかりなレースでもありました。どうなんでしょうねえ・・・

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からだの一日/ジェニファー・アッカーマン

主に2000年以後の科学・医学における人間の体についての発見を、朝起きてから深夜誰しもが眠る(もちろん例外の人もいて、そういう人の体に何が起きるのかも書いてありますが)時間までの1日の流れに沿って紹介している本です。

私も高校を卒業してはや15年余り。15年も経てば、当時、生物の教科書に載っていたことからかなり生物学・医学は進歩しています。そうした知識の総アップデートにまさしく適した本です。逆に言えば、高校程度の生物学の知識はあった方が読みやすいでしょう。ヒトゲノム計画や、fMRI、テストステロンやコルチゾールなんて言葉をまったく聴いたことがなければ、少し戸惑ってしまうレベルかもしれません。

まあ、まったくそういう言葉を知らないなら、それはそれでこの本をさらっと最後まで読んで(魅力的な語り口なので、よくわからなくても読めてしまいます)、類書を何冊か読めばいいでしょう。我々が我々の体について何をどうやって知っていて、何がわかっていないかということは、現代を生きる上で必要不可欠な知識です。

さて、例えばどんなことが書いてあるかといえば、

  • 薬を飲むのに、あるいは晩酌に適した時刻は何時か
  • 空腹を認識させる化学物質は何か
  • どんな腸内細菌が体脂肪率を引き上げるのか
  • 疲労とはどんな体の状態なのか
  • バイアグラは体にどう作用するのか

などなど、睡眠・知覚・消化・運動・生殖等のさまざまなトピックに対して1日の生活の流れに沿って紹介してくれます。「○○には××が効く」なんていう安直な本はたき火にくべて、このようなまっとうな科学書に親しんで、脳内の定期アップデートを行うことをぜひ、お勧めします。

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秀丸のプログラム実行がなにげに便利だ

ひさーしぶりに秀丸のサイトを見てみたら、いつのまにやら今使っているバージョン8にはこんな機能が!

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こんな文書があったとして

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"プログラム実行"を選択

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文書をSTDINに向かせてrubyが書けて・・・

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STDOUTで置き換えられる!

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日本語教室/井上ひさし

井上ひさしさんが2001年ごろに上智大学で行った連続講演がそのまま書籍になっています。

近年の新書ブームによって、新書らしい新書、つまり「専門家が一般の読者に向けに自身の専門分野について解説する本」がめっきり減ってしまいました。「バカの壁」がひとつのきっかけだったのではないかと思うのですが、著名人が自分の専門でもないことについてお門違いのことをいう本や、おもしろおかしいだけのエッセイ、対談で何時間かしゃべったものをまとめただけのものなどが増えました。

例えば学生の頃などに、勉強したいことがあれば、まず最初の1冊として岩波の赤い新書の棚に行くという習慣を持っていた人も多くいるのではないかと思うのですが(かくいう私もそうですが)、そういう人の感性からすれば、「ちょっとこれは新書の水準には達してないんじゃないか」と考える本が非常に多いのです。

しかし、最近は「まあ、いいかな」と思っています。例えばこの「日本語教室」ですが、以前の新書で言えばもうこのタイトルを付けた瞬間に日本語あるいは日本語教育の本でなければ詐欺呼ばわりされても仕方がないですが、もう今更そんな文句を言う人もいないでしょう。いたとしたら、逆によっぽど最近本を読んでいなかったんでしょうね。

結局のところ、10年も前の講演をそのまま文字におこして井上さんの一周忌に当て込んで売ろうという安い商売なんですが、果たしてそうでなければこの講演の内容が広く世に出ることがあったのか。出たとしても、1000円以下で買えたとは思えないわけで、これはこれとして十分に出版する価値があるのだろうと判断します。

ただ、講演そのままなので話はまとまってませんし、ネタも珠玉混交です。でも、面白いエピソードも多いしすぐ読めてしまうので、本屋の棚からなくならないうちにぱっと手にとって行き帰りの通勤電車のなかで読んでしまうのことをおすすめします。

私が面白いなと思った話は、日本語の起源の話。関西方言と東北方言では東北方言の方が古い日本語を残しているだろうというのは柳田國男さんが「蝸牛考」で言っていることですが、縄文時代の日本語は東北方言の様にアクセントがない言葉で、そこに弥生時代の渡来人がやってきて中国語とのピジン言語が作られて高低のアクセントがつくようになり、それが関西方言の元になったのではないかという推察が出てきます。それは面白い発想ですな。

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F1GP2011 #6 モナコGP

伝統のモナコ。そして、伝統がなければ現代F1が開催される筈のない場所、それがモナコ(笑)。モナコは、あの場所をF1マシンが走ること自体がエキサイティングなことであり、まあ、レースが盛り上がることはあんまり記憶がなかったり。意外な人が勝ったり、意外な事件は起きたりするんですけどね。

そんなモナコですが、今年は近年まれに見る面白いモナコでした。やはりピレリタイヤが鍵でした。早めにタイヤ交換したためにずるずるのタイヤでトップを守るベッテルと、タイヤを履き替えて猛烈な勢いで後ろに迫るバトンとその前にはアロンソも。それでもオーバーテイクは難しかったと思いますが、興奮のレースは約束されてました。赤旗までは。残念。でも、それもモナコ。つか、あと5周とかでなんで再開するんだろう。昔は終わりでしたよね?いつ変わったんだ?

そして、やはり可夢偉。赤旗がなければ4位でしたから残念な気持ちもありますが、しかし、5位はすごい。ザウバーのマシンで5位を取るということは、優勝に匹敵する出来事です。開幕から今まで全戦ポイントだということもすばらしいですが、なにより素晴らしいのは、可夢偉はただじっとそこにいたからその順位になったのではなく、いつだって1つか2つはオーバーテイクを見せているということです。今回もスーティルをスライドしながら抜いていきました。素晴らしい。逆に可夢偉は後ろから速い車がきたときには、あまり執拗な抵抗しないドライバーでもあります。そこも好印象なんですよね。

ということで、もはや可夢偉に期待することは日本人F1ドライバーとしては初めて「もう一つ上のステージ」へあがってもらうことになりました。今の時点でこれだけのことができるのであれば、来年もザウバーに乗っているのはあまりに惜しい。しかし、F1のシートを得ることがただ優れたドライバーであるだけでは駄目であるのと同じ、またはそれ以上にトップチームのシートに座ることは本人の努力と実力だけではどうにもならないものがあります。

日本がもっと可夢偉を助けてあげられる状況であればよいのですが、F1における日本のプレゼンスは過去20年でもっとも小さいのは今の状況です。これだけの活躍をかつてあれだけ世間を賑わせたF1の舞台でやっているにも関わらず、けっして小林可夢偉という名前が日本に浸透しているとも言えません。まずは日本人がもっと可夢偉を応援してあげることが大事なのではないでしょうか。幸い、ここ数年のF1GPはレースそのものとして近年まれに見る面白さを内包しています。20年前、月曜日にはこぞって眠い目を擦っていたかつての日本人のようにF1に皆のめが向く、そのきっかけにこのモナコ5位がなればいいのですが。

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涼宮ハルヒの驚愕

待ちましたねー。発売延期から4年。他にファンが何年も続編を待っている未完結シリーズはたくさんありますが、前後編の後編が出なくなっちゃうというのは珍しいパターンだと思います。

そして、難産の末の「分裂」「驚愕」の前後編だったわけですが、頷ける内容でした。涼宮ハルヒシリーズでは、第1作の「憂鬱」、そして名作の誉れ高い「消失」に続く第3の作品になりました。

いや、単純な面白さという意味ではちょっち微妙なんですが、それはある程度しょうがないかなという気がするんです。

「憂鬱」は、骨格はシンプルなボーイ・ミーツ・ガールの物語でした。子供じみた夢想に連なる平凡でない日常を求めていた男女が出会い、お互いの思いを認め合う。キョンは自分があきらめてしまった非日常に対する憬れを強く求め続けるハルヒの姿に心を揺さぶられ、ハルヒは自分を「見つけてくれた」キョンに応える(応え方が可愛いんですよね。作中で2度、同じやり方で。読んでない人の為に今は書きませんけど)。そして、その骨格に対し、毒とも思える典型的な「萌え」要素を詰めて(「綾波」に対して、「長門」ですからね)ラノベに仕立て、そして物語をドライブさせる要素としてグレッグ・イーガンの「万物理論」ばりのハードSF設定を使いこなす。

そして、「消失」は第2のヒロインとも言える長門有希とハルヒのどちらをキョンが選ぶのかというレベルと、もう一つメタなレベルとして主人公が作品世界の「リアリティー」のレベルを選ぶという2段階のストーリーを、時空改変SFとして構成しました。言わば、物語の「ラノベ度」ともいうべきものがテーマになるという「そんなんありですか」という話なんですが、長門萌えの人を二人の有希をそれぞれに愛でて幸せってレベルでもお腹いっぱいにさせているという面で、圧倒的に優れた作品でした。

このように、「涼宮ハルヒ」の本編シリーズではストーリーの上に作品の構造それ自体がメタレベルとして乗っかっていることが特徴です。「涼宮ハルヒ」はライトノベルというスタイルそのものを利用したメタ構造を持っているが故にライトノベルでしかできず、かつ、ライトノベルの枠を超えているわけです。「まおゆう」が幾多のRPGの文脈の上にしかあのスタイルを築き得ないのと同じですが、「涼宮ハルヒ」は背景に東浩紀さんのいうデータベース消費で成り立っている構造のライトノベルをさらに構造に持つという複雑なことになってます。いくらハードSFだからといってハヤカワで出してもだめなのね(笑)。

そして、今作がメインのテーマにとらえたのが「ハルヒとキョンの恋」でした・・・というかだった筈です。ハルヒとは違う、普通の女の子(というにはちょっと性格が変わってるけど、まあ美人にはよくあること^^;)である佐々木(この世界には名字しか出てこない人は一般人というルールがあります)の登場で自分の感情に気がつきまごまごするハルヒさんかわゆす。

そこに、構造今回のメタ構造では作品世界の時系列が分裂します。そこで、彼女(というかパートナー)としてハルヒを選ぶか佐々木を選ぶかがハルヒのSOS団を選ぶか佐々木のSOS団を選ぶかに重ねられ、ハルヒの揺れ動く心理がα時空とβ時空に分離していきます。佐々木が出てこないα世界でハルヒがキョンに何をしていたか、そして、突然、ハルヒがなんでそんなことをしていたかといえばそのきっかけが佐々木の発言にあったことを考えると・・・やはりハルヒさんかわゆす。

で、このストーリーの進展結果は、男女として少し進んだ関係になったハルキョンの筈なんですが、そこがうまく行ってないんですね。要因は二つあって、まあ、単純にネタとして自意識の問題よりも恋愛の方が扱いが難しかったということが一つと、もう一つにはハルヒとキョンがくっつくと「涼宮ハルヒ」自体が終わってしまいかねないということがあったんじゃないでしょうか。「分裂」が出たのはアニメ放送直後のフィーバー時。「分裂」が出た時点では当然「驚愕」のプロットは完成していたんだと思いますが、そのプロットにNGが出てしまったんじゃないかと。

谷川さんは、かなり理論的に構造を決めて書いている感じがあるので、この変更要求と「ついでにもうちょっとよくならないかな」という気持ちが泥沼の4年間じゃないかと。そのあたりの混乱の後が、物語のラスト付近のキョンが垣間みる大学生のハルヒの姿なんじゃないかと。これは最初のプロットの名残のシーンなんじゃないかな。今のストーリーだと別にいらないですものね。でも、なんとなくなくすのが惜しい感じもある。

というわけで、いろいろ大変だったんだろうなあと思いつつ、手放しで絶賛するような作品でもないですが決着をつけてくれたことには賞賛を送りたいと思います。ともかく、久しぶりに「涼宮ハルヒ」が読めて楽しかったですしね!

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