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オタクって、やっぱり逃避なのか?

「男性をほめるのは女性の仕事」と言ってみるテスト (H-Yamaguchi.net)

日本の男性は女性をほめない、という話がよくある。たいてい「欧米では」と続く例のアレだ。一応「日本男性はシャイ」だの「日本男児は質実剛健」とかいう 反論なんかもあるんだが、ごちゃごちゃやったあげく「だから日本の男はだめ」と締めくくる。なんかもう展開がぜんぶ読めちゃうぐらい使い古された流れに なってるわけだ。

(中略)

日本女性は、日本男性をほめているだろうか。「日本の女性」はともかく、残念ながら私の場合、「欧米の女性」と接する機会はあまり多いとはいえないが、数 少ない経験から独断でいうと、「欧米の女性」(少なくとも大人の)は、「日本の女性」よりも気軽に、上手に男性をほめる傾向があるように思う。それから、 ほめられたときにも「えぇ!?」とか「キモい」とかみたいな顔をせずににっこりと返してみたりする(これって重要だよねぇ)から、ほめことばをかけやす い。そういう観点からすると、「ほめられたいんだったらまず自分の態度から変えればぁ?」というのは、それほど的外れな意見ではないように思う。

まあ、そうですよね。ここまでは、ある主張がより一般に適用できるという議論だから、それほど目新しいわけでも有益でもないと思います。

しかし、この後、根拠のない私見であるとして、山口さんはこう述べてます。

あくまで印象論だが、日本の男性、特に若年層の男性の中に、自分に対して自信をもてないでいる人がかなりいるように思う。自分にはたいしたことはできないのではないか、自分は周囲に溶け込めていないのではないか、自分は女性にもてないのではないか、自分は(以下略)。

(中略)

そういう差がどこから来るんだろうというのは正直よくわからないが、私としては、「日本男性に自信がないのは、女性のせいでもある」と主張してみたい。よ しあしは別として、社会環境的には男性のほうが明らかに厳しい競争にさらされている。当然、誰もがトップランナーになれるわけではない。それでも、女性 (たった1人でも)から評価されていれば、それなりに自信を保って、努力を続けていけるものなのではないか、と。しかし、日本男性はほめられない。徹底的 に、ほめられない。代わりに、叩かれる。けなされる。笑われる。無視される。繰り返し、手を変え品を変え、執拗に、徹底的に。

(中略)

本人たちが何というか知らないが、いわゆる「二次元」の女性に惹かれる男性の中には、そういった経験から、「三次元」の女性との関係を構築することに絶望 したりしている人がかなりいると思う。それは男がひ弱でだらしないだけじゃないか、と思った方、それだ。それこそ、日本女性が日本男性に対してとる典型的 な態度だ。日本の男性が「男性をほめるのは女性の仕事」と主張しないのは、そういう主張に対するタブー感(男たるものそんな弱音を吐いてどうする的な)だ けでなく、ある種の「絶望」と「無力感」(どうせそんなこといったってわかってもらえるはずないよな的な)みたいなものがあるからではなかろうか。

うーむ。これはなかなか面白い知見です。こういう「男が男らしくあるべきというプレッシャー」という観念は確かにかなり薄くなっていると思います。まだ学生だった頃、高橋幸宏が「LIFE TIME, HAPPY TIME (幸福の調子) 」というアルバムの「男において」という曲で

男をやめてしまえるのなら 君といるぐらい幸せだろう

と、歌っているのを聞いてショックを受けたことがありますが、そんなショックを受けてしまうほど「男らしさ」というプレッシャーから無縁な世代と言えるかも知れません。ということは、あるのはもう「絶望」と「無力感」だけなのかな。確かに、「夕ニャン」開始が小学生の時という、女子高生が世界最強であるという世の中をずっと生きてきて、男の意見なんてだーれも聞いてくれないし、何を言っても女の子の「ありえなーい」「なんかキモーい」の一言で否定されるってのは、なんか骨身に染みている様な気がするんですよね。

で、その結果、男はみんなアレゲな方へ行ってしまったと。え、そういうこと?それは短絡的過ぎなんじゃ?・・・でも、人の評価の軸に載らないようにすること、人から虐げられるような趣味を持つこと自体がその「絶望」と「無力感」から出ているのではないか、そんな雰囲気を感じることもあるなあ・・・。要するに、自ら「降りて」しまっているのではないかと。

実は、私は割と古いオタクなんで、そのあたりのアイデンティティ問題とはあまり関係してません。しかし、今、古い世代のオタクが冷ややかに見る、なんとなく刹那的な雰囲気すら漂うオタクたちが、岡田さんが「オタク・イズ・デッド」で語った「オタクであることが個人のアイデンティティと切り離せない」という第三世代のオタクなのかと思います。「オタク・イズ・デッド」を読んだだけでは、いまいちピンと来なかったんですが。ちなみに、私は「オタク・イズ・デッド」で言えば第二世代オタク、オタクアカデミズムそのものなんで、こっちはよくわかったんですけどね。

なので、私個人としては、「オタクであること」はむしろ自分に課した枷であり、オタクであることは個人の誇りへ直結しますし、だからこそ、今クールで流行ってるアニメすら見切れてないと「サボってる」という認識になるわけですけど、そうではなくて、オタクであることが「絶望」と「無力感」の果てにたどり着いた場所であるって人もいるんでしょうねえ。

あー、なんか結論が「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読んだときと同じになってる気がする!

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