ネスプレッソ PIXIE

ネスプレッソ PIXIEを買いました。ネスプレッソは、カプセルタイプの小型エスプレッソマシンです。

中学受験をすることを小6の10月に決意した(<遅っ)私は、生まれて初めて受験勉強をしました。それまで宿題以外に机に向かったことがなく、さらに学校の勉強でわからないことは何一つなく宿題は単なる作業に過ぎなかったわけで、うなりながら机に向かうのは新鮮な体験です。楽しかった覚えしかありません。そして、母親が深夜まで勉強している息子に夜食と魔法瓶いっぱいのコーヒーを用意してくれました。父も母もコーヒーが好きだったのですが、それまで子供には飲ませていませんでした。

たった3ヶ月の受験勉強だったんですが、心配した母親が息子をカフェイン中毒にするには十分で、以来、コーヒーなしの生活は考えられません。いや、だらだらと寝っ転がっているだけなら要らないんですが、何か作業をしようとすると言い訳もあるのでしょうが「コーヒーがないと」になってしまいます。大学院時代は、研究室に自分のコーヒーメーカーを持ち込んでいました。

このような経緯でコーヒー好きになったため、基本はでっかいマグになみなみとドリップコーヒーを注いで飲んでます。朝食は取らない習慣のため(だって、頭が働くのは朝起きてから最初の食事を摂るまでじゃないですか。一日のその後は作業の時間で頭脳労働の時間じゃないです)、朝、1杯のコーヒーに砂糖を入れて、それが朝食代わりです。

と、ここまでの長ーい前置きで何を書きたかったかと言えば、私はエスプレッソは飲みませんということです。わはは。

コーヒー好きですから、ネスプレッソというシステムが存在するということ自体は知ってました。徹底して管理され通販か特定のデパートでしか買えないカプセルと、専用のマシンを使用していつでも安定したコーヒーが飲める美しいシステム。味に対する評価はすこぶる高いです。コーヒー好きなら、挽いた直後の豆で入れるコーヒーと挽いてから1週間たったコーヒーでは雲泥の差があることは毎回、挽き立ての豆を買ってくる度に思い知っています。しかし、毎回ミルで豆を挽くのはめんどくさい。あのカプセルなら、それが要らないのだとすれば・・・

・・・でも、エスプレッソは飲まないんだよねー

そんな時、昨年結婚して、祝いを送り損なっていた従妹に祝いに何か欲しい物はあるかと聞いていたところ、「コーヒーメーカーが欲しい」と言ってきました。「AY子、コーヒーなんか飲んだか?」と思ったんですが、旦那が飲むんでしょう。

ただ、コーヒーメーカーなんて安ければ数千円で買えてしまう物ですし、高い物がよいというようにも思えません。あまりプレゼントとしては面白くない。プレゼントは、高くてかさばってあればうれしいような気がするけど間違っても自分の為には買わない物を贈るのがポリシーです。うーん・・・

大宮のビッグカメラへ偵察に行くと、売れ筋のコーヒーメーカーとしてネスカフェドルチェグストが並んでました。ドルチェグストはネスプレッソほど硬派ではないカプセルコーヒーシステムです。普通のドリップコーヒーもあるし、カプチーノなどのミルクレシピやチョコや抹茶ラテまであります。セブンやアマゾンでカプセルを買えるし(ネスプレッソは専門店か通販のみ)ね。うん、普通のコーヒーメーカーは自分で買ってもらおう(笑)

というわけで、ビッグカメラよりだいぶ安かった某電気屋さんの通販サイトでオーダーしました。届いた後、連絡が来なくなってしまったんだけど(笑)、楽しんでくれているといいなあ。

で、いろいろ調べているうちに自分でも欲しくなってしまいました。同じドルチェグストを買ってもつまらないし、ここはやはりネスプレッソにするべきでしょう。さらに、新型マシンのPIXIEの特設サイトを見ていると楽しくなってしまい、これに決定。もうね、機能説明のビデオがまるで何にも説明しないのがすごい(笑)。

というわけで、購入してそろそろ1ヶ月になります。エスプレッソを飲まない私が、PIXIEを使っているかといえば・・・驚くほど使ってます。味も確かに素晴らしいんですが、やっぱりなにより楽です。徹夜仕事の時みたいにたくさん飲みたいときはドリップコーヒーをたっぷり沸かした方がいいんですが、朝でかける前の1杯は絶対にこちらの方が楽。それほどきつくないカプセルをルンゴで淹れれば十分に1杯分にはなります。またはあらかじめマグに牛乳をすこし注いでおいたり、あるいはお湯で薄めて飲んだり(カフェ・アメリカーノというらしいです)すれば別にエスプレッソだと思わなくても違和感なく飲めてしまいます。

なにより、家でエスプレッソ・アフォガートが食べられるのは素晴らしい。この世で一番好きな飲み物がコーヒーフロートという私ですから、もちろんアフォガートも大好物。この時ばかりは重めのカプセルをリストレットで淹れて、にがーいコーヒーを作ります。

というわけで、コーヒー好きには絶対にオススメ。これを買えば、普通のコーヒーメーカーは捨ててもOK!普段使いで楽したいときはネスプレッソ、美味しいドリップコーヒーが飲みたいときは、コーヒーメーカーではなくてヤカンにお湯を沸かしてドリッパーを使えばいいんです。だって、あえてドリップコーヒーが飲みたいってことはそれだけの手間をかけたい気分なんでしょうから。私もPIXIEを買ってから、今度はコーヒーミルが欲しくなりました(笑)。あとは、やっぱりミルクフォーマーとシロップですかねぇ・・・

あえて難点を指摘しておくならば、稼働時の音と、ランニングコスト。音はうるさいです。体育倉庫にあった電動の空気入れを思い出していただければそんな感じです。ん?手動の空気入れしかなかったんですか?えーっと、じゃあ、金魚の水槽のポンプの倍ぐらいをイメージして下さい。コンプレッサーが小さい筐体に収まっているのでしょうがないんですが、ちょっとぎょっとします。テレビを見ている家族に睨まれます。でもすぐに慣れます。

ランニングコストですが、1杯飲むのにカプセル1個分の値段がかかります。カプセルはだいたい80円弱です。でも、コーヒー好きのあなたはカップの自販機の前に立ったら迷わず一番高いコーヒーのボタンを押すんでしょう?あれより安くて、倍ほど旨くて、1日せいぜい缶ビール一本に満たないんですから、迷う余地はありません。え?発泡酒しか飲まない?あなたにはネスプレッソは向いていません。

ここまで読んで納得したら、あなたもPIXIEを買いましょう。やっぱ売れないとカプセル供給が打ち切られちゃうかもしれないですからねー。

一般意思2.0

佐々木敦さんの「ニッポンの思想」で、「ゼロ年代一人勝ち」と称された東浩紀さんの最新の著作です。

東さんは、思想家であり批評家であり、近年では作家でもあるわけですが、この本は思想と社会システムについての本です。近年は「文化系トークラジオLife」や「ゼロアカ道場」、「シノドス」などを足がかりに若い世代の批評家や哲学者、社会学者が紹介をされていますが、この本を読むと「現状に対する興味深い考察」を越えた真にわくわくするような知的興奮をもたらす思想を提示してくれる東さんは、ひとつ別のレベルにいるなと思えます。それほどまでにこの本は霧が晴れて今まで見えていなかったものがあたかも当たり前にそこにあったかのように新しいことを見せてくれると同時に、とても過激で、まるで面白いSFを読んだかのような読書体験を与えてくれます。

この本ではタイトルの通り、「一般意思2.0」について語っています。「一般意思」とは遥か昔に高校生だったころ倫理の授業で習ったルソーの「社会契約論」のアレです。「2.0」とついているのは、おそらく「Web2.0」という数年前にIT業界で流行った言葉からの類推で、要するに「次のバージョン」とか「新世代の」ぐらいの意味です。この本では、「情報技術の進化という環境変化に対応した」という意味で、「一般意思2.0」や「民主主義2.0」、「国家2.0」などという言葉が出てきます。

で、これまでの東さんの発言などを多少知っている人などがよく誤解しているのが、この「一般意思2.0」や「国家2.0」は「情報技術とかWeb2.0的な集合知を使うことによって、必要悪である代議士制なんかを取らなくても世論の統合とか政策決定とかできんじゃね?」という話だということ。ただ、どっちの方向に誤解かといえばその2つは逆の方向で、「一般意思2.0」は「そもそも世論とかそんなもん必要としませんから。議論?しちゃダメでしょ」的なもっと過激な存在で、「政府2.0」は元も子もない書き方をすれば国会が進化した「ニコニコ生放送」になることだとしてます。

東さんはまず、ルソーの「社会契約論」を読み直すところから始めるのですが、ルソーの「一般意思」とは「世論」ではなく、我々の意思や欲求のベクトル的総和として「勝手に」立ち上がってくるもので、議論により形成したりするものではありません。ルソーは一般意思が健全に生成されるための条件として「市民一人一人に判断の元となる情報が提示されていること」と同時に「お互いが意見の交換をしないで、一人一人が判断すること」としているのです。つまり、ルソーは全然民主主義の人じゃないんですね。ルソーはこの総和つまり数学的演繹の結果である一般意思に主権が存在し、政府は一般意思に従って政治を行えといってます。つまり、独裁を全然否定してません。一般意思は選挙や投票の結果によるものじゃないので明確に形にできませんから、そこで首尾よく一般意思とチャネっちゃったスーパーマンが現れたならその人が政治をするのがベストです。

一般意思の存在が明確でない以上、独裁者の「言ったもん勝ち」的なルソーのこの思想は後の世代の思想家によって批判されるわけですが、東さんはここに注目します。そりゃ、現代数学も存在しない時代には一般意思は想像上の産物だったかもしれない。しかし、それが計算で求まるものであるならば、今、我々には過去に人類が想像もしなかったような計算能力があり、そして、日々の人々の意思や欲望の発露はtwitterのDBや、GoogleのDBや、AmazonのDBの上に存在するのだと。そう、一般意思2.0とは人々の無意識が集積し集計されたデータベースなのだと。あー、そうかも。となると民主主義オワタ・・・?

とはいえ、ルソーの時代から200年の積み重ねをおじゃんにしてしまうのは無理がある。かといって、ハーバーマスのいうような理想的な公共が今、構築可能とは思えない。世の中見渡す限り失敗しまくっとる。東さんは可視化された無意識のデータベースと熟議を通した小さな公共の形成する意思の双方が政府2.0に必要であると議論を展開します。ここが大変に誤解されているところです。要するに今は一般意思2.0が政治に関与する割合が小さすぎると。結果、熟議に重きが置かれているんですが、そちらはそちらで機能マヒしている現状がある。しかし、実際のところ一般意思2.0は物理的な制約として存在してしまっている。それは日本的な「空気」の形成に似ていて、例えば、今はそれをそのまま政治に取り込む政治回路はないわけですが「原発はオワコン」という空気は確認するまでもなく形成されています。そういう「空気」を可視化できますよと。どちらにせよそれを無視することなどできないのだから取り込もうという発想なわけです。ふむふむ。議論の展開が地に足がついたように思えてきました。

で、なんで最後が「ニコ生」になってしまうのかはぜひこの本をお読みください。議論が散漫にならない程度にいろんな話題が大きく吸い込まれていて、しかも、ものすごく平易な文章で読みやすい。こんなに素晴らしい知的興奮を与えてくれる本はなかなかありません。何より、夢があります。

「増税をするために、定数是正をする」というどう考えてもまったく筋の通らない議論が激しくやり取りされている国会に皆さんも絶望してることと思いますが、そんなときにはこの本を読んで夢を語るのもいいじゃないですか。

«Cygwinで"fatal error - unable to remap"と言われた

February 2012
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
無料ブログはココログ